ぐうたら
一週間の休息を取った。取ったはいいが、その一週間、アレウスはほとんど家から出ることはなかった。それは調べ物をしたいからではなく、単純な怠惰。寒冷期による寒さは家の中でも顕著で、とにかく動き回る元気が湧いてこない。キッチンは火を使うため比較的暖かいので毎日のようにそこのソファで横になり、読もうとして読めないままだった本をひたすらに読み耽った。あまりにもぐうたらにしていたためにジュリアンには「人格でも入れ替わりました?」とまで言われたが、寒さの中でも当たり前のように生活できている彼が羨ましくて仕方がなかった。とはいえ、ぐうたらな生活はしていても家の修繕や保全、当番となっている調理や庭の掃除やトイレのような水回りの清掃をサボることはなく、ノックスの普段の生活についてもしっかりと指導はした。ただし、それ以外はソファで過ごしていたというだけ。
「談話室の暖炉は早い内に使えるようにしないとアレウスさんが寒冷期は永遠にソファから動かなくなってしまいます」
リスティがそう問題提起をしているとき、アレウスは開いた本で顔を覆って半分寝入っていた。しかし、自身を差し置いての会議めいた随分と重い口調に、本はそのままにして聴力だけに意識を集中させる。
「昨日、談話室の修繕は終わって使えるようにした。そのときに暖炉も確認したが、使えないようには見えなかったが」
この一週間の間にドワーフの里から帰ってきたガラハが応答する。
「今まで使ってこなかった物を突然、使うのは得策ではありません。まずは暖炉内と煙突内の掃除から始めないとならないでしょう。不完全燃焼や、酷い臭いが立ち込めるだけでなく、煙突が詰まっていたら煙が逆流して私たちは煤だらけになってしまいます」
「それにしても、アレウスさんがあそこまでぐうたらなのはいつものことなんですか?」
ジュリアンが呆れるように呟く。
「今年は一番酷いかも」
アベリアがそう答える。答えるまでに間がなかったため、もはや彼女には見透かされていたことだったらしい。
「じゃぁ昔から?」
ヴェインが訊ねている。
「昔からなんだけど、人前だとそういう姿は見せない感じだった。だからある意味では私だけじゃなくってみんなに心を許しているからこそ見せている一面なんだと思うんだけど」
「ペットじゃねぇか」
ノックスの言葉にアレウスもさすがに「ペットじゃない」と言いそうになるが、こらえる。なぜならここで起き上がればアレウスは絶対に暖炉と煙突掃除を手伝わされるからだ。こんな寒いときに、手伝いたくはない。連合のように滅多に積雪こそしないが、雪だって稀には降るのだ。そんな気温で外で作業など絶対にやりたくない。
ギルドからの依頼であればやっていることが、どうしてか日常に絡むとやりたくなくなる。ただし、そのやりたくない意思を他人に見せるのは恥ずかしい上に印象が悪いということで必死に我慢し、自分を叱咤して頑張ってきた。
だが、今年の寒冷期はただただなにもやりたくない。連合、エルフの森、新王国。様々な国を行き来したが、そのどれもで大変な目に遭った。結果的に命を繋ぐことはできたが、何度も落ちれば死に直面するような綱渡りなどしたくない。たとえ甦るとしても、したくない。だからもう迎暖期が訪れるまでは家でジッとする。もしくは魔物退治の依頼だけに注視する。そして、『異端審問会』について調べていく。そう決めた。
「まったく……あれでパーティでは信頼できるリーダーというのが厄介だ。まるでオレたちが疲れさせてしまっているかのような気持ちになってくる」
「無理をさせているのは確かだけど、アレウスはむしろ自分から飛び込んで行っていると思うよ、俺は」
「大体はアレウスが悪い。あいつは女の前でカッコつけたがる」
「なにかと面倒見が良いですからね、女性には」
ノックスの言葉にリスティが同調する。
「弱音を吐いているところを僕も滅多には見ないんですが」
「それは年上として良い顔しているだけ」
やはりアベリアの返事が早い。
「オレやヴェインにはよく弱音を漏らす。付き合いの長いアベリアには普段からボヤいているんじゃないか?」
「うん、アレウスじゃなかったら無視していると思う。あとリスティさんにも弱音を吐いて、凄く甘えていると思う。多分だけど年上の信頼できる女の人にはかなり弱いと思う」
とんでもないことを言っている気がする。
「ふーん、ワタシはあいつより長生きしているけどやっぱヒューマンの成長速度との関係で甘えてこないってことか」
「それかただ単にアレウスが年上のヒューマン限定で弱いだけか。クラリエさんへの対応も割と落ち着いているからね」
「アレウスさんは私のような年上の女性が弱点っと……」
「話の筋がズレていないか?」
さすがに我慢ならずにアレウスは顔に被せていた本を落として上半身を起こす。
「ああ、やっぱり起きていらしたんですね」
リスティは声のトーンを一段低くする。
「こういった話題にすると反応すると思ってノックスさんの言葉から誘導させていただきました」
「……それにしたって、」
「アレウスさん? 暖炉と煙突の掃除、手伝ってくれますよね? 暖炉が使えるようになればキッチンではなく談話室で私たちは過ごすことができるようになります」
「いや、でも、」
「アレウスさん? 私はぐうたらな人が嫌いです。恐らくここにいらっしゃる男性陣も、そして女性陣もみんな、ぐうたらに過ごすあなたのことを好印象ではなく悪印象として捉えています」
「……分かりました、頑張ります」
この圧力には屈さざるを得なかった。アレウスは立ち上がり、大きく背伸びをして落とした本を拾う。
「大体、ワタシがいる場所で寝たフリなんてできると思ったのか?」
ノックスの言葉には軽蔑が混ざっている。眼差しにも乗っている。
「いや、別にサボりたいからとかじゃなくて起きるタイミングを逸してしまったというか、」
「それを言い訳と言う」
リスティもそうだがノックスもそれなりに圧を向けてくる。
「言っておくが働かないで飲み食いばっかしている獣人は群れから追い出されるぞ? それが許されるのは群れの王だけだ。とはいえ、働かない群れの王なんて今時、どこも淘汰されて見たこともないが」
「獣人に産まれなくて良かったよ」
そんな冗談を言ってみたが、やはりソファをしばし独占していたアレウスに対しての悪印象は強いらしい。冗談に冗談で返してこないので、暑くもなく圧倒的に寒いはずなのに汗ばんでくる。
「暖炉の掃除って、もう煤だらけになること決定だからな。ヴェインは暖炉口を、僕はガラハに命綱を持ってもらって煙突の中を吊り下げてもらいながら掃除するよ」
「オレがやっても構わないが?」
「僕はガラハの体重を支えられないし、ガラハの体格だと煙突に入り切れない。僕がやるしかない」
「そこまで分かっているんでしたら、どうしてすぐにやろうとしなかったんですか?」
ジュリアンに問われる。視線は逸らす。
「いや、僕がやらなくても誰かがやるかなーって」
「もしかして年下の僕にやらせる気だったんですか?」
「年下とか関係なく体格的には君の方が煙突には入りやすいから」
「アレウスさんたちが帰ってくるまでエイラと一緒に家の掃除や保全を続けていた僕に、煙突掃除までやらせる気だったんですか?」
極めて強烈なジュリアンの問い掛けにアレウスは「あーうー」と言い訳を考えるも諦めて「御免なさい」と謝る。
煤だらけになってもいい服へと着替え――絶対に寒冷期前にやるべきだった煙突掃除へと取り掛かる。屋根の上に乗ったガラハには滑り落ちず、且つ楽な体勢の取れる場所に構えてもらい、命綱を結んだアレウスがまずは煙突の外側を登って頂上に行き、備えられている屋根を外し、掃除を行う。綺麗にしたものを命綱経由でガラハの元へと送り、自身は煙突内部へと入る。背中と両足で突っ張り、固定して両手の自由が利く状態で掃除用具を使って拭いていく。当然、この作業で体中は煤だらけになり、更には休息を取って疲労感の取れた両手足には負荷が蓄積してしまう。上から掃除を始めて半分ほど至ったところで、肉体的疲労の限界を感じてガラハにゆっくりと命綱を引いてもらいながら、自身も両足と背中を駆使して登って、煙突から抜け出す。
「あと半分はどうするかな……下から登るのもあれだし、上から入るのも結構、限界を感じた」
道具を棒の端に付けて擦れば煤は落とせるのだが、どうしても完全に綺麗にすることはできないだろう。
「一階建てにしては煙突が長いんだよな、ここ」
「そもそもの暖炉が大きいからな。燃焼量に合わせて煙突の長さも変わる」
ガラハはそう言って、アレウスに命綱経由で煙突の屋根を送ってくる。元の通りに接地し直して煙突を降りて家の屋根に。そこからガラハに手伝ってもらって地上へと降りた。
ちょっとしたことだが、足がガクガクになり体の節々が痛くなった。
「魔物と戦っているときは筋肉痛になんてほとんどならないのに、どうして家事や掃除をすると痛くなるんだろうな」
「戦闘ではロジックは働くが、普段の生活では働かない可能性は?」
「ある。冒険者のロジックが現状において必要性があるかないかが判定されて、必要なければ体力の数値だけが参照されるのかもしれない」
ガラハの言ったことにアレウスは仮説を立てる。
むしろこの仮説通りでなければ冒険者は普段の生活で困る場面が多い。必要以上に高い筋力は物を壊しやすくなり、無駄に高い敏捷性は悪用すれば物盗りを簡単にしてしまう。
「人を守るために使われるときだけ機能する……そういう見立てもできるな」
そう呟くが、実際のところロジックの機能がどうなっているかは不明のままだ。
「考えるのもいいが、それよりもまずは水浴びでもしてきたらどうだ? そんな煤だらけだと家にも入れてもらえないぞ」
「そりゃそうだ」
アレウスはガラハに掃除用具を渡し、一旦は家の前まで戻る。そこで彼に家の中からタオルや着替えを持ってきてもらい、水浴びのため川へ向かう。その途中で同じように煤だらけになっているヴェインと会う。
「いやぁ下から掃除するのも大変だったよ。でも、暖炉周りは綺麗になった。そっちはどうだい?」
「まだ少し掃除し切れていないところがある」
「けれど、俺たちにできる掃除の限界はここまでじゃないかい? 無理をして怪我をしちゃいけない。当面は暖炉の様子を見て、煤が暖炉側から大量に落ちてくるのならもう一回、掃除を検討しようじゃないか」
ヴェインの提案にアレウスは肯き、しかしこのあとに待っている水浴びに辟易する。汚れは落とさなければならないが、寒冷期に水浴びなど修行僧がやることだ。
「慣れているか?」
「なにが? 水浴びが? 寒冷期に? 慣れるわけないじゃないか。俺だって出来ることなら修行以外ではやりたくはないよ。大体、家にはお風呂があるんだから……いやでも、湯を沸かすのも手間だしな。だったら大衆浴場でも良い気がするんだけど」
若干の苛立ちを彼の言葉からアレウスは察する。やはり寒冷期に水浴びなど考えられないのは誰でも同じらしい。
彼と一緒に極寒のような水浴びを終えて、アレウスたちは着替えを終えて駆け足で家へと舞い戻った。
「目が覚めましたか?」
「目が覚めるどころか死んでしまいます」
「お疲れさまでした。ガラハさんには先に淹れていますが、お二人もどうぞ」
帰ってきたアレウスたちにリスティが紅茶を淹れてくれる。温かい飲み物を口に入れ、冷えてしまった体を内部からも温め直す。
「あとは薪割りと、火起こしと、」
「それも僕にやらせる気ですか?」
「はい」
「……ヴェインには?」
「ヴェインさんはこのあとエイミーさんと約束があると聞いています」
ジッとアレウスはヴェインを見る。
「え、俺がエイミーの名を出して逃げる腹積もりとか思っているのかい? はっはっはっ、馬鹿を言わないでくれよ。そんなことが出来るなら最初からやっているよ。そんな不誠実なことをしたら、俺はきっとここには戻ってはこられない」
「よくそれで仲良くできるな」
「相性だよ相性。エイミーの誠実さを俺は正しいと思うし、俺のやり方をエイミーは好んでいる。だからこそお互いにとって理想的でない態度や対応には不機嫌になって仕方がない。こう言うとまるで俺たちの間には常に張り詰めた雰囲気があるみたいな感じだけど、実際は自然体でやれている。心配されることじゃないよ」
「でなければエイミーさんもヴェインさんと改めて婚約などしませんよ」
リスティの言うことも確かだが、聖人のような男が聖人のような女性と巡り合えるのも珍しい話だとアレウスは思う。だからこそ二人はお似合いであり強固な絆があるのだ。
「だから頑張ってくれ」
応援と薪割りという苦労から逃れられる喜びからくる表情を向けられても素直には「ああ」とは肯けない。
「頑張るもなにも、アレウスさんは言われたらなんだかんだでやりますよ。私は信じていますので」
にこやかに、そして綺麗に自身へと屈託のない笑顔をリスティに見せられてはなにも言えない。新王国において彼女は自身を良い大人ではないと言っていた。元々、性格についてはなんとなくではあるが悪そうだなと思っていたが、それは確信めいたものに変わりつつある。『私がこんなにもお願いしているんだからアレウスさんはやってくれますよね?』といった風な笑顔の裏の圧を感じる。
紅茶を飲み干し、体が温まったとこでヴェインが外出の準備を始めたのでアレウスは定位置であるソファに戻る。一仕事終えたあとなのでリスティは特になにも言ってはこなかったが、薪割りの仕事はやはり任されているので日が沈むまでには済まさなければならない。
とはいえ、一度寒さを経験したのちにこうして家の暖かさに救われると、今日はもう外に出たくないという気持ちが段々と強まる。丁度良い眠気までやってきた。あとのことはジュリアンに押し付けてしまって寝てしまおうかと横になる。そうして、夢心地になってきたところで玄関の叩き金が鳴らされる。無視してもいいが、アレウスが出るのが最短距離であり最速である。なのでソファから身を起こして、扉を開く。
「どちらさまで、」
来客の顔を見て青褪め、アレウスは数歩下がり、ひざまずく。
「畏まられてはお忍びで来た意味がありません。普段通りになさってください」
「そうは言われましても、オルコス様……」
お忍びで来るにしては大胆が過ぎる。アレウスはオルコスが言うように立ち上がりはするが、眠気など吹き飛んで緊張で気分が悪くなってくる。
王国の第二王女がお忍びで帝国のシンギングリンに来ているなど知られてはならない。一歩間違えるどころかもう既に外交問題にすら発展しそうな状況となっている。
「どうしてこちらまで?」
「あたしはあなたに謝罪も、クリュプトンを射殺した事情についても話し終えてはおりません。正式に謝罪と説明を行うと言った通りにしているまでです」
礼儀作法の整った綺麗な所作でのお辞儀にアレウスは激しく動揺する。
「クラリェット様が仰られた通りに、そして貰った地図通りです。まさか一切バレずに街に入れるとは」
「どんな侵入ルートを使ったんですか?」
「それは秘密です、お教えすることはできません。クラリェット様から直接、お聞きになられてはいかがですか?」
王女にシンギングリンへの侵入ルートを握らせたのは失敗ではないか。クラリエに心の中でアレウスは呟いた。もしも今後、新王国が帝国に、或いは王国が帝国へと侵略した際にシンギングリンが戦火に包まれるようなことがあれば、この侵入ルートが致命的になってしまう。
「アレウスさん? 一体どなたが、」
リスティが言葉を失い、硬直する。どうやらオルコスの来訪に脳の処理が追い付いていない。
「あらあら、義妹ちゃんのお友達もご一緒なのですね。それともあなたの仲間たちはここで一緒に暮らしているのですか?」
「え、ああ、はい。そうですけども」
お願いだから早く帰ってくれないか。そんな感情を伏せながらアレウスは挙動不審になりながら肯く。
「王女様をいつまで立たせていらっしゃるんですか! 早く椅子を持ってきてください!」
リスティに急かされアレウスは急いで近場の椅子を探すが、どれも王女が座るには品格が足りなさすぎるものばかりだ。
「いえ、このままで構いません。長居する気はないのです。先ほど申し上げましたが、ただただ無礼を働いた謝罪とクリュプトンへ矢を放った事情の説明のため。それに、あまり長居をすると帝国にとっても新王国にとっても、果てにはエルフにとっても良くないことになることは、自分自身が一番よく分かっています」
椅子を抱えたアレウスは彼女の言葉に従い、椅子を降ろして玄関口まで戻る。
「謝罪をされても困ります。あのときの無礼云々は戦場であったから仕方がないことですし、エルフにとってクリュプトンは討伐しなければならない人物。射殺したことはあなた様にとっては正しいことだったと思っています」
「本心ですか?」
「本心ですよ?」
オルコスに疑われるが、アレウスは気持ちの整理がついている。むしろクラリエの方がグチャグチャな感情を整えるのに時間を要するだろうと思っているくらいだ。
知りもしない王女の無礼や、復讐相手であったクリュプトンの死など、リオン討伐やその前にあったヴェラルドとナルシェとの別れに比べれば大したことはない。
「……エルフはヒューマンに嫌われているものだとばかり思っていましたが」
「王国側のエルフはよくそう仰います。帝国に比べてヒューマン至上主義が強めにあるからでしょう」
リスティが横からオルコスの言葉に応じる。
「かと言って、帝国も王国ほどに優れているというわけではありませんが」
「ええ、王族であるあたしの耳には帝国の黒い噂はいくらでも届いています。連合も王国も悪、帝国のみが正義。そんなものは理想であり現実ではないことはお伝えしておきます」
そう言ってから、オルコスはアレウスへと頭を下げる。
「数々の事情を知らないままに、なにもかもを決め付けてあなたを見下していたことを謝ります」
王女に頭を下げさせたなど後々の歴史でアレウスは悪人へと仕立て上げられるに違いない。
「その、僕の寿命が縮んでしまうのでもう頭をお上げになってください」
そう言うとすぐにオルコスは頭を上げた。そう言われることを事前に分かっていたような勢いだった。
オルコスは自身の表情や素振りを利用している。アレウスは直感的にそう悟る。ここまでの全ても、そしてこれからの全てもオルコスはアレウスを試すつもりである。
「どこまでが本当ですか?」
「なにが?」
「一体、どこまでが本当のことですか? クラリエから侵入ルートを聞いたとか、地図を貰ったとか、その辺りは信じるに値しますか?」
そう訊ねるとオルコスは一瞬だけ「あはっ」と笑う。面白いことを聞かれたからこその反応だ。別に求めてはいなかったが、アレウスの思った通りの人物であることはこの瞬間だけでリスティにも伝わっただろう。
「そうですね、アレウリス様はどちらが真実だと思いますか?」
「クラリエなら地図はお渡しになると思いますが、シンギングリンの侵入ルートは決して教えないでしょう。彼女は私情で街の危機に繋がらせるような情報は渡さないはずなので」
「ふふっ、当たりです。試すまでもなく、アレウリス様はクラリェット様が仰られていた通りの御仁のようですね」
では、とオルコスは言葉を繋ぐ。
「クリュプトンへの一射について、あたしなりの言い訳をさせてください。あたしはイプロシアを常に一番と捉え、信じ崇めていた者です。『神樹』と呼ばれる大樹を燃やした際も、きっとなにか理由があるに違いないと思い、クラリェット様やイェネオス、そしてエレスィからの協力を拒み続けていました。あたしが信ずる者はただ一人、レジーナのみ」
「けれど真実が暴かれた」
「イプロシアとは偽名であり、『ナーツェの血統』でもない。あるときから異世界を渡るためにエルフを利用していた。そのために周辺諸国にすら影響を及ぼす無茶を繰り返していた。王国のクローン研究も、彼女から強く影響を受けている……ええ、ですが、こんな真実ごときではあたしは決して王国に離反するようなことはすることはなかったでしょう」
「では、やはりレジーナですか?」
オルコスは肯く。
「レジーナとは二十五年来の仲なのです。あたしが五歳の頃に彼女と会い、そしてその当時からずっと話し合いの場を持ち掛けられていました。エルフは王国を侵略しない、だから王国もエルフを侵略しないでほしい。そんな風なお願いを……ですが、コンヴァラリアの一族に悲劇が訪れます」
「エレオンの奥さんが森から拉致された」
リスティの言葉にオルコスは肯く。
「そしてほどなくエレオンは獣人たちに森を襲撃させ、自身の妻をさらった人物を特定しようとしました。この大罪により、あたしの親友であるレジーナは大罪人の娘され、『天眼』があるという理由で生かされ、あのような暗く湿った場所でしか生活することを許されなくなりました。あたしは王国において何度もしつこく、森を襲撃した者は一体誰なのかを問い質しました。けれど誰も一言も明かすことはなかった……まさか義兄様が関わっていたなど、知る由もなかった」
「では、そのときから」
「ええ、あたしは王族である前にエルフとしての立場を尊重するようになりました。ある意味で、あたしがこうしてあたしでいられるのはその悲劇のおかげでもあるのですが……悲劇のおかげなどとは、公の場では決して口になどしませんが」
自身の呟いた言葉を自分自身で罵る。
「あたしの願いの根幹にあるのはイプロシアへの信仰とレジーナの解放。だからこそ、でしょうか。レジーナはあたしに持ちかけてきたのです。『もしもイプロシア・ナーツェが虚像であったなら、一度だけでも私のお願いを聞いてくださいますか』と。あたしは信仰を否定されたような気がして激昂しましたが、それでも態度を改めないレジーナを見て、冗談でもなんでもなく本気なのだと受け取り、応じました。そしてそれは二十年の時を経て、果たされることになった約束となりました。イプロシアは虚像であり、レジーナの言う通りだった。だからこそ、彼女の願いを、そして自分自身のこれまでを恥じて王国を離反して洗脳されたエルフたちを鎮圧するべく発ちました。同時に、クリュプトンを討たねばならないという強い意志もあったのです。なぜならクリュプトンは、」
「自身が心に残している唯一の救援対象であるクラリエを殺そうとしている」
アレウスはオルコスの言葉の先を読み、呟く。
「エルフの森でクラリェット様が釈明する様子をあたしも見ていました。そしてその覚悟も……ですが、どういうわけかクリュプトンについてだけは必死に擁護するのです。あたしには、どんなに考えても答えが出せず……そしてあのとき、あの瞬間が訪れました。クラリェット様は疲弊している様子で、イプロシアを殺したクリュプトンが傍に立っている。言葉を掛けるよりも先に体が動きました。阻止しなければ、喪ってしまう。喪う前に、阻止しなければならない。あの矢には、あたしの全身全霊が込められていました。でなければ強者たるクリュプトンを射抜けるわけもないのです」
そこでオルコスは溜め息をつく。
「結局、あたしの感情が先走った結末です。クリュプトンは『四大血統』の誓いの元、そしてロゼ家の使命を全うしようとしていただけ。どうしてそれをちゃんと聞き届けることができなかったのか……あそこで弓矢を構えた際に、一瞬でもクラリェット様のお言葉を思い出すことができなかったのか……悔やまれる、限りです」
苦しそうに言葉を紡ぎ、唇を噛む。
罪に囚われている。自身の行いに後悔の念を抱いている。
「あの場で敵味方の区別を付けるのは難しい話です。それに、己が信条に則った行動であるのなら、それを認める認めないは僕たちや周囲の者たちではなく、自分自身ではないですか?」
「自分自身?」
「そりゃ色々と思うこともあります。あそこでああすべきだった、ここではこうしたいだけだった。でも、どんなに思ったところでその最善、最良の選択肢まで時を巻き戻すことはできません。罪であると罰し、後悔に苛まれるのは誰でも当然ではありますが……そこにずっと囚われ続けることは決して正しいことではありません」
アレウスは言葉を続ける。
「僕たちは苦しみ、悩み、後悔しながらも、それでも未来のために生きなければならない。今日をどうするか、明日をどうするか、これからをどうするか。そんな風に悩みながらも月日は止まってはくれない。時間は止まってはくれない。決断の瞬間は常に訪れる。とにかくそれでも前へ歩かなきゃなりません。だって立ち止まってはいられないじゃないですか。きっと王女様の周りには僕よりもずっとずっと、あなたが苦しみながらも歩き続けることを待っている人がいらっしゃいます。期待などされたくもないでしょうし、期待するほどに自分自身という存在は出来の良い存在でもない……などと思っていたところで、周りはそのようには思っていないので滅茶苦茶に期待してきます。だってそれは、人間の本質だから。自身より優れている相手へ期待するのは、その活躍を切望しているから。自身より優れている相手を妬むのは、その才能が羨ましいから。つまり、オルコス様はお持ちになっていられる側の人間なのです。後悔の念は抱いても、僕みたいな存在以上に次へと歩み出さなければなりません。繰り返し、繰り返し、後悔し、後悔し、そして最後に見る景色が平和であったなら、その後悔も間違いではなくなる。違いますか?」
「…………義妹ちゃんの親友さん」
「はい」
「この方は普段からこのような?」
「ええ、はい。このような感じで男女問わず誑し込まれますので注意してください」
「別に誑し込んではいないんですが」
どうして王女を誑し込まなければならないのか。自ら死地には向かわない。ただ、悩んでいるから答えているだけだ。そしてそれは強い強い主観が込められており、客観的に見た答えではない。言って満足感を得ているだけ。特に王女にこんなことを言っている自分に酔っているだけだ。
「まぁ……言葉が巧みであるのは強みです。あたしの言い訳を聞いてくださいありがとうございました」
気が晴れた。そんな表情をオルコスはしている。また表情で惑わしているだけかもしれないが。
「やはり言い訳とはすればするだけ得ですね。胸の中のモヤモヤが取り払われます。外に吐き出すのは大切なことであり、そして吐き出す相手も選ばなければなりません」
オルコスは翻る。
「それでは、ごきげんよう。あたしはこのままエルフの森へと帰り、そして新王国へと戻ります」
「誰かを付けましょうか?」
「いいえ、自身で進んだ道を帰れない王女などおりません」
リスティの提案をオルコスが断る。
「その強さで、その想いで、その願いと歩みでクラリェット様をお支えください。あなた方でしたら、あの方を任せられます」
波風を立てることなく、納得して帰ってもらえるようだ。
「ただ、もしもクラリェット様を泣かせるようなことをしたならば、あなたを射殺してしまいかねないのでお気を付けください」
「それは脅しですか?」
「ちゃんと射掛ける前に生きるか死ぬかの選択はさせますよ。ですが死にたくないと懇願し、惨めに生き足掻く道を選ぶと仰るのであればあなたの男を象徴するそれを潰させてもらいますが。だってクラリェット様を泣かせておいて、そんなモノは必要ありませんよね?」
その落ち着いた口調と王女という品格を持っていて、どうしてそのような下品なことを言い出すのか。
「どうにも人を誑し込むのが上手い方でいらっしゃるようですから警告しておかなければ、どんどんと被害が拡大しそうですので」
それでは、とオルコスは言って扉を閉めた。あれで本当に帰ってくれるのかどうか不明だが、彼女が帝国という領土で長く居座るメリットもない。どこに向かうまで追跡してもいいが、彼女の弓矢に狙われないとも限らない。
「僕ってそんなに非情というか、人でなしに見えますか?」
「まぁ、身の危険を感じておいた方がアレウスさんが調子に乗らないので私たちは助かります」
「意味分かんないんですけど」
「そのように無知なフリをしても無駄ですよ」
見え見えの嘘は通じなかった。
「これは本気で言っているんですけど、別に調子には乗っていませんよ」
「独占欲に快感を覚えてはいらっしゃいますよね?」
「…………はい」
「それが調子に乗っているということです。よくご理解ください」
釘を刺され、アレウスはしょんぼりとしたままリスティが自室へと戻っていくのを見送った。
その後、どうにも気分が晴れないので薪割りを無心で行った。結果的に任されていた仕事を早急に片付けられたので良かったのだが、色々と納得できない感情にしばし振り回された。




