β-8 前時代の化け物
元冒険者で現担当者。元騎士見習いで仮とはいえ元ギルドマスター。そんな奇妙な肩書きを持っている自分自身を心底、嫌っている。なにもかもが中途半端で、こうして戦いに立ってもブランクを気にして思うように体が動かなくなるのではと不安になる。
しかし、案外、立ってみるとどうとでもなるものだ。クルスを救出しに行ったとき、かなり感が鈍ってしまっていたのだがそれでも上手くは立ち回れた。崩落に巻き込まれてしまって、アレウスやエルヴァには迷惑を掛けてしまったが、それでも命を取られることはなかった。
ここには誰もいない。誰にも見られることはない。
誰にも評価されることもない。評価される場所でもない。
担当者になってから思うのだ。功績も名誉もいらない。ただ、自身の担当するパーティが死なないで生きて帰ってきてほしい、と。
気にするものは、なにもない。気にすることは、なにもない。
心が軽い。思い通りに体が動く。憎しみや怒りを制御して、目の前の黒騎士にだけ集中することができる。
鎗を振るわれれば避け、裏を取られそうになれば読み切って正面から対応する。距離を取られれば詰めて、詰められるようなら適度に離れる。そして、黒騎士がリスティの剣戟から逃れ切って一安心とばかりに一呼吸を取れば、自身が磨き上げた刺突で距離も間合いもなにもかもを詰め切って、その安堵を潰す。
クルスに刺突の精度を鍛えてもらい、エルヴァには強力だと褒めてもらった。この『技』は自分が自分であるために磨き上げたもので、そう簡単には人には見せることもない。大切に心に収めているものを、見せびらかしたりひけらかすことをリスティはしたくない。
「クソ、なんなんだ! その技は!」
デルハルトは刺突を避けはするも、そこから反撃の余地がないと判断して再び大きく距離を取る。
「テメェ! 空間を超越しているだろ!?」
「そんな気はないけど、そうなのかも」
この技の射程はリスティが定めた刺突の間合いである。自身が届くと思った距離や間合いであれば、到達時間に差はなく常に一瞬。
ひたすらに一瞬を求め続けた。一瞬で事態は変化する。好転することよりも悪い方向へ転がることの方が多い。だから、一瞬で全てを決める。そのことだけを考えた技だ。
空間を超越しているかどうかはリスティには分からない。ただ、自身が思った踏み込みよりも、自身が思った到達よりも簡単に対象には届くなとは思ってはいた。
それでもまだデルハルトの命を落とせない。鎗で奇跡的に払われている。長年の勘が刺突を防ぐことに力を貸しているのだろう。それでも兜で表情こそ見えはしないが、リスティよりも気を張り続けている。そんな確信があった。
鎗を叩いて鳴った音色が月毛の馬を呼ぶ。跨り、デルハルトはリスティへと突撃を仕掛けてくる。人馬一体の一撃は、さすがに分が悪い。大きくかわし、反撃の余地を探るが見当たらない。馬上のデルハルトには刺突を届かせることはできない。馬を反転させて、デルハルトは再びの突撃を開始する。恐らくは刺突を封じたと思っている。その通りではあるのだが、騎馬と戦ったことはなにも初めてではない。馬上戦の経験も、騎馬との戦いも、全て騎士養成所で学んでいる。『禁忌戦役』では大した戦果を上げられないどころか、怪我までしてしまったが、学んだことを忘れたことは一度もない。
「馬を傷付けたくはないんだけど」
迫る月毛の馬に対し、リスティが呟きながら回避に移らない。その構えを見て、デルハルトが直感的に危機を感じたのだろう。月毛の馬に泊まるよう手綱を操っている。だが、僅かに遅い。
リスティは馬とギリギリのところで擦れ違い、そしてその脚を切り裂く。途端に嘶き、月毛の馬は走ることができなくなって大きく暴れ、デルハルトを地面に落とす。
「動物を傷付けて心が痛まねぇのか?」
鎗による薙ぎ払いも、馬に蹴られることもない。なのに脚だけを的確に切り裂いた。その冷静さにデルハルトが引いているようであった。
この男が作った優勢は、数分で失わせた。自ら好機を失ったのではなく、目の前の女に失わされた事実をデルハルトは素直に受け入れることができていない。
「言っている意味が分からないんだけど? 生死を懸けた戦いの中で、なんで私が馬を切れないから死ななきゃならないの? そりゃ自分の命を守るためなら切るでしょ。ここは戦場なんだから、傷付けられたくない愛馬ならそもそも連れて来なければいいだけのこと。騎馬と愛馬は分けて考えるべき。愛情を注いだ馬が騎馬として優れているとは限らないし」
説教染みたことを言ってみたが、どうせ意味がない。それを表すようにデルハルトは「面倒臭い」と呟いてから鎗を振るう。
鎗に対して剣で挑むのは自殺行為だ。どれほどにデルハルトより素早くとも、剣戟は届かない。だからといって自身が磨き上げた技を何度も使えばいつかは見切られて、鎗がリスティを貫くときが来てしまう。
刺突にさえ気を付ければいいと考えているだろう。実際、リスティがデルハルトに有効と思えるのはそれだけだ。剣戟は受けられているし、捌かれている。技は気力を消費する。疲労も混じれば、いずれは撃てなくなる。その瞬間、デルハルトに再びの好機が巡ってしまう。
この男はそれを理解している。だからか妙な高揚感を気配で感じ、更には声も荒げつつ振るう鎗の速度とキレが増す。鎗撃の一つ一つを捌いてはいるが、ちょっとでも手を抜こうものなら負けるだろう。なによりデルハルトの鎗はエルフによって鍛造されたものだ。たった一撃で物理と魔力の攻撃が飛んでくる。受け方を間違えれば魔力が剣を貫通してリスティの体を穿つ。だが、これを気にし過ぎるといつかは鎗そのものに貫かれてしまう。
「所詮は前線から逃げた元冒険者だな。本物の戦いに付いて来られていない」
「本物?」
リスティが鼻で笑う。
「あなたのどこに本物があるの?」
神経を逆撫でする。こうすることで鎗術に乱れが生じれば御の字だ。挑発は強者に向けて行ってはならないが自身と同等、或いは下等であればいくらでも行って構わない。それで敗れることがあれば力量を見誤っただけだ。現状、リスティは攻め手には欠けてはいるがデルハルトに自身が劣っているとは微塵も思っていない。
だが、デルハルトの体力には注意しなければならない。これだけ鎗を振り回しているのに疲労を感じない。黒騎士の出処がどこかまでは分からないが、イプロシアの進撃に合わせて現れたのなら彼女と行動を共にしていた可能性が高い。そうなると『異端審問会』の手によってロジックを書き換えて、肉体的な強化を施されているかもしれない。
「強がっていても、俺とテメェの差は段々と広がっていくぞ?」
リスティの言葉を強がりと捉えたらしい。良い意味で引っ掛かってくれている。底の浅い男だと心の中で侮蔑する。
とはいえ、手の内が見えないのは少しばかり不安がある。特に鎗に、なにか厄介な力が施されていたならば優勢は一気に劣勢へと変わる。
確かめておこうか。そう思ってリスティはわざと隙を作る。案の定、デルハルトはそこに鎗で刺突を放ってくる。剣身で受けながら、体を捻り、その動きで肩掛けの小さな鞄が前方へと浮かぶ。剣は折れ、更には魔力を帯びた一撃が鞄ごとリスティの肉体を貫通する。
「“癒やして”」
回復魔法を唱え、肉体内部を損傷を即座に縫合する。
「どうだ? 死の感覚は? これからどんどんと死が近付いてくることへの恐怖の味は?」
そんなことを呟いているが、どうだっていい。確かめたいのはここからだ。
「……毒、麻痺、睡眠、疫病、呪い。どれでもないか」
魔力の一撃は鞄を通ってからリスティの肉体へ届いた。そのため、鞄の中に入れていた物によって鎗の穂先に込められた力は濾過されたはずだ。それを確かめたい。
デルハルトが一応とばかりに距離を置いた。なにを言っているのか分からないようなので、鞄をひっくり返して装飾品を地面へと落としていく。
「耐毒の腕輪、痺れ知らずのお札、睡眠避けの香水、疫病除けのイヤリング、呪い返しの藁人形。どれにも反応がなかった。唯一、反応があったのが魔力抵抗を上げるペンダント」
通過によって、状態異常を込めた魔力を受ければ装飾品が反応して防いでくれる。中には一度だけしか防いでくれないものもあったが、ペンダント以外は綺麗なままだった。
「これが砕けるくらいの魔力量があったことは認めるけど、それ以外の一切があなたの鎗には含まれていない。ひとまずは安心かな。黒騎士になって、その鎗に怖ろしい状態異常の効果でも与えられていたらと不安だったから」
砕けたペンダントを投げ捨て、リスティはデルハルトを見下した表情を崩さない。
魔力には乗っていなくても物理には乗っている場合がある。しかし、現状でその鎗を受ける自分をリスティは想像できない。
「わざと、受けたってのか?」
「ええ、わざと受けたけど? それも全ての道具に当ててもらうように受けた」
折れた剣をデルハルトに投げ付け、新たな剣をリスティは鞘から引き抜く。
「なに? 技量で押し勝ったと思ったの? 先に言っておくけど、ないから。だって冒険者同士の戦いは、能力値が全て」
状態異常が無いのなら、もうデルハルトの手の内は見えた。黒い魔力に怯える理由は一切ない。ただ黒いだけで、エルフの『衣』ではない。周囲を荒廃させるほどの圧倒的な呪いのイメージではあったが、人体への害はほとんどないと考えていい。
だったらもう、この男を殺していい。
リスティは抑えていた力を解き放つように駆ける。デルハルトにはこちらが捉えられていない。この身軽さに、この速さに男の動体視力は追い付けていない。
「敏捷性は私が勝っている」
間際まで詰めて、リスティは呟く。そこでようやくデルハルトは近付かれたことを認識したらしい。鎗を振るう前に剣戟を放つ。どうにか受けてはいるが、よろめいた。
「わざと受けなければ、筋力も私がやや上」
前方を薙いでくる。だがもうそこからリスティは離脱している。回り込んで背中を取るが、さすがにこれは読まれてしまって翻って鎗を縦に振られ、剣で受ける。このときに生じる魔力の一撃を半身を引くようにして受けずに逸らす。
「筋力に対しての忍耐力と防御力も私が上」
鎗を受けたまま、リスティは片手に込めた魔力の塊をデルハルトに押し当て、その炸裂による衝撃で大きく打ち飛ばす。騎士養成所では基礎中の基礎で、ただ固めた魔力をぶつけるだけの簡単なものなのだが、あまりにも男に通用し過ぎている。
「魔力、知力も上だから魔力抵抗で防ぎ切れていない。私は回復魔法や補助魔法を使えるから精神力や信仰も上」
上体を起こし、立ち上がるデルハルトにリスティはケラケラと笑わざるを得ない。
なにもかもが足りていない。この男に、ヘイロンが殺され、シエラが弄ばれたのだと思うと腹立たしくて仕方がない。しかしそれ以上に、あまりにも粋がっているその様が無様としか言いようがない。
少なくとも、アレウスにこんな無様さはない。自身が想う少年は、省みることのできる精神を持っている。最初の粋がり方を反省し、自らの力の足りなさを惨めと思い、どうすれば悔しさをバネに強くなれるのか。どうすれば自分の取り柄を伸ばすことができるのか。悩み、苦しみ、悲しみながら『至高』へと登り詰めるためにひたすらに、ただひたすらに努力を続けている。驕りはある、至らなさもある。肝心なところで詰めが甘い弱さもある。
だが、それがとても心地が良い。素直な応援では飽き足らず、抱き締めたくなるほどに愛くるしい。こんな男と比べるまでもなく、アレウスは全てで勝っている。
そして、リスティもまた全てでこの男に勝っている。ただし、性格までは自信がない。
「あなた、私になにで勝っているの? 運? 運だけ? 運だけで、私に勝つの? 無い無い。運だけじゃ勝てない。だってあなた、その幸運をもってしても、『異端審問会』に勝てなかったんでしょう? あなたは幸運の女神に愛されていたわけじゃないの。運は手繰り寄せるものだけど、強者はそれを強奪できるのよ。だから勝てずに引き分けた」
自身の性格の悪さの演じ方は、エルヴァ仕込みだ。素の性格がそこまで良いものでもないことを自覚しているので、あまり違和感なく嘲笑することができてしまっている。
そして、最も言われたくないことを言われたのであろうデルハルトは頭に血が昇る。
「後悔しろよ!!」
そう言って鎗を振り上げる。
「しない」
詰める気だ。だからリスティから技の構えに入って、即座に空間を飛び越えて正面へと先に詰め切った。
怒りで抜け落ちさせることができた。理解していたはずのことを、理解から外すことができた。
だが、デルハルトは直感だけで鎗を振り抜くことに決めたらしい。この構えからだと刺突を入れても同時に鎗の穂先で切り裂かれる。だから軌道を逸らす。鎧を掠めはしたが、リスティの剣は貫くに至らない。
剣を突き出した態勢。そこから剣を引き戻さなければならないのだが、デルハルトは鎗を捨てて剣を抜いている。この一撃を避ける術はない。
心の中で、褒め言葉を贈りそうになったが堪える。この男を褒めることなどしない。絶対に。
「終わりだ!! クソ女!」
首を刎ねる一撃。だが、リスティに恐怖はない。表情を崩さない。冷徹に、その瞬間を見据える。
刹那、人の形をした紙がリスティの懐から飛び出してデルハルトの剣戟を弾いて、吹き飛ばす。
「『身代わりの人形』だと!?」
「冒険者なら持っていて当然の物じゃない?」
道具への信頼感はあるものの 発動するまではやはり血が凍るのではないかと思うほどの寒気はあった。しかし、安堵によって血の気はすぐに戻る。
デルハルトが捨てた鎗を拾い上げ、リスティはその場に突き立てる。
「これは一騎討ちだぜ?! そんな無粋なもんを持ってくんじゃねぇよ!」
「それはあなたが決めたことであって私が決めたことじゃない。さっきも言ったけど、冒険者なら道具に頼るのは当然でしょ」
剣を振り直し、リスティはその場で軽く跳んで足腰の疲れを確認する。まだまだ体は動かせる。さっきは思わぬ動きを取られた。まさか自身の最大の武器である鎗を捨てて、剣を抜くとは考えなかった。だからこそ、こういったときのための『身代わりの人形』なのだ。持ってこないという選択肢はないほどに優秀な道具である。
「あなた、私の称号は調べなかったの?」
「うるっせぇ! 称号になんの価値があるって言うんだ!」
「ギルドが与える称号はその人の特徴を表す。あなたは称号を仮面代わりにしていたから、気にも留めなかったんだろうけど」
リスティは走り、デルハルトはまたもこちらを見失う。
「私に与えられた称号は『周到』。準備は全ての状況に行き届く。最悪の事態を招く前に、最善を尽くす。これが担当者で出来ていればっていっつも思う。現場における事前準備と、想定だけでしか進められない見守る側の事前準備では雲泥の差があるせいで、上手く行くことがほとんどない」
この疾走は攪乱である。男は気付いたようだが、もう遅い。
だから、再びリスティは空間を超越してデルハルトの間際に迫っている。
「『身代わりの人形』はあと十枚ある」
デルハルトが再び剣で応じようとしたため、その一言を贈る。どうやら絶望し反撃する気力を失ったようだ。
言葉に惑わされて、こんな一言で気力を失うなど『中堅』の冒険者らしくもない。
「輪廻に還っても、二度と私が生きている間に戻ってこないで――いいえ、この世界に二度と来ないで」
一閃の刺突がデルハルトの鎧を砕き、その胸部を穿つ。
「『身代わりの人形』さえ、無ければ…………」
血を吐き、デルハルトはうずくまる。
「え、なに? 十枚あるって言われて戦うのを諦めたの? 嘘だけど」
先ほどの言葉をリスティはすぐさま虚偽であると告げる。死ぬ前に嘘で敗北したことを味わわせなければならない。
「は……っ?」
「十枚も用意するわけないでしょ。さっきの一枚で終わり」
「ふざ、けるな!!」
「嘘をつき続けてきたあなたにとって最高の皮肉でしょ?」
月毛の馬が足を引きずりながらデルハルトへと寄っていく。その飼い主、そして乗り手に対しての健気さにリスティは同情しつつ、デルハルトの鎗を引き抜き、戻る。
「さようなら、美しい月毛のお馬さん」
走れなくなった馬は野性に帰しても生きてはいけない。そのことを知っているリスティは月毛の馬にトドメを刺す。優しく、けれど苦しまないように一瞬で。
「この子に注いだ愛情と同様に、人々に愛を注ぐことができたなら……あなたはやり直すことができたかもしれないのに……死ね、至上最悪の冒険者」
頭を踏み付け、デルハルトを仰向けに倒し、鎗で腹部を貫く。
反省も後悔もさせない。敗北の味を感じたまま死なせてやる。強い憎悪がそこには込められていた。
黒い空間が弾けて消える。息絶えた男を、ひたすらに冷たく睨む。
「アレウスさんたちの方も……長引かせた気はなかったけれど、それなりには時間を掛けてしまったみたいですね」
そして、元通りの仮面を被る。自分でも気味が悪いと思うほどに簡単に普段通りに戻れた。
やはり自身の素の性格は悪いのだろう。そう思った。
♯
「口だけは達者でしたね」
ユークレースは正面でうつ伏せに倒れている男を蔑むように言う。刀を揺らし、そこから零れ落ちた魔力が骨片となって宙を泳ぐように飛び回る。
「『悪酒』と秘剣、どっちも真正面から受けてどうこうできるもんじゃねぇな……あいつ、こんなのと戦って倒したとか本気か? しかも二刀流だったんだろ……まぁ、貸し与えられた力を使ったか使ってないかは大きいかもしれねぇけど」
ボソボソと呟きながら男は起き上がる。全身の傷から血を流し、頬も深く裂いて血が流れ続けている。放っておいても勝手に死ぬのではと思うほどの出血量だ。
「どっちも見せたので、この手で殺しますが……良かったですね、僕の手で殺されて」
「どういう意味だ?」
睨んでくる。こちらに対してまだ負けていないという意志が見える。
「僕のような名のある存在に殺されるのは、あなたにとって名誉なことです」
「……はっ、名誉だって? 殺されることが名誉なんて本気で思ってんのか? ねぇよ、そんなのは。殺されれば全部がなくなる。感情も感覚も、思考もなにもかもだ。名誉なんてあの世に持って行けねぇんだ。大事なのは生きていること、死なないこと。そのためなら名誉なんて一つもいらねぇ。“癒やせ”」
男の傷口が縫合されて塞がっていく。
「魔法で血液は戻りません。失った血が多ければ多いほど、感じる疲労感も合わせてあなたの体は思うようには動けなくなる」
鞘から骨片を落とし、更に宙を舞わす。
「綺麗な姿で死にたい。そのように意図を汲ませていただきます。ですが、その首だけは頂戴します。秘剣、」
ユークレースは刀と鞘の両方を頭上に投げる。
「“牡丹蝶”」
投げた刀と鞘、そして舞い散る骨片のどれもが男目掛けて奔る。範囲は一帯、そして男を包囲し切っている。どこにも逃げ場はなく、どこからも逃がさない。そのための『牡丹蝶』である。自身の『悪酒』と、この秘剣は相性が良い。投擲のタイミングと骨片を奔らせるタイミング、そのどちらもを適切に行える。『夜翼貫骨』の面倒な点は零した骨を自身の視線に入っている中である程度制御しなければならない点だ。それを怠れば、自分自身へと飛来することさえある。だからこそ『牡丹蝶』と合わせることで、自身が傷付くリスクをほとんど無くすことができる。
「あなたは強者でしたが、僕ほどではなかった。それだけのことです」
男は睨みを、姿勢を崩さない。ただジッと、動かない。
天高くで大きな大きな爆発が起きる。ユークレースは秘剣及び全ての骨片を男へ到達させる前に一旦制止させる。制止させているという意識を強く持った状態で空を見上げる。
「……義兄上、まさか」
そう呟き、目の前の男を殺すことを後回しにする。包囲はしている。あとは貫くだけなのだから命は取ったも同然だ。逃げようとすれば気配で追って仕留めるだけでいい。
「『接続』せよ……『接続』せよ……!」
『念話』を行おうとユークレースは試みるが、魔力が全く感じ取ることができないどころか魔法として形にすることもできない。
「本当にこんな場面で! この瞬間にお使いになられたのですか……!?」
事前に義兄からは聞いていた。今回は王国の秘密兵器を用いると。連合より鹵獲した戦車を研究し、自走式の大砲へと改造したそこに特別な砲弾を込めて放つと。
「だったら、だったらなぜ! 『指揮』をお使いになられなかったのですか?! せめて『指揮』を用いたあとなら!」
「使っても使わなくても結果は同じだろ」
男の呟きを聞いて、ユークレースは前を向く。制止させていた骨片が掻き消えて、刀からパーツが剥げ落ちて、鞘と一緒に地面に落ちる。
「キンセンカ!」
機械人形を呼ぶが反応がない。見れば倒れたまま動かない。
「ロジック砲、だろ? 砲弾が炸裂したのち、範囲内においてはロジックに刻まれたありとあらゆる物が使用不可になる。他者からの魔法による干渉も寄せ付けない。『指揮』はロジックに刻まれた王国だけの技能だ。使っても使わなくても、効果は切れる。テメェの『悪酒』も、機械人形も、刀も、秘剣もなにもかも一時的に使用不能になる」
「やはり、情報は……」
「でも全く読めねぇな。なんでこのタイミングなんだ? テメェが俺を殺してからでも良かっただろ。そのあとでクルスと、その傍に仕えているリッチモンドのロジックを封じれば、あとは怒涛のように兵士を投入すれば済むだけのこと。その選択をマクシミリアンは取らなかった。取れなかったのか?」
「僕にも全く、なにがなんだか分かりません。ですが、僕がやるべきことは変わらない。あなたをここで殺すことです」
「……そうか、どこまでもマクシミリアンを慕うか」
男は刀を取って、ユークレースに投げて寄越す。
「良いのですか?」
「良いも悪いも、勝敗は決した」
「……諦めが悪かったはずなのに、どうして今、諦めたのですか?」
「諦めてねぇよ。ただテメェを、かわいそうだと思っただけだ」
「同情される義理など、っ!?」
男が間際にいる。どういうわけかユークレースは反応できない。反応できずに男の剣戟を浴びて、蹴り飛ばされる。
「なん……なん、ですか?」
「状況が分かってねぇのか? ロジックを封じられてんだぞ。魔力も気力も使えねぇ。魔法も技能もなにもかもがロジック砲で封じられている。俺はテメェの気配を読めなくなったし、テメェも俺の気配は読めなくなった。違うか?」
確かに男の居場所を感知できない。移動に目が追い付かなかった。体の反応も大きく遅れた。
「騎士道を叩き込まれ、秘剣を叩き込まれ、『悪酒』を手に入れ、機械人形を使う。そのどれもこれも、テメェにはない」
「まるであなたにはなにかがあるよう、っ!」
迫られ、首を取られかけた。寸前で蹴飛ばしたが、首の皮を裂かれた。
「俺にはあってテメェにはない」
「まさか、この僕が元来の身体能力のみであなたに及ばないと仰りたいのですか?」
「そうだ」
「馬鹿なことを言わないでください! 僕は幼少期よりずっとこの身を鍛え続けてきました! あなたに及ばないことはない!」
「そりゃすげぇな」
そう言ってから男がフェイントも織り交ぜた接近を行い、剣戟を放つ。ユークレースも斬撃で応じるが、あまりにも剣戟の勢いが強すぎる。なにより剣術と呼べる剣術ではない。軌道が読めず、なにより男の筋肉の動きが読めない。剣だけではない、唐突に拳は飛んでくるし、意味もなく蹴りを試みてくる。しかしそのどれもがユークレースにとっては致命的なまでの唐突さで、対応するだけで全神経を集中せざるを得ず、防戦一方となる。
「僕は!」
「テメェは恵まれた環境にいたんだろ? 恵まれた環境に生きて、恵まれたところで刀術を学び、恵まれた人生を送っていた」
「だからなんだと言うのですか?」
「きっと産まれた直後に『神官の祝福』も受けたんだろうな。いや、大体の子供がそうだろうな。産まれた直後にロジックを手に入れる」
「だからそれが……あ、ぁ、ああああ!」
ユークレースは男の言いたいことを理解し、悲鳴にも似た絶叫を上げる。
「俺がロジックを手に入れたのは名前を手に入れてからだよ。教会に拾われてもロジックは与えられる前に人を殺して、逃げたんだ」
分かるか、と呟きながら男は近寄ってくる。
「ロジックを手に入れる前に、俺は生きるために姑息な手段を習得している。ロジックを手に入れたあとから様々なことを叩き込まれたテメェには、それがない」
ロジックを封じられた今、求められるのは身体能力と勝負勘。ただし、それらの経験をユークレースはロジックを手に入れてから習得している。だがこの男は――この男の言う通りであるのなら、ロジックを獲得する前に、一定の人殺しの技と身体能力と生存のための知恵を手に入れていることになる。それは僅かな差かもしれない。歴然とした差ではないかもしれない。
しかし、この場では致命的な差となる。
男の剣の振り方はどれもこれもが粗雑で乱暴で、一貫性がない。それに応じるユークレースの刀術は基礎的な斬撃に留まる。どちらがより暴力的で、より攻撃的かは考える余地もない。男の方が圧倒的に殺しに向いた戦い方をしている。
あり得ない。先ほどまで強者ではあっても自身を越えることのなかった男が、形勢逆転してユークレースを追い詰めている。
いや、首を取りに来ている。
「僕は! 義兄上の末弟! それが、名乗ってもいない男なんかに負けては……!」
「終わりだ!!」
男が振り上げた剣を、避ける術はない。
だがその振り上げた剣ごと男の右腕が何者かに切り落とされる。
男は悶え、悲鳴を上げ、切断された部位を左手で押さえながらうずくまる。
「一体……なに、が?」
「王族が蛮族に負けるなどあってはならないことだ。首を取られれば未来永劫のお笑い種だ」
ゾクリッとユークレースの背筋が凍る。
「貴様は意外と周囲が見えていない。だから今回も私のような存在に覆される」
男をなじるように言って、その者はユークレースに視線を向ける。
「クォーツ……いや、ハーフガルーダの体に、『魂喰らい』が憑り付いているのか」
「ほう? その推理に免じて命までは取らんでおこう。まぁ、右腕は元通りにはならんだろうが」
ハーフガルーダの少女が、とんでもないほどの気配を纏いながらユークレースに歩いてくる。ロジックを封じられても分かるほどのオーラを纏っており、刀をユークレースは降ろす。
「戦う気力をなくしたか? それとも抗うことを諦めたのか。どちらでも構わんが、王族としては足りん精神力だ。こんなのにも、私の血が流れていると思うと腸が煮えくり返る」
この少女には敵わない。勝てない、絶対に。
「貴様は生かしてはおけんな。そのような精神力では王族の面汚しになる」
「義兄上は、この方の来訪を察知して……早期に、ロジック砲を。ですが、まったく、効いてはいないようですが」
「私は死者である上に、私の時代にロジックはなかった。いや、あるにはあったが私がそれを手に入れたのは国を成してからだった。ロジックに頼った戦いなど産まれてから死ぬまでしたことなどない。しかし、ロジック砲か。なかなか便利な代物だな。私の時代にあったなら、是非とも使い倒して世界を統治したいところだった」
少女はユークレースの間近まで迫る。そこで足を止め、動かない。
「貴様に問おう。王が到達すべきところはどこだ?」
「心技体を兼ね備えた者」
刀が振るわれ、ユークレースの胸が引き裂かれる。その居合い抜きにも似た瞬刃は今のユークレースの目では捉えることすらできなかった。
「やはり、血は薄くなれば薄くなるほど劣っていくようだ。それは通過点であって、到達点ではない」
「通過点……」
「心も技も体も、王として立つならばそもそも備えているものだが、血が薄くなったのであれば獲得するのに手間が掛かることは見逃そう。だが、そんなところを到達点としている時点で、貴様はもう王の器ではない」
更に瞬刃によってユークレースは切り裂かれ、膝を折る。
「王の到達点とは、“全”だ。全てを兼ね備え、全てを凌駕する。“全”を持たぬ者が王など、片腹痛い」
「義兄上……さ、ま」
二度の瞬刃でユークレースはもはやいつ死んでもおかしくない。
「義兄? 義兄か。そういえばマクシミリアンと呼ばれている第一王子がいたな。奴ならば“全”と答えるだろうか」
「答えたなら、どうします、か?」
「無論、殺す。当然だろう? “全”を唱える者を、“全”を持つ者は切る。なぜなら“全”を持つ王など、国に一人だけで構わない。いいや、世界に一人だけで構わん」
「ユークレース! 伝令を走らせろ! 『魂喰らい』が来たとなれば戦争の駆け引きどころではないことはマクシミリアンも分かっているはずだ!」
「その重傷で起き上がるか」
少女は振り返り、男へと瞬刃を振るう。だがそれを本能だけで男は避ける。切断された右腕を回収し、男は逃走のために翻る。
「相変わらず姑息な奴だ。しかし、あれが生きるための知恵だ。刹那に私の斬撃を本能だけで避けてみせた。貴様にあるか? あの男ほどの生に縋り付くほどの本能が?」
ユークレースは答えない。答えられない。少女の放つオーラに飲まれて、声を発することもできない。
男のように逃げることも考えた。だがそれは、王族の末子としてはあり得ない。敗北はあっても、敗走はしてはならない。王族として兵士を率い、必ず品位を落とすことなく敗戦処理を行う。逃げる姿を晒すのは王族として相応しくない。
「血が薄くなろうとも死ぬことに抗ってほしかったが……それすらも足りんか」
ああ、どうか。
ユークレースは薄れ行く意識の中で、願う。
義兄上は、死なないでください、と。
少女の――『魂喰らい』の瞬刃がユークレースを切り伏せる寸前、今度は『魂喰らい』へとあり得ない速度で飛刃が奔る。少女は瞬間的に刀で受けるが、衝撃を吸収し切ることも弾くこともできずに吹き飛ぶ。
「ようやく現れたか、前時代の化け物」
刀に響く衝撃に少女は心地良さすら感じているように見えた。そんな少女の斬撃を掻い潜って、ぼろ切れの外套を着た壮年の男がユークレースを守るように立ち、鞄からポーションを落とす。顔を上げて、様子を窺うと壮年の男はこちらを見て、首を縦に振っている。残された意識の中でポーションの入った小瓶を取り、栓を外して呷る。
体の重みが多少は軽減され、傷口がゆっくりとではあるが塞がっていく感覚がある。回復魔法よりも遅いが、それでも肉体的に窮地から脱していることはハッキリと分かる。
「王族を生かしてなんになる? それとも、王に命じられて魔王を討ちに行った。その礼を果たしたいということか?」
刀を手元で軽く振りつつ『魂喰らい』が問う。
「だったら逆だろうに。王に命じられなければ、貴様は魔王を討ちに行くこともなかった。現実を知ることも、辛い冒険に身を投じることもなかった。既に死している私ではなく、その刃は生きている王族にこそ向けられるもの……いや?」
少女はゼルペスの方を見て、すぐに壮年の男へと向き直る。
「つまらんな。王族同士で国を取り合っているとは思わなかった。そういうことは世界を取ってからやれと息子どもには伝えたが、どうやら平和を満喫し過ぎて頭から抜け落ちてしまっていたようだ、情けない。しかし、それでも腑に落ちない。なぜ、か弱い小娘を先に討たん? なぜ先に強者を討ちに行く? 力の足りん弱者など早々に摘み取っても誰も文句など言わないだろうに」
壮年の男は答えない。無言のまま、剣を『魂喰らい』へ向ける。
「ああ、そうか。貴様は言葉を発することができなかったのだったな。では、態度で物事を読み取ろう。そうやって紛い物の妖剣を振るう気であるのなら、貴様は私を敵と認識している。そういうことで構わないな?」
そう言った直後、オーラに殺気が乗る。
「ふざけるな、若造めが! この初代国王に『勇者』が刃を向けるなど笑止千万!! 良いだろう、そんな首はこの私が刎ねてやろう!!」
「初代、国王……」
「頭で考えている暇はねぇって言ってんだろ。伝令をマクシミリアンに走らせろ! 『勇者』が出たら可能な限り無視しろとはテメェも言われてんじゃねぇのか!」
逃走したはずの男の声がして、ユークレースはかなり強引に立ち上がる。『魂喰らい』が瞬刃をどこかへと奔らせるが、『勇者』がそれを弾く。その僅か先にはユークレースへ檄を飛ばした男の背中が見えた。どうやら完全に逃走することにしたらしい。先ほどの言葉は最後の恩情だったようだ。
敵味方など考えている場合ではない。男の言うように、『勇者』には近付いてはならないし触れてもならない。そのように義兄上から通達を受けている。もはや『勇者』は天災だと。傍にいれば必ず、多くの命と多くの強大な戦いに巻き込まれると。
「全軍、後退。伝令は義兄上に『勇者』の出現を、そして『魂喰らい』――初代国王であるドラゴニア・ワナギルカンの魂が現れたことを伝えよ!!」
騎馬隊から複数人が後方へと駆ける。それを阻止するように『魂喰らい』が飛刃を放ち、何人かがそのまま斬り殺されるがその全てが殺される前に『勇者』が切り込み、激しい剣戟と斬撃の応酬を繰り広げる。
「はっはっはっはっ! どうやら貴様もロジックを封じられても衰えんようだな! 『勇者』として与えられた神力の賜物か? それとも、ロジックに頼らない戦い方を知っている者か!? どちらでもよい! 楽しく斬り伏せることができるのだからなぁ!!」
暢気に見学している場合ではない。捨てかけた命を拾ったのだ。この場から離脱を決める。惨めで恥ずかしく、王族として品の欠片もない逃走であり敗走であるが、そんなことを言っている場合ではない。
「だが! 何用でこんな戦地に訪れた!? 物見遊山でやって来たわけではあるまい! 語れんとしても構いはしない! 貴様の真意はこうして刃を交わして読み取ってやろうぞ!」
生への執着。優位な戦争を続けている間に忘れかけていたその感覚を思い出しながら、ユークレースは『勇者』と『魂喰らい』の傍から翼を羽ばたかせて離脱した。




