α-1 五大精霊の戯曲
α
「私たちをパーティリーダーにしたのはアレウスさんの優しさでしょうか」
森を進んで一日半が過ぎた。あと数分もしない内に書庫には辿り着ける。この間に特に問題はなかったが、同時に食事を囲むことはあっても交流を深める機会もなかった。誰もが様子を窺い、誰もが腹を探っている。不和は起こっていないが、友好もない。多少の会話はしても、発展がない。
あのヒューマンは交流における潤滑油だった。他種族との間に挟めば適度に会話が繋がる。それができないのは、あのヒューマンへの好感度の高さの表れだ。つまり、アレウリスを信じていてもアレウリス以外を信じていない。交流があった者同士は問題なく話ができているが、アレウリスを挟んでの会話しかしてこなかった者たちの間では全く会話ができない。
「だろうな。エルフの森でエルフが従えていないのは不満を募らせると思ったんだ、きっと」
しかし、それの解消に拘っている場合ではない。エレスィもそのことは分かっているようだ。
「期待には応えなければなりませんが、私たちは他種族の得手不得手をあまりよくは知りません」
「それも含めてだよ。アレウスさんは俺たちに対話することを求めているんだ。エルフの持っている知恵、価値観だけで解決しようとせずに持っていない知識であるのならちゃんと周囲と会話して解決策を探すようにと」
「頑張りましょう」
「ああ」
森を先導するイェネオスとエレスィはアレウスの思惑を汲み取り、互いに認識を共有して意気込む。
「そういえばカーネリアン? エキナシアはどこにいるんでして? わたくしがちゃんとここまで連れて来たはずでしてよ」
「エルフを刺激させない程度に辺りを歩き回らせている。集合地点にいなかったのは警護させていた。私たちが襲われたときにエキナシアが身を挺して守るようさせていたが、不要だったな。戻らせるか」
カーネリアンの言っているエキナシアとは機械人形のことだ。ガルダは自身の刀に『悪魔の心臓』を打ち込んでいる。絶大な力を得る代わりに、常に機械人形に身も心も監視される。聞いた話では、機械人形に三度応じてしまうと『悪魔』に体を乗っ取られてしまうらしい。
そんな危険な存在を集合地点で傍に置かなかったのは彼女の判断は正解だったとイェネオスは思う。あのとき、ほぼ全てのエルフは巫女の声を聞いているだけでなく、他種族が集ったその場所を睨んでいた。『悪魔』になるかもしれない存在まであそこに混ざっていたなら、不満は抑え切れなくなっていたかもしれない。
「歩き回らせている、か。それはそれで森を穢したと思われそうだな」
「私たちはともかく、他のエルフが……ですね?」
「俺も少し嫌な気持ちになった。だが、こういった感情を抑制しなきゃならない」
「……いいえ、吐き出せるときに吐き出しましょう」
イェネオスはエレスィにそう言ってから振り返った。
「カーネリアンさん」
「なんだ?」
「機械人形――エキナシアさんを自由気ままに歩き回らせるのは控えてください。森を穢されただけでなく好き勝手に歩かれていることに腹が立ってしまうので」
「論理的じゃないが、エルフの森における決まりかなにかか?」
「決まりはありません。今までこれほどの数の他種族を森に入れたことはありませんから」
「なら、私たちの行動に制限を掛ける理由はなんだ?」
「私やエレスィの感情です。自分の故郷を不穏な魔力を発しながら好き勝手に練り歩かれるのは困ります」
途中でエレスィが「言い過ぎだ」と呟いたが、構わずイェネオスはカーネリアンへ言いたいことを言い切る。
「……なるほど、気が付かなかった。すぐにエキナシアを戻し、目の届く範囲で留まらせる。すまなかったな、私の不注意で我慢を強いた」
「私たちも自分たちの感情を抑え込むことが正しいことだと言い聞かせていました」
「不満は爆発する前に吐き出すのは賢明だな。だが、私たちも似たようなことを貴様たちに求めることもある。理不尽なことは言わないよう心掛けるが、そのときは考慮してくれるんだろうな?」
「ええ。だってそれが、」
「対話でしてよ」
クルタニカがイェネオスの一番言いたかったことを先に言って取ってしまう。
「頭を一発、叩いてもいいぞ。親友の私が許す」
「親友をなんだと思っているんでして?!」
「だったら少しは控えたらどうだ?」
そうこうしている内にカーネリアンの元にエキナシアが戻ってくる。その後、クルタニカとの三人一組にノックスとセレナが付いて行く形となった。
「君のその先走った行動力を僕も学ぶべきなんだろうな」
「エレスィはそのままでいてください。でないと二人揃って止まらなくなってしまいます。私はあなたが後ろで留まってくれているから話をしようと思い立つことができたんですから」
「あまり僕を制止役にしないでくれ」
「気を付けます」
その言葉は本心から出ているのかとエレスィに怪しまれたがイェネオスは沈黙で応じた。すると彼は諦めたように溜め息をついて先を行ってしまう。機嫌を悪くさせてしまっただろうかと思いつつ彼の背を追い掛ける。
「やぁ、エレスィ殿とイェネオス殿」
書庫が見えてきたところで同胞と落ち合う。
「首尾はどうだ?」
「ええ、何人かは私たちの方で対処しました。こやつらは木の芽さえ断ち切れば気を失います。ただ、それで『賢者』の支配から逃れられたとは考えにくい。また芽が生えれば、起き上がるでしょう。かと言って、種子を取り除こうとすれば肉体の奥まで抉り取らなければならず、恐らくはそれが原因でほとんどの者は死んでしまうでしょう」
倒れているエルフの肩には木の芽の痕が見える。種子は『賢者』が撒いたもので、肩に限らず肉体のどこからでも生えてくる。木の芽によって支配されているエルフはどのような話も通じない。ただし、種子を持つ者同士ではコミュニケーションが取れているらしく、また『賢者』の命令にも従順である。切ってしまえば気を失うが、すぐに目を覚ますこともない。一種の仮死状態である。
「この場から連れて行き、拘束。その後、警備の者に任せる感じか」
「そのように手配します。それで、彼らが……?」
同胞は二人の背後にいる他種族たちを見て、やや困惑の表情を見せる。
「巫女様から話は聞いているはずです。決して言葉や武器で傷付けたりしてはなりません」
イェネオスは同胞がなにかを言い出す前に警告する。
「承知しております。しかし…………難しいですな。感情を上手く制御できておりません。私はこの場におってはならなんでしょう。どうにも抑え込める自信がありませんので」
「そう、ですか」
「心配なさらんでください。私が障害になり得るのであれば、自主的に立ち退くのみと判断したまでのこと。巫女様から総動員による戦闘を命じられたならば腹を括りましょうぞ」
つまり、命じられない限りは共に戦いたくはないということ。そのようにイェネオスは受け取るものの、核心を突くことが不和を呼び寄せることに繋がるため黙ったまま肯いた。
「私の指示でほとんど書庫を警備していたエルフは誘き出し、その芽を断っております。周辺も隈なく捜索しておるので、書庫の鍵を壊す際に邪魔をされることはないでしょう。では、一足先に後方へ控えさせていただきます」
同胞は芽を断って気を失っているエルフを抱え、木の枝へと飛び乗り、そのまま木を伝って立ち去った。
「着きました。ここがエルフの書庫となります」
エレスィが後方の仲間たちへとそう告げる。
イェネオスも話には聞いていたが、こうして現地で見るのは初めてだ。エルフが誕生してから今に至るまでのありとあらゆる事象や歴史、魔法の全てが書物として納められている、まさに叡智の結晶とも言うべき場所。木々に侵食されているように見えるが石造りの建物は頑丈で荘厳。蔓や蔦が絡まっていても物もせず、一切の欠けも朽ちている様子も見られない。
「大きい……」
呟いてしまう。小さな建物のイメージだったが、恐らくエルフの森にある建造物で一二を争う大きさではないだろうか。しかし、神域の住居は大樹を削るなどして作り上げたものであるため、全くの一から築き上げた構造物と呼ぶのならこの書庫が一番に違いない。
見上げたところに見える大時計の針は動いていない。装飾なのか、それとも動いていた時代もあったのか。確かめる術は、中に眠る書物を読むこと以外にはないだろう。
全員が建物の大きさに驚きながらも門扉の前まで移動し、そこに掛けられている魔法陣を見る。通常、魔法陣は地面や床に敷かれる物だが、これは門扉に貼り付けられているような形で展開している。
「悪魔信仰に似たものを感じる。あれも地面だけに限らず壁にも魔法陣を描く」
「ただの紋章や印ではないみたいですね」
エレスィとイェネオスが魔法陣を見ながら言葉を交わす。
「大詠唱を用いた際に見る魔法陣に似ていましてよ。木、火、土、金、水の五大精霊を円環に、中心は光と闇を据えていましてよ」
クルタニカが前に出て触れようとするが、その手をすぐに引く。
「許しを得る前に手を出してしまいそうになりました。申し訳ありませんわ」
「……いや、魔法に詳しいのなら見てくれて構わない。ただ、触るのはやめておいてください」
どのような罠が仕掛けられているか分からない。エレスィの言葉の真意を察し、クルタニカが「分かりましたわ」と答えて下がってから魔法陣を眺める。
「古めかしい記述を用いているね。久し振りに見たよ、こんな古代の魔法技術」
ヴィヴィアンが呟く。
「今じゃ廃れて、誰も使わないし書かない。と言うか憶えていないんじゃないかな。これ、『精霊の戯曲』で開錠するようには確かにできているけど、作った側もそんなのできっこないっていう自信に満ちている。多分だけど作った本人も開けられないんじゃない?」
「つまり『賢者』は書庫を支配して叡智を独占していたのではなく、開かずの扉を作ることで誰一人として利用できないようにした、と?」
「だと思うよ。『神樹』もそうだけど、この書庫も建造物としての力の入れようからしてエルフの象徴。壊したら大変なことになるから、こうしたのかな」
書庫を壊さない理由はおおよそイェネオスたちが考えていた通りのようだ。
「ほら女王様、出番ですよ」
「歩き疲れたのう」
「普段から運動を控えていらっしゃるせいですよ。運動不足の解消に丁度良いではないですか」
「国務に追われて運動する暇などないわ!」
カプリースにクニアが愚痴を吐露している。
「それで、どのように回しますか?」
これまでイェネオスたちに付いていた同胞が問いかけてくる。
「火、木、土は私たちエルフが」
「ですが、回し方によっては周囲に甚大な被害を及ぼしかねません」
三人はそう進言してくるが、イェネオスはピンとは来ない。
「『精霊の戯曲』は指定できない範囲だろ? 詠唱者を中心に半球状に広がるんじゃなかったか?」
ノックスがそう言うと、三人の同胞がキッと彼女を睨む。
「悪い。ワタシたちは遠目で見ておくから」
「いえ、教えていただきありがとうございます。そうですか、半球状の範囲……」
「つまり、周囲の森を巻き込んでしまう……か」
エレスィは周囲一帯に生い茂る森を見やる。
「属性相性は水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に。回し終えたあと、開錠できても森が燃えたり建造物が壊れる可能性があるということですか」
「書庫全体は魔法陣によって防護されていましてよ。でも、書庫以外は守られていませんわ」
「……では、水を最後にするのはどうでしょう。火による延焼は森に甚大な被害をもたらします。それを水を最後にすることで消火して解決なのでは?」
クルタニカの分析を聞いて提案する。全ての『精霊の戯曲』は回していれば相性によってほぼ打ち消せる。
「ですが、水を最後に回せば私たちは泳げませんので……」
ああ、とイェネオスは察する。
水で終わらせれば火を消すことはできる。しかし水の奔流はエルフたちを押し流してしまう。そうなれば泳げないエルフたちは全員、溺死してしまうだろう。
「わらわの『精霊の戯曲』は水中ならともかく地上では円状であるぞ? 高台におれば巻き添えは喰らうまい」
「なら、木の上で待機するのはどうだ?」
「『精霊の戯曲』は舞踊です。木の上では行えません。それに、ハゥフルの言うことをそのまま信じてよいのでしょうか。火の範囲を消火するのなら、水もまた同様に発生するのでは……」
エレスィの提案は即座に却下される。しかし、木の上にいれば水に押し流される不安はほぼない。もしもクニアが言った通りに水の『精霊の戯曲』が円状に広がるのならの話だ。もしも半球状に広がるようなことがあれば、高台にいても助からない。
「クニア様の『精霊の戯曲』では燃える枝葉まで届かない。だから僕が辺り一帯に雨を降らして消火させる」
カプリースは手元に魔力を収束させながら言う。
「高台や木の上に逃げるのなら、大事なのは最終的に火の『精霊の戯曲』を踊り終えたエルフをどのようにして逃がすかだ。直後の火属性担当はともかく、他の属性担当は踊り終えたあとに逃げる時間ぐらいはあるはずだ。で、実はもっと大事なことがあるんだけど、」
「『精霊の戯曲』によって生じる五大精霊の波濤を私たちはどうやって凌ぐか、だな?」
カプリースの言葉を先取りしてカーネリアンが言う。
「その通り。打ち消すって考えはあくまで正面――書庫へ向けての場合。僕たちは後ろで控えていて、たとえば土のあとに木を踊っている間、僕たちは土属性の波濤に脅かされる。それを凌いでも、次は木属性の波濤に苦しむ。それも火属性の『精霊の戯曲』が発動するまで。それを五回繰り返すのは、誰でも耐えられない。これはどうする?」
「なんだか難しいことを考えているんだね。私はそんな難しく考えなくていいと思うけど」
ヴィヴィアンが魔法陣を大体は把握したのかイェネオスたちのところまで下がってくる。
「ほぼ同時に踊ってしまえばいいんだよ」
「同時……です、か?」
その言葉に同胞が驚く。
「幸い、書庫の周辺は開けている。前庭だったんだろうね、今じゃ跡形もないけど。これだけの広さがあるなら、五人が同時に『精霊の戯曲』のために踊っても干渉し合うことはないよ。大事なのは発動の瞬間をほぼ同じだけど順番があることと、全員のステップがこの場、この中心に集まるようにすること。土を木が吸い取り、木を金が断ち切り、金を火が溶かし、火を水が消す。この順番が完璧なら最後の水の波濤以外で起こる被害はほぼゼロ。まぁ、私たちがどうやってそこから水の波濤から避難するかなんだけど」
ヴィヴィアンはクルタニカを見る。
「あなた、風魔法も唱えられるでしょ? 私たちを足元から真上に風で打ち上げてくれない?」
「できないことはありませんわ。ただ、魔法にそのようなものはないので、かなり雑な感じになりましてよ。魔力をそのまま風に変換して打ち上げる感じになりますわ」
「それで十分。水流に飲まれさえしなければ、あとは着地の問題だけだからね。そこのところは各々でどうとでもなりそうだし」
「簡単に言ってくれるのう。わらわたちが五人揃って相性を考慮してズラながら踊って、書庫前のこの中心で発動の最後の一踏み」
「できない?」
「そのように言われたならば、やらんわけにもいくまい? 『精霊の戯曲』はどれも舞踊の長さはほぼ同じ。火と水を同時に衝突させると水蒸気爆発を起こすことはわらわが経験済みじゃ。ズラさなければ、そういった相反する力の衝突にわらわたちは飲まれるぞ」
エルフの同胞たちをイェネオスは見る。正気か、と言わんばかりの視線でヴィヴィアンとクニアを見ている。
「やるしかありません」
イェネオスは同胞にそう伝える。
「もっと良い手立てがあるのでは?」
「あまりにも力技が過ぎると思います」
「我らが叡智を束ねれば、このようなことは最低限の魔力で済ますことができます」
「叡智を束ねた結果、僕たちは力を合わせるんだ。もっと時間を掛ければもっと良い方法は確かに見つかるかもしれない。けれど、彼女が提案した方法が最も単純で、最も分かりやすい。危険は承知の上のはずだ」
エレスィが三人に言い聞かせる。
「私は三番目。土と木はズラすのは簡単そうだけど、私の次を担当するエルフが不安になるのは分かる。でも、こっちは感覚で合わせられるから安心して。伊達に無駄に長い人生を生きていないから」
「エルフの私に寿命で対抗すると?」
「当たり前じゃん。私は神代を知る者だよ? あなたたちなんて、やっと足で立って歩くようになった幼児と大差ないよ。ああ、これは別にあなたたちを馬鹿にしたり見下したりしているんじゃなくって、生きてきた長さで言えばそんな感じってだけ」
一瞬だけ見えた竜の瞳に同胞が息を飲む。そして「分かりました」と呟いた。
「一応、書庫周辺に結界を張ります。どのようなことが起こっても、書庫周辺のみの被害に留まらせることができるかと」
他のエルフがイェネオスにそう伝えたので、ガラハの元へと行く。
「ガラハさん、治水については詳しいでしょうか?」
「多少は頭に入っている。山で河川の流域は常々に意識しなければならないからな」
「この周辺の地形から見て、どこに水が流れれば被害が抑えられるか調べてくれませんか?」
「それぐらいなら。しかし、川へと繋ぐようにしても下流域には鉄砲水が押し寄せる」
「そのように伝えて避難してもらいます」
イェネオスは目配せをし、エルフの一人がすぐさま通達するため下流域に向かった。
「あ、ガラハ? 『精霊の戯曲』を踊っているときに私を見るのは駄目だから」
「どうしてだ?」
「そりゃ精霊に嘘をついたままじゃ『精霊の戯曲』は踊れないからだよ。あなたに本当の私を見せたくないんだよね」
「……そこまで言うのなら」
「以前に比べてすぐに引き下がってくれるじゃん。いやぁ、あのヒューマンと会ってからガラハは良い感じに変わってくれたなぁ」
ご機嫌な様子でヴィヴィアンが離れていく。
三人のエルフとヴィヴィアン、クニアが書庫の前庭でそれぞれ五方向に大きく距離を取った。互いの舞踊に入らないギリギリであり、しかしながら終わりの一踏みは全員が互いの舞踊をズラしながら重ねなければならない。その最後のステップを五人は複数回の練習で何度も何度も確かめていた。
「水は北西に流した方が川へと繋がるだろうな」
「では、そこだけ結界に穴を空けるように」
エレスィが指示を出す。
「じゃぁ俺はヴィヴィアンに言われた通り、少しだけ離れたところで水が上手く流れるかどうか見ておこう」
そう言ってガラハが森の中へと消える。
「ハゥフルの女王様。あなたの『精霊の戯曲』で起こる水流は海水でしょうか、それとも淡水でしょうか?」
やや緊張気味にイェネオスがクニアに訊ねる。
「ここで海水など流せば樹木が枯死するだけでなく塩害で植物の生えない不毛の大地になってしまうぞ? 川魚もほとんどが死滅してしまうのじゃ。安心せい、わらわとてその辺りは把握しておる。以前にここに訪れた際に見ておるはずじゃが」
『賢者』との戦いで突然の手助けとして現れたハゥフルの女王が水流を起こして支配されたエルフをほぼ一掃した。
その後、森林や近場の川で泳ぐ魚たちへの被害は出ていない。彼女が水魔法を制御できていると分かっていても、聞かずにはいられなかった。
「まぁカプリにやらせていたら駄目だったじゃろうな。カプリのアーティファクトは海水寄り。使わんようには言うておるが、もし使いそうになったら殴ってでも止めてやってくれ」
「……殴ってもよろしいのですか?」
「たまに殴ってやらんとカプリは責任を背負いたがるのじゃ。自己犠牲はもう勘弁なのでな。共に歩かねば、国は成らん。わらわはそう考えておる」
意外な言葉を聞いて、クニアの心情を知ったイェネオスだったがこれ以上、ステップの練習を邪魔しては悪いと思ってなにも言わずに後方へと控えた。
クルタニカが空へと飛び風魔法を、カプリースが木の枝の上に乗って水魔法を発動できるように整える。他の仲間たちも樹木の上や巨石の上へと登り、状況を見守る。
「“どいた、どいた、どいた。大地を踏み固めた僕らのお通りだい”」
エルフの同胞が踊り出す。大地を鳴らすかのように強い踏み込みと、子供のような大胆な幅でのステップを踏む。
「“おやまぁ、英雄様のお通りだ。道を開けてはくれないかい?”」
「“起きろ、起きろ、起きろ。日差しを浴びて我らが撒いた種よ、今こそ芽吹け”」
少しズラして二人目の同胞が踊り出す。周囲の樹木から生命の力強さを感じ取るような穏やかな足運びを行っている。
「“そのように急いでどうされたのですか?”」
「“磨け、磨け、磨け。記憶が錆びないように磨き上げろ”」
「“そうまでして忘れたくない想い出がありましょうか?”」
更にズレてヴィヴィアンが溌剌とした声を上げながら、そしてドワーフ然とした姿から誰の目でも分かるドラゴニュートの風貌へと変わって、華麗に踊る。
「“燃えろ、燃えろ、燃えろ。今宵は熱く燃え上がれ”」
やや遅れて、三人目の同胞が踊る。その遅れに対してヴィヴィアンが足運びを調整したのがイェネオスの目に移る。
「“とても素敵な夜になりそうね?”」
「“抜けろ、抜けろ、抜けろ。此度の水を得るために、走り抜けろ”」
クニアが歌劇のように与えられた空間を大胆に用いて独特な足運びを取る。鮮やかにして、目を惹くほどの綺麗な立ち回りだった。
「“どうか、この体を満たしてはくれないか?”」
「“ほぅら僕らがこの大地を創ったんだぞ”」
「“えぇ、えぇ、そうですとも。だからこそ、ずっと踏み鳴らしてくださいな”」
「“勿論さ。僕らが踏み鳴らすこの道も、きっと誰かの最初の一歩となるんだ”」
「“我らが急がなければ、誰も種を撒けなくなってしまうのだ”」
「“ですが、急がれてはこの生い茂る緑を見ることさえ忘れてしまいますわ”」
「“あぁ、あぁ、命尽きようともこの木々はどうか永遠であれ”」
「“俺が忘れちまったら、あいつのことを笑って話せる奴がいなくなっちまうのさ”」
「“それは、英雄のような方だったのですか?”」
「“いいや、ロクでもない奴だったよ。それでも俺はあいつのことが大好きだった”」
「“ああ、今日の華麗なステップには猫も驚いて足を止めるだろうさ”」
「“このまま見惚れさせて、今宵は熱に酔わせてしまいましょう”」
「“ええ、こんな濡れた体でよいならばお付き合いしますわ”」
「“あなたの肌に触れることができるのなら、命の水すら差し出しましょう”」
「火と水の詠唱が速いような」
「その二つは一つ詠唱が省略されている。喪失したままでしか書物に残されていないから、エルフですらその抜けている詠唱を知らないままなんだ」
イェネオスの呟きにエレスィが答える。
「でも、火と水の担当が遅めに詠唱しているから問題はなさそうだ」
そして、全員の最後の一踏みが中心に至る。しかしその一踏みは練習通りのズラしが入る。
「“揺るぎない大地の序曲”」
「“生い茂る樹木の挽歌”」
「『輝く鉄火の詠嘆曲』」
「“情熱なる炎の円舞”」
「“満たされた水の追復曲”」
五大精霊の全ての『精霊の戯曲』がほんの僅かな時間差と共に発動する。大地から天を穿つような土塊が隆起し、樹木が一斉に周囲へと生い茂ってそれを阻止し、周囲を一掃する火花混じりの鋼の破片が樹木を断ち切る。それらの鋼を放出される炎熱が溶かし、隆盛する炎を円状に広がる水流が一気に消し去る。五人は最後の水流に飲まれる前にクルタニカの起こした風圧で上空へと押し上げられ、消し切れていない炎はカプリースが豪雨によって鎮火させる。
「凄まじいものを見せられたな」
エレスィは刹那の五大精霊の戯曲に心打たれ、そう呟く。
「それで、錠前はどうなった?」
そして彼は書庫の門扉を見たのでイェネオスも自ずと視線がそちらに向く。
魔法陣は五つの『精霊の戯曲』を受けてほぼ消失している。これなら開けるのも容易いだろう。
「まだでしてよ!」
動こうとしたイェネオスはクルタニカの声を聞いて止まる。
「まだ、残っていましてよ!」
魔法陣はほぼ消えているのだが、中心の光と闇を表す紋様が消えていない。
「光と闇に戯曲はあるのか?」
カプリースが訊ねてくる。
「あれをどうにかしないと半端に魔法陣を壊したことで、込められていた魔力が爆発を起こすぞ」
「別に両方じゃなくても構いませんわ。光と闇は相互に相反し、相反しないんでしてよ」
「ですが、光と闇に『精霊の戯曲』なんて聞いたことがありませんし、見たこともありません」
首を横に振り、エレスィを見る。しかしエレスィもまた首を横に振った。
「存在しないんです。その二つの属性は五大精霊とは異なったところにあるものですから」
愕然とするイェネオスの横を二人の獣人が駆け抜けていく。
「ワタシたちは『精霊の戯曲』なんざ知ったこっちゃねぇが」
「『闇』ならいつも手元にあります」
門扉の前でノックスとセレナが両手を繋ぐ。
「「善悪の彼岸より語れ」」
グニャリと景色と門扉の前で生じていた光の塊が捻じれる。
「「『深淵』」」
生じた強烈な力場が光の塊を飲み込むほどの暗闇と化し、光と闇が交錯してやがて魔法陣に残っていた二つの紋様が掻き消える。それを見て、二人が力場を解いて、その場で息を切らす。
「素晴らしいですわ。地上を走ることしかできないと思っていた獣もなかなかやりますわね」
「空を飛ぶことでしか強がれない鳥がなんか言ってるな」
「姉上、そのような不和を起こすような言葉は」
「良いんだよ。あいつはこう返すことを望んでいた」
風圧で飛ばされていた同胞やクニア、ヴィヴィアンが更に風魔法によって地上に柔らかく着地する。
「どう? 最終的には上手く行った感じ?」
ヴィヴィアンはドワーフのような体躯へと戻りながら訊ねてくる。
「ええ、皆さんの協力でどうにか」
「あ、スティンガー? もうガラハを呼んできていいよー。でも、私の踊りについては内緒だからね」
妖精が肯いて、ガラハの元へと向かう。
「最後の最後で獣人の姫君に救われましたね」
「僕たちが、いや巫女様が許容してくれていなければ魔法陣の錠前を解くことはできず、書庫諸共この周辺は……」
「恐らく、『賢者』は分かって仕込んでいたんでしょう。どんなに五大精霊の戯曲を揃えても、光か闇のどちらかの使い手を連れて来ることはできない、と。『光』がどこにいるかは分かりませんが、『闇』は獣人の手にあるからこそ、余計に」
アレウスが説かなければ、錠前は外せなかった。あの少年の繋いできた絆によって救われた。
「けれど、力を合わせるとはこういうことだけじゃないはずだ」
「ええ、これじゃ力を合わせたのではなく力を借りただけ。もっと私たちは分かり合わなければなりません」
できるかどうかは分からない。
しかし、力の貸し借りによって五大精霊の錠前を外すことができた。種族の壁を越えた成功体験は書庫の探索においても良い方向に働く。イェネオスはそう思った。




