《残響》
---数十年前 帝城にて---
「また勝手に城を抜け出して、本当に困った皇子様だ」
「皇帝陛下の前でそのような愚痴は決して開くな。八つ裂きにされた上で処刑されてしまうぞ」
「分かっていますよ。ただ、探す方の身にも少しはなってほしいというものです」
「確かに。皇子がいなくなれば俺たちはいつだって駆り出される。これでは国防をどうこう言っている暇ではなくなってしまう」
「皇子の御守りで国が危機に陥るなど笑ってはいられませんね」
「ああ、だからこそさっさと見つけ出そう」
「はい」
軍人と兵士たちが部屋を出て、廊下へと駆けていく。
「はははっ、俺たちを見つけ出せない無能な兵士たちになにを言われたところで痛くも痒くもない。そうだろう? ティルフィストラ」
「兄上……もうこのようなことはおやめになりませんか?」
「そう言ってティルフィも隠れているではないか。それに心なしか楽しそうだ。いつも塞ぎ込んで、本の虫になっているお前も兵士をからかうのは面白いか?」
「別に、面白いとは思っていません」
「ではどうして俺に付き合う?」
「それは……兄上と遊ぶのが楽しいからで」
「ははははっ! 愛い弟だ!」
ティルフィの兄はそう言って弟を抱き締め、頭をこれでもかと撫で回す。
「ちょ、なんなんですか!?」
「愛い弟の成分を摂取しようと思ってな」
「おやめください、イニア兄さん」
「そうは言っているが内心では喜んでいるのではないか?」
「気持ちの悪いことを!」
ティルフィがイニアを押し退ける。
「言わないでください!」
息を荒げつつ、髪の毛をティルフィは整える。
「ふむ、思ったよりも腕力が上がったな」
「いつまでも病弱な弟のままではいられませんから」
「アルテンヒシェルは良くしてくれている。ティルフィの病を治してくれただけでなく、指導係を務めてくれるなど。やはり“大いなる『至高』の冒険者”の教育は違うな」
「ほとんど座学なんですが」
「ならば病が治り、本来の力を取り戻している証拠だ。嬉しいことはない」
イニアは屈託のない笑顔をティルフィに向ける。
「……イニア兄さんは将来の皇帝なのですから、もう少しだけ落ち着いた生活を送られてはいかがですか?」
「つまらんことを言うな。俺が兄、お前が弟。そう決めたのは俺たちが母上から取り上げられた医者が勝手に決めたことだ」
「医者に取り上げられた順なのは双子では決められていることです。そもそも双子というだけで凶兆であるのに、私が生かされているのはきっと……兄さんの影武者として使うからですよ」
「そうは言うが、影武者にアルテンヒシェルの教育を受けさせるとは俺は思わないな」
「いいえ、私は兄上の道具となるべき存在なのです。だから兄上はしっかりと皇帝としての威厳を備えるべく、座学も逃げることなく学んでください」
「剣を振るうのは楽しいが、座って学べというのはつまらない」
「またそういうことを言って」
「いたぞ、イニア皇子とティルフィ皇子だ」
「マズい! 逃げるぞ、ティルフィ!」
イニアが弟の手を掴んで駆け出し、兵士の足元を擦り抜けるようにして二人で廊下へと飛び出す。
「なんで私まで」
「お前は俺の道具と言ったな? じゃぁ道具らしく俺の傍から離れるなよ」
「そんな無茶苦茶なことを言わないでください!」
ティルフィは大声を上げながらも、自身の手をしっかりと握って走るイニアの背中をただただ愛おしく思いながら、決してその手を離さないように必死に走った。
「なぁティルフィ? 帝都の周りに雪が降り積もらないのはどうしてか知っているか?」
「まだ教えられていません」
「皇帝が持つ偉大なる炎が――原初より燃え続けている血族に宿りし炎が帝都を守り、寒冷期の猛威を払っているそうだ」
「血族に宿りし炎?」
「そんなもののせいで俺たちは降り積もった雪を知らない上に遊べないわけだ」
「一体なにを言って?!」
急に強く手を引っ張られ、ティルフィは翻ったイニアと向き合う。
「未来の話だよ、ティルフィ。俺たちはこんな血族に宿った炎などに負けず、いつかは雪山を駆け回るんだ!」
「そのような言葉が父上の耳に入りでもしたら、」
「怒られても構わん! 本で読んだだけの世界をこの目で見ないのは勿体無い! 俺たちはいつか絶対に雪原を、雪山を歩こう!」
純粋で、真っ直ぐで、ひたすらに前だけを向く瞳にティルフィは自然と肯いていた。
「約束だぞ、ティルフィ!」
無邪気なイニアにティルフィは仕方ないと思いつつ、後ろから迫る兵士の足音に怯えて兄を置いて、走り出すのだった。
---数十年前 皇帝の寝室にて---
「父上の容態はどうだ?」
ベッドで眠る皇帝の様子を窺い、ティルフィがやや離れたところで待っていたイニアの元へと戻るとすぐに訊ねてくる。
「よろしくはないようです」
「クソッ……こんなときにアルテンヒシェルがいてくれれば」
「そんな八年も前に城を去った方のことを仰らないでください」
「だが、アルテンヒシェルがいれば」
「いいえ、あの方でも不可能でしょう。父上の衰えは老いによるもの。かのアルテンヒシェルであっても医者ではない上、老いを治す方法など知るわけがありません」
ティルフィの返事にイニアが視線を落とす。
「……いよいよか」
「ええ、そうですね。イニア兄さんは戴冠に向けて色々と準備を始めてください。私は父上が亡くなられたとき、速やかに国民へと周知させるべく準備を始めます。勿論、ここから具合が良くなることが一番ですが」
「そうはならない……だろう?」
ティルフィはその問いに首を縦に振る。
「しかしな、ティルフィ。帝王を継ぎ、皇帝と呼ばれるようになるのは簡単だが威厳はそうは簡単に付いて回らないぞ?」
「イニア兄さんは城下へとよく足を向けていらっしゃいます。国民の信用を得ているのは間違いありません。なにも問題ありませんよ。問題があるとすれば兄さんの結婚相手ですよ」
「なにか悪いか?」
「いいえ、ただハーフエルフは子供を一人か二人しか。お世継ぎが少ないのは国民を不安にさせてしまいます。側室からも何人か娶られてはいかがでしょうか」
「俺はそういったことは好かん」
「そうは申されましても」
「子供もすぐには作らんつもりだ」
「実に……実に国を統べる者らしくない言葉です」
だが、ティルフィはイニアの答えに少しの安堵を覚える。
「けれど兄上らしい言葉ですね」
「だろう? 剣一筋だった俺が女と結婚するなど想像も付かなかったことだ」
「愛しては?」
「いる。だが、生涯の兄弟以上に深い関係などにそう容易くはなれん。父上の周囲には常に妙な連中がウロついている。父上が老いを怖れ出してからその手の怪しい連中を城に引き入れたとは聞いていたが、数人ではなく数十人は入っている。今や信じているのはお前だけだ」
「父上の忠臣も、なにを考えているか分かりませんからね」
途端に叛乱を起こすかもしれない。それぐらい城の内情は危うい状況にある。これを安定させるには怪しい連中を全て排除することだけだが、恐らくそれを行えば内乱を起こす。
帝都で内乱が勃発したとなれば、たちどころに王国が攻めてくるだろう。
「では兄さん……一つ提案が。恐らくは却下されるでしょうが」
「また俺が苦労する話をするつもりだな?」
「まだまだ先の話となりますが私が女と作った子供を世継ぎと公表するのはいかがでしょうか?」
「……ほう? なかなか面白い話だ。だが分かっているのか、ティルフィ? その子供は間違いなく殺されるぞ?」
「ええ、父上が亡くなられた際に起こる一時的な混乱を治めるための措置です。揺れ動けばすぐにでもあの怪しい連中は私たちを追い詰め、国を牛耳るに違いありません。だからこそ、世継ぎがいることを国民に知らしめれば当面は彼らは手を出せなくなる。なぜならその時期に私たちが城から追い出されれば、確実に皇族以外の何者かが叛乱を起こしたのだと国民が気付くからです。それらを抑止し、やがて国が落ち着きを取り戻した頃合いに正統な世継ぎが誕生した際には素直に私共々、処断してくださって構いません」
「お前を処断する? バカバカしいことを言うな。そのように公表はするが、決して処断などしない。お前の子供が殺されるというのは俺の手で殺すことを言っているんじゃない。暗殺者に命を狙われるから危険だと言っただけだ」
そこでイニアは一旦、声の調子を整える。
「子供を危険に晒す。それでも国のために尽くすのか?」
「国に尽くすのではありませんよ。私は兄上に尽くす。それだけです」
「……そうか。ならば少しずつその話を詰めて行こう」
「詰めている内に父上が亡くなられてしまいますよ」
「ははっ、面白くない話だ。だが、父上は老いごときでそう容易くは死なん。未練たらしく現世に留まり続けようと足掻く。俺だって老いて死ぬことをこの歳ならばまだ受け入れられるが、いざ死ぬときにそれを受け入れられるわけがないからな」
イニアはそう言って、ティルフィと共に皇帝の寝室をあとにする。
その後、皇帝は崩御する。イニアの言った通り、足掻きに足掻き五年は生き抜いた。
---十数年前 雪山にて---
「まさか、ここまで吹雪くとはな」
「喋らないでください。変に体力を使えば……!」
「ふっ、なぁに。俺が死ぬだけだ。しかし、血族に宿りし炎……か。嘘っぱちだったな。それさえあれば俺たちはこんな吹雪の中で困ることさえなかった」
「死ぬなどと簡単に仰らないでください」
「とはいえ……助かったところで、俺に存在価値などないだろう?」
両手両足に酷い凍傷があり、生存しても碌に動かすことはできないだろう。皇帝としてそのような姿を国民に晒すことはできず、強き皇を求めている国民たちからの支持は一気に落ちる。
しかしそんなことはどうでもいい。ティルフィはただイニアに生きていてもらいたい。
「アルテンヒシェルがいてくれれば」
「ふっ……いつ以来だ? 俺ではなくお前がアルテンヒシェルの名を口にするなど」
ティルフィは自身の頭を叩く。他人任せの、夢見がちな自分自身の現実逃避を激しく嫌悪する。
「あの人はいつもいつも肝心なときに……!」
いや、そうではない。
自分たちが過去の英雄に頼りすぎている。一人で立っているつもりでも、どこかで見守られているのではと思い込んでしまっている。そんな妄想を捨て去れなかった。歳を重ねても心が成熟し切っていないのだ。
「なぁ、ティルフィ」
「だからジッとしていてください」
雪山の僅かな裂け目に見えたとても小さな洞窟の中でイニアはどうにかしてティルフィが助からないかと必死に模索する。これ以上、体温を下がることはきっとないだろうが、それでも医者がいなければ助からない。その事実が徐々に徐々にティルフィを焦らせている。
「影武者になるのは、俺の方だったんだろうな」
「なにを!」
腕を動かし、イニアがティルフィを掴んで引き寄せる。
「お前が死んだことにして、お前が俺に成り代われ」
「馬鹿げたことを!」
「ティルフィ、お前しかいないんだ。城内でしかその存在を知られておらず、国民にすら隠されているお前という存在が俺に成り代わる以外に国を維持させる手段はない!」
「お世継ぎは……! まだ産まれたばかりではないですか!」
「アナリーゼ家に送れ」
「しかし、アナリーゼ家は没落貴族。もはや私財の全てを投げ打っても焦げ付いた金の支払いに追われている身。しばらくは私から資金を回しても、すぐに底を尽きるでしょう」
「それでいい」
「お世継ぎを商人に売るやもしれません」
「構わん」
「ですが!」
「俺を愛した女が、自身の命と引き換えに胎から出した娘だ! そのようなことで死ぬことがあるものか!」
イニアの正室の女は子供を孕んだものの、出産時に自身か子供の命かの二択に迫られた。
その際に正室の女は医者の忠告も聞かずに自ら腹を裂き、血塗れの赤子を取り上げて絶命した。その壮絶なる最期と、壮絶なる誕生の瞬間をティルフィは今も忘れない。
「死なないと……本当に死なないと、お思いですか?」
「ああ、死なない。どんなことがあろうと死ぬものか。皇が纏いし炎を、我が娘も受け継いでいる。それに、お前が成り代わるのならば子も成り代わらなければならない。今、俺たちの娘となっているお前の娘を正式に世継ぎとする。でなければ俺の本当の娘は僅かだがハーフエルフの血の一部を特徴として出してしまう。似ても似つかない娘を横に置いて、国民はきっと皇族を不審がってしまう」
力が抜け、イニアはティルフィを離して横たわる。
「すまないな……ティルフィ。こんなことばかりをお前に頼みたくは、なかった」
「なにを、仰っているんですか。私はイニア兄さんの仰ることであれば、なんだって……そう、なんだって嬉しかったのですよ。今日の雪山の視察だって私と共に過ごす時間を取るためだった。そうなのでしょう?」
「言ったじゃないか。二人で雪山を見に行こうと。結局、今日の今日まで……お前を城の外に出せなかったが」
イニアの代わりとなる命。国が危うくなった際にイニアを逃がし、イニアの代わりに敵国へと送られる存在。それがティルフィストラの役割だ。
いいや、イニアが死んだときに成り代わる。それもまたティルフィの役割だ。それを否定し続け、見ないようにし、考えないようにしてきた。
双子であるからこそティルフィはイニアのことをよく知り、双子であるからこそ入れ替わっても気付かれない。そのことは幼い頃にイニアと何度か行った入れ替わり遊びで学んでいる。
唯一、アルテンヒシェルだけは騙せなかったが。
「私は城しか知らないまま死んでも構わなかったんです。兄上が国を統べているその姿を見ているだけで、それだけで……」
「そうか……でも悪いな。俺はそのままではいたくなかった。お前という存在を国が、民が、世界が認識して……俺の横で、ただ皇帝の弟として立ってくれる。そんな未来を……掴みたかった」
双子でなければ。凶兆と呼ばれる双子として誕生しなければ、或いは隠されずに公表されていたかもしれない。
いや産まれてくる時代が早すぎた。十数年の月日を経てヒューマンは双子であっても凶兆などと呼ぶことはなくなった。二つの命の片方を摘み取るなどあってはならないことだという極々当たり前のことに気付いたのだ。
「兄上……」
「泣くな、ティルフィ。これから俺の代わりを務めるんだぞ? そして、お前の名を呼ぶ者も今日この瞬間をもって、いなくなる。お前の娶った女も死ぬ覚悟は、あるのだろう?」
「ええ……なくとも、私が死なせますが」
「相変わらず無茶苦茶な奴だ」
「けれど、兄上……ロジックを開かれれば私が成り代わったことに気付かれます」
「皇帝のロジックを開く不届きな輩のことを信じる者などいると思うか? ただひたすらにお前はいつものようにそういった不逞な輩を処するだけでいい」
そう言ってからイニアは呻き、次第に弱っていく。
「ティルフィ……人は死んだらどこへ行くのだろうな」
呟きながら徐々にイニアの瞳から光が失われていく。
「死にたくない……死にたくない、死にたくない。ああ、父上もこのような気持ちだったのだろう。だが、死にたくないと思っていても…………案外、気は楽でいられるな。お前が、傍にいてくれているからか……ティルフィ」
「いずれ私も兄上の元へと向かいます。ですがすぐには向かいません」
「当たり前だ。国を強く、そしてあらゆる災厄から跳ね除ける国家にしない限り、死ぬな。簡単に死んで俺の元に来るようなら、叩きのめして現世へと追い返してやる」
「あぁ……兄さん。どうか、どうか……」
死なないで。
その言葉をティルフィは紡げない。
「俺はお前と生きられた良かったよ。父上が双子だからと片方を摘ままなくて良かった。あの時代で、父上はよくもまぁ……認めてくれたものだ」
「誓います、イニア兄さん! 私は絶対に国を守り、国を強くします。どんな手を使ってでも! どんな方法に手を染めても! 国を! 帝国を! 一切、どんな国ですら触れることのできない絶対の国へと! 変えてみせます!」
「それでいい。難しいことは考えるな。これからは俺ではなく、国のために全てを捧げろ。その命で行えるありとあらゆることで……国を、誰にも奪わせるな」
「はい!」
「輪廻で見ているぞ、ティルフィ。帝国が大陸を制覇するその日まで」
「はい!」
「原初より続きし血脈、そしてそこに……宿りし炎……そして、帝国の未来。全て、お前に……託した、ぞ」
イニアの呼吸はゆっくりと落ちていき、瞼はゆっくりと閉じられる。
その日を境にティルフィストラはイニアストラとなった。
誰もティルフィと呼ばなくなった。
「傍付きを離れさせているなんて君らしくもないね、ティルフィ? それとも兄を喪って一人になりたい気分だったかい? 」
アルテンヒシェルと再会するそのときまでは。
「誰のことを言っている?」
「周囲に誰もいないからこそ言えるんだよ、ティルフィストラ。ああ、けれど安心してほしい。ちゃんと人がいる場ではイニアストラ皇帝陛下とお呼びするよ」
「ふざけたことを言う」
「ふざけたことをしているのは君の方だ。『魔物研究』について調べさせているだろう? あんなものは理論として成り立っていない馬鹿げたものなんだ。さっさと調査記録を破棄してほしい」
「……アルテンヒシェル様」
ティルフィ――イニアストラは本を閉じる。
「一体なにを仰っているのかまるで分かりません。“大いなる『至高』の冒険者”とて、言って良いことと悪いことがあるでしょう。皇帝はこの私、ただ一人。兄や弟と呼べる者など産まれておりません」
「ティルフィ?」
「これ以上、皇帝を愚弄するのであれば過去に皇族に貢献してくださったとはいえ、捕まえないわけには参りません。私の言葉一つであなたは拘束され、私の言葉一つでその首は飛ぶ。私と会うときはお忘れなきように。私も皇帝としてあなたを尊敬して接しますが……度を越えれば、もはや尊敬の念など捨て去り、忘れ去って相対するでしょう」
「そうか……それが君の答えか」
アルテンヒシェルはそう呟いて翻る。
「失礼しました、皇帝陛下。僕はこのまま退散します。先ほどの無礼はどうか見ず、聞かなかったこととしていただけると幸いです。ですが、『魔物研究』などという非道の扉を開けるようであれば、僕もまた“大いなる『至高』の冒険者”としてあなたの前に立ちはだかることを胸に刻み付けておいていただけると幸いです」
アルテンヒシェルは蜃気楼のように景色に溶け込んで消えていく。
「馬鹿なことを言う」
イニアストラは本を開く。
「ここには、兄上と私が誓った帝国の未来が詰まっている」
不敵な笑みを浮かべ、心は闇へと落ちていく。
---現在---
「あなたは」
過去を追想しながらイニアストラは呟く。
「あなたは、私たちを救わなかったというのに、こんなときだけ私たちの前に立ちはだかるか」
アルテンヒシェル・フロイス。イニアストラの過去を知る唯一の存在にして過去の残響、そして残影。
捨て去れない過去に未だ絡み付く取り払えない存在。
「規則とは、法とは、生み出した者に絶対がある」
呟きながらイニアストラは前線に立つ白騎士を後方より見やる。
「封じられていた禁を解き放ち、私が生み出したのだ。であれば、これをどう使うかは私が決める。冒険者の規律、規範、規則、矜持、生き様。そのどれもが戦争を拒み、人間同士の殺し合いなどしたくないというのなら……これを戦わせてなにが悪い? そのしたくないことを誰かがやらなければならない。その負担を私のみならず軍人、兵士に押し付けておきながらこれを否定する。それは正しさを問いかけている正しき姿ではない。その行いを人は身勝手と呼ぶのだ」
皇帝が右腕を上げ、近衛兵がそれを見て鏑矢を天高くへと放った。
「消えろ、アルテンヒシェル。この戦乱の世において、もはや英雄の残影などに付き合い続けてはおれん」




