β-2 戦略
観光気分でゼルペスを訪れたわけではなく、明確な理由を持ってこの街に来た。それはボルガネムのときと変わらない。しかしながら帝国における自分たちとは異なる生活様式にエルフの森でもそうであったが興味が湧いてしまう。そういった好奇心を抱くべきときではないことは百も承知だが、心の中のこういった正直な感情は置き去りにはしたくない。なので我慢という形で抑え込む。抑え込むが、珍しい物を見つけたときは少しだけの観察は行う。
「エルヴァはやっぱり新王国に来ていたんですね」
「クルスとの殺し合いの約束をしているあの男が来ないわけないでしょ。今の状況を打開しなきゃ、クルスは王国の手によって処刑されるもの。あのときもそうだったけど、今回は国の命運も掛かってる」
「国の御旗である王女が処刑されれば、この国も終わると思いますけど」
アンジェラのどことなく暢気な点をアレウスは即座に指摘する。
「国って部分を強調すればあなたが協力的になってくれるかもと、ね」
「僕は戦場になんて立ちませんよ。アベリアもヴェインも、クラリエもです。まずそこを第一として僕たちは来ています」
あらゆる懐柔する手段を使われても、そこだけは絶対に曲げない。人殺しのためには来ていない。ただ、守りたい者を守るためだけに来ている。
「でもエルフには立ち向かうんでしょ?」
「それは……そうするしか手立てがないからです」
軍とは戦わない。軍としても戦わない。その点で踏まえるなら、イプロシアに種子を植え付けられたエルフたちは国を持たない勢力と捉えられる。軍として存在しているわけでもない。ただのイプロシアの傀儡である。だからこそ、アレウスたちが付け入る余地がある。冒険者として戦争に参加せずに済む余地が。
「あなたたちだけでエルフを止めることは絶対にできないだろうから、クニアは絶対に兵士をあなたたちに寄越すよ。指揮させるわけじゃなくって、エルフへの対抗手段として兵力を投入するってこと。それってもう、戦争と変わらないじゃない?」
なにも言い返せない。エレオンは恐らく王国軍の戦いに身を投じるからアテにできない。そして、付け入る余地はあっても四人で大量のエルフたちを抑えることは不可能だ。そうなると新王国は自国を守るために兵士を投入する。エルフと兵士の激突は、もはや戦争に等しい。そこに冒険者であるアレウスたちが介入することは、果たして本当に付け入る余地があると言えるのかどうか。
「意地悪なことを言っちゃった。別にね、困らせたくて言ったわけじゃないの。エルフだけへの対処でもありがたいんだから、こんなことは言うべきじゃなかったのに。使えるならなんでも使う。たとえ、いけ好かない堕天使とエルヴァージュ・セルストーだって、使えるんだから使う。私はそう決めたのに」
「和解したんじゃないんですか?」
「誰が! 堕天使と話をするなんて鳥肌が立つ! エルヴァージュ・セルストーとだって話している内に胸が張り裂けそうになるし、苛立って殺してしまいたくなる! でも、力を借りないとクルスが、死んじゃうから。クルスが死なない可能性があるのなら、感情を抑えて、どうにかこうにか……手を借りなきゃならない。本当は、私だけでクルスを守れるのが一番なんだけど……私は、弱いから。心が弱いから感情に支配される。支配されると、以前のように暴れちゃう。ああなっちゃうと、敵も味方も関係なく…………私は、神様から与えられたアーティファクトを、制御できていないの」
アンジェラは一言で言ってしまえば、『自信のない天使』。神の御使いという最上の肩書きを持っているのに、自分自身の実力と精神力がそれに伴っていないと思い込んでいる。その思い込みは、彼女が特別な存在であるせいで誰にも解消させることはできない。もしかしたら同じ立場の――同じ立場だったのであろうジョージであればとも思うが、あの『逃がし屋』の物言いではきっと彼女が解放されることはない。
しかし、肩書きに自信を持っていないからこそエルヴァとジョージとの共闘を受け入れたとも言える。絶対の自信があったなら、彼らは新王国に入ることさえできていなかっただろう。
「今、エルヴァージュ君たちはどこに?」
クラリエがヴェインと喋っていたときとは思えないほどに元気のないアンジェラに訊ねる。
「クルスたちと作戦を立てている最中。明日の朝には、もう王国軍が陣を構えて昼頃には動くんじゃないかって話になっているから」
「なんでそんな大変なときにあなたは外にいたの?」
「……私、頭を使うことが苦手だから。いるだけで邪魔って言われたから」
そんな返答をされるとは思わず、クラリエは気が抜けて転びかけた。
「新王国の王女には『天使』が憑いているなんて言われているのに、思っていたのと雰囲気が全然違うなぁ」
さすがに予想外だったらしく、彼女は苦笑いを浮かべていた。理想と現実の乖離はよくあることだが、それでもすぐに受け入れられたのはクラリエの信仰の心根は『神樹信仰』であるからだろう。
なので、彼女に関しては特に気にすることもない。真に気にすべきはヴェインだ。
「天使に認められるなんて相当なことだろ」
「まぁ、うん、それはそうだけど」
やはり理想との乖離が強すぎてヴェインの思考が乱れている。
「……天使もまた神の創造物であるのなら、人間らしい方がより天使らしいとも言える、か。神が自由であるように天使の生き方もまた自由であってもおかしくない」
そしてなにやら納得して、曇っていた表情がすぐに明るくなる。
「それにしたって初めて見る天使がああだと強烈ではあったな」
解釈し、理論を立て、それを信じることで元通りになる。信仰していた物を理想で捻じ曲げるのではなく現実で見たことを受け入れる。こんなことができるのは偶像崇拝の極みに達しているからではなく、人間性が完成しているからに他ならない。
「いつも思うんだけど、ヴェインは一体どうやってその精神力を得ているんだ?」
「それはもうこの世界を愛する心だよ」
概念みたいなことを言い出したので真似はできないとアレウスはすぐに諦めた。
と、傍にアンジェラがいるにも関わらずアレウスたちは鬼気迫る形相をした兵士たちに囲まれ、鎗によって身動きを取れなくさせられた上に体を地面へと押し付けられる。
「ちょっと、なにしてるのよ!」
「天使様のお連れとはいえ、どこの誰とも分からぬ者を王女の前へとお通しすることはできません!」
アンジェラが激しく抗議するも、兵士の言い分に彼女はやや下がる。
「この子たちがなにかしでかしたら私が責任を持つと言っても?」
「しでかしてから責任を取られては遅いのです! しでかす前に、摘み取らなければなりません!」
やはりアンジェラはこういった不測の事態における対話能力を有していない。兵士の言葉の覇気にやられて、次に発するべき言葉を見失っている。
「退け」
「いいえ、誰であろうと退きませっ?!」
片腕で兵士の体を横へと押し飛ばし、アレウスたちを拘束しつつある兵士すらも次から次へと押して、蹴飛ばし、その身だけで自身の道を開く。
「来るだろうとは思っていたが、こんなギリギリになるとはな」
「エルヴァ……」
「王国軍との決戦が近付いていて、どいつもこいつも余裕がない。知らない顔を見れば王国が寄越した密偵や暗殺者だと思ってんだよ」
髪をエルヴァは掻く。
「まぁ、そう教えたのは俺だが」
「あなたのせいで! やっぱりクルスにとって良くないことを運んでくる!」
「うるせー、こっちはクルスのために兵士にそう対処するように教えてんだよ。そもそもなんで俺が教えなきゃならねぇんだ。当たり前のように最初に叩き込むもんだろ」
心底、面倒臭そうに言うエルヴァにアンジェラが引き下がりかける。天使に物怖じしないところもそうだが、やはり人間との会話にアンジェラは弱い。
「精鋭を最終防衛のゼルペスに置いていないんじゃないか?」
アレウスは仲間たちが立ち上がるのを手伝いながら言う。
「王国との戦いに向けて、腕の立つ者や腕を上げた者たちは前線へ行っていて、ここにはまだ鍛錬をさほど受けていない志願兵ばかりになっているんじゃ」
「……そうだな。ここにいる連中はどいつもこいつも前線を知らない兵士――いや、民兵だ。多少の鍛錬や武器の指導は受けていても、戦場では言うほどの役には立たない。だが、こんなのはゼルペスが攻めにくい立地であるから出来ることだ。俺はクルスのやり方に賛成はしないね」
「新兵や民兵を意味なく擦り減らすよりはずっとマシでしょ!」
「その新兵や民兵を鍛え上げる役職が戦場に行ってるんじゃ元も子もねぇだろ。なにも学ばせずにゼルペスの防衛だけさせていたって、前線が崩れたら一気に落とされるって言ってんだよ」
うぐぐ、とアンジェラは唸りながらも諦めたように肩を落とす。
「そこで諦めるんですか……」
「良いんだよ。私は人間同士の策略については無知だし、変に自論を展開したって大体は的外れになる。いっつも、ほとんどの人に言い負かされる。なんで人間ってこんなにも言葉を使うのが上手いの?」
神を崇めろと言い続けるはずの天使が人間の戯言に負けるというのは、やはり教えを説くのは得意であっても人間と言い争うことは得意じゃないからだろうか。問われ、請われれば導きもするが、それらは神の教えによるもの。つまりはアンジェラには自己が存在しない。象徴であり偶像崇拝の極みである天使には自己や感情は神にも人間にも求められていないのだろう。
しかし、自己を持たなくていいから、問うたことについてだけ教えろというのも人間の欲深さをよく表しているとしか言えないが。
「先に言っておくけど、あたしたちは戦場には出ないから」
クラリエが牽制する。
「お前たちにそんなもんは求めてねぇよ。王国とやり合うのは新王国の連中だ。俺だって帝国軍人として介入しようとは思っちゃいねぇ」
「新王国の兵士としては出る気ではいるだろ」
「さぁ? どうだろうな?」
エルヴァの真意を突いたつもりではあるが、はぐらかされてしまった。しかし、こんなところで彼のやることを暴いたところで止められるわけではない。
「こいつらは新王国側に有益な冒険者だ。クルスに会わせる。あと、警戒して即座に拘束したのは正しい判断で、間違っちゃいない。押し退けたり押し飛ばしたのは俺の苛立ちだ。気にしないでほしい」
そう兵士に伝えて、エルヴァは付いて来いと言わんばかりに視線を向けてから来た道を引き返す。アレウスはアンジェラを見て「私はここで兵士たちを見てるから」と言うので、仲間たちと目配せだけでのやり取りをしてから彼のあとを追った。
古びた城だ。パザルネモレで見た城よりも古いかもしれない。建築様式は帝国のそれと少し異なり、砦との直通の通路が複数設けられているだけでなく、通路の一部は鉄格子で封鎖されているが、それのほとんどは洞穴が見える。恐らくだが洞穴を抜ければ周囲の山々に出られるようになっている。それも盆地内部へ抜けるのではなく盆地の外に出るような長い長い洞穴に違いない。そこが封鎖されているのは長年使われていないか、もしくは落盤の危険性があるため普段は使用されていないかのどちらかであろう。攻めてきた軍隊を後方から叩くことができる。天然の要害として立派に役目を果たせるように古城でありながら、しっかりと機能を有している。城主を逃がすためにも使われるのかとも思ったが、そういった隠し通路はこんな人目に映るところには決してない。そこは古城の主である王女とその取り巻きのみにしか知られていないに違いない。
それに、山の外側に繋がっているということは、どこかにこの古城へと繋がる洞穴があるということ。それを王国軍に見つかれば、一切合切の衝突を無視して王国軍は城を内部から叩ける。こういった洞穴の出口が念入りに隠されていることを祈るしかない。そもそもそういった情報は王国側に伝わっているのだろうか。ゼルペス自体が王国の領土であったのなら、当然のことながら知っていると考えるべきだ。それでもここを最終防衛の拠点としているのは、アレウスとしてはやや気になるところだった。
「予想通り、こいつらが来た」
謁見の間にでも通されるのかと思いきや、手狭な作戦室に通された。そこには王女だけでなく、その近衛であるリッチモンドやマーガレットの姿も見え、なによりアレウスがいて欲しくないと思っていたリスティの姿もあった。
「どうして」
「言っただろ。こいつはどんな理由であっても、お前を連れ戻しに絶対にやって来る」
リスティはアレウスを見て、少しばかりショックを受けているようだった。それはアレウスもまた同じで、感情が沈む。
「どうしてあなたはいつもいつもいつも! 私の理想や妄想や想像に忠実なんですか!」
迫り、アレウスの胸を腕で叩きながら、駄々をこねる子供のように言う。
「私は妄想が、理想が現実になり得ないことをなによりも知っています。でも、あなたは違う。あなたは私がこうなったら良いなと思うことや、こうしてくれたら良いなと思うことをいつもいつも、そうやって……そうやって!」
「それはリスティさんが僕の思う理想や妄想や想像に忠実じゃないからです」
胸を叩くリスティの腕が止まる。
「あなたが僕の思い描いた通りに生活してくれるなら、生きてくれるなら僕だってこんなことはしません。でもあなたはいつも僕の理想や妄想や想像に忠実じゃなくって、親友のために国すら飛び越えてしまう。だから僕はあなたの思い描いた理想や妄想や想像に近しいことをして、あなたを連れ戻す。何度でも、何度だって。これは譲れません。だってあなたは……僕やアベリアにとって最初の理解者で、最初の信じられる大人で、最初に頼ることのできた大人ですから」
冒険者見習いのときは右も左も分からなかった。冒険者になったあとも理想だけ高くて、口先だけが達者で、生き方は下手くそで、実力に見合わない依頼を要求するアレウスをずっと見守ってくれたのはリスティだ。ニィナのために一緒に捨てられた異界へと向かってくれたのも、自身の高すぎる理想を語っても笑わず真摯に、どのように道筋を立てればそういった依頼を受けることができるのかと導いてくれたのも、アレウスが異界で生き続けてきたことに驚きながらもその言葉を嘘と断言せずに受け止めてくれたのも彼女だ。
彼女がいなければ、アレウスとアベリアはここまで成長できていない。ヴェインとも会えていない。ガラハやクラリエとも分かり合うことはできていなかったかもしれない。
なぜなら、彼女の姿勢が――どんなに突拍子のない話であってもちゃんと最後まで聞くというその姿勢が、アレウスが抱くはずであった他種族への偏見を限りなく少なくさせた。最初にリスティに会えていなかったならと思うと怖くて仕方がない。
「私は、頼もしい大人なんかじゃありませんよ。ワガママで、身勝手で、親友のためにあなたを振り回す。こんな大人のことを信じてはいけません」
「今更、そんなことを言ってもその子たちは引き下がらない」
クルスの声がして、アレウスはひざまずく。
「立って話して構わない。私は命の恩人にまでひざまずくことを強制するほど愚かじゃない。あなたが連れて来ている方たちも、同じように立って話してくれていいわ」
「……命の恩人?」
ヴェインがアレウスをジッと睨む。
「君、また俺たちの知らないところで変なことに首を突っ込んだのかい?」
「あれは……! リスティさんを連れ戻すためには必要なことで……ジョージもなにか言えよ」
作戦室の隅の方で壁を背にして物思いに耽っているジョージに助け舟を要求する。
「俺はエルヴァを死なせないためにお前を利用しただけだが、まぁ、それでもなにか言えと言うのなら……逃れようのない運命だった。お前の未来もエルヴァに関わったことで、どう足掻いてもあの場面ではお前は王女奪還に向かうことになる。いいや、俺が無理やりにでも連れて行くことになる。そういう風にできていた」
「私やエルヴァの運命に絡め取られた。そういうこと?」
クルスの問いにジョージは肯く。
「帝国の冒険者なのに、こんな王国同士の対立に巻き込んでしまって申し訳ないと思うわ。けれど、『賢者』のエルフを止めるのは私たちだけじゃどうしてもできそうにない」
「王女に謝罪させたって話でテメェは一生喰って行けるな」
余計な茶々をエルヴァが入れる。
「リッチモンド、そしてメグ? この子たちに兵を預けるってことでいいのかしら?」
「いえいえ、冒険者に兵を預けることなどできません。騎士たちは冒険者を低く見ております。そんな者に命令を出されでもしたら、誇りが傷付けられるとさえ思う者もいるでしょう。そもそも、彼らに人間同士の争いをさせるのは禁忌です」
後ろへと問い掛けたクルスにリッチモンドが反論する。
「変わらないわね。『禁忌戦役』でもそうだった。帝国軍人も王国騎士も冒険者を軽く見ていた。いいえ、あれが『禁忌戦役』として語り継がれなかったからこそ、冒険者の扱いが変わらないのかしら」
懐かしいような、それでいて戦慄に苦しんだような、複雑な表情を浮かべながらクルスは呟き、それから迷いを晴らすように首を横に振る。
「この四人とエレオン――いいえ、エレオンは戦力として数えちゃいけないか。私怨でしか動かないから、『賢者』のエルフたちを止める気なんてなくて、真っ先に王国軍の戦場へと突撃してしまいそう。リッチモンドが言うのなら、兵は出せない。でも、四人だけにエルフを止めさせることなんてできるわけない」
「ええ、ですから、与えるという部分を変えましょう。与えるのではなく対エルフのために配置する。この冒険者たちには、エルフと戦っている間に奥へと向かってもらい、首魁たる『賢者』を討ってもらう。きっと、そこにいるエルフ――いいえ、ハーフのダークエルフもそのように考えているかと」
「王国軍に全力をぶつけに行かずにあたしたちのところにも兵を回すって言うの? そんなことして、突破されでもしたら、」
「それはつまり、私たちが王国軍に遅れを取ると?」
マーガレットから発せられるとてつもない怒気にクラリエが小さな悲鳴を上げ、それからゆっくりとアレウスの後ろに隠れる。
「異国の協力者を怖がらせるものではないよ、メグ」
「しかし、義兄上!」
「俺たちは第一王子であるマクシミリアンから見れば羽虫や蟻だ。常勝無敗と謳われる者を相手取る俺たちが安く見られるのは仕方がない」
リッチモンドが諫めることでマーガレットが息を吐き、怒気を抑える。
「ただ、俺たちの戦いを見たこともないのに甘く、安く見られるのは心外だとは思う。むしろメグが怒ってくれたことで俺は冷静になれた。ありがとう」
「いえ、私は私の感情のままに怒りを見せてしまっただけですので、感謝される道理はございません」
「義兄の感謝は素直に受け取っておくものだ。さて、メグが再び怒ることがないように早い内に各自がやることを纏めてしまいましょうか。あと数時間後には私たちも出発しなければならないのでね」
場を纏めているのは王女ではなくリッチモンドだ。そのことにクルスはなにも言わず、エルヴァやリスティも否定の言葉すら出さない。実力、策略、そして人徳。それらをこの男は備えている。以前に見たときには突飛なことを言い出す変人程度にしか思っていなかったが、確実に出来る男だ。なぜそのことが以前に感じられなかったのか。そういった気配を消すのが上手いのだろうか。
作戦室のテーブルに広がっている地図にリッチモンドが視線を落とす。その動きに促されるように全員もまた地図を見る。そこには幾つかの駒が既に置かれており、それらを新王国の部隊や王国軍に見立てているようだ。
「第一王子マクシミリアンは戦況が優勢に傾かない限りは前線には現れない。それまでは特別な『指揮』を用いて王国軍を自在に動かすか、或いは静観か。つまりは一番後方にいると考えていい。私たちが最も取りたい首は最も遠いところにあるということです」
一番大きな駒を地図の片方に移し、リッチモンドはその前方に複数の駒を移動させる。
「布陣は恐らく、このようになります。天然の要害であるゼルペスを攻めるのは正面からしかありません……というわけではありません。この城に繋がる洞穴を幾つかの部隊には捜索させるでしょう。つまり、そこに私たちもまた兵を割かなければなりません。これは最終防衛を任せている民兵な徴兵したばかりの者たちにやらせても構わないのですが、さすがに騎士がいなければ統率が取れません。ですので、前線に行きたがっていない明らかにやる気のない連中はここに回します」
「やる気がないのなら守る気もないかもしれないな」
「やる気があろうがなかろうが、いることが重要なのです。王国側にとって、捜索中に新王国の部隊と接触することはなるべく避けたい。なぜなら、接敵がバレれば洞穴捜索の部隊の位置が明らかになってしまうためです。そして逆に言えば、こちらもまた接敵した場合、近くに洞穴があると判断され戦闘が起こる可能性もあるわけですが……ズラします」
ジョージの呟きにリッチモンドがそう答える。
「ズラすとは?」
マーガレットが訊ねる。
「城に繋がる洞穴の出入り口は俺たちのようなごく一部しか知り得ない情報。そんなところにやる気のない騎士を配備したら、敵に見つかればそのまま洞穴まで一直線だ。だったら、やる気のない騎士連中の位置は私たちが知っている洞穴の出入り口からかなりズレたところに置く。これはやや賭けになるが、こちらの部隊がいる場所が、即ち洞穴の場所だという向こうの先入観を利用する。要は騎士たちを始末しても、それですぐに洞穴が見つかるわけじゃない。あと、やる気のない騎士だとしても死にたくはないのでそれなりに抵抗もするだろう。ともかく、洞穴防衛に強力な部隊は置けない」
「前線に全振り……か」
リスティはジッと地図を眺めながら呟く。
「洞穴防衛はこれで完璧とは言い難いのでもう少し詰めますが、大まかに全体を話しておきたいので次に参ります。マクシミリアンが前線に出ないのなら、最前線は相も変わらずマクシミリアンの末弟であるユークレース・ワナギルカンが務めるでしょう」
「ユークレース……私たちの北進がなかなか進まないのはこいつのせい」
「末弟でありながら実力は相当に上。ウリル・ワナギルカンを上回ります」
「あのウリル・マルグよりも……」
アレウスは驚いて声を発してしまうが、アベリアとヴェインはその言葉を聞いて大体を察する。
「私たちが知らない間に王国の王位継承者と戦ったの?」
「首の突っ込み具合が危なすぎるよ。よく無事でいられたな」
呆れたとばかりにアベリアとヴェインが溜め息をついた。
「まぁまぁ、二人ともあんまり怒っちゃ駄目だよ」
それをクラリエがアレウスの背後で宥める。まだマーガレットに怯えているらしい。
「ユークレースの勝負勘には目を見張るものがある。攻めるときは攻め、引くときは引く。領土の取り合いは全て奴の手の平の上なのではと思うほどだ。こいつは奪還と防衛がなんたるかを心得ている上に、必ず一定の地点から新王国軍を決して進ませない。その地点までは奪われていい領土で、同時に奪い返せる領土と考えてやっている。その結果、戦場と化したその領土が荒れ果てようとも気にしていない」
マーガレットはリッチモンドが置いた駒を忌々しげに見つめながら言う。
「彼との戦いは避けられません。誰が務める務めないではなく、全員で向かうべき対象です。さて、その後ろの第二陣にはマクシミリアンの次男であるアンドリュー・ワナギルカンが立ち塞がるでしょう。王女の一人は消息不明でもう一人はこの戦争には参戦していないのがせめてもの救いでしょう。このアンドリューは専守防衛に長けた者です。適所に置かれれば、私たちの動きは読まれてしまいます。それを防ぐために落としに行こうとしても、落とせない。無駄に時間と労力を費やし、やっと落とした頃にはアンドリューは姿を消している。専守防衛とは、自身の命を落としてでも守り通すことではなく、自身の命を最大限に囮として用いて引き際で引くことと心得ています。最前線にユークレースの突撃部隊、第二陣にアンドリューの防衛ライン。言っているだけで嫌になってきますが、やはり単一で攻めるのではなく全体で叩く以外にはありません。そもそもゼルペスでの出撃は正面からに限られているので、全体で叩く以外にはほぼないのですが……もしくは、盆地への道筋に相手を引き込むことで自在に陣形を張れなくして袋叩きにする手もありますが、それは旗色が悪くなったときでも遅くはありません。最初から狭小の道を利用して、突破でもされたら目も当てられません」
続いて、とリッチモンドは視線を地図の端の方へと動かす。
「この方角からエルフたちがやって来ているという伝令が来ています。これは王国軍ではなく、王国の動きに乗じて『賢者』が動いたことによるものです。この者たちは私たちのような騎士や兵士ではなく、ましてや冒険者でもありません。ただの一般人にして、各々が魔法と弓の武力を有しています。これが非常に私たちには厄介です。ヒューマンのように戦力として数えることのできない民草ではないのに、放っておけばゼルペスを落としてしまえそうなほどの力を持ち合わせている。それも魔法すら行使できるという厄介さ。戦争で魔法は禁じられていますが、この者たちにその道理は通じません。なので、衝突こそしても鎮圧してはならない。要は兵力を回しはしても手出しできません。身を守ることだけ、本当の本当に防衛のみとなります。その間にそちらの冒険者の四名はなんとしてでもエルフを操っている『賢者』の位置を突き止め、討っていただきたい。エルフたちが沈黙さえすれば、私たちは横槍を気にせず前だけを向くことができますから」
山を越えた向こう側。エレオンと共に山を登ったが、その逆側だ。もっと王国側に向かった平野部だと考えられるが、見渡しやすいところにイプロシアがいるとは思えない。
「私とメグはクルス王女の傍に。エルヴァージュは……本当に戦場に出る気か? 帝国軍人とバレると問題だろう」
「元は王国騎士見習いだ。そもそも俺が帝国に渡った情報はない。帝国の皇女殿下には物資補給以外では戦うなと言われているが、別にどうだっていい」
どうだって良くはない。帝国国民のアレウスとしてはエルヴァの態度は許せないものがある。
「なら貴重な戦力として数えさせてもらう。リスティーナは冒険者の方々をエルフたちと接敵するだろう場所まで送り、その後にこちらに合流。エルヴァージュはユークレースと一回、当たってもらう」
「駄目」
クルスが一言で断ち切る。
「エルヴァは私の傍に」
「……王女様、ワガママを言っている場合ではございません」
「でも、エルヴァを見えないところに置きたくない」
リッチモンドは困り果て、メグを見る。だが彼女もクルスのワガママに肩を竦めて呆れるのみだ。
「そいつはそこじゃ死なない。殺し合う約束をしている奴が、命懸けになるわけもない」
ジョージが言って、それからエルヴァを見る。
「そうだろう?」
「ああ。俺はまだ、約束を果たしてはもらっていないからな」
それを聞いてクルスが落ち着くために大きな深呼吸を行う。
「……死なないで」
エルヴァは肯くだけに留める。
「王女様、少しお話をしませんか?」
沈黙の中でクラリエが提案する。
「アベリアちゃんも一緒に交えて、女同士で賑やかなお話を」
「そう……だね」
クラリエの目配せからなにかを察してアベリアも同意する。
「構いませんが、一応ですがメグを付けさせます。女同士であることには変わらないでしょうから、お気になさらず」
リッチモンドがそう答えて、クラリエがクルスの手を掴んで作戦室を出る。それをアベリアとマーガレットが慌てて追いかけた。
「……エルヴァージュを繋ぎ止めるために行った単純明快な方法が、逆効果になってしまったかもしれないな」
「なにが言いたいんですか?」
エルヴァがリッチモンドを睨む。
「君は俺が想定した通りの働きをしてくれているが王女様は君とこの危機に再会して覚悟が鈍っている。恐らくは俺が提案したあれのせいだ」
「俺は悪くありませんよ」
「ああ、君は悪くない。ただ俺は、少しばかり幻想を抱きすぎていた。王女様はあの程度のことで動揺などせず、心が揺れることもないと。だが……そうだったな。王女である前に、恋をしている一人の女だったことを失念していた。だから、エルヴァージュが来てから割とポンコツだ。どうにかしたいが、男の俺にはどうしようもないことだ。作戦室から彼女たちが連れ出してくれなかったら、こんな話をすることもできなかっただろう」
「エルヴァージュさんと王女様が……そうですか、それは…………どうにも、な」
ヴェインはこの一連のやり取りで大体を理解したらしい。
「僧侶は神の教えを説くことはできても、恋愛相談には乗れないからな」
「お前に恋愛相談なんて一体誰がするんだろうな」
「君君君、君だよ君。どれだけ恋愛相談に乗ってやったと思っているんだ」
「ふふっ……いや、笑うつもりはなかった。そんな普遍的なやり取りをするのだなと思ってね。俺が以前に見たアレウリス・ノールードという男は、もっと堅苦しくもっと図々しく、それでいて境界を持っていたはずだ。誰も入らせない心の境界線だ。それをすんなりと通しているものだから、なんだ案外普通の男なのだなと」
「僕もあなたには突飛なことを言う変人というイメージしかありませんでしたよ」
「変人さ。王国ではなく新王国に加担した大罪の騎士と言われている。俺はただ、スチュワード・ワナギルカン様のために全てを捧げているだけだというのに」
そう言って、リッチモンドは窓から空を見る。
「こんな談笑も、明日や明後日にできているかどうか……いや、俺にしては随分と後ろ向きだった。今のは忘れてくれ。それで、エルヴァージュは、」
「ちゃんと前線に出る。クルスの言うことになんか従うつもりなんかねぇよ」
「……そう、だったな。お前もまた、そういう男だったな」
好きな人に対して反発する。そのことをリッチモンドも知っているようだった。エルヴァは本当に愛情が歪んでいる。
「いつもなら馬鹿にしたいんですが、私も私で馬鹿にはできない状況ですので」
そしてリスティはややアレウスを見たあと、頬を赤らめてからそれを誤魔化すように頭を振る。
「私もクニア様のところに行ってきます」
それだけ言い残し、彼女もまた作戦室を出た。
「君は……随分と物凄く、男としては目指したいとは思うけれど、実際に現実にしようと思うと恐らくだけど真っ当な人生を送ることはできなさそうなことをやらかしているようだ」
遠回しで、それでいて理解することを脳が拒むような言い回しをリッチモンドはする。現状のアレウスの人間関係から垣間見える最大の嫌悪と皮肉だろう。
「まぁ、それも彼女たちの生きる原動力になるのなら或いは、か。俺は決して受け入れられないが、そういう生き方もあるのならとやかくは言わない。そこにメグが混じっていたら、君を滅多刺しにして磔にして晒し者にしていたところだけれど」
言葉の全てにはリッチモンドの感情が乗っていた。
否定的な人は否定的である。この部分は見失ってはいけないのだなとアレウスは学び、同時に恐怖した。




