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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 前編 -国外し-】
653/705

呪詛



 強靭な肉体には全身の皮膚を守るように黒い剛毛が生え揃い、両指の先にある爪は僅かばかりの鋭利さを持ってはいるが、カプリコンの巨大さにおいてはその僅かな鋭利さが両手剣の一振りすらも越える斬撃と破壊を有している。山羊、それとも鹿、或いは牛。どれでもないがどれかに似ている頭蓋骨をそのまま頭部とし、皮膚のない顎がゆっくりと開かれると死臭漂う息によって幻想のシンギングリンを覆い尽くされる。

「さすがは『悪魔』の権化。直視することを本能が避けてしまう」

 カーネリアンは臆することなく呟く。

「だが、見つめられて死ぬわけではない。ただ漠然と感じる死への恐怖を払い除ければ、この身の毛がよだつほどの寒気に怯えることもない」

 エキナシアが傍に寄って、ジッとカプリコンを見つめている。


 クケッと頭蓋骨で成されているカプリコンの頭部であるが、確かに笑ったような声がした。その瞬間、エキナシアが反目してカーネリアンへと自らの機構に内蔵されていた刃を振るう。


「エキナシアは『悪魔』の心臓を打ち込まれているんでしてよ。機械人形はカプリコンにとって尖兵も同じ」

 見れば空中では機械人形とガルダたちが争い合っている。エキナシアだけではなく全ての機械人形が異界獣の手に落ちたようだ。

「笑わせる」

 クルタニカの忠告を無視して彼女はエキナシアに迫り、振るわれる刃を物ともせずに自らの刀で機械人形を両断する。同じようにガルダたちは機械人形を自らの手で破損させる。

「従えているのは私だ。理解しろ、エキナシア。理解できないのならジッとしていろ。何度も切り裂きたくはない」

 機械人形の中でもエキナシアは特異性を持っている。それはカーネリアンに忠実であり、彼女が窮地に立たされても決して問い掛けてこない。三度答えれば機械人形の『悪魔』に肉体を乗っ取られるのがガルダにとっての危険性であるが、エキナシアは自らの再誕を求めない。むしろカーネリアンがリオンとの戦いにおいて力を求めたため一度だけ問答を行っている。能動的ではなく受動的。そんな機械人形が有無を言わさず刃を振るったのはカーネリアンにとっても衝撃的なことであり、同時にエキナシアにとっても本意ではない行動だとすぐに推測できる。

「機械人形の支援無しはなかなかにキツいんでしてよ?」

「片腕で戦うようなものだ。面倒だが仕方がない」

 悲観的に言いはしないが、内心では戸惑いがあることをクルタニカは感じている。しかし多くを語らずに強く在ろうとしている彼女に従う。

「ヴィヴィアンさんはどんな感じだい?」

 カプリコンに目立った動きがないため、ヴェインはガラハに訊ねる。

「落ち着いている。だが、そうすぐに戦線復帰はさせられないだろう」

「怒りに身を任せて自分自身まで焼いてしまった。ここじゃ目を覚ましても危険だ。ヴィヴィアンは俺が連れて行く」

「頼む、グリフ」

「なぁに俺の娘だ。命懸けで守ってやる。だからガラハ、もう二度と心配させるんじゃない」

「ああ」

 そのやり取りをヴェインは見て、答えを聞くまでもなく状況を理解する。

「カプリコン? カプリース……カプリ」

「名前が似ているからって首を傾げるほどのことでもありませんよ」

「性格は似ていそうじゃ」

「『悪魔』の権化と一緒にするとは良い度胸じゃないですか。少なくともシンギングリンをどうこうしようとしていたときより元気に見えます」

 カプリースにちょっかいを出しては痛い目を見ているクニアも普段の調子を取り戻している。

「幻想のシンギングリンとは考えましたね」

「ワタシが考えたと思うか?」

「いいえ、姉上の後方に控えている『不死人』にジブンは言ったのです」

「うわっ!」

 ノックスはセレナに言われて後ろを見ると、地面にまで伸びている長髪を揺らしながらリリスがケラケラと笑う。

「獣人を欺けるのであればワラワの気配消しも捨てたもんではないのう」

「言っておくが、妙な真似をしたら掻き切るからな」

「そんなつまらんことはせんよ。『悪魔』の権化は聖女様にとっても討たねばならない災いの種。国同士のいざこざは措いて、しばし共闘と行こうではないか」

「テメェが言う共闘は信用できねぇな」

 と言いながらもノックスはセレナと共にリリスへの敵意や注意を切った。

「アレウスさんが見えただけで、噛み合わなかった歯車が一瞬で」

「みんな同胞以外をそこまで信じてはいなくてもアレウスのことは信じているんだよ。本人は無意識なんだろうけど、あたしたちを文字通り命懸けで救ってくれているんだから」


 難しいことにも首を突っ込むのがアレウスの悪い癖であるが、関わった以上は最後まで命懸けで臨む。その姿勢は他種族の多くに“巻き込んでしまった”という意識を与え、彼に対しては誠実な対応を取るべきだと思わせる。目の前の状況からいつも逃げ出す選択を取っていたならばこうはならない。

 アレウスはいつも苦しみながら決断している。どんなときも、どんな状況でも、最善を模索する。関わってしまった責任から逃げないのだから、彼を見れば自然と気持ちは一つに固まる。

 無論、他種族との交流は今後の課題である。これはヒューマンに限ったことではないが混迷していた場は整えられた。


「行きましょう、クラリエ様」

「ええ」

 二人は固く強く決意する。


「ガルダの同胞よ」

 カーネリアンが刀を掲げる。

「集いし山の守り人たちよ」

 続いてガラハが三日月斧を掲げる。

「ジブンたちを救ったヒューマンに報いるために」

「愚かなわらわを導いてくれたヒューマンのために」

 セレナとクニアも拳と鎗を掲げる。

「この世界に蔓延るあらゆる巨悪を滅ぼすために」

「今一度、俺たちに協力してほしい」

 クラリエが短刀を、ヴェインが杖を掲げる。


「「「「「「カプリコンを討て!!」」」」」」


 全員の声が重なり合い、共鳴し、そして陸と空に集うヒューマンを除いた他種族の同胞たちが轟雷の如き雄叫びを上げて同調し、異界獣――カプリコンへと猛々しく攻撃を開始する。


「“鐘の音よ、響け”」

 ヴェインの魔法によって起きる鐘の音がカプリコンの動きを鈍らせるも、その束縛は一瞬で解き放たれて災害のように振り乱される両腕は宙を舞うガルダすらも正確に捉えて地面へと叩き落とす。踏み締める足はドワーフたちを蹴飛ばし、巨躯が起こす衝撃波はエルフたちをたじろがせる。


 野獣、もしくはケダモノ。だが知性はある。人語を話すことはないがその一歩、その動作には全て理由が伴っているとクルタニカとヴェインは推察する。

「“鐘の音よ、響きなさい”」

 しかしまずはどの程度の祓魔の術が通用するのか。それを確かめるようにクルタニカもヴェインと同一の魔法を唱える。

 咆哮、そして唸り声。全員の全身が痺れるような感覚が走り、空を飛ぶガルダがパタパタと地面へと落下する。

「祓魔の威力は信仰心以上に血筋への依存が高いんでしてよ……」

 落下しつつもクルタニカは着地だけは綺麗に行いながら呟く。ヴェインの『鐘の音』はカプリコンの動作を一瞬であれ止めたが、クルタニカの『鐘の音』は止めることさえ叶わなかった。それは魔の叡智に触れている者同士であっても、そしてクルタニカの方がどれほどに優れた魔力と魔法詠唱であっても埋められない差であった。

「“観測せよ”」

 祓魔の術ではなく、『観測』の魔法をヴェインは飛ばす。

「異界獣の名はカプリコン。通称、『呪い招く者』。祓魔が有効。二足歩行と四足歩行を使い分ける。アリエスとタウロスを喰らい、全能力値に補正」

「どのぐらいですか?」

 イェネオスが訊ねる。

「ただのカプリコンなら俺だけじゃなく、多くの祓魔の術を持つ人たちの『鐘の音』を重ね合わせれば完全に動きを止められたかもしれないけど」

 アリエスとタウロスを喰っているからこそ、カプリコンは『鐘の音』で一瞬しか拘束できない。

「あとは『制約』と『制裁』、『出廷』と『天罰』と『断罪』」

 祓魔の術を指折り数えながらヴェインは仲間に周知させる。

「そして『罪滅星』。分かっていると思うけど、これら全てには期待しないでほしい。『鐘の音』が利かないんなら、多分だけど全て決定打にはならない」

「決定打にはならずとも、効果的ではあるのだろう?」

 スティンガーにカプリコンを警戒させながらガラハが言う。

「無効化できていないのであれば、あの異界獣にとって最も脅威になるのは祓魔の術を扱う者たちだ。その中でもヴェインはさっきカプリコンを止めた。なら――」

 妖精から警告が来てガラハが見上げると同時に三日月斧を真上へと振り抜く。カプリコンの握り拳を受け止めるも、その顔はこれまでにないほどの苦境を表している。

「は、やく!」

 逃げろとまでは言わせない。その場にいた仲間たちは急いで散り散りになる。同時に拳が降り切られ、ガラハは砕かれた大地と共に深くに沈む。続いてカプリコンは首を動かし、逃げた中からヴェインに改めて狙いを定める。

「一番最初に動きを止められることを示したせいで異界獣に脅威と捉えられています」

 イェネオスは横を走るヴェインへと狙われている理由を伝えるも、そのことは本人も重々に承知しているらしく肯きながらどうにかイェネオスを安心させようと作り笑いで返してくる。

「『悪魔』の権化などと申すが、貴様は夢は見るのかのう?」

 差し迫る後方からの気配を断つようにリリスが立ち塞がる。

「その巨躯に筋力は足りておるのか?」

 片腕でリリスはカプリコンの拳を止める。

「足りておらんようじゃな」

 そう呟いた刹那にリリスの肉体が止めていたはずの拳によって容易く潰される。


「おのれ!」

 背後でカプリコンの拳を止めていたはずのリリスはヴェインより前方にある幻想の住居の屋根に立ちながら忌々しそうな声を上げる。

「ワラワの幻影に惑わされすらせんかったわ! 効いたのはほんの一瞬じゃ! 腹立たしい!」

 地団太を踏みつつ幻想の住居を破壊しながら迫る異界獣の前から陽炎のように消え去る。しかし、リリスの幻影はヴェインへの攻撃を逸らした。その隙に他種族の同胞たちが一気に攻撃を畳みかける。特にガルダの斬撃は凄まじく、あちらこちらから放たれる秘剣の数々はカプリコンの強固な皮膚を断ち切ることはできていないが、受ける衝撃によって姿勢を制御できていない。あっと言う間に異界獣は仰向けに転び、雄叫びを上げる。

「ガルダに遅れを取るでないぞ!」

 ハゥフルの同胞たちはカプリコンの間近で鎗を投げる。

「矢を射掛けてください」

 イェネオスもエルフの同胞に指示を出し、追撃を促す。

「気張れ、山の守り人たちよ!」

 拳を受けてもエルフによって回復魔法を掛けてもらって戦線へと復帰したガラハがドワーフたちを進撃させる。

「ここにいるのはどの種族にとっても精鋭中の精鋭。それほどにシンギングリンは僕たちにとって大切な場所となっていた。並大抵の冒険者を遥かに越える」

 カプリースは言いながらカプリコンの首元を鎗で切り裂く。

「世界に降臨して悪いのですが、早々にお引き取り願います」

 セレナが『闇』を渡り、ノックスが彼女の打撃と同じ部位を短剣で切り裂く。


 口を開き、カタカタカタとカプリコンは頭部となっている頭蓋骨を鳴らす。


「笑って……いる、んでして?」

 クルタニカは呟き、同時に嫌な予感がして大きく異界獣から距離を取る。


『“呪詛(カース)”』


 虚無の頭蓋骨から放たれた言葉は確かな詠唱であった。

「どんな魔法だ……?」

 ヴェインの身にはなにも起こっていない。

「これ、マズい……」

 呟くクラリエに密着するように穢れた魔力がクルクルと旋回している。見ればそれは彼女だけではなく、ヴェインを除いたこの場にいる全員に及んでいる。

「“清めよ(ピューリファイ)”!」

 なにかは分からないが、彼女の予感を信じてヴェインは周囲一帯に祓魔の魔力で(よど)んだ空気を一掃する。


『“石と(ペトリ)化せ(ファイ)”』


 悲鳴と絶叫が響き渡る。ヴェインの魔法の範囲にいたクラリエとリリス、そしてイェネオスとノックス、セレナには影響は一切及んでいないが、範囲外の仲間と他種族の同胞たちは石のように硬直して動けなくなっている。

 石化、ではない。体のどこも石のように硬化はしていない。しかし限りなく石化に近い状態異常である。

「あたしの使う呪言に似ていたけど」

「でもワタシたちの『呪い』とは似ても似つかなかったぞ」

「これは『呪詛(じゅそ)』だ。呪いはロジックに掛かるものだけど、呪詛は魂に掛けられる」

「呪詛なんてエルフの間でもほとんど失われている魔法ですよ?」

「どういうことですか?」

 すぐにヴェインの言ったことを察したイェネオスに対し、セレナは首を傾げたまま説明を求める。

「あたしたちの呪いや呪言は魔法みたいなもので、状態異常のほとんどはロジック主体――要するに肉体に影響を及ぼすものなんだけど、呪詛は肉体じゃなくて魂を対象にしている。しかもカプリコンのそれは範囲型なんだよ」

「呪詛は重ね掛け――重複によって効果が高まります。まだ一回だから石化しないままの硬直で済んでいるんです。二度、三度、四度と受ければ最終的には魂そのものが肉体を石に変えることを許してしまいます」

 クラリエの説明にイェネオスが付け足す。

「許す? ワラワたちが己が体を支配しているというのにか?」

「重複した呪詛が魂の不可侵を破壊するんです。バジリスクの石化は魂への作用というよりは肉体の変質ですので、解呪の魔法と道具で完全に石化する前に処置すれば助かります。でも、カプリコンの呪詛による石化は」

「魔法や道具による作用を通さない。そう言いたいのじゃな?」

 先の言葉を読めているため、リリスはイェネオスの説明を完全に理解したようだ。

「もしかすると解呪の魔法なら……私たちへのヴェインさんの解呪は通っていましたので」

 自ずとその場にいる者たちの視線はヴェインに向く。

「……今のは解呪の魔法じゃない。祓除(ばつじょ)の魔法だ。祓魔の術に分類されていて、習得者は少ないよ。だって解呪の魔法でほとんどを取り除くことができるんだから」

「じゃぁ、なんだ? ワタシたちは呪詛から逃れるには祓除の魔法を使える連中がどれくらいいるか知らなきゃヤバいってことか?」

「俺がやらなきゃならない」

 使命感にヴェインが突き動かされる。

「みんなはカプリコンの注意を惹き付けてほしい。俺が呪詛を解いて回る」

「これだけの大人数を一人でこなすのは無茶です」

「でも誰かがやらなきゃいけないんだ。解きながら祓除の魔法が使えるかどうかを聞いて回る。それが一番効率が良い。手を止めていたら二度、三度とカプリコンは呪詛を撒き散らしてしまう。それが出来ないくらいに弱らせることも並行しなきゃならない」

 困難ではあるが、強敵だからこそ全員が及び腰になっているだけだとヴェインの瞳は訴えている。

「魔物と出会ったときに後衛がやるべきことをただ果たすだけだよ。なんの問題もない。問題なんてないんだ」

 或いは、自身に言い聞かせているのか。ヴェインは「頼むよ」と言って走る。

 この混乱を治めるには呪詛の影響を極限まで減らす以外に方法はない。死なないのだと、死ぬことはないんだと奮い立ってもらわなければカプリコンへの恐怖に全員は太刀打ちができなくなってしまう。

「“清めよ”」

 カプリースとカーネリアン、クルタニカを呪詛と同時に体の硬直から解き放つ。

「クルタニカさん、祓除の魔法は?」

「わたくしの祓除の魔法がどれほどの効果を及ぼすかは分かりませんが、取り敢えずは。ですが、エルフの間でも解呪の魔法が主体となっている現代で、祓除の魔法を扱える者はほとんどいないんでしてよ」

「だからこそ俺たちでなんとかしないといけません」

「……分かりましたわ。わたくしはヴェインから離れたところで動けずにいる方々の呪詛を解きます。カーネリアン、それまで持ちこたえるんでしてよ」

「任せてほしい」

「あっちにクニア様がいる。解く順番を僕がどうこう言う権利なんてないと思うけれど、クニア様と僕ならこの呪詛を取り除き切れるかもしれない」

 カプリースは言いつつ、『継承者』としての力を発露させて自身に水の羽衣を纏わせる。

 彼の言葉は一種の希望である。聞き届けないわけにはいかない。


 そう、『清められた水圏』は浄化の力を持っている。彼と彼女が力を合わせれば一帯に満ちている呪詛を洗い流すことができるかもしれない。


『“呪詛”』

 解いてすぐに再度、カプリースたちに穢れた魔力が纏わり付く。

「怯むな! 続け!」

 カーネリアンは穢れた魔力に動じることなくカプリコンへと果敢に飛びかかる。しかし異界獣の拳はカーネリアンの横を抜ける。

「私を狙っていない……? なら、この拳は!」

 翻って滑空しようとした彼女をもう一方の腕が薙ぎ払ってくる。

「ヴェインを、守れ!」

 打ち飛ばされることを受け入れてカーネリアンはヴェインの危機を大声で告げる。


「やっぱり、そうだと思ったよ」

 後方に差し迫る拳にヴェインは小さく呟く。

 カプリコンは呪詛を振り撒き、同時に石化の魔法を唱えた。それは白騎士がアレウスに行ったような一種のマーキングである。自身の唱えた魔法を受けている人間は脅威としては低く捉えて構わない。呪詛を重ね掛けしてしまえばいずれは全員が石化するのだから。

 しかし、呪詛を撒いても通用せず、石化の魔法を唱えても動けている人間は例外となる。それこそがカプリコンにとっての真なる敵であり、真っ先に排除しなければならない脅威に他ならない。

「“盾よ、一方より集まり給え!”」

 即ち、呪詛も石化のどちらも魔法や道具の一つも使わずに跳ね除けたヴェインをカプリコンは最大限の脅威としてみなしている。そのことはこれまでアレウスの語る魔物の話を聞き続けてきた彼にも推測できる。

 ただし、推測ができても対策が取れない。アレウスならばここから起死回生の一手を繰り出すが、ヴェインは魔物や異界獣の知恵や本能を読み取っての搦め手に繋げることができない。

 ゆえに魔力の障壁を張って対抗措置を取るが、拳は容易くそれを突き破る。


 背後に迫る拳にヴェインは成す術もなく、ガラハのように受け切ることもできずに全身で受け、そして地面へと叩き潰された。


「あっははは! いいよいいよカプリコン、その調子! そのまま皆殺しにしてよ!!」

 傍をルーエローズが駆け抜け、それをリゾラの放ったガルムが追い立てる。

「『魔眼』を持っているクセに目が悪いのかしら?」

 そう挑発するリゾラに対し、彼女は瞼を開いて複数匹のガルムを睨み付ける。瞬間、そこに存在していたはずのリゾラが服従させていたはずの魔物は魔力の残滓となって消し飛ぶ。

「それが『滅眼』ね。見た魔法を消滅させる」

「魔物の体は魔力で構成されているから、あなたの薄汚い魔力で使役されている魔物なんてぼくには届かないよ!」

「さっきのは冗談で言ったんだけど、あなた本当に目が悪いの?」

 リゾラはルーエローズの背後にスライムを回り込ませる。

「私は消滅させられることは考慮しているの。ここで大事だったのは、あなたをアレウスの知り合いから遠ざけること」

 面倒臭そうにルーエローズは背後のスライムを『滅眼』で消し飛ばす。その間にリゾラは横乗りしたガルムで近付き、間際で手元に収束した魔力の塊をぶつける。

「それが出来ればなんだって良かったの」

「なんだい? ぺちゃんこになった死体をどうにかしたいってことかい? ぼくにはそんな趣味は、」

 魔力の塊に突き飛ばされながら言い淀む。

「……生きている、だって?」

 カプリコンの拳を引いて砕け散った地面の中心には障壁で守られているヴェインの姿があった。

「いや、死にかけか。だって当たってはいたからね。潰されなかっただけさ」

 笑いながらルーエローズは自身にぶつけられた魔力の塊を逸らして、爆発から逃れる。

「死にかけていても生きているでしょ?」

「ぼくが君に回復魔法を使わせる余地を与えると思うかい?」

 思わない、と言わんばかりにリゾラは距離を置こうとする彼女へと再びガルムに飛び乗って追い掛ける。しかしそれはヴェインからリゾラ自身が遠ざかることを意味する。

「させないよ。ぼくがそいつに近付かないように君が動くならぼくは君が回復魔法を唱えられないようにちょっかいを掛けるだけなんだから」

「私は別に私自身が回復するなんて一言も言っていないけど?」

 リゾラは常に冷たくルーエローズをあしらう。

「『魔眼収集家』なのに気付いていないの? 『聖女』の接近を……ああ、そっか。あなたはいらないと思ったから視界にも気配にも入れないようにしていたのね。あの子の『魔眼』は、こんなにも大きい力を宿しているのに」


「“癒やしの力を”」

 ヴェインの潰れた内臓を、砕けた骨を、裂け切った筋肉を、ありとあらゆる傷が縫合されて回復していく。


「……そんなはずない。あの『聖女見習い』に宿るはずだった『魔眼』は、もっともっと弱いはず」

「じゃぁどこかに原因があって強くなった。たとえば……エルフの巫女が古の時代より存在し続けていた『魔眼』を手放したり」

 その言葉に心当たりがあったのかルーエローズは激しく狼狽し、着地際に生じたリゾラに使役される骸骨兵に捕まる。

「なんだよなんだよなんだよ! なんなんだよ!」

 両腕を激しく振って抗い、そこから生じるルーエローズの魔力の波濤によって骸骨兵が砕け散って消える。

「なんでアイシャ・シーイングに『天眼』が宿り直しているんだよ!」


 その叫びはアイシャの元までは届かない。

「どう!?」

 ニィナが訊ねる。

「駄目……傷は治せても、意識が、魂が戻ってこない」

「それって魂が死を認めちゃったってこと?」

「違います。考える暇もなかったので生き死にを魂もロジックも判定できていないんです」

 上空からカプリコンが放った蝙蝠の翼を持った魔物をニィナが矢で射抜く。

「助かる?」

「助けます」

 アイシャは崩れた地面を滑るように降りて、ヴェインのすぐ傍に寄り添う。

「あなたを守り切れるだけの力は私にはない。そりゃ死ぬまで努力はするけどさ」

「分かっています」

 ニィナはアイシャには続かず、屋根の上に飛び乗って目に映るカプリコンの尖兵を次から次へと射抜いていく。

「主よ、迷える魂をお救い下さい。この者にはまだ死をお与えしてはなりません」

 言いながらアイシャは回復魔法を詠唱する。

「この先、祓魔の術が使えなくなっても構いません。どうか、どうかどうかどうか……この方の魂を、その命を……お救い下さい」

 強力に、強烈にアイシャの願いの込められた魔力がヴェインへと注がれる。



---いつかの情景---


「あなたに戦士は向いていないかもしれない」

「どうして!?」

「だってあなたはなにも考えずに飛び込めるくらいに後衛を信頼しないだろうし、いざ相対する魔物に対して怯えてしまいそう。それを気付かせないように取り繕うことはできても、一歩出遅れる臆病者でしょ?」

 全てを言い当てられてヴェインは黙り込む。言われたことは全て事実で反論の余地がない。

「あなたは家に歯向かわずに僧侶になった方がいい」


 言われたくないことを言われる。


「別に歯向かってなんて」

「家父長制が嫌いなのは分かるけど、あとは幼馴染みにいつか冒険者になるんだって強く言うのも構わないけど、だからって前衛職に拘る理由はどこにもなくない? もしかして後衛職は安全なところから回復魔法を放つだけの楽な職業みたいに思っていたり?」

「……………………はい」

 長い沈黙のあと、ヴェインは肯く。

「馬鹿ね。魔物と対峙している時点で前中後(ぜんちゅうこう)になんにも違いはありはしないわ。前にいる方が危険とか後ろにいる方が安全なんてない。魔物と対峙するとき、誰もが同時に危険のさなかにあって、前衛の方が体を張っている分、偉いなんて思うのは愚の骨頂。いつかあなたが冒険者になってそういうパーティと組んじゃっても外れた方が絶対に良い」

「いや……でも」

「……まぁそこまで言うなら前衛を学ぶのも悪くはないけど」

 どうやら諦め切れていないところが顔に出てしまっていたらしい。

「そのせいで死んだらそれこそ無駄死にじゃない。甦るとはいえ死ぬ回数は少ない方が絶対に良い。カタラクシオ家って祓魔の名家でしょ?」

「いいえ、昔はそうだったのかもしれませんけど」

「……ああ、132年前くらいに没落して以降、貴族に戻れないまま平民なんだったっけ。そんなことを知っているのはもはや周囲にはいなくて家族ぐらいでしか話されていない。それも事実というよりは親が伝え聞いたホラ話みたいな感じ」

「なんでそんなことまで分かるんですか?」

「だってエルフだからとしか言えない。だから戦士じゃなくて僧侶を目指した方が私は絶対に良いと思うのよ」

「俺に僧侶の才能なんてないですよ」

 エルフはクスッと笑う。

「毎日のように神と幼馴染み――好きな人に祈りを捧げて、奉仕の心を忘れず、常に自己犠牲を省みない生き方をしているのに?」

「俺は監視でもされていたんですか?」

 まるでこれまでの見てきたかのようにエルフは言うのでヴェインは段々と怯えの感情が芽生える。

「あなたは僧侶として申し分ない要素を兼ね備えている。もしも後衛に立ち続けることが嫌だって言うんなら握る武器を杖じゃなくて棍棒に変えればいい。それなら戦士の教訓や経験も活かせて、前に立つこともできると思うし」

「棍棒……」

 随分と乱暴な武器を挙げられてしまう。

「これまでの生き方を欠かさず続ければ、あなたは大成する。エルフの私が言うんだから、そこだけは自信を持っていい。あとは……死を見続けること」

「死を見続ける?」

「この世に生を受けた人たちのほとんどが死から目を背けて生きている。でも聖職者である僧侶や神官は神の御使いと自称しているんだから、生きている間はずっと死と向き合い続けなきゃならないの。聖者は死を受け入れなさいなんて口では言っているけど、自分自身にそんな言葉は投げかけられずに内心ではずっと怯えている。死を怖がるのは人の本能で脱却できることではないから。それでも死を受け入れなさいと説き続けるのは、ありとあらゆる聖者は怖くないと言うことで神に救いを求めている人々の心を少しでも穏やかにしたいから。聖者が言うのなら怖れることはない。怖がることはない、受け入れていこう、と。つまり、死と向き合い続けていない聖者はいないし死を受け入れる聖者もいないわけ。死を正しく怖がり、死と正しく向き合い、不必要な死は絶対に拒むこと。そうやって生と死の観念を自分の一部にする。死を一部にしてしまえば、恐怖にも正しく向き合えるようになるから。そして、信仰心は守るための力だけに主体を置いていたら成長がない」

「……なにを言っているのか…………」

「高めるだけ高めた信仰心を回復魔法や補助魔法だけに使うのは勿体無いってこと。祓魔の術が扱える家系であるのならちゃんとそっちにも焦点を当てること。祓魔の術に限らず、信仰心を武器として振るいなさい」

 信仰心を武器になどすれば神様に怒られてしまうではないか。

「さっきからあなたは乱暴なことばかり」

「でもそうでしょ? 僧侶や神官にとって必要不可欠で最も高まる信仰心を武器に使わないなんて、魔物を前にして手を抜くのと同じなんだから」

 本当にそうだろうか。懐疑心は常に胸の中にある。


「おーい」

「待って、今行くから!」


「誰か待たせているんですか? だったら呼び止めて申し訳ありません」

「ううん、冒険者なんて滅多に来ないんだから聞きたいことぐらいあるのは仕方がない」

 エルフは優しく答えてヴェインの頭を撫で、踵を返す。

「私たち、これから怖いところに行くの」

「怖いところ?」

「冒険者にとって全く縁のないところ。でも、行かなきゃならなくなってしまった。だから、心に留めておいてほしい。たとえ私たちがそこで死ぬことがなくても、あなたと話した私のことを」

「忘れません」

「そう言ってくれると嬉しい。私と組んでいる人は異界を調べるのが好きだからいっつも死ぬのが怖いのよ」

「それでも一緒にいるんですか?」

「そりゃ最初は無理やりにパーティに誘われたのが始まりだったし、私も私で上から命じられていたところもあったから仕方なくなところがあったけど……でも、今は怖くても一緒にいるの」

 言ってしまおうか言わないままでおこうか。そんな逡巡が見える。ヴェインはなにに悩んでいるのか、迷っているのか分からないためエルフの答えを待つ。

「だって、愛しているから。ああでも、あいつには内緒よ? こんなこと死に際以外で言ってやらないって決めているんだから」


 エルフの女性はそう少しだけ恥ずかしそうにはにかみ、微笑んでから声のした方へと走って行った。


「あ……名前、聞き忘れちゃったな」

 いなくなってから気付く。勢いで冒険者になるにはどうすればいいのか、それも戦士になるにはと話しかけた。向こうはヴェインの家名を知っていたようだが、こちらは全く名を知る方法はなかった。

「戦士……僧侶……両方、か。いやでも、やっぱり僧侶は」

 呟きながら家路につく。

「でも、俺が冒険者になりたいなんて言ったらきっと村中から反対される。俺は、世界のために戦いたいと思っているのに……こうしている間も誰かが傷付き倒れているかもしれないのに」

 救いたいという願いがこの村に居続けることで叶えられるとは思えない。

「もう少しだけ大人になって、子供の話だとあしらわれたり笑われたりしないときに……話そう。それまでエイミーとキギエリにも黙っておこう」


 そうしてヴェインは心の奥底に憧れをしまい込んだ。


 しまい込んで、取り出すことを忘れてしまっていた。

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