β-3 犠牲を伴わない勝利などあるのか
作戦を詰めている間に布陣の時間が迫り、戻ってきたクルスの最終的な号令によって各々が部隊を率いる準備に入る。しかし、リスティやエルヴァ、ジョージは部隊を持つことをリッチモンドから禁じられている。なのでエルヴァとジョージはリッチモンドの指揮下に入りつつも前線の部隊に。リスティはアレウスたちをエルフと衝突するであろう地点までの誘導役となる。いわゆる別動隊だが、そこには騎士も兵士も付くことはない。マーガレットはエルヴァよりやや控えたところへと付くこととなった。アンジェラはクルスの傍を離れないといった具合だったが、エレオンが現れることはなかった。
「戦いが始まる前なのに、あの人たちの言葉は熱を帯びていないし、落ち着いていた」
まずは盆地の外側へと向かう。そのために洞穴を通っている最中、ヴェインが呟いた。
「戦争の中心というか、采配や指揮を握る人たちはもっとこういった窮地には暑苦しいというか、無茶苦茶なことをやろうとするイメージがあったんだ」
「一種の諦観にも似たものですよ。立派だとか、騎士道精神だとかそんなものじゃありません。窮地で、追い詰められているからこそより冷静でいられるだけです」
リスティはリッチモンドやマーガレットがいないからか、なじるように言う。
「戦場を多く体験していて、生と死を沢山見てきたから今更、自分自身が醜く足掻いたところで迫る死を跳ね除けることはできないのだと決め込んでいるんです。自己犠牲の果てに、クルスさえ逃がすことができればそれでいいと。クルスさえ死なず、王位継承など諦めて隠遁してくれればそれで、という考えが根底にあります。私も……その内の一人ですが」
「そもそもなんで王女様は王国に牙を剥いたんですか?」
「私もそこのところは深く知りません。王国の体制に不満があったのか、マルハウルド家で王位継承者であることを前提とした教えを学んできたからなのか……どちらにせよ、彼女には確固たる意志があるのは間違いありません。昔、大きな歪みがどうとか、言っていたこともあったような」
「歪み……歪み、ねぇ」
クラリエは含みを持たせるように呟く。
「王国は帝国よりも人体実験が盛んだって叔父さんから聞いたことがあるんだよねぇ」
「人体実験……確かにクローンはそういった実験や研究の成果と言うべきものです。そのせいでテッド・ミラーが産まれてしまった。そして、エルヴァのクローンも」
「エルヴァのクローン?」
アレウスは驚きながらリスティの言ったことをそのまま返す。エルヴァのような人間は何人もいて欲しくない。そんな思いがそのまま口から出てしまった。
「エルヴァは本名じゃないんですよ。と言うより、自分の生まれを知らないんです。なので、エルヴァージュ・セルスローと呼ばれているクローンから名前を貰っているんです。セルストーと名乗っているのは、セルスローを読み間違えたから。当時のエルヴァは文字の読み書きすら危うかったらしいですから」
「セルスローをセルストーと読み間違え、か」
「けれど、そのおかげで私たちは奇跡的に『禁忌戦役』における混乱を生き永らえることができたとも言えます。セルスロー型のクローンはそこに蓄積された魔力と生命力を糧にして大爆発を起こすという特性を持っていたんです。エルヴァを『禁忌戦役』に登用した際、リッチモンドさんの友人が総指揮を執ることになったんですが、そこで彼はエルヴァがクローンだと思い込み、失敗しました。クルスはそこに付け入ることで、ゼルペスをスチュワード・ワナギルカンから奪い取りました。まぁ、そのあとで本物のクローンを持ってきて爆破させたのはクルスですけど」
セルスロー型だのなんだのと言われてもアレウスにはいまいちピンとは来ない。分かることはクローンはそれそのもののためだけに備え付けられた特性があるということだろうか。テッド・ミラーも彼に引っ付いていたヘイロンも恐らくは与えるはずだった特性が実験によって暴走した結果なのだ。と、推察してみるもそれを語れるほどの自信はない。
「歪みがクローン研究や人体実験を指すのなら、もうちょっと効率的に動かないかな? わざわざ新王国を宣言して王国に喧嘩を売らなくても、それらを明るみにするための資料なり情報なりを収集して、国民に見せつけるだけで良かったんじゃ」
クラリエの言うことも一理ある。むしろアレウスはそれに全面的に賛同する。王家の血筋を引いているからと、自らを危険に晒す必要はないのだ。むしろ出自を交渉材料に取り入れることができれば、叩き付けた資料や情報を見れば王家も動かざる得なくなる。ただ、暗殺される可能性は高まるので決して安全な道ではないが、今ほどには危険ではないはずだ。
「なにかもっと許せないことがあったのかも。それがなにかは分からないけど」
アベリアがそう結論付ける。どんな意見であっても、最終的には行き着くのはアベリアの言葉であるため王女様の思惑に対する詮索は中断、もしくは終了となった。
「エルヴァさんの出自は、王女様であっても突き止めることができなかったんですか?」
話の筋を変えて、ヴェインは問い直す。
「もしかしたらクルスはなにかに気付いているのかもしれません。そもそもエルヴァに教育を施したのはマルハウルド家なんです。それもクローンの名を持った少年だから、どこかで使える情報錯綜の秘密兵器として育て上げた。それが『禁忌戦役』での成果。でも、それ以外にもなにか調べようと思えばいくらでもできるかと。私には、教えてはくれませんでしたが」
最後の一言に寂しさが伝わってきた。
「たった一度しか使えない情報錯綜の秘密兵器として育てたのに、情が移ってしまった……物語ではよくあることですけど、現実であるかと言われると、首を傾げてしまいます」
「でも、起こってしまっています。エルヴァは事前に話してくれればクルスの戦略に乗っかるつもりだったんだと思うんです。でも、クルスは決してエルヴァに話はしなかった。だから彼は彼女に裏切られたと感じ、根に持ち、殺すという強い言葉を用いる。彼女も申し訳なさがあるから、彼に殺せるものなら殺してみろと強い言葉を使う。どっちも素直じゃないから本音で話し合えない。正直、エルヴァの殺したいほど憎んでいるという言葉も本気なのかどうか怪しいんです。そう言っておけば、いずれまたクルスに会えるという感情から帝国では常々にそう言っていた。自身が危機に陥るときに、そのように言うことで自らを奮い立たせていた……とも考えられるわけで。でも、今更あとには引けないから本当に殺し合いの場が用意されたら二人とも、どちらかが倒れるまで戦うんじゃないかと……私はそれが一番怖い」
素直じゃないのはリスティも同じだとアレウスは心の中で呟く。言えばいいのに言わない。言ったら巻き込むから言わない。黙ったまま、急にいなくなる。でも本音は探してもらいたいし協力してもらいたい。それを隠したまま行動されては、探す側であり協力する側であるアレウスたちはたまったものではない。特に彼女はエルヴァや新王国関連となるとその傾向が強い。騎士道精神には黙して語らずという項目でもあるのだろうか。王国出身者は誰も彼もが面倒臭い。
「この洞穴はあとどれくらい?」
「一時間くらいでしょうか」
「え~」
クラリエがげんなりとする。別にこの洞穴は彼女が嫌そうにするほどに窮屈には出来ていない。城からほぼ直接続くのだから、相応の人数が一気に進撃できる程度には広さが確保されている。補強はしっかりとされており、所々に崩れている様子も見られない。あと一時間かけても落盤でどうこうなる心配はない。ただし、鉄格子で閉じられていた洞穴があったように、やはり使えないものもあるのだろう。ならば補強が成されていても落盤や崩落を思考の外に置くのは楽観的過ぎる。
「アレウス君ってこういう洞窟みたいなところに入るとなんか楽しそうにするよねぇ」
「楽しそうにはしていない。むしろ昔を思い出して嫌になる」
「そうかな。ちょっと気分が良さそうにいつも見えるけど」
「そりゃ、最悪な毎日ではあったけれど過ごしてきた日数を考えると洞窟や洞穴の方が情報量が少なくて気が楽なんだ。ここで接敵しても、背後から奇襲を受けることは絶対にないし、正面だけに意識を向けられる」
何度も指摘されているが何度でも言う。異界での洞窟暮らしにはちっとも良い記憶はないが、そこが生活の拠点であった以上は広いよりも狭い方が安心感がある。苦しい中、少しでも安らぎを得られた場所はやはり窮屈なところだったのだから。
「ここで戦うわけではありませんから、アレウスさんの慣れた立ち回りを頼ることはできないでしょう。私も、皆さんを特定の地点まで連れたら、戻るように言われていますし」
戻らないでほしい。自身と一緒に、『賢者』と戦ってほしい。戦場には出ないでもらいたい。そんな願望とワガママをアレウスは抱きながらも言葉にできない。
掛け替えのない親友。王女やエルヴァをそのように表現されては、無理やりには止められなくなる。
『聞こえますか?』
気まずい雰囲気が流れつつも足を進めていたアレウスの耳にレジーナの声が響く。
「聞こえます」
アレウスは全員に足を止めるように手で合図を出し、声にしながら返事とする。
『書庫の奪還ですが、成功しました』
『アレウスさん! イェネオスですが、少し時間を頂いてもよろしいですか?』
『森の声』がレジーナとイェネオスで混線する。アレウスはあくまでエルフ側から『森の声』を経由してもらわないと言葉を返すことができない。なのでレジーナへの返事はそのままレジーナにしか届かず、イェネオスには届かない。そのせいで二重報告になってしまっている。
「今、レジーナから報告を受けるところだから」
『そうでしたか、すみません』
『……いえ、私はこのままイェネオスの話を聞こうと思います。書庫に赴いたのは彼女たちですから』
ここで二人の『森の声』経由のやり取りがようやく成され、レジーナがイェネオスに報告を譲る。
「どうだった?」
『書庫には私たちエルフも知り得ない地下があり、そこにはイプロシア・ナーツェの秘密がありました。そして、彼女を育て上げた不老不死のハイエルフがいました。秘密を守っているというよりは、イプロシアにその場所に魔法で縛られている状態でした』
「その秘密は?」
『イプロシア・ナーツェは『ナーツェの血統』に非ず。それらは全てロジックの手によるもの。あなたやエレスィたちに『神樹』より目覚めたイプロシアが語ったことは紛れもない事実でした。これで、ほぼ全てのエルフが四大血統を穢した彼女のことを改めて最大の敵と認識することができました。心のどこかでまだイプロシアを敵ではないと思っていた同胞も、ようやく覚悟を決めることができたはずです。そして、ロジックは神より与えられたものではなく、不老不死のハイエルフの研究によって生まれ落ちたもの。『神官の祝福』も『教会の祝福』も、そのどちらも神の祝福ではない』
「……だから異界に効果がないのか」
異界に神の祝福が届かないのではなく、異界の道理にロジックが付いて来ていないだけだった。
『その異界についても、不老不死のハイエルフは異界を狭間と言い、狭間は全ての命の停留所だと。そこに異界獣が巣喰っていることになります』
「他には?」
『クラリエ様は、何者でもありません。ナーツェの血統でも、私たちエルフでもない。だからこそ私は、その血に罪はないと……思うのですが』
クラリェット・ナーツェではなく、ただのクラリェット。ナーツェの血統を騙りたくて騙ったわけではなく、イプロシアがそうしたからそうなった。クラリエは彼女の被害者。イェネオスはそう言いたいのだろう。
『ハイエルフは、イプロシアは異世界に渡ることを悲願と言っていました。つまり、遥か昔よりハイエルフたちは異世界に渡ることを考えて生きてきたんです。突然、それを目指したわけではなく、魔王が十二に分かたれたあの瞬間は契機でしかなかった。彼女はいつかは異世界に渡るために私たちエルフを利用する気ではいたのではないかと』
アレウスはイェネオスから伝えられたことをそのままその場にいる仲間たちに伝える。クラリエは耳を塞ぐことなく、そして大声を上げて現実から逃げることもせずにアレウスの言葉が終わるまでただジッと聞き続けていた。
『あと、もう一つだけ。これはカプリースさんの見解です。イプロシアは新王国を滅ぼしたいのではなく、新王国の『産まれ直し』に接触したいのではないか、と。異世界に渡るために、『産まれ直し』のなにかを利用する気なのだと思います』
「『産まれ直し』……『産まれ直し』だと?」
どうしてかアレウスはエルヴァだけでなく王女が脳裏をよぎった。彼が『産まれ直し』であることは知っている。だが、なぜか王女までも『産まれ直し』だと直感的に思ってしまった。
いや、間違いなく『産まれ直し』だろう。アンジェラが『超越者』として彼女を選んでいる。『超越者』のほとんどは『産まれ直し』なのだ。ならばイプロシアはエルヴァではなく王女に用がある。だが、新王国軍を抜けて王女に接触することなど不可能だ。不可能だと、アレウスは思いたい。
『レジーナですが、よろしいですか? 書庫の奪還は成りました。よって、イプロシアの野望を阻止するために全てのエルフに彼女を討つように命じました。捕縛の道も考えましたが、恐らく彼女を縛れる者はこの世にはいません。なので、少し時間は掛かってしまいますがイプロシアと、種子を植え付けられたエルフを背後から叩くように私たちエルフが向かいます。時間稼ぎをしてくだされば、絶望的状況を覆すことができるかもしれません』
「時間稼ぎって、どれくらいですか?」
『半日』
「半日……」
リスティに伝わるように同じ言葉を返事とする。
『夜――いいえ、夕方には第一陣が到着できるはずです。同胞同士の争いとなれば、新王国軍が手を出す必要は全くありません。エルフの問題はエルフでどうにかします。これは種族として突っぱねているわけではなく、そうした方がきっと新王国にとって都合が良いはずです』
新王国にとってエルフは軍隊ではないため手出しできない存在。防衛戦を余儀なくされるしかないが、今日の夕方にはエルフたちがイプロシアに操られたエルフを鎮圧しに来る。
「なんとか持ちこたえてくれることを僕たちは祈ることしかできませんが、その事実を伝えれば少しは士気も上がるかもしれません」
リスティはアレウスが洞穴の地面に指で書いた簡潔な文章を読んで、僅かな希望の表情を見せる。
『あとは、これは私たちが二十年以上に渡って交渉を行っていたことなのですが、ようやく動いてくださる方がいらっしゃいます。その方について多くを語ることはできませんし、名を伏せることにはなってしまうのですがイプロシアの嘘が暴かれたことにより、必ずやエルフたちを率いてあなた方に協力してくださるはずです』
「協力者は多ければありがたいことです。エルフが行ってきた交渉の苦労を考えれば、こんな戦いに関わらせてはならないとは思いますけど」
『いいえ、関わることこそがその方にとっては大切なことなのです。また伝えたいことがあり次第、私かイェネオスからお伝えします』
「分かりました」
『森の声』経由の伝達が切れる。
「半日ですか。エルフの魔法に耐えられれば、いいのですが」
「でも王国軍との戦いが終わるまで防衛戦を続けなきゃならないわけじゃなくなった」
アベリアが簡潔に状況が良くなったことを説明する。
「私たちも無理にエルフの横を抜けて、イプロシアに向かうんじゃなくて応援を待ってからでも十分に、」
「駄目だよ」
クラリエがアベリアの展望を否定する。
「状況が悪くなったらお母さんは姿を消す。多分だけど後方からエルフが迫ることもお母さんは分かってやっている。その上で自分のやりたいことをやれるだけの勝算がある。耐えていたら、お母さんの思う壺なんだ。私は新王国軍が防衛戦を行っていても、気配を消してお母さんを探す」
「それは、」
「あたしが殺さなきゃならない。あたしが、終わらせなきゃならないの」
なにも言えない。親を殺すと覚悟を決めているクラリエに、そんな凄まじく怖ろしいことを考えたこともないアレウスが言えることなどありはしない。
「なにはともあれ、この洞穴を抜けてしまいましょう。抜けるまでの間になにか思い付くこともあるかもしれません。それも、なにもかもを覆すような飛びっきりの方法を」
リスティがアベリアとアレウスの言うことを聞きそうにないクラリエを宥めるために希望的観測を口にする。彼女自身、そんな方法が思い付くことなどないと思っているに違いないのに。
「こうだと決めたことは、覚悟を持った決意は誰の声であっても変えることはできないものだ。俺がなにを言っても、クラリエさんは揺るぎない決意を持っているだろう」
でも、とヴェインは続ける。
「その声は、言葉は、覚悟は、感情は、態度は……全て真逆に見えてしまう。俺には心の、魂の悲鳴にも聞こえる。クラリエさん? 魂に嘘をつけば、みんなが悲しむ結末しか、ないよ?」
「ありがとう、ヴェイン君。でも、みんなもなんとなく分かっていたことでしょ? この戦い、なにも喪わない結末なんてあるわけないって。書庫組の方が上手く行っても、こっちも万事上手く行くわけなんて、ないんだって」
誰かが犠牲になる。そんなことは考えなかったわけではない。だが、誰も犠牲にならないで済むことだってあるはずだとも考えている。
しかし、書庫での戦闘で誰一人として欠けることなく奪還に成功したとなると、その分だけこちらに命の重圧が掛かっているような気はしている。異界獣のリブラの秤が生と死に分けられていたが、まさにその命の天秤を想起してしまった。生と死は平等であり、同等なのだ。どちらかが傾けば、もう片方に傾いて釣り合いが取れるようにできている。
「だからあたしが犠牲になる。あたしが、犠牲になればみんなは助かるかもしれないから」
悲痛に満ち溢れた言葉に、アレウスは掛ける言葉が見つからない。
見つからないが、行動しないわけにはいかなかった。彼女の言っていることは間違いなのだと。たとえ自身の行動が暴力という名の更に間違っていることだとしても、彼女の頬を叩かずにはいられなかった。
「犠牲になるなんて言わないでくれ。僕は以前に、みんなの前で言ったはずだ。生きていて欲しいって……僕が死んでも、生きていて欲しいんだって。でも、それはワガママだった。ワガママだったからこそ、この世界で死ににくくなるために『教会の祝福』を受けてみんなを少しでも安心させたいと思った。当たり前だけど、僕が死ななくてもみんなには生きていて欲しいんだ」
「クラリエ、私たちにはアレウスが言ったように『教会の祝福』がある。私たちは死んでも甦ることができる。なのに犠牲になるって言うくらいだから、『賢者』が『教会の祝福』を打ち破るようなことをするかもしれないって不安があるんだって、分かる」
アベリアがクラリエを抱き締める。
「私たちはアレウスに要求した。甦るからって死にに行くような戦いはしないでほしいって。それは、あなたにも言える。みんなにも言える。あたしたちは、迷っても苦しんでも悲しんでも、冒険者。そこだけは、忘れちゃ駄目」
「むしろ危険なのは新王国の人たちだろう。甦れない彼らはそれでも戦場に立つ。俺たちは奪う命からも奪われる命からも目を背けて、冒険者としての使命を全うしなきゃならない。なのにクラリエさんまで犠牲になるなんて言い出したら、俺たちはもう全てから目を背けることはできなくなってしまうよ」
「……でも、あたしは……なんでもない、何者でもない……ただの、クラリェットで」
「ただのクラリェット……良いじゃないですか」
リスティは今にも泣き出しそうなクラリエの顔に手を当てる。
「私もただのリスティーナであれたら、どれほどに幸せか。あなたは何者でもないからこそ何者にも成れますし、何者でもないからこそ自由で在れる。あなたを縛る物は、なにもない。しがらみも種族も肩書きも、なにもかも。それも、大切な物を捨てることなくです。大丈夫、私たちは最後まであなたの味方です。あなたの生い立ちを否定なんてしません」
「……御免、クラリエ。思わず、叩いてしまった」
アレウスはバツが悪そうに謝罪する。
「痛かった……痛かったよ。でも、痛みの分だけ気持ちが伝わってきた。でも、顔を叩くのを許すのは今回だけだから」
謝罪を受け入れ、クラリエはリスティの手を放し、クラリエから離れる。
「頑張ってみる。頑張って頑張って頑張って……お母さんとあたしの、因縁に終止符を打ってみせる。自分が死なない限界ギリギリまで」
思い直してはくれたが、これは一時のものだ。状況が悪くなれば彼女はきっとイプロシアとの決戦で相討ちを考える。それを止める。止められないのではなく、止めてみせる。
そうでないとクラリエの生き様はあまりにも辛すぎるから。
彼女が落ち着きを取り戻し、リスティを先導して洞穴を進む。陽気に、気楽に、楽しくではなかった。少なくとも洞穴を出る一時間、全員は一言も会話を交わすことはなかった。洞穴を出たあと、周囲を警戒しつつ森を抜けて平野部へ。まだエルフたちの姿は見えないが、いずれこの辺りも戦火に包まれる。それを表すかのように新王国軍の部隊は防衛線を張っているのが近場に見えた。
「私はこのまま防衛部隊のところに行って、皆さんのことを伝えてから城内へと戻ります」
「リスティさん」
「なんでしょう?」
「死なないでくださいね」
「……はい、とは言っておきます」
そう言って彼女は防衛部隊へと向かって行った。




