β-9 王族離反
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「申し上げます。ユークレース第四王子、戦線を離脱なされました!」
「申し上げます! 『魂喰らい』と『勇者』の戦闘、未だ継続中!」
「……こうならないようにロジック砲を先撃ちしたというのに、あの前時代の怪物どもは厄介極まりないな」
マクシミリアンは上げられる報告を聞きながら盤面を見やる。
「エルフの存在を知らないフリをして、魔法をこちらが使用した事実として魔法を解禁する口実を作る。ここまでは読めていた。読めていないのは、あの怪物ども。そして末弟の力の無さか」
「しかし、ロジックを封じられた状況で戦うなど、我々にとってはあり得ない戦いでございます」
「そうだ、あり得ない戦いだ。だとしても、末弟は勝つと思っていた。あのどこの所属かも分からない男を始末できると期待していたんだ」
ユークレースの駒を大きく下げる。
「末弟はこのまま私の元へと『魂喰らい』と『勇者』の報告を上げに来るだろう。戦果も上げられないままに戦線から離脱など、死罪にも等しいが、ロジック砲のない状況であればまだまだあの武力には使い道がある」
「せめてユークレース第六王子が交戦していた男を殺してからロジック砲を撃っても遅くはなかったのでは」
「それは遅すぎる。しかし、どちらにも効いていないのであればその指摘は正しい。私はロジック砲の効果に期待し過ぎた。実験を実戦で行うのはやはり博打が過ぎたようだ。私の落ち度もあるからこそ、ユークレースが本陣に戻ってきた際には詫びを入れよう」
そう言って、マクシミリアンは設営された天幕から出て外の景色を見る。ロジック砲が空で炸裂したことで、これまで見たこともないような異様な空の色が広がっている。そこに最前線での戦いで起こった煙が立ち昇り、この世のものではないような景色と化している。
「戦場を眺めたことは多々あれど、この空模様は初めてだ。この記憶は私の中で長く留めておかなければならないだろう」
「『魂喰らい』の正体は初代国王。その魂が憑依しているガルダを、マクシミリアン殿下は討てますか?」
「過去の王に忠誠を誓ってなんになる。過去を頼ってなんになる。私たちは今を生きている。今を生きている者が、今を統治しなければならない。過去の栄光に縋り付き、過去の名誉ばかりを語り、今の権力に満足して退こうともしない老いた者どもを一掃するのだ。初代国王を討てずしてなんになる?」
「……承知いたしました。マクシミリアン殿下のために剣を振るうと決めた私ども騎士団は、未来の王のためにこの命を捧げましょう」
「捧げるな。刃として振るい、生きて帰れ。死ほどつまらんことはない。まだ生きられる者たちが死ぬことほど虚しいことはない」
「ありがたきお言葉」
騎士団長が剣にマクシミリアンへの忠誠を誓ったのち、騎馬に乗る。
「“全騎士団に告げる! 中央突破だ! マクシミリアン殿下の王道を築き上げよ!!”」
『指揮』が飛ぶ。その効果はロジック砲の範囲外のみに限られるが、その言葉に込められた意味は味方を鼓舞することに非常に適している。
騎士団長は剣を掲げて騎馬を繰り、全速力で走らせる。
「申し上げます! 森よりエルフの別動隊が動き始めている模様!」
「申し上げます! 目標はゼルペスではありません! こちら本陣へと別動隊の半数が動いております!」
「申し上げます! 残り半数が向かっている先はイプロシア・ナーツェが支配しているエルフたちの模様!」
「あの邪魔者と化したエルフを排除してくれるのなら半数は放置して構わない。エルフがエルフを討つのであれば、その後ろに我が軍を忍ばせよ。ゼルペスの防衛線にはエルフがいるせいで干渉できなかったが、エルフたちが同士討ちをするのなら侵攻できる」
「しかし、残り半数が本陣へ向かっているのは一体どういうことなのでしょうか」
近衛兵長が疑問を呟く。
「申し上げます! アンドリュー第二王子! 要所の防衛に成功しました!」
「それは誠か!?」
「我々、伝令兵が確認を取っております! 間違いなき事実です!」
「殿下! やりましたな!」
興奮気味に近衛兵長がマクシミリアンに告げる。
「やはり要所防衛にあの腹黒い義弟は使えたようだ。『天使』と『堕天使』の所在は?」
「打倒後、どちらも姿を消しました!」
「撤退か。打倒できなかったのは義弟の落ち度ではあるが、防衛できたのであれば目を瞑ろう」
「アンドリュー第二王子も手傷を負っております」
「こちらから軍を幾らか送ってもよろしいのでは?」
「そうしよう。義弟が傷付きながらも守り通した砦だ。なんとしても本人共々、守ってやらねばならない」
マクシミリアンは近衛兵長に送る兵士の数を告げてから、エルフの森が広がる北西の方角を見る。
「気配がする」
「気配? まさか遠征中の殿下の命を取ろうとしたエルフの暗殺者ですか!?」
近衛兵長は指示を出し、マクシミリアンを守るように囲う。
「我らが命を賭してでも殿下を守り抜け」
その言葉に近衛兵たちが大きな声で返事をし、盾を構えて絶対の防御を築き上げる。
『義兄様、陣取り合戦は楽しんでいらっしゃるのですか?』
「『森の声』より伝達有り。伝達主は……第二王女、オルコス・ワナギルカンであります!」
僧侶兵団長が脳に直接語り掛けてきた主を特定する。
「繋げ」
「はっ! 『森の声』に接続…………成功しました!」
「義妹よ、遅くはあったが参戦する気になったか?」
『こんな面白い戦事に知らぬ存ぜぬでいるわけには参りませんわ。義兄様のために、あたしも戦います』
「……どんな腹積もりでそんな偽りの言葉を吐ける?」
マクシミリアンは冷たい言葉を第二王女に投げる。
「北西に防衛線を張れ! エルフ共を一人としてこちらに通すな! 義妹であっても殺して構わない!」
『義兄様?! そんな! どうして!』
「任せている城から来ているのなら問題ない。森から来ているのが問題なのだ、義妹よ。貴様、その血を――王族を裏切るのだろう?」
「殿下! いくら義理の妹とはいえ、そのようなお言葉を向けてはなりません! せっかくの援軍なのですよ!?」
近衛兵長が場を諫めようとする。
「私の言葉に歯向かうのか?」
「…………そこまで仰るのであれば、従いましょう」
マクシミリアンの覚悟の瞳に近衛兵長が折れる。そもそも彼には第一王子の決定を覆すだけの権限も権力もない。
「さぁ、女狐。来られるものなら来てみよ。しかし、貴様に生存の道はないぞ? オルコス・ワナギルカンの首は父上に手土産として持って帰ることとしよう」
『ふふっ、ふふふっ、あはは、あはっ♪ いつからバレていたんですの?』
「今、まさに今だ」
『おかしいです。ずっとずっと騙せていましたのに、どうして今になってバレてしまったんでしょう』
「さっきも言っただろう。城からならばまだ信じられた。森からでは信じられない」
『なんと! そのような些細なことでお気付きになるなんて。さすがは義兄様です。アンドリュー義兄様やユークレースでしたら、ずっと騙せていたに違いありませんのに』
「だろうな。それで、オルコス・ワナギルカン? 貴様はなにを望む? 王国に反旗を翻し、私を討ち、王という名誉に辿り着くつもりか?」
『残念です。義兄様のことを長くお慕い申しておりましたが、あたしのことをちっともお知りにはなられていらっしゃらないのですね』
「と言うと?」
『あたしは名誉のためには生きません。平和のために生きるのです。名誉のために戦うのではなく、平和のために戦う。あたしはただ、平和が欲しいのです』
「私を討つことで平和が訪れると?」
『いいえ、まずはこの戦いを終わらせることが平和の第一歩となります』
「ならば私に味方する道もあっただろうに」
残念そうにではなく、淡々とマクシミリアンは義妹とのやり取りを進める。
『あたしはこの血に流れるワナギルカンの血よりも、エルフの血に従います。それは昔からそうであったと、義兄様も記憶していらっしゃるのでは?』
「イプロシア・ナーツェはゼルペスを攻めているが」
『ええ、あたしは心の芯までイプロシア様の御心に染まり上がっていました。ですが、それが欺瞞であり虚偽であったなら? 隠された真実が明るみとなり、巫女様と続けていた長き対話の果てにあたしが真に見るべき先はどこであるか。ハッキリいたしました』
「……イプロシア・ナーツェの名跡が地に落ちたか」
義妹の心変わりの理由を突き止め、腑に落ちる。
オルコス・ワナギルカンはハーフエルフであり、その素養を磨くために王国領の森でエルフと共に生きてきた。その思想は、イプロシアと神樹への強い信仰心。それは次期国王会議においても、エルフへの侵略は絶対に認めず応じることもない強く固いものだった。
『あたしの心はエルフと共に。あたしの未来は世界と共に。それでは、義兄様? ごきげんよう。お互い、これが最後のお話にならないことをお祈りいたしますわ』
「裏切り者の祈りなど不要だ」
あの義妹は神樹信仰のせいでヒューマンへの憎しみが強く、扱い辛かった。それでもエルフとの橋渡しになる可能性も考慮して見ないフリをしていたが、早くに芽を摘み取ってしまうことが正解だった。そのようにマクシミリアンは思う。腹黒い義弟よりもずっとずっとその心の深奥に、いつか王族を喰ってやろうという感情が見え隠れしていた。もう一人の義妹よりも頭が悪そうに見えて、その実は逆。義姉様と慕っていた第一王女よりも頭が良く、上手く立ち回っていた。それを知っていながら泳がせていたのもまた失敗だった。
『それでは、裏切り者のハーフエルフから優しいお言葉を義兄様に捧げますわ』
「なんだ?」
『そのままですと、死んじゃいますよ?』
「『森の声』との接続、切れました!」
「……死ぬ?」
マクシミリアンはオルコスの言葉の意味をしばし考え、続いて気配に気付いて近衛兵を盾にして身を隠す。
弾丸がマクシミリアンが盾にした近衛兵の胸元を貫く。
「また命が摘み取られた」
自身の命を狙う者によって、身近な者が死んでいく。身近な者を盾にするため、死んでいく。
「まだ私の命を取ろうとするか、エルフの暗殺者め」
これで何度目だろうか。ウリル・マルグの死を見届けたときにも襲われたが、それより以前にも何度も何度も何度も何度も、この呪いの弾丸はマクシミリアンを貫こうと何発も、何十発も、何百発も放たれ続けてきた。
気にも留めていなかったが、今日ばかりは虫の居所が悪い。
「名を告げろ。憶えてやる」
そのように虚空に向かって呟いてみたが、返事はない。代わりに再びの弾丸がマクシミリアンへと飛ぶ。それを再び近衛兵を盾にして防ぎ、石ころを拾って弾丸の飛んできた方向へと魔力を込めて投擲する。
「遠いな。ここからでは届かないほどに遠いところから狙われている」
「天幕まで御下がりください、殿下! 天幕においては認識阻害の魔法を掛けてあります。居場所を突き止めることは不可能です」
「そうしよう。暗殺者も私以外の命を全て摘み取るほどの呪力は持ち合わせてはいないだろうからな」
弾を無駄撃ちすることを拒むのであれば、天幕に下がればこの銃撃から身を守ることができる。
「だが、これで私は天幕から出られなくなった」
天幕から出れば無意味に周囲の命が摘み取られてしまう。マクシミリアンが自身の命を守るために犠牲が出てしまう。それは本来、あってはならないことだ。
「暗殺者の居場所を突き止められたなら、すぐに仕留めに行くことを許可する。私への伝達は不要だ。さっさと殺せ」
「承知いたしました。第五から第十までの騎士団へ伝令を送ります」
近衛兵長がマクシミリアンに忠誠を誓って、天幕を前からではなく後ろから出て行く。
「アンドリューは負傷、オルコスは離反、アンナは『異端審問官』の捕虜、ウリルは死に、ユークレースは一時撤退か。ふっ、次期国王候補が揃いも揃って情けない。やはり私が統べなければならない。私が、この国を統べるしかないのだ」
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「オルコス・ワナギルカンが離反した?」
「ええ、確定情報です。エルフを抑えている防衛線がかなりマズい状況なので、なんとかそちらへのエルフの増援が間に合えば助かるのですが」
リッチモンドからの報告を受けてクルスはあり得ないといった表情を浮かべる。
「なんで離反する理由があるの……私のことを認めたということ?」
「それは違うと思われます。オルコス様はハーフエルフがゆえに『神樹信仰』。そしてイプロシア・ナーツェ様を強く強く憧れとしていらっしゃった」
「でもイプロシアは王国に乗じてゼルペスへ向かってきているはず」
「その憧れの対象が、憧れではなくなったのではないでしょうか」
「そんな……そんなことが……?」
クルスは地図上のリスティと冒険者を向かわせた地点を見る。
「まさか、帝国の冒険者のおかげ?」
「大いにあり得ます」
マーガレットが同意する。
「あの者は以前に獣人を連れていらっしゃいました。隠してはいらっしゃいましたが、このメグの目は騙せません。帝国側の群れの代表たるキングス・ファングの双子の姫君の内の片割れです。そして、随分と親交が厚いように感じられました。元より冒険者は種族の壁を越えて活動する者です。そして今回はエルフを連れていた。それもただのエルフではありません。クラリェット・ナーツェ、つまりはイプロシア・ナーツェの実の娘です」
「あまり気にも留めていませんでしたが、確かな肩書きを持つ者だったと。そしてクラリェット・ナーツェがこちらにいるからオルコスは私たちではなく、クラリェット・ナーツェのために反旗を翻した」
「その通り。こればかりは私でも想定できなかった好転です。やはりリスティーナをエルヴァージュ共々、こちら側に引き入れたのは正解だったということです」
リッチモンドの言葉にクルスは腹を立てて睨む。
「彼女と彼は私の親友よ。利用しているみたいな言い方はしないで」
「失礼いたしました。けれど、ご自身に向けられている感情を利用していることに自覚をお持ちになられてくださいませ。親友だから利用しない、利用してはいけないなどという感情は捨てなければこの世は生きられません」
「そうだとしても、私は最期まで二人の親友でありたい」
「……では、もはやなにも言いません」
「申し上げます! エルヴァージュ・セルストーがユークレースを一時撤退させました!」
「それは本当!?」
「しかし! ロジック砲が放たれ、あの周囲は混乱の極み! そしてユークレースを討つ瞬間、『魂喰らい』と『勇者』が現れ、収拾がつかなくなっております! エルヴァージュ殿も右腕を切り落とされました!」
喜びも束の間、一気に血の気が冷める。クルスはその血圧の上下に眩暈を覚えてよろめき、それをマーガレットが支える。
「生きて、いるの?」
「生存は確認しております! しかしながら重傷であることは変わらず、ゼルペスへ一時退却するとのこと!」
「元冒険者で騎士養成所では回復魔法も習得していたはずだ。切り落とされても腕はくっ付く」
マーガレットがどうにかしてクルスを慰めようとする。
「でも、くっ付かなかったら……私は、親友の腕を…………」
「申し上げます! アンジェラ殿とジョージ殿! その両名が要所にある砦を落とせずに撤退! 追撃は免れたものの前線にはすぐ戻れない状況とのこと! ただし! アンドリューもまた手傷を負ったとの情報もあります!」
「なん、で……! なんでアンジェラが前線に出ているの!? それもエルヴァに憑いている堕天使と一緒に!」
「私が命じました」
怒りに震えるクルスにリッチモンドがすぐに白状する。
「奇襲を仕掛け、要所たる砦を取ってもらいたい。そのように私がお願いし、二人は実行したまでです。全ての責任は私にあります。戦後にこの首を捧げる覚悟は出来ております」
「……いえ、前線の砦を取ることは何事においても大事だわ。それも奇襲によって取ることができたなら、王国軍の虚を突くことも、士気を下げさせることもできた」
問題は、それを知っていながら二人に実行してほしいと命令することのできなかったクルスの心の弱さにある。
「不問……にはしないわ。でも、首を捧げるほどのことではない。あなたの戦略はこの戦いを乗り切ったあとも、私には必要よ」
「ありがたきお言葉……しかし、あの二人をもってしてもアンドリューの防衛を崩すことはなりませんでしたか。二人も命は繋ぎ止めているのだな?」
リッチモンドが確認を取ると、伝令がコクリと肯く。
「エルヴァージュがユークレースを命懸けで後退させました。『勇者』の登場は予測できましたが、『魂喰らい』は想定外。彼らに近付かないルートで攻め上がり、アンドリューが守る砦を取り、そこを足掛かりとしてマクシミリアンを叩きに行きましょう」
「痛み分け……ではないな。分はこちらが悪い」
「任せられるか? 義妹よ」
「義兄上が仰るのであれば、不可能を可能に変えましょう」
「私も王女様を立ち直らせたのち、すぐに向かう。メグの戦い振りは必ず前線を鼓舞するに足りるものだ」
「期待に応えてみせましょう」
マーガレットはリッチモンドとクルスに微笑み、作戦室をあとにする。
「どう転ぶにしてもこの戦いの核はエルフの首魁を冒険者が阻み、止められるかどうかです。オルコス様が間に合えばエルフたちを鎮圧、そしてオルコス様を友軍として反転させ、王国軍へ向かわせることができます」
「……そう、そろそろということ?」
「はい、ですからメグを先行させました。王女様の覚悟が決まり次第、参りましょう」
元よりこの戦いは長期で続けることを考えていない。常に守勢ではなく攻勢。前のめりに、ただひたすら前を向いて戦い続ける。多勢に無勢を押し返す術はなく、高所からの防衛も長くは続かない。山を取られれば、そこから王国軍はなだれ込んでくる。高所を取られる前に、全軍の力で王国軍を押し込み続け、そしてマクシミリアンの首に刃を届かせる。そういう戦いだ。
「行きましょう」
死地へ赴く決意を胸にクルスは鎗を取ってリッチモンドと共に作戦室を出る。
「王女様の道は私が切り開きます。どのようなことがあっても、あなたは王道を進むのです」
「けれどそれが正道でなければ私は進まないわ」
「ええ、分かっていますとも。あなたが騎士養成所に来たときより、ずっと。私はスチュワード・ワナギルカンに仕える騎士。そして、クールクース・ワナギルカンの王道を築き上げる足場でございます」
ああ、リッチモンドは死ぬ気だ。
クルスは彼の発言から察する。マーガレットからは感じられなかった必勝への強い熱意が感じられない。生き残ることを考えずに死ぬことを前提で、自身をマクシミリアンの元へと向かわせようとしている。
「あなたが生きていないとメグが悲しむわ」
「義妹の泣いているところなど想像できませんね。でも、ああ見えて昔はとても可愛らしく泣いていたんだ。俺はいつも慰めていたものだ。そう思うと、俺の家柄、そして品位、その全てによく耐えてくれた」
「だからメグが悲しむようなことを言わないで」
「失礼しました、王女様」
「生きることに全力を懸けなさい。その先でしか私の王道は無いわ。マクシミリアンを討ち、王国の闇を暴き、『異端審問会』を追放し『同一人物』の研究をやめさせる。現王が淫蕩に耽るおぞましい男であることを明るみにさせ処刑する。そうしてやっと、王国は真っ当な国へと変わる」
「それ以外にも理由があるのでは? いえ、これを訊ねてもあなた様はお答えにならないんでしたね」
リッチモンドの問いにクルスは答えることなく城を出て、待たせていた騎馬に跨る。この場に残した精鋭の騎士たちが隊列を組み、王女の下知を待つ。
「この戦いはゼルペスを防衛するためのもの。ここを故郷とし、ここで根を張り生きると決めた全ての者たちを守るためのもの。ゆえに、守った先にもまだ戦いは待っている。この先も血は流れ続け、悲しみは大地を濡らし、魂は輪廻へと還り続ける。けれど! 私たちはそれでも前に進まなければならない!」
鎗を掲げる。
「全ては国を正しく導くため! 全ては王国の未来を闇に染め上げないため! 神より授かったこの大地を! 愚かなる者たちに蝕まれるのを防ぐため!! あなたたちがこの想いに、この意志に共感し、突き進んでくれると誓うのならば! 私の鎗は第一王子を穿つ! さぁ、行きましょう!! 大いなる栄光に満ちた新たなる王国を築くために!!」
「「「「「「大いなる栄光に満ちた新たなる王国を築くために!!」」」」」
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「ええい、忌々しい! 『天使』と『堕天使』が王国に楯突くなど!」
「“癒やしを”」
「この傷は魔法でも回復が遅い。一体全体、どうなっている? 呪い染みた力を『堕天使』が持っていたとでもいうのか」
両腕に刻まれた傷から流れる血と、そこから伝わる痛みにアンドリューは表情を歪ませる。
「だが、勝ったのは私だ。この砦、易々と取れると思うな」
「申し上げます! こちらに向かってくる敵勢力あり!」
「数はどれくらいだ?」
「一人です」
「一人など数えんでいい。射殺してしまえ」
「はっ、承知しま、」
伝令の首を矢が貫く。アンドリューは倒れる死体を押し退けてこちらに向かってくる狼に跨った男を視認する。
「手負いではないか。死地を求めての特攻か。そんな狂気で私が守る砦を落とせると思うな。行け、ハープーン!」
妖精に指示を出し、アンドリューもまた斧を手に取る。妖精の粉による複数の爆破を狼が避け、男がアンドリュー目掛けて跳ぶ。
「アンドリュー・ワナギルカン!」
「片腕の若造が!」
「その首を!」
「私の首を!」
「取る!」
「取れると思うなぁ!!」
斧で男の突撃を跳ね除け、アンドリューは強く大地を踏み締める。
「私は! いつかこの国を統べる王であるぞ!」
転がりながらも男はすぐに立ち上がり、その横に一つ目の岩の狼が寄り添う。
『さっさと腕をくっ付けろ。元通りの筋力を取り戻せはしないが体幹は取り戻せる』
岩狼は咥えていた腕を落とし、男はそれを掴んで傷口をくっ付ける。
「“癒やせ”」
『切られた直後なら自由に動かすこともできただろうに』
「ロジックを封じられて回復魔法を唱えられなかった。あとは、あんな場所で回復する余地はねぇよ。逃げ先をユークレースに看破されなかったのは運が良かったが」
「待て、その狼の声……『堕天使』か?」
『本体を休ませていてもこっちを動かすことはできるんでね』
またもアンドリューの前に『堕天使』が立ちはだかると言うのか。
「くだらん! 何度でも捻じ伏せるまで!」
「悪いが、もう首は取ったも同然なんだ」
男はそう言ってアンドリューへと歩き出す。
「そのようなハッタリに私は騙されん!」
『ハッタリじゃない』
狼は後方から向かってくる妖精へ翻り、跳躍して噛み付く。妖精の粉を振り撒いて、岩の狼と共に爆発して逃れるが負傷した妖精は力なく地面へと落ちる。
「ハープーン!!」
「ユークレースの首は取れなかった。その代わりに、テメェが最初の脱落者だ」
男がくっ付けた右腕を防護するように岩塊が張り付き、その腕には岩の鈍器が握られる。
そんな鈍重な動きで、そんな重い武器で自身を殺そうとするのか。アンドリューは鼻で笑う。そして同時にナメられていることも知る。
「貴様の首はいらん。殺して、私の妖精が回復するための魔力の糧となれ」
「妖精を失したことで魔の叡智に触れられなくなったんだな」
男はそう呟き、ただただ身の素早さだけでアンドリューとの間合いを詰める。
「戦っている相手の魔力量を知ることもできないのなら、俺のこの力の原点がどこにあるかも分からねぇよな」
岩の鈍器に対してアンドリューはなにも考えずに斧を振る。
斧が砕け、柄が折れ、岩の鈍器はアンドリューの頭部を砕く。
「わ……た、しは…………」
「ゆったりとした死は戦場にはない。死は一瞬だ。テメェの死に様は誰にも語り継がれることはない」
男の右腕から岩が剥がれ落ち、痺れ、震えて思うように動かせないらしく左手で抑えている。
「俺は混乱の中の狂気を利用する。テメェにはそれを使うだけの度胸がなかった。いや、使いたくても使えなかったか? マクシミリアンに目を付けられ、暗殺されちまったらその次の王になることなんてできねぇもんな」
こんな男に全てを見抜かれ、こんな男に全てを奪われる。屈辱でしかないが、アンドリューの体はもはや言うことを利かず、意識も遠のいていく。
『腕はどうだ? あまり構ってやる暇もない』
「絶不調に決まってんだろうが」
『そう言えるんなら、まだ問題ないな』
「このあとは隠れ潜みながら進み、好機を待つしかねぇな」
『死んでしまえば全てが水の泡だ。俺がお前を王道へと歩ませる。たとえ正道ではなく、邪道であってもだ』
「あ……ぁ、そういう、こと……か」
アンドリューは男の正体に行き着く。
もはや幻覚が見え始め、男の立ち居振る舞いと慕っていた『巌窟王』と呼ばれた祖父の面影が重なる。
「がん、くつ……王、さ、ま」
だったら、マクシミリアンにではなくクールクースに寝返ることもあったというのに。アンドリューは、現王にではなく前王に心酔していた。だからこそ、この男がこうまでしてゼルペスに、新王国側に立つのなら、この男のために全てを投げ打つこともできたというのに。
遅かった。間に合ったオルコスが羨ましい。
そう思いながら、アンドリューはそのまま息絶えた。




