最低な脱出
【-帝国貴族-】
・国が樹立したとき、そのあらゆる過程において尽力してくれた者たちに爵位を与えたのが始まりとされる。成り立ちはどこの貴族とも同じであるが、帝国国内では貴族の割合がどの国よりも高い。また古くから貴族が街や村を統治するという考え方も根強く残っており、平民だけの村はあってもそれより発展している街においては必ず貴族領が設けられている。
・しかしながら帝国は実力主義や功績主義を掲げており、爵位も金銭によって手に入れることができるため、平民から貴族へと自身の能力や技術、商業において成り上がる者も少なくない。それは平民同士であっても競争を必然的に生み出し、帝国の発展を加速させる要因となっている。しかしながらその加速に国民が付いて行けておらず、地位や身分による差が激しく生じており、怠けを許さない社会性は反転して一種の社会不安になっている。
・帝都における貴族の割合は七割にも及んでいる。しかし、貴族に成り上がる者が多いということは同時に凋落、没落する貴族も多い。より実力を持つ者が貴族に相応しいとなれば、それよりも劣っている貴族が退くことも見受けられる。全ての貴族に『貴族』という席を帝国は与えているわけではない。このような点から平民から成り上がった貴族を元来の貴族は毛嫌いしており、その逆もまた然りである。しかしながら成り上がり貴族は平民の息苦しさ、生活の難しさをよく理解しており、元来の貴族たちよりも平民に寄り添った金銭の使い方をする。寄進、寄付、寄贈、そして融資。それらのほとんどは元来の貴族が持ち合わせるべきはずのノブレス・オブリージュの精神を成り上がり貴族が真似ることで成立している。
・国を興した貴族の血脈に連なる者たちは城で働き、意外と世間知らずで部下の使い方があまり得意ではない。
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「父上は『魔物研究』が完成したと言って私の元にやって来た。レスィがいない隙を狙ったんだろう」
オーディストラはエルヴァから渡された衣服を身に付けながら語る。人前で着替えていることへの羞恥心は今のところ感じる余裕がないのだろう。畏れ多いのでアレウスもヴェインも背を向けて、決してその光景を視界に入れることはしない。
「そうだ、レスィはどうなった?」
「レストアールは、」
「奴は状況を把握して様子を窺っているんだろうな。皇女の付き人だったんだから自由にさせてはもらえていないだろう」
アレウスはありのままを話そうとしたがエルヴァがそれを遮った。落ち込んでいる彼女に更に現実を突き付けるべきではない。恐らくはその判断なのだろうが、それはエルヴァらしくない判断だ。いつも通りの彼ならばオーディストラにありのままを話していたはずだ。なぜそうしないのか。恐らくだが彼も状況を飲み込めていない上に、『魔物研究』のおぞましさに怯えている。現実を直視できるほど決意を固められていない。
「そうだな……だとすれば、私の臣下たちも冷遇されているはず。いいや、無事であるのならどのような待遇であっても構わない。拷問を受け、死んでさえいなければいい。たとえ父上に鞍替えしていようとも」
着替えを終えたのか衣擦れの音が聞こえなくなった。アレウスがオーディストラが使用人の服を着ていることを確かめ、ヴェインの肩を叩いて彼はようやく皇女へと向き合った。
「それにしても異界に堕ちているものと」
「そんな都合良く異界の穴は現れねぇよ。あと現れても俺は飛び込まない。お前だけだよ、そんなことを考えるのは」
アレウスの逃避行の想定は行き過ぎていたらしい。
「物凄い剣幕で兵士たちが私を取り押さえようと部屋へと入ってきた。エルヴァージュに言われるがままバルコニーから飛び降りていなければ今頃、どうなっていたことか」
「普通、迷いなく飛び降りる?」
「落ちても死なねぇ自信があるから飛び降りるんだよ。あまりの高さで皇女殿下は落ちている間、気絶してくれていたんで着地にはなんの不安もなかった」
「我ながら女々しく無様だった。しかしおかげで、この剣を」
オーディストラが天秤の意匠が彫られた剣を抜き、その切っ先をクルスに向ける。
「守ることができ、そして貴様へと向けることができた」
剣を向けられてもクルスは動じず、ジッと皇女を見つめる。
「どうした? 怯えて動けないのか? クールクース・ワナギルカン王女?」
「気付いていたのですね」
「エルヴァージュが命懸けで守りに行った国が新王国。そこまで命を懸けられるのは、王女への想いがあるから。そう考えれば、この場でエルヴァージュが私へと見せていた顔を捨て去って接しているあなたがクールクース・ワナギルカン王女であると断定できる」
「遠い異国の地で帝国の皇女は夢見がちでやや浅慮だと聞いていましたがなるほど、あれはただの王国側の悪口であったと……」
「夢見がちであることは間違っていない。夢見ていたよ、エルの復讐を果たすこの瞬間を」
「エルミュイーダの?」
「エルは貴様が描いた夢物語の犠牲になった。貴様がエルとレスィを引き入れてまで王国に叛旗を翻さなければエルも死なず、私もこうして身を潜めることもなかった。違うか?」
「違いません。全て私が夢を求めた結果、起きてしまった犠牲です」
「私はずっとレスィと語り合っていたよ。必ずやエルの敵である貴様の首を刎ね、どのようにして晒すかとな。そのときにはエルヴァージュもまた処刑すると決めていた」
「俺もだと?」
「当たり前だ。貴様を手元に置いていたのは新王国との繋がりを私が握っておきたいがため。エルヴァージュを傍に置いていれば新王国の王女は私に交渉を持ち掛けてくる。貴様たちが私を利用しようとしたように、私もまた貴様の想い人を利用した」
「皇女殿下! 今は争っている場合では!」
「そんなことは分かっている!」
ヴェインの言葉を大声で断ち切る。
「しようもないことをしている。間違ったことをしている。まったく自分自身の言動に腹が立つ。だが! 私の中にある復讐の炎は! この者を許してはならんとひたすらに燃え続けている!」
「まるでエルミュイーダが私を恨んで死んだかのような物言いですね」
「死者の言葉など私には通じないぞ?」
「そうですか、では……刺してごらんなさい」
クルスが手で剣を掴む。
「さぁ、首ですか? それとも心臓ですか? 首ならばこちら、心臓であればこちらですよ?」
掴んだ手で自ら首元と胸元へと切っ先を誘わせるような仕草を見せる。
「貫いてみせなさい! オーディストラ・ファ・クッスフォルテ皇女! ですが、心することです。あなたが憎しみ、刃を向けているこの私は! あなたが慕い、心に刻んでいたエルミュイーダという一人の軍人が! 命を張って守り通した者であるということを!」
一触即発。この状況ではアレウスもエルヴァも手出しができない。オーディストラがどのような判断を下し、クルスがどのような瞬間を迎えるのか。それは二人の間で起こっている感情のせめぎ合いの果てにしかない。
「……ふ、さすがは王国に叛旗を翻しただけのことはある」
オーディストラが剣から力を抜く。クルスが手を離し、切っ先が床を叩く。
「レスィ……やはり殺せなかった。エルが命を懸けた存在に刃を向けるまでは至っても、私には無理だ。ただの足りていない王女であれば首も心臓も貫けたが……この者は貫けん。やはり、エルの想いを背負っていた……虚しい、虚しく燃える復讐の炎だ。憎くとも切れんとは、私はあまりにも無力で……そして覚悟も冷徹さも足りていないようだ」
「ご容赦いただき、感謝いたします」
「感謝などされても困る。この場だけかもしれん。再び貴様に刃を向けるときが来れば、今度は本当にその首を、その心臓を貰うやもしれない」
「先ほどは借りがあってのこと。二度目はタダでは渡しませんよ」
「なるほど、私は絶好の機会を失ったというわけか。ふ、ふふふ、しかしながらタダで貰える命に刃を突き立てたところで、復讐の炎が尽きることもないだろう」
どうやら二人の間で感情のぶつけ合いは決着したらしい。オーディストラがクルスを認め、そしてその命の価値を理解した。己が感情に振り回されずに、心優しき答えに行き着いた。たとえそれが仮初の、この一瞬に過ぎないことであってもアレウスにはきっと出来ないことだ。
「レスィは…………死んでいるか、それとも死んではいないがまともではない状態なのだろう?」
「いいえ」
「天秤の前で嘘はつけん、エルヴァージュ」
嘘を押し通そうとするがオーディストラは呟く。
「エルの敵は後回しにする。それだけの価値がある。しかしレスィの敵に、価値はあるか? 今の我が父上に、私が刃を振るわずにおれるだけの価値が、果たしてあるだろうか? よもや父君はリオン討伐後に語った私の宣言を、娘の戯言とお思いか?」
「確か……娘の命を奪いに行く父親はいないと仰られていましたね……」
アレウスはあのときの言葉を思い出しながら口に出す。
「ふ、父上は嘘ばかりをおつきになられる。いいや、命を奪おうとは考えてはいないのか。そう、奪いはしない。利用しようとしただけ……それこそ戯言だ。言葉などあとでいくらでも替えが利くのだから信じてはならなかった」
天秤の剣をオーディストラは鞘に納める。
「その手を傷付けた。すまないと思っている、クールクース王女」
「いいえ、この程度の血を流すだけで済んで感謝しているぐらいですよ」
左手の傷を布切れで巻いて縛る。どうやら本当になにも対策など取らずに衝動で刃を握ったらしい。
「それで、どのようにしてここから出る?」
「客の趣味嗜好の一環として全員が全裸で屋外に出ることを婆さんに頼もうと思っていたが、どうせ無理だろうな。そもそもそんな格好で外に出たらむしろ危険極まりない」
「さらっと怖ろしいことを言ったな」
エルヴァの案をそのまま通していたらアレウスたちはともかくとして皇女と王女が全裸で娼館を出るところだった。
「それにこの案だと無事に外に出られても匿えるわけじゃねぇしな。お前たちが取っているだろう宿までとも考えたが、皇女殿下の顔を覚えている奴が一人でもいたらこれは破綻する」
「だったらそんな案をわざわざ口にしないでほしい」
ヴェインが呟いた。彼にとって王女と皇女は雲の上の存在だ。神や女神ほどではないにせよ、敬い尊ぶべき存在をぞんざいに扱っているような発言をするエルヴァに薄っすらと怒りを覚えているようだ。
「私たちのためにお怒りになられる僧侶様には感謝しかありませんが、エルヴァになにをどう言おうと無駄です。彼は目上の者に対する礼儀を学ばないまま大人になってしまったのです。彼自身の生い立ちもありますので、どうか彼の無礼な言動には目を瞑っていただきたく」
「仰せのままに」
クルスが申し訳なさそうに言うのでヴェインはほんの僅かな怒気を鎮め、丁寧にお辞儀をして答える。
「皇女殿下、ウィッグを付けたことはあるか?」
「なん、だ? そのウィッグとは」
「んーこの世界でなんて呼ぶのか分かんねぇな。面倒臭いから言ってしまうが変装をしたことはあるか?」
頭を掻きながらエルヴァが再度訊ねる。
「変装をして城下に出たことなどない。帝都の者たちには顔を覚えてもらわなければならんからな」
「だったら話は早い」
「皇女を変装させて連れ出す。そのための使用人の服。でも、ウィッグなんてあるのか?」
アレウスはエルヴァが皇女を変装させて連れ出す策に切り替えていることを一番に察して部屋の中から使えそうなものはないかと探る。
「あるから言ってんだよ。どこの世界でも髪に不安を覚えるのは共通らしいな。俺の知る世界に比べてずっとずっと質は悪いが」
見せられるウィッグは髪の毛を編み上げた物ではあるものの完成度はさほども高くない。地毛の色合いが統一されておらず、長さの整っていない。被ることはできても、不自然さを消すことはできない。
「……オーディストラ皇女、化粧はどれほどに?」
クルスは出来の悪いウィッグを見つめてから思い付いたようにオーディストラに問いかける。
「人並みには。世話役にやらせていたこともあったが、身の回りのことが出来んままに戴冠などしたくなかったからな」
「失礼します」
オーディストラの頬や顔にクルスが触れる。
「化粧が出来そうな品はありますか?」
「ここに」
アレウスがクルスへと化粧品と思われる物を見つけ次第、ベッドの上へと放り出す。
「一体どうする気なんだい?」
「地毛が異なる色で編み上げられたウィッグ――付け髪とでも呼ぼうか。それを被ってもらって、顔にクールクース王女が化粧を施す。その間、僕たちは部屋を汚す」
「汚すのかい?」
「ああ、汚れていた方がそれっぽくなる」
アレウスはヴェインと手分けをしてベッドにいかにも血の跡であったりシミに見えるものを残していく。その最中にアレウスは自身が羽織らせた外套を着直して、自身の痕跡を消す。
皇女への化粧が終わり、エルヴァが渡したウィッグをクルスがそれとなく被せる。
「ご自身の物ではない髪は気色が悪いとは思いますが、しばらく我慢を」
クルスは優しくオーディストラにお願いする。
「でもエルヴァ? これじゃ娼館と歓楽街を出ることは簡単だけれど、宿で匿うことはきっと出来ないわ」
「軍人どもが外に捜索に出ている。周辺の街道沿いは全て見張られていると思っていい。奴らは皇女殿下が既に帝都の外に逃れたと考えている。だから帝都内部においてはむしろ軍人たちの動きは大人しい。現状では宿で匿える可能性の方がずっと高い」
「本当にそうか? お前は宿に着けばどうとでもなると思っていないか?」
「思っているに決まっているだろ。なんのためにお前たちがここにいる?」
扉がノックされる。
「なにか?」
アレウスは扉に近付いて声を掛ける。
『お時間です』
「時間?」
『はい、もうお時間です』
アレウスを下がらせたエルヴァが扉を開き、その瞬間に正面にいた人物を蹴り飛ばす。
「まだ五十二分しか経ってねぇよ。婆さんが一時間って言ったら一時間だ。そこから早くも遅くもならねぇんだよ」
倒れている男の胸倉を掴み、未だ意識があったのでエルヴァは頭突きで昏倒させる。
「ここに軍人が立ち入っている。部屋に留まり続けていたら逆に怪しい。さっさと店を出るぞ」
「私は……バレずに出られるだろうか」
「出られますよ。なんの問題もありません」
クルスはオーディストラの顔だけでなく腕や手にまで化粧を施し終えて答える。
「顔を隠すように、やや伏し目がちに力なく歩く演技をしてください」
「ふ……それなら出来そうだ。今まさに私はそんな気分であるのだからな」
手を引かれ立ち上がり、エルヴァを先頭にしてクルスがオーディストラを連れて部屋を出る。
「なるほど……確かにそうすれば、店から出られる」
ここでようやくヴェインが察して息を零す。
「まだ安堵するには早いぞ」
「でも気は緩んでしまったよ」
ヴェインの表情から険しさも堅苦しさも消えている。アレウスはそのことに安心して息を零す。
階段を降りた先の廊下で軍人と出くわす。
「止まれ。身分を示せ」
「示せと言われましても、この者を長居させるわけにはいきませんので」
ふてぶてしくエルヴァが答える。
「ついさっき階段を上がらせた者がいたはずだ。どこでなにをしている?」
「さぁ? 何分、急いでいるもので」
「待て! 一体誰を連れ出そうとしている?! 顔を見せよ!」
クルスとオーディストラが立ち止まる。軍人が彼女たちの顔を覗き込む。
「ひぃっ!」
そして悲鳴を上げて後ずさる。
「だから言ったでしょう?」
呆れるようにエルヴァが言う。
「彼女はお客様から病気を貰っています。恐らくもう、手遅れです。しかしこのまま娼館で看取ることは難しく、品位を貶めてしまいます。だから外に連れ出すのです」
クルスが施した化粧は不特定多数の性的な接触を行うことで発症する病を彷彿とさせる。土気色で、所々に肌が欠けているようで、そして膿んでいるようにすら見える。それが腕や手の先まで至っている。地毛が異なる出来の悪いウィッグも、病気のせいで髪質が変化してしまったことを表しているようだ。
病気だと偽る。最低の方法だが娼館を出る手段は、軍人が捜索に来ているのならこれしかない。
「もしかしたら触れたあなたにも病気が移ってしまったかもしれませんね」
そのようにクルスが脅すと軍人は腰を抜かして廊下の壁際にまで下がった。先導するエルヴァを止める軍人は一人としておらず、アレウスたちも合わせて止められることはない。
「婆さん、例の娼婦だがもう駄目だ。いつものように捨てるぜ? 着ていた服は全部燃やしちまったが、さすがに裸で連れ出すわけにもいかねぇから予備の服を着せてやってる」
「言わんでもいいことを言うんじゃないよ。しかしまぁ、よくも私にそこまで隠したもんだね。数ヶ月前から調子が悪そうだったから隔離して、客を取らせなくてよかったね。ウチを利用している客の誰にも移ってないね」
お婆さんの横を悠々と通り過ぎる。
「まぁ、無理やり触った輩がどうなるかは楽しみだね。どうだい? もっと調べるかい? なんなら部屋まで案内するがね」
そのようにお婆さんも軍人に対しての脅しを付け足すと、その問いに首を縦に振る軍人は一人としていなかった。
歓楽街でも奇異の視線をオーディストラは向けられる。とにかくなにかしらの病気を発症している患者であり、手の尽くしようがないほどに手遅れな状態であるような雰囲気が、彼女の歩みからも受け取れる。
「思っていた以上にすんなりと出られたな」
「娼館に入ってきた連中はみんな俺が指揮を執っていた『緑角』の兵士だよ。ここを調べろと具申するよう伝えていた」
「皇女様に触れて怯えていたのも?」
「あれは俺の兵士から具申を受けて調べにきた上官だったな。『緑角』は今、俺が皇女殿下と姿を消したからほとんど動けないが、そいつらから俺の隠れ処や行き先を聞き出そうとする奴らもいる。そういう浅ましい考えを利用した」
病気を持った娼婦に触れたことへの恐怖による悲鳴。あれは決して演技ではなく、本物であったからこそ周囲が仰天した。あの悲鳴が皇女の変装を確かなものとしたのだ。
「じゃぁ昏倒もフリってことか。お前に近しい兵士から率先して捜索を願い出た。この事実は『緑角』はもうお前の指揮下から離れている証拠になる。お前抜きでも動きやすくなるわけだ」
「あいつらは巻き込まれているだけだからな。軍人や兵士としての生き方は全うさせてやりたい」
軍人としての一面をしっかりと見せられ、何一つとして文句は出てこない。
そうしてアレウスたちは歓楽街の外――静かな城下の中心地まで出た。
「病人になり切るなど、私がよく知る父上ならば卒倒しそうだな。今はどうかは知らないが……しかし、私は捕まるわけにも死ぬわけにもいかない」
社会的弱者のように偽ることは犯罪であり、場合によっては重罪である。オーディストラもそのことは分かっているようで自身の格好に思うところはあるらしい。
「外では偽名を使っています。僕たちがどんな名前を使っているかは宿で紙に書いて伝えますので」
「分かった」
「ところで、この格好の女性を宿が入れてくれますか」
「化粧はそこの井戸の水で落とせ。ウィッグはそのままでいい。どんだけ皇女殿下の顔を城下の連中が見ていようとそれは遠目から見ているだけであって間近で見ているわけじゃない。髪型が違うだけで気付かれない。ただ、気品高い素振りは一切見せるな。平民御用達の宿ならそれだけで怪しまれる」
「よく僕が平民の宿を取っていると分かったな」
「俺だったらそうすると思うことをお前がそうしているだけだ」
「ああ、それは僕も同じだ。僕だったらそうすると思うことをお前がそうしている。でも、目上の人に対しての扱いには違いがあるようだけど」
「全部一緒だったら気味が悪いだろ。俺だって異界に堕ちて逃げるって選択肢は出てこねぇよ。なんだその考えは? 異界の方が安全なわけないだろ」
「悪かったな、常軌を逸した考え方をしていて」
「まぁでも助かった」
素直に感謝されるとは思わなかったため、アレウスの思考が一瞬だけ停止する。
「まだなにか隠していないか?」
「なんでそうなるんだ」
だからこそ怪しむ。とことんまで怪しむ。都合の良く使われたくないからだ。
宿に入ったところで呼び止められたが、宿泊人数が増えた分だけの差額を提示されただけで済み、宿帳などへの記入で怪しまれることもなく、また夜の利用料も含めた支払いをアレウスは行う。クルスの取った部屋は二人部屋にも出来る個室だったので新たに部屋を取ることはせず、またエルヴァも大部屋で済ました。結果的には王女と皇女、アレウスたち男性陣とアベリアたち女性陣の三部屋となったがそんな問題は皇女であることがバレることに比べれば微々たるものだった。




