報われない想い
支度もそこそこにシンギングリンを出て、馬車に揺られる中でクルタニカはあれやこれやとアレウスに話し足りない沢山のことを伝えてくるが、魔法や信仰についてのものが多く、大半を理解することはできなかった。それよりも彼女の距離感は異常に近く、豊かな胸が時々、わざとらしい割りには本人が気にしている雰囲気もなく体へと当たるので、悶々とした時間を過ごす羽目になった。気付いていないことを指摘するのは時と場合による。これが公の場であったなら言うが、幌の中ならば衆目に晒されるわけでもないので指摘する必要性を感じない。
とはいえ、彼女のことだからきっとわざと当ててきているに違いないとアレウスは思っている。クルタニカは公衆の面前でも平気でこういうことをする。なぜなら、不名誉なことでも目立てれば気分が良くなるという偏屈な目立ちたがり屋だから。
馭者の到着の合図を聞き、運賃を払って馬車から降りる。次回のシンギングリン行きの馬車がいつ来るかを事前に聞いておき、明日の夕方であることを記憶に留めておく。装飾品を受け取るだけなので、さっさと帰りたいが馬車の運行そのものはそれこそ馭者の自由だ。馬を休めたいと思ったり馭者自身が休みたいとも思うだろう。或いはこのあとに約束している利用者のいる村まで馬を走らせることだってあるだろう。もしもすぐに帰りたいのであれば、事前にそういう約束を馭者との間で結んでおかなければならなかった。それだけのことだ。
「寂れていましてよ」
「こういうのは閑静というんだ」
「どう違うんでして?」
「言い方が強いか柔らかいか」
「では、わたくしの言っていることは大方当たっているということですわ」
シンギングリンが大きめの街である割には、片道三時間のところにある村としては控えめである。バートハミドほどの人気はない。もしかするとヴェインの村のようにお家騒動などで放棄されかけているのかもしれない。なんとも複雑に思うアレウスをよそにクルタニカは依頼書の地図を村人に見せて、金細工師の家を早々と特定する。
「そんなにすぐに依頼を終わらせたいのか?」
「長引かせてわたくしと長く一緒にいたいんでして?」
そのように返されてしまうとお手上げだった。彼女はアベリアの一番の親友だ。ここで変なことを言うと告げ口されてしまう。ただでさえアベリアにクラリエと一緒にお風呂に入ったことがバレてしまっている。これ以上の刺激を与えたら、彼女の中で嫉妬が爆発してしまう。
しかし、それでなにか埋め合わせを考えるのはどうなのだろうか。機嫌を損ねさせた詫びとして埋め合わせすることは正しいのかもしれないが、同時にアベリアは自分自身の価値を埋め合わせの大きさで決めてしまいそうだ。しかしながら、埋め合わせをしなければしないで最低な男なのは間違いない。
「今、難しいんだよ。頼むからあんまり僕を悩ませないでくれ」
「悲痛な心の叫びを呟かれた気がしましてよ……」
クルタニカはアレウスに同情を示しつつも足を止めない。他人事であるのでそれはそれ、これはこれ、と気持ちを切り替えている。
誰のせいで呟かなければならなかったんだ、と思いつつもアレウスはクルタニカを追い掛ける。そして金細工師の工房の扉を開く。営業しているか否かは外からでは判断できなかった。
「どれもこれも煌びやかでしてよ」
飾られている様々な装飾品類を眺めて、クルタニカが目を爛々と輝かせている。どうしてこういった髪飾りや髪留め、或いは指輪やピアスのような物に興味を抱くのか。普段からそういった物を身に着けていないアレウスからしてみると、ある意味で女性の神秘である。アベリアに誕生日にイヤリングを贈ったときもとても嬉しそうだった。あれはここに並んでいるほど値の張る物でもないが、彼女は休暇中はよくそれを身に着けている。
「こんな細かな部分をどうやって彫るんだろうな」
指輪の裏側、或いは髪留めをこうも繊細に作り上げられる技術には驚きを隠せない。そして、一部に作成者の名前が頭文字だけ彫られている。
「修行を積めば誰でもいつかは彫刻を施せるようにはなりますよ」
品々が並んでいる部屋の奥の扉が開き、髭を長く生やした壮年の男性が現れる。掛けていた眼鏡を外し、手を首に掛けているタオルで拭う。
「金細工師に必要なのは手先の器用さとセンス、あとは技術力だけですから」
軋む床板をゆっくりと踏み締めながら男はアレウスたちに近付く。
「今日はどのような品をお探しですか? なんとも可愛らしい方々だ。結婚指輪のご相談ならここに並んでいる物ではなく一から相談してデザインすることもできますよ」
「本当でして?」
「いえ、今日はなにかを買おうと思ってきたわけではなくてですね」
クルタニカがとても興味を抱いているが、このまま本当に結婚指輪を作るような方向に話が進んでしまったら手遅れになってしまう。拗れる前に誤解を解いておいた方がいい。
が、どこか彼女が不満そうにこちらを睨むような視線をアレウスは感じざるを得ない。
「ヘイロン・カスピアーナからの依頼の品を受け取りにきました」
「……ヘイロンさん? ヘイロンさんはもう亡くなったはずでは」
「彼女が生前にこちらに依頼していた装飾品があると思うんですが」
「さて、どうだったか。少し、調べてきます」
壮年の男性は工房の奥へと姿を消す。
「シンギングリンからの依頼はヘイロンからの一筆がなければ受けないと聞いていましてよ」
「にしては、とても偏屈には見えないが」
囁かれたのでアレウスも小声で返事をする。
やがて扉は再び開き、男は手に注文書を纏めた書類を棚に置いて一枚一枚丁寧に捲っていく。
「長いこと金細工師など続けていると、なんだかんだと私の腕を褒めてくれる方々が増えて行きましてね。注文を受けはするんですが、なんとも手が足りなくて今は一年待ちになっているんですよ。いやはや、私が死ぬまでの間に全ての注文の品を作れるかどうか」
「一年待ち……」
「あったあった、これだこれだ」
男は注文書の一枚を書類の束から取り外し、持ち上げて自身の正面に持ち上げて内容を眺める。
「……私はね、注文を受ける前に人と為りを見るようにしています。私の作った装飾品を身に着けるに足るかどうか、みたいな話ではありません。別に身に着けるか部屋に飾るかなんて受け取った人が好き勝手にすればいいこと。私が重視していることは、私が丹精込めて作り上げた品を大事に扱ってくれるかどうかです。それで言うとシンギングリンの貴族は下の下でした。どいつもこいつも着飾ってはいても、装飾品を大切に管理しようともしていない。あれでは作品が可哀そうだった。だから、シンギングリンに関してだけはウォーカー家以外の貴族からの依頼は受けないことにしたんですよ。ああ、ヘイロンさんも例外です。あの方は着飾ることを好んではいましたが、品々にしっかりと敬意を持っており、長く使えるようにと手入れを施すだけでなくどのような洗浄方法ならば装飾品をなるべく傷付けずに済むか、様々なことを相談に来てくださっていたのでね」
長年の日々が職人の信念を作り上げる。その信念に反するような人たちから注文を受けないのは、自身の作品を傷付けずに守るため。
「ヘイロンさんも亡くなり、ウォーカー家からの注文もなくなってしまってすっかりと注文されていたことを忘れてしまっていました。申し訳ありませんね」
「いえ」
「完成予定日や受け取り日時があったはずなのに、その通りに来られなかったこちらのミスでしてよ」
「ふふ、弁えている。そうだ、こちらが命を燃やすように作り上げた品を約束の日通りに来てくださらない客を私は客と思うことができない。なぜなら、その日に渡すときこそがその作品の一番美しい瞬間だからです。これを過ぎてしまえば、作品の価値は八割は無くなると言ってしまっても過言ではありません。残り二割の価値しかない作品を見せなければならない私の苦しみなど分かってもらえることはほとんどありません」
なので、と男性は続ける。
「この作品も決して万全ではなく、最も美しい瞬間ではないのですが……あなた方はそれを承知で受け取りに来てくださった。であれば、お渡ししましょう。少しお待ちください」
再び工房の奥の扉を開こうとするが、男より先に扉が開く。現れたのは精気のない瞳を携えた青年だった。
「お弟子さんですか?」
クルタニカは複雑そうな表情を見せた男のことなど無視して訊ねる。
「……ええ、少し前までは。今はどうしようもない穀潰しですが」
そう言われても青年は何一つとして言い返すことはなく、フラフラと工房を出て行ってしまう。
「彼はシンギングリンの街長の甥だったんです。甥を寄越すということは要するに注文で優遇しろという意味合いと受け取りましたが、無視しました。が、甥は本当に情熱のある子だったので私もそれなりに面倒を見てあげましたし、沢山の技術を伝授したつもりではあります。本人も金細工師の店を出すと目標を掲げていた頃もありました。シンギングリンが異界に堕ちるまでは」
「堕ちてからは人が変わったと?」
「あの日、彼はシンギングリンに帰省していました。幸いにもシンギングリンが異界に堕ちる瞬間、そこにはいなかったんですが……そう、この村に戻る馬車に乗って、十分ほど経ってからの出来事だったと聞いています。怖ろしい話ですよ。彼はその日に両親も親戚もなにもかもを一気に喪ってしまったんですから。そんな彼に私もなにも言ってやることも、支えてやることもできないまま放置してしまい、もうずっとあんな感じです」
「帰省理由は聞いていまして?」
「次の街長候補としての出るようにと手紙が来たので、そんなのは嫡男に頼めと直談判しに行くと言っていましたね。事実、彼は国政にどうこう言う口は持ってはおらずとも、シンギングリンの政には頻繁に愚痴を零していました。私はこの村でしか生きたことのない人間ですが、彼の言うことはなにかと腑に落ちてしまうことが多く、金細工師よりもそのような人を導く仕事に就いた方がいいのではと心の中では思っていましたが本人はそんな器ではないとよく呟いていましたね。どのような話し合いの結果になったのかは聞けずじまいですが……あとは…………なにか少し浮かれていたような気も。古くからの友人に会いに行くときのような、そんな雰囲気に私は思いましたが」
「大切なご友人を亡くしたのかもしれませんね」
呟き、クルタニカは外へと出て行った男について同情を見せる。
「両親や親戚の死に加えて、友人まで亡くせば縦の繋がりも横の繋がりも無くなるも同然。縦の繋がりが揺らげば横の繋がりが支え、横の繋がりが揺らげば縦の繋がりが芯を通して立ち続ける。そのようにして人は不幸を乗り越えていくんでしてよ」
「そうかな」
アレウスは疑問を抱く。二人の視線が唐突に向いて、やや狼狽する。
「いや、その部分も確かにあるんだろうけど……もっとなにかこう、自分自身の生きる活力を丸ごと奪われたような……そういう感じがあったというか」
会いたい人に会えなかった。けれどまた訪れれば会う機会もあるだろう。
そう思っていたのに、その機会が完全に失われた。
それは家族や親戚と会うことよりも本人にとって重要なことだったのではないだろうか。
「どうしてそのように思うんでして?」
「ああいう目を僕もたまにすることがあったから」
鏡で見るたびに、酷い顔をしているなと思うことがあった。それは神藤 理空との想い出を夢として見た日の朝がほとんどだった。
「少し世間話が過ぎましたね。探してきますのでしばしお待ちを」
再びそう言って壮年の男性は工房の奥に消える。
「アレウス? わたくしはここで装飾品を受け取りましてよ。だから、さっきの方と話をしてきてはいかがでして?」
「僕の人嫌いは知っているだろ?」
「ですが、あなたは聞きたいのではなくて? あなたなら、彼の胸の内にある誰にも話していないなにかを聞き出せる。そんな風に、思っているのではなくて?」
「そんな……そんな自信はどこにもないよ。ただ、共感出来るだけだ」
言いつつもアレウスは扉を開く。
「期待はしないで欲しい」
「ええ」
クルタニカを工房に置いて、アレウスは外へと出た。
この村はそんなに広くない。人混みもなければ閑散としている。のどかな風景にどこかゆったりとした時間が流れているような感覚。畑が広がり、畜産も行っている。ただしそれは外への売買を目的にしているというよりは全て自給自足のため。村人たちが食糧を分け合うような互助の精神が成り立っている。そんな中で金細工師の収入は、いかほどなものか。そしてその稼ぎは懐に全て入るのだろうか。
「あの」
閑散だからこそ、目的の人物を見つけることはすぐにできた。村のやや外れにある一本の木の下で、ボーッと空を眺めている。
衣服については全く考えていないが、身なりは良いところの出であることを訴えてくる。生えてくるであろう髭は剃っており、髪も生活で邪魔にならない程度に切り揃えられている。幼い頃から躾けられてきたからこそ、どんな状況でも身だしなみだけは無意識に整えてしまうのだろう。
「なんだ?」
「シンギングリンの街長の甥だと聞きました」
「……あぁ、それがどうかしたか?」
男は呆れたように溜め息をつき、それから木を背にしてもたれ掛かり、座り込んだ。
「悪いけど、今の俺はただの穀潰しだ。なんの目標もなく、生きてみたい未来も見えない。なのになぜか生きている。生きているのに死んでいる。いや、馬鹿みたいな表現だけどな」
その感覚はアレウスも理解できないわけではない。死んでいるように生きていて、生きているのに死んでいるような感覚。目標を見つめていたはずなのに、その目標が霞み、自分自身の正義が本当に正義であるのかがぼやけたときによく感じる。そしてアベリアを甦るとはいえ死なせてしまったときもずっとそんな感情を抱いていた。
「会いたくても会えない人が、いるのでは?」
「面白いことを言うな。両親も親戚も、どいつもこいつも死んでしまったよ。会いたくても会えない人たちは沢山いる。そう、沢山いるんだよ。なんでシンギングリンが『不死人』に襲われて、なんでシンギングリンが異界に堕ちたんだよ。意味が分かんねぇ……本当に、クソみてぇな話だ。しかもなんで俺だけ助かっているのかも分かんねぇ……マジで、マジでなんで」
男はジッとアレウスを見て、しかし不快感の一つも見せることはない。むしろなにかを感じるところがあったのか、傍にいることに対してなんの文句も出しはしなかった。
「……すっげぇつまんねぇ話をするけど、まぁ赤の他人が唐突に話し出した程度に考えてくれていい」
アレウスが立ちながらも木に背を預けると、男はそう言って話し出す。
「別に、両親や親戚に未練なんてないんだよ。いや、あったんだけどそこは踏ん切りがついた。元々、いつかは両親は死ぬもんだと思っていたし、親戚連中もなにかしらの事態で死ぬことはあるだろうって覚悟はあった。伯父は街長だったしな。陰謀に巻き込まれて殺されるなんてこともあるだろうって覚悟していた。なにせ、あんまり評判の良い街長じゃなかったんだから」
「甥でもそんな風に言うんですね」
「実際、良くない話はいくらでも耳にした。そのたびに伯父にはシンギングリンに住んでいる人々のための政治をしろと散々に言ってきた。聞く耳持たない感じだったけどな……性接待にすら簡単に乗っかってたって話もある。それもあるときから懲りたらしく、控えめにはなったが、それでも悪いことは結構やっていたと思う」
「未練というのは……街長が正しくシンギングリンを運用できなかったからですか?」
「そんなんじゃねぇ……そんなんじゃねぇよ。俺に正義なんてないし、伯父の不正を暴いてどうこうしようって気持ちも全くなかった。ただ……あぁ、ただ、会いたい奴に会えなかった。会えないままに、もう死んじまったんだろうなと考えたら、もうなんにもできなくなっちまった」
虚ろな目が村を見つめる。
「ホント、どうでも良い話なんだけどな。伯父に連れられて修道院を視察に行ったことがあるんだ。別に俺は街長になりたいなんて思っちゃいなかったが、あの頃はまだまだ子供っつーか幼かったから、そういう特別な立場にある伯父にまだ憧れめいたものがあって、その傍にいることの特別感から付いて行っていただけだった。修道院がどういうところかなんて全く知らなかったし、そこでどんな話をするのかもサッパリだった。で、そいつに会った」
「そいつ?」
「意味分かんねぇくらいに人前に出るのに怯えていて、意味分かんねぇくらいに記憶力のいい奴がいたんだよ。ちょっと顔は怖かったけどな。三白眼を通り越してギョロ目っぽかったし、最初は生きた屍かと思ったくらいだ」
「……ん?」
アレウスはそんな女性をどこかで見たことがある。
「俺が話しかけようとしたらすーぐどこかに隠れて、見つけてもまたすーぐどこか行っちまうんだ。俺はそれが面白くて一日中、修道院内を探し回った。んで、夜遅くになってもそいつが修道院のどこにもいねぇってなって、ちょっと騒ぎになったんだよ。これ絶対に俺のせいだと思って家を飛び出して、夜中の修道院に忍び込んだんだ。そいつを探すために大人たちが灯りを点けていたんだけど、雰囲気がとても怖かったな。んで、そいつが隠れているのを俺が見つけて万事解決……になれば良かったんだけど、俺もそいつと一緒に修道院で消えた」
「消えたんですか?」
「見つけはしたんだけど、扉に鍵が掛かっちまったんだよ。そんなことあるわけねぇだろと思ったんだけど、そいつが俺に見つかったとき対策で仕掛けていた細工だったんだよ。んで、俺に見つかって怯えたそいつが仕掛けを作動させて扉に鍵が掛かった。よりにもよって、みんなが探し尽くしたと思ってもう探そうともしていない修道院に一室だった」
「助かったんですか?」
「ああ、ヘイロンさんに助けてもらった。あのときはマジで生きた心地がしなかったな」
やはりシンギングリンのヘイロンはリゾラの追っていたヘイロンとは異質な存在だったんだなとアレウスは再認識する。
「で、俺は親だけじゃなく伯父にもこっぴどく叱られて、そいつはヘイロンさんと修道院のみんなに滅茶苦茶に怒られた。んでも、あの一夜でそいつと俺はなんとなく、そう、なんとなく仲良くなれた気がした。話しかけてもなんにも返事をしてくることはなかったし、街中で見掛けても挨拶の一つすらしてこなかったんだけどな。割と修道院に通い詰めて、そいつの横で沢山の本を読んだのを覚えている」
子供の頃の想い出は美しいものに勝手に脳内が書き換える。この男にとっては綺麗な想い出でも、女性にとっては思い出したくないことかもしれない。
「伯父がここの金細工師――師匠と話をしたあと、馬車が出るまでの間に師匠の技を眺めていたんだ。物凄く繊細で、物凄く緻密で……その世界は、とても綺麗で刺激的でワクワクした。だから、弟子入りするために十歳の頃にこの村に来た。んで、自分がどれほど恵まれた環境で生きていたかを思い知らされた。ここじゃほとんどが自給自足で、自分がやるべきことは絶対にどれも忘れてはならないし、休んでもならない。一つでも手を抜けばそれはその日の夕方までには返ってくるみてぇなところだ。のどかに見えて、生活サイクルは乱せない。乱すことがあっても、ちゃんと時間管理をしなきゃすぐに一杯一杯になる。師匠も十歳の俺じゃ、一ヶ月も経たずに逃げ出すと思っていたらしく、かなり厳しかった。でも一ヶ月経ったら、ちょっとずつ金細工の技術を教えてくれるようになった。それまでは買い出しやら家の修繕やら、荷物運びやら、どう考えても金細工師の仕事じゃねぇことばっかやらされていたけど、本当にちょっとずつ教えてくれるようになった」
付き合うことにはなったが、想い出話ばかりを聞かされるのも負担である。
他人の想い出は自身の想い出を刺激する。神藤 理空との何気ない毎日を――短くもアレウスにとっては有意義だった毎日を思い出してしまう。
「二ヶ月に一回、親のいるシンギングリンに成果報告をしていた。そのたびに、修道院のそいつのところに行ってつまんねぇ話をした。そいつ、ホントに俺の話をつまんねぇと思っていたのが分かるくらい退屈そうな顔して、途中で本を読み出したから腹が立ちながらこの村に向かう馬車に飛び乗るのを何度も繰り返したのを覚えている」
それで、と男は声量を落とす。
「十五になって、なにもかもがつまんねぇ時期が来た。打ち込めることには熱中できるのに、それ以外は全部がくだらなく思えて、親の言っていることも正しくは思えなくて、伯父のやっていることなんて全部が全部悪いことのように思えて近付かなくなった。そうしたら、修道院に足を運ぶこともできなくなって……十五になった寒冷期に話をしてから、十年会ってない」
「その間、会おうと思ったことはなかったんですか?」
「あった……あるに決まってんだろ。でも、足を遠ざけた場所にもう一度行くのは勇気がいるだろ? 俺はそんなちっぽけな勇気すら持てなかったから、会いに行けなかった。でも、世の中って思った以上に狭いもんだと思っていたし、街中でも会うことがあったんだから、二ヶ月に一回の経過報告中、街のどこかで再会ぐらいできるだろって……高を括っていた」
「分かります。わざわざ自分から会いに行くことか? って思ってしまうんですよね。自分の中では大きな出来事のはずなのに、自分でそれを小さなことに変えてしまって、拘ることがバカバカしく感じて、結局、なんにもできない」
「……お前も俺みてぇな経験があるみたいな言い方だな」
「友達とかはいたんですけど、我が強くてあんまり群れることが嫌いで、斜に構えて世の中全部を分かった気になっているような子のことを好きだったことがありまして」
「俺が話している女も大概だが、お前の話す女も相当だな」
「幸い、僕が考えていた感じの再会にはならなかったんですけど、会うことはできたんです。で、互いに互いを認め合って終わりみたいな」
「へー…………俺だったら落ち込むけど」
「落ち込む終わり方じゃなかったんです。会えるまでは、ずっとあなたみたいに未練たらしく、夢にまで出てきて、ああなんでこんな苦しい想いを抱きながら生きていなきゃいけないんだろうって考えることだってありました」
アベリアのことが好きなのに、理空のことを忘れられない自分自身のことを嫌悪することだってあった。
「……俺はさ、楽観的だったんだよ。その子はシンギングリンにずっといるだろうって思っていて、ついでにシンギングリンはなんにも危機に晒されることはないみてぇな。でも、俺がこっちにいる間にヘイロンさんは殺されて、ようやく修道院に向かっても、既にそいつはいなくなってて……意気消沈しながらも彫金に力を入れて、どうにかこうにか気を持ち直したら今度はシンギングリンが異界に堕ちてしまった。修道院を出るっつったって、そいつはあんまり人前に出るような気質じゃねぇから、きっとあの街のどこかで仕事をしているはずだから、会うのはそう難しくないって自分に言い聞かせたのによ……異界に堕ちちまったら、もう、生きている可能性なんてほぼゼロだろ。その前にエルフの暴動もあったみてぇだし。異界からシンギングリンを奪還したって、消えた命まで綺麗に元通りになるわけじゃねぇ。そうだろ? アレウリス・ノールード」
「なんで僕の名前を」
「雰囲気で分かんだよ。俺は師匠に学んだ通りに人と為りを見る。お前からは冒険者らしい所作と、あとは俺が昔話をしている間の、自身の至らなさからくる苛立ちを感じた。だったらもう、シンギングリンの奪還に一役買ったアレウリス・ノールードしかいねぇ」
「凄いですね」
「凄くはねぇよ。伯父に次の街長の候補云々の話をされたときから、シンギングリンの住民は大体把握している。街長になんてなる気はないって言ってみたはいいが、世の中ってのは俺が思っている以上に雁字搦めにできていて、なりたくもないのになっちまうこともある。そうなったときになんにもできねぇお飾りの街長になんてなりたくねぇからな。まぁ、そんなのはもうなにもかもなくなっちまったが」
俺はな、と続ける。
「別に多くを求めちゃいないんだ。あいつに会いたい、ただ、会いたい。でも、生きているのかも分かんねぇ。だけど、現実を知りたくもねぇ。どこにいるか分かんねぇままなら、どこかできっと生きているんだって希望が持てる。でも、ちゃんと調べて……死んでいるってことが分かったら、分かっちまったら…………俺は、俺自身を、赦せない。プライドなんてかなぐり捨てて、素直に会っていれば、こんなことを思わずにも済んだのに。素直に会っていれば、エルフの暴動のとき……傍に、いられたかもしれねぇのに。怖いんだよ、死んでいることを知ることも、現実を見るのも、なにもかも……」
「……もし、僕が心当たりあると言ったらどうしますか?」
「どうするもなにも、俺の話を聞いていただろ? 現実なんて知りたくもねぇんだ」
「でも、現実を知らなければあなたは自分自身を赦すことができない」
「そうだ」
「歩き出したいのに、最初の一歩をどこに踏み出せばいいか分からない」
「ああ」
「だったら、僕の話に乗ってはみませんか? 悪いことをしようとは思っていません。あなたの気持ちをないがしろにしたいがために提案しているわけでもありません。知れば楽になり、分かれば一歩を踏み出せる。その一歩が怖ろしいのなら、あなたは導かれるべきで……そして、解き放たれるべきなんです」
「確かに、もう俺は俺自身を赦せなくとも、知ってしまうべきなんだろうな」
男は冷ややかに笑う。そこには自虐の念が強く込められていた。
「アルフレッドだ。よろしく頼む、アレウリス」
差し伸べられた手を握り締めて、引っ張り上げるようにして彼が立ち上がるのを補助する。
「どうせ良い結果なんてありはしないんだ。知って、絶望して、そしてありとあらゆる感情を彫金に込めた方が……いいんだろうな」
彼の言葉にアレウスはなにも返さず、二人で工房へと戻った。
「丁度良い時間に戻りましてよ。やっと装飾品を受け取ることができました」
そう言ってクルタニカがアレウスに小さな木箱に白布で綺麗に包まれた装飾品を見せてくる。
「髪留めか……髪留め? うん?」
そういえば、ニンファンも髪留めを付けていた。
「師匠、折り入って相談があります」
「行きなさい」
「師匠?」
「私は人と為りを見ると言っただろう。帰ってきたときには顔付きが変わっていた。つまりはシンギングリンに行く決心が付いたのだろう? 行ってなにが変わるわけでもないが、一つの気持ちの切り替えにはなるかもしれない。それにだ、この注文の品を造ったのはお前じゃないか。お前の棚にあるなどとは知らず、随分と探し回ってしまった」
「申し訳ありません」
「……シンギングリンに腕利きの金細工師はいるだろうか?」
髭を生やした男がクルタニカに訊ねる。
「今はまだ」
「だったら、近い内にそこの男が工房を開ける。その手伝いを先んじて依頼しておきたい。近い内と言ってもあと十年は掛かるかもしれないが」
「了解しましてよ。シンギングリンに戻ったらギルドに伝えて、遣いの者を寄越しましてよ」
「助かる」
クルタニカが白布で髪留めを包み直し、木箱の蓋を閉める。
「あんな風には言っているが、俺のことをちっとも認めちゃいないんだよ」
村からシンギングリンに帰るのは明日の夕方。工房を出て、アルフレッドにそう告げたあと、別れ際にそんな愚痴を吐く。
「よく言われていたんだ。さっさとシンギングリンで働けるようになれと。でも、穀潰しになってからは全然だ。今さっき久し振りに師匠の目を見て話せたよ……明日、いや明後日か? 同じように目を見て話せるかは、分からないけどな」
その言葉に対する答えをアレウスたちは持っておらず、そしてアルフレッドも答えを求めてはいなかったのかすぐに工房へと戻ってしまった。
「どう思いまして?」
「なにが?」
「この髪留めがニンファンベラに関わっていて、そしてこの髪留めは先ほどのお弟子さんが手掛けた物。なにか、特別な意味合いが込められているような気がしてなりませんでしてよ。アレウスは彼と一体なにを話したんでして?」
「教えない」
「情報共有は冒険者の鉄則でしてよ」
「男同士の話だったんだよ」
「まさか二人して猥談を?!」
「なんで男同士で話すことは猥談なんだよ!」
彼女の想像の飛躍がバカバカしい。
「シンギングリンに着いたら分かる」
「本当でして?」
「ああ、きっと……ニンファンベラさんも、少しは救われるんじゃないかな……いや? 救われるのか? 救われないかも? いやでも……ううん……どうなんだ?」
ニンファンにとってアルフレッドがどの程度の存在なのかは分からない。そしてアルフレッドの言っていた女性がニンファンベラであるかどうかも実のところ判然としていない。語っていた特徴は彼女だったが、世の中にはそういった特徴を持つ人は何人だっている。容姿についてもっと詳しく聞いていればよかったとアレウスは後悔する。ギョロ目だけでは、特定とまではいかない。
「そう上手い話が…………あったりもするし、なかったりもするんだよな」
だからこそ、そうであってほしいと思う。
報われない想いというのは、救われない感情というのは世の中には出来る限り少ない方がいい。神を信じていないアレウスでも、それぐらいのことは分かるのだから。




