全てに意味がある
「信じない」
拒否する。
「そんなこと僕は信じない」
「アレウス君……」
「けれどこれは君のこれまでの生き様にも関わる大事なことなんだ」
「僕の生き様?」
アルテンヒシェルに自身の生き様のなにが分かるというのか。アレウスは訝しみながら同時に睨むようにして彼を見る。
「僕の血脈の始祖であるノア・フロイスは『魔物研究』の完成を断念した。そこには禁忌に触れる恐怖もあったけど、決定的なものが欠落していたからだ」
「十二に分かたれた魔王の欠片だけじゃないと言うんですか?」
「さっきも言ったように合力――人間に魔物を、或いは魔物に人間を融合させる力が、この世には存在していなかったんだ。それが存在するようになった。その原因が……君だよ、アレウリス」
「アレウス君に責任があるみたいな言い方はやめてよ!」
我慢ならず、クラリエが喰ってかかる。
「産まれてくる子供に罪はなく、親の罪を背負う必要はない。そうでしょ、オルコス!?」
そして、アルテンヒシェルの言葉を静かに聞いているオルコスに問う。
「その通りです」
同意を示す。
「ですが、事実や真実を飲み込まなければならないこともあります。あなたが全てを飲み込んで母君を討つと決めたように、この方にも真実を飲み込んだ上で歩む道を決めてもらわなければなりません」
「じゃぁ言ってみてよ! アレウス君がいることで『魔物研究』がどうして完成したのかを?!」
「欠損した部位をアーティファクトとしてロジックに格納して修復し、のちに移譲してもアーティファクトは失効しても機能は維持する能力。ファルシオン・ファングの一部を喰らい『蛇の目』を手に入れて欠損した左目を修復し、それをセレナーデ・ファングに移譲しても君の左目は機能したまま。その右腕も、その耳も、失いはしてもアーティファクトによって再生を果たしている」
アルテンヒシェルに言われて、アレウスは狼狽する。
「そんな……そんな、じゃぁ、あのとき、僕が……拷問、された……と、思っていた、のは……」
「拷問ではなかった。君が持っている合力を肉片として手に入れて研究したかった。でも、君自身はいらなかった。拷問めいた形にしたのは『魔物研究』と気取られないためだよ。でもね、『異界』に堕としたのは恐らく想定外だったんだ。だってそんなことをしたら、君は死んでしまうから」
アレウスは崩れ落ちる。
「狡猾な連中だ。真意がそこには内包されていなかった。魔物が魂の虜囚を喰らって獣人となって外に飛び出したり、魔物のシャーマンが自身に魂の虜囚を憑依させて人間に擬態する。こんなことは頻繁に起こってきたけれど、合力は違う。自身のロジックに『魔物』を取り込み、それがアーティファクトとして発動する。もしくは魔物に『人間』がアーティファクトとして取り込まれ、発動することで両者ともに魔物化を果たす。その過程で欠損した部位や足りていない部位はアーティファクトによって補われ再生する。君が持つ不思議な特異体質の正体は、この合力にある」
「僕は、死ぬべきだった」
「なに言ってんの!?」
「だって、合力の出処が本当に僕にあるのなら、僕が死んでいれば」
「君から採取された肉片から合力は失効する。アーティファクトやロジックと同じように。そうすれば『魔物研究』は完成せず、今まさに帝国が行おうとしている狂行も実現することはなかった」
信じないようにしていても、信じるしかない。拒否したところで事実はしっかりと頭の中に入ってきてしまう。
自身が持っていた不可思議な特異体質。力と呼ぶには滅茶苦茶で、扱えているかと問われれば首を傾げ、果たしてこれは能力であるのかすらも疑わしい。そのように思っていたものが『異端審問会』に悪用されてしまっている。
どこまでも、どこまでもどこまでも、追い詰めてくる。
『異端審問会』という存在はアレウスという存在を否定してくる。
自分という存在が生きているからこうなったのだと、
死を選んでいないから今、事態は悪い方向に転がっているのだと、
突き付けてきている。
「けれど、これは君に責任があると糾弾したいわけじゃない。全ての原因は、そして責任はこの僕の始祖たるノア・フロイスにあるのだから。始祖が『魔物研究』など行わなければ、君の合力も誰の目にも留まることはなかった」
「同時に、あなたが異界に堕ちることも冒険者になることも、こうしてあたしたちと言葉を交わす未来も訪れはしなかった。あなたは村で両親と共に平穏を過ごし、普通の毎日を送り、普遍的な恋愛をして、一般的な結婚をして、生命の誕生に喜び、密やかな最期を迎えていたでしょう」
意識を失いそうなほどに混濁する脳内で、さながら小さな気力の爆発でも起きたように目の前がチカチカと明滅を繰り返す。しかしながら同時に消えかかっていた気力をアレウスは取り戻す。
「それじゃ、アベリアには出会えていない。リスティさんにヴェインに、ガラハにクラリエに……僕と関わって僕の傍にいてくれているありとあらゆる仲間たちに出会えないままだ」
緩み切っていた筋肉に力を込めて、アレウスはクラリエの補助を受けながら立ち上がる。
「合力の始まりが僕にあって、それを『異端審問会』が手にした時点が僕が異界に堕ちる以前にあるのなら……その過去に、僕は拘らない。だってそれはノア・フロイスの『魔物研究』の事実が前提にあるから、どうやったって逃れることのできないことだ。どう足掻いたって僕の元に『異端審問会』は現れていた」
声を必死に張る。
「僕が拘るのは、異界で過ごした五年間でもない。僕が拘るのは、出会いだ。ヴェラルドと出会い、ナルシェと出会い、そうしてアベリアと出会わない未来なんて、望まない」
「悲劇的な話です。あなたにとって重要なことは全て異界に堕ちたあとにある。あなたの人生は産まれた瞬間ではなく、異界に堕ちたところで始まってしまっています」
「悲劇じゃない。いや、悲劇だ。きっと悲劇なんだろう。でも、その経験があったから僕は冒険者になりたいと願って、あなたたちの前にアレウリス・ノールードという一人の冒険者として立っている。オルコス様、あなたに想像ができますか? レジーナと出会わないままに過ごす王女としての毎日が」
オルコスは沈黙し、数十秒後に答えを出す。
「想像できません。レジーナと話し合った日々はあたしにとって掛け替えのないもの。あたしがあたしであることを示す想い出です」
「大罪人の娘と罵られていたレジーナと関わることであなたにも謂れのない多くの罵声が飛んだはずです。あなたはその日々を悲劇的と思いますか?」
「思いません。どのような言葉を投げかけられたところで、あたしにとってはレジーナは親友であり森の外で育ったあたしに唯一、対等に話してくださったエルフです」
「僕の始まりが異界に堕ちたあとにあるように、あなたの始まりもまたレジーナと会うところから始まっている。僕の方がより狂気に満ちていても、そこにはるのは人との繋がりであり人との出会いです」
「……軽率な発言であなたを傷付けてしまいましたね」
アレウスに対し、オルコスが小さく頭を下げる。
「こうして謝罪します、あたしの半端な感情であなたの始まりを悲劇などと発言してしまい、申し訳ありません」
彼女は頭を上げ、クラリエを見る。
「ですが、これからどうしますか? これらの事実を知った上で尚、あなたは生き続けたいと思うのですか?」
「僕は、」
「当たり前でしょ!? 人が生きたいと思うことのなにがいけないの?! アレウス君は自分から力を提供したわけじゃない! 理不尽に力の一片を奪われたんだよ!? それも肉体に激痛が走るやり方で! それなのにあなたはアレウス君に死ねって言うの!? あたしがエルフの重鎮たちにお母さんを殺したあとに死ぬって宣言したように! オルコスはここで確約してほしいだけなんじゃないの?! どうしようもない状況に陥ったら命を投げ出してくれって! そう言ってほしいんでしょ?!」
「そんな……そのような、そんな……」
言いつつもオルコスは目を逸らす。
「掛け替えのない人が――ううん、罪もない人に無意味に命を捨て去る決意をさせることが本当に平和への一歩になるとでも思っているの!? あなたの親友のレジーナだって命を差し出す覚悟でエルフの重鎮たちの前に出た! あのときあなたはレジーナを庇った! それはレジーナのことを心から死んでほしくないって願ったからじゃないの!? あたしの気持ちだって同じ! アレウス君には心から死んでほしくないと思ってる! あたしが命を捨てそうになっても手を差し伸べてくれたアレウス君に! 命を捨てろと言うんだったらあたしはそれを真っ向から否定する!」
薄っすらとクラリエの体から『衣』が漏れ出る。
「落ち着いて! 落ち着いてください!」
アルテンヒシェルが割って入る。
「僕はそのようなことを言いに来たわけじゃない。ただ事実を伝えたかっただけなんだ。僕はノア・フロイスの子孫としてアレウリス君に『魔物研究』の果てを伝えなければならない義務があった」
一触即発の状況だったが彼の言葉によって場に落ち着きがもたらされる。
「何度も言うように、これは子孫である僕が背負うべき業なんだ。ただ、ただ君に謝らなければならなかった。『魔物研究』における最後の難題である合力の入手。その鍵が君にあったとは思わなかったんだ。君の特異体質については知っていたけれど、君自身は『異端審問会』ではなかったし……まさか君からもぎ取った部位にまでその力が及んでいるなんて考えもしなかった。僕が『奏者』としてこの世に残っている理由はたった一つ。『魔物研究』が完全な形で消失すること。そのためにずっと星を詠みながら、世界を『天眼』ほどではないにせよ見つめていたつもりなのに、イニアストラへの情から帝国で暗躍する『異端審問会』は見ていたのに、彼そのものを監視することを怠った」
『衣』を止めて、クラリエは肩で息をしている自分自身をまず落ち着かせるために深呼吸を行う。
「ありがとう、僕のために怒ってくれて」
感情的になっている彼女にそう呟き、その肩に手を置く。彼女は僕に必死の作り笑いを浮かべながら後ろに下がった。
「あなたと皇帝陛下にどのような関係が?」
「僕は彼の指南役だった。剣を教えることはできなかったけれど、魔法やその他の雑学、倫理観や教養なんかは全て僕が教えた。教えたつもりだったんだけどな……」
悲しそうに呟く。
「これから僕はイニアストラを止めに行く。でも、僕の言葉でもイニアストラは止まらなかったから力尽くになる。歴史に名を残す大悪事を僕は始めることになる。協力してほしいわけじゃない。ただね、探してほしいんだ。オーディストラ皇女を。彼女と共に行方不明となったエルヴァージュ・セルストーを。これについてだけじゃない。もう時間がない。帝国が国として認められなくなれば君の活動にも影響が及ぶ。ガルダは君たちへの干渉をやめ、ハゥフルの小国は協力を諦める。ドワーフの里も自らの居場所を守ることだけに徹し、エルフは再び森にこもる。獣人だって危うきに近寄ることはしないだろう」
「帝国が魔物化した部隊を戦場に出せば、冒険者だけでなく全ての帝国国民は他国との往来も、他国との交渉もできなくなってしまう」
それぐらいのことをしようとしている。連合の兵器や王国のクローンも相当であるが、魔物化はそれを遥かに上回る。忌避感、拒否感、拒絶感。とにかく人々からの印象が最悪なのだ。それなら兵器を用いている連合やクローンを戦場にのみ投入している王国の方がマシだとすら思うだろう。なぜならそれらは制御が取れているからだ。テッドやヘイロンのような制御不能な個体はあれど、それ以外のクローンは御し切れており、兵器もまた連合の聖女が立場を揺るがすことがない限りは統率の取れた信者たちによって扱われる。
魔物化――魔物した存在は知識を得て人間に従っていると言われても、信頼が得られない。禁忌中の禁忌だ。禁忌戦役における冒険者の投入以上に世界は帝国を弾圧する。
「僕はもう行く。イニアストラを止められないのなら、せめて白騎士だけでも止めなければならないから。ジュリアンにもよろしく言っておいてくれ。仲間たちと話し合い、どうにかしてオーディストラを探しに行くようにしてほしい。探しに行くだけでいい。イニアストラの手で発見され、イニアストラの手に戻るようなことだけは阻止してくれ。僕はそれ以上を求めない。『魔物研究』の全ては僕が焚書してみせる」
「一人で『異端審問会』と戦うつもりですか?」
「それが僕に残された贖罪だ。実を言うと……もうこの世界のなにもかもに干渉しないで眺めているだけが良かったんだ。争いが起こっても大きな災害が起きても、全ては次代の者たちに任せてしまおうと。傍観者になり切ろうとしたことへの罰なのかもしれない。そう思えば、これぐらいの脅威に立ち向かうことぐらいはできるさ。これが最後の戦いだと割り切れるのだから」
アルテンヒシェルはそう言い残し、アレウスたちにうやうやしくお辞儀をしてから坂を下りていく。
「オルコス」
「エルフの遣いに関しての話は淀みなく進ませます。魔物化した者など戦場に立たせなければ、あたしたちとシンギングリンを結ぶ『門』の作成は白紙に戻ることもありません。だからどうか、クラリェット様。『奏者』が仰られていたように、皇女殿下をお探しいただけると幸いです」
彼女の両の眼が妖しく輝きを発する。
「『灰』が降ります」
「え?」
「今、私の眼にお告げがありました。眼と眼が集い、争い合うと。あたしを含めた聖女たちの生き様も、いよいよ佳境へと至るようです。どうやら聖痕を持つ者が一人、開眼を果たしたようですね」
その言葉にクラリエは複雑そうな表情を浮かべる。
「隠したところであたしに訪れたお告げは正確です。どのような方がいらっしゃるのか、命を取り合う場にて巡り会うことになるでしょう」
オルコスは気配を消し、景色の溶けてアレウスたちの前からいなくなった。
「どうする?」
「どうするもこうするも」
死ぬしかない、と言おうと思ったが改める。クラリエはアレウスの代わりに怒ってくれた。アレウスの代わりに叫んでくれた。そんな彼女にその言葉を向けることは絶対にできない。
命を簡単に捨てようとしてはならない。ヴェラルドとナルシェに救われた意味がない。あの二人が命を費やしてでも生かしてくれた理由が失われてしまう。
二人の死が無駄になることだけは避けたい。
「相談するしかないだろ。物凄く沢山のことを聞かれるし、大騒ぎになるけど聞いたことをそのまま話して分からないことは分からないと言い続けるしかない。ヴェインたちが帰ってくるまでの間に僕と君はあの二人から聞いた話を書いて纏めよう。どこか聞けていなかったこともあるかもしれないし、勘違いしている部分もあるかもしれない」
「そうだね」
「一つ、安心したこともある。僕の特異体質にちゃんと名前があって、『異端審問会』には理由があってあの村に訪れたんだと。おかげで僕は正しく復讐の理由を見定めることができた」
「異界に堕としたのは『異端審問会』のシェスが独断で行ったこと」
「僕を生かしておかなければならないところを異界で死なせかけた。合力が失われれば『魔物研究』が完成することもなかったのに」
「……力は、産まれたところに戻りたがるって言うよね。魔力の残滓も、元である魔法使いの魔力を強く吸収するって。白騎士がアレウス君を狙ったのは皇帝陛下の命令だったわけじゃなくて、あなたという存在を殺して更に力を得たかったからじゃ」
「そういう考え方もできるな。そうなると白騎士は皇帝陛下に従っていない。だから、また僕の元に現れる。いいや、白騎士じゃない魔物化したなにかが僕の元にやって来ることになる」
そしてそれは人間と魔物が融合した存在である。それを討伐することが冒険者の矜持に違反しないのかどうか。
それよりも、白騎士の正体がレストアールであることは確定なのだろうか。
「分からないことだらけだ!」
発狂しそうになり、アレウスは頭を掻きむしる。
「落ち着いて」
クラリエに止められ、狂ってしまいそうな自我とその衝動を抑え込む。
「皇女様はまだしも、エルヴァージュ・セルストーは簡単には死なないでしょ?」
「あいつは死なないというか新王国の王女以外の前で死に様は晒さない」
どんなことがあっても意地でも死なないだろう。
「消息不明……消息不明か。こういうときは大体、異界絡みなんだよな」
「もしかしてなんだけど、狙って異界に堕ちてない?」
「異界に堕ちることができるのならエルヴァならやりかねない。穴を見つけたってそこまでは誰も追い掛けてはこないからな。捜索隊もまさか皇女様を連れて異界に堕ちるような逆賊紛いのことはやらないと思うだろ」
だがそれをやってしまうのがエルヴァだ。
「新王国であれこれやって、ちょっとは休めると思えばすぐにこれか……ってエルヴァは思っていそうだな」
「アレウス君じゃなくって?」
「国と争うわけじゃないからまだマシだ。探せば少しは事態が好転する。前回のは正直、かなり冒険者の活動範疇としてかなり怪しいところであったし」
異界が絡んでいるかは分からないが消息不明の人物を捜索するのは冒険者の範疇として解釈できる。
「国が見つけるのが先か、僕たちが見つけるのが先か……か」
しかし、皇女を見つけ出してそのあとどうすればいいのだろう。アレウスは首を傾げざるを得ない。匿えば皇帝の意思に反することとなり、死罪は免れない。かと言って差し出せば帝国が滅亡しかねない事態へと発展する。
「僕たちは正しい国に生きてはいなかったけど、正しい国であってほしいと願ってはいる……皇女とエルヴァも同じ気持ちであってくれればありがたいけれど」
「あとアレウス君」
「分かってる。クルタニカと話してくるよ」
気の利いた言葉を向けることはできないし、そっとしておいた方が良いとも思ったのだが彼女の知見を頼りたい。
「そうじゃないな。利用したくて話に行くわけじゃなくって」
クルタニカにはいつも通り元気であってほしい。その純粋な部分を忘れないようにとアレウスは自身に言い聞かせた。
-ハゥフルの島国-
「して? お主が申すように帝国が魔物を戦争に投入しようとしていることが仮に事実となれば、我らに一体どのような措置を求めると言うのだ?」
クニアは目の前の男に訊ねる。
「ハゥフルは連合に迫害された悲しき種族。戦争に介入してほしいなどとは毛頭も思いませぬ。しかしながら、帝国の暴虐を止めるために手を貸してほしい。ただそれだけ……とても簡単な話です。ええ、とても簡単な話なのです。帝国との国交を断つ」
「我らは帝国と国交を未だ結んではいないが?」
カプリースが男に対し、懐疑的に問い掛ける。
「商人の行き交いは行われているのでは? 帝国の国力を衰えさせるためにはあらゆる国が、あらゆる方法を持ってその行いを非難し認めないことを証明するために、断交という手を取るべきなのです」
「……なるほどのう。しかし、それは帝国が魔物を使ったならばの話じゃろう?」
「いずれ現実のものとなりましょう。我々は既にその証拠を握っているのです」
「その証拠が偽造されたものであったなら……我らハゥフルを謀ったとなれば、貴様たちにどのような罰を与えても構わんのだな?」
「ええ、構いませぬ。なぜならばこれは正しき神のお告げ。神の御言葉に間違いはありません」
クニアとカプリースは視線を交わす。
「魔物を自在に操るなど聞いたことがない。今からそのようにお前たちが帝国を唆さないという証明は一体どのようにする?」
「あなた方は、神の御使いたる私たちの言葉を疑うのですか?」
男は穏和な雰囲気を一気に消し去り、黒く禍々しい気配を放出し始める。
「それはあなた方が『異端』であることの証明となりましょう。そうなったならば、私はあなた方にこう問わなければなりません。『異端であるか?』と」
まともに相手をするべきではない。だが、クニアの決断は国の決断となる。カプリースは首を小さく振り、クニアは強い溜め息をつく。
「お主が申した通り、帝国がその事実を現実としたとき、我らハゥフルは――少なくともこの島国におる全てのハゥフルは帝国と対立する道を選ぼう」
「その言葉、翻らぬと断言できますか?」
「断言しよう」
「…………そう、それで良いのです。神に歯向かう愚か者どもに、自らの愚行がどれほどの危機を生み出すか分からせてやらなければならないのです。帝国こそが『異端』であり、帝国そのものが『異端』の足掛かりになっていると」
男は言いながら自身の背後に“穴”を生じさせる。
「次に会うときは味方同士でありたいものです。努々、己が発言をお忘れなきよう……ハゥフルの女王陛下たるクニア・コロル様」
“穴”へと男が消え、その“穴”も閉じてその場から完全に消え去る。
息を吐き、肩から力を抜いてクニアが脱力する。
「国のためを思えば帝国を切り捨てよ……か。やってられぬわ」
「ええ、やっていられませんね」
「魔物を兵力として投入する……そのようなことが本当に起こるとは考えにくいが、もしも起こった際には、頼めるか?」
「お任せください」
「『異端審問会』のことじゃ。連合などにも同じように声掛けを行っているじゃろう。王国や連合に制圧されてはならぬ。いいや、制圧されてもよい。ただ一つ……シンギングリンだけは我々の手で制圧しなければならん。どのような国よりも、どのような種族よりも先に」
「シンギングリンを僕たちの手にさえ収めておけば、取り敢えずはアレウスたちは急場を凌げます」
「上手く行くようには思えんがのう。とはいえ、やらなければならんことじゃ」
クニアは再び深い溜め息をつく。
「今のが『信心者』……この世にあらゆる異界の“穴”を起こせる屍霊術師か」
-天空-
「じゃぁどうあっても静観を続けるってことでいいんだね? それが種族の決定だってことでぼくたちの方は考えておくけど、ちょっとでも違えることがあったらどうなるか分かってるよね?」
「なぜ長ではなく私の元に現れ、私の言質を求めるのかは定かではないが、貴様が言っていることが全て事実となるようであればガルダは静観するだけだ」
「だって種族長なんてこの空のありとあらゆるところにいるでしょ? ぼくは一々、空のあらゆるところを巡って言質を取りに行くのは面倒臭いんだよ。それなら現状、ぼくたちが踏み締める大陸の上空を縄張りとしているガルダたちの中で最も実力主義な空の主の、それでいて最有力なガルダに確認を取ることが手際の良い方法だとは思わないかい?」
「……帝国が、そんな愚かなことをするとは考えられないが」
「だよねだよね、ぼくもそう思う。でもこれはもう起こる事実なんだよ。現実になるんだよ。だからさぁ、ぼくに言ったことを忘れないでね。忘れたら……空を全部、ぼくは消しちゃうかもしれないから。それじゃね。いやぁ、空の上に来るのはなかなかに面倒だったけれどやってやれないこともないもんだねぇ」
眼帯、包帯、それでいて狂気に満ちた人物が笑いながらカーネリアンの仕事部屋をあとにする。
「やられました……」
そう呟き、カーネリアンは人物が廊下を歩き去っていく気配をしっかりと認識し、声を誰も盗み聞いていないことを一度部屋の扉を開けて廊下を見て、また閉めて椅子へと腰掛ける。
「最悪の牽制……最低の交渉。『魔眼収集家』が――翼を持たない者が我ら空の縄張りに踏み入ってきてしまった。ただ私たちへ確認を取りに来たわけではなく、『異端審問会』はいつだって空を支配することだって可能だという脅し……このガルダたちの警備すら掻い潜って、私だけに声を掛けてくるとは」
あれほどの実力者を前にしてしまえば、多くのガルダは手も足も出ない。カーネリアンですら相討ちにできるかどうか。とにかく彼女が『魔眼』をどれほど保有しているか、そして彼女自身の『魔眼』が厄介極まりない。
「…………シンギングリンだけは、私たちガルダの手で支配しなければならないかもしれません。そうしなければ……クルタニカ? あなたの命を守ることすら、私はできなくなるかもしれないのですから。報復、とでも言えば『異端審問会』も納得してくださるでしょう。いいえ、納得するように私が交渉するだけ」
-新王国-
「既にドワーフの里とエルフの森に向かった我らが指導者は了承を得ています。それはオルコス・ワナギルカン様からいずれ報告が来ることでしょう。あとは新王国の王女たるクールクース・ワナギルカン様のお言葉を得るだけなのです」
「…………信用なりません」
男にクルスは強気で出る。
「あなた方の仰っていることは仮の話であるはず。なのに既に帝国が魔物を投入する事実が未来として存在しているかのように仰っている。あなた方がそのように差し向けているとすれば、それはれっきとした国への反逆。それに対し私たちが介入すればそれは内政干渉。後々、その事実が帝国との交渉において私たちの立場を悪くすることさえある」
「そんな将来を案じる必要はありません。帝国は滅びます」
「滅ぶ?」
「ええ、少なくとも魔物を投入する国など、この世界にあってはならないでしょう?」
「だからさながら未来を見てきたかのように仰いますが、」
「現実になると先ほどから僕は申していると思いますが」
男の言葉に怒気が混じる。しかしこの怒りの気配をクルスはどこかで同じように、似たように感じたことがある。
「あなたがここで首を横に振るのであれば、王国はすぐにでもこのゼルペスを取りに行きます。国と国が繋がり、一つの大国を攻める。この大事な一戦が将来起こるというのに、足並みを揃えられない国など僕たちは必要としていません」
「帝国と戦っている最中に王国が新王国を取らない理由はありますか?」
「では誓いを立てましょう。帝国を滅ぼすまで、王国は新王国を攻めません。そして帝国を滅ぼした暁には、およそ十年はこの国に王国が干渉することはないと約束します」
「そんな口約束……」
「僕は現女王たるアンナ・ワナギルカンに口利きのできる存在です。多少は言い聞かせるのに時間は掛かりますが、必ずや実現させると誓います。ええ、もしも叶わぬようであれば僕はあなたの前でこの首を掻き切る覚悟があります」
「……そこまで言われて、『いいえ』と答える王は……いないのでしょうね」
クルスは逡巡し、やがて答えを出す。
「分かりました。帝国が魔物を戦場に投入した事実が確認された場合、私たちもまた帝国へ侵攻するために舵を切りましょう」
「苦渋の決断」
「苦渋ではないわ。こんな決断は悩むまでもない」
「そうですか……では、僕はこれにて退散いたします。新王国王女の御言葉をしかと耳に聞き留めましたので。ああ、口約束だからと反故にしてはなりませんよ?」
男はクルスに巻物を見せる。
「これにはここで行った交渉の全ての言葉が記録されています。この『音痕』の巻物が、あとになって使われることがないことを僕は祈るばかりです」
「帝国へ攻める頃合いはいつ頃になりますか?」
「はい?」
「私も愚かではないわ。時期は仰ってもらわないとこちらは準備が整わない。ただでさえ王国との戦いで多くを失ったばかり。だったら足並みを揃えるためにもこちらはそちらの頃合いに向かって物事を進めておかなければならない。突然そのときになって『攻めろ』などと仰られてもこちらはお受けできませんよ?」
「それは確かに。そうですね……迎暖期の二月目頃とでも言っておきましょう」
「あと半月で迎暖期だと言うのに……!」
「なにか問題が? 無いでしょう? それにこれは帝王が愚行を急げば急ぐほどに早まるもの。これで僕たちは長く見積もっていますよ」
それでは、と言って男が謁見の間をあとにする。
「……こういったとき、どうすればいいのか。リッチモンドがいれば、どのようにしたのかしら……」
マーガレットは新兵の訓練中である。そもそも謁見の間に、ありとあらゆる警備を無視して入ってきたあの男の言葉にクルスは逆らうことができなかった。あの男は、ただ一人でクルスだけでなくゼルペスを崩壊させるだけの実力を有しているような、そんな気配すらあった。
「けれど、あの怒りの気配は……帝国の冒険者とよく似ていたような」
『義妹ちゃん!』
「オルコス?」
『やられました。あたしが出ている間にレジーナの元に『異端審問会』が……! 帝国を侵攻する際の約束事を交わされてしまいましたとエレスィが悔しそうに言っていました』
「こちらにも『異端審問会』がやって来ましたよ。既にドワーフたちとの交渉も終えていると」
『じゃぁもう獣人の群れにも声を掛けているかもしれません』
「それだけじゃないわ。連合とも休戦を持ち掛けて、まずは帝国を叩くという話をしているかもしれない。だって連合は二方面との戦いでもうボロボロ。聖都ボルガネムを守るためなら、その提案は受け入れざるを得ないはず」
『連合の聖女を黙らせるには信徒の命を人質に取ればいい。『異端審問会』は自分たちが信仰の集団であるがゆえにその弱点をよく理解していることでしょう』
「……オルコス? ここにはいつ戻れる?」
『あたしの魔法と足なら三日ほどですが……もしかして以前の報告のせいでジッとしていられないとか言いませんよね、義妹ちゃん?』
「その通りです。少し私の代わりにゼルペスの君主になっていてください。それに帝国の『魔物研究』を『異端審問会』は既に把握していた。私はその辺り懐疑的ではあるのですが、現地に行けば分かることもあるはず」
『……ふふっ、よろしいんですか? あたしにゼルペスの王座を明け渡してしまえば、義妹ちゃんが戻ってきたときにはもうその椅子はあたしの物となっているかもしれませんよ?』
「構いません。私は以前にも言ったように、王国が滅び世界に平和が訪れるのであれば自身が王でなくともよいと思っています。それにオルコスは私の覚悟を聞いただけ」
『よくお分かりですね。義兄様よりもずっとずっとあたしのことを見ていらっしゃいます。義兄様の遺体はしっかりと管理なさっていますか?』
「言われた通り、厳重に」
『相手には降霊術を用いる屍霊術師がいる。ただの屍霊術師ならば怖れることもありませんが、その者はドラゴニア・ワナギルカンの魂を呼び覚ましておきながら命を繋ぎ止めていらっしゃいます。その遺体を奪われることがあれば、義兄様が屍霊として甦るという最悪の事態が起こってしまいます』
「何度も聞かされたわ。『異端審問会』の者が出入りしたから、今から私が調べに行く」
『ええ、頼みます』
「それで? エルヴァは死んでいないと思う?」
『あの男が死ぬのは義妹ちゃんの前でだけでしょう?』
「……ええ、そうね。ありがとう、元気が出たわ。それじゃ、帰ってきたときに色々とお願いするから」
オルコスとの『念話』を切ってクルスは大きく背伸びをする。
「さてと。私の想い人は帝国に帰って早々、どんな厄介事に巻き込まれているのやら。事を済ませたのち、『もう五年は会わねぇよ』と囁いたその口を、どのように閉ざしてあげようかしら」
その後、クルスはマクシミリアンの遺体が問題なく保管されていることを確認した。更にはそれが偽物でないか、警備の者のロジックは干渉されていないかなども調べ尽くし、一切に心配がいらないと分かり安堵の息をついた。
「もしものときは王国や連合より先に私たちがシンギングリンを…………そんな国力は、ないけれど……どうにかできないかマーガレットやオルコスとも話しておかないと」




