基礎から学び直す
*
アレウスが甦って二日経過した。仲間たちで交代しながら病院の近くで待機し、アレウスが回復した際にすぐに全員にその吉報を伝えられるようにしているが、未だに回復の傾向は見られない。魔物の掃討は終わり、ニンファンベラとアルフレッドによるギルドの再編が行われ、リスティは自粛を解かれて現場復帰した。アイシャとニィナの件についてリスティは彼女たちにどのように叱られるのかと怯えながら伝えたが、返事は「了解しましたぁ」だけだったらしい。
「基点」
家から少し遠くの土が露出した場所でアベリアは自身を中心に魔法の火を起こす。庭先では植物を燃やしかねないので、魔法は普段からここで練習を重ねている。クルタニカもたまに顔を出す。草木は生えていないので辺りに燃え移りにくい。魔法の範囲を広げすぎると草木の生えているところまで届いてしまうので、魔力量の調節の練習にも使っている。
「干渉」
粘土で作った標的に火を起こす。
「防御」
自身の正面に炎の膜を張る。
「射出、そして拡散」
炎の膜を解いて、複数の小さな火球を作り出して粘土の標的へと放つ。
「炸裂」
火球を受けた粘土の標的が爆発する。
「形成」
自身の片手に炎で作り上げた短剣を握る。
「収束」
炎の短剣を地面に投げ、炸裂したのちにその魔力を再び一所に集めようと試みるが、上手く行かない。
「範囲」
自身を中心にして炎の空間を作り出す。
「指定」
指差した地点に全ての炎を送り込み、火柱を起こす。
「包囲」
火柱が弾けて辺りに散るが、それらからはアベリアが与えた以上の魔力の働きが起こらず、次に火柱が発生しない。
全ての魔法を解いて、炎が掻き消え自身の体外へと発していた魔力を体内へと戻す。
「うーん……やっぱり収束が下手。あとは包囲も……形成から繋げてないから? でも形成から繋がなきゃ包囲が成立しないなんてことはないと思う……」
魔法の基礎の十一種類。アベリアは収束と包囲の欠落をイプロシアから指摘されている。あのとき、なにも言い返すことができなかったのは余裕がなかったこともあるが図星だったためだ。基礎はアーティファクトを得る前から全て習得したつもりだった。しかし、『原初の劫火』を得てからは基礎を見つめ直すこともせずに、力の発展ばかりに努めた。要は問答無用の力押しで全てを解決しようとした。これまではそれでどうにかなった。実際、イプロシアに指摘されるまで周りの誰にもバレてはいなかった。
だが、これからはこのままでもどうにかなるとは思えない。なんとかして習得しているとはいえ、苦手意識で放置してきた収束と包囲も使いこなせるようになりたい。
火球を作り出すことが炎の収束と思われがちだが、それは形成である。形成であればアベリアの得意とするところだ。真の収束とは、炸裂が起こったあとの魔力操作である。飛散した炎を再び一所に集める、又は周囲に飛び散った魔力の残滓を集め直して自身の魔法へと変えて放つ。つまり詠唱後に残っている物を掻き集めることである。利点は魔力の再利用、欠点は敵の魔力も集めてしまうと制御が利かなくなる恐れがあること。しかしその欠点に目を瞑ってでも、多くの魔法使いが収束を会得する。アベリアは莫大な魔力の器を有しており、『原初の劫火』を得てからはまさに無尽蔵な魔力の使い方をしているが、通常の魔法使いはそうはいかない。常に魔力の器との相談を行い、魔法の詠唱回数に制限が設けられ、詠唱し切ってしまうとその日はもう使えないことも多々ある。だが、この収束を用いれば、魔法の連続使用が同じ系統に限ってのみ一瞬だけ可能となる。あと一回しか使えない『癒やし』の魔法のあとにもう一度『癒やし』の魔法を唱えることができる。『火球』の魔法のあとに、もう一度『火球』を唱えて追撃が可能となる。
多くの魔法使いは収束によって、魔法の詠唱回数をかさまししている。イプロシアは収束させた魔力を全く別の魔法へと変えてしまえるのだが、あれは彼女だけが可能な使い方だったと言える。
収束し直す。なんとなくではあるものの使えている場面もあった。だが、魔法の基礎で言うところの収束とは掛け離れた使い方――火球を一つに纏めて大火球にするといった使い方しかアベリアはできない。複数の魔法を一つに束ねることはできても、残滓になった魔力を再度束ねる使い方ができていないのだ。できないままでも無茶苦茶ができたのは、やはり『原初の劫火』と魔力の器の大きさによるものが大きい。アベリア本人ですら無尽蔵とすら思える。アーティファクトを得る前と得たあとでは、魔力量に明確な差が生じていると実感できるほどだ。
だからこそ、下手なままで苦手なままなのだ。
「これは私の課題……収束と包囲がちゃんと使えるようになったら、アレウスをもっと守れるようになる」
『赤星』のあとに『赤星』をもう一度。そんなことも極めれば可能になる。炎の障壁を複数張って、それがもし壊されても即座に複数の炎の障壁を張り直す。そんな連続性を魔法に持たせることができるはずなのだ。
「精が出ますわね、アベリア」
「クルタニカ?」
「どれ、一つお手本を見せて差し上げましてよ?」
クルタニカが杖で空を切る。
「『盾よ』」
アベリアの全身は魔力の膜に覆われる。
「そして、『盾よ』」
零れ落ちたクルタニカの魔力の残滓が急速に彼女の全身へと収束し、アベリアを包んだように魔力の膜となって彼女を包む。
「自分自身の魔力の再利用。まずはここからやってみるべきでしてよ。他人の魔力を再利用しての収束はその先ですわ」
「ありがとう」
「見ただけで雰囲気は伝わりまして? 座学で教えてもよろしくてよ?」
「……うん、お願いする」
正直なところ、見ただけでは全く理解が及ばない。アベリアはクルタニカの厚意に甘えることにした。彼女はアベリアの返事を聞いて、朗らかな笑みを浮かべてから杖を腰に差す。
「クルタニカは」
言いかけて、やめる。
「どうしたんでして?」
「……クルタニカは、どうして魔法使いになろうと思ったの?」
ガルダは剣技を極める種族だ。その中で魔法を行使し、しかも冒険者になろうとしたキッカケをアベリアはずっと知りたいと思っていた。
「剣の才が人より劣っていて、魔法の才が人より優れていたんでしてよ。剣では勝てなくても魔法では勝てる。魔法ならわたくしは目立つことができましたわ。思えばわたくしはあのとき、好きで魔法を習得しようとしていたのではなく周りを見返すため、もしくは目立ちたいがためだけに魔法を学んでいましたわ。だからお家騒動が起こって、わたくしは翼をもがれて空から追放されて、だからラブラみたいなとんでもない輩に家を乗っ取られるところだったんでしてよ。なんにも良いことなんて、考えてみればなかった。素直に剣を学んでさえいれば、人並みにはなれずとも……お家騒動が起こることは、なかったかもしれないんでしてよ」
そう言いつつも、表情からはどこか“無意味”という感情が読み取れる。結局、剣に全てを注ぎ込んでも立ち位置が空では変わることがなかっただろうという思いがあるのだろう。
「嫌なこと、聞いちゃった?」
「いいえ、思えばアベリアにすらちゃんと話してもいなかったんでしてよ。わたくしの始まりとも言えることを誰にも語らずにいるのは負い目があるからもそうですけど……話しても、どうにもならない過去を語ることが怖いから……なのかもしれませんわ」
「過去……」
「けれど、負い目や怖さがあっても、そこがわたくし――クルタニカ・カルメンが『風巫女』と呼ばれる始まりなんでしてよ。魔法なら目立てるからと空では学んでいましたが、地上に降りてからはずっとずっと人のために魔法を使うために学び続けたんでしてよ。まさに負い目から来る贖罪行為ではありましたが、その日々が今のわたくしを作り上げているんでしてよ」
そう言いつつクルタニカはアベリアへと顔を向ける。
「アベリアは、どうなんでして?」
「どうって?」
「始まりは恐怖であっても、今は違うんじゃないんでして?」
「……そう……そう、だよ。私は……助けに来てくれた冒険者の魔法に心奪われて、その人の代わりに……その人と同じように、なりたくて一生懸命に魔法を学んだ。少し前の私は、文字の読み書きもできないし魔法なんて唱えられもしない……ただの乞食で、アレウスに拾われただけの命だった」
その拾うという過程において自身の干渉はあった。あのときまだ魔法とも思っていなかったロジックへの干渉能力。それを用いて彼のロジックを書き換えて、自分を拾ってもらえるように仕向けた。それはもう解けていて、アレウス自身にもバレた。バレた上で話し合って、謝って、再び二人で歩き出した。『原初の劫火』はその象徴とも言える力だ。その一歩がアーティファクトを呼び起こすに至ったとすら思えるほどだった。
「アベリアも大変だったことは知っていましてよ……それで、魔法は好き?」
「好き。どんなに辛い過去を内包していても、自分の魔法で誰かを守ることができるから、好き」
「偶然ですわ。わたくしもでしてよ」
その返事を聞いて、アベリアはどことなく嬉しい感情に包まれる。
「でもなんでクルタニカは私に声を掛けてくれて、魔法も教えてくれたの?」
シンギングリンに着いた当初からクルタニカはアベリアに構ってくれている。一部の魔法について学んだのもクルタニカからだ。
「わたくし、美少女には目がないんでしてよ……なーんて冗談は措いておいて」
一瞬、身の危険を感じたためアベリアは彼女から離れる。本当に冗談かも怪しい。カーネリアンといるときのクルタニカは随分と機嫌が良いからだ。
「魔法を一生懸命に学ぼうとする姿勢が、どこか昔のわたくしに重なりました。幼い頃のわたくしも、そうやって目に付くありとあらゆる魔法について書かれた本を漁っていましたから。古書店で見たあなたの目を輝かせている姿、そして手持ちのお金ではどうしても買うことのできないジレンマ。どれもこれも、そっくりそのまま。だから代わりに買ったこともありますし、あなたのためを思って魔力の使い方や魔法の威力調整を教えてあげました。そのときのあなたはずっと、ずっと目を輝かせていましてよ?」
「過去形?」
「さっき見たあなたは、一生懸命さはあっても魔法の基礎を学び直すことへの不安と焦燥感がありましたわ。楽しむことも学ぶ興奮もどこへやら。ひょっとすると案外、そういうところにコツが転がっていたりするかもしれませんわ」
「だと良いけど」
「だーかーらー、もっと魔法を使うことを楽しんでください」
「楽しめるときと楽しめないときがあって、今は楽しめないとき」
「ふぅん、まぁそれなら良いんでしてよ」
「クルタニカはずっと楽しんでいるの?」
「まさか。わたくしだって思い悩むことぐらいありましてよ。ただ、魔法と接するときはいつも楽しい気持ちを忘れないように努めていましてよ」
逆に、とクルタニカは続ける。
「この世界で常に魔法を楽しみながら唱えている人や、常に魔法のことを憎しみ続けている人がいるとしたら……その人たちは世界中のどんな魔法使いよりも上位の存在。イプロシアを見て、あなたも思ったのではありませんか?」
「うん。イプロシアは純粋に魔法を楽しんでいたし、その魔法で異世界に飛ぶことすらも使命と思いながらも……興奮気味、だったかも」
あれが全ての魔法使いの目指すべき姿かと問われれば首を傾げるが、魔法を知ることや使うことをただただ楽しいと思い続けることができるのなら、どんな魔法だって使えるようになってしまうだろう。
「でも、魔法を憎しみながら使える人って、どんな人?」
「思い当たる方がいらっしゃるのでは?」
「……リゾラ? あれ……? クルタニカはリゾラのこと知っていたっけ?」
「話は聞いておりますわ。それに、短剣に内包されている意思を掌握するためにアレウスはその方を頼ったはずですわ。さすがにどこの誰とも知らない人の手紙の内容ごときでわたくしが手伝うことなんてないんでしてよ」
「そっか」
直接的な面識はなくとも、話をしている中でリゾラを知る機会はいくらでもあった。
「アベリアの恋の好敵手と聞いていましてよ」
「な、ぁ?!」
「まぁわたくしもアベリアの恋の好敵手ではあるんでしてよ」
「さっきまでそんな話をする雰囲気じゃなかったでしょ!」
「言ったもの勝ちでしてよ。それに、宣言しておいた方がいいとわたくしも思ったんでしてよ。クラリエもアレウスに告白して、いよいよ座して待っているわけにもいかなくなりましたし」
「うぅ……ぅぅう」
からかっている中に本気の感情を乗せている。アベリアだってアレウスに恋している女性が多いことぐらいは分かる。それが仲間であることも。
だが、アレウスへの恋心を語る仲間を見るたびに胸が痛くなる。
アレウスを一人だけで愛するのではなく、複数人で愛する。この部分に一抹の不安がある。恐らくは彼の一番でありたいという嫉妬だ。だったらもう独り占めしてしまえばいいのではとさえ思うこともある。
けれど、ハーフエルフやミディアムガルーダ、獣人にとってそれは致命的なのだ。彼女たちの恋愛感情は一生の内、たった一人にだけ向けられる。そして一生の内に子を宿す回数も、産まれる子供の数も決まっている。
それこそがミーディアムに共通して存在するヒューマンに恋してしまったがゆえの呪いだ。その心配はヒューマンに恋さえしなければ薄まるものではある。しかし、クラリエは、クルタニカは、ノックスはアレウスに恋をしてしまった。その感情を覆すことも諦めさせることもできないのだ。たとえアレウスが遠くに離れようとしても、本人たちは無意識に追い続ける。そのようにミーディアムは出来ている。
どんなに屑なヒューマンであっても恋をしてしまえば終わり。ミーディアムはヒューマンに恋心を利用されて騙されれば、それだけで一生が闇に消える。
だからこそ全ての種族はヒューマンを除いて閉鎖的なのかもしれない。同胞の中にいるミーディアムを守っているのだとも言える。
「あまり思い悩む必要はありませんわ。これはわたくしたちの恋心であって、あなたが思うべきものではなく、わたくしたちが抱き続ける感情でしてよ」
「でも、アレウスは」
言い淀む。
ミーディアムの呪いを知っているからこそ、全員の恋心が報われる帝国の特例制度の獲得を目指している。ハーレムなんてガラではないし本人の性格的にも向いていないことをアベリアもなんとなく分かっている。獣人のハーレムの話を聞いてからは嫌気が差している気配すらする。
そんな自分自身とは真逆の生き方を目指すのはやはりみんなの想いに報いたいからなのだろう。アレウスはヴェラルドとナルシェによって救われた。だから自身に向けられる感情を無視する選択ができない。愛情を向けられているのなら、どうにかしてその愛情に応えたいと考えてしまう。ただ、アベリアはそんな彼だからこそ愛おしく思う。
「ううん、なんでもない」
少なくともクルタニカは気付いている。それをわざわざアベリアの口から言うことではない。彼女もきっとアレウスの口から聞きたいに違いない。
「髪留めをニンファンベラさんは受け取ってくれた?」
これ以上はクルタニカも話すのが苦しくなってくると思い、話題を変える。
「依頼を受けたのはアレウスだから、アレウスから渡さない限り依頼を完了とはしないって言われましたわ。それならばとアルフレッドさんを頼ってはみたものの、彼も同じ意見みたいでまだわたくしが保管したままですわ」
「……大丈夫?」
「大丈夫ではありませんわ。自分自身の物ならば自分の責任となりますが、わたくしの部屋に他人の高価な物が置いてあるのは非常にマズいんでしてよ」
「だから聞いているんだけど」
クルタニカは目立ちたがり屋でお酒を飲むと脱衣癖があり、同時に博徒である。白熱してしまうと依頼品の髪留めを賭けに出してしまいかねない。
「代わりに預かっておいてくれますか?」
「うん。でないとニンファンベラさんたちを困らせちゃう」
「では今日中に。座学を終えたあとに早急にわたくしが渡しますわ」
アベリアはアレウスから贈られた耳飾り以外で装飾品への強い拘りはない。高価な物を買うくらいならそのお金で食べ物を買いたい。そう言うたびに彼が呆れていたことを思い出す。
「髪留めにはどんな意味が込められているんだろ」
「そこ、やはり気になります?」
「なにかしら意味はあると思う」
「でしてよ。なのにアレウスもアルフレッドさんも話したがらなかったから……そういう意味でもアルフレッドさんはアレウスの回復を待ちたいのかもしれませんわ」
自分自身を動かしてくれた人の前でニンファンベラに髪留めを渡したい。街は救われた上にアルフレッドが会いたかった彼女も無事だというのに贅沢な悩みだ。どうして会いたがっていたかはアベリアでもなんとなくは分かるが、やはりハッキリと分かる形で見たい。
「アレウスも回復したらすぐにやらなきゃいけないことが山積みで大変そう」
「だったら少し、わたくしたちの手で対処していきません?」
「え?」
「簡単な依頼をわたくしたちで済ませてしまうんでしてよ。アレウス抜きのパーティでどれくらい動けるかの指標を知りたいんです。前回のエルフの書庫のように大人数で、ではなく」
「……そうだね。それ、良いかもしれない。私たちがアレウスに甘えないように、アレウスが安心できるように立ち回りを学んでおきたい。でも、難しすぎる依頼は駄目。失敗したときのリスクが大きすぎる」
「分かっていましてよ。わたくしも死地になんて赴きたくはありませんし、死亡回数を増やしたいわけではありませんから」
提案を聞き入れられてクルタニカは安堵したのか息をつく。
「緊張した?」
「ええ。わたくし一人が気が急いているだけだったらと思ったら少しばかり」
「みんな思っていることだよ。みんな、次こそはって思っている。だからこそ練習は必要……でしょ?」
「でしてよ」
そうしてアベリアは、この世界で最初に出来た友達と共に家へと帰った。




