神であるがゆえに
*
シンギングリンは数度の脅威に見舞われながらも、その全てを追い払った。災難を呼ぶ街と言う者もいれば奇跡によって救われた街と言う者もいる。しかし共通しているのは、冒険者は必ず苦難を前にしても立ち塞がり、人々のために立ち向かってくれるという事実である。冒険者は必要か否か、ギルドはあるべきか否か。そういった討論はカプリコンを討ち果たしたことで完全に纏まった。
どのような脅威であれシンギングリンの冒険者は街を守ってくれる。絶望的な状況に見舞われようとも立ち向かうのであれば、住んでいる我々もまたその覚悟に乗るべきだ、と。冒険者の敗北が街の崩壊へと繋がるのであれば、それもまた運命に違いない、と。
「アルフレッドさんを良いタイミングでシンギングリンに連れ戻せたのではないかと思っています」
リスティは談話室でソファにだらしなく座っているアレウスに報告とばかりに切り出す。
「勿論、あの依頼そのものがアルフレッドさんを呼ぶためのものではなかったのですが」
「……シンギングリンのヘイロンの想いが切り離されていた絆を繋ぎ止め、それは街の言うなれば寿命を引き延ばしたんですね」
さすがに声を掛けられてはだらしなくしているわけにもいかないためアレウスはソファに座り直す。そうするとリスティはその横にほぼ密着する距離で腰を下ろし、なにやら情熱的な眼差しを向けてくる。
「ようやく街は本来の形で機能し始めました。仮のギルドマスターではない、実務に強いニンファンベラさん。そしてギルドに協力的であり住民からの支持も高まりつつある代理とはいえ、未来の街長になり得るアルフレッドさん。この二人がいらっしゃれば、当面は安泰だと思われます」
「……あの、近いんですけど」
「なにか問題がありますか?」
「ないですけど」
この行動にとやかく言う権利をアレウスは持っておらず、そして他の女性陣もとやかく言うことはないだろう。なぜならこんなことはこれが初めてではない。今回はリスティだが一日前にはクラリエが、二日前にはノックスがかなり密着する形でアレウスの横に座ってきた。日常化してほしくはないが、段々と動じなくなっているのであればアレウスにとっても収穫はある。アベリア以外の女性への耐性を得てしまえば、大抵の場面で強気に出られるようになる。
そのように考えたところで、アレウスの対応が雑になれば彼女たちは更に過激な行動に出かねない。競い出されればアレウスは家にはいられなくなるだろう。
「アレウスさ――なにしていらしたんですか?」
リスティは俊敏にアレウスの真横からやや離れて座るも、談話室に入ってきたアイシャが睨みを利かせて白状させようとしてくる。
「なにもしていないけど」
しかし白状もなにもアレウスはリスティと一切やましいことをしていない。
「私の目を見て話せますか?」
「怖いから見ないけど」
「へー」
本当に目を合わせたくないので断ると棒読み気味の返事をされる。
『天眼』がアイシャに宿っているのであれば、死の魔法もいずれ習得する。それがレジーナが持っていた魔法と同一のものとは考えにくいが、とにかく死の魔法を習得すれば彼女は真っ先にアレウスで試しに掛かるに違いない。
ではむしろこの態度は彼女に不満を溜め込ませてしまうのではないだろうか。機嫌を損ねさせるよりも機嫌を取ることの方が今後の自分の身の安全に繋がる。
「死の魔法が使えるようになったらアレウスさんで試していいですか?」
なにか気の利いた言葉を言えないものかと思案している最中にアイシャがそう訊ねてくる。まさに死の宣告であり、鬱憤を晴らすために違いないとアレウスは恐怖する。
「嫌だけど」
「こんなことアレウスさんにしか頼めないんですが」
「もっと別の場面でそういうこと言われてみたかった」
「へー、どういう場面でですか?」
再び棒読みになってアレウスを睨んでくる。失言とは思っていないが、願望が出てしまったことは認めざるを得ない。やはりアイシャの目を見ることは避け、自然とリスティに向けられる。
「私はアレウスさんで試すのが最も安全だと思いますが」
助ける気などない。そんな断言にも思えた。
「もし解き方が分からなくてもアレウスさんならなんの問題もありません」
「問題あるんですけど。なんで魔物に使ってみるって考え方はないんですか?」
二人が同時に「おおっ!」と驚いたように声を発し、柏手を打つようにポンッと両手を合わせて、その手があったかという顔をする。
「人間で試そうって時点でアイシャの価値観が歪んでいる可能性が」
「だって死の魔法はその対象が人間に対してばかりだったので。魔物に使ったところをあなたは見たことがありますか?」
言われてみればアンソニーもレジーナもアレグリアもリゾラも――誰もが死の魔法を人に向けて使っていた。アンソニーの死の魔法は鐘の音の回数や刻み方といった法則性を見出せるだけの知能が必要となるため人間を対象にせざるを得ないが、他はその限りではないようにも思える。
「ロジックへの状態異常付与だからでしょうか?」
リスティは推察する。
「でも動物たちや魔物にもロジックはあるんですよね?」
でなければ異界獣に『観測』の魔法が通用するわけがない。リスティはそれもそうだと思ったのか、やや首を傾げてみせた。
「不思議な話ですよね。ロジックはイプロシアとその師匠が作り上げた魔法のはずなのに、動植物に限らず魔物にまであるとされているんですから」
アイシャは言いながら談話室の花瓶の花を自身が買ってきたものと交換する。
「魔物は異界獣の代謝物で残滓。魂の虜囚を食べることで自然と魔力でロジックを作り上げたから、その残滓から産まれる魔物もまたロジックを持っていても不思議じゃない……けど」
「それだとこの世界に存在する動植物のロジックまでは説明できないんですよね」
アレウスの推論における綻びをリスティが指摘するように呟いた。
「実際、草花にロジックってあるんですか?」
「無機物にあるとされているくらいですから有機物にないわけがないと言われています」
死体のロジックは開けないがそれは『聖骸』に魂が移り、ロジックを引き継いで消失してしまうためだ。
「されているってことは実際、開いた方はいらっしゃらない?」
リスティにアイシャが訊ねると首を縦に振る。
「ですが『竜眼』やエルフのエンチャントがある以上は無機物にもロジックは無いとおかしいんです」
『竜眼』はロジックの内容を移し替えたり差し替える。それは生物に限らず行えて、エルフのエンチャントは無機物である刀剣に魔力を付与する。どちらもロジックがなければ成立しない話なのだ。
「難しく考えすぎて、答えを見つけ出せていないのかもしれませんね」
やや笑いつつリスティはアイシャが取り替えた花の処分に困っていたため受け取る。
「こちらの花はしおれてしまっているので土に還してきます」
談話室をリスティが出ようとするのでアレウスは「あの」と呼び止める。
「ところで、なんでアイシャは普通に家に来ているんですか?」
根本的に不可思議な点をアレウスは指摘する。
アイシャとニィナはギルドによって軟禁されている。それは未遂とはいえオーディストラ皇女を暗殺しようとしたためだ。彼女自身は『異端審問会』に身を置いていただけだがニィナは極刑は免れないことをしでかしている。だからこそギルドで軟禁し、二人がシンギングリンにはいないことにして軍の捜査から逃れた。国家転覆を狙った犯罪者を匿った以上、ギルドもまた二人と心中するようなものなので、そう容易く軟禁を解くことはないはずなのだ。
にも関わらず、当たり前のように花を取り換えている姿が不思議でならない。
「皇女様が二人を不問にすると言ったんです」
「……不問に?」
自分の命が狙われたというのに、許すなどあってはならない。それはリスティと過去に語り合ったことではないか。
「そんなことをすれば、あらゆる暗殺者がオーディストラ皇女の命を狙うことになりませんか?」
だからこそ問い掛ける形でリスティに投げかける。
「暗殺を不問にしたわけではありません。命を狙った犯人をニィナさんとしないことにしたんです。つまり、あれらはヴィオール・ヴァルスが起こしたこと。真の暗殺者はヴィオール・ヴァルスであると皇女は決定し、既に死亡していることを宣言しました。無論、アイシャさんとニィナさんの名前を出さないままに」
「そうか……犯罪そのものがヴィオール・ヴァルスの手引きだった。ニィナはそこには関わっていないとすることで、犯罪者じゃなくなる」
死人に口なし。これは悪い意味で使われることもあるが、今回ばかりはヴィオールに全ての責任を被せることができる。そもそもニィナだって暗殺をしたかったわけではないのだ。
「全面戦争の宣言をする前に、自身に向けられた暗殺者の最期を事後報告ではあれどしておきたかったのでしょう。既に死んでいると言えば、皇女様が手を下したと深読みします。暗殺が未遂に終わった事実も踏まえ、命を狙おうとする者たちは心理的に行動を起こしにくくなります」
ヴィオールの名を公表しての暗殺未遂事件の犯人の顛末。それらを耳にすれば国民は安堵し、暗殺者は未遂とはいえ暗殺者が始末されたことを知り、しばらく息を潜める。
「一番の驚きは……皇女様が連合の持ちかけに――いいえ、アレウスさんの提案に合意した点ですけど。恐らくは話し合いの中で『不死人』や聖女に対する価値観が変わったのではないでしょうか。そもそも聖女見習いから聖女になったアイシャさんを処刑なんてしたら、それこそ暴動が起きかねませんし」
全面戦争の宣言。これはアレウスが考えた計画に皇女だけでなく新王国や連合、ハゥフルの小国が乗ったことを意味する。まだ宣言してから三日も経っていないが、各国が合意したのなら全面戦争に見せかけた軍事演習の準備は秘密裏に進んでいるだろう。
そして、アレウスたちに召集が掛かるとき。それが即ち、王国に潜む『異端審問会』へと突撃する手筈が整った瞬間となる。いつ呼び出されるかは分からないが、その瞬間はそう遠くない未来にある。
リスティが談話室をあとにする。
「でもアイシャがわざわざ家に来る理由はなくないか?」
二人切りになってから改めて疑問をアイシャにぶつける。不問となったのならニィナと一緒にどこかへと買い物にでも出掛ければいいだけのことだ。
「慰安も兼ねて」
「……薄気味悪い」
カプリコンを討伐して労われるべきはヴェインであってアレウスではない。そのヴェインもエイミーと束の間の休息を過ごしているはずだ。なによりアイシャがアレウスを労うなどあり得ない。
「なんで私が労うことが薄気味悪いんですか?!」
「いやだって、僕のこと嫌いだろ」
「嫌いですけどなにか!?」
逆ギレされているが、アイシャの言葉の勢いには屈しない。
「前にあれだけ言われているんだから僕だって怪しんでもおかしくないだろ。ましてや死の魔法を習得したら僕で試そうとしているくらいだし」
雰囲気としては命を狙われている。そう思ったっておかしいことではない。おかしいのはそんな相手に慰安どうこう言っているアイシャの方である。この自論をアレウスは捻じ曲げない。
「……これでも感謝はしているんです。ええ、嫌いな相手にでも感謝ぐらいはしなきゃならないと思っています。それが大人の対応というものです」
だったら口に出さなければいいのに、と心の中で呟いたことを伝えないままにしておく。
「別にあなたに会いたくて来たわけではなく……一つ、気になったことへの答えを、あなたがもしかしたら持っているのではと思いまして」
「僕が?」
「ヴィオール・ヴァルスは『聖者』だったんですよね? 今はヴェインさんが神に選ばれているみたいですけど」
「ああ」
「……どうして神様はあんな人を『聖者』として、のさばらせていたんでしょう。遠い過去より生きていたと聞いています。でしたら、今に至るまでの間に剥奪することだってできたはずじゃないですか」
「それは」
分からない。そんな風に言えればいいのだが、アレウスなりに答えが出てしまっている。しかし、敬虔なる信者でもない自身がさながら神を知った気で語るのは信者たるアイシャには耐えられない苦痛になる。
「仰ってください。怒りませんし、否定もしません」
「本当に?」
「だってあなたは神を信じてはいませんが、神を信じる者を否定したことはありませんから」
「……あくまで、あくまでこれは僕の考察であって神様の代弁じゃない」
「ええ」
「神様は自身が選んだ『聖者』の行く末を見届けることをやめられなかったんじゃないか?」
「やめられない?」
「僕は『堕天使』と『天使』を知っているんだけど、彼らは天の御使いとして一人の人間の生き様を、その行く末を見届けることを使命としているらしい」
「それは聞いたことがあります。支えにはなっても憑いた人の未来を劇的に変えるような干渉はしてはならない。ただ見つめ、その終わりを見守ること、と」
「天の御使いに行く末を見届けろと命じているのに、自身が選んだ人間の生涯を悪道に堕ちたからって拒むのは神様らしくないと思わないか?」
確かに、とアイシャは驚きの声を上げる。
「そうですね。天の御使いはいわば部下。部下に強いておきながら自身がその定義を拒むことを神様がなさることは絶対にあってはならないことです。ヴィオールは『聖者』として選ばれてから悪道に堕ちた。手引きも手招きもできず、しかもロジックを書き換えて自らの寿命を勝手に定め、数百年を生きた。そのことが神にとって不測の事態を招いてしまった」
「『聖者』であってもヒューマンの生涯はこの世界だとおおよそ六十。足掻きに足掻いて九十。その内の悪道に堕ちた時期は半生ほどとするなら神にとっては想定の事態。でも、ロジックで寿命を引き延ばしたがゆえに、悪道の時期が『聖者』として生きていた歳月を追い越してしまった」
「神は相当にお悩みになられたでしょうね……いいえ、『聖者』と選んだ以上はその生き様に悩むこともあり得ない。『異端審問会』はそもそも神への絶対的信者の集まり。神に対しては真摯で敬虔だったのなら、人と神との接し方の差――二面性こそが、ヴィオール・ヴァルスが『聖者』であったことの証明」
「良くも悪くも『信心者』。神への忠誠心だけは本物だった。けれど神にとっては、可能な限り見限りたい存在でもあった」
「『信心者』が死んで即刻、ヴェインさんが選ばれるくらいですからね。どんなに忠誠心が高くても嫌気が差していた部分は否めないかもしれません」
疑問が解けて満足したようにアイシャは表情を緩ませる。
「ありがとうございます」
「感謝されることじゃない」
「いえ、その気付きは私には無いものでした。神を違う視点から見られる良い時間でした」
「……僕は『そんなこと神様が思うはずありません』とでも言われるのかと」
「今の声真似、まさか私じゃないですよね? 私とか言ったらドン引きしますからね!」
二人切りだというのに居心地、話し心地はそれほど悪くない。そのようにも思うが、恐らくそんなことを話せば終わる。アイシャは絶対に否定するに違いない。
どうして会話とは相手の気持ちを汲まなければならないのか。これが永遠の謎だった。孤独であったからこそ、会話も対話も拒んできた。その結果に生じた理論はそう簡単に崩れない。しかし最近は考えられるようになってきた――はず。そのようにアレウスは思う。これでも多少は最初の頃よりマシになっているのだから。
「解決したので、私はこれで」
「このあと予定でも?」
「ニィナさんと買い物です。予定がなかったらなにをするおつもりだったんですか?」
ジト目で訊ねられる。
「会話の流れ上、聞いてくれって雰囲気だっただろ」
「いーえ、そんなことはあり得ません」
いそいそとしていたのだから聞いてくれアピールだと思ったが違ったのだろうか。まだまだ人の心は読み切れない。
「あ、待ってくれ」
「なんですか?」
「近々、魔物講座を開くんだけど」
「……………………はぁぁああーあ」
アレウスの言っていることが本当に本当なのか。そんな無言の時間が過ぎてからアイシャは信じられないほど深い溜め息をついた。
「それで私が興味を引くとでも、」
「興味を引くというか仲間と魔物について改めて勉強会を開くって話があって、それで僕が一番魔物について詳しいだろうって」
「え……あれ? なにか勘違いしていました、私?」
「勘違い?」
一体なんの話なのか。しばし二人で顔を見合わせる。あんなにも視線を交わすことを避けていたのにこの微妙な空気の十数秒は普通に見つめ合っていた。
「いえ、なんでもありません!」
そうアイシャが空気を切って、再び溜め息をつく。
「ニィナが参加したいと言うなら私も参加します」
「良かった。魔物への対処法は全員で共有しておきたいんだ」
「なんで魔物と異界の話が出来ると分かるとそんなウキウキするんですか。私と話しているときもそれぐらいウキウキしてくださいよ」
「なんで?」
「なんでって、私はこれでも魅力的な女性ですよ?」
「それとこれが、なんで?」
「……もぉー良いです」
諦めて、アイシャが談話室の扉を開く。
「楽しみにしているよ、アイシャ」
「だーかーらー、そういう優しい声を私に向けないでください。薄気味悪いんですよ、薄気味悪い!」
廊下に出て、荒めに扉が閉じられる。
「二回も言う必要ないだろ」
閉められた扉に向かってアレウスは傷心の言葉を呟くのだった。




