絶対の二人
*
「起きて……起きてください」
アイシャの声でアベリアは目覚め、身を起こそうとするが拘束具によって上体のバランスを崩してすぐに横に倒れる。
「ここは……?」
後ろ手に縛られ、正面で両足が縛られている。魔力を肌に満たそうとするが、思うように体内に眠る魔力を流すことができない。
「恐らくは、奴隷商人のアジトでしてよ」
アベリアが今度はゆっくりと上体を起こし、そこから壁を背にしてなんとかバランスを維持しているとクルタニカの声がした。
「こんなことになったのは全てわたくしの責任。あとで幾らでも罵ってくれて構いませんわ。だからひとまずは、この状況を打開することに協力してほしいんでしてよ」
クルタニカもまたアベリアと同じように縛られている。それはアイシャも変わらない。
「責任だなんて思わないで。私はなんにも思ってない。こんなの私がパーティリーダーをしていても予想できないから」
「そう言ってくれると救われましてよ……ですが、本当に不可思議な話でしてよ。どうしてわたくしたちはあのとき、意識を失って倒れてしまったのか。そして、今こうして魔力を操ることができていませんわ」
「詠唱封じじゃなくて魔力封じ」
ニィナの声がしてそちらを向く。彼女の両足は縛られてこそいないが錘の付いた鎖に繋がれている。これはノックスも同じで、二人とも持ち前の足の速さを活かせなくなっている。
「奴隷に魔法陣を描かせている手法をアベリアは連合で見たことがある?」
「うん」
「これはそれに属するものだと思う。しかも詠唱封じよりも上位の魔力封じ。こんなの描かれた奴隷は一週間もしない内に死んでしまうわ」
「小癪な真似をする」
「あたしたちへの拘束も手慣れているし、これは明らかに冒険者を狙った人攫いだよ」
クラリエはアベリアたちと同じ方法で縛られている上に、更にニィナたちのように錘を付けられている。
「魔力と敏捷性。そのどちらも持つクラリエさんが一番危険だからでしょうか」
「だねぇ。技能封じはされていないみたいだけどここまでされるとあたしも拘束を解くのに時間が掛かっちゃう」
「解けるんですか?」
「強がりを言ってみただけ。実際にやろうとしたら半日は掛かる。やらないよりはやった方がいいんだけどねぇ」
言いながらクラリエはモゾモゾと体を動かし、更に拘束されている両手を動かしている節が見えるので拘束を解くために奮戦しているようだ。
「一人じゃ無理でも全員でならなんとかなるかも」
全員、拘束はされているがそれは手首を縛っているもので両手は動く。背中合わせになって互いの両手を縛っている縄を解く。続いて両足。錘の付いた鎖は両手足が自由になったアベリアとアイシャ、クルタニカで力を合わせれば壊すことができるかもしれない。とにかく留まり続けることを考えてはならない。
「リスティさんが私たちの居場所を特定してくれれば」
「考えにくい」
「どうしてですか?」
「連れ去られた場所までは分かるかもだけど、そこから私たちがどこに連れ去られたかまではリスティさんは分からないと思う」
「同感でしてよ。わたくしたちを一ヶ所に放り込んでいるのも、逃げることができないという自信があるんでしてよ。それは恐らく、わたくしたちの意識をいつでも失わせる方法を持っているからに違いありませんわ」
アベリアもそこが不可解だ。クルタニカやクラリエがいて、どうして気配感知や魔力感知に反応しなかったのか。そしてアベリアたちがああも簡単に意識を失うことなど考えにくいのだ。
「多分だけど、これはテッド・ミラーの仕業」
「563番目はあそこで死んだはずなのに、別のテッド・ミラーはまだ平然と生きているってこと? 最低最悪にもほどがあるでしょ」
ニィナが溜め息をつく。
「セレナを攫ったときもそうだけど、テッド・ミラーって奴はどこまでも人を攫うことに特化しているんだな。ワタシはずっとおかしいと思ってたんだよ。セレナがなんであんな簡単に攫われたんだろうって。でも、こうして自分で体験して理解した。要はワタシたちにとっての予想を覆す方法で攫うわけだ」
「団欒の時間を邪魔して悪いけれど」
鉄扉が開き、男が入ってくる。長身でガタイが良く、しかし顔立ちは厳ついわけではなくどちらかと言えば童顔。だからこそその差が無意味に違和感を与えてくる。そんなことはどうでも良いのだ。この男の隙を突いて、どうにかして外に出られないかと考えるが両足の縄はまだ解けていないためどうすることもできない。
「あまり君たちの調教に割く時間はないんだ」
「調教? なにそれ?」
強気にニィナが訊ねる。
「冒険者は強気でいつも反抗的だ。でも、それも一週間もすれば大人しくなる。食事を与えずに弱らせる方法や、仲間を傷付けてその責任をひたすらに呪いのように囁き続けたり、糞尿を垂れ流させて尊厳を破壊するのも常套手段だが、冒険者はなかなかに手強いことを知っているんだぁ」
男はニィナに近付き、片手で彼女の両頬を摘まむようにする。アヒル口になった彼女に不気味な笑みを浮かべる。
「だからまずは口を使えるようにする。調教出来ていなくても稼げるように口だけは扱えるようにする。顎を外しておけば噛むことはできない。そうして口だけで客を取り続けさせれば次第に心が壊れていく。なんなら歯を抜いてもいい。冒険者はどれだけ傷付けても『癒やし』を唱えれば割と簡単に回復する。肉体が異常を正常と認識する時間が普通より長いんだ。だから顎を外しても直せるし、歯を抜いてもまた生える。繰り返し、繰り返し、繰り返す。心が壊れるまで。調教に時間が掛かろうと客が取れるんだから俺たちにとって利益的にもマイナスにならないんだぁ」
ニィナから手を離して、次はクラリエに近付く。
「君たちは上玉だぁ。いつもなら味見をするんだが、変態連中に高額で売り付けることを考えたら今回は出来ないんだ。でもせめて体付きぐらいは把握しておかないとならない。どの変態にどの奴隷をあてがうか。その好みを聞き入れるのも客を取る側の務めだ」
クラリエの衣服に男の手が掛かる。
「テッド・ミラー」
アベリアの声で無理やり剥ぎ取ろうとした男の手が止まる。
「なんだぁ? 俺の名前を知っているんじゃないか。そうだ、俺は745番目のテッド・ミラーだ」
「あなた一人で私たちを攫ったの?」
「……いいやぁ? ああそうか、どうやって俺たちがお前たちを簡単に攫えたのかが知りたいんだなぁ?」
テッド・ミラーは指を鳴らす。すると顔に魔法陣が描かれた女性が入ってくる。
「こいつはヘイロン・パラサイトの壊れた方。本物は死んじまってるが、実験に使われた奴はまだ沢山いる」
アベリアたちの知るヘイロンとは似ていない。そして顔に意思は感じられず、瞳にも光は宿っていない。
「こいつの命は信じられないほどに長く、果てしなく尽きることがない。だからちょっと無茶苦茶な魔法陣を描いても、こうしてずっと生き続ける。魔力封じ、そして認識阻害の魔法陣も描いているんだぁ。そして、そしてそしてそして」
男は再び指を鳴らす。
外でけたたましい雄鶏の鳴き声が響く。
「こいつはコカトリスを掌握している」
「じゃぁなに? 私たちはあんたたちが飼い慣らしていたコカトリスに追いかけられて、あんたたちの狙った通りに百合園から飛び出したってわけ?」
クラリエから離れさせるためかニィナは再び攻撃的な口調を見せる。
「簡単だろぉ? 今までこれで失敗したことはないんだぁ! 君たちみたいな上玉を見つけられたのも運が良い! 俺たちは君たちで荒稼ぎをして、また違うところで咲く百合園を探す。コカトリスは百合園の草花を食べているから、どんなに遠くでも探してくれる」
「ゲス野郎」
ニィナはやはり攻撃的な姿勢を崩さない。
「それ以上、俺を挑発しないことだ。そうでないと君を真っ先に心折れるまで調教することになる」
アイシャがなにか言いたげだが、恐怖からか言葉を発することができていない。報告でしか聞いていないが、彼女は女性冒険者がいたぶられる光景をガルダとの戦い見てしまっている。アベリアのようにトラウマから克服できているわけでもない。この状況は再びそれを彷彿とさせる。
だから彼女は発したかった言葉より先に悲鳴を上げる。アベリアが縛られた両足を尻を使って彼女の傍に行き、くっ付いて恐怖を軽減させる。
「あたしたちを攫って調教して、奴隷娼婦にしようっていう意気込みは分かったんだけどさぁ。そんなことが本当に出来ると思っているの?」
「ワタシは従いたいと思う男にしか従わねぇぞ? それに、獣人のワタシの顎が簡単に外せると思うな」
「まぁそれは攫った連中はみんな言う。けれど、コカトリスを前にすると段々とその元気も失せていく。俺は口を使えるようにするまでひたすらに君たちに恐怖を与え続ける。コカトリスによる石化、そして猛毒。それを交互に交互に交互に交互に、繰り返す。肉体が固まる恐怖、猛毒が命を奪う恐怖。それらを重ねて浴び続けた連中は最終的にそれらの恐怖から逃れるためになんでもするようになる」
「へぇ、でもコカトリスやヘイロンがいてもわたくしたちの意識を失わせる方法がまだ分かりませんわ。どうしてあんなに簡単にわたくしたちは倒れてしまったんでして?」
これはクルタニカによる情報の収集だ。ヘイロンとコカトリス以外の、目の前にいるテッド・ミラーがどのように脅威であるかを正しく知ろうとしている。
「君たちは百合園から出た時点でヘイロンの魔法陣に入っていることに気付けなかった。あとは簡単だよ」
瓶をアベリアたちの前に置く。
「睡眠を誘引させる液体だ。封を開けば気化する。君たちは知らず知らずそれを嗅いで眠った。無味無臭のこの気体に気付ける奴はいない」
「つまり、わたくしたちがここから出ようとすれば同じようにその瓶を開けば」
「そう、みんな眠りに就く。ちなみにこの液体はここにある瓶だけじゃない。幾らでも、幾らでもある。そしてこれは毒ではないからそこのダークエルフにも効く。他より目覚めるのが早いからすぐに身動きが取れないようにしてもらった。逃げられないよ、君たちは。いいや、逃がさない。俺たちの商売道具に成り下がるだけだぁ。さぁ、そろそろ体を見せてもらおうか」
「あんたみたいなゲスな男に見せる体があると思ってんの?」
それを聞いてテッドはニィナへと向き直る。
「安い挑発だなぁ。それで仲間を守ろうとしているのか? まぁでも、そういう女は裸になった瞬間に急に弱気になる。服を着ている仲間たちに全身を眺められることを醜態であると思い、恥ずかしくなって物静かになるんだ」
「パーティリーダーはわたくしでしてよ。責任はわたくしにありますわ。脱がすならわたくしからにしてください」
「そうしたいの山々だが、君は裸になることに一種の慣れを感じる」
見抜かれている。とはいえクルタニカだってこんな男の前では脱ぎたくないだろう。それでもニィナよりも先に衣服を脱がされる方が自分自身の精神が耐えられると踏んだのだ。
「だからまずはこの口の悪いヒューマンからだ」
「もう……駄目、です」
アイシャが呟く。
「大丈夫」
「なにが大丈夫なんですか?」
「大丈夫だから」
「……あなたはどうして、そんなにも強いんですか?」
「アレウスがいるから」
「でも、でも、アレウスさんは」
「大丈夫」
アベリアは繰り返す。
男がニィナの衣服を力で引き裂こうと手を掛ける。
「絶対に、大丈夫だから」
「いや、イヤ!!」
ヘイロンが突如、声を上げて男の手が止まる。
「どうした?」
「奪われる……! 私の生命力が……! 私の、力が……!」
叫びながらうずくまり、身を守るように体を丸めて動かなくなる。
瞬間、天井が粉砕される。男はニィナから離れて瓦礫の下敷きになるのを避け、なにがあったのかと空いた天井を見やる。そこから音もなく室内に着地した人物は手に握っている短剣をノックスへと投げる。投げられた短剣に対してノックスは翻り、自身の両手を縛っている縄へ当てて切った。そしてその短剣で鎖を断ち切り、人物へと投げ返す。
「…………さて、と。みんなの拘束はノックスに解いてもらうとして」
人物は投げ返された短剣を受け取り、首を回してからテッドを見る。
「今、僕はとてもムシャクシャしている。物凄く腹が立っている。表面上、そうは見えないかもしれないけれど心の底から怒りの感情が湧いて出ている。そこで一つ取引をしないか? テッド・ミラー」
「アレウス!」
顔を背けていたアイシャはアベリアの声に驚き、顔を上げた。さすがの彼女も突如の登場に面喰らっている。
「取引だぁ?」
「このまま見逃してやるから、人攫いは無かったこととして僕の前からいなくなれ」
テッドが笑う。その間にアベリアへとアレウスは近寄り、彼女の手に触れて貸し与えられた力を僅かに充填する。その干渉によってアベリアの両手を縛っていた縄も燃えて焼き切れた。
「そんな取引を受けるわけがないだろぉ!」
「残念だ」
男が殴りかかってきたところをアレウスは一瞬で回り込み、男の首筋に短剣を当てる。
「で、ここからどうやって起死回生の一手を打つ?」
「ヘ……ヘイロン!!」
「残念、彼女は頼れない」
アレウスの傍にリゾラが現れ、ゆっくりとヘイロンに近寄る。
「そうだとしても!」
だが、二人を踏み潰す勢いでコカトリスが鉄扉どころか部屋の壁一面を破壊して侵入してくる。
「一時的な中継地点だとしても、結構頑丈に作っていたのにこんなことで壊すんだな」
「コカトリス! こいつを!」
「掌握していたのはヘイロンであってあなたじゃないし、多分だけどヘイロンはあなたの命令には従えないわ」
声がした方をアベリアが見るとドサッと女性が倒れる。
「もう死んだから。このヘイロンは、悪いことに手を染めさせられていた。心の無い人形……殺すしかなかった。御免なさい」
「リゾラ!」
「御免ね、アベリア? あなたたちが攫われるところを見ていたんだけど、どうしても手が出せなかった。ここにいる私は幻影で幻像で魔力の残滓でしかないから。でも、これだけは信じて? もし私自身があの場にいたら、決してあなたたちを攫わせはしなかった」
アベリアは肯く。
「どうして……! ヘイロンの魔力封じは働いていたはず!」
「ええ、正しく働いていた。働いていたから、逆になった。私に干渉した力は反転してその本質である彼女の生命力を一気に奪った。だから、ここにいる全員には効果があったかもしれないけど私にだけは効果は無かったってこと」
「だ、だが! ヘイロンを殺したって無駄だぁ! コカトリスは言うことを利かなくなっただけ! 君たちはみんな、コカトリスに喰われるんだぁ!」
「喰われる? どうやって? 面白いことを言うわね。もう魔力封じも認識阻害もなくなって、もし他にあったとしても私はそれらの干渉を受けない」
リゾラの幻影がコカトリスの正面に立つ。
「ふ、ふふふ! どんな戯言を口にしてもコカトリスの前では無力さ」
「毒を撒き散らして、石化の眼光。乗り込む前に『耐毒』の魔法で全員を包んで正解だった。でも、こんな補助魔法に魔力を使い果たすのはとても面倒臭い」
石化の眼光も尾の蛇の毒の牙も物ともせず、むしろ噛み付いた尾の蛇を彼女の幻影は自身の魔力として取り込む。その脅威にコカトリスは尾を千切って彼女から離れた。
「あなたはいらない。周囲一帯に毒を撒くのは二次被害が大きすぎる。以前の私なら欲したと思うけど」
リゾラが両手を向き合わせて、魔力をその中心に集約させる。
「貴重な瞬間でしてよ、アベリア。あれがわたくしたちとは対極にいる者の力。魔力を嫌い、魔法を苦しみながら使う者の極致。目に焼き付けるんですわ」
クルタニカが囁くまでもなくアベリアはリゾラの強烈な魔力の輝きに目だけでなく脳が焼かれるほどの眩しさを感じる。
「“デモリション”」
集約させた魔力を片手に乗せたままコカトリスに優しく触れる。魔の雄鶏は全身がひび割れ、瞬く間に体から魔力を吐き出しながらその場に崩れ落ちた。
リゾラはコカトリスを倒すために魔力を振るうのではなく、魔力を与えることで自壊へと導いた。それも急速に魔力を吸収させることで暴れさせることさえさせなかったのだ。
「私に魔物を差し向けるのは間違い。563番目のテッド・ミラーもさすがにそんなことはしなかった。大抵は掌握するし、大抵はこうやって始末できるから。745番目には私というテッドを殺す存在への対策が行き届いていないみたい」
「教えろ、テッド・ミラー。お前たちを百合園に差し向けたのはどこのどいつだ?」
形勢逆転を果たし、アレウスは短剣をテッドの首筋に当てたまま尋問に入る。
「答えられない」
「なるほど、差し向けた奴がいるんだな。ただ百合園で女性冒険者を狙った犯行に、意味を持たせた連中がいる。そうだろ?」
「く、貴様!」
「あとはお前のロジックに聞きたいところだが、テッドのロジックは開いたところでほとんど意味がない」
「ええ、だって開けるのはテッドのロジックじゃなくてテッドになってしまった人物のロジックだから」
リゾラがアレウスに同意する。
ノックスがアベリアの両足の縄を切り裂く。そしてアイシャの拘束も全て解いた。アベリアが立ち上がったときには全員の拘束は完全に解けており、ヘイロンが死んだことで魔力も全身に行き渡る。
「『異端審問会』なんじゃないのか?」
「は……それは、どうだろうなぁ」
男は足元にある瓶を踏み付け、割る。
「みんな眠ってしまえ! 俺だけがこの気体に耐性を持つんだ!」
「私は『耐毒』の魔法を面倒臭いとは言ったけどまだ解いていないわよ? ああ、これは『耐毒』でもあって『耐睡』の効果もあるけど。だって全員を眠らせる液体を幾らで持っているって、アレウスが突入する前に楽しそうに話していたじゃない。それで対策を取らないわけ、ないでしょう?」
「く……クソ! 奴隷共! なにをしている!? 敵襲だ!!」
「そういえば、この奴隷商人の中継地点は櫓やら警備やらが物凄く厳重だったな」
「そうだ、だから俺の声を聞いた奴隷たちがすぐにでもお前たちを殺しに来る!」
「……なぁ、テッド・ミラー? 僕は僕の女を攫われたことで非常に腹を立てているけれど、なんにも考えずに斥候や櫓の偵察係を無視してここの天井をぶち破って入ると思うか?」
テッドの号令が掛かってから一分は経つが、奴隷たちは一向に現れない。
「全員、気絶させているよ。一人残らず、念入りに。三十分も掛からなかった。やっぱり警備を強めても奴隷商は目立てない。要は人数を多くしてしまうとそれだけ目立ってしまうから、陰に潜むためには最低限の人員になる。それこそ僕一人でもどうとでもできるくらいの数に」
そこまで聞いて観念したようにテッドはアレウスの拘束に対しての抵抗を弱めた。
「正直、今回は僕自身の手でお前を殺してやりたいと思っている。それぐらい腹が立っている。拷問にすら掛けたいと考えるほど、頭がまともじゃなくなってしまっている。みんなが無事だったから良かったけど、一人でも辱めを受けていたのなら、こうして話すことすらせずに首を刎ね飛ばしていた」
アレウスの湧き立つ強烈な怒りの感情をアベリアはそれこそ久方振りに見る。立場、生き方、考え方や正義感、それらから来る行き違いやいざこざに対する苛立ちや怒りよりも遥かに強い。
仲間の命が脅かされたこと。そしてなにより、女性を狙った犯行であることがアレウスは許せないに違いない。
だからアレウスに「やめて」と言っても、もう一度テッドがなにかしらの行動を起こすようなら彼は迷わずその首を切り裂くに違いない。
「甘いんだよなぁ」
そうテッドが呟いた直後、弱めていた力を急に強めて拘束を無理やり解くと彼の腰に差されていた短剣を手に取って離れる。
アベリアは項垂れる。あのまま無抵抗であったならアレウスが殺すこともなかったのに、と。
「そういう甘い連中はこうやって逆襲されてきたんだ」
「すぐにそれを手放せ」
だがアベリアの想像とは裏腹にアレウスは冷静に、そして諭すようにテッドへと言葉を向けていた。問答無用で殺しに行くのではなくむしろ短剣を握る男の身を案じている。
「なんだぁ? ビビってんのかぁ?」
「その短剣は僕以外が――僕が認めている相手以外が握るとなにをするか分からない」
「なんだその子供が描いたお話は! 俺を馬鹿にしてんのか!?」
「早く手放せ」
「うるせぇんだよ!」
そう言って男は短剣を振りかぶる――はずだった腕の肘から先は彼の体から焼け落ちていた。
「ひ、ひぃっ!? 俺の腕が!」
テッドは尻餅をつき、アレウスに懇願するような視線を向ける。
「すぐに手放していれば、そいつの怒りに触れることもなかったのに」
肘に残る炎が男の肩にまで昇り、激しく燃え盛る。
「はぁ……まったく」
そう言ってリゾラが男の体を焼く炎を片手で払う。
「このまま見殺しにはしたくなかったんでしょ? でも殺さないといけないことも分かっている……良いわよ、その汚れた部分は私が担う」
リゾラはアベリアを見る。
「あなたたちには、人殺しなんて似合わないから」
男が落とした短剣を拾い上げ、彼女はアレウスへと手渡す。
「……なんともないのか?」
「ん? ああ、ちょっとだけ私に干渉しようとしてきたけど大したことないわ。だって私への干渉は全て逆転するから。そうなるとこの短剣に全てが返るわけだから、諦めたんでしょ。それより、こんなものはすぐに取られないように意識して持っておくことね」
忠告を受け、アレウスは静かに肯きながら短剣を鞘に納めた。
「あなたの怒りは治まった? まぁ多分だけど治まっていないんでしょうけど、あとは私の好きにさせてもらうわ。相応に尋問もしてみるけれど、大したことは聞き出せないと思うから期待はしないで。あと、絶対にこいつは生かして帰すこともないから」
アレウスが拘束を解くとテッドはリゾラの幻影が起こした渦へと飲み込まれる。
「ああでも、またなにかあったら頼るだけ頼ってみて。私の復讐を手伝ってくれた分だけは話を聞こうとは思っているから。まぁ、手伝うかどうかは話を聞いてから私が決めるんだけど。そういう都合の良い女の方が私も気が楽。まぁ、都合が良いのは私なのかそれともあなたたちなのかは自分で考えておいて」
それだけ言い残し、リゾラの幻影もその場から消えた。
「え、嘘、本当に? 本当の本当の本当に、アレウス君? 目、覚めたの?」
「調子は不調だけど取り敢えずは」
そう答えるアレウスに物凄い勢いで抱き付きかけるクラリエだったが、その衝動を必死に抑え込む。
「最初はアベリアちゃんじゃないと」
そう言われ、アベリアも込み上げてきたものがあって、アレウスへと思い切り抱き付いた。
「良かった」
アレウスがアベリアを強く強く抱き締める。
「それはこっちの台詞」
アベリアはそう言い返し、僅かに涙ぐんだ自身の顔を彼の胸へと擦り付け、その心音に安堵する。
「今回の件はわたくしの認識不足です。アベリアたちを決して叱らないでください。ギルドでのペナルティはわたくしが受けますから」
「依頼をすっぽかしたり悪行を働いたわけでもないのにペナルティは出ない。それにテッドの介入はリスティにとっても想定外。あとはみんなが無事に帰ればクルタニカの責任は果たされる。それとも、ここにいるみんながクルタニカのせいだと糾弾すると思うか?」
そう答えたアレウスに彼女は一粒の涙を浮かべ、しかしバレないように自身の指でそれを拭って、「なら大丈夫ですわ」と虚勢を張った。
「それで百合園の花は?」
「ここにはないよ。多分だけどあたしたちの武器や鞄をどこかに集めているからそれを見つけなくちゃ。そこに多分ある。あの花自体も高価な物だとあいつは分かっているはずだから雑に扱っていないだろうし、まだ枯れていないはず」
「ワタシたちで探しに行く」
クラリエとノックスが急いで外へと出る。
「にしても……魔力封じやら認識阻害やら……あとは技能封じとか詠唱封じ? 魔法陣はどれもこれも私たちにとって不利なものばかりじゃない?」
ニィナがまだ緊張が解けていないのか声をやや震えさせながらボヤく。
「元は神官が最初に開発したものなんです。本来の用途は防衛、防犯のため。だから帝都の城や王都の城では冒険者も無力化される。そうやって城主や王様の身を守ってきたんです。でも、これらは門外不出でした……『異端審問会』が、現れるまでは」
アイシャは悔しそうに呟く。
「悪行に身を染めた彼らの手で、正しく使えば正しく人々のためになる魔法陣が悪行に使われる。こんなことは、あってはならないはずなんです」
「そうだな」
同意したアレウスへとアイシャは視線を向けたが、すぐに逸らす。
「あなたに同意されても嬉しくありません!」
「相変わらずで安心する」
アレウスはそう言って彼女との会話を切ってしまったが、アベリアはアイシャの声音にどこか柔らかさがあったように感じた。百合園に挑む前に聞いた刺々しい言葉と比べると雲泥の差であった。
「……この事柄は私たちの手で解決しなければならないことでした。あなたにとっては面倒なことで、無関係なことのはずでした。なのに私たちのためにその手を血に染めるような……そんな覚悟があるのは一体どうしてですか?」
「無関係ではないし、面倒なことであるのは確かだけど僕は大切な人を守るためならこの手が血に染まったって構わないと思っているよ。だってそうしなきゃ、守れないんだから。最後に頼るのが暴力であるのは正しいことではないのかもしれないけど、僕にはそれ以外に頼る力がないんだ」
「そう…………ですか。すみません、変なことを聞いてしまいました」
「いつも変なことを聞かれている気がするから慣れているよ」
「なんですかそれ!? 私がいつも変なことを言っているみたいなこと言わないでください!」
態度を改めようと試みていたアイシャだったが、すぐにそれらは考え直したらしい。
その後、奴隷たちは一時的にシンギングリンで預かることとなった。ただし、テッドを心酔していた奴隷はその限りではなく、街に駐在している兵士によって然るべき対処が成された。




