闇は蠢く
♭
「マクシミリアン殿下が討ち死にされたとは本当か?」
「分からない、南方の戦争についてはまだなにも報告が上がってこない」
「もしもそれが虚偽であったなら、大事だ。アンナ・ワナギルカンが女王などと、あの方はお認めになられないだろう」
「静かにせよ、私語を慎め。でなければ粛清されるぞ」
「私たちはただ付き従うまでだ。頭がすげ替わろうとも、やることは変わらぬ」
「しかし、アンナ女王が侍らしているあの者たちは一体、何者なのだ?」
くだらない話し声を耳にしながらも、シロノアと女は謁見の間を歩む。
「まさか本当に国まで取るなんて、これもあなたの手腕によるものかしら、シロノア?」
「これもぼくに自由を与えてくださったからゆえの簒奪です」
そうやり取りをして、いつものように全てを晒してはこない男の言葉にうんざりしたような顔をしてから女はアンナを前に片膝を付いてひざまずく。
「女王陛下に呼ばれ、参上いたしました」
「大義である」
「では勅命の通りに以後、『異端審問会』がクローン研究を引き継ぎます」
「好きにせよ」
「お待ちください、女王陛下! 『異端審問会』は得体の知れぬ連中! 王国に入れようものならこの国は!」
進言してきた騎士をアンナが玉座より立ち上がり、睨む。
「私の言葉一つでそなたの首が飛ぶ。それでも私のやり方に異を唱えるか?」
開いていた扇を閉じ、その先を騎士へと向ける。
「なぜですか、女王陛下――いいえ、アンナ・ワナギルカン様。あなたは、『異端審問会』など受け入れぬ絶対の姿勢を見せていたではありませんか」
「さながら私が狂ったような言い方ではないか」
瞼を一度閉じ、そして開く。
「狂った者に、この眼が宿ると思うのか?」
「その、眼……は」
「私は聖女として選ばれた。そして『魔眼』を持っている。もう一度問う。この私の言葉に、異を唱えると申すか?」
「い……え、もはやなにも……言いますまい」
「下がれ。私が怒らぬ内に」
騎士は怯えながら、ゆっくりと隊列へと戻っていく。
「あの『魔眼』は?」
ひざまずき、頭を垂れたまま女はシロノアへと訊ねる。
「勿論、『魔眼収集家』が与えたものです。かなり嫌がっていましたが、王国を取れると説明したら喜んで与えてくれました。アンナ・ワナギルカンに聖女の器量などありはしませんよ。本来であればアイシャ・シーイングでやろうとしたことをアンナ・ワナギルカンでやっているだけですので」
「聖女見習いを目覚める前に手放したのは、国を取れると思ったから?」
「俺も取ろうとまでは考えていませんでしたよ。アンナ・ワナギルカンが最低最悪の拷問器具を隠し持っていなければ、アイシャ・シーイングを使う方針で行くつもりだったんですよ。あれを見て、気が変わったんです。自らに使われ、どれほどに下劣であるか味わったあとですから、もはや人間の感情も感覚もありませんよ」
「ああ、そういうこと。その拷問器具に掛けて、既に傀儡ということね。しかも、ドラゴニアが憑いている。人格を破壊してから空っぽの器に初代国王を降霊させるだなんて」
「でなければこんな第一王女を女王などにさせませんよ。しかし、これで大手を振ってクローン研究は続けられます」
「今更、国を欲しがるなんて『魂喰らい』もなにを考えているんだか。でも、まだ邪魔者はいるみたいだけれど」
「この王都に辿り着くまでには時間が掛かる上、新王国はそうすぐには来られませんよ。帝国と連合と戦争している王国を取れば、その後すぐに塗り潰される。後乗りは他国であってもできるからこそ、ここは先んじる者が多くを得られる。マクシミリアンという最大の杞憂が消し飛んだ今、王国はもはや『異端審問会』が手に入れたも同然」
「相変わらず、シロノアを敵には回したくはないわ」
「なにを仰いますやら。俺もですよ、シンド――アヴェマリア様」
いつものように名前でからかおうとしたが、今日ばかりは女からの圧が強かったために諦め、シロノアは彼女をそう呼んだ。
「問おう! 我が騎士、そして忠臣どもよ! 王に必要な物は“全”! では、国に必要なものはなんであるか? 大義か? 知略か? 力か? それとも時代の波か?」
アンナは手の平を前に差し出し、空気を掴むような仕草を取り、そして握り潰す。
「いらん! いらんのだ! そんなものは国にはいらんのだ! 必要な物はただ一つ! “勝利”!! 勝てば敵国は震え上がり! その恐怖は敵国を委縮させる! ただ勝利こそが国において全て! そう、なにもかもに勝ることこそが国であるということ! 大義、知略、力、時代! そんなものは勝利を積み重ねれば勝手に付いてくる! 誉れを求めてひたすらに勝利し続けよ! 敗北などという苦渋など呑まず拒み! 辛酸など舐めずに抗え! さすればお前たちは国に名を刻む栄光を手にするであろう!!」
もはやアンナではなく、ドラゴニア・ワナギルカンとしての言葉が、その身に宿りし『王威』が騎士と臣下たちを震え上がらせる。
「国のために生き抜け! 王を信じ戦い抜け! 大いなる栄光に満ちた王国のために!」
「もう独壇場ね。私たちは退散しましょう」
「顔を上げられる雰囲気ではないですよ」
『ご報告があります』
ひざまずいたまま、立ち去る機会を失ってた二人に構成員が『念話』を飛ばす。
「どうした?」
『ロジック砲の研究記録、及び研究資料。その他全てが持ち出されており、更には研究者は全員死亡しておりました』
「なんだと……?」
『どのような工程で作り出したのかの仔細が不明です。これからクローン研究に携わっていた者たちのロジックを調べますが、恐らくは誰一人としてロジック砲については知らないかと』
「マクシミリアンめ、まさか予見していたとでもいうのか?」
小さく苛立ち、シロノアは犯人であろう人物の名を口にする。
「まさか全て持ち出して戦場に出たのか? しかも研究者は口封じのために皆殺し、だと?」
横でアヴェマリアが密やかに笑う。
「シロノアがそこまで取り乱したのはいつ以来かしら。ふふっ、死者に一杯喰わされてしまったわね」
「……いいえ、なんの問題もありません。あのような兵器がなくとも、俺たちはこの世界から神に背く生き方をしている者たちを排除します」
「けれど、ロジック砲が理想に近かったのはまた事実でしょう? あれを世界全土に及ぼすことができたなら、冒険者は甦らなくなる。そうすればあとは一人残らず駆逐するだけだった。また遠ざかってしまったわ」
「そもそも『信心者』がハイエルフより賜ったロジックをばら撒いてさえいなければ、こんなことには」
「それを言ってしまったらおしまいよ。『異端審問会』は誰しもがロジックを与えた経験があるのだから」
行きましょう、とアヴェマリアは言う。
「遠ざかりはしたけれど、私たちは近付いている。ロジックを必要としない、極々当たり前の……普通の生き方へ」
シロノアは彼女の動じてすらいなさそうな強い強い瞳に後押しされ、なにも言うことはなかった。
*
クラリエはエルフの森で沢山のやらなければならないことがあるため、イェネオスとエレスィに任せてアレウスたちはシンギングリンの帰路についた。その道中でセレナとカーネリアン、そしてカプリースとクニアと別れた。シンギングリンに着けば『門』を使ってガラハとヴィヴィアンが里帰りする。イプロシアが死んだあとに『門』が未だ機能するかは不明なままで、それについてはギルドに着いてからリスティが確認を取ると言う。
「ちょっとした旅行気分だったな」
「旅行にしては過酷だったよ」
「それは……そうだな」
旅行などという楽しいものでは決してなかった。敵味方問わず、沢山の命を喪った。どんなに憎かろうと命は命。消えた命の分だけ、自分自身の成長へと変えていかなければならない。
昨日、元気だった人が次の日にいなくなっている。その寂しさは言葉では言い表せない。アレウスはリゾラにその経験をさせてしまっている。だからこそ、身近な人には死んでほしくないと無理難題を吹っかけてしまう。
「エレオンもリッチモンドも、考えている方向性は全く違うしどこか憎たらしいところもあったけれど……もうこの世界には、いないんだなと思うと虚しさがある」
弔い方は任せてしまっているが、大罪人のエレオンはきっとどのようにクラリエが進言してもまともな扱いを受けることはないだろう。だからこそせめて、アレウスが抱いている感情だけはなにかしらの祈りで届けたいとも思う。
「……これが信仰か」
信じ仰ぐもの。ただそればかりだと思っていたが、人を弔いたいと思う感情も、その人が望む形の弔い方がされてほしいと思う感情も、きっと同じものだ。
「なぁ、エルフはワタシたちを許してくれていると思うか?」
シンギングリンが見えてきたところで、ここまで乗せてくれた獣人に礼を言って降りる。その後、歩いている最中にノックスが訊ねてきた。
「いや、分かっているよ。あれだけのことでワタシたちが許されるわけないんだ、ってことぐらいは」
自分で言って、自分で納得したように呟いた。
「少なくともイェネオスやエレスィはノックスとセレナに関してだけは考えを改めたんじゃないか? パルティータの群れがどうこう、っていうのはもっともっと先の話だろうな」
「そうだと良いんだが」
「先祖やら親がやらかしたツケを後代が払わなきゃならないってのも理不尽な話だよね。ま、こっちもこっちで毛嫌いしていたところもあるし、エルフが外に開こうと努力するんならそこにとやかく言って妨害してやろうって気はないんだけど」
ヴィヴィアンは石を胸に抱き締めながら言う。あの石は魔力を注ぎ込むことで熱を持つらしい。この寒冷期においてドラゴニュートの活動能力は低下する。それを石の熱で和らげることができているようだ。
「この石をくれたのだって善意からじゃなくって、私の信用を得たいがため。でも、この善意がなくたって交流は交流だから、ここからもしかしたら先に続くなにかに発展するのかもしれない。滅びゆく種族がなに言っているんだって話だけど」
そうは言いつつも彼女の表情にはどこか穏やかさがあった。久方振りにドワーフの里から出て、更には沢山の種族と触れ合う機会があって多少の気晴らしか気分転換にはなった。そう汲み取ることができた。
「けれど交流は恐怖との戦いだよ。歩み寄ることで分かり合うこともできれば、話し合った結果、戦う選択肢しか取れなくなることもある。特に俺は今回の一件でそれをヒシヒシと感じたよ」
「ヴェインの言葉の端々から、もうこういうことには関わらせないでくれって気持ちを強く感じる」
「そりゃそうだよ。俺は人を救うために冒険者になり、戦士の道を進んで僧侶となった。なのに人を救うのではなく、人を殺す世界を見たくはないんだよ。城内に王国軍が来たとき、アレウスが俺を地下まで逃がしてくれたときには本当に助かった」
「人殺しには加担させない。僕は最悪、そうなっても仕方ないと思って戦っていたけど」
「あの判断は正しかったと思います。正しくないのはクルスの方。けれど王国軍も魔物が解き放たれたとなって統率が取れず、乱れに乱れていたので鎮圧に時間は掛かりませんでしたが」
城内での王国軍の対処はリスティの指示によって僅かばかりに残されていた騎士団たちに委ねられ、アレウスたちはもっぱら魔物退治へと走り回った。とはいえヴェインの力を借りることはできなかったし、貸し与えられた力を使えば王国軍だけでなく新王国の騎士団まで巻き込むので、かなり危ない線を渡らされた。
そんな中で、勢い余って殺していなかと言えば嘘になる。あの混乱で、魔物と人を区別して殺さないで済ませられるわけがない。シェスを殺しておいて今更であるし、それより以前にも王女奪還のために人を殺してしまっている。それでも罪悪感は抱き続けなければならない。
「場合によってはわたくしの教会までお越しくださいませ。懺悔室にて、その胸にある罪の意識を少しでも和らげることができましてよ?」
「ありがとう。僕だけじゃなく、みんなにも頼む」
ここは素直に礼を言っておく。
「教会は来る者を拒むことは決してしませんわ。教会で人を殺そうと画策する輩でさえも……なんて言ってみても、実際にそのような輩が現れた際には受け入れることはできないのでしょうけど、心の持ちようとしての表現でしてよ」
そう思うと教会や修道院は常に危険と隣り合わせだ。だからこそ誰もがお布施や寄進をする。その清浄なる奉仕は治安の維持のみならず、信仰を対象とした悪意に立ち向かう心構えも必要となる。
「なにはともあれ、オレたちの方は苦しくもあったが楽しくもあった。あれほどの数の種族と力を合わせて戦えたのは生まれて初めてだ」
「私たちは苦しいことばかりだったけど、一歩前進することはできたかな」
アベリアはアレウスに確かめるように言う。
「新王国に渡った組はともかく、書庫組は貴重な経験をすることができたと思う。今後の価値観の進展、或いは別の文化への興味へと変わってくれるといいんだけど……苦しいこともあったのなら、無理に糧にしなくてもいいか」
とは言え、冒険者のように探索ができた彼らと違ってアレウスたちは戦争を垣間見せられた。次こそは戦地に放り込まれかねない。もう新王国には首を突っ込みたくはない。
「私の顔を見てどうかしましたか?」
「もう勝手にいなくなるとかしないでくださいよ?」
「そうですね……アレウスさんがまた探しに来てくれるのなら何度だっていなくなりたいですが」
冗談で言っているのか本心で言っているのか表情からは読み取れない。リスティは悩んでいるアレウスに微笑する。
「そこまで想ってくださるなんて嬉しい話です」
「またそうやって僕をからかおうとする」
彼女の言葉に惑わされてはいけない。その言葉のせいでアベリアやノックス、果てにはクルタニカからの冷たい眼差しを向けられるのだから。なのにリスティはその視線を向けられているアレウスを見ることに一種の優越感を覚えているようにも見える。彼女の性格はアレウスが初見で感じた生真面目さとは裏腹に、随分とネチッこいことが最近になって分かってきたことだ。そういった一面を見せてもいい相手、或いは仲間たちと思ってくれているのなら嬉しいのだが。
シンギングリンの仮設の門を抜けて、少しずつ昔の景色へと戻りつつある懐かしい街並みを見て、安堵して深く深く息を吐いた。ようやく無事に帰ってきた。そんな実感が湧いて、ドッと疲れが増す。
「俺はエイミーに顔を見せてくるよ。ついでにドナさんたちにも帰ってきたことは伝えておくから」
ヴェインとは着いて早々に別れる。
「もっとヒューマンの街は見て回りたいんだけどなー」
「見ている暇はない。グリフも心配しているだろう」
「えー、お父さんの心配なんてしなくていいって。暑苦しいんだから」
「ギルドの『門』が使えるかどうか、調べてもらっていいか?」
「はい。では一緒に来てください」
ガラハとヴィヴィアンを連れてリスティが仮設ギルドへと向かい、スティンガーはアレウスに小さく手の平を振って別れの挨拶をしてから三人を追った。
「さて、アベリア? 休んでいる暇はないんでしてよ」
「嫌だ」
「嫌だもへったくれもありませんわ。わたくしと一緒に怒られてください」
「なんで私まで」
「神官長のわたくしが奉仕を放り出して外出していたなど、一人では教会の門を叩けないんでしてよ」
「まさか……」
アレウスは可能性を呟くも、それ以上はなにも言わないことにした。まさか神官長のクルタニカが一切の手続きをせず、教会に報告もせずに抜け出してきたわけがない。そんなわけがないんだと自分自身に言い聞かせる。しかしクルタニカはやけっぱちな勢いでアベリアの手を掴み、引きずるようにして連れて行った。あの形相の彼女から助け出す術はない。なので、冷たくはあるもののそのまま見送った。
「はーさてさて、ワタシたちは帰るかー」
「そうだな」
「ジュリアンになに言われるか分かんないんだよなぁ。あいつ、ワタシより年下のクセに沢山文句を言ってくるからな」
「主にお前の部屋の使い方と行儀が悪いせいだろ」
共同生活において、一人だけ明らかに異なる生活を行おうとすれば不和が生じる。ジュリアンはそれを是正しようとしているのだ。むしろ彼女の生活に大半の問題をジュリアンに押し付けてしまっているアレウスの責任でもある。
「一度、お前の生活を一から見なきゃならないかもしれない」
「ワタシはペットでもなんでもねぇんだから好きに生活させろよ」
「それはそうだが、ちゃんとした人間らしい生活を送らないとみんなから冷たい目で見られるようになるぞ」
「うぇ……それは嫌だな。クソ、面倒だが教わんねぇとやってらんねぇ……」
「ジュリアンには僕も多少は目を瞑るようには言っておくよ。特に獣毛については気を付けようもないだろうし」
獣人であるノックスが暮らす以上、その尻尾や獣耳から落ちる毛に苛立っても仕方がないのだ。それは獣人の持っている性質であって気を付けようのないものなのだから。
「……なぁ、お前さぁ? ワタシの毛に興味あるか?」
「え、ないけど」
なにを言い出すんだとばかりにアレウスはすぐに否定する。
「ちぇっ、ならいいや」
「なんだ? それには一体どういった意味があるんだ?」
「教えねぇよ」
自分で言っておいて、その意味を伝えてこない。ここにセレナがいてくれれば解説してくれていただろう。アレウスとしては獣人の文化への興味があるために知っておきたいのだが、即座に否定したせいかそれとも彼女の心変わりか、訊ね続けても拒まれ続ける雰囲気がある。
「あとで街にいる獣人に聞いてみるか」
「そういうのマジでやめろ」
凄まれる。さすがのアレウスもここまで詰められるとは思っていなかったため、小さく「はい」と答えるのみとした。
家に帰る最後の坂を登り、すぐにでも自室に入って眠ってしまいたい。そう思いながら玄関の叩き金を鳴らす。鍵はあるが、鞄から取り出すのが面倒だ。
「はいはい、アレウスさんなら留守です……よ?」
ジュリアンがもう何度も口上のように言い続けたか分からないとばかりに、飽き飽きとした言い方で扉を開きつつ、アレウスたちを見て声を詰まらせる。瞬間、唾が気管支にでも入ったのか思い切り咳き込み出す。
「大丈夫か?」
「え、えぇ……大丈夫、です」
大きく咳き込み、数分後に落ち着きを取り戻す。
「お帰りなさい、アレウスさんとノックスさん。他の皆さんは……?」
「ああ、それぞれ済ませなきゃならないことがあるにはあるけど、その内に帰ってくるよ」
恐る恐る訊ねてきたジュリアンにそう返事をすると、分かりやすいくらいに嬉しそうにして、それから慌ててその表情を抑える。普段が普段なので忘れがちだが、この辺りはまだまだ幼さが残っている。
「どこへ赴いたのかは詳しくは聞くつもりはありませんが、僕の心を躍らせるような冒険話ぐらいは用意してくれていますよね?」
「んーまぁ、その辺りは僕よりノックスの方が話せると思う」
「ノックスさんがですか……?」
「なんだその露骨に嫌そうな顔をするのはやめろ」
早口でノックスがジュリアンに文句を付ける。
「いえいえ、嫌がってなんかいませんよ。ただ、面倒臭いなぁとだけ」
「面倒臭いだと?」
「ああ、そうそう。丁度良いタイミングで帰ってきましたね。ドナさんがエイラやフェルマータを気に掛けてくれているからとアップルパイを持ってきてくださったんですよ。全員分はないので早い者勝ちにはなるんですけど、いかがですか?」
分かりやすいくらいに話を逸らした。
「アベリアの分は?」
「そりゃ確保しておきますよ。でないと怒られてしばらく口も利いてくれないので」
「相変わらず喰い意地張ってんなー」
獣人のノックスすらも引き気味にさせるアベリアの食への執着にジュリアンが「ええ」と同調する。
「それでは僕はアップルパイを切り分けておくので、部屋で休んでいてください」
アレウスたちが家に入るとジュリアンはそう言ってキッチンへと足を運ぶ。
「あと、ノックスさんは僕への冒険話をアップルパイを部屋へと持って行った際にしてください」
「面倒臭いんじゃねぇのか?」
「そりゃ面倒臭いですけど、だからと言って貴重な話を聞かずに終わるのは勿体無いじゃないですか。それに面倒臭くはあっても、僕はあなたを嫌ってはいないですよ? もう少し部屋の片付けや日々の掃除を心掛けてくれたら文句なんて言いませんし」
自然な対応をするジュリアンにノックスは分かりやすいくらいに喜び、鼻歌交じりに廊下へと歩く。アレウスもとにかく鞄を部屋に置きたいのでそのあとに続く。
「ヒューマンでも子供は可愛いもんだな」
「さっきと評価が一気に変わったな」
別にジュリアンは好感を示しているわけではないが、子供に嫌われるよりは懐いてもらう方が気分としては良い。その点はアレウスも同感である。
「あの可愛い顔を怒らせるなよ?」
「分かってるよ。部屋は片付けるし、掃除もちゃんとする。ワタシも今回の冒険でちょっとは思ったんだよ。他種族を知ることは、歩み寄ること以外にも沢山あるんだって。すぐには自分の生活に取り入れられなくて――三日で辞めちまいそうだけど、少しずつでも歩まなきゃ悪印象になる。この家から別に追い出されたいわけじゃねぇし」
多くの種族と触れ合い、毛嫌いしていたエルフとすら協力した。そこでノックスが感じたことは決して間違っていないはずだ。
「僕も思ったよ。ヒューマン同士に限らず人間同士で争うなんて不毛だし、悲しみを産むだけだって」
「不思議なもんだよな。大多数がそう思ってんのに、世の中から不毛な争いはなくならねぇんだ。ワタシが父上のためを思ってシンギングリンを侵攻しておきながらなにを言ってんだって話だけど」
「結局、そういうところやそういうことなんだろう。誰かのために、親のために、国民のために、国のために。それが極まっていくと、排除しなきゃならなくなる。でも、こんなことを言ってしまったら……僕たちが魔物を討伐しているのだって不毛な争いといえば争いだな」
「誰も間違ってはねぇけど、正しくは在れないってことか」
そこでノックスは大きな欠伸をする。
「あーねみぃ……アップルパイ持ってくる前に寝ちまうかもしれねぇし、それ食べたあとに部屋を片付けられるか分かんねー」
そう呟きながらノックスは自室へと入った。アレウスもまた自分の部屋に入り、まずは鞄をベッドへと放り投げて、椅子に座り込んで背もたれに身を預ける。
「……復讐のために、学べ、か」
クリュプトンは恐らくそんなことを言っていたはずだ。復讐する相手のことを学び、それらを全て否定して果たせと。
「シェスを討っても、どうしてか気持ちがスッとしなかったのは……シェスのことをよく知らないままに討ったからか? だったら僕のこの負の感情は、ただ暴力的に振るうだけじゃ駄目なんだろうな」
そう言いつつ淑女の短剣に手を当てる。
「僕のロジックが狙われているって言っていたのは、イプロシアがロジックに干渉してくる可能性があったんだな?」
『備えていたが、最悪の事態は起きなかったようだ』
「じゃぁそろそろ僕のロジックにある読めないテキストの正体を教えてくれ」
『貴様がもう一人いる』
「……そう言われたな」
『そして、貴様が産まれ直す前に想っていた相手もまた、この世界に二人いる』
「なんだって?」
『貴様とその想い人だった者のテキストが絡み合い、ロジック同士で繋がりが生じている』
「つまり、四人分のテキストが同じ列に記されているから読めないのか?」
一人分のテキストの上にもう一人のテキストが重なり、更に二人分のテキストが上に書かれている。だからアベリアが読んでもほぼ黒塗りにも近しく、読めない状態なのだ。
『貴様たちのロジックは繋がっているがゆえに、非常に危うい状態にある。誰かがこのテキストに干渉しようものなら残りの三人にまで影響が及び、干渉を拒もうものなら残りの三人のテキストもまた拒まれる』
「だから読めないし書き足せないし、消せない……か」
『ここはイプロシアが狙い、そして定めた異世界へ繋がる一文でもある。イプロシアは、四人分の世界に干渉することを望まなかったか気付けなかったか』
「と言うか」
アレウスはあることに気付いて背もたれに身を預けながら天井を見上げていた自身の体を起こす。
「それじゃ、誰かが死んだら残りの三人も等しく影響を受けるってことじゃないのか?」
『気付いたか?』
やや小憎たらしい声が頭に響く。
『貴様が貴様と出会ったとき、その貴様が敵であったなら……殺した瞬間に一体なにが起こるのだろうな? そして想い人だった者同士が争ったときにも、一体なにが起こるのか』
「そこは分からないんだな」
『ああ、我にもそれは分からない』
「なら僕が誰も救えなかったっていうのは、どこまでが事実だ?」
『全て正しい事実であるが?』
嫌な言い方をされる。赤い淑女は恐らく、アレウスからの言葉を求めている。「教えてくれ」と言うのを待っている。
だが、それを言えばアレウスは自分自身という存在に激しい憎悪を抱くに違いない。
「いや、言わなくていい」
『怖いか?』
「怖いよ」
『そうか……ならば、待ってやろう』
「主導権がそっちにあるみたいな言い方だな」
『貴様が弱さを見せたとき、我が貴様に服従する理由も失われるのだ。努々、忘れるな』
赤い淑女の声はそこで途切れる。
「僕たちは、この世界にとっての……なんなんだろうな、リゾラ?」
これほどまでに複雑化している自分たちのロジックと関係性は、もはや世界に求められたがゆえの結果だろう。もしも神とやらがこの世界にいるのなら、なにかしらの使命を与えている。ひょっとしたら、信仰心が厚ければそのように思うのかもしれない。
「残念ながら、僕は世界に嫌われている方だ」
世界に拒まれている。『蛇の目』をセレナに移譲しても、まだこの身には複数の種族のアーティファクトがある。一人で複数の種族の性質を持っている。そんなことは世界が認めない。そんな風にクラリエに言われたことを思い出す。
「考えるべきは『異端審問会』か。王国を手に入れて、なにを望む……?」
その出方を窺わなければならない。だが、それは後手に回ることを許すということ。
いつまでもいつまでも、先手が打てない。彼らの想定を上回れない。
「悔しいけど、我慢するしかない。調べよう……『異端審問会』について、もっと詳しく」
その詳細を知ることを頑なに拒んでいたのは、知りたくないことであったし知る理由もなかったから。
だが、クリュプトンが死に様に遺した言葉はアレウスの胸の中にあるモヤモヤに届いた。もう子供みたいな言い訳で見ないフリ、聞かないフリをするのは終わりにしよう。アレウスはジュリアンが部屋に運んでくれたアップルパイを受け取りながら、そのように奮起するのだった。




