α-7 種族共同
-書庫奪還及び新王国作戦、一時間前-
「お前たちは」
「っ! ビックリした!」
アレウスがガラハに背中から声を掛けられ、思わず大きな声を発する。
「どうしてそんなに驚く?」
「いや、ガラハから僕はあんまり話しかけられることがないからな」
「そうか?」
「組んだ当初は全然だったけど、最近は割と増えたか……いやでも、緊張しているときにまさかガラハに声を掛けられるとは思わなかったから」
アレウスは苦笑し、手の震えを自身のもう一方の手で包み込む。
「……お前たちは、俺のことをよく強い強いと言うが、実のところはどうなんだ?」
「どうって、今も昔もずっと強いと思っているけど」
「そうだろうか? オレは体が頑丈には出来ているが、お前たちに比べて特別な力を持ってはいないし、特別になにか重要な役割を担えるわけでもない。普通に手合わせをすれば、オレはアレウスにすら勝てるか分からない」
「僕ですらって言い方がなんか引っ掛かるけど」
そこでアレウスは一旦、言葉を切って思考に時間を掛ける。
「『継承者』だから強いとか、『超越者』だから強いとか、そういう次元の話じゃないんだよ。僕に限らずアベリアやクラリエ、ヴェインだって同じようにガラハのことを強いと言うと思うよ。それもパーティの中で一番強いと」
「それが分からない。オレにできることなんて、」
「そんな弱気な言葉をガラハの口から聞くのは、それこそ港町の一件以来だな」
ガラハはアレウスと初めて会った頃を思い出す。あのときはヒューマンに裏切られたことと、港町を取り戻すことに全てを賭しており、他のことなど考えることもできなかった。ロジックを書き換えられていたこともあるのだろうが、とにかく責任を果たすことだけを考えていた。港町での悲劇を嘆き悲しみ、それらは全て自分のせいなのだと、ただひたすらに卑下し続けていた。
言われてみれば、港町を解放することができてからガラハは肩の荷が下りた。アレウスたちとはそこからの付き合いになるが、今日のような弱音を吐いてはこなかったことを思い出す。
常に強気で、常に強情。アレウスたちの言っていることに賛同できないことがあっても、このヒューマンが言うのだから付き合ってみてもいいかと信じ戦ってきた。
「オレは……成長を感じていないのかもしれない。リベラを討ったときには、お前の元に駆け付けたときには今度こそと誓い、ひたすらに研鑽を続けてきたのだが」
「ガラハの強さはそういうたゆまぬ努力の結晶だ。僕たちみたいに特別な力を行使することで一時的に戦況を支配するのも強いと言われれば強いし、強さと言われれば強さだと思っている。でも、僕たちのそれは特別な力を使って初めて強いと言われるものだ。それが突然、取り上げられた場合、僕なんかは魔物とは知識と経験や勝負勘だけで戦うことになってしまう。それに比べて、ガラハは違う。力を奪われることなんてないし、積み重ねてきた研鑽は僕たちの比じゃない。なにより、ガラハは戦闘での直感が鋭い」
「それは、強いことなのか?」
「強い以外の表現しようがないよ。強さは特別なものを持っているかどうかじゃない。自分の中にある物を着実に強くさせられているかどうかだ。ガラハやクラリエは特に顕著だよ」
「クラリエが強いのは分かる。『衣』を得てからもそれに頼らない戦い方をずっと続けているのを知っている」
「でも本人はあまり自分のことを強いとは思ってない」
「……それは、そうだな」
「だろう? 強さって、自分で推し測れるものじゃないんだと僕は少しずつだけど思うように頑張っている最中なんだ。僕も自己評価が低いってよく言われているだろ? やっぱり、自分自身で自分の強さにはなかなか気付けないんだ。だから、ガラハは常に自分の強さには自信を持ち続けていてほしい。ヴェインほどの自己肯定感の塊にはなれないだろうけど」
「確かに、あいつは常々に前向きな言葉しか言わない」
それはヴェイン自身が後ろ向きな感情に囚われそうになったとき、自分自身の前向きな言葉で包み隠すためだ。それが自己否定ではなく自己肯定感を高める結果になっている。随分と生き辛そうな生き方だが本人はとても楽しそうに生きているのだから、向き不向きはあるのだろう。
「書庫を取り戻すとき、多分だけど戦いが起きる。『賢者』がなにも対抗手段を施さないわけがない。そのとき、ガラハは一番前を張ることになるはずだ。それって全員がガラハが前衛であることを認めていることで、前衛であってほしいと願っているからだ」
「そう、なのか?」
「もっと単純に言うのなら……一番前に、弱い仲間を僕は置かない。一番前には一番強い仲間を置く。それが、一番安心できることだから。強い仲間が一番前に立ってくれるなら、自分も強くなった気になれるし、頑張れる。守ってもらえるという安心感がある。だから、守ってほしい。自分の命を落とさない範囲で、守り抜いてほしい」
一番強い仲間が一番前。それを聞いて、ガラハは難しく考えていた自分自身の思考が綺麗に整頓されたような気がした。周囲からの評価と周囲の強さを比べるよりも、自分の中にある強さを認め、高めること。危険な場で仲間のために体を張る。それは仲間から強いことを認められているから。
「変なことを聞いたな」
「いや、意外だった。ガラハがそんなことで悩んでいるなんて」
「そうだな、まるでお前みたいだった」
「どういう意味だ?」
「お前の強さもオレが認めているということだ」
そう言うとアレウスは褒められ慣れていないからか随分と照れた風にし、それから思い出したように「ありがとう」と呟いた。そんな彼の仕草が、頼もしいというよりも可愛らしく、穏やかな気持ちになれた。
*
「個々でしか戦えない者たちにバシレウスが討てるわけがない」
全身が剛毛に満たされ、鋭い爪が伸びる。四つ足歩行になった怪物の背中にハイエルフが乗り、突撃を指示する。
「喰い破れ」
ガラハは自身に疾走してくる怪物に対し、三日月斧での防御の構えを取る。しかし、そんな彼より前にエレスィが立ち、剣に青い魔力が強く強く込められる。
「我が生き様を見よ!」
『青衣』がエレスィを包み込み、構わず突撃してくる怪物へと青き一閃を繰り出す。その剣戟を物ともせずに爪を怪物は振り上げるが、遅れてやってきた縦横無尽に駆け巡る青の飛刃を数十、数百と受けて後方に怯む。
「“紺碧の星”」
「“氷界の天体”」
左に立つカプリースの頭上には巨大な水球が、右の上空に備えているクルタニカのその真横に巨大な氷晶が魔力によって生み出され、怯んだ怪物目掛けて落ちていく。
「リスクを承知の上でと言っていたな?」
カプリースはハイエルフを挑発する。
「『紺碧の星』は『火星』を見ることが習得条件になっている。知らないわけがないだろう?」
「『氷界の天体』は『紺碧の星』はそこからの派生でしてよ」
黒き翼を黒い氷晶が包み込み、薄氷の羽衣を纏ったクルタニカはその肌を蒼白へと染め上げながら、そして口から冷たい吐息を吐きながら告げる。
「砕けんと思ったか?」
怪物は二足歩行に戻り、骨だけの翼を生やし、片手に刀を握る。
「秘剣」
刀は横一文字に振り抜かれる。
「“柳燕”」
込められた気力と魔力は横にのびやかに伸びる刃となって地下空間の両端の壁を切り進む。全員が身を屈むか跳躍を行って避ける中、水と氷の大球体は綺麗に上下に分かたれ、固められた魔力が爆ぜて崩壊する。
「見たばかりでは習得できても使いこなせるものか!」
「獣剣技」
怪物の真下にノックスが詰め寄り、短剣に気力を込める。
「黒い眼、爪と牙の進化。『本性化』か!」
「“狼頭の牙・下段”!!」
驚くハイエルフを無視し、ノックスの短剣は真上へと切り上げられる。狼の下顎を模した刃が駆け抜け、怪物の体を僅かだが切り裂く。
「だが、そんな生ぬるい獣剣技など、っ!?」
すぐさま怪物はノックスを踏み潰そうと足を上げるが、肩に乗り直したハイエルフの逆側の肩にセレナが乗っている。僅かな思考、僅かな逡巡、そして一瞬の判断。この数秒にセレナとハイエルフの間で凄まじい読み合いが発生し、先に怪物がセレナを肩から引き剥がそうと左腕を動かす。
だが、そこで爪と牙を鋭く携え、更には獣耳を激しく誇張させながら『本性化』を果たしたセレナの速度は怪物の速度を超越し、彼女を捕らえようとした手を避けるだけでなく、その手の上に乗ってから悠々と――強烈な蹴撃を怪物の顔の左側へ浴びせて離脱する。二歩、三歩とよろめいた怪物は足に力を込めて留まる。
「短剣を握っている獣人より、こっちの獣人の方が面倒か。しかし、そんな攻撃で!」
金糸の長髪を携えた怪物とハイエルフが同時に詠唱を行う。
「罪に悶えて、燃えて逝け、“煉獄”」
床一面を業火が駆け抜け、激しく燃え盛ってイェネオスたちを襲う。これをクルタニカが放つ冷気が押し留め、クニアが先ほどカプリースが詠唱し阻止されて崩れて零れた『紺碧の星』の残滓を利用して辺り一帯に多数の水球を空中に生み出し、その中へと飛び込み、飛び出してまた別の水球への移動を繰り返して、怪物の周囲を縦横無尽にさながら飛翔するかのように泳ぎ回って翻弄する。
カプリースがデタラメに低い姿勢から極めて低空を跳ねて、片手に穂先を持たない棒を握って怪物へと一気に距離を詰める。
「「水獣鎗技」」
カプリースの棒の先端に水が集って穂先と化す。そのままカプリースはほぼ真下から、クニアは怪物の真上から三叉鎗での刺突を放つ
「水天の蛇!!」」
真下と真上からの気力の刺突は水が形を変えて蛇となり、怪物の体に咬合する。喰い破れはしないが蛇の後方から押し寄せる水流がハイエルフと怪物を包み込むだけでなくクルタニカの放つ冷気を無視して周囲一帯を覆い尽くそうとしていた業火を鎮火させる。
「呼吸を奪う気か? 余にエルフの弱点など……いや、まさか……?」
怪物が呼吸できずに激しく悶えているのを見てハイエルフがすぐさま怪物の体に鱗とエラを生えさせる。呼吸によって冷静さを取り戻したかのように怪物はクニアのいる水球を腕で潰し、足でカプリースを蹴り飛ばす。しかし水球にはもうクニアはおらず、蹴られたカプリースは水と化して崩れる。
「『天炎華』」
怪物の変身と二人の撤退。それを見越していたかのようにカーネリアンが自らの刀に炎を宿す。
「秘剣」
「ならば獣人の大王で応じ……いや、待て?」
「“柳燕”」
飛翔し、滞空するカーネリアンが横一文字に放つ斬撃が炎を乗せてのびやかに伸び、翼を広げた燕を模して怪物の腹を引き裂く。その後方で既にエレスィが剣に青の魔力を集中させ終えており、クルタニカもまた上空で『冷獄の氷』による範囲を構成しつつある。
「……獣人で応じればエルフと魔法によって攻め、ガルダで応じれば獣人が、エルフで応じればハゥフルが、ハゥフルで応じればガルダが……そして再び獣人で応じようとすればエルフが遮る。貴様たちは、余のバシレウスが変化するごとにその時々によって苦手とする種族によって応じると言うのか……!」
ハゥフルの形態を取ったまま怪物が呻き声を上げる。
「どうした? 私が苦手とする獣人になって対抗しないのか? だったら、私が対応しやすいハゥフルの大王をこのまま切り裂くまで。秘剣」
「貴様の太刀筋がバシレウスを両断することなどない」
バシレウスは獣人の形態を取り、次の秘剣に移りつつあるカーネリアンへと迫る。
「“梅鴬”」
笑みを浮かべ、彼女は指で刀身を弾く。不可思議な金属音が怪物の平衡感覚を損なわせ、彼女を切り裂くはずだった爪撃は空振りに終わるだけでなく、ハイエルフを放り出して横転する。
「“冷氷の礫撃”」
無数に浮かぶ氷のつぶてが一斉に怪物へと降り注ぎ、突き刺さる。そして刺さった箇所から氷晶が生え、全身を凍らせていく。
「そんな小細工が!!」
ハイエルフは片手に流れる魔力で怪物を包み込む氷晶に触れ、打ち砕く。
「余に通用すると思うな!!」
「“聞こし召せ”、『天炎乱華』」
エキナシアが素体を残してほぼ全てのパーツが剥離し、カーネリアンの握る刀に装着されていく。刀身はやや曲がり、より鋭利に。柄はさながら鎗のように伸び、それを両手で握ってクルクルと回して火を起こす。
「『天』の『炎』に!」
刀から薙刀へ変形した自身の得物を自在に操り、石突で力強く床を叩く。
「『乱』れる『華』よ!!」
複数の火柱が一気に噴き出し、辺り一帯の冷気を消し飛ばす。
「『悪酒』か。だが、貴様は見誤った。冷気を飛ばしてくれて感謝すらしてしまうほどだ」
「貴様は私の力量を測り間違えている」
カーネリアンは不敵な笑みを零さず、バシレウスの激しい連撃を華麗に避け、跳躍し、飛翔してかわす。その間に手に握っている薙刀に込められていた炎が一瞬の内に冷気へと変わり、噴き出した火柱の半分が氷柱に変化する。
「余に、知らないことなどありはせぬ……ありはせぬが、これは……」
「『天』の『氷』に『凍』える『華』よ!!」
薙刀と化していたエキナシアから剥離されたパーツの装着位置が変化する。クルタニカが発していた冷気を一気にカーネリアンの刀身へと収束し、火柱の熱が再び空間を満たす。だが、彼女の手元の刀は決して溶けることも掻き消えることもない極限まで高められた凍気を帯びた刀身を持つ。
カーネリアンの髪を先端から凍らせ、白く鋭く染め上げる。
「『清められた水圏』、『冷獄の氷』、『不退の月輪』。ここは『超越者』の見本市か?」
ハイエルフはそのように呟きつつ、バシレウスを下がらせる。そこにノックスとセレナが襲い掛かってきたため、両腕で左右を薙ぎ払うが二人を捉え切れてはいない。
「俺の剣戟に付いて行ってください。あの怪物はまだ獣人の形態。必ず俺の魔力を帯びた剣戟が捉えます」
「敬語は不要だ」
「あなたの剣技に敬意を表しているだけですので、お気になさらず」
控えるエレスィは自身の『青衣』によって蓄え切った剣を片手に走る。それにカーネリアンが追従する。
「秘剣、“芒月”」
エレスィが剣を振りかぶった刹那にカーネリアンは刀で円を描き、潜る。身体強化を施した彼女はエレスィを追い越して、黒翼を広げて飛翔する。
「我が生き様を見よ!!」
力強く振り抜いたエレスィの剣戟を『青衣』が包み、光速にも近しい閃撃となって地下空間を縦横無尽に駆け巡る。そしてその駆け巡る剣戟の後方をカーネリアンが付いて行き、青の閃撃が怪物に直撃した直後に彼女もまた到達して怪物の右肩を刺し貫く。
「ちっ!」
しかし、その二連の閃撃に手応えの無さを感じて彼女は舌打ちをする。
二人の狙いは言葉で交わさずとも共有されており、その到達点が怪物の右肩であったところも共有の結果である。なのに満足行く結果を得られなかったという反応を見せるのは、カーネリアンが怪物共々ハイエルフを貫く気であったためだ。
肩に乗っていたはずのハイエルフは青の剣戟とカーネリアンの到達。その二つの事象の発生間際には確かに怪物の右肩に乗っていたはずなのだが、姿を消していた。
「余に一太刀浴びせようとする気概は評価しよう。だが、諸共に討てると思ったその愚かさは評価できない」
「っ、マズ!」
空中へと瞬間移動していたハイエルフの気配を感知し、カーネリアンは離脱を試みるが既に詠唱が終えられたことで放たれていた複数の火球が彼女の背中を撃つ。
「凍気をその刀に集約したせいで持ち合わせていた冷気の範囲を喪失していることは分かった。だったら余がやることは、ガルダが持つ秘剣をかわし、反撃するだけ。これでガルダは仕留め、た……?」
火球が起こした爆発により上がった煙の先にハイエルフは異変を感じて手を振って起こした風で煙を払う。
カーネリアンを守るように素体だけになったエキナシアが立ち塞がり、全ての火球を受けていた。それだけでなくギギギギッと機械的に体を動かし、怪物の右肩から飛び退くと凄まじい勢いで仲間の元へと彼女を運び切る。
「ええい、どいつもこいつも!!」
腹立たしさを前面に押し出し、ハイエルフが怪物の肩に降りる。
「ただの一人ではなにもできない人間でしかないというのに!!」
強靭な体躯とヒゲを蓄え、刀は斧に変わって怪物がハイエルフの苛立ちに答えるように床を踏み荒らし、斧を振り回して強風を起こして控えていたクニアとカプリースを吹き飛ばす。
「“冷氷の、”」
「唱えさせるか!!」
素早くハイエルフが反応し、その手から放たれた閃光がクルタニカの右の黒氷の翼を砕き、落とす。その勢いに乗って怪物が未だ魔力を練り直せていないイェネオスへと迫る。
ヴィヴィアンが両手の爪に炎を込めて、前方に振ると同時に爪撃が拡大。振られた斧を魔力の両爪が受け止める。
「寄せ集めた結果、確かに万能の怪物にはなれたかもしれないけれど」
呟きながら、彼女は力を込めて怪物を両爪で斧ごと押し払う。
「一纏めになったせいで器用貧乏になった。一人が全てを成せるようになっても限界があるってこと」
「限界だと? 余に限界などない」
ドワーフの姿から竜の姿を取った怪物が大きく息を吸う。
「絶対にない!」
「ドワーフが未だに山暮らしをしている理由を知っているか?」
ヴィヴィアンの横にガラハが付いて、三日月斧の重量を肩に預けながら握り直す。
「平地で暮らせないからでも鉱山暮らしが好きだからでも、そういう生き方しかできないからでもない」
隣にいる彼女の吐息が三日月斧に乗る。炎を灯し、内部に込められた妖精の粉がバチバチと音を立てる。
「全てを焼き殺せ!」
怪物が炎の息を吐く。
「竜の侵略から大地を守るためだ。山は空を飛ぶ竜に届きやすく、竜が潜みやすい。ゆえにオレたちには『山の守り人』という使命が成人を終えてから与えられ続けている」
「それはドワーフが自分を誇らしく語るときの見解であって本質ではないかな。でも、その本質の差異は竜と対峙するあなたの心を強くする。逆にラーゴ王は元は湖の竜。竜は炎を吐くという歪んだ先入観によって起こされた本質からの差異は、本領から遠ざかる」
「竜刃技」
炎の息に真正面からガラハは三日月斧を振り下ろす。
「“地祇の鳴動”!!」
床を粉砕しながら、地を這うがごとく縦にのみ力が固められた衝撃波が炎の息を左右に分断しながら突き進む。
「なぜ王の炎が分かたれる……?! まさか……気を失わすことはできないが、“開示せよ”!」
ハイエルフが片手で本を開くような動きを虚空に向かって行う。
「そんな馬鹿な! 貴様たちが地下に降りてきたときに余が覗き見たとき、レベルは最低で妖精の37、最高でそこのドワーフの47だったはずだ! なのになぜ! なぜ今になって! そのドワーフのレベルが50に到達している?! この短時間のやり取りで――たった一度の王の秘剣を受け止め切ったその経験でレベルアップし、『至高』に足を踏み入れたと言うのか?! くっ、『至高』の烈撃は王に届く一撃だ。受けるわけにはいかない」
ハイエルフは動揺を隠さないまま怪物へと指示を出し、回避行動へと移ろうとしている。
「させません」
「貴様、この炎の中を抜けてきたと……でも?!」
右に避けようとした怪物をセレナの蹴撃によって阻止する。
「こっちも通さねぇ!」
そして左へとよろけたところをノックスが骨の短剣で打つようにして押し返す。
「なぜそんなことができる!?」
ハイエルフが周囲の魔力を読み取り、なにかに気付いたように頭上を仰ぐ。
幾つもの水の球体。その中をクニアが激しく飛び回るように泳いでいる。
「水属性の魔法で、炎を阻んでいただと!? だが!!」
ハイエルフが迫りくるガラハの放った衝撃波を自身の魔力の障壁で止める。
「今!」
『黄衣』を纏い、その魔力を両手の拳に塗り固めてイェネオスが駆ける。
「“軽やか”」
クルタニカの『重量軽減』の魔法によってその速度は更に増す。
「痴れ者めが! 王の威厳にひれ伏せ!!」
竜からヒューマンへと変貌した怪物が放つオーラが全員の体から動くという気力を奪う。だが、それも数秒程度で解け、イェネオスは失いかけていた速度をすぐさま取り戻す。
「王の威厳に、抗うというのか!? いや、違う!!」
ハイエルフの視線はヴィヴィアンに向けられる。
「その怪物から、『王』のテキストをそこに転がっている岩に移させてもらったよ」
「『竜眼』が、バシレウスから『王』を奪ったというのか!?」
「奪ったんじゃなく、移したんだよ。もうそれは王じゃないし、そこの岩は『王』のテキストを貰っても器として適していないから壊れるだけ。さぁ、イェネオス! お願い!」
「打ち砕く!!」
力任せの、なにも考えずに振り抜く全力の一撃。黄色の魔力が橙色に弾けながら、イェネオスの振るった拳がハイエルフの張った障壁を粉砕する。
そして、阻まれていた衝撃波はヴィヴィアンが込めた炎の息吹によって熱を帯び、更にバチバチと火花を散らしながら怪物を縦に両断する。両断した上で、熱が妖精の粉を着火させて大きな魔力の爆発を起こす。
怪物だった肉塊が辺りに飛び散りながら、ハイエルフの与えていた魔力を喪失してドロドロと溶けていき、やがて骨となる。その骨も塵のようにして掻き消えていく。
「はっ! バシレウスは討てんと言ったはずだ! 余がまた呼び出せば、バシレウスは甦るのだからな! そして余は不老不死! 決して貴様らに討つことはできん!」
「エレスィ!」
カプリースが名を呼びながら極端に低い姿勢からの、ハイエルフのほぼ真下から鎗を振り上げてその身を空中へと切り上げる。
「無駄だ」
ハイエルフが傷付いた肉体を無視したまま詠唱を始め、大火球が頭上に現れる。
「させるものか!」
青の剣戟を駆け抜けて、エレスィ自身がハイエルフへと詰め寄って瞬撃によって額を貫く。頭上に現れていた大火球が魔力の綻びによって崩壊する。
「……無駄だと、言ったはずだ!」
エレスィの剣を引き抜き、魔力の衝撃波で彼を吹き飛ばしてハイエルフは浮遊する。
「そうやって余の意識を一時的に奪おうとも、余を討つことには絶対に至らん! 繰り返し、繰り返し、繰り返し続けるがいい! やがて貴様たちの方が根を上げる!」
「バシレウス、私はあなたに見せたよね?」
ヴィヴィアンが威嚇するようにジッとハイエルフを睨む。
「私の『竜眼』は、あなたから『不死』の記述を別の無機物に移すことができるよ?」
ハイエルフの手が止まり、そして口も止まる。浮遊したまま、辺りを見る。
ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ガルダ、ハゥフル、獣人、ドラゴニュート。ありとあらゆる種族が、ハイエルフの次なる一手に備えてすぐに動けるように身構えている。
「敵わぬというのか……そして、叶わないのか。余の、そしてイプロシアの悲願は……」
「異世界に渡ることがどうしてハイエルフの悲願なの?」
「人間の中で余たちだけが異世界を観測できるだけの素養を持っている。観測できるのなら実際に渡りたいではないか。衝動だ。これは人間が持ち合わせている衝動だ。人間が古より続けてきたこととなんら変わらない。大地が続くのなら果てまで歩き、山があるのなら登頂を目指す。海があればその果てまで泳ごうとし、空に先があるのならその奥へと飛び立とうとする。それと余たちの願いのどこに違いがある? 異世界に渡ることのなにが悪いと言うのだ。観測できるのなら、そこを踏み締めたいと思うのが人間だ」
「……別の世界と、今ここにある世界の果てを調べ尽くそうとする衝動は同じじゃないよ。バシレウス――いいえ、あなたたちハイエルフが古より抱き続けていた願いは、ただの邪な感情からの征服欲」
「ああ、その通りだ。だが、征服欲なくして大地の果ても海の果ても空の果ても見えはせん! それは古の大王たちもまた抱いていたことだ! 余は、違う世界を見たい。違う世界で生きてみたい」
「だったら、あなたから不老も不死も取り上げられない。あなたは死ぬこともできないまま、永遠にこの地下空間に縛られ続けているといい。イプロシアがいなくなっても、あなたに掛けられたこの地への縛りの魔力が解けないのだとしたら、もう二度と誰もここに来ることはないよ。もし解けることがあったなら、書き換えられたロジックは元に戻って、あの『音痕』と共に見た元のあなたに戻るだけ。森を焼いたラーゴ王が弱り、自身の死期を悟り、情けなくもその全てを詫びに来たでしょう? あなたはその全てを許して最後の酒を飲み交わした、あの聡明なるハイエルフに戻る。幼いながらにその心の広さに敬服したんだよ、私は。まぁそのあとで沢山の竜がエルフに袋叩きに遭うんだけどさ、その様を見ていたから、この時代まで争いを避けることで生き続けることができたとも言える。あなたに、私は生かされた。だから私もあなたを生かしたままにする。あなたが詫びるのであれば、きっとその全てを許すだろうけれど……きっとその日は私が死んでも訪れることはないんだろうね」
ヴィヴィアンはハイエルフから目を逸らし、ガラハの傍まで戻る。
「余を討たずしてここから出られるとでも?」
「出られるよ。さっきの怪物でしょ? 移動系の魔法を阻害していたのは。もう倒したから、使えるはず」
そう言われてセレナが空間を叩く。歪みが生じて『闇』が渦巻いた。
「横の移動は得意なのですが、縦の移動は……」
「でも、別の地下空間には通じている?」
「はい、間違いなく。恐らくはエルフの森の地下洞窟のどれかに繋がっているかと」
「だったらガラハがいれば大丈夫かな。もう一仕事、お願いできる?」
「帰り道ならオレが示せる」
「待て……余を殺さないというのか? 余は再びバシレウスを呼び出して、」
「私がもう『王』を移したから、甦るとしてもそれはもう『王』じゃない。『王』じゃなくなった怪物に私たちは怯えない」
セレナの作り出した『闇』にまず姉妹における責任感からノックスが入る。そこにカプリースとクニアが続き、カーネリアンと素体だけのエキナシアとクルタニカも入る。
「余は……余は、ハイエルフだぞ!?」
複数の魔力の塊を放ってくるが、エレスィの剣がそれら一切を弾き飛ばす。
「行こう、ガラハ」
「……ああ」
ヴィヴィアンとガラハも『闇』を渡る。
「エルフよ、聞け。余の声を聞け!」
「偉大なる祖先であったとしても、もう私たちにあなたの声は届きません」
「あらゆる王をあんな、惨たらしい姿へと変えたことを俺たちは一生許すことはないでしょう」
エレスィが再び放たれた魔力の塊を弾く。
「参りましょう」
セレナが魔力切れに近いイェネオスを支え、三人で『闇』を渡る。
『闇』が地下空間から閉ざされるとき、その後方から慟哭が聞こえたような気がした。




