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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第13章 -只、人で在れ-】
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β-17 産まれた命に罪はない

 マクシミリアン戦死の報がすぐに戦場へと行き渡ったことで王国軍は掲げるべき御旗を失い、投降及び敗走。新王国軍には抵抗する者以外は手出し無用とし、逃走する者を追うことも禁じた。王国軍が持っていた武器はその場に放棄してもらい、それを新王国軍が接収した。ユークレースは捕虜として丁重に扱い、ロジック砲にて無力化されていたキンセンカも彼の言葉に従って捕縛され、共にゼルペス城へと連行する運びとなった。

「あのときに、別れを告げていて正解でした。役目を果たされたのですね……えぇ、マクシミリアンの『指揮』は激烈。私か義兄上のどちらか、或いはその両方を殺すものとさせた。その判断こそが間違いであると、そう仕向けさせることに全てを注ぎましたから」

 マーガレットは回収されたリッチモンドの死体に手を這わせ、愛おしそうに頬を、顔を、そして頭を撫でる。肉体の損壊は酷かったが、頭部への外傷がほとんどないのはあの状況下において神の加護があったとしかいえない。

 あのとき、マクシミリアンはピークガルド兄妹ではなく、クルスを殺す『指揮』を行使するべきだった。王女は担ぎ上げられただけであって、真の脅威は兄妹にある。そのように思わせることで、この勝利に繋がったのだ。それらも全てリッチモンドの策略の内にあったのならば、もはやクルスには彼の知略の全てを知ることはできていないということだ。

「とはいえ、寂しいですよ……義兄上。先に逝かれては、これからの王女様の未来を語らう酒すら、共に飲めやしないではないですか」

 強く気高い彼女の頬に涙が伝い、体は震えて力なくその場にへたり込む。鎧は砕け、自らも重傷を負っていながらも血に濡れた髪は美しくも見える。

「あぁ……けれど、私は歩かねばなりません。歩くことこそが義兄上が照らしたる道。その王道を歩むクルス様を、支えるためにも。ですから、義兄上? 空より見守っていてください。私は必ずや王女を、女王へと導いてみせましょう」

 立ち上がり、名残り惜しくも別れを告げるようにリッチモンドの死体の額に口付けをして、踵を返す。以後、彼女の目から涙が零れることはなかった。


 ゼルペスに凱旋し、民草に迎え入れられながらもクルスたちはゼルペス城へとすぐさま帰還する。早々にリスティの怒りがクルスとエルヴァを襲い、そこに乗じて帝国の冒険者の説教も受けることとなった。これは至極当たり前のことだ。魔物を餌にして冒険者に王国軍と戦わせるなど搦め手も搦め手、禁忌に触れないギリギリのところ。そこを渡らされた彼女たちの怒りはそもそも受けることを覚悟していた。


 一通りの説教が終わり、クルスは解放される。エルヴァは未だにリスティからひたすらになじられているがそれも今日中には終わってくれるだろう。


 誰もいないところで一人、涙を流す。多大なる犠牲を払った。エレオンもリッチモンドもジョージも、それどころか『勇者』も死んだ。代わりにイプロシアの討伐に帝国の冒険者は成功し、アンドリューとマクシミリアンを討つに至った。オルコスは力を貸してくれ、ユークレースも投降した。

 それほどに長く共にいたわけではない。エレオンは大体が自由奔放であり、ジョージに至ってはまともに会話を交わした回数すら少ないだろう。それでも力を貸してくれた者の死は胸に来るものがある。心苦しく、立つことさえままならなくなりそうだ。彼らだけではない。突撃によって多くの仲間を喪った。その死の責任は全て、総隊長であり王女であるクルス自身にある。

「立って……歩くんだ。私は、この道を進むと決めたんだから……」

 自らが選んだ道だ。自らが進むと決めた道だ。激しい後悔も、激しい悲しみも、この胸の中で弾けるような激情もなにもかもを受け止めて、それでも進むのだ。それがきっと王道に違いないのだから。


 一日が経ち、感情への整理が落ち着く。しかしこれは一時的な整理であり、このあとに戦後処理を行っている最中に何度も何度も苦しむことになる。

「帝国の冒険者の方々にお礼を言わなければなりません。よくぞエルフを、イプロシアを止めてくださいました。その助力の甲斐あって、私たちはマクシミリアン本陣へと突撃することができ、勝利を掴み取ることができたのです」

「僕は礼儀を知らないんで言わせてもらいますけど、突撃作戦の際に行ったゼルペス城内での非道は二度と行わないでくださいね。でないと僕は王女は不在の間に城内で一体なにをやったのかを国民たち一人一人に伝え聞かせてやりますよ」

 顔に一切の感情を乗せず、未だ怒りが収まり切っていないアレウリスを僧侶が押さえ付ける。

「落ち着くんだ、アレウス。変なことを言って王女様の機嫌を損ねれば首が飛ぶんだぞ!? 俺は不敬罪でなんて死にたくない」

「いいや、城内に檻に入れた魔物を潜ませておいて王国軍が侵入した瞬間に解き放って、僕たちに対処させたなんてことは絶対に許しちゃいけないことだ」

「君の言っていることは正しい。正しいから取り敢えず落ち着いてくれ。何度も言うけれど、俺は不敬罪で首を刎ねられたくなんてない」

 必死にアレウリスを押さえ込む僧侶の、この世の終わりのような表情にクルスは僅かに笑みを浮かべる。

「こんなことで不敬だなんだと言っていたらエルヴァの首は毎日のように飛んでいるところですよ。ゼルペスを守るためとはいえ、不心得なことをしてしまいました。正式に謝罪をさせていただきます。申し訳ございません」

「ああぁ、新王国の王女様に頭を下げさせるなんて……俺たち、無事に帝国に生きて帰れるんだろうか」

「生きては帰れるよ。だって『教会の祝福』があるから」

「そういうことを言っているんじゃないんだよ、アベリアさん」

 この場で最も王女を敬えているのは恐らくはこの僧侶しかいないだろう。彼の気苦労は今後も続くのだろうかと心配もするが、彼自身はその生き様を楽しんでいるようにも見える。

「クラリェット様、母君を討たせる役目を与えてしまったこと、申し訳ございません」

「王女様が謝ることじゃないよ。元々、あたしはそれを果たすためにここに来たんだからねぇ。あんなお母さんだったけど、最期はちょっとだけ……親子の会話は出来たような気もするし……ほんのちょっとだけ、ね。あとは私が森に帰って、処刑されれば全て解決だから」

「処刑……? オルコス?」

「クラリェット様は肉親であるイプロシアが『神樹』を手にし、更にはエルフの森の象徴であった大木を燃やした罪により、死罪を言い渡されているのです。それを延期させていたのはイプロシアをその手で討つと強く語り、エルフの重鎮らを黙らせていたからなのです。イプロシアが死んだ今、クラリェット様への死罪を引き延ばすことはもうできません」

「仕方がないよ。そう決めて、言い張ったのはあたし自身だから。これでナーツェの血は途絶える……いいえ、『神樹』を奪われたあのときにナーツェの血統は途絶えたのかもしれないけど。だってあたしは、ただのクラリェットだもん」

「私になにかできることは? オルコス……エルフの森に打診し、彼女の功績に免じてせめて死罪だけは」

「こればかりは、あたしですら手の打ちようはありません。エルフの重鎮らが考えを改め直してくださっているか否か。このあたしのようにイプロシアの呪縛から解き放たれているのであれば、クラリェット様の死罪も撤回されるのではと……しかし、こんなことはただの希望。きっと、願っているようには万事上手くは参りません」

 オルコスは深い深い溜め息をつく。

「あたしはユークレース義兄様の顔を見に行かせていただきます。捕虜となった義兄様を嘲笑うわけではなく、投降を選んだその最良の選択には誰かが評価して差し上げなければなりませんから。それが彼の明日を生きる糧となりましょう」

「ユークレースは腕の立つ王族。可能なら傘下に加えたいところですが」

「あら? それはあたしにユークレース義兄様を篭絡せよと仰っているんですか? 困りますわ、同じ王族の血を引く者同士でそのような淫らな行いは」

「なにを言っているのです?」

「そのように冷静に切り返されては面白くありませんよ、義妹ちゃん。それでは、お先に失礼いたします」

 オルコスは揺るぎなく、綺麗にお辞儀をして謁見の間をあとにする。

「さて、これからあなた方をどうもてなすかですが」

「ありがたい話ではあるのですが、僕たちはこれからエルフの森へと戻らなければなりません」

「そうなのですか?」

「はい、仲間が……待っていますので」

「…………そう、ですか。仲間が待っているのですか。でしたら、私が引き止めるわけには参りません」

 帝国の冒険者――その言葉で一括りにしてはならない。この同年代の少年と青年の間にいる男はクルスを支えてくれたエルヴァやリスティと同じように固い信念を持ち、エレオンのように強い復讐心を抱いている。そのことは自身が持つ『魔眼』が捉えている。可能ならば冒険者から手元へと引き入れたいとも思ったが、彼自身の冒険は戦争などという焦げ付いた悪臭を放つ肉の臭いや、燻る戦火の香りなどで染め上げてはならない。

「なにかあれば、多少程度は話を聞きます。ええ、多少程度は」

「それで十分です」

「そこはありがたきお言葉を賜り、恐悦至極にございますぐらいは言うんだ」

 僧侶にまたなにか言われているが、アレウリスは表情を一切変えない。恐らく彼からは信頼を失っている。ゼルペス城内を一時、混乱へと陥れたことに対しての不満が未だに解消できていない。

「私にもっと力があれば、あなた方に禁忌のギリギリを渡らせるようなことはさせなかったのですが、どうか、この未熟な王女に免じてはくださいませんか?」

「僕の怒りを感じているのであれば、二度としないと僕にではなく自分自身に誓ってください。それで僕は大体を納得させられますので」

「分かりました。このあと、アンジェラの傍にてそのように誓いを立てさせていただきます」

 アレウリスはクルスの返事を聞き、表情にようやっと感情を乗せる。


「申し上げます!!」

「今は謁見の最中です」

「しかし、アンジェラ様! どうか!」

「聞かせてもらいましょう」

 伝令を止めたアンジェラに声を掛け、自身の前まで通す。

「王都に向かわせていた間諜より報告! アンナ・ワナギルカンが王都を占拠!! 現王を玉座より降ろし、戴冠したとのこと!!」

「なっ?!」

 クルスはすぐさまアンジェラへと視線を向ける。しかし、このことは彼女も把握していないらしく首を横に振る。詳細を予測できるであろうリッチモンドは死に、マーガレットも療養に入った。圧倒的に情報が足りない。

「マクシミリアンが王都を出たタイミングを見計らって、王都を逆に乗っ取ったんだろうな」

 そんな中、エルヴァが冷静に言葉を零す。

「クルス? どうやら俺たちもまたアレウスへと手を貸さねばならないときがいずれ来るようだ」

「どういうこと?」

「『異端審問会』」

 アレウリスが呟くように言う。

「アンナ・ワナギルカンは『異端審問会』の手に落ちていたと僕はクリュプトン・ロゼのロジックより把握しています。最低最悪の下劣なる拷問器具を用いられたとの情報も。そんな第一王女が全ての王族が出払っている間に王都を盗み取るなどできるわけがありません。ですから、『異端審問会』はアンナ・ワナギルカンを傀儡とし、自らの根城を王都に変えたのです」

「……エルヴァ、お願いがあります」

「帝国に戻り、オーディストラ皇女に報告しろって言うんだろ?」

「またしばしお別れになりますが」

「その丁寧な話し方はやめろ。お前と俺の関係はそんな丁寧さが求められるもんじゃねぇはずだ」

「ふふっ、ならお願い。このままだと王国は歴史に連合を越える悪逆無道の国として名を残してしまう。リスティも帝国に帰って、エルヴァを見張っておいてほしい。ここは私とアンジェラ、マーガレットで立て直すから」

 随分と寂しくなってしまった。新たな人材育成も始めなければならず、近衛兵長を新たに任命し、指導役や知略に富んだ者を雇い入れる必要も出て来る。

「それじゃ、行こっか? アレウス」

 クラリェットは軽い感じで言い、彼女のあとを追うように帝国の冒険者が謁見の間を出て行く。

「あの」

 振り返り、アレウリスが声を発する。

「僕たちは敵ではなく、『異端審問会』と戦うのであれば共に歩くことのできる者たちであることをお忘れなく」

「ええ、ありがとう。そして、イプロシアが関わっていたとはいえ壮絶な兄妹喧嘩に巻き込んでしまって御免なさい。あなたたちのことは記憶に留めておく。次もまた、あなたたちとは協力関係でありたいから」

 アレウリスは似合わないお辞儀をしてから謁見の間をあとにした。



「クラリェット・ナーツェ、前に出よ」

 新王国からエルフの森を経由して帝国に戻る。その過程でクラリエはエルフたちに拘束され、アレウスたちとの別れを告げることすらできないままにエルフの重鎮らによる最終審問の場へと連行された。前に出るもなにも既に両手は縛られ、更には縛った縄の端は大柄なエルフによって握られている。そして、こんなところからあらゆる手段を用いて逃げようとすれば自身もまたイプロシアやクリュプトンのように永遠にエルフから追われ続けることとなるだろう。

 気配の端々のアレウスたちを感じる。イェネオスやエレスィに無理を言って連れて来てもらったのだろう。だが、彼らには発言権がない。エルフの重鎮らは依然として、他種族の言葉に耳を貸すことはないのだから。

「イプロシア・ナーツェ――いいや、キュクノスの討伐及びクリュプトン・ロゼの討伐。どちらも見事であった」

 実の母親と、本当はクラリエのためを思って無茶苦茶をやっていたクリュプトンを討ったことのなにが見事なのか。クラリエは不満を抑え込みながら、決して顔を上げることはしない。もはや反論も異論も唱えることはできない。死罪でありながらお目こぼしを受けていたのだ。今更、なにを言ったところで聞きはしない。


 ああ、それにしても――

 クラリエは残念そうに息をつく。アレウスと忘れられない想い出を作る時間はなかった。結局はアベリアに気を遣って、手を出すことができなかった。そんな自分の勇気のなさと、なんだかんだで培っている倫理観にただただ心の中で嘆く。

 こんなにも人を好きになったのは初めてだ。こんなにも人を想っているのは初めてだ。その想いを彼も気付いてはいた。しかし、なにか行為や形として残すことは決してできなかった。


「お待ちください。確かにクラリェット様の母君は『神樹』を奪うだけでなく、『神樹』と呼ばれていた樹すらも燃やし尽くしました。ですが、それは母君の罪であってクラリェット様の罪ではないはずです!」

 新王国でユークレースとの邂逅を終え、すぐさまエルフの森へと取って返したオルコスがクラリエを弁護する。

「オルコスよ。そなたもイプロシアを信奉し、裏切られた身であるはず。にも関わらずなぜにクラリェット・ナーツェを守ろうとする? イプロシアの嘘はそなたを傷付け、クラリェットの存在はそなたにとっては怒りをぶつけるべき対象であるはず」

「あたしは平和以外を求めはしません。イプロシア様――いいえ、イプロシアの語っていたあらゆることはエルフにとっての平穏であり、それは永久(とこしえ)に続く命にとっての平和でありました。だからこそあたしは宣誓を立て、イプロシアを疑う者たちは粛清すべきであると強く強く要求し続けておりました。ですが、それら一切が虚偽であったならば、あたしはあたしが立てた宣誓などかなぐり捨てて、己が罪ではなく己が母君の罪を、その手で咎めようとするクラリェット様の覚悟に敬意を表さなければならないと思ったまでのこと。もう、よろしいではありませんか。クラリェット様は自らの手でイプロシアだけでなくクリュプトンを仕留め、覚悟をお示しになられた。これ以上、この方になにを求めると仰るのですか? これ以上、どのように罪を償う方法があると言うのですか?」

「まだ一つ残っている。死をもって償うこと」

「だから! そんなことを未だにグチグチとネチネチと言い続けるからエルフは外へ開くことが出来ないのです!」

「外へ開く必要などない。エルフの命はどんなドラゴニュートを除けばどの種族よりも長寿。種さえ絶やすことがなければ、いずれはエルフが世界を取る。そのためにもオルコスよ、そなたが回収した『神樹』を私たちへと引き渡してもらおう」

「お断りします! このアーティファクトはクラリェット様と彼女の母君を繋ぐもの。あなた方になんて渡す気なんて全くこれっぽっちもありません!」

「ならばそなたも断罪されたいと申すか?」

「あたしが代わりに処刑されて、クラリェット様が助かるのであればそうしていただきたいとすら思っていますわ! この場に重鎮として座ることしかできない頭のお堅い方々に敬意の一つすらあたしは(いだ)いておりませんもの!」

「なんと愚かなことを。死を望むようなエルフなど私たちは求めてはおらん」

「そなたもまた、死でもって償うのだな」


「いつまでもそのような過去の栄光に縋り続けるがゆえに、よそから来たヒューマンに蛮族だと罵られるのです」

 森の陰から青白く肌に痩せこけた肌のエルフが現れ、オルコスに支えられながら歩む。

「レジーナ・コンヴァラリア……あの領域から出たのであれば、そなたもまた大罪として与えられた償いに反したということ。クラリェット・ナーツェと共に死を享受しに来たか」

「いくらでも仰ってください。もはや私はあの場所に隠れ潜んでいても、外の全てを知る術を失いました」

 額にあるべき『天眼』はない。アレウスの言っていた通り、彼女は自身の『衣』が行う燃焼の代価として『天眼』を差し出したらしい。そして、その『魔眼』の代わりにレジーナは瞼を開く。どうやら失われたはずの視力を取り戻しているようだ。

「もはや、外に出なければ世界を知る方法は私にはありません。これがどういう意味かお分かりですか?」

「『天眼』を失っただけのこと。外の世界を見張ることなど難しくもない」

「まだ分からないのですか? 私から『天眼』が失われたのであれば、私が持つ死の魔法は、私の見える範囲でしか用いることができないということ。連合の聖女が持つ死の魔法は、受けた身が聖女に近付けば近付くほどに存在が消滅するもの。そして私の死の魔法は、受けた身が私から離れれば離れるほどに死が近付く。私に『天眼』があるから世界を見張り、特定の誰かを死の魔法で捕捉することもできましたが、それも不可能となりました。もう世界に潜む、力ある者たちは気が付いていることでしょう。世界を見張る眼が消えたことに。もう『天眼』と死の魔法による庇護はなくなりました。いずれエルフの森は、戦火に包まれる」

 エルフの重鎮らがああだこうだと喋り出す。それのどれもこれもが喧騒に過ぎない。クラリエにとってはどうでも良いことばかりだ。誰もが世界ではなく、エルフがどのように生き残ればいいかばかりを話している。戦うのではなく、世界の変動を拒み、より深くへと潜もうと考えている。


 それではなにも解決することはできないというのに。


「『天眼』を失った理由もクラリェット・ナーツェの『衣』のせいではないか。レジーナ・コンヴァラリア? そなたはあの瞬間にクラリェット・ナーツェを見捨てるべきだったのだ」

「あなた方は! 全てを燃やす覚悟で、世界のためにイプロシアを止めたクラリェット様が! あのままロジックが燃え尽きて廃人になっても構わなかったとお思いなのですか!?」

 オルコスが段々と声を荒げていく。

「そうだ」

「『そうだ』?! あたしたちエルフの失態を! 産まれたがゆえに与えられた責任を果たした、クラリェット様になんてことを!!」

 暴れそうになったオルコスを複数人のエルフが押さえ付け、レジーナもまた抵抗する力を持っていないがためにすぐに拘束される。


「クラリェット・ナーツェとレジーナ・コンヴァラリア! 産まれたがゆえの大罪をその命で償え!」


 一際強い風が吹き、辺りの木々が枝葉を激しく揺らす。


「おかあ……さん?」

 吹く風が見せた幻想か、それとも自分自身が死を実感し始めたがゆえに脳がおかしくなって見えている幻覚か。クラリエの前にはイプロシアが立っているような、そんな気がした。

『これは私の罪、そしてこれは並行世界の私が干渉できる唯一の瞬間。もう二度と、この干渉魔法は通用しない。世界がきっと拒むから』

「なにを……」

『枝葉は風に吹かれて葉を擦り合わせて音を立てる。世界は枝葉のようだと喩えれば、その葉と葉が擦り合う瞬間だけ、並行世界から干渉することはできなくはない。私とバシレウス以外は出来ないだろうけど』

「……そう、私を笑いに来たの?」

『違う。言ったでしょう? あなたの世界に残っているのはあなたの罪じゃなくて、私の罪。そしてそこにいるエルフたちの価値観は狂っている。それもこれも私が色々と干渉したせい。私は確かにその世界では死んだけれど、私の意識は過去に飛んでいるから魔力が維持されている。とても難しい話だけれど、そんなことは気にしなくていい。今、狂ってしまったそれを正すから。“開きなさい”』

 姿の見えないエルフの重鎮らが座しているであろう空間から一斉に、そして一杯のロジックが開かれる。

「お母さんは、助けてくれるの?」

『あなたは私を見逃してくれた。だったら、母親らしいことぐらいはしないと。でも、これでもうお別れね。“閉じなさい”』

 ロジックがなにかしらの干渉を受けたのち、閉じられる。

『さようなら、クラリェット。あなたは、何者でもないけれど、何者でもある。只、私みたいに人で在ることを忘れちゃいけない。あなたは自由に、気ままに、あなた自身の道を、あなたが私によって定めるしかなかった道を歩むのではなくあなたがこうしたいと本気で願う道を好きなように歩きなさい。母親の私は、あなたの決断をなんにも言わないしなんにもできないけれど……アレックスはきっとあなたの魔力と混ざり合って、ずっと守ってくれていると思うから』

 再びの風が吹き、母親の姿が掻き消える。


「産まれたがゆえの罪?」

 重鎮の一人が呟く。

「産まれたがゆえの罪とはなんだ?」

 更に別の重鎮もまた呟く。

「キュクノスは、エレオンは大罪人。罪を犯したからこそ罰せられなければならない。その二人の命はもうこの世にない」

「だがその罪が子供にもあるとは一体なんだ?」

「子供に罪はない。子供に罪があるとするならば、それは子供もまた大罪の道を歩んだときだけだ」

「そもそも産まれた罪とはなんだ? 一体誰がそんな馬鹿げたことを言った?」

「分からない」

「産まれる命に罪などあるものか」

「産まれた命が尊い以外に、一体なにがあるというのか」

「宿った命が罪などと言い出したら、私たちもまた全員が罪人ではないか」

「罪人が子を宿し、その子が産まれてしまったとしても、その命に罪などない」

「産まれて()()()()という言葉もあり得ない」

「この世に生を受けた命が、誕生が、罪であってなるものか」

「誕生とは感動だ。成長とは喜びだ。成熟とは喝采だ。老いとは達観だ。そして、死別とは悲しみだ」


 重鎮らが一人一人立ち上がり、拍手をし始める。


「クラリェット・()()()()()()()に祝福を。レジーナ・コンヴァラリアの貢献に感謝を」

「その命に罪はない。罪などあってはならない。よくぞキュクノスの暴走を止めてくれた」

「そして、多大なる犠牲を払って使命を全うしたロゼ家に最上(さいじょう)の敬意を」

「この者たちに()いた大罪の償いの全てを免除する。クラリェット、レジーナ両名に祝福あれ。大罪より産まれながらに、大罪に立ち向かった命を! 我々、全てのエルフは歓迎する!」


 オルコスが自身を押さえ付けていたエルフたちを払い除け、レジーナを拘束しているエルフを押し退けて抱き付く。ほぼ時を同じくして振り返ったクラリエにアベリアが全速力で飛ぶように抱き付いてきた。

「良かった、本当に良かった!」

 先を越されたとばかりにイェネオスが渋々と近付き、エレスィがそんな彼女を見て「やれやれ」と言葉を零す。

「あなたが泣くことじゃないでしょ?」

「だって、クラリエが死んじゃったらどうしようって! クラリエの頑張ってきたことがエルフに認められないのは絶対におかしいって思っていたから!!」

「クラリエさん……取り敢えずはおめでとう、と言えばいいのかい? あなたの生き様は俺には眩しすぎて、祝福の言葉なんてどれもこれもちっぽけに聞こえてしまうだろうけれど」

「いいえ、ありがとう……ヴェイン」

「まったく、ヒヤヒヤさせる。すぐにでも里長に告げて、この森へと同胞たちを連れてなだれ込むつもりだったが」

「ドワーフが森を侵略するなんて新しいことを考え付くじゃん」

 ヴィヴィアンがガラハをやや楽しそうにからかう。

「オレはそれぐらい不当だったと言いたい」

 ガラハは安堵の息をつき、スティンガーはクラリエの頭の上に乗って愛情表現として凄い勢いで体を擦り付けている。

「これも今まで全ての苦しみに向き合う続けた結果です。ジブンのことのように嬉しく思います」

「言っただろ? 処刑なんてされるわけねぇって」

「……言いましたか?」

 セレナは首を傾げ、ノックスは「言った」と無理筋を貫こうとしている。

「共に長き道を見てきた身としては、もう少しあなたには褒美があっても良いと思いましてよ? まぁでも、生きていればこそですわね。あなたの次なる道は、どのようなものになるのでしょうね……クラリエ」

「道は続く。私のように省みたい過去があっても、歩み続けなければならない。出来れば、気楽であってほしいとも思うが、もはや気楽な道などでは喜べなくなってしまったか?」

 クルタニカは微笑み、カーネリアンが優しく問い掛けてきてクラリエは少しだけ苦笑いを浮かべる。

「ほれ見たことか、賭けはわらわの勝ちじゃぞ! カプリース!」

「そもそも人の生き死にを賭け事とするのは間違っています」

「そうは言うが先に持ちかけてきたのはお主の方ではないか!」

「僕はクニア様の器を試したのですよ。拾える命を見捨てるなど、女王としてあってはならないことですから。そして、正しい方へとあなたは賭けた。僕は賭けが成立するように逆に張っただけです。死んでいいなどとは思ってはいませんでした」

 カプリースがクニアにそう説明してからクラリエを見る。

「無事であるのなら僕は多くを語りはしないよ。君の言葉は最も語りたい相手にぶつけるんだな」

 フッと温かな笑みを見せてから、クニアの腕を引っ張って下がっていく。


「クラリエ」

「……アレウス君」

「君が処刑を宣告されて、どこかに連れて行かれるようだったらみんなで意地でも助け出すって決めて、色々と考えて……まぁ、どれもこれも無茶苦茶で実行してもきっと死ぬんだろうなってことばかりだったんだけど、君のためなら死んでもいいって仲間たちばかりだったから、なんとかなるかとも思っていたんだけど」

「物凄く怖いことを言っているよねぇ?」

「『教会の祝福』を貫く処刑なんて怖ろしすぎるじゃないか。そんなものに君が晒されるって言うんなら、甦ることのできる僕たちは死んででも君を、そしてレジーナを救い出すんだって躍起になっていたよ。正直、テンションはおかしかった。なんかみんな、うん、僕もおかしくなっていたかな。その無茶苦茶をせずに済んで良かったとも思うし、無茶苦茶をしたときにどうなっていたんだろうっていう興味もあった」

「あたしね、アレウス君」

「うん」

「アレウス君のことが好き」

「知ってる」

「……えーなにその勝ち誇った顔というか、独占欲を満たせて満足しているみたいな顔」

「え、あ、御免」

「まーそういう風に返されるだろうなとは思っていたし。アベリアちゃん? 私もちょっとは手を出してもいい?」

「うー……ちょっとだけなら許す」

「いや許すなよ」

 アベリアに呆れながらアレウスが言う。

「まぁアベリアさんは自分の感情を抑え込み過ぎですよね。私も何度その言葉に狂わされそうになったか。あと、私たちは喜んでどうこうしている暇もそう長くはありませんので、簡潔に……簡潔に、あれ?」

 リスティは自身が泣いていることにようやく気付く。

「御免なさい。私も限界だったみたいです」

「ううん、リスティも大変なときに私のために泣いてくれてありがとう」


「クラリエ様」

「どうしたのイェネオス?」

「ここに連行される前に私に話してくれたことなのですが」

「うん、あなたの(はら)はテッド・ミラーに……」

「それを聞いて私は子を孕むべきではないと思っていたのですが、私も私で覚悟を決めました。私はどのようなことがあっても、自身が添い遂げると決めた者との子を孕み、産む育てると」

「いいの?」

「ええ、もう決めました。だって、産まれる命に罪はない。産みたいと思うことに罪はない。私たちは長く生きているがゆえに、産まれる命に罪があるような考え方をしていたのかもしれません。本来、命に罪などないのです。その命が、罪を背負う道を歩かない限りは」

「……そう、だったらあたしたちはイェネオスのその考え方を尊重するわ。そして、あたしたちが生涯をかけて大切に育て上げていく。ねぇ、エレスィ?」

「どうしてそこで俺に振るんですか」

「だって、そういうこと、でしょ?」

「どういうことですか?」

「さぁ、どういうことなんでしょう」

 エレスィの疑問にイェネオスが小さく笑いながら知らんぷりをする。


「やっぱりお母さんは凄い人だったんだね」

 呟く。

 子供の頃にひたすらに聞かされ続けた母親の凄さ。クラリエは今の今まで、その凄さを否定し続けてきた。なにせ自分自身が立ち向かわなければならない相手だったからだ。真実を聞かされて、全てを失いかけたほどに凶悪な存在だった。

 だが、そんな凶悪な母親がクラリエの命を救った。それも並行世界からの干渉だ。二度と出来ないと言っていたが、イプロシアは何度でも挑戦し続けるのではないだろうか。今後はその力を、愛情を注ぐために振るってくれるのではないだろうか。

「もう二度と会えないけれど、もう二度と誰も私の実母になることもない。イプロシア・ナーツェ――いいえ、キュクノス。私を娘と呼べるのは、お母さんだけだよ。それと、私に新しい家名を与えてくれてありがとう。これで私はナーツェでもなく、ただのクラリェットでもなくなった。クラリェット・シングルリードは……その名の通りに、命を奏でられるように頑張るよ」

 クラリエはなんとも言えない感情で、表情で、ようやく命が守られたことを実感し始める。

 休みたい気持ちもある。しかしまずは母親と、そしてクリュプトンを然るべき方法で埋葬し、鎮魂の祈りを捧げなければならない。

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