α-2 魔力封じ
「水は上手く川の方へと流れた。開錠の方はできたのか?」
「ちょっと想定外なことはあったけど、同じく想定外なことで対処したって感じかなー」
戻ってきたガラハにヴィヴィアンがそう答える。
「なにはともあれ、これで書庫に入れるのう」
軽い背伸びをして、クニアは「よしっ」と気合いを入れる。
「なにを一緒に行く気でいるんですか。クニア様にはここで待っていてもらいますよ。こんな、なにが出てくるかも分からないところに御身を通させるわけには参りません」
「まぁた堅苦しいことを言いおる」
クニアの前進をカプリースが引き止め、その発言に対して彼女は大きく分かりやすい溜め息をついた。
「ハゥフルの女王の身はこちらで保護いたします」
「ほら、イェネオスもああ言っているじゃないですか」
「しかしのう、カプリ? わらわをエルフの元に残すのは少しばかり不安ではないか?」
「いいえ、むしろ安心してしまうくらいですが」
「いやいや、わらわたちはテラー家とジュグリーズ家によって身の安全を保障されておる。しかしだ、二人の傍から離れたならばどうなる? 思わぬ奇襲を受けるやもしれんぞ」
「そのように僕を言いくるめようとしても駄目なものは駄目です」
チラッとクニアがイェネオスへと視線を向ける。
「……そう、ですね。私は同胞を心から信じてはおりますが、中には過激派と呼んでも差し支えないほどのエルフ至上主義を掲げた者もおります。その者が突如として女王様へと刃を向けないとも限りません」
「そうならないように君たちの息が掛かったエルフに守ってもらうんじゃないか」
「カプリースさんの仰ることも分かりますが、先ほど俺と同胞の話をお聞きになっていたでしょう? 感情を抑止できる者がいるならばできない者もおります。同胞が抱えている感情を僕たちは全て把握しているわけではありません。ですから、女王様を凶刃からお守りするのであれば、書庫への同行が最も安全とも言えます」
思わぬエレスィの助け舟にイェネオスも首を縦に振る。
「なにやら上手い具合に僕を丸め込もうとしていないか? どうにも怪しいな。水の分身で情報を集められないのがここまで面倒臭いことになるとは思わなかった」
「使っておらんのか?」
「エルフに障ると思って森に入ってからは一度も写し身は使っていませんよ」
水の分身は魔力を込めたもの。同胞たちならば簡単にその魔力を感知できる。そうなると、ハゥフルの女王のみならず彼自身への薄っすらとした疑惑が湧いてしまう。『協力ではなく、内情を探りに来たのではないか』、と。ありもしない疑惑の芽を生まないようにしてくれたのだろう。
「そのような気遣いのできる男じゃったか?」
「もしかしてそれは誘いですか? 僕に殴ってもらいたいという誘いなのでしたら、乗りますが」
いつもの調子から少し外れたカプリースが握り拳を作ってクニアへと見せびらかしている。少なくともイェネオスがボルガネムで目撃した彼ならば絶対に言わない台詞だ。
エレスィは二人の会話を見かねたわけではない。ここでクニアを書庫前で待たせると、カプリースもきっと傍から離れない。場合によってはそのまま国へと帰るように進言するかもしれない。
ハゥフルの女王を書庫へと通せば、必ず付いて行く。そもそもこの一件に後ろ向きなカプリースを無理やり探索へと向かわせるためのやり口だ。決して邪な感情から発せられたものではないが、エレスィのそういったズルいところがイェネオスは苦手である。
「『精霊の戯曲』のあとで、あんなにも普通にしていられるとは」
「私たちはもうクタクタです」
「申し訳ありませんが、あとはよろしく頼みます」
土、木、火の『精霊の戯曲』を担当した同胞たちは疲れ果て、立っているのもやっとのようだ。
「内包している魔力量が違うからかな。質じゃなくて量で叩いているみたいなもんだから、決してあなたたちが劣っているわけじゃないよ。むしろあなたたちの方がずっとずっと綺麗で洗練された魔力だった。初見で私やハゥフルの女王様とも最後の一踏みを合わせられたんだから、誇っていいことだよ」
ヴィヴィアンが三人を労う。
「……ドラゴニュートを私たちは永遠に憎んでいます」
「とはいえ、あなたの知見が開錠の鍵になったのは確か」
「そして、あなたの舞踏も美しいものでした。私たちへの賛辞、感謝します」
三人は彼女に礼を言い、三人で体を支え合いながら撤退する。
「ワタシたちの貢献は無視か」
「あんまり騒ぎ立てないようにしてください。ジブンは罵られなかっただけ良かったと思っています」
ノックスをセレナが抑える。
「あの一手は素晴らしかったでしてよ。エルフが褒めないのであればわたくしが幾らでも褒め称えますわ」
「実際、あそこでお前たちが出て行かなければ私たちはどうなっていたか分からないからな」
クルタニカとカーネリアンがそう言って、エキナシアが最小限の音の拍手をする。
「ま、エルフにどうこう言われねぇのは分かってるけどよ。ちょっと愚痴りたくなっただけだ。もっと積み重ねなきゃ、ワタシたちはどうにもならねぇってことだ」
「しかし、ここにいるお三方はジブンたちを褒めてくれています。これを少しずつ周りに浸透させましょう。でも、躍起になるのは違います」
「ああ。変に貢献や功績のために動けば輪を乱す。ちゃんと弁えている」
「……姉上が弁える? お淑やかになりましたね」
はぁ? という顔をノックスはセレナに向ける。
「なってねぇよ」
「もっと本能で生きている感じでしたが」
「今も本能でしか生きてねぇよ」
「そうでしょうか? 以前の姉上ならば弁えるなどという言葉は決して使わなかったと思いますが」
「だったらアレウスの入れ知恵だ。好きなように動くだけじゃ群れじゃどうとでもなったのにパーティでは成り立たねぇらしい……って、なんだその顔は?」
「いえ、姉上も成長したなと」
「群れを追い出されてから成長してもなんの意味もねぇよ」
「いいえ、意味はあります。ここにいるという意味が」
セレナの含みを持たせた言葉にノックスは「分かんねぇ」と呟き、それからイェネオスと目が合う。
「最初の一歩はエルフから。ワタシたちは一番最後にさせてもらうぜ? 外側から探った程度だが、入ってすぐのところには罠や敵意のあるようなもんはないはずだ。だが、魔の叡智っつーか魔法による罠ならちょっとビミョーだな。そこのところは魔力感知の幅が広いテメェらに任せる」
感謝を伝える前にノックスとセレナは一気に下がってしまった。しかしながらイェネオスが発しようとした言葉は義務的なもので、心を込めたものではないのもまた確かであったため、逆にその対応をしてもらって良かったのかもしれない。
「それでは、入ります」
仲間たちにそう呼び掛けてからエレスィに目で合図を送り、二人でまず書庫へと踏み入る。足元には魔力を感じない。敵意も気配もない。獣人の姫君が言っていたことを疑っていたわけではないが、ともかくも安堵の息をつく。
古めかしい床板で、踏み込むたびにギィギィと音を立てる。奇妙で奇怪で、若干の不快さがある。軋みはするものの、崩れはしない。朽ちているようで朽ちていない。
一歩、また一歩と進むと床板に靴跡が残る。だから歩けば歩くほど土埃が舞い上がり、視界に塵が混じる。
「これは……クニア様には辛い環境だな」
カプリースがそう言って彼女の肩に手を乗せる。
「土埃が体に張り付く。わらわの体中の水分が抜けていくようじゃ」
程なくしてクニアの体を水の膜が覆う。
「僕が肩から手を放すと大変なことになると思ってください。あなたに纏わせている水気が書物に飛散してしまうので」
「肩ではなく手で良かったのではないかのう?」
「なんとも畏れ多いことを仰いますね」
「なんじゃなんじゃ、少しは乙女心というものをだな!」
「はいはい。大声を出すとまた土埃が舞います」
クニアをあしらいながらカプリースは書庫内の気配を探るような仕草を見せている。
「ここにあるのが『賢者』の隠したかった書物なのか?」
ガラハは大きな大きな本棚に入れられている一冊に手を伸ばしかけるが、イェネオスとエレスィを窺う。
「取るのは、少し危険か」
「少しじゃなくかなりじゃないかな。エルフより先に、っていうのもそうだけどここにある書物がどんな物か分からない以上、魔の叡智に触れられていないガラハが本を開いたら、とんでもないことになるかも」
ヴィヴィアンはそう言いつつ、本を取り出さずに背表紙から題名を読み取る。
「うーん……? 題名からの推測だけど、そんなに貴重な書物ではなさそうだけど」
「エレスィ、どうですか? 私は本の類はあまり得意ではなくて」
キャラバン育ちのイェネオスにとって読書は身近なものではなかった。それ以上に父親からの鍛錬や認識阻害の魔法の向上に時間を割いた。交渉も父親に任せ切りであったため、彼に自信を持って言えるのは狩猟の腕前ぐらいだ。
「どれも僕たちの間では定番の書物だよ。題名と中身が異なるなら危険だけど、そうじゃないなら誰が手に取っても問題ないものばかりだ」
そう言ってエレスィは一冊の本を取り出し、開く。
「…………うん、僕は読んだことがある。題名も内容も全く一緒だ。でも、字体が違うな」
「あーなるほど」
ヴィヴィアンは彼の言葉を聞き、ポンッと拳で手の平を叩いた。
「ここにあるのは原本なんだよ。つまり、世界中に流通している写本じゃないってこと」
「ん? だが、初版を記している物が貴重な品として高値で古書店に並んでいないか?」
「おー」
「なんだその驚き方は。オレだって読書ぐらいはする」
ガラハはヴィヴィアンにやや腹を立たせながら言う。
「原本は作者本人の元々の文章を表す。読みやすいように形式が整えられた初版とはまた異なるんだ」
カプリースはクニアの肩に手を乗せたまま、もう一方の手で本を取る。片方には魔力で水を流しているが、逆側ではそれを行わない。繊細な魔力操作であるが、本人は事もなげにやっている。イェネオスはそこにただただ驚くしかなかった。
「僕はこの本を幼い頃にクニア様の部屋で読んだことがある。でも、そこで読んだときより文体が複雑だし字体も違う。これじゃ子供の頃の僕じゃ読めなかっただろうね」
「子供の頃……か。あそこにあった本も、わらわたちは読めないんじゃな」
「変な感傷には浸らないでください。同じ物は手に入りませんが、言われれば僕が同じ題名の本を世界中から探してきますよ」
「お主のそういう、本当に、そういうところがわらわは、わらわは!」
怒っているようで照れているようで、喜んでいるようで感動しているようで。ハゥフルの女王はコロコロと表情を変えて見ていて気持ちが良い。
「原本は確かに貴重だが、世界中に流通している本の原本が収まっているからという理由だけで『賢者』があそこまで頑丈な鍵を掛けるか?」
カーネリアンも本を一冊手に取って開き、読む。
「確かに好事家は刺激されるかもしれない。これを世界中に売りに出せば相応の資金になるだろう。だが、そんな平凡な理由はどうにも納得できない。非凡な存在に似つかわしくない」
「ジブンもそれには同感です。本を読めない身ではありますが、鍵を掛けた理由として原本を保存していたからはあまりにも理由として弱いように感じます」
「まだまだ内部は広いんでしてよ。入って早々に色々と決め付けてはなりませんわ」
「っつーことは、この書庫にはまだ秘密がありそうってことだな」
まずどこを調べるべきか。右からか左からか、それとももっと前進して奥の方を探るのか。そういった一切の判断を全員がイェネオスとエレスィに求めてくる。
「手分けをするのが効率的ですが……」
「もし、原本と異なる物が本のように扮していた場合、助けに入れないかもしれない。非効率的だけど、ある程度は固まって動きたい。ただ、全員で一冊ずつ調べるのはあまりにも非現実的なので、棚を単位として一つ一つ調べたいと思います」
本棚はとても長い。そこを全員で一列になって調べる。そうすれば極端に離れることはなく、そして誰かが『賢者』の罠に引っ掛かることがあっても左右にいる者が助けに行ける。エレスィの提案は筋が通っていたため、誰も不満を零すことはなかった。
イェネオスは棚から本を取り出さないまま背表紙を一冊一冊丁寧に見るのだが、エレスィは背表紙を流し見する程度で済ましている。それだけ本の知識を持っており、背表紙の題名だけで内容まで分かっているのだろう。
「どうにも違いが分からない」
ガラハがポツリと零す。妖精が彼の頭上に乗って、手で叩きながら応援している。
「ワタシたちにゃ、本を一冊一冊見て行ったところでなんにも分かんねぇだろうな」
「目が回ってきたのう」
「書類を見るよりは簡単ですよ」
クニアの弱音には必ずカプリースの一言が入る。「うるさいのう」とクニアは呟きながらも反骨精神でもって棚を見る作業に戻る。
「効率としてはさほど変わらないのかもしれません。安全性は抜群なのですが」
イェネオスも背表紙を眺めるのが嫌になってきたので調べ方の変更を検討する。
「単純に魔力感知と気配感知、罠感知などの技能を用いて不審な本を探るのはどうですか?」
「有りだな。クルタニカはどう思う?」
「確かに、この人数でも全てを見るのは不可能でしてよ。『賢者』が魔の叡智を極めたエルフであるのでしたら、隠し物を触られないようにするなら魔力を用いた方法で行うと思いましてよ」
カーネリアンはクルタニカに同意を求め、彼女もイェネオスの提案に乗る意思を見せる。
「私の提案をエレスィはどう思いますか?」
「面倒事を簡略化するのは良いことだけど、同時になにかを見落としかねないことだけは頭の片隅に入れておいてほしい。でも、概ね了解だよ。僕もこの作業はどうにも手間暇の割に見合った情報や知識が入ってこないなと」
「あなたは大抵の本を背表紙を見ただけでその内容まで分かるんでしょう? だったら、それはあなたに任せてしまってよろしいですか? 私は魔力感知に努めます」
「なら、ざっくばらんに見て行こう。こういうのはエルフの役目だと思う」
「私も大体は分かるから手伝うよ」
ヴィヴィアンがエレスィに進言し、彼は素直に肯く。二人が棚の流し見を始めたところで、イェネオスは魔力感知に意識を集中させ始める。
「ジブンたちは罠感知ですね」
セレナがそう言ってノックスと共にパーティからは離れすぎないところで立ち止まる。
「わらわとカプリは魔力か?」
「でしょうね。気配感知にも少しだけ手を貸しますが」
「わたくしも魔力でしてよ」
「私はドワーフと気配の方か」
「オレはそこまで得意なわけではないがな。敵意や害意には敏感だが」
妖精がガラハの頭上でなにやら主張する。
「スティンガーは魔力の方が得意だろう? 分かっているとも」
そう答えると妖精は満足げに飛び立ち、書庫内を高所から見渡す。
「私も気配というよりは殺意や殺気だな。エキナシアは気配と魔力のどちらにも回そう」
任された、という顔を僅かに見せて機械人形が周囲を探り出す。
全員での書庫探索は様々な問題を抱えつつも、少しずつだが進む。棚に備わっていた梯子も軋みはするが体重を掛けても板が折れないため活用し、背表紙すら見えない上方の本をエレスィとヴィヴィアンが調べていく。
「左に行けば行くほど暗くなるな」
「日差しの関係でしょう。とはいえ、火起こしはできませんから魔法で灯りを用意しましょう」
「わたくしに任せてくださいませ。“灯りよ”」
クルタニカの魔力によって生み出された光球が天井付近まで上昇し、書庫全体を照らし出す。
刹那、イェネオスは唸り声が聞こえたような気がして集中を解き、仲間の反応を見る。気のせいではないらしく、すぐに視線が合ったクニアが小さく一度、肯いた。
「どこからだ?」
カーネリアンがエキナシアに問う。機械人形は黙ったまま下を指差す。
「地下……? この書庫は地下まであるのか?」
「いいや、そんな話は聞いたことがない」
エレスィが即座に否定する。
「僕は書庫に来るのは初めてだが、この日までに内部構造は同胞たちに聞いて頭に入れている。誰も地下の話なんかしなかった……です」
すっかり忘れていた敬語を意味もなく付け足すが、カーネリアンは「喋りやすい話し方にしろ」と命令とまで言わないまでもエレスィに求めた。
「えっと、だからこの書庫に地下はない……はず。僕よりももっと年上の同胞にも書庫の話は聞いたから」
では、唸り声に対してエキナシアが下を指差したのはどうしてか。カーネリアンは自身の機械人形を信じないわけではないが、この場の誰よりも書庫の構造に詳しいであろうエレスィの――エルフの言葉を偽りと断定することもなく、しかしながら一応とばかりに床板をしゃがんでコンコンッとノックするかのように叩いて確かめ始めた。
「強烈な魔力もありませんわ。気配はどうですの?」
「そういったものは全く。ただ、唸り声はオレも聞いている。数人の聞き間違いではない」
「罠っぽいのもねぇし、ついでにすぐ気配を探らせてもらったが、そんなもんもなかったぞ」
ならば、唸り声の正体はなんなのか。
「霊的存在の可能性はありませんか?」
「あり得なくはないよ。こういった古いところには霊的な存在は居付きやすいから」
セレナの問いにヴィヴィアンが肯く。
「カプリはどう思うのじゃ?」
「霊が唸ったからって、手練れのガルダがピリつくのは過剰な反応では? 相応に、そして本能的に無視できない唸り声だから居場所と正体を突き止めようとしているのだと僕は思いますけど」
「そうだな。霊に怖がる歳でもない」
「昔は怖がっていましてよ」
「昔の話を持ち出すな」
「あー、話が逸れるからやめろそういうの。とにかく僕は霊的存在と結論付けるのは早計だと思う。そもそも、書庫に入ってすぐに唸るならともかく、どうして調べ始めてから唸って…………いや? 『灯り』の魔法を詠唱してから…………か?」
カプリースが天井を見上げたため、イェネオスも同じく上を向く。
「光球が薄らいで行っているような」
「え、おかしいんでしてよ。わたくし、魔力はずっと維持させて」
そう言ってクルタニカも天井を向く。
「魔力の繋がりが断たれていましてよ。わたくしの魔力が届きませんわ」
光球が小さく萎んで、やがて小さく火花のように散って消える。
「“灯りよ”」
再びクルタニカは『灯り』の魔法を唱えるが、光球が生成されることはない。
「これは、詠唱封じ? ボルガネムで確か、そのような魔法陣を見ました」
「詠唱封じは詠唱そのものを封じるんでしてよ。もしそうであれば、わたくしは『灯り』の言霊を発声することを阻止されましてよ。なのに、詠唱はできても魔法として発現しませんわ。ですからこれは詠唱封じではなく、魔力封じ。体内にある魔力を体外へ放出することを禁じられて……」
そこまで言ってクルタニカがカプリースとクニアを見る。
「水気の魔力を注ぐのはやめにして、すぐに女王様は外へと出てくださいまし!」
カプリースが言われるがままクニアへと纏わせていた水の膜を解く。続いてクニアは出入り口へと走るが、扉はいつの間にか閉じられており彼女が押しても引いても開かない。
「いつ閉じたんだ? 音すらしなかったぞ」
ノックスがクニアとは逆側の扉を同じように押したり引いたりと試みるが、やはり両扉は開かない。
「マズいね。ハゥフルの女王様の皮膚に土埃が吸着しちゃう。水気を吸われちゃったら」
「案ずるな。わらわは完全な水棲ではない」
「完全な陸棲でもないでしょ? 強がってはいけないよ。私も今、問題に直面しているからね」
ヴィヴィアンはエレスィから渡された石を見せる。溶けた鉄のように赤く輝いていたはずが、ただの石ころと変わらなくなってしまっている。
ドラゴニュートは寒さに弱い。幸い書庫内は外気には晒されてはいないが、決して暖かいわけでもない。
「死にはしないけど、あんまり動きたくないかな」
「むぅ……互いに厄介な体質を持っているものじゃのう」
「ほんとにねー」
他人事のように言っているが彼女たちにとっては生命の危機にも近しい。
「魔力封じを解く。それしかないな?」
「そうだよ、頑張ってね」
ガラハが元気のなくなったヴィヴィアンからの返事を受け、辺りを見回す。
「魔法陣はこの床下にあるのかもしれない。だったら機械人形が指差したことにも説明できる」
「いいえ、その限りじゃありません。私はアレウスさんから奴隷に詠唱封じと技能封じの魔法陣を刻んだ『悪魔』の話を聞いています」
「人間に? 生命力を媒介にしているということか?」
「錠前の魔法陣もそうでしたが、地面や床に敷くだけが魔法陣ではないようです。だから、もしも魔力封じの魔法陣がこの本の中のどれかにあるとしたら」
「数千冊、いや数万冊はあるこの本から魔力封じの魔法陣が描かれた一冊を探し出す? そんなことできないだろ」
エレスィはイェネオスの説明を受け、本棚を見上げる。次第に眩暈を覚えたのか彼は立ち眩む。
「気配でも罠でも魔力でも、そのどれでも感知できてねぇ中で魔法陣とやらを見つけろって?」
「魔力封じを隠匿している魔法陣もあるはずでしてよ」
「滅茶苦茶だな。でも、出られねぇってんならやるしかねぇ。ハゥフルには以前に迷惑を掛けちまったし、その償いだ。そこのドワーフにも群れから追い出されてからはなにかと良くしてもらってるしな」
「姉上がそう仰るのであれば、ジブンも従うまでですが……どのように探しますか? 気配もせず、罠にも思えず、魔力すら発していないというのに」
「さぁな。なんも思い付かねぇ」
数万冊に及ぶ本に魔法陣が仕込まれているのか、それとも全く別のところか。そして唸り声の正体。
時間はあるが無限ではない。
「エキナシアならできるかもしれない。いやなに、先にエキナシアに言われる前に言っておかないと私は応じなければならない。先回りして発言しておきたかった。だが、やらせてみるのも手だが」
「スティンガーもなにやら騒がしい。任せてほしいのだろう」
決定を求められる。
自分たちの種族では及ばないことも、他の種族ならば及ぶかもしれない。アレウスはそのように言っていた。妖精はともかく機械人形にさえこの状況を委ねるのはエルフとしての信条、そして心情としては揺らぐものがあるのだが。
「よろしくお願いします」
その揺らぐものを胸の奥にしまい込んで、イェネオスはそう言った。
彼女の了承を得たことで妖精と機械人形が書庫を自在に動き回る。一方は飛び回り、もう一方は走り出す。書庫は本棚が規則的に並んでおり幅も狭いため、ただ走るだけでは小回りが利かずに曲がり角で正面の本棚に激突してしまう。しかし、エキナシアはイェネオスがまばたきを忘れるほどの速度でありながら決して激突も衝突もすることなく、さながら電撃のようにカーネリアンが許可したのであろう範囲を駆け抜ける。そして人ならざる跳躍を行って棚から一冊の本を抜き取って着地し、戻ってくる。スティンガーもまた強く発光してアピールし、ガラハが梯子を使って妖精の指差している本を抜き取った。
「一冊は隠匿の魔法陣で、もう一冊は魔力封じの魔法陣。それで間違いないか?」
エキナシアにカーネリアンが訊ねると肯いてみせた。なので彼女は躊躇いなくガラハの持つ本と機械人形が持つ本を閃光にも似た瞬撃でもって断ち切った。
「……ありゃ、意外と早かったね。もうちょっと休憩したかったなー」
ヴィヴィアンの握っている石に熱が戻る。カプリースがクニアに触れ、彼女の表皮を水の膜が覆う。
「阻まれずに魔力が流せる。助かった、ありがとう」
「貴様も礼は言えるのだな」
「そりゃ一大事を解決してくれたら僕だって感謝はする」
カーネリアンの冗談にカプリースが語気を強めて答える。本気と捉えられたことに「茶化しただけだ、気にしないでくれ」と彼女は伝えていた。
唸り声が先ほどよりも強く、書庫に響く。
「相変わらず扉は開かねぇぜ?」
「『灯り』の魔法を使うこと、そして魔法を阻害する魔法陣の発動。それを阻止することも『賢者』の術中であるのなら、オレたちは未だ手の平からは逃れ切れていないのだろうな」
ガラハはスティンガーにお礼をするかのように指先で頭を撫でて、妖精はとても心地良さそうにしている。
「だが、入られることが不測の事態だからこそだ。術中にハマっていようと、オレたちはここまでして隠そうとし続けている『賢者』の秘密を見つけられるだろう」
「ですが、秘密を見つけたところで外に出られなければ同じこと」
セレナが空間を叩く。しかし、叩いたところで空間にはなにも生じない。
「このようにジブンの『闇』を渡る能力が使えない状況は変わっていません。魔力封じが解けているはずなのですが」
「移動、或いは転移に関する魔法は封じられたままなのかもしれませんわ。わたくしもさっきから風を纏えません」
クルタニカは風を軽く起こしてはいるものの、纏って浮遊できないことを示す。
「機械人形や妖精は条件から外れているんだろうね。多分だけど、『賢者』は人間を指定している」
ヴィヴィアンが体温の上昇に伴って立ち上がった。
「ありがたいね。阻害されているんだとしても、どんな魔法なのかそれとも魔法陣なのか。そんなのは措いておいて、私たちは人間として認識されているんだから」
その一言はノックスやクニアの沈んでいたやる気を取り戻させ、一同は改めて書庫の調査を再開する。




