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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第14章 前編 -国外し-】
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産まれを知る

 テッドの冒険者を狙った犯行から一週間が経った。元奴隷たちは生活の基盤を持たないため、そのほとんどは教会や修道院務めとなったが、一部は街の復興のためにと肉体労働に従事する者もいた。賃金を稼ぎ、元通りではないにせよ新たな生活の糧とする。生きたいという願いをないがしろにすることもできず、アルフレッドは兵士の見張り付きとはなるものの彼らの労働に許可を出した。

 冒険者を狙っていたテッドではあったが、護衛のために連れていた奴隷は冒険者ではなく一般人で、アレウスよりも幼い少年や少女もいた。恐らくだがたとえ調教していたとしても噛み付いてくる可能性のある冒険者の奴隷を傍に置くことはできなかったのだろう。

 孤児院は一気に忙しくなり、清貧での生活を主体としているとはいえ徐々に経済的な面で苦しくなり、アルフレッドに支援を求めた。これに対して彼は表向きでの支払いを避けた。シンギングリンは復興途中であり、街からお金を出したとなれば復興資金を使われたと思われ、結果的に孤児院に対しての当たりが強くなる。だからこそアルフレッドは自身の貯蓄からその多くを工面した。両親や親戚が蓄えていた「使おうにも使えなかったお金の使い道ができた」とニンファンに伝えていたことをリスティから聞いている。

「しかし、『教会の祝福』とは驚きの力だな。どこからどう見ても死ぬ前のアレウリスだ」

「しばらくは自分もこの体を自分の物と認識するのに時間が掛かりました」

「ロジックが馴染むと筋肉や骨格までもが以前と同じようになると聞くが……怖くもある」

「僕もです。それで、僕の元の死体は?」

「アレウリスの死体など手に余ると言われ、速やかに焼いて処理したが」

「酷いことを言いますね」

「俺が言ったんじゃない。ニンファンやギルド関係者が研究を拒否したんだ。シンギングリンを救った英雄の、甦るとはいえ元の死体だ。街の人々や冒険者からの顰蹙(ひんしゅく)を買いたくなかったんだろう」

「それならそれで良いですが」

 アレウスとしても、自分が生きているのに自身の死体と対面するなどとてもではないが出来ない。それはあまりにも非現実的な光景に違いなく、脳が混乱してしまう。だからこそ知らず知らずに火葬されているのなら、それが一番の安心である。竜や淑女の短剣に関わっており、そして『超越者』の死体だ。ギルド関係者が研究のために色々と探れば火事では済まない大きななにかが起こってもおかしくない。

「結局、街長代理に?」

「なりたくてなったんじゃない。俺は今でも彫金細工師を目指している。だが、この街は伯父が愛していた街だ……どういう意味で愛していたかはあんまり考えたくもないが、とにかく俺にとっても特別な街だ。街長がいないまま放置していたら、一体どんな輩が実権を握るか分からない。当面の間、それを防ぐために代理になることにした」

「街長候補が出てくれば、退陣すると?」

「当たり前だ。何度も言うが彫金細工師の修業はまだ終わってないんだ。早く師匠の元で修業を再開したい。でもそれもしばらくはどうにもならないだろうから、今日か明日中にでも師匠の家から俺の道具を運搬してもらって、ここで仕事の合間に彫金細工の練習をする」

「街長室で?」

「なにか悪いか?」

「悪くはないですけど……両立できるんですか?」

「できるかできないかはやってみないと分からない。腕を(なま)らせたくないし、師匠のところには三ヶ月に一回は赴いて作った物を採点してもらう。今からでも頭が痛いが、ニンファンには負けたくない」

 ニンファンはシンギングリンのギルドマスターとなった。しかし、表に出る能力は欠いているため裏方の仕事を務めつつ、表に出るようなことは多くのギルド関係者に頼る形となっている。

 ある意味で、正しい形ではある。あらゆることを一人で担うよりも、苦手なことはそれを得意とする他人に任せる。それだけで負担は軽くなり、肩書きの重圧からも少しずつ解放されていく。

「ニンファンベラさんは周囲の人に助けてもらいつつですけど、アルフレッドさんはそうしないんですか?」

「まずは街長の仕事ってのがどの程度のもんなのかを知ってからだ。知ってから仕事量を配分する。なんにも知らない内にあれやこれやと任せると反感を買うだけじゃなく、自分が抱えておかなきゃならない仕事を振ってしまったがゆえに俺が握らなきゃならない実権を他人が握っている状況になりかねない」

 思慮深い。悪く言ってしまえば疑り深い。アレウスには難しい話は分からないので、もしもそのような立場になってしまえば一気に自身が持っているべきあらゆる権利を奪われてしまうに違いない。

「まぁそんなことは良い。もっぱらの悩みはニンファンだ」

「ニンファンベラさん?」

「俺はあのままでも構わないが、ニンファンを知らない人からしてみればさすがにずっとあのままの喋り方だと相手を苛々させる。だから語尾を伸ばす喋り方は少しずつ矯正していこうという話になった。ここまではいい、ここまでは。彼女もそれを了承してくれた」

「それで?」

「問題はその矯正をさせるのが俺だということだ」

「適任じゃないですか」

「言うと思ったよ。俺だって初日は喜んだよ」

 ああ、喜んだんだという感想しかアレウスは出てこない。

「その次の日に言われたんだよ。街長室でイチャつくのは控えてくださいと」

「イチャついていたんですか?」

「するか」

 手に握っていた羽根ペンを投げられそうになった。

「二人切りなのはマズい。この問題を解決するまで矯正は先送りとなっている。アレウリスの回復も待ちたかったしな」

「なんで僕の?」

「お前が街長室で見張っていればイチャついていない証人になるだろ?」

「なんで僕が?! え、嫌ですけど。今、寒気がしたというか鳥肌が立ちましたけど。なんで僕がそんな間男みたいな」

「間男などという生々しい言葉がお前の口から出てくるとは思わなかった。だが、そうか……確かに俺も同じ立場なら、なにを見させられているんだ? と思ってしまうな」

「街長室で行うから忠告を受けてしまうんです。もっとオープンな場所でならよろしいんじゃないでしょうか。だってやましいことはないのでしょう?」

 そう訊ねるとアルフレッドは視線を逸らした。


 ああ、やましいことも一応はあるのかという感想しかアレウスは出てこない。


「たとえとして一時間を矯正の時間とするならば十分くらいはイチャついていた自覚はあると」

「俺はなんの尋問を受けさせられているんだ?」

「僕もなんであなたにこんな尋問をしなきゃならないんだろうと思っていますよ」

「否定はできない。二人でいるのは楽しいからな」

「それは、まぁ、僕もそうだと思いますけど」

 アベリアと一緒にいる日々は幸福感が強い。辛いことや苦しいこと、悲しいこともあるがそれを上回るほどに毎日のように彼女と会えて言葉を交わし、何気なく笑い合うことができるのは楽しくて仕方がない。

「衆人環視の元で、というのは俺も案として考えておく。でないと代理になって早々に女に惚気ているなどという噂が出てしまうからな」

 実際、惚気ているのではないだろうか。アルフレッドは小難しいことを言っているが表情は柔らかく、たまにフッと笑う。これで惚気ていないと思わない人はいない。


 しかしながら、彼とニンファンの経緯(いきさつ)を知っているといないとでは受け取り方が異なる。会いたくても会えなかったのに十年振りに会えただけでなく、アルフレッドはニンファンが死んだと思っていた。これで喜ぶなという方が無理であり、気持ちが通じ合ったことで惚気るなというのも無理な話だ。


「以前は街長とギルドマスターの関係がそこまでよろしくなかったと聞いているんですが、アルフレッドさんとニンファンベラさんなら安心できます」

「安心はするな。常に俺については疑ってかかれ。心変わりなんて幾らでもある話だ」

 警告にしても気を遣い過ぎではないだろうか。そう思いつつもアレウスは取り敢えず肯いておく。

「さて、ひとまずこの書類も纏まった。では行こうか」

 アルフレッドが紙束をトントンッと机で整えてから平置きし、椅子から立ち上がった。

「待たせてしまってすみません」

「なにを言っている? 待たせたのは俺の方だ」

 死んでしまってニンファンの依頼を完了するまで時間を置いてしまった。そのことについて詫びたのだが、なんとも思っていないらしい。

 街長室を出て、廊下で待たせていたアベリアが駆け寄って来る。

「話は終わった?」

「ああ」

「それじゃニンファンベラさんのところにこれを届けに」

 アベリアが髪留めの入った木箱をアルフレッドに手渡す。

「本当はクルタニカが来るべきだったのに……すぐ立ち直るとは思うけど百合園のことでちょっと凹んでいるみたい」

 そもそもニンファンの依頼を受領したあとにアレウスと共にアルフレッドのいる村へ向かったのはクルタニカである。だが彼女は博徒であるため、預かった金細工までも賭けに出してしまいかねないためアベリアが預かった。その旨の話は聞いている。その後、百合園の依頼を受けてテッド・ミラーに襲われ、現在に至る。


 クルタニカに非は無いのだが、本人はそうは思っていないらしく教会での業務に集中しているらしい。アルフレッドとニンファンベラの件についてもアベリアに任せ、事後報告で済まそうとしている。

 思うところはあるが、伝えたところで彼女は満足しない。だからアレウスはただ待つだけだ。普段から気の利いたことなど言えないのだからこんなときだって言えないに決まっている。そういった意味でも触れたくても触れられない状況ではある。

「アレウリスも随分と背伸びをしたものだな」

「なにがです?」

 アルフレッドの言葉にアレウスは分からないフリをする。アベリアが美人であることに対して、努力をしたんだなという言葉であるとは受け取れるのだが、容姿で好きになったわけではないからだ。

「いや、これは少しイヤミな言い方だった。反省する」

 アレウスの態度から察し、彼はすぐに訂正する。

「この話は俺が愚か者だったということで一つ忘れてくれ」

 喉の調子を整えながらアルフレッドは言う。

「それで、住民登録の写しを見させてもらったが……二人揃って出身不明とはな」

「登録自体は問題なかったはずですけど」

 当時は書類を揃えたり、本人の署名が必要ということで文字を覚えたてのアベリアが書き間違えないかとヒヤヒヤしたこともあった。だが、出身についてなにかを言われることはなかった。

「ここが帝都なら通っていない。帝都以外なら大抵は通るけどな。ただ、出身や出自は知っておいた方がいい。自分の産まれが分からないままなのは後悔する。特に老いてから調べようと思っても体が付いてこない。若い内に調べ、若い内に知り、そして若い内に衝撃の事実を受け止めろ。老いてから知らなくて良かったことを知ると、ショックで一気に弱る」

「体験してきたみたいなことを言うんですね」

「曽祖父がそうだったと親父から聞いている。曽祖父は教会の出でな」

「孤児……だった?」

 アベリアが恐る恐る訊ねる。

「そうだ。そこからのし上がっていったわけだが、子宝にも恵まれ成功も収めたが老いてきてから急に孤独感に苛まれたそうだ。家族を持ち、孫や曾孫が産まれて、ようやく自分の人生が終わりかけになったとき、自分自身に同じように両親がいて祖父がいて、曽祖父がいたはずだと思ってしまった。知りたくなり、調べたくなり、だが、そのときにはもう病床に臥せってどうしようもなくなった。よく嘆きの声が家の中で木霊したと親父は言っていた。声にならない亡者のような声だった、と。それでいて、聞けば聞くほどに寂しくなってたまらなかったとも」

「……肝に銘じておきます」

「銘じておくだけじゃ駄目だ。『異端審問会』と合わせて調べろ。幸い、アレウリスの方は出身は分かったのだろう? あとはアベリア・アナリーゼの出身と出自、そしてお前の出自を見つけ出すだけだ」

「簡単なことのように仰いますけど」

「魔物退治をするよりはよっぽど簡単なことだと俺は思うが違うのか?」

 そう言われてしまえばお手上げである。

「分かりました」


「過去を怖がるな。未来に繋がるために過去を知っておくのは無駄じゃない。俺はそう思うよ、アレウリス。これは街長代理としての言葉じゃなく、一人の友人としてお前たちに言っておきたいことだった」


 勝手に友人にされてしまっていたが、嫌な気持ちはない。アルフレッドは信じられる。人前に出ることを嫌い、裏方でしか仕事をしなかったニンファンが泣き崩れながら抱き付いた相手だ。彼女もアレウスと同じように疑り深く、それでいて人を信じられない性格をしている。それで心を許すのなら、信じても問題ない。

 打算的にそう考えてしまったが純粋に友人と呼ばれたことに照れているだけだと気付いたのは外に出て、ニンファンと落ち合ってからだった。


「これがぁ――これが、ヘイロン様がうぁたしに贈りたかった物?」

 本当にニンファンが語尾を意識して喋っている事実を目の当たりにする。喜びや意外ではなく、むしろ努力で矯正できるものだったのかという驚きの方が強い。

 髪質がかなり柔らかくなっている。栄養が摂れていなさそうな今にも倒れてしまいそうな病人にしか見えなかった顔色にも人間らしい血の巡りを感じる。なにより服装にも気を遣い始めているのか、随分と女性らしくなった。相変わらずのギョロ目ではあるが、これならば修道院で出会っても悲鳴を上げることはなさそうだ。

 アルフレッドが少し戸惑いながらも彼女に木箱を手渡す。指輪を渡す現場に出くわしてしまったかのような気まずさがある。アベリアからではなく彼から渡す形になってしまったせいだ。

「まぁ、ヘイロンはこういう形に持って行きたかったんだろうけど」

 アレウスはボソリと呟く。


 髪留めはアルフレッドが作った物で、これを届ける相手はニンファンだ。ヘイロンはニンファンへと依頼を出し、彼女が彼が修行している村へと赴き、それを彼の手から受け取るようにしたかったに違いない。場所は違うが、依頼通りの形にはなった。


 木箱を開け、高級そうな布に包まれた髪留めが現れる。凝ったものではないし、彫りは粗さも僅かにある。しかしながら、アレウスでも分かるほどの良い品である。少なくとも遠目から見てこの髪留めが安物だと言う人間はいない。アルフレッドがこんなにも丁寧な作業を、それも髪留めとして仕上げていることにただただ驚く。この一つにどれだけの時間を掛けたのだろうか。思いを馳せれば、いつまでも見ていられる。


「綺麗」

 手に取り、眺め、うっとりとニンファンは呟く。

「……正直、ニンファンがまだその髪留めを付けていることに俺は驚いた」

「だってこれはぁ」

「俺が小さい頃に贈った髪留めだろ。子供でも買えるくらいの安物で、大人が身に着けるには不釣り合いなものだ」

 アルフレッドはニンファンの付けていた髪留めを外し、ニンファンの手にある髪留めを彼女に付ける。

「修道院で再会したとき、その髪留めのおかげで雰囲気以外でもすぐに分かった。ただ、その髪留めがお前の生き方を縛ってしまったんじゃないかと……思って仕方がない」

 ニンファンは首を横に振る。

「うぁたしは、ここにいたいからいたんです。うぁなたと、また会えないかと……思い続けていて。うぁなたのせいでは、ありません」

「そうか…………そうか」

 ややアルフレッドが照れている。

「それより、ヘイロンさんが以前に受け取っていた箱は?」

「箱?」

「その髪留めはその箱を開ける鍵として役割もあるから、慎重に加工しろって師匠に言われて、ついでに出来上がるまで毎日ほぼ付きっ切りで作ったものなんだよ。何度ダメ出しを喰らったか……」

「……それではぁ、ギルドへ行きましょう。ヘイロン様の私物はぁ、まだそこにあるのでぇ」

 言いながらニンファンはアルフレッドが取ってしまった髪留めに手を伸ばす。反射的に彼がそれを避ける。

「なんでぇ?」

「いや、もういらないだろ」

「いりますぅ」

「いらないって」

「いるんですぅ」


「もう良いですか?」

 アレウスは二人だけの世界に入りかけているのを察して声を掛ける。

「街長室でこんな感じだったらそりゃ勘違いもされます。気を付けてください」

 見ていてただイチャついているだけにしか見えなかった。

「でも少しぐらいは目を瞑っても良いんじゃない?」

 アベリアの言いたいことも分かるのだが、このままだとひたすら髪留めを取り合う光景を見させられる。

「育めなかった時間を育むのは大事だよ」

 彼女はこの光景をずっと見ていられるのかもしれないのだが、アレウスは耐えられない。当初の目的を忘れて二人してその手の宿に入ってしまわないかと不安にさえ思う。


 つまりは、願い続けてきた再会によって二人の間の熱量が強い。運命付けられた再会とすら思えてくるだろう。というかそうとしか思えないはずだ。そうなってくると周囲のことなどどうでもよく、二人切りでひたすらに愛を分かち合いたいはずだ。熱量がそのまま肌を重ね合わせる熱量に変換される前に止めなければならない。邪魔をしたいわけではなく、目的を果たしてからやることをやってくれという純粋な要求である。


 アルフレッドとニンファンはアレウスのジト目によって自分たちが勝手に盛り上がっていたことに気付き、慌てて離れる。これはこれで面倒臭い仕草である。くっ付いているならくっ付いたままでいい。その意味のない距離感にアレウスは参る。

 指摘する元気もなかったため行く末を見守りつつ、だが目的を思い出してくれたのか二人はギルドへと足を向けた。アレウスたちは二人に付いて行ってギルドに入り、ニンファンの導きでその奥へ進む。


「ここが、ヘイロン様が寝泊まりしていた部屋です」

 部屋とニンファンは言うが、ほとんど倉庫にも近い。それぐらい物が乱雑に散らかっている。あんなにも身綺麗に、小綺麗に、それでいて妖しい艶やかさを持っていたヘイロンがこんな部屋で過ごしていたとは思えない。

「物の片付けの出来ない人だったのでぇ」

 そう付け足される。アレウスは埃を被った部屋の奥にある窓をともかく開く。これで埃まみれになっても換気が成されるはずだ。

「これ全部、魔法の本……? ううん、違う。背表紙はそうだけど……王国の……冒険譚? それもかなり古い」

 アベリアが手に取った本をアレウスも覗き込むが、そこには小難しい魔法の知識が書き込まれているのではなく、極々一般的な幻想の物語が記されている。

「これも……これも、か」

 本を一つ一つ取って開くが、どれも背表紙で偽装してはいるが勇者が魔王を倒す冒険譚ばかりだ。

「そうか。ヘイロンにとってはこれが始まり、なのか」

 ヘイロン・パラサイトではなくヘイロン・カスピアーナとして冒険者を導く存在を目指した理由。それは彼女が王国から逃れながらも決して手放さなかった数冊の冒険譚にある。彼女はきっとこの本に描かれた勇者に憧れ、勇者を目指す者たちを手伝いたいと心から願ったに違いない。そのことがあとになって自分の身を苦しめることになるとしても、胸の中にあった衝動を無視することはできなかったのだ。

「もしかすると、ヘイロンになる前の――ヘイロンのロジックを貼り付けられる前の子供が胸に抱き続けていたものだったのかも」

 たとえクローン研究から生じた存在であったとしても、その者が抱え込んでいた一番大切な感情は消されずに残った。アレウスは奇跡という言葉が嫌いだが、それがこのシンギングリンで名を馳せたヘイロンを作り上げたのだとしたら、まさしく奇跡としか言いようがない。

「ありましたぁ」

 埃を被った箱の中にあった金細工師に依頼して作ってもらった特製の箱をニンファンがアレウスたちに見せる。髪留めが入っていた木箱ぐらいの小箱だ。さほど大きな物が入ってはいないだろう。

 ニンファンが髪留めを外し、その先端を小箱の複雑な形状の鍵穴へと差し込む。ピッタリとハマり、そして少し捻ると鍵の外れた感触があったらしく彼女は髪留めを抜いた。

 小箱を開く。

「これは?」

 アレウスが呟く中、折り畳まれた紙をアルフレッドが手に取り広げる。

「……告解か」

 ヘイロンが書いた物かは分からないが、どうやら数枚に罪の告白が記されているらしい。その内容は読むまでもない。そこにはヘイロン・パラサイトから生じた揺らぎの一人であることが書かれているに違いない。

「あとは」

 最後の一枚をアルフレッドは読み、それからニンファンに渡す。それを読んで彼女はその場にへたり込み、涙ぐむ。

「どんな内容が?」

「『私の娘、ニンファンベラ・カスピアーナ』と」

「え……いや、でも」

 ニンファンベラ・ファラベル。彼女はそう呼ばれていたはずだ。

「もしかして、そうなのか……? そういうこと、なのか……?」

 年齢から考えるならおおよそ二十四、五年前。ニンファンベラは孤児院から修道院で育てられた。その出生は彼女も知らない。知っているのは彼女を孤児院に委ねた張本人であり産みの親となる。

「ニンファンがカスピアーナ姓を名乗ろうとしたのを止められたのは、それがそのまま事実であるから、だったのか」

 アルフレッドもまたアレウスの考えていた答えに至る。

「じゃぁ、ニンファンベラさんはヘイロンの実子ってこと?」

 アベリアの一言でニンファンがすすり泣く。喜びか、それとも悲しみか。恐らくは後者ではあるが、同時に自身の出生を知ることのできた喜びと、なによりも姓を名乗りたいとすら慕っていたヘイロンの娘であること。そういった様々な思いがニンファンの涙には詰まっている。


「ついさっき言ったことをもう一度言わせてもらう。二人とも、どのように産まれたのかは知った方がいい。お前たちが薄ぼんやりと両親との楽しかった記憶を持っているのなら、きっとそこには愛情があったに違いないのだから」

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