垣根を越えて
「断ってくれればエルフとアレウスの思惑を滅茶苦茶にできたというのに」
「頼られたのであれば応えんわけにはいかんじゃろう?」
「嬉々として承諾したのが問題なんですよ、クニア様」
ハゥフルの女王――クニア・コロルの好奇心に満ち溢れた表情に頭を悩ませながらカプリースが言う。
「言っておくが、アレウス。僕はクニア様を置いて戦場には向かえない」
そんなことは言われなくとも分かっていることだが、一種の忠告のつもりなのだろう。言ったことが守られなければ協力しない。そういった姿勢を取るつもりだ。
「しかし、わらわの人生で神代の血脈を見られるとは思わなんだ」
クニアは神妙な面持ちでガラハの隣にいるヴィヴィアンを見る。
「ドワーフのフリをしておるが、ドラゴニュートじゃろう?」
そう訊ねた彼女にガラハが鋭く視線を突き刺し、人差し指を口元に当てて「静かにしろ」と言葉ではなく態度で発する。
「気を遣わせてしまったけれど、構いやしないよ。どうせエルフにも臭いでバレるんだ。そんなピリピリする必要もないよ、ガラハ」
「だが」
「あなたは私がドラゴニュートってバレたからって攻撃を仕掛けられたとしても、そんな簡単に死ぬと思ってんの?」
「今は寒冷期だ。里以外での活動は寿命を削るだろう? それにここは森の中でも特に冷える」
「内なる炎が消えない限りは問題ないよーと、心配させないように言っているけどちょっと体は重たいかも。まー死にそうなほど寒いってなったら私はそそくさと逃げ帰るよ」
やや自虐的に言うヴィヴィアンにエレスィが「でしたら」と魔力を伴った石を手渡す。
「魔力が尽きなければ熱を発し続ける石です。魔道具の開発中に偶然できた産物だそうですが、俺たちにはあまり実益がないので使い道に困っていたんです。魔力を注げば熱も維持できます」
おぉー、とヴィヴィアンは感嘆しながら石を両手で持ち、その熱をありがたそうに肌で感じ取る。
「まさかエルフから物を貰えるとは思わなかった。昔の私たちは空を飛んでいたら射掛けられて、そりゃもう大変だったから」
「ああでも、俺とイェネオス以外には気を許さないでください。寛容なのは俺たちだけです。周囲のエルフは未だにドラゴニュートを獣人同様に恨んでいます」
エルフも柔和になったのかとヴィヴィアンは喜んでいたが、エレスィの言葉で肩を落とす。
「まー仕方がないか。私たちがやったことって永遠に背負うべき罪だから。でも、ありがとうね。こんな緩やかに絶滅していく種族を気に掛けてくれて」
感謝を述べてヴィヴィアンはガラハにエレスィから貰った石を触らせる。するとガラハは飛び上がるほどの高熱に耐え切れずに石を彼女へと投げ返し、指先を自身の息で冷ます。それを見て彼女は「引っ掛かったー」と言いながらケラケラと笑う。
「姉上、もし殺気を感じた場合はジブンが作る『闇』を渡ってください」
「今まさにヒシヒシと感じてんだけどな。ここで逃げたら笑い話にされちまう。それも永遠に」
セレナの気遣いにノックスは周囲から感じるエルフの視線をどうしたものかと悩みながら答える。
「わたくしたちの傍を離れなければいいんでしてよ」
「獣人には自分の身は自分で守れと言いたいところだが、手を組むのであれば面倒を見よう」
「はっ、誰が鳥ごときに守られて……なんて、いつもなら言えるんだがな」
「はい。こうもエルフの殺意ばかりでは、強気に出たところでどうしようもありません」
「テメェの剣術は群れで見ている。もしもの時はすまねぇが頼らせてもらうぞ」
「獣人にしては賢い選択だ。だったらその誠意には応じよう」
「これだけの異種族が揃うなんて珍しいを通り越して二度とないことでしてよ。このあり得ない景色が滅茶苦茶になるなんて、わたくしは絶対に嫌でしてよ」
クルタニカの言うように、この場には世界で生きているほぼ全ての種族が揃っている。歴史的光景を目の当たりにしているのだが、エルフの獣人とドラゴニュートへの恨みの念が強すぎて諸手で喜べるような状況ではない。
「久しいな、アレウリス・ノールード。カプリからは聞いていたが、この目で見るまでは生きておるとは思わんかった」
「聞いていたのにですか?」
一年以上振りのハゥフルの女王との再会である。身長が伸び、手足に見えるヒレも以前より綺麗に発達しているように見える。だが、可憐さや幼さは残っており、未だ女王という肩書きに相応しい威厳は薄い。そのせいでアレウスは普段通りの敬語を使ってしまったのだが、彼女は笑って済ませるだけだった。カプリースもなにも言ってこない辺り、恐らく特別に許されている。
「作り話ということもあろう? カプリはわらわによく嘘を言うのでな」
相応に恨みが込められている言葉で、カプリースはクニアからのジッと睨むような視線に対して知らないフリを決め込んでいる。
「お元気そうでなによりです」
「国が育ち切るまで死ぬ気はない。死ぬ気もせん」
「それはそれは、随分と強い言葉をお使いになられますね。国務に悲鳴を上げて、いつもヒィヒィと泣いている姿を僕は何度もお見掛けしているのですが。死ぬ気がしないのであれば、もっと書類の数を増やしてもよろしいのですよ?」
「それはやめてくれんか?」
「でしたら、あまりデタラメは言わないことです。あなたは苦難を乗り越えて強いお心とお体を持っておられますが、万能ではありません。無理をなされば過労で倒れます。それはどのように健康な体を持つ若者であっても同じこと。休むべき時に休み、最善を尽くすときに最善を尽くす。出来ないことには必ず出来ないと申してください。それは心労となり、同じく倒れる要因となるのですから」
「そのように真面目なことをわらわに説くのは初めてじゃが、アレウリスの前だからか?」
「いつも言っているのに寝たフリをしていらっしゃる方を僕は知っておりますが」
「はて? 誰じゃろうな」
「ええ、誰でしょうね」
この二人のやり取りには一々、構ってはいられない。懐かしみの挨拶も終えたので「僕はこれで」と控えて、アレウスはクニアから離れる。
「あなたの交友関係は一体どうなっているのですか?」
レジーナは面々を見て、静かに驚く。
「もっと早くにあなたを観測できていなかったのが、ただただ残念です」
「色々な人に会えるのは冒険者の強みですよ。商人もかもしれませんが」
「そうやって言える時点で、私たちとは価値観が異なることが分かります」
それで、とレジーナは続ける。
「パーティの割り振りなのですが、本当に事前に言っていた分け方でよろしいのですか?」
「新王国には僕とアベリア、ヴェインとクラリエと、あとはエレオンの五人。これぐらいの人数じゃないと逆に目立ちます」
「俺を書庫組に割り振らなかったのは驚きだ。きっと種族間の橋渡し役に抜擢すると思っていたからね」
「書庫組はなんだかんだで信頼を置く人物と二人一組になれている。むしろここに一人だけの橋渡し役を入れると意見が割れたときに収集が付かない。それにヴェインは新王国での交渉役で必須なんだ」
書庫組はガラハとヴィヴィアンに始まってノックスとセレナ、カプリースとクニア、クルタニカとカーネリアン、そしてイェネオスとエレスィ。この組み合わせが確立できているのなら、難しい問題に直面しても孤立することはない。
「アレウスは私と一緒にいたくないんだと思ってた。今回も火の『精霊の戯曲』役で書庫組にするんじゃないかって」
「そんなこと一度だって思ったことはない」
「でも最近はよく別行動になるし」
「僕だってしたくてしていたわけじゃない。必要に迫られていただけだ。一緒にいられるなら一緒がいい」
「そういう惚気は二人切りのときにやってよねぇ」
クラリエがアレウスとアベリアの仲を茶化す。
「新王国組はアベリアちゃんとヴェイン君を覗いて隠密行動ができるからねぇ。目立たずに助力ならこれが最善かな。ノックスちゃんとセレナちゃんを入れなかったのが気掛かりだけど」
「ノックスとセレナはエルフの獣人へのイメージを払拭するためには書庫組には必要なんだ。あと、書庫組で認識阻害以外での隠密行動と罠感知や気配感知は二人に掛かっている」
カプリースも似たようなことはできるはずだが、絶対に拒まれる。彼はクニアを守ることを最優先にしているだろうから、罠感知も気配感知もしたがらないだろう。
「書庫の奪還のために集められたエルフが他種族に回復魔法を唱えてくれるとは思えないから、クルタニカに一存している。書庫組では彼女は攻撃にはほぼ不参加で補助と回復に徹してもらわなきゃならないし、本人もそれは自覚していると思う」
あんな風に駄目なところが見え隠れするが、冒険者としての経験も知識も全てアレウスを上回るだけでなくしっかりとパーティを見ている。自分の役割がなにかぐらいはすぐに察してくれるだろうと信じている。
「そもそもパーティを分けると決めた時点でこの分け方以外にないんだ。ヴィヴィアンとクニア様は『精霊の戯曲』で呼ばれているから書庫組からは外せないし、そうなるとガラハとカプリースは確定。ノックスとセレナは獣人代表で書庫組、クルタニカとカーネリアンは『継承者』と『超越者』の関係。そしてイェネオスとエレスィはテラー家とジュグリーズ家の威光でもって、この他種族パーティを率いる責任者。そうなると必然的に僕たちが余る」
「俺が一番の余り物じゃないのかい?」
「「それはない」」
アレウスとクラリエが口を揃えて言う。
「ヴェイン君は余ったんじゃなくってアレウス君のことだから真っ先に振り分けたと思うよ」
「さっきも言ったけど、新王国に掛け合う際にヴェインはいなきゃ駄目なくらい必須なんだよ。全員の中で、エレオンと一緒に穏便に話を進ませられるのはヴェインだけだ。分かるだろ?」
「いや分からないよ。俺はいつも普通に話しかけているだけなんだから」
その普通さがアレウスたちには欠けているのだ。交渉能力不足はボルガネムで痛感している。国を越えるのならもう絶対にヴェインは同じパーティに入れておきたい。
「私たちってヴェイン以外、人と話すのが下手だから」
アベリアが率直にアレウスが言わないでおいたことをハッキリと言ってしまう。やはり自覚していても言葉にされると胸に来るものがある。
「いい加減、その弱点は克服してくれないかい? いや、そうお願いしたってすぐには無理なことは分かっているんだけどさ」
そこでヴェインはふと思う。
「でもアレウスはなんか危なそうな相手には動じないで話せていないかい? 問題は打ち解けてからグダグダになるところだけど」
「初見の相手に見くびられたら終わりだからな。正直、二度と会わないこと前提で話しているところはある」
「だから二度三度と会うことになると初見の不遜な態度をどうこう言われないかと怯えるわけか」
「会話の着地点が見えないまま、行き当たりばったりで話してばっかりだからな」
「アレウスが時折、ワケの分かんないところで話を切るのってそういう……」
冷たい眼差しをアベリアから受ける。
「それだけじゃないよ、アベリアちゃん。アレウス君は時々、話を聞くだけの態勢になることがあるでしょ?」
「あるある」
そこで同調されるとは思わず、アレウスは恥ずかしさからかこの寒さの中で変な汗を垂らす。
「話を聞くのが上手いんじゃなくって、自分から話すことがなくなったから相手の話題だけでなんとか会話を乗り切ろうとしているってことが今のアレウス君の言ったことで判明した感じ」
「私たちが言ったことをよくそのまま聞き返すもんね」
「なんで悪口を言ってもいい雰囲気になっているんだ?」
そう呟くアレウスを無視してアベリアとクラリエは普段からのアレウスの態度についてああだこうだと話し始め、盛り上がっている。
「あの感じに入った女性たちには口出し厳禁だ。もしも論じようものなら袋叩きに遭う」
「もう遭っているんだけど」
「もっと酷い言葉が飛んでくる。やめた方がいい、本当に」
ヴェインが正面からアレウスの片方の肩に手を乗せ、首を小さく横に振る。
まさかとは思うが、この婚約者一筋な男にも似たような経験があるのだろうか。そのように考えたところで、そういえばヴェインは婚約者の目が届かないところで歓楽区に通っていたことを思い出す。婚約者の知らないところでとんでもない遊びをしていたのかもしれない。ならばエイミーがシンギングリンに移ったのは先見の明があるとしか言えない。歓楽区で彼が面倒事を起こす前に阻止したのだから。
「歓楽区ってそんなに良い場所だったのか?」
「娼館はハマると帰ってこられない」
「そんなにか?」
「そう思うなら今度、シンギングリン以外の街に行く依頼があったときに行ってみるかい?」
「いや、それはさすがに」
「細かい規則は俺が教えてあげられるよ」
「いや、でもな」
「大丈夫、バレやしない」
「…………じゃぁ、」
「『じゃぁ』、じゃないんだよねぇ。ヒソヒソ声でもあたしには丸聞こえだよ。全部、エイミーちゃんに言っちゃってもいいんだけどねぇ」
「それだけは勘弁してください。どうか、どうかお慈悲を」
「ほんっと、ヴェイン君は聖職者とは思えないところがチラホラあるんだけど、なんでそれで逆に聖職者がやれてるの?」
「それはクルタニカさんになんで博徒なのに神官をやれているのかと聞くぐらい実りのない質問だよ」
「上手く言ったつもりで誤魔化そうとするならエイミーちゃんに言うけど」
「全て俺が間違っていました。もう二度とアレウスを誘いません」
「あなたも、違う街で娼館には行かないこと。元々、そういう約束で婚約関係継続になったんでしょ?」
「…………はい、そうします」
かなり苦しそうに肯いた。このシュンとしたヴェインの姿を見て誰も聖職者とは思うまい。
「アレウスさん、そろそろよろしいですか? 私は『森の声』を用いて書庫の奪還に乗り出してくれたエルフたちへと言葉を届けなければならないので」
「ここにいるみんなには?」
「彼ら彼女らが私の言葉で気持ちを高揚させると思いますか? あなたの言葉が、あなたの声が、彼ら彼女らには一番届くでしょう」
レジーナが『森の声』による念話を行うために家の中へと消える。
「はい、注目ちゅうもーく! アレウス君からみんなに話があるんだって!」
「分かって言ってるだろ?」
そのように注目される場所で話すことがアレウスは一番苦手とするところだ。声と足が震えて、なにを言葉にしているか分からなくなるのだから。
「ああだこうだ言っている暇はないよ」
そう言ってクラリエはアベリアとヴェインを連れて、みんなの話の中に入ってしまう。レジーナの家はやや勾配のあるところに建てられているので、さながら壇上から演説するかのような光景にアレウスは縮み上がる。
しかし、ずっと縮こまっていても仕方がない。全てが終わるのを待ち続けて、ただ震えているだけだった子供の頃とは違う。なにより痛感したはずだ。震えているだけでは進めないのだと。ちゃんと自分の足で、自分の言葉で、進まなければならない。
「まず最初に、ハゥフルの代表である女王陛下へ、僕自身の言葉で発言することをお許し願いたく存じます。また、テラー家とジュグリーズ家のエルフを前にしておきながら差し出がましく発言することもお許しください」
声は震えている。軽く咳払いをして喉の調子を整える。
「僕はとんでもなく無茶なことをみんなに頼んでしまったと自覚している。新王国のことなんて考えず、エルフの書庫を取り戻すために全てを費やすべきだと思っているはずだ。でも、僕の知る人が新王国に向かってしまった。なんて馬鹿なんだろう、なんて愚かなんだろうと僕だって思う。でも、その人はその人で自分自身が助けたいと思う人のために、全てをかなぐり捨てて駆け出してしまった。その衝動やその気持ちは決して笑ったり馬鹿にしていいものじゃないことを、みんなは知っているはずだ」
自らを犠牲にしてでも大切な人のために。その気持ちによってアレウスたちは繋がっている。
「そして新王国には『賢者』に支配されたエルフたちが迫っている。これを阻止しなければ新王国は王国軍とまともに戦うことさえできない。けれど、そんな危険な場所に大切な人のためにと手を貸してくれた人たちを向かわせられない。そもそもの政治的理由もあるし、なにより帝国からの差し金と思われれば、やはり戦争の雲行きは変わってしまう。少数で、出来る限りのことをして僕たちは守りたい人を守り、エルフたちを喰い止める」
この言葉が果たして本当に心に届いているのかさえも分からない。だが、話し始めてしまったのなら全て吐き出してしまいたい。
「新王国に向かう僕たち五人のことはあまり考えなくていい。パーティの比率を見ても分かるだろうけど、書庫の奪還を最優先とする。でも、自分が心を許せる相手との二人一組だけを意識するのはやめてほしい。あいつは獣人だから、あいつはエルフだから、あいつはガルダだから、あいつはハゥフルだから、あいつはヒューマンだから……そんな理由で、傷付くのを見過ごすことだけは絶対に許さない。貶すのも無しだ。誰にだって長所があって短所があるように、種族にだって得意不得意はある。協力し合うことでそれらを補い合い、サクッと書庫を奪還してほしい。悪い言い方をしてしまうが、その方が嫌っている種族との協力する時間も短くなる。隣にいる他種族は敵ではなく味方で、助け合わなければならない。簡単そうで難しく、すぐには納得できないことだらけだとは思うけど……僕たちは、人間なんだ。同じ人間同士なんだ。いがみ合って悲痛な顔をして戦い合うより、笑いながら語り合って宴を開く方が絶対に楽しい。苦労の先に笑顔があると、僕は願っている」
全てを吐き出したのに、気持ち良くはない。心地良さも全くない。こんなことを力説したり演説できるほどの器量をアレウスは有してはいない。
言葉の力だけではどうにもならないこともある。そのことが分かっているからこそ、自身の発した言葉に薄ら寒さすら感じてしまう。
「良いじゃん、悪くなかったよ今の。私は俄然、やる気が湧いてきたかなー」
ヴィヴィアンが拍手する。
「よう言った。カプリに百篇は言わせてやりたいのう」
続いてクニアが拍手し、カプリースがそれを見て拍手せざるを得なくなる。ハゥフルの女王が拍手をするのならとノックスが続き、そこから全員の拍手に変わる。
期待はしていなかった。いや、そういったことをされると更に薄ら笑いすら出てきてそうだなとアレウスは思っていた。だが、心の中ではそういった行動を求めていたようで、込み上げてくるものがあって瞼に溜まった涙をグッとこらえる。
「では、参りましょうか」
「エルフがまず示さなければならないでしょう。俺たちは手を取り合えるのだと」
イェネオスとエレスィが書庫までの道を案内するのを見て、アレウスは一息つく。
「外でパルティータが寄越してくれた奴らが待っているぞ。新王国の国境ギリギリまでは乗せて行ってくれるはずだ」
「好戦的な方々なので、付いて行くと言うかもしれませんがちゃんと引き返すようお伝えください。帝国側の獣人の群れから刺客が来たなどと言われたら笑えませんので」
「ああ、ありがとう」
ノックスとセレナがそれぞれアレウスへと手を振ってから先を行くみんなのあとを追い掛けた。
「なに一仕事終わったみていな顔をしているんだ? むしろこっからだ。こっから、俺たちは姫さんのところに行って、そっからはまぁどうなるか流れに身を任せようじゃないか。生きるか死ぬか、楽しみだな」
エレオンは不敵な笑みを浮かべながらアレウスを挑発してくる。
「どうなるもなにも、しっかりと全部を終わらせるだけだよ」
クラリエが答える。
「あたしはあたしの手で、守り切る」
「決意は簡単だが、問題はそれをちゃんと胸に刻み付けたままでいられるかって話だ」
そこでエレオンの声音が変わる。
「……殺せよ、母親を。イプロシア・ナーツェを」
「ええ」
戻れないところまで来ている。それは現状だけでない。クラリエの中にある決意もまたそうであった。しかしながら、彼女のそれもアレウスの迷いも待ってくれるほど世界は優しくはなく、アレウスたちはパルティータが派遣してくれた獣人の背に乗り、新王国へと向かうのだった。
///
「どうするの?」
「勿論、戦場に出るわ」
不安そうに訊ねるアンジェラにクルスは普段通りに答える。
「あなたは王女様なのよ? ゼルペスのお城で報告を待っているわけにはいかないの?」
「私は戦場に出ることでここまでみんなを導いてきた。第一王子が出てくるからって怯えて引き下がったら、士気が下がるだけじゃなくて第一王子の多くの兵士が取り込まれて、クーデターまで起きてしまうわ。私が強さを見せなければならないの。一歩も引かない、王女の姿を」
「でも、そうしたらクルスが死んじゃう」
「死ぬのは怖くない……なんてのは嘘。死ぬのはとても怖い。でも、私よりも兵士はもっと怖れている。私にはアンジェラがいるし、マーガレットもリッチモンドもいる。だけど兵士は心の中に家族や未来、恋人や好きな人を思い描くことでしか耐えられない。親友と戦場に出ることを面白がれたのは最初だけ。悲惨さを知れば、互いに死を知りたくなくなる。互いに死にたくなくなる。死んだら迷惑が掛かると思い始める。それは負の螺旋となって、最終的には狂気に染まって逃げ出すか突撃へと変わる。そうなっちゃったら、敵前逃亡は死罪だし、単身突撃で助かることなんてほとんどない。私たちは薄氷の上で、その下にある死を常に見つめ続けている。いつ割れるか分からないその上で、ひたすらに走り続けている。氷の厚みは人それぞれだけど、割れないなんて調子付いていたら突然割れる」
「戦争で死ぬのか、それともエルヴァージュを殺すか殺されるか。そのことを伝えることは私には出来ないけれど、あなたたちは再会したらどちらかが死ぬ運命なの」
「エルヴァが来るの?」
「来るに決まっているじゃない。あの男はあなたに執着している。来ないわけがない」
「そう……そっか。だったら、エルヴァの望む通りに殺し合いをしなきゃね。それもこれも生き残れたら、だけど」
クルスは引き攣った表情を綻ばせて、確かな笑みを浮かべる。
「どうしてあの男が来るって分かったら笑うの?」
「安心したのよ。ああ、昔から全く変わっていないんだなって。だったら私も昔と変わらず、エルヴァが好きな女であり続けないと」
「……戦場で戦って死ぬかもしれない。生き残れてもエルヴァージュとの殺し合い。どちらにしたって悲劇が待ち受けている。それでもあなたは、行くと言うの?」
「ええ、だって私が決めた道だもの。終わりがどうであれ、自分の足で道の最後は確かめたいわ。それに……ふふっ、エルヴァとの殺し合いを少し楽しみにしている私がいるの。これって現実逃避なのかしら? 現状の辛い局面を想像するよりも、未来の局面に思いを馳せてしまっている。あなたの剣は、どんな風に私の心臓を貫くのかしら」
そのように物騒なことをクルスは言うが、心の底から笑っていることをアンジェラは汲み取る。
「クールクース様、作戦会議を始めたいと思います。こちらへ」
リッチモンドに返事をし、クルスは翻って歩き出す。マーガレットがアンジェラに敬礼をしてからクルスの傍を歩き、護衛に付く。
「分かったわ」
「……あなたは宣教者になるべき人。不確定な未来だけれど必ず至る未来。どんな形であっても、あなたは死なないの……死なないのよ、クルス。それがどういうことか、分かる? 伝えなかったけど、伝えたらきっと分かったでしょうね……? でも、死なないだけであって、あなたが悲しむことには変わりない。エルヴァージュの死を、乗り越えられるわけがない。本当にもどかしい話よね。伝えたいのに、伝えてはいけないだなんて……」
アンジェラは翼を広げて天を仰ぐ。
「ああ……ですが、そういうことなのですね?」
そう言って、アンジェラはクルスのあとを追う。
「ようやっと分かったよ。神様の試練はあなたに与えられたものじゃなく、私に与えられた試練なんだわ。だったら、私があなたを笑わせる未来に連れて行ってあげるから」




