特定の状況において
*
イェネオス、クニア、セレナとパルティータ、グリフたちが各々の同胞たちがシンギングリンから引き上げて夕方となった。カプリコンの死体は完全に塵と化すことはなく骨格標本のように頭骨だけが綺麗に残った。これの回収はシンギングリンの冒険者たちに任せることとなり、一旦は危機を脱した。
しかし、そこから本物のシンギングリンに帰った際にジュリアンの死を知ることとなり、悔やまれる思いが全員に満ちる。勝利の凱旋も犠牲者が知り合いが一人いるだけでこれほどに苦い味がするものなのかと思ってしまう。これまでも――いいやつい先ほどもカプリコンとの戦いで多くの犠牲者を出したというのに、討伐による高揚感によって考えないようにしようという心理が働いたのだろう。
その心理を彼の犠牲は壊してくれた。人の死に対して抵抗感が薄くなっていた自分自身を見つめ直すキッカケを与えてくれた。
「こ、この度は、ほ、本当に、本当に申し訳ございませんでし、でし、でした」
戦々恐々といった面持ちでニンファンベラはアレウスたちを前にしてゆっくりとその場に正座し、土下座へと移ろうとする。さすがにやり過ぎなのでアベリアに止めさせる。
「ニンファンベラさんが『異端審問会』にロジックを書き換えられたのはいつ頃か分かりますか?」
「それは……ええと、恐らくはアレウリスさんたちに依頼書を用意している最中だったとぉ、思いますのでぇ~」
「でも変じゃない? だったらその構成員はシンギングリンの場所を『魔眼収集家』たちに伝えていれば、アレウスが出し抜くことだってできなかったんじゃ」
クラリエの言うようにニンファンのロジックに干渉した人物が『異端審問会』に報告していれば今回のチャンスは訪れなかった。
「考えられるのは二つだな」
アルフレッドがアベリアと交代してニンファンを支える。
「一つはその構成員が『異端審問会』を混乱させるために意図して報告や伝達を行わなかった。二つ目は、報告や伝達を行う前に事故死、もしくは急死した。どいつもこいつも『魔眼収集家』たちと同格ではないはずだ。不運にも事故に巻き込まれることは不思議な話じゃないと思うが」
どう思う? という視線をアレウスに向けてくる。
「僕も二つ目の方が現実味があるように感じる。一つ目はつまり構成員として連なってはいるけれど、『異端審問会』のやり方に不満を持っているってことだから、なにかしら僕たちに接触してくるはずだ。それがないなら、僕たちの知らないところで死んでいる。それも『異端審問会』にシンギングリンの場所を伝える以前に」
「纏めさせてもらいます」
リスティが紙を取り出してなにやら書き込み始める。
「構成員はニンファンベラのロジックを書き換えたあとに死亡。ただし、彼女のロジックを書き換えたことは先に伝えていて、シンギングリンの立地について報告するのを後回しにした」
空白の時間はおおよそ一、二時間。リスティが紙に書き込んで纏めた図の見立てではそうなる。
「ここで気になるのは、どうして報告を一度に行わなかったのかです。ひょっとすると一度に行えなかった事情があったのでは、と。たとえば報告の最中に誰かに目撃されそうになったとか、そういった他人の目を気にしなければならず、やむを得ず切った」
「でも報告って『念話』ですよね? 『念話』って声に出さなくても伝えることができるんじゃないですか?」
アレウスは率直な疑問をぶつける。
「でも『念話』で声を出す人もいましてよ」
「そんな人いるのか?」
「あなたあなたあなたあなた、あなたでしてよ」
他人事のように言うアレウスにクルタニカがこれでもかと強めに突っかかる。
「あなたは意識していれば無言ですが、無意識でしたら口に出していましてよ」
そう言えば白騎士の襲撃直前にリスティから念話された際、声に出していた。あれはクルタニカと情報を共有するためでもあったが、最初からそれを目当てに声を発していない。流れ的にそうなっただけで、意図して発していたわけではないのだ。
「声を発さずに声を飛ばすというイメージは湧きにくいんだよねぇ。発している声がそのまま向こうに届いているという感覚を持っている人も結構いると思うよ」
「ならばあながち、誰かに報告中の姿を見られたから切らざるを得なかったという考えも間違いではないのか」
ガラハは納得しているような納得していないような顔をしながら言う。
「こんなところにいて大丈夫なのか?」
「なにがだ?」
「いや、ヴィヴィアンの傍にいた方が」
「それもそうだが、オレが事後報告を話したり聞かないままにヴィヴィアンのところに行くとグリフに殴り飛ばされそうな気がするんでな」
ガラハの中でのグリフのイメージがアレウスには分からない。職人気質ではあるがそんな強く人に当たるような性格ではなかったはずだ。しかしドワーフ同士で昔馴染みの間柄にとやかくは言えない。
「冒険者たちに聞き込みを行うように担当者に伝えますのでぇ」
「俺も自警団に聞き込みを行うよう伝えておく」
ニンファンが未だ申し訳なさを服のように纏いながら呟き、アルフレッドも協力を申し出た。
「ジュリアンはどうだい?」
ひとまず、ニンファンに接触した構成員についての考察は終わりを迎えた。今の状態ではこれ以上に調べようがない。だからこそヴェインは最も重たい事実を全員に突き付けてくる。
「彼の死を俺たちは阻止できたか否か」
「それは――」
そこからアレウスたちはリスティから事の顛末を説明される。ジュリアンがどのように死ぬこととなり、リゾラが駆け付けた際にエイラと鉢合わせてしまったことや、自身が犯人ではないと主張したこと、そして『魔眼収集家』を必ず倒すとエイラに告げたこと。更にはその目標となる場所がアレウスたちと重なるのであれば戦いの場で協力するとも言っていたと。
「ジュリアンは甦る。けれど、僕のようにすぐに回復は難しいかもしれない」
「死の魔法だから?」
「それもあるけど、ジュリアンはトラウマを抱えている」
好意を寄せていた親戚のお姉さんの首をヴォーパルバニーに刎ね飛ばされる瞬間を目撃している。その瞬間から彼は自分自身の心が、恋に向かう感情が鈍くなったとアレウスに語っている。
トラウマはアレウスにだってある。『異端審問会』から受けた拷問こそがまさにそれだが、その果てしない苦痛こそが今の自分の原動力でもある。だからこそトラウマを再び味わうことがあっても忘れるものかと心に言い聞かせることができていた。しかしジュリアンは自分自身に起きた悲劇ではなく、目撃してしまった惨劇である。身に起こった苦難ではなく、抗う余地すらなかった理不尽なのだ。そんなものを追体験するのはそれこそ心をもう一度壊されることに等しい。どれほどに大人びた性格や考え方を持っていても、出会った当初が十二で今、十三か十四。とてもではないが短期間で乗り越えられるものではない。
「甦った際にロジックに書き込まれた生き様を追体験しますが、これは年齢が低ければ低いほど有利と言われていた時期がありました。五十年生きた冒険者と二十五年生きた冒険者では後者の方が『衰弱』から回復は早いと誰もが考えたのですが」
リスティが言いにくそうに口を開く。
「実際にはどちらが有利とか、そんな概念は『衰弱』には存在しませんでした。これは私たち人間が年月を経た際に行う記憶の整理が影響しているものと思われます。忘れっぽいからとかではなく、『衰弱』はどんな年齢でも等しく色濃く残っているトラウマや過去を経験を追体験することなのです。それ以外の部分は正直、よく知った本をもう一度読み直せと言われた場合に行う読み飛ばしが働きます。なので結局、年齢による差はほとんどないと私たちギルド関係者もギルドに連なる医者も結論付けています。ただ、揃って口にするのは若い内に死を経験するのは決して良いことではなく、リスクの大きいことである……と」
「リスクって?」
アベリアは淡々と訊ねる。
「冒険者を廃業するだけならまだしも、廃人率が高めです。若くても老いていても追体験するトラウマの質は同等であるのは確かなはずなので、ここにどういった違いがあるかまでは解明できていません」
若ければ立ち直りやすく、老いていれば過去に囚われて苦しみやすい。そのようにアレウスも思っていた。自身がまだ若者であるから『衰弱』からも回復するのが早かったとも考えていた。
「特にジュリアンさんは『教会の祝福』を受けてはいるとはいえ、前例のない年齢での冒険者です。彼の回復が早くなるのか遅くなるのか私たちはまるで推測を立てることができません。そもそも、傾向なんて掴めていないんですけど」
その傾向を掴めていない状況で更にジュリアンは先の読めない状況となっている。これはあまりにも重たい事実なのだ。
「ジュリアンは命懸けで『星眼』と街長代理を守った。そこを見ないのはどうしてだ?」
ノックスが暗い雰囲気の中で切り出す。
「別に死ぬことが素晴らしいなんて思っちゃいねぇよ。でも、あの歳で死の魔法を持つ敵わない相手に立ち向かった。狙われているところを阻止した。それは無謀だとか蛮勇で済ましていいことじゃねぇだろ? 事実、『星眼』も『竜眼』も取られずに済んだのはジュリアンの犠牲があったからだ。立ち向かうべきじゃない。それが正しい決断であったとしても、あのときあの場所でジュリアンは正しくない選択肢を取ることにしたんだ。簡単に出来ることじゃない」
「……そうだな、ノックスの言う通りだ。ジュリアンは文字通り命の重さを天秤に掛けた。誰が生き残るべきで、誰が犠牲になるべきかを即断即決した。正しくないと分かっていても、そうしなきゃならなかった。凄いことだと思う。だけど」
アレウスは同意しつつも最後に願望を口にする。
「個人的には生きる勝算があった上で、立ち向かう決断をしてほしかったよ。分かってる……こんなことを言うのはズルくて卑怯だってことぐらいは。アルフレッドの気分を悪くすることを言っていることだってことも、分かってる」
『星眼』も『竜眼』もアルフレッドも欠けてはならない。しかし、その三人よりもアレウスは自身がよく知る少年であるジュリアンが生きていてほしかったと思っている。
「別にいい。俺も子供を犠牲にしてまで生きるべきか迷った。『逃げろ』と言われたから逃げてしまった。我が身可愛さで小さな命を犠牲に出した。そういう風に言われたって俺は傷付く権利はほとんどない。真に傷付いたのはジュリアンだ。あんな子供に命の価値を考えさせてしまったんだから。そして彼が最も命が軽いという判断を取るに至ってしまったのだから」
反省も後悔も、やり場のない怒りや申し訳なさも全員が抱いていることは共通している。それだけジュリアンは誰からも愛されていた。
「アンソニー様はフェルマータさんと共に療養中です。しかし、私たちに協力の旨を申し出てくださっています。エイラさんもリスティさんの言葉でどうにか耐えられています。つまり、『異端審問会』に対して私たちは今、有利な状況にあると考えてよろしいでしょう。『星眼』、『竜眼』、『音眼』、リゾラさんの『蜜眼』、更にはアイシャさんが未熟ながらも『天眼』を目覚めさせています。多くの聖女が私たち側にいる。これはきっと彼らにとって大きな大きな痛手に違いありません」
「『養眼』を忘れられても困るぞ」
事後報告の集会に水を差すように空中で浮遊しながらリリスが言葉を落とす。
「『不死人』も連合の聖女のどちらもこのことに関しては不干渉を貫くのでは?」
「貫けるのであれば要望をお聞きして、ワラワをここに寄越しなどせん。不干渉ではなく、聖女様は干渉することを選んだのじゃ」
リリスはゆっくりと地面に降りて、アレウスの顔を窺う。
「さっきワラワたちに言ったこと忘れておらんな?」
「…………ああ」
「ならばすぐに皇女に口利きしに行くがいい。早期に国外しに動いた大国に対して全面戦争を仕掛けると宣言させよ」
皇帝とアルテンヒシェルが相討ちとなった。このことは大きすぎる想定外――というわけでもない。万が一、そういったこともあるだろうと考えることはできていた。
なぜならアルテンヒシェルは『至高』の冒険者であるから。一度とはいえ冒険者の頂点に君臨し魔王を討った。その力が歳月によって衰えていたとしても、ただの人間でしかない皇帝がその手で屠れるはずがないと。白騎士を加えて初めて彼だけが死ぬ可能性が高くなった。
「オーネストさんが駆け付けたことで、相討ちになってしまったとしか」
アイシャは呟く。アレウスもその言葉に肯くしかない。アルテンヒシェルだけならば敵うことのなかった皇帝の勢力にオーネストという最強の聖女が相対したことで、たった二人で皇帝と白騎士の軍勢と同等となったのだ。
「そのような反省や考察を求めてはおらん。言ったじゃろ? さっさと全面戦争を宣言させよと」
「僕を急かすな」
「急かしてはおらん。これは至極当然の要求。なにせお主の口から出た言葉だ。『皇女を旗印として、大国潰しと王国との決戦を行わせる』と。血も涙もないことを言ったお主の言葉をワラワはこの耳でしかと聞いて…………? 聖女様?」
ひたすらにアレウスを言葉で刺していたリリスの言葉と動きが止まり、天を仰いだ。そののち、言動が一気に落ち着く。
「聖女様がお主と話をしたいと申しておる。ワラワの口と体を借りて、今この瞬間にお主の発言の真意を問いたいと」
そう言ってから一度、リリスが項垂れる。そしてすぐに首をもたげた。
瞳に満ちるはリリスにはなかった強烈な魔力。『養眼』の感覚器官たる聖女の気配をアレウスは感知する。
「アレグリア様」
「妙に畏まらなくて結構です、アレウリス・ノールード。それよりも私に説明をしてください。どうして帝国を更に暴走させようとしているのか……いいえ、それは浅はかな者たちを騙すための作戦。実際には暴走に見せかけた手をあなたは打とうとしている。違いますか?」
「その通りです」
「…………つまり、全面戦争をしている風を装うと?」
「はい」
アレグリアはアレウスの考えをものの見事に言い当てた。
「ちょっと待って。装うってなに? そんなこと偽装できるの?」
ニィナがさすがに話が飛び過ぎていて理解できないとばかりに訊ねてくる。
「帝国の皇女、新王国の王女、ハゥフルの女王、連合を治める聖女、エルフの森を束ねる巫女、山地に潜むドワーフの長、空を舞うガルダの名家、最も強き獣人の群れ。これだけの伝手があれば、形だけの戦争に切り替えることができる」
「王国の領土と面しているのは帝国、連合、エルフの森と新王国。『異端審問会』は国外しと称して、帝国以外の国家に帝国を攻めることを要求している。だったら、その要求通りに全面戦争を行っているように見せかければいい」
いつの間にか水がカプリースの分身となってアレウスの足りない説明を補足する。
「えっと、つまりこういうことかい? 国外しを行っているはずの王国が、逆に国外しさせられる」
ヴェインの纏め方が最も伝わりやすかったらしく、アベリアやクラリエも合点が行ったように戸惑って泳いでいた視線に冷静さが宿る。ノックスだけは未だ首を傾げたままだが、彼女にはアレウスがあとから説明してしまえばいいだろう。
「全面戦争と言いつつ、実際には国家間の軍事演習。矢や石は他国の領土を狙ってはいても軍隊を狙わず、銃や兵器も領土を蹂躙はするものの砲撃は人を狙わない。兵士たちが握るのは鋭い鉄製の武器ではなく、鎧の上からでは昏倒までしかできない木製の武器。それらをエルフが使える認識阻害の魔法で覆えば、遠目からでは戦争をしている風に思わせることができる」
「簡単に言いますね」
アレグリアはアレウスの無茶苦茶に対して冷ややかに息を吐く。
「どこかの国や種族が一つでも約束を違えれば、演習は演習ではなく本物の全面戦争となります。裏切らないなどと、オーディストラ皇女やクールクース王女が言い切れますか? エルフの巫女が全面的に支援などしてくれますか? 同盟すら組んでいない国同士での裏でのやり取りなど、どこにも芯がありません。そんなことに連合が賛成するとでも? 逆転の一手を日夜考え、時には正しく負ける方法を探し始めているこの私が、信者たちに帝国を信じてほしいなどと言えると思いますか?」
「そう、まさにこの作戦の核はそこにあるんです。大国が行う大掛かりな嘘に対して、戦争に負けかけている連合が肯いてくれなければこの策は回らないんです。なぜなら、大国には未だ戦争に対しての体力が残されている。大国は幾らでも嘘に付き合う余力があり、逆に連合には付き合うだけの余力が残されていない。だからこそ、戦況で最も苦境に立たされている連合が首を縦に振らなければ成立しないんです。強国、大国から協力を得ることよりも小国や窮地に立たされている国の協力を得ることはどんなことよりも難しいんですから」
全面戦争に見せかけた大規模な軍事演習。そのようにアレウスが提案しているが、アレグリアにとってはここが生命線となる。応じて、もしも帝国がアレウスの言った通りにはせずに領土や聖都を蹂躙すれば文字通り連合は滅びる。軍事演習と言いながら実は本気での全面戦争であったなら、連合のみならず他種族の森や山、縄張りも戦火に包まれる。その引き金を握っているのはアレグリアではなくアレウスなのだ。この瞬間だけ、どちらにでも転ぶことができる。優位性を持ったままアレグリアに交渉することができる。
聖女はそこまで想定しているからこそ、肯かない。
強ければ払い除け、大きければ聞き流せるそれも、小国や戦争に負けつつある連合にとっては疑心暗鬼にならざるを得ない提案だ。むしろすぐに肯かれてしまうことの方がアレウスにとっては怖ろしかった。
なぜなら、即座の同意は裏切りの一筋となるからだ。これは協力する全ての国、種族が同じ目標を目指さない限り成立しない。一つでも裏切り、一つでも逃げ出すことがあれば王国と『異端審問会』に崩される。改めて帝国は国外しを受け、滅亡する。
「どのような言葉を投げかけられようとも、私はすぐには応じません。この場で聞きたかったのは言葉の本質のみ。あとは私自身が判断します」
「判断?」
「オーディストラ皇女とクールクース王女、エルフの巫女のレジーナ様、ハゥフルの女王。そこにドワーフの長やガルダの名家を含めての対話を行おうと考えています。あなた抜きで」
アレグリアはアレウスを指差しながら言う。
「私たちは常にあなたという存在に絆されてきました。あなたという存在を抜きにして自身の心と向き合い、他人の言葉と向き合い、その言葉が信用に足るかどうか。オーディストラ皇女は女帝足り得るか、クールクース王女は女王足り得るか。同じ国の頂に立つ者として見定めます。そして、その果てであなたの提案に全員が肯くかどうか。私は最後まで首を縦には振りません。私以外の全員が了承するか否かで決めさせていただきます」
フッとアレグリアの気配が消えてリリスの意識が戻る。
「お主の策が反撃の狼煙となるか、それとも自滅と破滅の一手となるのか。見物じゃのう」
ケラケラと笑いながらリリスはアレウスの周りを回って、やがて満足したようにその場を去る。
「『異端審問会』を討てるかどうか。それはアレウスさんの手に委ねられるわけではなく、あくまでも国同士のやり取り次第……というわけですか」
そう呟いてリスティは溜め息をついた。
「『至高』の冒険者を呼びますぅ」
空気を変えるようにニンファンが言う。
「それはガラハやクラリエではなく?」
この二人は以前の戦いで『至高』の域に達している。そのことはギルドにてアレウスも聞かされている。本来なら一番最初にそこに登りたかったという悔しさもあったが、二人はさながらアレウスだけでなくアベリアやヴェインも同じところに登ってくることを待っているかのような雰囲気で大っぴらに自慢することはなかった。
「『千雨』と『鬼哭』の二名が死亡して、“大いなる『至高』の冒険者”がこの世を去った今、残っているのは……クラリエさんやガラハさんを除けば帝国に二名、王国に一名、連合側の森に一名。でも王国の一名は今日、死にました」
リスティがニンファンの代わりに説明する。
「もしも対話によって王国を逆に陥れることに同意が得られたならば、私たちが掛け合って残された三人の『至高』の冒険者の協力を仰ごうということです」
言いながら彼女は紙に再び文字を書く。
「死んだと思われるのは『異端審問会』で『信心者』と呼ばれていた男です。正式に冒険者であったわけではありませんが、『至高』の冒険者と同格であることは確かであったため含まれています。なにせ彼はこの世界にただ一人しか存在できない聖者だったのですから」
「ヴィオール・ヴァルス」
アレウスは呟く。
「僕が異界で殺した『信心者』――『至高』の冒険者の名前です」
「やはり、あなたが」
アレウスが手を下したことをなんとなくリスティは察していたのだろう。だから彼女の言った「王国の一名」とはヴィオール・ヴァルスで間違いない。
「話を戻しましょう。なぜ、彼らが恐怖の時代に『至高』に到達できなかったのか。なぜ、彼らが語られることがないのか。それは、彼らが極めて限定的な環境でのみ力を発揮するためです。気象が荒れていなければ、または赤い月が出ている最中しか力を使えない。そういう方々だと私が見た資料で書かれていました」
「じゃぁダムレイが訪れている間しか強くない冒険者がいらっしゃるんですか?」
「強くないは驕った言い方ですよ、ヴェインさん。ダムレイが訪れている間、その者は間違いなく全てを凌駕します」
ヴェインの言葉をリスティは咎める。
「『悪魔』が人を唆しに来る赤い月の間だけ最強の冒険者だなんて!」
アイシャがやや怒りに満ちた声を放つ。
「ですが、事実なんです。アレウスさんは私やエルヴァ、或いは新王国の方々に言われたでしょう? 『勇者』はもはや遭遇してしまえば天災や災害にも等しいと。彼らもまさにその通り、災害にも等しい力を持った冒険者なのです。その内の一人――私たちギルドの間では『祭祀』という二つ名で呼ばれていた男が亡き今、彼らがどのような動きを取るのか分かりません。なので早々にこちらから連絡を取らなければなりません。でも、私たちには彼らとの伝手はありませんから帝都――帝国最大のギルドの協力が必要不可欠です」
「なんにせよ、国同士の会議がどのような決定を下すかまで、俺たちにできることはニンファンのロジックを書き換えた人物を追うことだけか」
そう言ってアルフレッドは自身の力足らずに悔しさを滲ませている。
「連合の森の一人は?」
「考えるまでもありませんわ、アベリア。この世界の現象を引き起こしている原因に極めて近しいのであれば、あと一つ。わたくしたちが戦って戦って、そのあとで行うそれでしょう」
「……『御霊送り』が行っている最中だけ、最強?」
「特定の条件下でのみ最強。“大いなる『至高』の冒険者”に届かずとも、恐怖の時代を乗り越えた世代。大物過ぎて眩暈を覚えましてよ」
クルタニカはそう言って、近場の椅子に座り込んだ。




