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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第13章 -只、人で在れ-】
603/705

β-6 格付け


「やはり俺は運が良い! それに比べて……残念だったなぁ、ここじゃ誰も助けには来られない」

 黒く暗い空間の中で黒騎士の下品な笑い声が響く。

「“灯せ”」

 リスティは詠唱を行い、周囲一帯を光球で照らす。

「ん? お前は魔法が使えたのか?」

「難度の低い魔法なら王国で習得を終えています。攻撃用の魔法は使えませんが」

 答えつつ、リスティは剣を抜く。

「月毛の馬、運が良いという発言。ヘイロンやアニマートについての言及……そうですか、黒騎士の正体はあなたでしたか。デルハルト・ウェイワルド」

 黒騎士は笑うのをやめて、数秒の沈黙のあとに溜め息を零す。

「あーあーあー、こうやって顔を隠してもバレるときってのは案外簡単にバレちまうもんなんだな」

「隠すもなにも、私は黒騎士の話が耳に入ったときからずっとあなたを疑っていましたよ。あなただけが消息不明のままは随分と都合が良すぎるので。ルーファスさんについても疑いを掛けていましたが、意志が妖剣に残り、それもまた消えたことをアレウスさんから報告を受けています。その報告も、シンギングリンを異界から奪還してからになりますが……」

「俺は運が良い。他の連中と違ってずっと生き残っているんだからな」

「……ヘイロンを殺したのはあなたですね?」

 リスティは黒騎士――デルハルトとの距離を意識する。彼の得物は黒い剣ではなく、鎗だった。つまり、あの黒い剣よりも背負っている鎗の方を注視しなければならない。間合いを詰めてしまえば鎗は振るえない。だが、その容易い対処の方法をデルハルトが知らないわけがなく、そしてその対策を取らないわけもない。

「どうして気付いた?」

「あなたについては黒騎士の疑惑が出てから洗いざらい調べさせてもらいました。そうすると、あなたの故郷において起きた連続殺人の資料に辿り着きました。驚くことに、あなたが冒険者を志して故郷を発つとその後に連続殺人はパタリと起こらなくなったそうですね。そしてこれが連続と呼ばれる理由は、」

「串刺し、だろ?」

「女性だけを対象とし、殺害後に裸にして必ず串刺しにして晒す。それも女性の尊厳を破壊するような残忍な刺し方で。そう、まさしくヘイロンの死体に行われた、あの串刺しのように」

 リスティは剣とは逆の手で拳を作る。


 その故郷で同様の手口で行われた殺人件数は四件。その四件の捜査線上に、デルハルトは一度も上がってはこなかった。痕跡を消すのが上手かったの一言では済まない。信じられないほどの彼にとっての幸運が重なって、捕まることがなかった。それは狂気を隠す表の顔によるものか、それとも捜査がシンギングリンで行うものよりもずさんなものだったからか、デルハルトの故郷の権力者が事件をあまり外部へと漏れないように情報統制を行っていたからか。なんにせよ、なにもかもが彼にとって都合良く働いた結果である。


「シンギングリンにいたヘイロンはテッド・ミラーに付き従うヘイロンから生じた一種の揺らぎ。元々はクローンから派生した人格でしかなく、罪深き存在。ですが、彼女のギルドへの……冒険者への熱意は、担当者としての努力は、本物でした。それが、あのような形で……あなたの手で、殺されるなど……!」

「大義なんざ知らねぇ、熱意なんかも興味がねぇ。俺は好きなことをやれりゃそれでいい」

「では、故郷から出たのも罪の意識からなどではなく、」

「殺す女がいなくなっちまったんだよ。殺してぇって思う女が一人もな。だったら、まぁ冒険者にでもなるかってなもんだ。ゴブリンやコボルトを退治するときのハラハラ感は割と好きだったな。人間を相手にしているみてぇで面白かった。まぁでも、女を殺す瞬間に比べればどれもこれも似たり寄ったりだったが」

 冒険者になっても、矯正はできていなかった。狂気をデルハルトは内に潜めたまま、腕を上げ名を上げたのだ。

「殺した女は眉目秀麗な方ばかり。あなたの趣味ですか?」

「違う違う違う、俺は別に美人ばかりを殺したくて殺しているわけじゃねぇ。現に物凄い美人であっても俺が殺さなかった女なんてシンギングリンにそこら中にいただろ」

 狂人との話は、自分自身も狂気に引き込まれる可能性がある。理性と人格を保てるラインで話は終わらせなければならない。


 しかし、どうしても聞きたい。なぜ、ヘイロンが殺されなければならなかったのか。


「どうして、殺人衝動が抑制されつつあったあなたが、ヘイロンを殺したんですか?」


「俺の誘いを袖にしたから」

「…………は?」

「分っかんねぇかなぁ。俺が一緒に寝ないかと誘ったら、あいつは俺を小馬鹿にして断ってきやがったんだ。参っちまったよ、ああこんな街にも俺の誘いを断る女がいるのかよ、ってな」

「ま、さか」

「そんでもすぐに殺したいと思ったわけじゃねぇ。なんかの聞き間違いってこともあるし、まぁなんだかんだで互いに知り合って間もなかった頃だったし、それじゃお互いをよく知る間柄になってからもう一度聞いたって遅くはねぇってな。んで、何年も経ってからもう一度聞いたんだよ。それでもやっぱり、あいつは俺を相手にはしなかった。だったらもう、故郷の女と同じように殺すしかねぇだろ?」

 気持ちが悪い、吐き気がする。

 このデルハルトは、この男は、おおよそ人が感じても抑え込むことのできる感情をそのまま殺人衝動に変えているのだ。通常であればフラれれば落ち込んで、泣き喚くだけ喚いてから周囲に迷惑を掛けつつも立ち直ることのできる一連の感情の流れを、殺人という形で実行するのだ。

「『礼賛』という称号に似つかわしくないことを言いますね」

「いいや、幸運の女神様は俺のことを気に入ってくれている。だから今日、この日までバレることがなかったんだぜ? 好き勝手やっていた割にはあいつらの誰よりも長生きだ。ああ、クルタニカは例外な。あいつぁ、俺の趣味じゃねぇし口説くに値しない女だったからな。それでも結構な頻度でパーティで一緒になっていたっていうのに、一度も疑われもしなかったんだから、やっぱり運は良いんだよ、俺は。はっ、クルタニカも真実を知ったらどういう顔をするんだろうな! あいつが結構、しっかりと信頼していた担当者を殺して晒したのが、パーティで共に戦っていた仲間だと知ったらなぁ!」

 バレていなかったわけではない。気付いてはいたが、それを公表すれば大いにシンギングリンのギルドが揺らぐ。冒険者を見る目が変わってしまう。だから報告することも公表することもリスティは控えた。リスティの先輩であるシエラもこの答えには行き着いていただろう。それでも決して、誰にも話すことはしなかった。


 もしかするとシンギングリンのギルド関係者は全員が全員、秘匿の道を選んだのではないだろうか。ヘイロンは恨みを買う人間ではあったが、同時に恩義を感じている者も多かった。そんな人物が殺されたなら、血眼になって犯人を突き止めようと動く。現にヘイロンにそこまでの敬慕を抱いていなかったリスティですら調べ、答えに行き着いたのだ。他のシンギングリンの担当者が同様に調べれば、同様の答えには行き着く。

 情報を秘匿すると決めたがゆえに、情報は明かされないままとなってしまった。それが今日、この日までこの巨悪を野放しにする結果となってしまった。


「シエラは良い女だった。酒で互いに酔っていたとはいえ、誘いに乗ってくれたしな。そう思うと死んじまったのが勿体無い。もう一度、あの胸が上下に揺れるところを眺めながら、」

「黙ってください!」

 死者に対して発する言葉ではない。これ以上、辱めをシエラには与えさせない。そういった強い意志を込めてリスティは叫んだ。

「良いじゃねぇか、これくらい。どうせテメェはここで死ぬ。俺に殺され、裸にされ、串刺しにされて晒される」

「……最大の屈辱ですね」

「屈辱もなにも、これは決定事項だ。テメェも俺の誘いを断ったことがあるだろ? アニマートと同じだ」

「……やはりアニマートさんが甦ってから精神崩壊を起こしていた部分に、あなたは関わっていますね?」

「あいつは惜しかった。俺にとって本当に最高で最愛の女だと思うくらいには惜しかった。本当に惜しい。なんで俺じゃなくルーファスを愛していたのか。俺はいつもパーティで一緒にいながら思ったもんだ。こんな馬鹿げたパーティ、さっさと崩壊しねぇかなぁと。んでも、そんな素振りを見せるわけにはいかねぇ。俺の顔を覆っている『礼賛』という冒険者の仮面は一度でも剥げると二度と元には戻らない。アニマートに気取(けど)られでもしたら、終わりにも等しい。あいつはルーファスに言われて俺のことを常に危険視していたみてぇだしな。そんでもルーファスがアニマートの『魔眼』を一つ奪われて腐っちまったときには、チャンスだと思ったなぁ。結局、立ち直っちまったが、いやあれも惜しかった」

「そんな……好きになってもらえないからって」

「ルーファスも馬鹿な男だよ。最後の最後にこの俺に最愛の女を抱かれちまうんだからなぁ」


 終わっている。いや、元から終わっていた。この男が『礼賛』という仮面で素顔を隠していた時点で、なにもかもが終わっていたのだ。一見して強者だらけのパーティで、一時的に停滞こそしていたがアレウスの刺激を受けて再出発を果たした。しかしその内側で、こんな化け物がヌクヌクと巣喰っていた。


「あなたは殺す」

「殺せねぇよ、テメェには。俺の誘いを断った女はみんな殺しているか死んでいる。アニマートもヘイロンももういねぇ。あとは、テメェだけだよ。リスティーナ。クリスタリア」

「……はぁ」

 リスティは説得を諦めて、そして呆れたように溜め息をつく。

「この空間は誰も入っては来られないようですね」

「ああ、一度張ったからには簡単には抜け出せねぇ。俺を力で跳ね除ければその機会はあるが、テメェにそんなもんはねぇよ。誰も助けには来られねぇ。あのアレウスってガキもな」

「そう、ですか……へぇ、そう。そうなんだ」

 クスクスとリスティは笑って、満足してからスッと表情を冷たいものへと変える。

「なら私も仮面を外すわ」

「仮面? テメェが?」

「私が担当者としての仮面を被っているのは、その方がアレウスの気が惹けるからであって、あなたにわざわざ見せる必要が全くない。あとは本来の自分自身を遠ざけることで帝国で身元が割れないようにしていたのもあるかな」

 剣を手元で回して遊んでから握り直す。


 か弱い自分を演じるのはやめる。担当者としての自分自身は捨て去ってしまう。ここにはアレウスはいない。あの可愛らしくも心強く、見つめるたびに戸惑う素振りを見せてくれる愛くるしい男がいないところでは可憐さも美貌も必要ない。


 彼と出会った頃、共に捨てられた異界へと堕ちてニィナを助けに行ったときの強さに身を投じるのみだ。


「私の経歴を知らない? 知らないなら教えてあげるけど」

 あの二人と騎士養成所で過ごしてきた日々を思い出す。忘れかけていたが、あの二人が一、二を争っていたが常に自身は三位を維持し続けていた。エルヴァに蹴落とされても、他の誰にも蹴落とされはしなかった。

「帝国の担当者だろ。しかも一度パーティを崩壊させて事務職に逃げたクセに、また担当者に性懲りもなく舞い戻ったどうしよーもねー奴」

「王国のクリスタリア家出身の元騎士見習い。帝国では冒険者をやっていたけど、途中で限界を感じて担当者になった。そこで大失敗をするわけだけど、その理由は私なら大丈夫だと思った依頼が、そのパーティだと大丈夫じゃなかったから。エルヴァに短期間だけ振り回されていたんだから当然よね。あいつの戦い方は滅茶苦茶だったし。あとは、仮だけど元ギルドマスター。私は人材不足から仕方なく選ばれたわけじゃなくって、人材不足の中にありながら条件を満たしていた。それで、ギルドマスターに任命される条件ってなんだと思う?」

「そんなの知らねぇよ」

「冒険者の経験があるか現役であり、ランクは『上級』以上であること。私が冒険者だった期間って、一年半なの。この意味分かる?」

 デルハルトは雑な態度を取っていたが、それを聞いてから瞬時に身構えた。


「さっさと道を開けてよ、ゴミ人間。ずっと『中堅』から上がれずに(くすぶ)っていたクセに粋がり方だけは一丁前のこのクズ。あなたごときに私の道を阻む資格があるとでも思ってんの?」


 高速の刺突を寸前で防いだデルハルトは衝撃を受け流し切れずに吹き飛び、その様を嘲笑いながらリスティは包み隠さない己自身の言葉でそう侮蔑した。



 幸か不幸か、アベリアの意識は朦朧としている。あの状態では彼女は半分の力も発揮することはできないはずだ。その半分だけでも十分に脅威なのだが、打つ手がないよりはずっとマシである。

 抜いた短剣は“曰く付き”。まだ掌握した方の短剣は抜けない。まだ、この短剣が本当に自身に力を貸してくれるものかどうかが分からないからだ。

「ヴェインはアベリアを頼めるか?」

「魔法の対処は魔法を使う者が得意だというのは魔法を使えない者の思い込みだよ。アベリアさんレベルの魔法になると誰だって対処するのが難しいって言う」

「なら先に、」

「難しいとは言うけれど、俺は難しいことに挑戦することに怯えはないよ。むしろ君が討ちたい相手が厄介だ。俺にはそっちの手の内は分からないからね。一度だけでも戦った君が見てくれている方がずっといい」

「じゃぁ頼む」

「こっちこそ頼むよ。“盾よ、二方より集まりたまえ”」

 そう言ってヴェインがアベリアの精神操作の解除か解呪を行うため、アレウスと自身に“盾”の魔法を唱えて駆け出す。


「仇敵を討つことに専念するか。唯一の愛情も取り上げられて、怒り心頭といったところか」

「悪いけど、その手の挑発はこれまで何度も受けていて慣れてしまっている」

 だから距離は詰めたが、シェスが望んでいるであろう間合いにまでは入らない。

「“火よ”」

 アレウスの足元から火柱が発せられる。その場からは動かず、燃え上がる炎を自らの体に取り込んで、短剣を振って消し去る。

「僕に魔法の炎は効かない」

「事実かどうか確かめただけだ。決め台詞のように言われても困る」

 そう言ってからシェスは非常に素早い動きでアレウスへと接近する。

「冒険者同士ではロジックに刻まれた能力値が絶対であるが」

 振られる剣筋に幾つかのフェイントが加えられ、しかしながら自身を襲う剣戟のみを見極めて短剣で弾く。

「冒険者としてのロジックを持たない者に対してはその限りではない。そうだな?」

 訊ねながらもシェスは確信を得ている。冒険者同士の争いは能力値の参照が強くなるという弊害がある。だからこそ冒険者間では口論こそするが滅多に刃傷沙汰までは発展しない。敏捷性が高い者の方が速く動け、筋力の高い者の方が鍔迫り合いでは有利であり、忍耐や防御力が高ければ高いほど傷を受けにくい。

 しかし、それらは冒険者じゃなければほとんど無視される。シェスは自らの素早さがアレウスのロジックに記されている敏捷性に打ち勝てるかどうかを試したに違いない。

「僕よりもロジックのことに詳しいはずなのに、そんな基礎みたいなことを聞いてくるんだな」

「『老いたシェス』に任せていたことだ。我はさほどにロジックに詳しいわけではない」

 近付きながらシェスは再び剣戟を繰り出してくる。やはり複数のフェイントが織り交ぜられた剣戟なのだが、短剣で弾くべき軌跡は最終的には読みやすく、弾くことができる。続いてアレウスが間合いを詰めて、短剣でシェスの喉を掻き切りに行くが、二歩ほど下がったシェスは大きく仰け反って剣戟をかわした。そこからバランスを崩さずに上体を前方へと起こしながら、アレウスの間際で剣による刺突を行ってくる。下がりたくはないが下がり、追撃の刺突を数度ほど避け切るとシェスがリスクを冒すことをやめて素直に後退した。

「“樹木よ、踊れ”」

 シェスの足元から木の根が生えて、その先を鋭く尖らせながらも軌道は鞭のようにしなって飛来する。だが、アレウスにとってこんな魔法は怖れることもない。叩き付けを冷静に回避しながら、距離を詰める。更に続く木の根の攻撃を大きく避けると同時に前方へと跳躍しながらシェスへと剣戟を振るう。剣で受け止められるが、力を強く込めて防御を崩す。後方から木の根が迫るが、それよりもアレウスの短剣の方が先にシェスへと到達する自信がある。


 だが、首を掻き切るはずだったシェスは木の根の集合体となって目の前から消える。無理に仕留めにいったアレウスにそのリスクを取った反動とも言うべき木の根が叩き付けられる――直前、右へと跳ねて避ける。それでも地面を抉るほどの威力で打たれた木の根が起こす石のつぶては容赦なくアレウスの体を打つ。

 この程度なら慣れている。これまでも何度もつぶては浴びている。一々、痛みに反応することも億劫だ。


「カプリースと同じか」

 水の分身のように木の集合体をシェスのように見せられていた。或いは直前で木の根と入れ替わった。魔力の流れは掴めても、その行使による入れ替わりまでは見破れない自身の弱点を突かれたような気がしてならない。もしくは、弱点かどうかを改めて確認された。

「怖くて僕の前には出られないか?」

「挑発は無意味だ。我は君のような愚鈍なヒューマンよりもずっとずっと神聖な精神を宿している」

「神聖……神聖か。長寿であることが神聖の証拠とか言うんじゃないだろうな? 長生きできることが神に愛されていることの証明だと言われたら笑ってしまう」

「ヒューマンに比べれば、愛されているだろう?」

「だったらヒューマンはエルフに滅ぼされている。だが実際はエルフが滅びの危機に陥っている。長生きできるクセに大陸を制覇できていない」

 普段は決してエルフたちには向けない差別的な言葉で挑発を試みる。あくまでもアレウスが思っていることではなく、エルフのことを極端に嫌うヒューマン至上主義の者たちの常套句を口にした。普段なら胸が痛んで口にすることすら憚れるが、『異端審問会』に連なる者であるのなら平気で口から零れ出た。

「……黙れ」

 シェスは魔法による認識阻害を行っているため、アレウスの感知の技能に極めて反応し辛い。だからこその挑発だったのだが、どうにかシェスの怒りに触れることができた。彼はアレウスの正面に姿を現す。その前に木の根が集合していたため、これもまた分身なのかもしれないが、隠れ潜まれると対処が面倒なので、ともかくも攻撃するべき対象を捉えられるのは重要である。

「数を増やすことしかできない無能どもめ」

「その無能に世界を牛耳られているのはどういう気分だ?」

 さすがにこの挑発には乗ってこない。アレウスの動きを探っている。シェスから飛びかかってくる気は今のところは感じられない。その代わりに木の根が激しく周囲一帯の地面を叩き、縦横無尽に迫ってくる。本人は動かずとも木の根だけで攻撃する気――ではない。これは誘導だ。回避を繰り返すことで特定の地点にアレウスを誘い込む気なのだ。だが、その特定の地点がどこなのかはアレウスには分からない。しかし、怯えて足を竦めていては木の根に叩かれるだけだ。分かっていても避けなければならない。

「“満開(マジック)()砕撃(アロー)”」

 木の根の先端が花開き、蓄えられた種子が一斉にアレウスへと放たれる。さすがに避け方は大きくしなければならない上に、降ってくる種子を弾くために短剣も振らなければならない。避け先にまで気は使えない。


「“赤星”」

 左斜め後方よりアベリアの声がして振り向く。その間にも種子を見ずに短剣で叩き落とすものの、自身を標的にして展開する大火球に息を飲む。

「“種子の球形”」

 木の根が複雑に絡まり合って、大火球を前方に据えたアレウスの後方で見上げる位置に球形を成し、その表面に多数の大きな種子が射出の準備に移る。


 『赤星』は砕いても意味がない。砕けた破片が火球そのものとなって降りかかる魔法だ。そして後方の種子は先ほどの魔法よりも大きく、掠めるだけで肉が抉り取られるのは受けずとも分かる。

「焦るな」

 自分に言い聞かせる。『赤星』はアレウスにとってアベリアからの魔法で、それも耐性のある火属性だ。最も危険なのは木属性の魔法である種子だ。そしてこの二つは属性相性としては木属性は火属性の威力を高める関係にある。それでも広義には木属性は火属性には敵わないとされている。

 つまり、放たれる順番は『種子の球形』が先であり、あとに『赤星』が続く。これならば先んじて放たれた種子を燃料としてアベリアの『赤星』の威力も高まる。

「逆にするには……」

「広範囲の魔法でついでに俺も攻撃するつもりだったんだろうけど、見通しが甘いよ。この指示はアベリアさんじゃなくてそっちのアレウスの仇敵の方かい?」

 ヴェインの鉄棍が地面を打つ音がして、アレウスは待機を決める。

「だったら俺を侮るのも分かるよ。俺のことをあなたは知らないんだから。“加速せよ(アドバンス)”」

 停滞していた『赤星』が急加速し、自壊して降り注ぐ。ヴェインは自身を中心に魔力の障壁を張り、アレウスは火球を受け止め、その魔力を吸収していく。放出タイミングを失った『種子の球形』をシェスが舌打ちと共に射出し、大量の種子もまた降り注ぐ。ヴェインは障壁を維持し、アレウスは未だ消えないアベリアの炎に守られて一切を受けない。

「『加速』の魔法は上位の魔法だぞ。エルフの中でも唱えられる者はそうはいない」

「早めることと速さは似て非なるものさ。魔法で時の流れを変えるのは複雑だろうけど、魔法の風で後押しすることは単純だ」

「我に教えるとはな」

「俺の知るエルフたちは素直だから助言になるだろうけど、傲慢なあなたにとってヒューマンの語る魔法論なんて耳障りにしか聞こえないし、試そうともしないだろ」

 忌々しげにシェスがヴェインを睨む。ヒューマンが魔法を語る。これが最も彼にとっての挑発へと変わっている。なにより、自身の魔法を彼が魔力の障壁だけで受け切ったことにも腹立たしさを抱いている。

「アベリアは?」

「解除も解呪も避けられるよ。やっぱり一人で動きを止められそうにないよ」

「そうか……」

 ここでアレウスとヴェインは視線だけでのやり取りを行い、互いにフッと小さく笑みを零してから各々が持つ武器を握る手に力がこもる。


 シェスはなにかを読み取ったかのようにアレウスへと肉薄し、猛烈な勢いで剣を振るう。一瞬の隙すら与えない。そんな意思が受け取れる。だからこそアレウスがするべきことは、その意思を上回ることだ。剣戟を避け、受け止め、流し、そしてシェスの裏を取ろうと試みる。

 裏の裏を、そしてさらに裏に回ろうとする。しかしシェスはしっかりとアレウスを正面に捉えてくる。反射神経や気配感知、そして反応速度は剣を振るう者に相応しいほどに高い。軽い気持ちで凌駕しようとしたが、思った以上に困難だ。

「“軽やかなる力を”」

 アレウスの一歩が、そして体が身軽になる。ヴェインの唱えた『重量軽減』の魔法によってシェスの剣戟を避けるのは容易になり、自身が求める跳躍や回避のために足に込める力は普段の半分以下となる。調節は難しいかもしれないが、アベリアからいつもこの魔法を受けていた頃の経験によって無意識に絶妙な足運びを成立させ、アレウスの回避はシェスの剣戟を上回る。


「“魔炎の弓箭”」

「そうさせると思った」

 この状況において、アレウスの勢いを削ぐ方法はアベリアによる魔法しかない。たとえ火属性に耐性はあろうとも受ける衝撃そのものを完全に消し去れるわけではない。先ほどの『赤星』が起こした火球の雨も短剣で受け止めることで勢いを殺した。だからこそ、『魔炎の弓箭』は吸収されること前提で、アレウスをその到達による衝撃で打ち飛ばすことを狙った魔法となる。


 読んでいるからこそ、先は見える。未来視でも予見でもない。これは培った知識や経験が織り成す帰結。アレウスはアベリアの癖を知っている。この『魔炎の弓箭』を詠唱後、アベリアは宙に浮いているなら前を向いたまま後方に、接地しているなら右側やや斜め後方へと必ず下がる。その位置の調節は敵や魔物との距離や間合いによって変わるが、避ける方向までは変わらない。今のアベリアは宙に浮いていないため、動く先は最も分かりやすい。

 『重量軽減』の魔法を受けていることもあって、シェスの剣戟を凌駕したアレウスは位置の調節を行う彼女へと駆け寄り、放たれる炎を物ともせずに後方へと回って羽交い絞めにする。

「“解呪せよ(ディスペル)”」

 鉄棍が地面を打つ。求められるのは二秒。正確には数えられなかったが、二秒以上のちアレウスはアベリアが自身を中心にして起こした爆発によって吹き飛ばされる。

「“解除せよ《リシジョン》”」

 ほぼ爆発を障壁で受けるのと同時にヴェインはもう一方の魔法も続けざまに唱える。爆発を起こしている間、アベリアが二秒はその場から動かないだろうという彼のアドリブが、この土壇場で成功する。

「吹き飛ばされたけど」

 アレウスは地面を転がって、起き上がってからヴェインに文句を言う。彼自身は爆発を事前に張った障壁で凌いでいる。そしてアベリアを見る。天を仰ぐように呆けて、やがて意識が戻ったのかスッと顔をアレウスへと向ける。

「……アレウス!!」

 ふと、全てを思い出したかのように彼女が名を呼ぶ。そのことに安堵したのも束の間、障壁を突き破ったシェスの剣戟がヴェインを襲う。

「そんな怒らないでほしいな。俺は俺がやるべきことをやっただけなんだから」

 鉄棍で剣戟を防ぎ、ヴェインは不敵な笑みでシェスを見る。

「お前が……貴様が貴様が貴様が!! お前がいるせいで我の野望が!!」

「野望だなんて御大層なことを言うんなら、人の女を操っているんだから滑稽だよ」

「黙れ黙れ黙れ黙れ!! 我のものだ! 我の女になるべき女だ!! ヒューマンごときに与えていい女じゃない!!」


「“魔炎の弓箭”」

 アベリアの炎の矢が今度はシェスへと降り注ぐ。その全てを受け流し切れずにシェスはヴェインの傍から退散する。残りの炎の矢はアレウスが代わりに受けて吸収する。

「勝手に私をあなたみたいな人のものにしないで」

 ハッキリと、しっかりと彼女は言う。

「私はアレウスのもの。あなたのものなんかじゃない」


「どこまでも……どこまでも我の気に障る連中だ」

 生えてきた樹木がシェスを覆う。

「多大なる生命の力で、貴様たちに歯向かったことを後悔させてやる」

 樹の鎧と樹より生み出されし剣、そしてシェスの体中の種子が発芽し、両肩から伸びる木の枝は第三、第四の腕を成す。


「男の格付けが終わったのはいいけど、俺はもう結構ヘロヘロだ」

 全てはシェスから冷静な判断力を奪うための強がりだった。障壁を強く保つにはそれ相応の魔力を要する。その中でアレウスの補助をし、アベリアの精神操作を解いた。

「ありがとう」

 その活躍をアベリアが(ねぎら)い、感謝する。

「自分の身を守るだけでいいから、休んでて。私たちが危なくなったら、お願い」

「ははっ、だったらずっと休めていられそうだ」

 ヴェインは安心してアレウスたちのいる位置より一気に後退する。

「操られたこと、謝るべき?」

「そんなことで謝られても困るよ。逆らえない力はいくらでもあるんだから」

「……シェスを倒して。私、すっごくムカついているから」

「言われなくても……殺すよ」

 倒すことと殺すことは似て非なるものだ。アベリアが表現を柔和なものにして安直な言葉を選ばなかったのは、アレウスの行う殺人を容認したくはないから。心のどこかで殺す寸前で止まるだろうと思っており、願ってくれているから。


 しかし、その願いよりもアレウスの殺意は、覚悟は勝る。『悪魔憑き』の少年と戦い、ラブラ・ド・ライトの頃より悩み続けてきた人を殺さなければならない状況での、仕方なしの殺人ではない。確かにシェスを殺すことはイプロシアの勢いを削ぐためには必要なことだが、そのこととは関係なしにアレウスの私情は、私怨は、もはや殺すことにしか向けられていない。

 だから止まらない。誰にも止められない。この黒い衝動を抑えられる人物はどこにもいない。

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