息も絶え絶え
コカトリスは百合園一帯に毒を撒き散らしている。アイシャの魔法で保護してもらえていなければ毒に冒されて倒れていたに違いない。
「ワタシにも縄張りの範囲は分かんねぇぞ。動物は糞尿で印を付けるが、魔物は老廃物を排出しないからな」
「でも魔力の残滓はあるんじゃない? それを読み解けばもしかしたら」
「百合園が魔物だから、全体的に魔力の残滓が沢山あって判別できないよ」
魔力の残滓を辿ればコカトリスの範囲が分かる。それはここが百合園でなければ可能だった話だ。百合園が魔物であり、魔物が魔力によって構成されている生命体である以上は、それぞれの魔力が混ざり合っていて魔力の残滓だけでは見分けが付かない。もっと魔力感知の技能が高くなければ難しい。
密林を慎重に進む。足元は覚束ないので、アイシャの手を変わらず引きつつノックスとクラリエが通ったところを同じように通る。獣道もなにもあったものではないので所々の草木で露出している肌を切ってしまうが、多少は仕方がない。こんなことで一々、回復魔法を唱えるわけにもいかないので我慢する。
「エルフほどの適性がないと難しいですわ。アニマートなら出来ていたかもしれませんが」
「アニマートさんってルーファスさんよりも有名なの?」
「交渉の上手さはルーファスですが、稀代の冒険者と呼ばれるのは間違いなくアニマートでしてよ。彼女の詠唱は一度で六度起こる。重複詠唱や多重詠唱とも呼ばれていましたが、彼女以外に習得者はいないんでしてよ」
「それってつまり、魔法の基礎の『収束』を極めていたってこと?」
「恐らくは。魔力の残滓を再利用していなければあんなことは不可能でしてよ。とはいえ、ただの収束であればわたくしもできますが、それを六回はもはや人智を越えていたんでしてよ」
居場所さえわかれば教わることもできるのに。アベリアはそう思いながら唇を噛み締める。そんな中でアイシャが杖を強く握り直す。
「あの、アニマートさんは……」
言いかけて、アイシャは黙ってしまう。
「……なんでも、ありません」
そして首を横に振って発言することをやめた。その一連の言動にはなにかしら言いたいことがあっても言えない事情があるようにも受け取れたが、追及する余裕はない。依頼を終わらせてから話を聞くべきだ。そもそもアレウスはニィナとは相応に話を出来ているが、まだアイシャから『異端審問会』について深くは聞き出せていない。たとえニィナと同じように彼らの手によってロジックを書き換えられていたとしても、なにかしら分かる新事実があるかもしれない。
「縄張りの範囲がどこまでかは分かんないけどコカトリスの居場所は気配で十分に感知できるよ。あんなに巨大な気配に気付けないわけがないからねぇ」
「ああ、ワタシも奴の気配は相対したときに完全に覚えた。鼻は相変わらず駄目だが」
「それは私の魔法のせいです。毒から身を守らせる以上は鼻呼吸と口呼吸にも制限が掛かります。私が魔法を解くまでは皆さんは自分自身の嗅覚と味覚を信頼しないでください」
耐毒の魔法には極端なリスクはない。それぐらい研究の進んでいる魔法ではあるが、過剰に詠唱者と対象を保護するために起こる弊害もある。
「ヴァルゴの異界で経験済みだ」
「私もよ。気配を探れて、視覚に異常が出ないならありがたいわ」
「同時にアイシャのおかげで花の香りで幻覚を見ることもなくなりましてよ。ただ、アイシャの魔力量を想定して動かないとなりませんが」
魔力は無限ではなく有限である。アイシャには耐毒の魔法を維持してもらい、なるべく他の魔法を唱えてもらわないようにする。それで節約はできる。
「耐毒にだけ絞ればどれくらい?」
「一時間」
「凄い」
「全然、全然です。魔力量が多い方なら三時間は平然と」
「基準がおかしいんでしてよ。アイシャは一時間も維持できるんですから魔力の出力を絞るのが上手いはずですわ。三時間って誰基準なんでして?」
「アニマートさん……」
それは基準が高すぎるとアベリアでさえ思う。
「ん? 意外と耐毒の魔法って難しいのか?」
「詠唱自体は難しいわけじゃないけど出力を絞れるかどうかかな。私とクルタニカはほとんど放出し続けちゃって出力を絞れないから補助魔法に無駄に魔力を使っちゃうの」
「あたしにはありがたいことだけどねぇ」
「個人に合わせて出力を絞り、最低限の魔力で維持する。これだけでアイシャよりも魔力量を保持していても、維持の面ではアイシャが上回ることだってある」
「んじゃ、普通にすげぇことだろ。なにをそんな自信なさそうに言ってんだ」
ノックスはアイシャに言いながら足元のぬかるみに対して即座に飛び退いた。
「このぬかるみは駄目だ。ワタシの勘になるが、腰まで沈む」
「でもこのぬかるみの先に赤い百合が見えるけど」
ニィナが指差した先をアベリアは見つめるが、全く見えない。
「ぬかるみの範囲は思ったより広いねぇ。あたしが飛び越えて取ってきたいところだけど、あたしにも見えていないんだよねぇ」
そしてたった一人で向かった先がコカトリスの縄張りなら、あの巨大な雄鶏は狂ったようにやって来るだろう。
「ならここから地面に向けて二、三本くらい矢を突き立てるわ。で、赤い百合の傍にも矢を突き立てる。それを辿ればいいんじゃない?」
「名案ですわ。でも」
「うん、“軽やか、一個分”」
クラリエにアベリアが重量軽減の魔法を掛ける。
「百合の花を採取する前にコカトリスが来るようでしたら採取するより命を優先するんでしてよ」
「りょーかい」
「わたくしとアベリアは攻撃魔法の用意を。火属性は駄目でしてよ?」
「分かってる」
補助寄りの動きだけに努めるのは不可能だ。いや、この場合は攻撃魔法が逆に補助魔法と同様の働きをする。もしもコカトリスが来るのなら、結果的にクラリエへの注意を逸らし守ることに繋がるのだから。
「ヤバいと思ったら呼べ。ここを跳躍できるのはワタシだけだ。ここじゃ木々に遮られてお前も飛べないだろ?」
ノックスはクルタニカに確認を求め、彼女が肯くのを見る。
「エルフの書庫でやったときと同じだ。出来ないことはせずに出来る奴がやる」
「あなたがそんなことを言うのなら、やっぱりアレウス君のパーティ分けは最適だったのかもしれないねぇ」
クラリエがニィナに視線を送り、矢が一本二本、三本四本と射掛けられていく。彼女の作り上げた目印は直線的で最短距離であることが分かる。クラリエはぬかるみを一回の跳躍で越えて着地してまず周囲を警戒してから気配を消して景色に溶け込んだ。果たして赤い百合の傍はコカトリスの縄張りなのか。そしてあの魔物に彼女の――アベリアたちが知る上で『影踏』の次に気配消しの技能が高い彼女を捕捉できるのかどうか。これはクラリエにとっても実験である。もしもこれが通用するのなら、残り三色の採取も彼女に任せてしまって構わない。
「採取できているかどうかはニィナにしか分かりませんわ」
「うん、ずっと見ているから」
赤い百合を目視できているのが彼女しかいない以上、それを採取したかどうかが分かるのも彼女だけだ。
「……無くなった。クラリエが採取したんだと思う」
そう呟いた数分後に気配消しを解いてクラリエがアベリアたちの前に戻ってくる。
「これで間違いない?」
手元には赤い百合がある。クルタニカが花びらに触れ、香りなどを調べて肯く。
「依頼の一つ目でしてよ。あとは白と黄、青だけでしてよ」
地鳴りがする。そして雄鶏の鳴き声も響く。
「凄く嫌な予感がするんだけど」
「言ってないで走れ! こっちだ。こっちまではぬかるみは広がっていない」
呟くクラリエの背中をノックスが叩く。この密林を全速力で走るのは難しく、アベリアはアイシャの手を引いているために余計に時間が掛かる。
後方の木々を薙ぎ倒しながらコカトリスが凄まじい勢いでアベリアたちの背後に迫る。
「これ絶対にあたしが赤い百合を取ったからだよねぇ!?」
「物凄く最悪なことを言うけど、縄張りがあると言うよりコカトリスは百合の花を取られたことに怒っているんじゃ?」
コカトリスは最後方を奔るアベリアとアイシャに追い付き、追い越してクラリエに向かっている。だからこそアベリアは気付きを全員に共有する。
「だから、マーナガルムと遭遇したあの場所にも百合の花があるんだと思う」
「コカトリスは取られたくないから現れたんですか?」
「そう」
アイシャの問い掛けに一言で応える。
「困ったな。これ、あたしが気配を消しても百合の花の魔力を追い掛けてくるだろうし、もしそうじゃなかったらみんなの方を追っちゃう」
クラリエはコカトリスの嘴をギリギリで避け、木々の上を行き来しながら凌いではいるが雄鶏は全ての木々を薙ぎ倒さんばかりに暴れに暴れているため、いずれは彼女の逃げ場所が地上になってしまう。そうなると跳躍ではコカトリスの疾走に追い付かれ、ただ逃げ回るだけではぬかるみに足を取られかねない。
「“軽やか、一個分”」
再びクラリエに重量軽減の魔法を掛け、そのおかげか彼女は寸前でコカトリスの一撃を跳躍してかわす。
「良いことを思い付いたんでしてよ」
「これっぽっちも良いことじゃない気がする!」
クルタニカと一緒にいるニィナが嫌な予感に身を震えさせる。
「このままコカトリスに追われながら残りの百合の花を採取してしまうんでしてよ」
「ほらやっぱり! ちっとも良いことじゃない!」
嘆き、そして叫ぶ。
「ノックスちゃん!」
クルタニカが赤い百合をノックスへと投げて寄越す。
「こっちだ、デカニワトリ!!」
赤い百合が保有する魔力を感知し、コカトリスはクルタニカからノックスへと狙いを変えて走る。
「あたしとノックスちゃんでコカトリスは攪乱し続けるから!」
「できるだけ早く百合の花を採取してくれ!!」
「“軽やかに進め”」
クルタニカの重量軽減の魔法がノックスへと唱えられる。
「わたくしとアベリア、アイシャは詠唱した魔法を維持したまま探すんでしてよ。唱えた対象が遠くなればなるほど出力を強めなければなりませんから、一瞬も気を抜いてはなりませんわ」
これはアイシャにではなくアベリアに向けて言っている。
「あなたとわたくしの膨大な魔力を垂れ流したらコカトリスは赤い百合より先にこっちを優先してきますわ。限界ギリギリの最低限の出力を維持して、決してクラリエたちへの掛けられている魔法の効果を切らしてはなりませんわ!」
「私はさっきのマーナガルムがいたところに百合の花がないか探してくるわ」
言うが早いかニィナは行動に移して来た道を引き返して草むらの中へと消える。
「二色……白か青か黄色!」
ニィナが三色の内の一色の百合を採取してくると信じるのなら、あとは二色。しかし、あの場所に生えていたかもしれない百合の花は何色かは不明なため、この鬱蒼と生い茂る密林の中――それも色とりどりの花が咲き誇る中から白、青、黄色の百合を見つけ出さなければならない。百合園自体が魔力を発しているため魔力感知は頼れない。頼りになるのは自身の視力。視認性が最悪な状況で、急かされている状態で的確に見つけ出さなければならない。
「焦るな……落ち着いて、落ち着いて」
クルタニカに先導されながら走りつつ、アベリアは自身に言い聞かせる。しかし唱えた魔法への出力を気にしつつ、更には走り、そして集中して辺りを探さなければならない。これほどに無茶苦茶な状況では思考が全く働かない。どれかに意識を向ければどれかが疎かになる。しかしどれも疎かにしてはならない。優先順位を付けるならばクラリエへの魔法を切らさないこと。
「アイシャはどうやって魔力を絞っているの?」
「感覚です。人の教えられるほどのコツを私自身が分かっていないので……すみません」
謝られることではない。この出力、絞るという感覚自体は『原初の劫火』を得る前は意識してアベリアも出来ていたことだ。それが『継承者』になってから不鮮明になり始め、今に至る。
大きな力を得たせいで、魔法の基礎が半端なことになってしまっている。これが自身に起こっている歪みだ。
「と言うかこれ、前衛と後衛が分断されたとも考えられるわけでぇっ!?」
アベリアが手を引くアイシャにマーナガルムが迫る。
「もうそんなことを言っている場合じゃないんでしてよ」
前を走っていたクルタニカが踵を返し、マーナガルムの首を杖で叩き折る。それでも蠢く魔物に杖の先端を突き立て、魔力を送り込んで内部から自壊させる。
「わたくしたちは全力で全速力で百合の花を回収する。陣形や隊列なんてゴチャゴチャ言っていたら、それこそ死にましてよ!」
せめてコカトリスではなくバジリスクであったなら。クラリエとクルタニカはそちらの魔物への知識は持っており、対策もきっと練っていた。このようにパーティを分けて大急ぎで百合の花を捜索するような事態にも陥っていなかっただろう。
時間との勝負であり、集中を切らせばもはや百合の花さえ見つけられない。そうなれば囮をしているクラリエとノックスがいずれは体力を使い果たしてコカトリスの餌食になってしまう。
ただ走る。ひた走る。三人の視線は一度も交わらず、密林の中の百合の花を見つけることだけに使われる。
「あれは!?」
アベリアが指差した花に二人が目を向ける。肯定も否定も示さずにもはや確定したかのように三人は走り、花を間近で見る。
「黄色の百合でしてよ。よく見つけましたわ」
「ここだけ魔力が濃かったから」
だが、その理由は黄色の百合を摘み取っている内に理解する。摘み取るのに数秒も掛からなかったというのに、三人はマーナガルムに包囲されている。
「アベリア……花を託しますわ」
「クルタニカ?!」
「わたくしはここで『冷獄の氷』を発動させ、百合園とマーナガルムの注意を惹きましてよ。恐らく百合園は自身の生息を脅かす冷気に対し全力で抵抗を示しますわ。その間に二人はこの包囲網を抜け、あと一色の花を」
「それなら私が残る! 私の方が『原初の劫火』で!」
「あなたはパーティの核でしてよ。死なれたら、パーティが一つに纏まりませんわ。あなたとアレウスが繋げているパーティだからこそ、わたくしたちは他種族ともいがみ合わずにいられる。だからあなたを死なせるわけにはいきませんの。それに、百合園に対しての見通しの甘さがあったのは事実。責任をわたくしは負いますわ」
周囲のマーナガルムを見る。
それしか方法はないだろうか。
それしか方法がないように思える。
いや、
それしか方法がないとしか考えられない。
「私の馬鹿! 絶対に他に方法はあるはず!」
自身の心の弱さを恥じる。クルタニカを犠牲にすることで助かろうとしているばかりでなく、それが最善であるかのように自身を言い聞かせ、納得しようとしてしまった。
「パーティは誰も欠けさせない。犠牲にした上で依頼を達成するのが正しいわけない!」
依頼を失敗したとしてもパーティを崩壊させずに誰一人として死なせない。それがアレウスが徹底していたことであり、その気持ちを知っているからこそ全員が気を付けてきたことだ。
彼の掲げてきた想いを、志をアベリアが壊してはならない。
「アベリアさん」
「どうしたの、アイ……っ?!」
アイシャが着けていた目隠しが血に濡れている。慌ててアベリアはアイシャの目隠しを解いた。
両目から血の涙を流し、そして強膜が赤く染まっている。
「まだ、諦めません」
呟いて、アイシャは杖を強く握る。
「諦めたくありません」
眼に力が宿り、爛々と輝く。マーナガルムは一斉に三人へと飛びかかる。
「“障壁よ”」
四方八方に障壁が展開される。
一つではなく三つ。それも強固な魔力の障壁はマーナガルムを一切寄せ付けない。
「一度の詠唱で三度……重複詠唱……あなた、一体どこで……」
そう言ってからクルタニカはアイシャの杖を見る。
「…………アニマート?」
ゴンッと杖の先端が地面を叩く。戦槌のように打撃部位を保有する杖――アニマートが持っていた杖が彼女の目には映っていた。
「……この先」
アイシャが一方を指差す。
「走って走って走り続けた先に見える池の中央に、僅かに土が盛り上がっているところがあって……そこに青い百合の花があります」
「どうしてそれを」
「『眼』が、教えてくれるんです。お願いします。私は……誰にも死んでほしくない。私の前で、誰も……誰も……!」
そこまで言ってアイシャは唐突に目の痛みに苦しみ、瞼を閉じる。アベリアは彼女の目隠しを眼帯として再利用しつつ、クルタニカと視線だけで会話を交わし、彼女の手を引いて三人で走る。一方を塞いでいた障壁はアイシャが杖を振るだけで消え去り、障壁に阻まれたマーナガルムは未だこちらを追い立ててはいるものの追い付かれはしていない。
言われた通りに真っ直ぐ走り続けた先に池が見え、その中心の盛り上がった土から青い百合の花が咲いている。
「アベリア!」
「うん!」
もはや言葉はいらない。クルタニカの起こした風に乗ってアベリアは池の中心まで跳躍し、青い百合を摘み取る。続いて起こされた帰還の風に乗って二人の元へと戻る。
「これで三色」
「戻りますわ」
しかし来た道はマーナガルムによって遮られている。大きく迂回しなければならない。
「これで注意を惹き付けられるってことは」
コカトリスがクラリエによってアベリアたちを追い立てていたマーナガルムを木々を押し倒しながら次々と足で蹴り殺していく。
「こういう風にも利用できるってことだよねぇ!」
そう言ってクラリエは赤い百合を同じように走っていたノックスへと投げる。
「なんで一番危ないときにワタシに?! うぉっ!?」
尾の蛇からの攻撃をノックスは紙一重でかわす。
「みんなこっち! こっちの方が百合園の出口が近い! シンギングリンからは遠くなるけど外に出た方が絶対に安全だから!」
ニィナの声がした方へと走る。程なくして声だけだった彼女の姿が見えてきて、一緒に密林の外へと向かう。
「花は?」
そう訊ねるアベリアに白い百合を彼女は見せてくる。
「さすが」
「さすがなのはそっちでしょ。二色の花をよく見つけ出せたわ」
「一つはみんなで探したけど、もう一色はアイシャのおかげ」
「アイシャの?」
そう言いつつニィナはアイシャを見る。
「ちょっと今は耐毒の魔法に集中させてください。かなりギリギリです」
説明したいのだろうが説明できない状態にある。そう察して誰もなにも言わず、ニィナが先行して進む道を同じように辿る。
「ぬかるみがある。これは全員、飛び越えられる」
「飛び越えたら外だよ」
ノックスとクラリエが跳躍する。それに続いて、残りの全員がぬかるみを飛び越える。
「もう自分で走れます」
そう言われてアベリアはアイシャの手を離し、そして一緒に百合園の外へと飛び出した。
「コカトリスは!?」
真っ先にニィナが振り返り、百合園の外まで出てきたコカトリスを決して視線は合わさずに見やる。
百合園の外に出た途端にコカトリスは大人しくなり、アベリアたちなど狙っていなかったかのように翻って百合園の中へと帰っていく。
「なんだあいつ。外に出たくないのか?」
「百合園を食べている間はコカトリスも魔力が枯渇する心配がないんでしてよ。百合の花を取られたことはコカトリスにとって痛手であっても、それで百合園から離れるほどに追い立てる理由にはならなかったんですわ」
息も絶え絶えにしつつクルタニカは答える。
「久し振りに空を飛ばずに走り回らされましたわ」
ノックスへの魔法を解く。すると彼女も唐突に来た疲労感によってその場に座り込む。
「解くよ?」
クラリエにそう確認してアベリアも重量軽減の魔法を解く。
「ぁあ~キツい」
たまらず彼女もノックスと同じように座り込んだ。
「それでは……皆様に掛けていた耐毒も解きます」
慎重にアイシャは伝え、魔法が解かれたことを示すように口の中には鉄を舐めたときのような味がする。
「鼻が良くなった」
アベリアにはまだ少々分かり辛い嗅覚についてもノックスが呟いたことで、同じように戻っていくのだろうと推測する。
「これをこうして、このように」
四色の百合を一纏めにして切り口を瓶へと差し込み、空気の通り道を残しつつ封をする。中に入っている液体はただの水ではなくマジックポーションである。
「これでわたくしの見立てでは四日は枯れないはずでしてよ」
「はぁ~もう、なにがなんだか……疲れたぁ」
ニィナがへたり込み、弓矢を地面に置く。
「こういう難しいことは私じゃない人にやらせてよ。私はシンギングリン周辺の魔物退治だけでいいからさぁ……」
本気の嘆きを聞きつつも、しかし『初々しき白金』に一時であれ『超越者』として認められた彼女にそんな楽な依頼が与えられることはないだろうとアベリアは思う。要は優秀な人材であるがゆえに軟禁を解かれても楽な道には決して進めないだろうということだ。
「ここで少しだけ休息を取って、百合園を回り込みつつ野営地点まで戻りますわ」
クルタニカが今後の予定を立てる。
「食べ物を食べて、英気を養い、そしてシンギングリンに帰る。まずは――」
彼女はそこまで言ったところで唐突に倒れ、その手から落ちた四色の百合をアベリアが慌てて抱える。
「クルタニカ!?」
そう言って揺さぶるアベリアもまた、意識が混濁していく。見れば仲間たちも同じように意識を失いかけている。毒物に耐性を持っているクラリエでさえ、自分よりも先に意識を落としているのが見える。
「百合園を出たからって安心しちゃ駄目さぁ」
「だ……れ……?」
「女しか来ないってことは、女を誘拐するにはこれ以上ない場所。たとえそれが冒険者であっても。まぁでも、冒険者も言うほど怖い存在じゃない。百合園で疲弊し、どうにかこうにか出てくる女たちはみんな一安心して気を緩ませ、更には体力も消耗している。あとは搦め手で沈めるだけ。君たちはどいつもこいつも上玉だぁ。娼婦としてきっと大人気になるよ」
「テ……ド……ミ、ラー」
563番目ではないテッド・ミラーだ。そう気付いたときにはアベリアの意識は完全に落ちた。




