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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第13章 -只、人で在れ-】
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β-14 平和を希求する者だけが


 アレウスが王女のロジックを開き、クラリエが存在ごと消えたかと思うと次の瞬間には『緑衣』を纏った彼女と、もはや抜け殻のようにへたり込み、生きながらに死んでいるイプロシアが世界に現れた。

 それは十秒に満たない数秒だった。しかし、クラリエの表情からは疲労が窺い知れ、アレウスたちにとっては数秒の出来事であっても彼女たちの間ではもっと多くの、分単位での戦いがあったに違いない。それも想像を絶するような、なにかとんでもない戦いをしていたのだと思われる。

「やったのか?」

 クリュプトンは訊ねる。

「……お母さんの意識は『逝くて還りて』であやまちの日に戻った。だからはあれは抜け殻……でも」

「あそこには『神樹』が残っている」

 彼女の確認にクラリエが肯く。

「因縁は断ち切ったか。ではここからは私の役目だ。ロゼ家として、いいや『四大血統』として使命を全うする」

「ええ……お願い。あの抜け殻には、もう、お母さんはいないから」

 決別を終えたのかあっさりと受け入れている。いくら抜け殻であっても、あれは母親の姿を残している。殺すことを容認することへの悲しさは既に飛び越えて、虚しさを抱いているように見える。

 なんとはなしに、クラリエの手を取る。

「……ありがと」

 彼女はアレウスにそう言って、けれど母親の抜け殻の最期を見届けることはできないようで視線を逸らした。


「“イプロシアは……彼女は、キュクノスに還った……か”」

 『勇者』もまた自らの妻の死に対し、歪であれど虚しさを感じているらしい。

「“思えば……長い、長い旅路だった。キュクノスと名乗っていた頃も、イプロシアと名乗っていた頃も、そのどちらであっても……共に戦い、共に笑い、共に生きた大切な仲間だった。その境界を越えてしまったことは、俺にとってのあやまち、だったのかも、しれない”」

「“あやまちなどではありませんよ。ここに、あなたとイプロシアの娘がいる限り”」

「“あぁ…………分かってくれる者が、いるのだな。俺と違って……俺のことを分かってくれるのは、仲間以外には……いなかったのだから”」

「お父さんとなにを?」

「いや、特に難しいことは話していないよ」

 クラリエの訊ねられてはぐらかす。


 クリュプトンの矢に赤い魔力が宿り、更にそれは漆黒に染まって抜け殻のイプロシアの首へと突き立てられる。抵抗はなく、反抗もない。『神樹』が持つ再生能力を呪いにも似た力で阻止され、呆気なくも横たわる。

「ようやくだ。ようやく使命を終えた。デストラ、ゴーシュ…………『四大血統』に連なる者たちよ。イプロシアという巨悪は今、ここで、っ!」

 多くのものを犠牲にしてきた彼女が、様々な感情を整理しながら空を見上げたその直後に、彼女の胸部を矢が貫く。矢を受けた体は仰け反り、しかしバランスを取ることもできないまま後ろへと数歩ほど足を動かす。だが、その足に力が入らなくなりクリュプトンは仰向けに倒れる。

「そん、な! クリュプトン!」

 クラリエが駆け寄り、アベリアが急いでクリュプトンへと回復魔法を唱えようとするが目を見開き、『舞楽禁制』を発動されて詠唱を遮られる。

「なんで……! そのまま、だと! 死んでしまう!」

 『舞楽禁制』に抗うようにアベリアが必死に魔力を練り、杖を振ろうとするが、そのどちらも形になることはない。


「クラリェット様!! ご無事ですか?!」

 王族のマントを纏ったエルフ――いやハーフエルフがクラリエに駆け寄る。

「クリュプトンの姿が見えたため、このままではあなた様の命が危ういと思い射掛けました。このオルコス・ワナギルカンが来たからには、あなた様には指一本触れさせません!」

 盛大にして壮大な勘違い。そして同時に、その誠意と正義に嘘偽りもない。クリュプトンは『人狩り』としてギルドでは指名手配されている。エルフの間でもロゼ家の異端児として追い出されている。たとえ『神樹』の一件があっても、それらをエレスィやイェネオスが可能な限り伏せていたのなら、彼女への評価は悪人のまま覆っていないことになる。

 そう、全て分かっている。分かっているからこそクラリエはなにも言えない。なにも言えないが、確かな怒りをオルコスへと表情として向ける。

「お願い、クリュプトン! 魔法を唱えさせて!」

「『舞楽禁制』の中で……よく、口が回る。私の力が、弱っている証拠……か」

 アベリアは尚も回復魔法を唱えるために必死になっている。だが、それを彼女は拒むかのように『舞楽禁制』を解かない。

「私はな……役目を果たしたあとは、もうこの命を捨てるつもりだったのだ。どのように終わらせるかは、悩んでいたが……この死に方が、一番形として良いのだろう。そう、悪名高いロゼ家の異端児の死によって……多くのエルフの無念が、晴れるのであれば」

「違う、違う違う違う! 役目を果たしたあとには違う役目が待っている! 一つが終わったあとには必ず始まりがある! あなたはこんなことで死んではいけない!」

「生きていたところで、エルフに捕らえられれば処刑は免れない」

「そうだとしても……! 弁護も弁論もさせてもらえないまま、あなたに死なれるのだけは絶対に嫌だ!!」


「“癒やせ”」

 エルヴァが駆け付け、クリュプトンに回復魔法を掛ける。

「ちっ……俺の大して信仰心のない回復魔法じゃこの傷は治せない!」

『クルスから命の波動を感じる。この『灰銀』のエルフがいなかったら、イプロシアに簡単にロジックに入り込まれて死んじゃっていた』

 天馬がエルヴァの傍へ行き、彼へ魔力を注ぐ。

『私の力を、少しでも』

『俺は周囲を見張らせてもらう』

 岩の狼が複数体になってクルスを数匹が守り、残りは辺りへと駆けて行く。


「はぁ…………はぁ、はぁ……うっ」

 突如のことにクラリエが抱え切れなくなり、崩れ落ちる。

「“違う。『衣』の燃焼の影響だ”」

「“『勇者』様、彼女を見ていてもらえますか”」

 生き様を燃やす。その燃焼によってクラリエにも異変が起きている。だが、その原因を調べることに時間を費やせばクリュプトンが死んでしまう。


「一体なにを……その者は『人狩り』のクリュプトン・ロゼなのですよ?!」

「そんなことを言っている場合じゃない。あなたのやったことは正しいからなにも言いませんので、僕たちがやっていることに対してもなにも仰らないでください」

 アレウスはオルコスを遮る。

「クソッ! 俺の回復魔法云々じゃねぇな。こいつ、自分自身に呪いを与えて傷の回復を阻害していやがる!」

「私は使命のために多くのあやまちを犯した。そんな女が死に場所を選ぶのは小ズルいだろうが、許せ」

「どうしてそんな……どうしてそんなにも大義を成したような顔をして死のうとするんだ?!」

 アレウスは叫ぶ。

「あなたは自身に着せられた罪以上の働きを果たした。だと言うのに、自らの汚名を挽回することすら諦めて、歴史に悪人として刻まれることを望むのか?!」

「そうだ」

 アレウスはアベリアの腕を掴んで引き寄せ、クリュプトンの視界外へと移す。これで彼女の『舞楽禁制』に縛られることはない。迷わずアベリアが回復魔法を唱える。

「駄目、治らない……癒やせない!」

「クソ……なにか方法は、方法は……」

 辺りを見回し、緩やかに死へと向かっているイプロシアを視界に収める。

「『神樹』をあなたのロジックに移す。そうすればあなたは、」

「ふざけるな、そんなことは絶対に私は望まない。どうして私が討った相手が持っていたアーティファクトなどをロジックに収納しなければならないと言うのだ」

 死にかけでありながら語気が強まり、その強い眼差しにアレウスは狼狽える。

「私の死に様は惨めで構わない。誰にも理解されず、誰にも愛されず、ただ己に与えられた宿命のためにありとあらゆることに手を染めて、そして身を滅ぼした。オルコス・ワナギルカンに討たれるなど『星狩り』が『人狩り』と呼ばれるに相応しい最期ではないか」

「……~っ!」

 声にならない声でどうにかオルコスは私情を抑え込む。

「見たところ、エルフの中でも特に強烈な呪いの力です。あたしたちには解呪することは困難です……それも、かつて『星狩り』と謳われたクリュプトン・ロゼの呪いであればもはや不可能です」

「そんな……」

 アベリアが愕然とする。

「そのように悲しむ間柄ではないだろうに」

「答えろ、クリュプトン! 死ぬ前に答えるんだ! 『白のアリス』とは一体誰だ?! そしてその者を束ねる『異端審問会』の根城はどこにある?!」

「……答えられんな」

「答えられない!?」

「身を寄せることもできない私を拾ってくれたのは『白のアリス』だ。貴様たちよりも長く同じ時を過ごしたその者の居場所を、私がこの口で吐き出すと思うな」

 その発言からアレウスはクリュプトンの意図を知る。

「アベリア……クリュプトンのロジックを開くぞ」

「でも、その間にこの人は死んじゃう……」

「口で語ることを拒むのなら、クリュプトンのロジックに聞くまでだ。そしてこの人はそれを望んでいる」

 自らの信条に反するから口を堅く閉ざすと言うのであれば、無理やりにでもロジックから突き止める。それはクリュプトンが自白し、敵に情報を伝えたという事実が残らない唯一の方法だ。

 アベリアは大きく息を吸い、そして吐いて、決心したようにアレウスと一緒にクリュプトンの額のやや上の空気に手を添える。

「「“開け”」」

 エルフのロジックはヒューマンが開けば廃人化する可能性がある。その負荷をアベリアと分割することで開くことを可能とする。これはクラリエのロジックを開いたときに実証できている。

「グチャグチャ」

「『衣』を使い続けて、あらゆるテキストが焦げ付いている。大切なテキストだけを残し、日々の何気ない毎日を燃やし続けた結果だ。そう、何気ない平穏すらも燃やして、常在戦場の如くこの人は生き続けている」

「でも……もうすぐ、死んじゃう」

「『赤衣』から『黒衣』の呪いの力。イプロシアすら射抜かれるのを恐怖した。けれどその呪いよりももっと別の記述だ。僕が知らなければならないのは、『異端審問会』がどこにあるのか」

 そうやってクリュプトンのロジックを調べているとき、緩やかに死へと向かっていたはずのイプロシアの体が波打ち、続いてゆっくりと上体を起こす。


「『神樹』が暴走しかけている」

 エルヴァが剣を抜く。しかしその右腕は重たそうだ。どこかで負傷して、未だに調子を取り戻せていないのかもしれない。そんな彼が暴走するアーティファクトを止められるとは思えない。

「“開きなさい”」

 オルコスが『神樹』が暴走し切る前にイプロシアのロジックを開いて、その動きと意識を飛ばす。

「あたしは己の判断を間違ったなどとは思っていません。クリュプトンは討たなければならないエルフの仇敵。射掛けたことへの後悔も微塵もありません。しかし、あたしの正義があなた方にとって不利益を与えたと言うのであれば、あたしはこの身で僅かばかりの償いを果たさなければならないでしょう」

 イプロシアのロジックをオルコスは開きながら呟く。

「この『神樹』は私が一時、預からせていただきます。今、この場で暴走してしまえばあなた方が知りたい事実を知る前に、なにもかもを破壊してしまいかねません。あたしのことは気にせず、さぁ早く。クリュプトンのロジックから有益ななにかを入手出来なくなってしまう前に」


 クリュプトンは矢で射抜かれるだけの理由を持っていた。そして、イプロシアを仕留めたことで彼女自身が隙を作った。まるで誰かに攻撃を仕掛けてもらいたいかのように。

 それがまさか、この場のどこにもいなかったオルコス・ワナギルカンであったなどとはアレウスには想像することはできなかった。彼女は『異端審問会』に身を置く者でアレウスが復讐しなければならない相手。なのにどうして、こうも生きてくれと願ってしまうのか。アレウスは自分自身の感情が彼女のロジックのようにグチャグチャになっていることに気付きながらも、必死に『異端審問会』に繋がる記述を探す。


「『王国の城の一つを落とし、以降はそこで活動。城主として駐留していたアンナ・ワナギルカンを捕虜とする』。『白のアリス』は王国のどこかの城に……?」

「お義姉様は公式には伝えられてはいませんが、確かに捕縛されていると聞いています。しかし、お義兄様は助けに行くことも、『異端審問会』からの交渉も全て断っていると」

「これ、クリュプトンが一緒に活動していた人たちはこの城にはいるけど、『異端審問会』そのものがいる根城について、クリュプトンは知らないんじゃ? もしかして、こういうことを見越して彼女だけは連れられていなかったのかも」

 アベリアはテキストを読んでいくが、どこにも『異端審問会』の根城を割り出せるような点は見つけられない。

「『『白のアリス』は自らをシロノアと呼称。『信心者』と『魔眼収集家』、『魂喰らい』と活動。聖女見習いのアイシャ・シーイングを『異端審問会』に命じられて拉致監禁するも、屍霊術師の才覚を『信心者』より授けたのちに追放。追放理由は聖女として一向に目覚めないことと、『異端審問会』からの受け渡し要求への反抗心のため』」

 読みながらアレウスは困惑する。『異端審問会』に命じられておきながら最終的に『異端審問会』に背いてアイシャを追放している。このテキストは文章として破綻している。だが、真面目に読み解くのならば『異端審問会』は一枚岩で活動しているわけではないということだ。

「っ、駄目! もう、ロジックが」

 アベリアが動じた直後、ロジックが赤い魔力によって激しく燃え盛り、アレウスたちを拒むように閉じる。

「なにか、分かったか?」

「なにも……分かるわけ、ないだろ!」

「そうだな。この世界は分からないことだらけだ。私ですらシロノアのやりたいことは分からない。だからこそ、貴様は復讐のためにその身を燃やすと言うのなら、しっかりと相手のことを知り尽くし、その使命を、その生き方を手中に収めた上で……潰すのだ。ありとあらゆる言葉で、力で否定し、己が燃やす復讐心の出処(でどころ)を確かなものとして、果たすのだ」

 クリュプトンはアレウスの腕を掴み、目を見開きながら見つめる。

「貴様の復讐が正しいか否かなど考えるな。(ただ)、人で在れ。人らしく、答えを導き出せ。アレウリ……ス……ノ……ル、ド」

 見つめ、力強く腕を掴んだまま彼女は絶命する。アレウスはなにも言えず、彼女の死しても尚、強い輝きに満ちている瞳に耐えられずに手で瞼を閉じさせた。


「クラリエは……?」

「クラリェット様を愛称で呼ぶなど、下賤なヒューマンですね。でも、いいでしょう。今回だけは聞き逃しておきましょう」

 横に綺麗に整えられた前髪、そして吊り目の強気で狐のような印象を受ける瞳と、その佇まいから頭の固い者の印象だったが物腰や対応は柔らかいらしい。それとも、敵意ある相手に対しては表情を変えるのかもしれない。

 オルコス・ワナギルカンへ向ける感情は不必要なものだ。彼女は事情を知らなかった。なによりも、クラリエのためを思った一撃だ。そして怒りなど抱いたところで、これを晴らす意味はない。だからこそ、考えるべきはクラリエのことだけだ。

「“クラリェット、消耗した『衣』の分だけ君のロジックが焼かれている。だが、正気を保ち、強い意志で抵抗するんだ。でなければ燃焼によって、君は自分自身という存在すらも燃やし尽くし、廃人となってしまう”」

 『勇者』は必死にクラリエへと呼びかけているが、彼女の『緑衣』はゆっくりと色を失って『無衣』に戻っただけでまだ解けていない。

「俺はクルスの様子を見るぞ」

 エルヴァは場合によってはオルコスの矢がクルスを狙うやもしれないという考えから、彼女の傍へと行く。確かにオルコスとクルスは陣営として味方同士ではない。離反が嘘であったなら、ここで彼女がクルスを殺そうと考えないとは限らない。


「“閉じなさい”」

 オルコスはイプロシアのロジックから『神樹』――アーティファクトを抽出し、閉じる。再びイプロシアは横たわり、今度は完全に生気が失せる。アーティファクトは物体化して両手に収まる小さな樹木となり、それをオルコスは自身の鞄へと収めた。

「クラリェット様!」

 そして次に彼女はクラリエへと駆け寄る。

「『衣』を必要以上に燃焼させてしまっています。恐らく、燃焼するテキストも選ばないままに全力を出したせいです。このままでは、クラリェット様は……!」

 そう言ってオルコスは彼女の『無衣』に触れる。

「あたしが燃焼を肩代わりします。代わりに多くを失い、自分自身すら忘れるやもしれませんが、クラリェット様を助けることができるのであれば本望です」

「おいおいおいおい! その馬鹿王女を止めろ! 叛旗を翻した王国の第二王女が廃人になったなんて笑えないことを言うんじゃねぇよ。新王国にとってどう考えてもマイナスだろうが!」

「新王国? なんですかそれは? あたしはクラリェット様のことしか考えていませんが」

「狂信はいい加減にしろ」

 エルヴァが再び頭を悩ませる。


「“声が、聞こえた”」

 『勇者』が呟いた。

『――さん! アレウスさん!』

「レジーナさん?」

『良かった、ようやく繋げることができました。その辺り一帯に強い魔法への障害が発生していて、『森の声』での接続がなかなかできませんでした』

「レジーナ……レジーナと申しましたか?」

 オルコスがアレウスの呟きに反応した。

「ここが見えていますか、レジーナ・コンヴァラリア。繋がりにくかったのはロジック砲やお義兄様が『森の声』経由の接続に魔力で阻害してきているのでしょう。しかし、繋がったのなら話は早いです。約束通り、イプロシアが煽動したエルフはあたしの部隊が鎮圧へと向かっています。ですから、クラリェット様を助ける方法を教えてくださいますか?」

『状況が見えません。『天眼』でそちらを捕捉はしておりますが、一体なにが』

「イプロシアを討つことはできました。ですが、クラリエが必要以上に『衣』を燃焼させたせいで、大切な生き様すらも燃やし尽くしてしまいそうな状況です」

『っ! なるほど、それはどうにも、マズい状況ですね』

「第二王女が燃焼を肩代わりすると仰っているんですが」

『もっとマズい状況ですね。アレウスさん、クラリェット様の傍へは行けますか?』

「ああ」

 アレウスは言われるがままクラリエへと近付く。


『あなたを観測点として、私が燃焼を肩代わりします』

「はぁ!? ちょっと待ってください!」

『オルコスやクラリェット様の生き様が燃え尽きるよりはマシでしょう』

「僕には全くマシとは思えませんが!」

『安心してください。私が燃焼を肩代わりするのではありません。『天眼』に燃焼を肩代わりさせます』

「“捨てる、というのか。『魔眼』を。聖女としての、力を”」

『この『天眼』は誕生して何世代にも渡って聖女から聖女へと移り続けています。即ち、この『天眼』の持つロジックは、エルフの寿命すらも上回るテキストを宿しているのです。燃やせば、クラリェット様を救えます』

「この世界から『天眼』を消したら……」

「なりません、レジーナ。『天眼』はエルフにとっての至宝です。それにあなたも分かっていますでしょう? 大罪人であっても生かされているのは聖女であるから。聖女を捨てれば、あなたはただの大罪人の娘となり、処刑されてしまいます。あたしは王族であっても所詮は外側から来たハーフエルフ。あなたを庇えるだけの力は持ち合わせてはいません」

『別に聖女を捨てるわけではありません。『天眼』を失いはしますが、この身が聖女であることに変わりはありません』

「目に見えて分かりやすいものがなければエルフは受け入れません。この言葉を何度もあたしへと向けたあなたに、あたしが今度は向けます。考え直して、レジーナ!」

『もう決めたことです』

 『無衣』の燃焼を示す揺らぎは一本の光の柱となって空へと伸びていく。

『約束してください、オルコス・ワナギルカン。クラリェット様を支え、新王国がこの戦いに勝利するために力を振るうと』

「今生の別れのようなことは仰らないでください」

『別れではありませんよ。ただ、『天眼』で見届けることができなくなりますので先に伝えたいことを伝えておくだけです。よろしいですか? イプロシアの真実を書庫より暴き、クラリェット様と共に戦い続けてくださったのはそこにいるアレウリス・ノールードさんです。しかしながら彼とその仲間は冒険者であるがゆえに、これ以上、新王国へ助力することができません。あなたが加勢し、戦局を変えるのです。そして生きて再び私の元へ訪れてください。そのときあなたに私はずっと大切にし続けてきた秘蔵の蜂蜜酒を奢ります』

「……ええ、約束します。必ず、あなたの元へと訪れて蜂蜜酒を酌み交わしましょう」

 『無衣』の燃焼を終えたことを告げるように光の柱が途絶える。

「途絶えた……か」

 レジーナからの『森の声』は聞こえなくなり、彼女が生きているかどうかすらアレウスたちには分からなくなった。

「嘘……! まだ、まだなんですか?!」

 オルコスの悲痛な叫びにアレウスは逸らしていた視線を再びクラリエへと戻す。彼女の苦悶の表情はまだ取り払われておらず、なにより再び『無衣』の燃焼が起きている。

「一体どれほど無茶苦茶な『衣』の使い方をしたんですか、この方は!! かくなる上は、やはりあたしの生き様を燃やして」

 アレウスたちにとっての一瞬の間に、クラリエは自身のロジックの大半を燃やし尽くす気だったのだろう。それでイプロシアを討てるのなら、構わないのだと。自己犠牲によって母親を止められるのなら、娘として正しく生きたのだと。


 だが、その自己満足によってこっちは振り回されている。


「“いや”」

 『勇者』はクラリエの体に触れる。

「“残りの燃焼は、俺が担おう”」

「『勇者』様は一体なんと?」

「残りの燃焼を担うと」

「許しません! 『勇者』様は天災と呼ばれようとも恐怖の時代を払った偉人! その者のロジックを代償にするなどエルフとしても、王族としても決して許すわけにはいきません!」

「“『魂喰らい』と戦って、俺の命も尽きかけている”」

「“とてもそうには見えない”」

「“俺は既に妄念に近い。ほぼ魂の存在でしかない。その点では『魂喰らい』とそうは変わらない。隠遁後、ありとあらゆるところを亡霊のごとく彷徨っていた俺を再びこの世に繋ぎ止めたのは、この妖剣だった”」

 剣をアレウスに見せる。先ほどまでは綺麗な剣身であったはずだが、ひび割れ、少しずつ砕け始めている。

「“妖剣は俺を繋ぎ止め、言うのだ。まだ果たせていないことがあるだろう、と。それこそが、娘と会うことだった。そのために、ただそれだけのために俺はこの戦場に立ち、『魂喰らい』と戦った。しかし、初代国王を倒すことはできず、相討ちにすることしか……いや、憑依していたガルダの死体から奴は抜け出し、その死体も遠隔魔法で屍霊術師が回収したのだから、俺は負けたようなものだが”」

 『無衣』の燃焼が『勇者』へと移る。

「“娘のために、この無駄に長く生き過ぎた冒険者のロジックを燃やし尽くすことができるのなら、本望だ”」

「『勇者』様はなんと? なんと仰っているのですか! 答えてください!」

 オルコスに追及されるが、アレウスはなにも言えずに首を横に振る。

「自身は既に亡霊のようなもの。だから、ただ亡霊として消えるのではなくクラリエのために、ロジックを燃やしたいと」

 それでも絞り出した声にオルコスは体を震えさせ、しかし手を伸ばす。だがその手を自分自身のもう一方の手で抑え込む。

「その覚悟を、その生き様を……あたしが穢すことなど畏れ多いこと。けれど、こんなことをさせることがどれほどに愚かであるか……あぁ、一つの時代が、終わる。それを見届けなければならないことがあたしは怖い……」

「“終わったのなら、始まりがある。そうだろう?”」

 クラリエの言っていたことを『勇者』は分からない。だが、『勇者』は奇しくも実の娘がクリュプトンへと投げかけた言葉と同じことを語る。

「“時代は変わる。次の世代は、新たな始まりを紡ぐ。その先鋭は、その最先端は…………どうか、君たちであってほしいと、願う。平和を希求する者たちだけが、この世界で最も正しいのだから”」

 燃焼は加速し、妖剣が砕け散る。

「“ありがとう、ルーファス・アームルダッド。君の剣が、君の妄念が……ここまで俺を繋ぎ止めてくれた。最上の感謝を。そして、最大の敬意を。いずれ産まれ変わる君に大いなる祝福のあらんことを”」

 妖剣の消滅に伴い、『勇者』もまた掻き消えていく。

「“娘を頼む。父親らしいことは一つも出来なかったが……それでも、父親面をして、頼もう。どうか、幸せな人生を……歩ませてやってほしい。それこそが無償で世界へと尽くした『勇者』の、最後の強欲な願いだ”」

 目の前から妖剣と共に『勇者』は消えていき、意識は戻っていないがクラリエの表情に余裕が生じる。『無衣』も解けて、彼女の燃焼は完全に鎮火した。


「オルコス様! ここにおられましたか!」

 エルフの部隊長と思われる男がやって来て、しかしながらアレウスたちに弓矢を向ける。

「やめなさい」

「しかしそこにいるのはクリュプトン・ロゼではありませんか!」

「やめなさいとあたしは言いました! それに、彼女はもう死んでいます。私がこの手で、討ちました。ですが、彼らの前で――いいえあたしの前でその死を喜ぶことを禁じます。これは絶対です」

 強い言葉が部隊長へと向けられ、弓矢を下ろさせる。

「アレウリス・ノールード様。多くの無礼、謝ります。しかし戦場であるがゆえ、正式な謝罪はまたのちほど。ええ、クリュプトン・ロゼへの一射に関してもあたしは語らなければならないと思っています。しかしこれもまた戦場であるがゆえ、またのちほど。全部隊、未だイプロシアの魔力の残滓によって蔓延る『神樹』に洗脳されたエルフへ弓を向けよ!」

「はっ!!」

 部隊長が、そしてオルコスが弓に矢をつがえ直す。


「……え、まさかここから?」

 アベリアがその様子を見て、信じられないといった表情を見せる。それはアレウスも同じで、ここからでは新王国軍が防衛線を張っている地点は全く見えない。


()て!!」

 魔力を帯びた矢をオルコスが放つと、それを追い掛けるように大量の矢が遠方へと向かっていく。

「これで片付くでしょう」

「部隊にも転進を告げて参ります。オルコス様もすぐに追い付きますよう」

「おいおい、第二王女を守らないまま戻っていくのか?」

 エルヴァがさすがにそれはないだろと部隊長へと言う。

「ええ、オルコス様を守れるに値する者はこの世に一人としていらっしゃらないので」

 どういった返事なのか。分からないままエルヴァは頭を掻く。部隊長は一切の迷いもなく、この場を立ち去った。


「エルヴァ」

 クルスの声がする。

「私を、天馬に乗せて……」

「お前は少し休め」

『そうだよ! 休んだ方がいいよ!』

「ううん、休めない。せめてアンドリューが駐屯していた砦までは、今日中に部隊を集結させたい。そこで今日は多分、時間切れ。夜戦はマクシミリアンも好まないはずだから」


「あなたがクールクース・ワナギルカン? 末子だから……あたしの義妹(いもうと)?」

「オルコス・ワナギルカン……あなたと、話し合いを設ける暇は、ないから……エルフを、抑えたなら、あとは……好きにして、いい」

 起き上がり、鎗を杖代わりにしてクルスは天馬へと歩く。

「そういうわけにはいかないのよ」

 オルコスは天馬にもたれかかったクルスの元へ行く。

「イプロシアは討たれ、クラリェット様は救われた。そしてあたしはエルフの巫女と約束をしました。このあたし――オルコス・ワナギルカンは正式に新王国軍の部隊へと参入します。以後、全てのあたしの部隊の命令権をあなたへ移譲します。あたしの命は、未来の女王のために」

 オルコスはクルスの前で片膝をついて忠誠を誓う。

「私は、末子で……あなたは第二王女でしょう? 今ここで私を殺して、この首を、マクシミリアンの元へと持って行けばいいのに」

「できません。あたしは長く、あたしと対話し続けてくれた友を裏切ることはできません。この戦い、友のために必ずや勝利をもたらさなければなりません。いいえ、この戦いのみならず王国との戦いの全てを支えることを誓います。もしもお気に召さないのでしたら、今ここで首を刎ねてくださって構いません」

「……オルコス」

「はい」

「私は至らないあなたの妹です。私にあなたの命を預けられても困ります。死中に向かわせる策略など考えることもできない愚か者です。分が悪く、死ぬと思ったなら素直に逃げてください。或いは、堂々と第二王女として私に意見してください。私は独裁者になりたいわけではないのです」

「仰せのままに」

「あと、その仰々しい態度は今日までにして。あなたの胸中はマクシミリアンすら探り切れなかったのだとしたら、もはやその態度が私は怖ろしい」

「……なんだ、王国で言われていたような逆賊王女とはまるで違うじゃないですか」

 オルコスは立ち上がり、微笑む。

「安心してください。あなたが平和を望み、平穏を求める者であればあたしはあなたの成すことを見守り続けますよ。もしも異なるようでしたら、お覚悟を」

「ええ、それでいいわ。王国が平和へと向けて変わるのであれば、その一番上に座する者が私だろうとあなただろうとどちらでも構わないから」

「……ふふっ、おかしな義妹。お義兄様よりは気を抜いて話せるわ。ええ、むしろこれが普通なのよ。国を巻き込んだ兄妹喧嘩なんてもう沢山」

「同感ね」

 クルスはオルコスの力を借りて天馬へと乗る。

「エルヴァ? 私の心配はいいからリッチモンドとマーガレットの加勢に。そこにいらっしゃるのは『勇者』様なのでしょうけれど、『魂喰らい』がどうなったのか私には分からなくて」

「『魂喰らい』は『勇者』が相討ちにしたと。ただ、魂その者と憑依していた死体は取り逃したそうです」

「……そう、ですか。私は別れを言うこともできないままに……いえ、そのような感傷に浸っている暇はありません。『魂喰らい』が戦場にいないのであれば、最大の懸念は消えています」

「義妹ちゃんはこれからどうするおつもりですか?」

「その呼び方はやめてください。私は戦線へと戻ります。アンジェラ、お願い」

『もー! 本当に大丈夫なの?』

『急げ、エルヴァ』

「うるせぇ」

 天馬が空へと飛翔し、エルヴァが岩の狼の乗る。

「あとはどうにかする。お前たちは城に戻ってリスティと待っていろ」

「リスティさんが素直に待っているとは思えないけど」

「それは俺も同感だ。もしかしたら城を出ていて、砦で合流するかもしれない。俺はそれが一番怖い」

「僕もそれが一番怖いよ」

 エルヴァを乗せた岩の狼が駆け出した。


「これからどうする?」

「どうするもこうするもない。クリュプトンのロジックから読んだことを噛み砕きながら、現状でどうすれば『異端審問会』に辿り着けるかを考える」

「『神樹』はオルコス様が持っているけど……」

「それも仕方がない。元はエルフたちが持っていたみたいなものだ。僕たちじゃ手出しのしようもない」

 あの『神樹』をどのように扱うかも全てエルフの判断に任せることになる。『継承者』と『超越者』がどのように生じるのかも、アレウスたちにはすぐに教えられることはないだろう。

「なにより、奪おうと思って奪える相手でもないだろうし」


 そう言いつつアレウスはオルコスを見やる。彼女はやや複雑そうな表情を浮かべたのち、それでも自身の中にある感情を抑え込んだ上でアレウスへとクリノリンでやや広がっているスカートの端を摘まみ上品に挨拶をする。どうにも戦場に似合わない格好をしている。赤い淑女と戦ったことがあるせいで、もはや似合わないというだけで間違っているとは思わないが。


「現王の息女、第二王女のオルコス・ワナギルカンと申します。以後、お見知りおきを。短いヒューマンの人生の中で、あたしとの出会いは最大の出来事であると心得てくださいませ」

 アレウスとアベリアは片膝立ちをして、頭を下げて応じる。

「あら? 先ほどまで無作法にしていらしたのに突然、礼節に囚われるなんておかしな方々。いつもでしたら弓矢の的にしてしまうところですが、友との約束ゆえそれも叶いません」

 オルコスは指笛で馬を呼び寄せ、飛び乗る。

「それでは、ごきげんよう。私はこれより義妹ちゃんを補佐して砦まで向かわせますので」

 駆けてゆく。その馬の足音が遠ざかってからアベリア共々に息を吐いて、緊張を解く。

「疲れた。色んなことが起こりすぎ」

「そうだな……アベリアはクラリエを頼む。僕はイプロシアとクリュプトンを運ぶ……ああでも、『重量軽減』の魔法は頼む」

「分かった。“軽やか、一人分(エアリィ)”」

 アレウスたちは山の斜面へと向かって歩き出す。もう自分たちにできることはなにもない。これ以上の戦いには冒険者として干渉することは禁忌に触れる。

「……ただ、こんなことで僕たちの仕事を終わらせる気はきっとないだろうけどな。なにを、やらせるんだろうな」

 アレウスはリッチモンドがまだ自分たちを利用する気であるに違いないと思い、少しばかりの嫌な予感に身を震えさせた。



「レジーナ・コンヴァラリア! 聖女でありながら『天眼』を喪失させたとの情報が入っている! すぐさまこの扉を開けよ!」

「……私に少しも猶予を与えてはくれないなんて、さすがは私のお父さん。大罪人の娘は常に監視されているということですか」

 レジーナはよろよろと立ち上がり、玄関の扉を開く。

「『天眼』を失った今、あなたにあるのは大罪のみ。あなたを連行し、正式な通達と共に処刑する」

「聖女であっても?」

「そうだ」

「では、」

 額にあった瞼はない。だからこそレジーナは目を焼かれてからこれまで開くことのなかった両目を開く。

「これであっても?」


「な……!」

 開かれた瞼の下より現れる瞳には音色を表す音符が宿っていた。

「新たな……『魔眼』」

「『天眼』はありませんが、この眼があるのなら私はまだ生きていられますよね?」

 エルフたちは顔を見やり、レジーナへの無礼を詫びてすごすごと退散していく。

「今だけは神を信じてみようと思いましたよ。しかし『天眼』がなければ世界の観測もできません。私の死の魔法が世界を捉えていたからこそ、この場はあらゆる者たちにとっての不可侵領域だった。それがもはや、ない」

 レジーナは窓から外の景色を眺める。

「不安……ではありますが、この命をただでくれてやる気はありませんよ。来るというのなら来てみなさい、『魔眼収集家』」

 自身に宿った新たな『魔眼』で鈴の花が灯す光を優しく眺めながら、そう呟いた。

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