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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 前編 -国外し-】
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さようなら

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「よくやった方……だろう?」

 負傷し、崩れ落ちながらも膝立ちのまま態勢をどうにか維持しているオーネストがボヤくように訊ねる。

「君が人の評価を気にする性格か?」

 その後方でアルテンヒシェルは捻り潰されている片腕を引きずりながら這って彼女の元へと進む。


 アルテンヒシェルが開催した舞台によってオーネストがほとんどのキメラを一掃した。しかしながら白騎士だけには歯が立たず、土地に眠りし精霊の力を限界まで引き出しても討伐はできなかった。

 神力をもってしても、合力に勝らない。神力は神に与えられた一部の力であるが合力はその者に付与された完全なる力である。どれだけ非道の力であっても、その違いが神力をもってしても白騎士を仕留められない原因である。

 そして、オーネストは複数の人間との戦いは心得ているが複数の大型の魔物との立ち回りは得意としていない。その身一つで力の全てを担う以上、どうしても対処し切れない瞬間が生じる。そして見えている範囲でアルテンヒシェルを守ろうとするその持ち前の正義感と神への制約によってキメラの討伐こそ達成しても、それ以上は不可能だった。


「精霊もこれ以上は力を貸してくれない。これ以上は、この地を再生することができなくなってしまう」

「だろうな……あ~ぁ、最後の戦いにしてはパッとしない終わり方だ」

 息を吐き、同時に咳き込んで血を胃の中のものと合わせて一気に吐瀉し、呼吸とも言えない呼吸を繰り返してオーネストは命の限界に達しようとしている。


「英雄であってもその傷を癒やすことはできないか」

 イニアストラが馬を歩かせながら近寄ってくる。

「やはり冒険者も人間か。不老に不死、そして無敵と思っていたが」

「馬鹿言うな。不老でも不死でもねぇよ。私たちは『教会の祝福』によって死んでも甦るだけ。この命はいずれ尽きるようにできている。不老に見えるのはテメェらがそう望んだからだ」

「我らが?」

「英雄を永久不滅。どいつもこいつも魔王を討ったことを語り継ぎすぎだ。それだけならまだいいが、気付けば信じられないほどの英雄譚が『勇者』を中心にして書かれ、人々の手に渡った。そこには事実から掛け離れ過ぎた『勇者』一行に対する行き過ぎた幻想も数知れずある。それらは生きている私たちに呪いとして注がれた。期待からでもなんでもない。魔王が闇であるなら私たちは人間にとっての光である。そんな風に据え置かれたら、いつまで経っても死ねやしない」

 寿命はとうの昔に過ぎている。それでもまだ生きることを強要されるのはアルテンヒシェルたち英雄の物語は不滅であり、死なないと思われているから。イプロシアが自身の寿命でいくらでも生きられたのと違ってアレックスは肉体は保持していても魂が枯れかけていた。それでもまだ最近まで生きていたのだから、やはりアルテンヒシェルやオーネストのように生きることを人々から求められたことによる呪いを浴びていたのだ。

「もう私たちを祝福してくれた『教会』も潰れちまっている。長く生き過ぎたせいで世話になった連中たちはどいつもこいつも輪廻に逝っちまった。これ以上、人生になにがある? これ以上、私たちになにを求める?」

 イニアストラはしばらくオーネストの言葉を聞いていたが、やがて剣を抜いて彼女の右腕を切断する。

「がっ……!」

「その腕を使われては困るからな。早い内に処理する。しかし、切った瞬間に神力が失われたのを感じた。合力のように研究して使える代物ではないようだ」

「当たり前だ……神を信じ、敬い、祈り続けた者だけが手にする力だ」

 馬から降りてイニアストラはオーネストの横を通り抜け、アルテンヒシェルの前に立つ。

「まずは僕からか」

「アルテンヒシェル・フロイス。あなたを殺すことでティルフィストラという人物は完全に歴史から姿を消す」

「君は、自分自身が消え去ることが正しいと思っていると?」

「イニアストラ皇帝が歩む道は覇王の道。どんな弱音も、どんな過去も切り伏せ消し去り、ただ力だけをこの手に」

「ふ……ふふふ、そうか。まだ怖れているのか」

 アルテンヒシェルは顔だけ上げてイニアストラを見る。

「僕が、君の秘密を暴露するかもしれないと……まだ思っているのか。昔からそうだ。君は、たった一人しか信じなかった」

 敢えて口にはしない。アルテンヒシェルはわざわざここで皇帝の秘密を暴露しない。彼がそれを求めていないことは態度だけでなく状況で分かる。


 死を間際に感じていながら、相手のことを気遣うのは実に自分らしくない。


「白騎士ではなく直々に、皇帝の手で僕という存在が葬られるのなら本望だ」

「そう仰るのであれば」

 剣が這ったまま立てないでいるアルテンヒシェルの背中から突き立てられる。

「そのまま死んでいけ。過去の英雄よ」

 息が止まる。意識が飛びそうになる。しかし剣は心臓を辛うじて貫いてはいない。ただし、即死ではないだけでいずれ死ぬ。

「君の僕はどう映っている?」

「昔と変わらないお姿のままです」

「そう、か」

 アルテンヒシェルは声音に魔力を込めている。聞く者によっては性差を感じさせることはできないが少年から若者、青年、壮年と姿を隠蔽できる。

 イニアストラは今も昔もアルテンヒシェルが隠している本当の姿を捉えてはいなかった。もはや若くもないただの一介の老人であることにすら気付けていないのだ。

「白騎士よ。そっちの英雄も始末しろ。あれほど揃えたキメラを全て屠るような女だ。私が近付けばなにをされるか分かったものじゃない」

 イニアストラに命じられて白騎士が馬の魔物を進ませ、オーネストの真正面から矢をつがえる。

「よく勘違いされるんだが」

 オーネストは天を見上げていた顔を正面に向ける。

「死の魔法は一人にしか掛けられないわけじゃない。アンソニーが良い例だ」

 この意味が分かるか? と言わんばかりに彼女は瞼を見開き、人型と馬型の魔物――二体一対である白騎士を捕捉する。

「“心音(ハート・)恐怖症(フォビア)”」

 小さく、ボソリと、しかし確実にオーネストが呟く。刹那にイニアストラが二本目の剣でオーネストを貫く。

「知ってっか? イプロシアの魔力は未だ残滓として色濃くこの世界に留まっている。強烈で凶悪な魔力は感情や呪いのように決して元を始末してもしつこい汚れのように消え去らねぇ。まぁでも、私は普通の人間だ。どこにでもいる普通の女だ。だから、きっと死んだらこの死の魔法は解けてしまうだろう。ただ、白騎士が滅びるまで私は私が死ぬとは思っていない」

 剣に貫かれながらもオーネストは未だ生きている。

「心臓を貫いたはずだが」

「もう心臓は神様に捧げちまった。よってここからは、私という存在全てを懸けて白騎士を葬り去る猶予の時間ってわけだ。悪いな、皇帝。どんな傷を負っても、首が飛んでも、私は白騎士を討ち滅ぼすまで死なねぇ」


 白騎士はつがえた矢を放つことなく力を緩め、同時に馬の魔物は発狂したように暴れて人型の魔物を落とす。その人型の魔物も自身の胸元を片手で抑え付け、声にならない声を上げて苦しみもがく。


「死の魔法だと!? 一体、白騎士になにをした!?」

「私の死の魔法は単純明快。自分自身が持ち合わせている心臓の音色を恐怖するようになる。合力が人と魔物を合わせたものだってのはアルテンヒシェルから聞いている。さっきキメラを片っ端から輪廻送りにしたときに心臓があることも知っている。だから私の死の魔法は通ることは確定していた。ただ、白騎士があまりにも弓矢と馬の足に優れていたから近付けない問題を解決する手段がなかった。でも、ありがたい話だ。最後の最後で私の傍まで寄ってきてくれたんだからな」

 オーネストの体から生気が失われていく。

「恐怖の対象に挑みかかれるのはごく少数だ。ほとんどが逃げ出してしまう。だが、心音ばかりは逃げ場所がない。立ち向かわなければならなくなる。心音を克服する方法は二種類。片方は心音を聞き続けて、日常のものとする方法。そしてもう一方は、恐怖から逃れたいあまりに思考回路が機能しなくなり、混乱したままに自らの心臓を止める」

 馬の魔物が矢を喰らい、ケンタウロスとなって片腕に魔力の矢を握り締める。人型の魔物は弓に魔力の矢をつがえる。


 そうしてケンタウロスが投げた矢は人型の魔物の鎧と心臓を穿ち、人型の魔物が放った矢はケンタウロスの胸元を射抜く。


 王冠は落ち、崩れ、白の世界が一気に解ける。


「神様は私の死と引き換えにあの魔物の死を約束してくださった。だから、死んだふりは絶対にない。周囲の魔力を吸収して復活もない。残念だったな」

 瞳から光が失われ、オーネストはドサッと横たわる。

「先に逝ってるぜ、アルテンヒシェル? あと、お前のことは嫌いだったが、お前の歌は嫌いじゃなかった。そんだけだ……ああ、そんだけしか伝えねぇ。互いにジジイとババアになってからじゃ、こんぐらいが後腐れがなくていい」

 満足し、スッキリとした表情のまま逝く。その肉体に数々の傷を受け、血塗れであろうとも表情には一切の苦しみは見えない。


 心の中でアルテンヒシェルは笑う。イニアストラやアレウリスですらも見抜けなかった声色だというのに、オーネストとリゾラベートだけが自身の“今”を知ることができた。結局のところ、声だけでは全ての人を騙すことはできない。

 歌手はその声で、歌詞で、ありとあらゆる人の心を騙すかのように突き動かすことができるというのに、アルテンヒシェルは至れなかった。吟遊詩人として完成していても目指し続けていた夢には届かなかった。

 死を目前にして、ただただ悲しく虚しい。


「この白騎士が死んでも新たな白騎士を生み出すだけだ。私たちにはそれを可能とする秘儀がある」

「イニアストラ」

「なんだ?」

「僕は別に君を見捨てていたわけじゃない。むしろ見守り続けていた」

「なにを今更」

「人生とは、なんなんのか。神へと問い続ける日々だった。けれどそれもきっと人生という名の旅路に必要なことだったのだろうと今にして思う。そう、問い続けながら僕たちは歩み続けるんだ。神じゃなくてもいい、自分自身だったり、親だったり、尊敬している人物のことを思い描きながら……自分という人生に問い掛けながら歩き続ける。答えがあるわけでもない道を、あまりにも不安定な道を。踏み外さないように、怯えながら、怖がりながら、ゆっくりと……着実に。でもそれは、踏み外した者に相応の罰が与えられるという恐怖を植え付けているから。僕たちが――いいや、古より続いてきた規則が、基準が、踏み外した者たちを制裁し続けてきたからこそ成り立つ倫理観が、モラルが……僕たちを律する」

 アルテンヒシェルは虚空へと呟いている。もはや目は見えず、耳も遠くなっている。生命活動が止まりそうな中で、淡々と思っていることを零しているだけに過ぎない。


 イニアストラがなにかを話している。しかしアルテンヒシェルはなにを言っているのかまるで分からない。


「制裁を、与えなければならない。ずっと見守り続けていた。君の指導役になったその日から、片時も忘れず君を照らし続けた天上の星。君の守護星とも言うべきその星は、君にだけしか見ることのできない僕の魔力だったんだ」

 心の中でアルテンヒシェルは「さようなら」と呟く。

「『罪滅星(つみほろぼし)』」


 ありとあらゆる僧侶や神官が到達する最高位の魔法の一つにして邪悪を祓う魔力が起こす(またた)きの星。

 ある者は正面から、ある者は頭上から落とすように。

 アルテンヒシェルの『罪滅星』は遥か彼方の空――天空で星が瞬いた刹那にイニアストラの頭上から降り注いだ。本来の使い方から掛け離れていようとも、その強烈な魔力は人間一人を蒸発させるにはあまりある力を秘めている。

「まったく一体全体なにをしているんだ、ティルフィ。お前のしていることは国を強くしない。国を孤立させることだ」

「兄……上?」

 全身を少しずつ焼失させられているイニアに成り代わったティルフィにかつての兄の姿を声音だけで再現する。

「……悲しいね、ティルフィ。イニアを喪ったその日から、僕の知る君はいなくなってしまったのだから」

 テッド・ミラーの『落星(メテオ)』のように強大ではないが、遠方でおいても自身の匙加減で放つことのできる魔法の砲撃の正体を隠すこともなく全力で出し切る。


 そして、声の魔力が消え去り隠匿されていた老いた姿へと果てながらアルテンヒシェルは絶命する。


「お……ウディ」


 イニアストラの全身が焼失する最期に、娘の名を呟いたことだけをハッキリと耳に残しながら――

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