往復
*
「女王陛下をエルフの巫女のところまで連れて行けだって?」
シンギングリンへと三日掛けてノックスと共に帰ってきたアレウスを先に待ち構えていたカプリースが開口一番、そう言い放った。
「まったく、僕にそんな権限があるわけないだろう。そもそも国の要たる女王陛下を一体どうやってお連れしろと言うんだ」
「……いや、あの女王様はお前が頼めば首を縦に振ると思うが」
「なにを根拠に」
「お前は惚れられているだろ」
「僕に? はははっ、ないない。あるわけがない」
「そしてお前も惚れている」
「あるわけがないと言っているだろ。なんだその惚れられているだの惚れているだの。ありもしないことをそんな平気で並べられるのは困ってしまうな」
空笑い。心にもないことを言って、自分自身の心を傷付けたことを必死に誤魔化そうとしているからこそ出てくるその笑いをアレウスは見逃さない。
「女王陛下――クニア・コロル様はエルフの森が窮地に陥った際に救援に来てくれたな?」
「あれは最悪な出来事だった。僕の監視から外れて、忌々しくもガルダが連れ去ってしまったのだから。本当に、女王陛下の身になにかあったらどうなっていたことか。島外で争いが起きても不干渉を続けることでどうにかこうにか国と言えるのかも分からずとも、相応に形になってきているというのに、これ以上の国外でのいざこざに女王陛下を巻き込まないでもらいたい」
次は本音を語っている。心の底から女王のことを想っているからこそ、島外の出来事へ干渉してほしくないと願っているのだ。
「もし、女王陛下が承諾したらお前は首を縦に振るのか?」
「君が願いを申し出ないのならば、そうしよう。女王陛下は君のことを評価している。たとえ危険なことであっても、君が頼めば女王陛下は肯いてしまうだろう。だから、」
「ではボルガネムの一件について女王陛下にお伝えしてもよろしいですか?」
認識阻害の魔法を解いてイェネオスがカプリースの前に姿を晒す。
「……いやはや、この僕が油断してしまっていた。色々なところに水を仕込んではいたけれど、エルフの森では僕のそれは通用しなかったのさ。そのことを失念していたのと、森から話を通しに来るのがクラリェット・ナーツェだけだと思い込んでしまっていた」
「イェネオスは僕になにも教えてはくれないけれど、お前はボルガネムのオークション会場にいたらしいな?」
「なんだそれは? 脅しのつもりか? 僕が私的な理由で連合に訪れていてなにが悪い?」
「そのことを女王陛下にお伝えしても?」
今度は分かりやすくイェネオスが脅しのつもりで言う。
「あなたは私的な理由で、そして秘匿しなければならないからこそあの場での多くの出来事から目を背け、黙認した。そのことを女王陛下がお知りになられれば、悲しむでしょうね」
「待て、やめろ。そういうのはやめてほしい」
カプリースは片手を前に突き出し、勘弁してくれと言わんばかりに横に振る。
「脅しに屈するわけでは決してないけれど掛け合ってみてもいい。いいや、掛け合おう。しかし、肯くかどうかまでは僕の知るところではないからなぁ」
他人事のように言っている。そんなカプリースがアレウスの後方の人物に目を見開いた。
「アレウス? あなたに言われた通り、カーネリアンを呼びましてよ。かーなーり、無茶を言いましてよ? わたくし、このあとどれほど怒られるか想像も付きませんでしてよ」
振り返るとクルタニカと、あまりにも機嫌の悪そうなカーネリアンが立っている。いや、機嫌が悪いのではない。睡眠不足のためにしかめっ面になっているだけだ。しかし、睡眠不足である場合、ほとんどの人間は機嫌が悪いので結局は同義なのだが。
「無価値なことで私を呼び寄せたのなら斬るぞ? なんでも『教会の祝福』を受けたらしいな? 甦るかこの私が試してやってもいい」
「あの、ほんと……無理を言ってすいません……」
カーネリアンには強く出られない。彼女への対応を間違えると痛い目を見る。このガルダの女性を言葉で止められるのはクルタニカで、力でなんとか止められるのはガラハだけだ。いや、ガラハでも難しいかもしれない。
「しかし、女王陛下がどうこうと言っていたな」
「僕の負けだよ、アレウス。国務から一時的に逃れるがために結託したガルダがいるなら、もはやなにも言えない」
「国務……? ああ、やはりハゥフルの女王関連か。あのときほどに苛立ったことはないな。『私を馬車代わりに使うな』と」
「だからこの通り、白旗を揚げている。リオン討伐の折に言葉を交わしただろう? そんな殺気立って僕を睨まないでほしい。逆らわないし、文句も言わないさ
あのカプリースがここまで卑屈になっている。むしろカーネリアンは女王陛下の国務を妨害した側であって、強く出てくると思ったがそうではないらしい。
本当に自分から国務から逃げ出すためにカーネリアンを頼ったとでも言うのだろうか、あのハゥフルの女王は。まさかとは思うが、カプリースの反応からアレウスは現実味のないことが真実にほぼ近いと察して、若干ではあるが眩暈を覚えた。命を懸けても守ると決めた相手が自分から国外に出たということが事実ならさすがのアレウスもカプリースに同情する。
「なんだ、またハゥフルの女王絡みか? 私はそのためだけに呼び付けられたと?」
「違う、違う違う。ちょっとみんな落ち着いて話を聞いてくれないか?」
カプリースもカーネリアンも、そしてクルタニカやイェネオス、そしてノックスもみんな揃って威嚇にも似た言葉の鍔迫り合いをする気満々である。この中で事情を知っているのは事前にレジーナから話を聞いているカプリースのみだ。そしてこの男は事情を話す気が全くないのでアレウスがちゃんと経緯を話さなければならない。ノックスが知らんぷりをしているのはこの経緯の説明を「シンギングリンに着いてから」と後回しにしたせいだ。森の外で待機していた彼女に誠意のない対応をしたのは申し訳ないが、全く同じことを話すことになるのだから一纏めにしてしまった方が良いとアレウスは思ってしまったのだ。
そういった謝罪も織り交ぜながらアレウスはエルフの書庫のこと、新王国のこと、そしてレジーナと話したことを説明した。何度かカーネリアンとノックスに睨み殺されるのではと思うほどの圧を感じて生きた心地はしなかったが、なんとか話は聞いてもらえていたので胃痛が強まるだけで済んだ。
「五大精霊の鍵か。『賢者』のクセに念入りなことをするものだな。それほどまでに知られたくない事実が書庫には秘められていると考えれば、暴くことには非常に興味がある。けれど、五大精霊の鍵を仕込むくらいだから書庫内も罠だらけだろう」
「その男の意見に賛成だな。施錠している場所に秘密はあるが、侵入者を排除する魔法を用意していてもおかしくない」
「罠だろうとなんだろうと僕はエルフの巫女の要求に応じなきゃならない。応じなきゃ、」
「新王国を見捨てることになる、か? 本当にそう思うかい? エルフの要求を突っぱねて、僕たちだけで新王国へ向かえばいいだけじゃないか」
カプリースはイェネオスの睨みを無視してテキトーに言い放つ。
「森の外の人間たちの争いを無視して書庫を奪還を目論む。それはエルフの都合だろう? だったらエルフに全て任せてしまって、僕たちは新王国への対処に回ればいい。現状、新王国があるから王国の進撃が弱いところがある。帝国と連合にしてみれば新王国はありがたい存在。ただ、それは利用価値があるからだ。王国を疲弊させるだけ疲弊させてから滅亡してくれた方が更に都合が良い。戦わなきゃならない国が減るんだから」
つまりさ、とカプリースは続ける。
「アレウスにとって、いや帝国や他の国々にとって一番の有益は新王国が滅ぼうとも戦いを泥沼化させて粘ってもらうことだ。だからエルフの要求を飲む義理も、その願いを叶える必要も全くないだろうに」
「そうもいかない」
彼の意見をアレウスは一言で拒む。
「僕たち冒険者は少なからずエルフの恩恵を受けている。『身代わりの人形』はエルフの製紙技術の賜物だ。それを森の中だけで保有するのではなく、世界へと売りに出した」
「それだけで君はエルフに義理を感じると? 製作者の顔すら見たこともないのに?」
「見たことはないけれど、その血筋の者を僕は知っている。けれど、そこに義理や恩を感じて僕はカプリースの言ったことを拒んだわけじゃない」
首を横に振ってから、呼吸を一旦挟む。
「僕はクラリエを知っている、エウカリスを知っている、イェネオスを知っている、エレスィを知っている。そして、ナルシェも。数人ではあれエルフを見て、話し、聞いて、知った。血統至上主義で、独自の文化体系を持っていて、余所者に厳しく、魔の叡智に触れているがゆえに驕り、長寿であるがゆえに傲慢。ヒューマンの将来なんて考えちゃいない」
「散々な言い方じゃないか」
「でも、知ってしまった以上は目を背けられない。僕はつくづく思うんだ。冒険者でよかったと。その肩書きがあるだけで、僕という人間性はさほども高潔でないのに沢山の種族と話す機会を得た。エルフは確かにヒューマンのことなんて考えちゃいない。でも、未来はちゃんと考えている。世界のことも、無視していない。森の中だけで完結させようとは、本当に一部だけのエルフだけが考えている思想でしかない。それに話が通じないなんてこともない。ちゃんと話して、ちゃんと伝えて、ちゃんと接すれば、返事をしてくれるし答えてくれるし手を差し伸べてもくれる。こんなちっぽけなヒューマンに目を向けて、顔を向けて、しっかりと見てくれる。僕はそこに絆を感じている。相手がどう思っているかまでは分からないけれど、絆は伸ばさなきゃ繋がらない。自ら断ち切ったら駄目なんだ。絆と絆を繋いで結べば、手を取り合うことができるんじゃないか。そんな風に、思ってしまう」
最後の最後で尻すぼみになってしまったが、アレウスの主張を聞いてカーネリアンが笑みを浮かべる。
「確かにな。私たちには言葉を交わすという能力が備わっている。互いの主義主張が強固であっても、折り合いを付けなければならない。私はクルタニカの件で思い知ったよ。人間は独りだけでは立ち続けてはいられない。数人でも不安定だ。だから私たちは数百、数千、数万、いやそれ以上の群れを成して生きるのだろう。そんな中で折り合いを付けられない者たちは排除される。『賢者』がまさに排除されなければならないように」
「だが、折り合いを付けられねぇからってだけで排除されることも我慢ならねぇことだ。そこには必ず衝突が生まれる。ワタシたちが延々と嫌われ続けているのは決して折り合いを付けられないからだけじゃねぇよ。そりゃ最初はそうだったかもしれねぇ。だけど、数百年も続けばエルフやドワーフはともかくヒューマンの世代は変わる。なのにまだヒューマンはワタシたちを嫌ったままだ。世代交代を経たなら嫌う理由なんてもうないはずだ。ただなんとなくでワタシたちは嫌われている…………そりゃ、ワタシもこの街を襲っちまったから、獣人が昔と変わらず人間を脅かしているせいでも、あるんだけどよ」
ノックスはカーネリアンの意見に反論を述べるも、自身がやったことを無視することができないためやや弱気になる。
「分かり合う余地を残しているかどうかもきっと関係していますね。私たちは長く生きるせいで価値観が凝り固まります。森の中だけで育てば尚のこと、凝り固まった価値観を打破することはできません。獣人とは分かり合えない、ヒューマンはいずれ絶滅するから話す価値はない……私は父のおかげでほんの少しで留まりましたが、エレスィによれば森の中ではそんな風に教えられているそうです。だから他の種族にこともきっと、昔の価値観でそのまま教えて、押し付けているかもしれません。でもそれを私は否定することはできませんし、もし否定することができても……森には居られなくなるでしょう」
「話が広がり過ぎだ。そんな難しいことを僕たちだけで話し合ったところで世界は変わらないよ」
しんみりとした雰囲気の中でカプリースだけが淡々と言う。
「女王陛下は森へと連れていく。そこのガルダがいる時点で僕の負けなんだよ。けれど女王陛下は今の僕みたいに水の写し身を作れるわけじゃないから、」
「また私が馬車代わりか」
「それも空飛ぶ馬車代わりだ」
呆れるカーネリアンにカプリースが追い打ちをかける。
「いいさ、アレウスの主張は分かった。どっちも大事でどっちも放り出せない。だから両方を取る。傲慢で強欲で、馬鹿げている選択だけど、君はそうやって成功し、失敗し、学んできた。人を生かす喜びも、人を死なせてしまった悲しみも知っている。二択を選べずに迷い続けて手遅れになる奴らよりもずっと経験はある。前回と比べて今回ばかりは失敗しそうだけど、成功の目をあると信じないと成功は得られない」
「そうでしてよ。サイコロは振らなければ目を出さないんでしてよ」
「博徒がなにか良いことを言った気でいるが褒めると増長する。気にしないでほしい」
クルタニカを一言でカーネリアンが黙らせる。
「『精霊の戯曲』は五つ。木、火、土、金、水。『水』を女王陛下で火はアベリア・アナリーゼか?」
「いや、アベリアを指定してはこなかったな。あくまでも『水』が足りないとだけ。いや、金属性も足りないのか」
「アイシャじゃ駄目なんでして?」
「ニィナを一度、無理やりシンギングリンからパザルネモレに出している。あと一週間ほど前に僕が私用で外出許可を取らせたから、しばらくは外出できない」
そもそもアイシャが使えるのは大詠唱であって『精霊の戯曲』ではない。『初々しき白金』をロジックに収納したのも最近のことで金属性の『精霊の戯曲』を習得しているとも思えない。
「エルフは属性を一つ残しても、あとは無理やりでどうとでもなると言っていた」
「そりゃ残った属性を四属性で叩けば壊すのは造作もないことだろうな。けれど、それを『賢者』が読んでいるとしたら、とんでもないことになるかもしれない」
「ですが、金属性はエルフが不得意とするところ。そもそもその属性を扱える者はかなり限られていて、『精霊の戯曲』にまで絞ると習得者は限られていて、探すのは大変なのではないでしょうか?」
「一人心当たりがある」
ガラハが沈黙を破り、呟く。
「オレの里に、一人。火だけでなく金を備える者が」
「魔の叡智に触れられないドワーフに……? いいえ、そのように見下すのはエルフの悪いクセでした。アテがあるのなら、お願いできますでしょうか?」
「ああ。だが、そいつを連れ出すのなら俺はエルフの書庫を暴くパーティに入れてくれ」
そう進言してくるガラハの言い方からアレウスは彼の言う心当たりが誰なのかを察する。
「そうだな、そうしよう」
「では、エルフの森へと向かいましてよ!」
「クルタニカ? 私たちが先に向かうのは空を跨いでハゥフルの島国だ。エキナシアも呼んでこなければならない。言っておくが、私は女王陛下の空飛ぶ馬車だが、クルタニカはエキナシアの空飛ぶ馬車だ」
「わたくしはカーネリアンのようには飛べないんでしてよ」
「風を纏って飛べるだろう? すぐにバレる嘘をつくな」
「ちょっ! カーネリアン! 飛ぶ前に睡眠でしてよ! あなたが飛んでいる最中に寝てしまったら大変なことになるんでしてよ!」
二人の友人同士の掛け合いに頬を綻ばせてしまったが、気を引き締め直す。
「ワタシは一応、パルティータの群れに掛け合ってみる。どうせ、手なんて貸してはくれねぇだろうけどな」
「頼む」
「オレも里に行く。森に入るときにはスティンガーを遣わせる」
「分かりました」
カプリースは水に溶け、ガラハはギルドに向かい、クルタニカとカーネリアンは飛行の前に旅立つ準備に入る。ノックスは街の外へと駆け出した。
「なんとかなったのでしょうか」
仲間が各々の場所へと向かい始めたため、この場にはアレウスとイェネオスだけとなった。
「カーネリアンが承諾してくれて助かった。彼女がいなかったらカプリースは黙らなかったから」
そうなるとずっとあの男の独壇場だった。饒舌さから繰り出される言葉の数々に太刀打ちできなかっただろう。
「これからはパーティ分けを考える段階ですか?」
「君はエレスィと同じパーティにする」
「別に頼んでません」
だが、アレウスの一言でイェネオスの表情に僅かだが余裕が生まれたように見える。
「そう不安に思わなくても、エルフの書庫奪還には多めに人数を割く。新王国への援助なんて大勢の冒険者が行ったところで邪魔になるだけだ。そうなると少数であることが望ましい」
「戦地に赴く気なのですか?」
「戦場には立たない。常勝無敗の第一王子の顔を見るつもりもない。『賢者』に支配されたエルフたちとは戦うことになるかもしれないけれど、それもできるだけ避けたい。そうやって削っていくと出来ることなんて実はほとんどないんだ」
「なら、なんのために?」
「『賢者』がエルフを動かしたのは、新王国でなにかを得るため。もしくは、新王国の王女を狙っている。それを阻止する……心配で終わればそれでいいんだけど、僕の知り合いはきっと戦場に立つだろうな。立ってほしくは、ないんだけど」
リスティは帝国内では担当者として静かに過ごしていたが、エルヴァは元冒険者の軍人として隊を纏めて国内に留まるが動いていた。『緑角』の経歴によって、王国に顔が割れていないかどうか。もし割れていた場合、王国が帝国に抱く感情は極めてマズいものとなる。
「アレウスさん」
カプリースに会う前にジュリアンの元へと行き、事情を伝えてアレウスたちの家だけでなくギルドも調べてもらっていたのだが話し合いが終わった良いタイミングで戻ってきてくれた。
「どうだ?」
「懸念していた通りです。リスティさんは恐らくシンギングリンのどこにもいません」
「やっぱりか……」
「でも、どうしてそんなことが分かったんですか?」
ジュリアンは先日、ようやっと冒険者にはなったがまだ幼い。戦争のいざこざには巻き込めない。だから書庫の奪還にも誘えない。あれも結局はエルフとエルフによる内輪での戦争――内戦なのだから。
「深くは訊ねないでくれ。でも、リスティさんは僕たちが連れ戻してくる」
「そこまで言うなら僕も従いますけど、死なないでくださいね? いや、死んでも甦るんですけど、それを考慮した上で死なないでくださいと僕は言っておきます。では、エイラに呼ばれているので僕はこれで」
彼はお辞儀をしてその場をあとにする。
「ボルガネムでもお見掛けしましたが、年下のあんな綺麗で可愛らしい女性にも好かれるんですね」
「あいつは男だよ」
「え?!」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよ!」
連合に行ったとはいえ、イェネオスとジュリアンにはほとんど接点はなかっただろうし、互いに名乗りはしたものの多くを語らう機会はほとんどなかった。だから彼女が彼の性別を勘違いしたままだったのは仕方のないことだ。それらの誤解は概ねアレウスが伝え忘れていたところに原因があるが、終わったことなのであれば自身のそういった責任は放棄しておく。
「ああでも、少しホッとしました。あの方まで篭絡されていたらどうしようかと」
「僕はそんな男じゃない」
「怪しい」
否定を「怪しい」で返されたら、そこで対話は途切れてしまうのだがイェネオスは分かっているのだろうか。
「篭絡だとかなんだとかはどうでもいい。もうシンギングリンで僕たちがすることはない。巫女のところに戻ろう」
三日分の食料を買いはしたものの、帰ってきてほぼ休まずの出立である。猶予と呼べる猶予がこちら側にないのが焦燥感を募らせる。王国と『賢者』の動き如何で、物事は一気に変容してしまうのだ。
三日掛けて森へ行き、三日掛けて帰り、再び三日掛けて森へと到着したアレウスはイェネオスの先導と彼女の持つ鈴の音によって中へと入ることが許され、悪路を進み、整備された道を抜けた先の獣道を進んだ先にあるエルフの巫女の家まで舞い戻る。
「まさか本当にやり遂げてしまうとは思いませんでした」
「無茶な要求を通したんです。新王国に向かっているエルフへの対処にも手を貸してもらいますよ?」
「人員を割きましょう。『賢者』の動きを抑えたいのは私たちも同じ。以前の策では、それを新王国に全て委ねてしまおうとしていたのですが、あなたがこちらの要求に応じたのなら、私も歩み寄らなければなりません。イェネオスとエレスィを手配しましょう」
「いえ、森のことを知る二人を書庫に向かわせないのは逆に危険です。テラー家とジュグリーズ家がいなければ、ドワーフはまだしも獣人もガルダもハゥフルもエルフは味方とすら思ってはくれないでしょう」
「……この六日を掛けて説きはしたのですが、やはり凝り固まった観念はすぐに解きほぐすことはできないようです。四大血統の抑止力など必要ないことを証明すれば或いはと考えたのですが、危険が過ぎますか?」
「鍵を外したあとに用済みとされるのが僕からしてみれば一番怖ろしいことなんです」
「そう……ですね。それは、起こり得ることです。では、イェネオスとエレスィはこのまま森で。しかし、そうなると私たちの手元から出せる者はいません。クラリエ様はあなたに付いて行くとは思いますが、それだけでは……」
イプロシアの因縁がある以上、クラリエは書庫の奪還よりもそちらを優先しなければならない。それが彼女にとっての使命であり、エルフたちへの償い行為である。しかし、イプロシアを討つことが成ったなら、彼女は生かしてもらっていた理由を失い、自らの命を捧げて最期の償いとすることになっている。
だったら新王国に向かわせない方がいいのかもしれない。しかし、きっとクラリエはそんなアレウスの気遣いを嫌う。だから、彼女の意思を尊重する方が正しいのだろう。正しいが、間違いであってほしいと願うのをこらえる。
「エレオンを連れて行きます」
「お父さんを?」
「おい、勝手に決めるな!」
付近に潜伏していたことは感知の技能で知っていたが姿をなかなか現さなかったので出て来てもらう。
「悪いな、俺は俺の好きなようにさせてもらう」
「王国に恨みがある。そしてその恨みは、第一王子……違うか?」
その問い掛けにエレオンが押し黙った。
「私を産んでしばらくしてから両親は私を乳母に預けて王国へと出向き、その折に死んだと聞かされています。その最期について、私は全く教えてもらっていませんし、誰一人として語ろうともしませんでした。そもそも死に様を目撃した者がいるのかどうかさえ分からないのですが」
「俺の娘を自称するならもっとその魔眼で観察することだな。死に様ならこの俺が見ているんだよ」
「では、どのような死に方を? 私は興味本位で聞いているのではなく、お母さんの死がどのようなものであったのかを知りたいと娘だからこそ思うのです。死んだと聞かされたお父さんが生きていたように実はお母さんも生きているのではという、この止め処ない妄想を終わらせるためにも」
「……教えるわけにはいかないな」
エレオンはそう言ってレジーナに翻る。
「ストルゲー……いいや、スティーリアの死を絶対にお前にだけは教えることはない」
「そんな、どうしてですか?」
「教えたらお前も森を出ると言い出しかねない。アレウリス? お前の言う通り、俺は第一王子に恨みがある。新王国に従っているのも打倒王国を掲げているからじゃなく、帝国より早く、もっと間近に奴へと迫れると思ってのことだ。実際、王女救出をお前たちに任せて俺は奴にかなり迫ることができた。問題は、俺が想定していたよりもずっとずっと奴の力が強まっていたことだ。俺は冒険者じゃない。だから、新王国に着いてから好き勝手にやらせてくれるんなら付いて行ってやる。多少は顔も利くから、融通もしよう。ただし、戦場が近付けばそういうのは全部無しだ」
「それでいい」
「交渉成立だな。あとな、もう一つ言っておく。隠居していた『勇者』がいなきゃ、第一王子に俺はあのまま殺されていた」
巫女の家をエレオンが立ち去る。
「『勇者』が……?」
「王国にその者あり。恐怖の時代を終わらせた『大いなる至高の冒険者』。その『勇者』が、なぜ?」
「そもそもどうして『勇者』は隠居を……いや、その理由を僕は知っているのかもしれないけれど」
魔王を討ったはずが、魔王は世界に自身を十二に分かつことで復活を目論んだ。それらが異界獣となって、世界に異界が溢れ返る要因となった。魔王を討ったことを祝福する人々とは裏腹に、その自責の念に駆られてしまって魔物との戦いから身を引いた。そのように推測は立つ。
「会えば話すこともできる、か?」
異界獣の話をして、再び魔王を討つことを決意してもらえれば大きな大きな力になる。
「話すことはできません」
「どうしてだ? もし会えたら、」
「『勇者』はその身に神の祝福を得た折、言葉とその理解を喪失しました。ありとあらゆる言語を見ただけで理解できる『真性異言』を獲得してはいますが、対話は文字が必須です。彼は人の発する言葉どころか自身の発する言葉ですら理解できないのです。それが本来の神の祝福なのです。魔眼やヴェインさんの持つ『純粋なる女神の祝福』は少し外れたところにあるものと考えてください」
「オーネストさんの右手みたいなものか」
あの右手には神力があるが、その祝福を得るために体の一部を犠牲にしている。
「ですので、出会わないでください。出会ってしまえば会話は成立しません。状況によってはアレウスさんを敵と思うかもしれません。本当に……隠居するのをやめているのであれば、ですが」
「分かりました」
しかし、冒険者であれば誰もが憧れ、誰もが目指し、誰もが夢見る『勇者』ともし会えたとき、アレウスが話したい衝動を彼女に言われた通りに抑えられるかどうかは分からなかった。
///
「次に王女と会うときは殺し合いをするときだ。お前はそういう約束をしたはずだ」
船首で海を眺め続けているエルヴァにジョージが声を掛ける。
「いつの間に忍び込んでいた?」
「俺はお前を『超越者』にした。どこにいようと俺はお前の居場所を知ることができる。だが、そんなことはどうだっていい。今すぐ引き返せ」
「それはできない」
「だったら王女を殺すのか?」
「王国の進軍をどうにかしてからだな」
「死ぬぞ?」
「だから?」
「もし命を繋ぎ止めても、結局は王女との殺し合いでお前は死ぬ」
「そんなことを堕天使ではあっても言っていいものなのか?」
切実にジョージは訴えかけるが、エルヴァはそれらを全て些末事のように聞き流す。
「俺は死なない」
「だったら、王女が死ぬだけか」
挑発的にジョージは言い、エルヴァの様子を窺う。
「お前たちの運命はずっと前から決まっている。どちらかが殺され、どちらかが生きる。俺はそれを見届けて、アンジェラに浄化されて消える」
「宿願は天使――アンジェラの始末じゃねぇのか?」
「果たしたいがな。堕天使であっても未来は見える。確定はしていないが確証もない。お前たちは運命という名の波に乗り、停泊する術を持たない。おぼろげながらに舵取りをして結末へと向かうが、その行く先は――辿り着く岸辺は限定的であり、どんなに必死に船を漕いだところで変えられない」
ジョージは溜め息をついて間を置く。
「それでも行くんだな?」
「そんなもんに答えなきゃならねぇか? 俺がどうするかなんてテメェが分かんねぇとは思えねぇな」
「……そうか、お前が死ぬか王女が死ぬか。俺は力を貸し与えながら、お前の傍で見届けるとしよう」
「力は貸すのか」
「こんなことのために与えた力じゃないんだがな。どいつもこいつも大人しくしていればいいものを、どうして自ら死地へと向かうのか。俺には一生分からない」
ジョージが岩石の形状を取り、岩の狼に変わる。
「ありがとな、ゲオルギウス」
岩の狼はなにも答えずに船内へと駆けて行く。
「俺が死ぬか、クルスが死ぬか……か」
空を見上げる。
「リッチモンドめ、どこまで読んでいるのかはしらねぇが余計なことをさせてくれたもんだ。俺はあの日の快楽と悦楽に満足しちまっている。クルスに殺されてもいいと思ってしまっている。俺の中にある恨みの念は、あいつを抱いた時点で狂っちまっている。まぁ、まずは先に王国軍だ。クルスとの殺し合いはそのあとだ。戦場で死なねぇようにしないとな」
そう呟いてから、自身の発言があまりにも下らなすぎて鼻で笑ってしまう。
「戦場で死なねぇようにしないとな、ってなんだよ。そんなもん誰だって思ってんだろ。そうじゃねぇ。戦場で王国軍を震え上がらせるほどの化け物にならねぇとな……化け物、化け物か。嫌な言葉だ。産まれ直す前の俺を思い出す」
波が荒れる。船首から見える先にはどんよりと薄暗い雲が漂っている。雨雲か雷雲か、それともそれらを合わせた嵐か。長居はしていられないため、エルヴァは小さく「好きな相手に殺されんのはどういう気分なんだろうな」と呟きながら船内へと入った。




