言葉の圧
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エルフの森まで約三日。さほどの距離にはないのだが、そこからイェネオスとエレスィに合流しても森の内部へと入るには一定の緊張感がある。認識阻害の魔法のせいでエルフや妖精以外はまともには進めない。無理やり進めば気付けば森の外に出てしまう。幻覚を見せられるために視覚情報には頼れず、幻聴を聞かされるために聴覚にも頼れない。嗅覚もきっと無駄だろう。そういった迷いの森であり惑わせの森を越えてようやくエルフの村に辿り着ける。ただし、獣人は足を踏み入れることさえ許されない。そのためノックスを森の外で待機という名の置いてけぼりにしてしまっている。獣人に襲撃された過去がある以上は仕方がないが、エルフの巫女は可能な限り仲間を連れて来いと伝えてきたのだから、そこも許容はしてもらいたかった。待ってもらうノックスに納得してもらうのに無駄な時間を要したのだから。とはいえ、ノックスも森を襲撃したキングス・ファングの過去を知っているためそんなに長く喚くこともなかったのだが、一人でいるときにエルフに攻撃されないとも限らない。なのでもしもノックスの身になにかあればエルフの巫女には一切協力しないという条件を飲ませた。反故にされるかもしれないが、その意思を表明することが大事なのだ。
一時間近くの悪路を瞼を閉じたまま、幻聴に惑わされないで進み続けて、足で踏み締める地面の感触が変わったのでようやく整備された砂利道に出たらしい。エレスィとイェネオスの鈴の音の重なりを合図として森に入った全員が瞼を開く。
「まずは村までの道のりは越えたか……?」
「本当に用心深くてすみません。俺たちがいても、森を出たことがないエルフがほとんどなので外部の種族には懐疑的なんです」
「森を出なければ病気に罹ることもない。逆に森の外から来た種族が病気をもたらすことさえあるんだ。そんな風に考えるのも分かるよ」
エレスィの申し訳なさに対し、ヴェインは一定の理解を見せる。
「ここから俺たちの村まではすぐです。ただ、そこから巫女様のところまではまた結構歩くことになります」
「そもそも巫女様が直接、外部の種族と話をしようとすることさえ前代未聞です。少なくとも、私たちが生きている限りでは初めてのことではないでしょうか」
イェネオスの言葉に、それは一体何十年なのかそれとも何百年なのかと問い質したくなるアレウスだったが、あまり不遜なことを言うと森の外へと追い出されてしまいそうな雰囲気は未だに感じるため控える。こういったときになんだかんだで悪態をつくこともあるガラハですら黙っているのだから、その判断は間違っていないらしい。
思えば、アベリアたちはともかくとしてアレウスが普通にエルフの森に入り、その村を見るのは初めてだ。だから十分ほどで到着した村の景色に一定の関心と好奇心が刺激される。目新しい物を見る感動が久方振りに機能している。
「観光はできませんよ」
目を輝かせ、更には少しの興奮を抱いていたことをイェネオスに見破られて窘められる。
「そんなことしたら私たちはともかく、皆さんが許さないので」
森を越えた先のエルフの村。そこは外部の者たちにとって未開の地であるため、そもそも人流が希薄なのだ。だから村には見知った者たちしかいない。そこに見たこともない人物が興味からあちらこちらを眺め回していたら不審だ。自己防衛で攻撃されてもおかしくはない。
「案内役が傍にいれば許される? 前はそんな感じだった」
アベリアが訊ねるとエレスィが肯く。
「俺たちみたいな相応の家柄の者が任せる案内役であれば不満や不快感を抱きつつも、我慢はしてくれるでしょう」
「我慢か……だったら、あんまり現実的じゃないな。それなら僕が我慢する。知らないところで自分の当たり前を通そうとするとロクなことにならないからな」
アレウスはエルフたちの我慢の限界点を知らない。彼らの象徴や観念、宗教などを無知で踏みにじってしまいかねない。そうなると取り返しが付かない。無知であるがゆえに責任を取ることもできない。だったら自身の中にある好奇心も興味も関心も、抑え込んでおいた方が穏便に済む。
「遠目で眺めるぐらいは構いませんよ。あなた方はエルフの間でも相応に名が通っています。クラリエ様がいるというのもありますが、アレウスさんは基本的にこちらを刺激しないように努める方だと私は分かっていますので」
「ロジックの臭いが滅茶苦茶じゃなければ大勢が迎え入れてくれていたでしょうね」
イェネオスの言葉にエレスィが補足するが、あまりアレウスに対しての慰めにはなっていない。しかし彼の言うこともその通りであるので同意の肯きを小さく行い、視線を一点集中にして刺激しないようにぼんやりと村の景色を眺めるだけに留める。
「休憩はしないのか?」
「ご安心ください。この道を行った先の家に立ち寄って少しの間、休憩を取ります」
「あたしはあんまり行きたくないけどね」
ガラハの質問に答えたエレスィにクラリエはやや嫌そうに言う。しかし、イェネオスたちは構わず整備されていない道へと外れ、再び数分の悪路を進む。見えてきた家屋は長い間、放置されていたらしく完全に苔むしているばかりか樹木に支配されており、そういった植物の一種にすら見えるほどだ。
「あそこで休みを?」
信じられないといった具合でガラハは呟くも、スティンガーは先行して苔むした家屋へと向かう。
「エウカリスの家だよ」
「……それを早く言ってくれ」
「悪気があったわけじゃないから気にしないよ」
思わず彼女の親友を貶してしまったと感じ、ガラハは複雑そうに呟くもクラリエはそれを許す。
「エウカリスの両親は森の森の果てに居を移しているの。果ての果てって聞こえはいいけど、もはやそこは森の端の端。娘の罪を負っているから、神樹が生えていた近くでの暮らしは出来なくなっていて。あたしはそのクローロン家に行って、『身代わりの人形』の製紙技術を森の中限定で解放することを約束してもらって、それからシンギングリンに帰ろうとしたんだ。でも、帰る間際に異界に飲まれたって分かって……」
「そこからは森での暮らしか」
「一旦はシンギングリンの様子を見に行ったんだけど、あたし一人じゃどうしようもないなって分かったから、なんとか逃げてきた人たちの命を繋げるためにリスティに協力してたんだよ」
「責めている気はないよ」
アレウスの呟きがクラリエの罪悪感に触れてしまったらしく、すぐさま補足する。
「ここでクラリエさんの御親友の方が……」
ヴェインは開きっ放しの玄関から中の様子を窺う。
「当時、エウカリスの罪はあまりにも大きかったために彼女の生きている痕跡全てを抹消すべきという声が森の中で溢れ返っていました。それを『影踏』――デストラ・ナーツェ様が鎮め、クローロン家を森の果ての果てまで追放するだけに留め、この家も誰も触れることなく朽ち果てるのを待つよう願ったのです」
エレスィはそう言って、ヴェインと同じように内部に怪しい人物や魔物の姿がないかを確かめる。
「けれど、クラリエ様にはこの家についてはなにも教えていないはず」
「森の果ての果てに行ったときに教えてもらったんだよねぇ。だからここに来るのは実は二度目」
そう打ち明けるとエレスィとイェネオスが「そういうのは黙ったままにしないでください」と声を揃えて言う。
「ここにはエウカリスが生きていた証だけじゃなくって、研究の残骸が沢山あるんだ。それでね、薬の調合書を彼女ったらどんな風に保管していたと思う?」
「どんな風に?」
親友のことを話すクラリエは生き生きとしているため、アレウスは促すように訊ねる。
「あの子ったら、ただで人の目に晒すことは絶対に出来ないようにさ、地下室に保管していたの。その地下室ももう木々のせいで野晒しに近かったんだけど、調合書だけは金庫に入っていて無事だったんだよ。エルフが物の保管に金庫を使うなんてビックリだよ」
「一体どこで調達したんでしょうね。私には想像もつきません」
イェネオスはクラリエの楽しそうな顔にでも負けたのか、感想を述べる。
クラリエにとっては親友でも、エルフたちの間ではクローロン家は大罪人だ。特にエウカリスは獣人を神域に招き入れている。決して許されず、死んでいるからといって罪が償われるわけでもない。エルフたちは永遠にエウカリス・クローロンを悪人として語り継ぐ。
しかし、だからといってエウカリスを親友と言い続けるクラリエの前で、ただ事実を告げて否定することは間違っている。テラー家も森を出て生活をしていた負い目もある。だからこそイェネオスはクラリエの言葉に逆らうことはしなかった。
「その調合書でなにか新しく作れた薬ってあるの?」
「あるよ。エウカリスは森の外の大病もちゃんと研究していてね、神域から無事に務めを終えて帰ってきたらその研究の続きをするつもりだったみたいでさ。あたしには一言もそんなこと話さなかったクセに、しっかりと研究はどうすれば続けられるのか記しておいてあってさ……あれ?」
一粒の涙がクラリエの頬を伝う。
「おかしいな……泣くつもりなんて、なかったのに……変だよね」
「故人を想う気持ちにおかしいことなどありませんよ」
ヴェインと共に内部の安全を確かめ終えたエレスィが言う。
「たとえ、どのようなことがあってもクラリエ様が親友と言い続ける限り、彼女にとってもあなた様は親友であり続けるのですから」
「うん…………あたし、死ぬまでずっとエウカリスの――エリスのことは忘れないつもりなんだ」
涙を拭って、クラリエはエウカリスの家へと振り返る。
「それで、中では休めそう?」
「休めなかったらここにお連れしていませんよ。つまり、俺もここに来るのは二度目というわけです」
「エレスィはまたそうやって勝手に」
「言ったらイェネオスは反対する。どんな経緯であれ、クラリエ様が親友と仰る方の家を覗きたくなるのは仕方がないだろう」
「女性の家であることを忘れていない?」
敬語を崩して二人が言い合い始めたのをよそにアレウスたちはエウカリスの家に入る。あまりにも辺り一面が自然一色だが、短時間の休憩であればさほども困らない。ただし、椅子やテーブルに腰掛けるのだけは控えた。
およそ三十分程度の休憩で悪路を歩いた体の負担は薄まり、色々な意味で名残り惜しさはあったもののアレウスたちはエウカリスの家をあとにした。外れ道から砂利道に移り、そこからまた外れ道に逸れる。先ほどと異なるのは樹木やその根に遮られることはないものの、人が通るような道ではないということ。獣道にも近しいそこは袖や丈の短い衣服であれば身の丈程度で成長を終えている草花の葉であちこち切り傷だらけになっていたことだろう。アベリアとクラリエは軽装ではあるものの外套のボタンをしっかりと留めることで身を守っていた。
スティンガーは自然と触れ合いながら踊るように飛び回っていたが、徐々に辺りが暗がりへと変わるとガラハの元へと舞い戻り、素直に懐へと隠れた。
「この辺りは樹木の成長が止まっておらず、枝葉が日光を遮ってしまうんです」
「通りで足元の感触も変わるわけだ」
「気を付けてください」
イェネオスに注意を促される。ジメジメと、ジトジトと、湿気を感じる。草木と大地が雨水を吸うのなら常に乾燥していると思ったが、どうやらそうではないらしい。日の光が遮られていることと寒冷期であることも相まって、気温がとても低い。氷点下までとは言わないまでも、エウカリスの家があった地点とは五度、もしくは十度は気温差があるのではないだろうか。
「かなり暗いな。これだけ湿っていても火を使うのはご法度だろう? どうするんだい?」
ヴェインが徐々に徐々に暗くなる辺りを見回しながら言う。
「アベリアさんと光源の魔法を唱えようか?」
「その必要はございません」
鈴のように咲いている花にイェネオスが触れると、ポゥッと淡い光を発する。試しにアレウスも鈴の花に触れてみると、同様に淡い光を発した。
「この花の咲いている通りに進めば巫女様のところへ着きます」
なんとも幻想的な花だ。揺らせば揺らすほどに発光は強まり、暗がりの中でもしっかりと足元を見ることができる。アベリアも花の輝きに見惚れて足を止めていたが、ガラハに急かされている。
「蛍を見たことはありますか?」
「いや……でも、どんな虫なのかは知っている。光るんだろう?」
エレスィは不意に訊ねてきたため、そう答える。
「蛍は成虫になってからは綺麗な水しか飲みません。それでも彼らが光る理由は求愛行動の面が強くあります。つまり、命を繋ぐために命を燃やします。聞いただけではなく、実際に見ることをオススメします。とても美しく、優雅で、けれど儚い。きっと命の輝きだからこそ、俺たちは目を奪われてしまうのでしょうね。そしてこの花も、光る理由はきっとあります。ですが、光る理由を俺たちは未だ突き止めることができていません」
「それでもこんなにも目を奪われるのならこの花も命を燃やして輝いているに違いない……か?」
「はい。俺たち人間も争いなど忘れて純粋に、こうでありたいものです」
本心か、それともアレウスを惑わす一言か。読み取ることはできそうにない。
不安定な道を花の光を頼りに進み続けて、木造の家屋が見えてくる。外から見ても質素で簡素なのだが、鈴の花が咲き誇り、眩しいほどに家屋を照らしている。
「巫女様、アレウスさんたちをお連れしました」
扉の叩き金でイェネオスがノックする。中で返事があり、エレスィと彼女の二人が扉を開いてアレウスたちを通す。
「遠路はるばる私の元まで来てくださり、誠にありがとうございます」
室内も鈴の花による灯りしかなく、エルフの巫女は暗がりから薄明かりの元に姿を晒す。
白――絹のように繊細で、触れればすぐに解けて消えてしまいそうなほどの純白の肌に、血管の青さが際立って第一印象としてはとても薄気味が悪い。唇の紅もまた特に赤く見える。腕、足、指先、そのどれもが細く、悪く言えば骨張っている。不健康な細さと呼ぶべきか、それとも巫女にとっては今の肉体が健康であるのか。それは見ただけでは表現することはできない。
しかし、霊的存在とは関係なく、この世に棺に納められた死体が起き上がるようなことがあれば恐らくはこんな蒼白で、美しさよりも怖ろしさが勝るような姿をしているのだろうなと思ってしまう。
そう、美しくはある。白すぎる肌に金糸のような髪は映えており、頬がこけてさえいなければ見目麗しいと言って差し支えない。
「亡霊や幽霊のように見えましたか?」
瞼を閉じたまま、エルフの巫女は言う。
「あなた方の言いたいことは分かります。とてもではないけれど、巫女という務めを果たせるような姿をしていないと」
「異教に絶食し、自らを神に捧げることでミイラとして神の象徴物となり、信仰の極みを得るというものがあります。あなたはまさに、その究極の修行を行っている人のようです」
ヴェインは見たまま、ありのままをエルフの巫女に告げる。
「私は巫女であると同時に大罪人の娘なのです。あるときから鈴の花の咲くこの周辺以外に出ることを禁じられ、死ぬまでここで生き続けることを償いとしています。とはいえ、魔眼のおかげで外の様子を知ることはできています。それでもあなた方が持ち合わせている知識量に比べれば、私のそれは子供の知識量――いいえ、子供よりも劣るかもしれません」
瞼を開く。瞳孔に変化が見られない。筋肉の動きが弱く、強膜と変わりないほどに白い。
「目が見えていないのですか?」
アレウスは恐る恐る訊ねる。かなり失礼なことを言っているのは分かるが、彼女がわざわざ瞼を開いたのは逆に聞いてほしいのではと考えた。
「はい、私の目は大罪人の娘ということで償いの過程で光によって焼かれています。代わりに、」
額に瞼が生じ、第三の目が開く。
「この『天眼』に頼っています。世界の果てまで見通すだけでなく、このように単純に視覚として使うこともできます。大罪人の娘でありながら生かしてもらえているのも、この魔眼を持っているからとあとは……まぁ、色々と。『天眼』を得て、聖女になってから私は巫女と役職を与えられ、この奥地で静かに住まうことだけを許されたのです」
「大罪人はエレオンのこと?」
クラリエが問うと巫女は彼女の前でひざまずく。
「あなた様を苦悩の道へと歩ませたこと、許されざることとは思いますが、」
「何度も聞いてるからもういいって」
そう言われ、巫女はゆっくりと立ち上がる。所作の一つ一つに品があるというより、とにかく遅い。やはり体を動かすだけでやっとなのではないだろうか。
「私の父はエウカリスと同調し、獣人を神域へと誘い込んだ大罪人。それも自らの復讐を果たすためだけの私利私欲。娘である私ですら償い切れない大罪なのです」
クラリエとエレオンのやり取りはボルガネムでアレウスとイェネオスだけが知っている。エレオンという人物もアベリアたちにとっては襲撃者に過ぎず、点と線が繋がっていないだろう。
「エレオン・ノットは潜入工作を主にしている新王国側のエルフ、と思わせておきながら自分自身の復讐を果たすためなら平気で人を裏切ることもできる男だ。特に自身がエルフであることを嫌っていて、尖った耳を削っていて、服装や体臭すら気を遣わなくなっている」
これだけ話せば大体は察してくれるだろう。とはいえヴェインはエレオンを全く知らないだろう。説明不足感は否めないため、あとで情報共有は行わなければならない。
「とにかく危険な人。私たちに攻撃してきたし」
「こっちは色々と気を遣ってあれやこれやとしてやっていると言うのに酷い言い草じゃないか」
家の外で声がして、エレスィとイェネオスが身構える。
「おいおい、俺をここに呼び付けたのはそこにいるエルフの巫女様だぜ?」
「お父さん」
「俺は誰の父親にもなった覚えはねぇんだよなぁ」
「ストルゲー・コンヴァラリア。母はよく自分のことをスティリアやスティーリアと呼ぶようにと私に言い聞かせていたと、エレスィから聞いています」
怒気と一瞬の殺意。しかしながらそれらはすぐに引っ込む。扉の前を守っている二人を無視してエレオンが入り、巫女の姿を眺める。
「これが大罪人の娘に対する仕打ちか。やはりエルフなど信じるに値しないどころか、エルフとして産まれた自分自身を恨むほどの下劣な連中だな」
巫女の弱々しく、骨張った姿を見たエレオンの怒りは再び別方向へと発せられる。
「さっきまで娘なんていないって言っていたようだが」
「おっと、ヒューマンと仲良くしている珍しいドワーフ。それ以上、俺にとやかく言うようならその脳天を撃ち抜いているところだ」
どこからともなく取り出した武器の銃口はガラハの額へと向けられている。
「なぁ、おい? さっさと俺に唱えた死の魔法を解け」
「その銃を下ろさないと解きませんよ、お父さん」
二人の間でヒリついた空気が流れ、とてもではないが割り込める気はしない。
「ここに来るまでも大変でしたでしょう? 渡ろうとした橋は崩れ、川で溺れそうになり、野宿をしようものならどこからともなく現れた魔物の襲撃に遭う日々。いつ命を落としてもおかしくないほどに、死の気配がいつもより集中的にお父さんへと降りかかり続けていたのでは?」
「知っていて言っているんなら性格が悪いな」
「お父さんに似たんですよ」
「いいからさっさと解きやがれ」
エレオンは銃を下ろし、再度要求する。
「さて、お父さんが来てくれたので今一度、状況説明に入りたいと思いますが」
「おい俺の話を聞いていなかったのか?」
「聞いていますとも。しばらく黙っていてくれませんか、お父さん? でないと、私は死の魔法を解除しませんよ?」
エレオンを完全にとは言わないまでも手玉に取っている。綱渡りにも近い危険な行為だが、巫女に怯えはなく恐怖も見られない。その弱々しい体に見合わない精神力の高さにさすがのエレオンも悪態をつきつつも引き下がった。
「書庫を守っていたエルフの多くが森の外へと動きました。警備としては強固ではありますが、以前に比べれば手薄と呼べます。これを機に奪還できないものかと私のみならず、『賢者』の支配から逃れているエルフたちは考えています。その作戦にアレウスさんたちも協力してはくれませんか?」
「元々、そのつもりで呼んだのでしょう? わざわざ僕たちの前に姿を晒すのも危険な賭けだったはず」
「覚悟は態度で示さなければならないと私はボルガネムの一件を観測した上で学びました。あなた方の前であれば、きっと大丈夫だと……不安はありましたが、でも、その不安を抱きつつも前には歩まねばなりません。と言っても、私は鈴の花が咲く範囲以外を歩くことを許されてはいないのですが」
巫女は体力の限界が来たのかアレウスたちに背を向け、室内の奥にある椅子に腰を下ろす。
「星辰によってある程度の予知は可能ですが、それは全て私にとって都合の良い予知ばかり。だから場合によっては、予知通りに行かないこともあります。ボルガネムにおいては『奏者』との詠み合わせにより連合の聖女の詠みを越えることができましたが、今回ばかりはそのような手間を掛ける猶予はありません」
「猶予?」
アベリアはその言葉に違和感を覚え、反芻するように言う。
エルフが動いたのはつい最近であり、未だに書庫の警備は強固でありながら手薄。それが数日間続いているのなら、まだ準備する時間はあるのではないか。そのようにアレウスも思ったため巫女の「猶予」という言葉には引っ掛かりを感じた。
「なるべく時間を掛けずに書庫を制圧したいんです」
そこでエレオンが大声で笑う。
「さすがは俺の娘を自称するだけのことはある。俺のような性悪だ。おい、アレウリス? 俺の娘は書庫を奪還するためになにを犠牲にしようとしているか分かるか?」
「なにも犠牲になど、」
「新王国だよ。『賢者』に支配されたエルフの多くが新王国へと向かっているんだよ。で、あろうことかこの巫女様は、自称であれ俺の娘は、新王国がエルフに攻められている内に書庫を奪い取ろうという腹積もりなんだよ」
「だから犠牲になど、」
「だったら先に言えよ。エルフが移動して警備が手薄になったって説明だけじゃ情報は不足しているよなぁ? ちゃんと事実は事実として伝えておけよ。不都合な部分を隠して協力だけ仰ごうなんて、覚悟は態度で示さなければならないと学んだクセにちっとも出来ていねぇな」
イェネオスがエレオンへと掴みかかろうとするがエレスィがそれを必死で止める。
「……新王国にエルフが?」
「俺が見る限りじゃ、そうとしか思えねぇよ。ついでに言っておくが、王国も動いているぜ? 奴らはエルフの動きに乗じて新王国を攻め滅ぼすつもりだ。たとえエルフに滅ぼす気がなくとも、敵の敵は味方としている王国軍が新王国を叩けば、どうなるか」
「新王国にはマーガレットやリッチモンドがいる」
王女のクールクースにはアンジェラという天使も憑いている。これまでずっと新王国という反乱分子を制圧できていなかったのだから、エルフという不確定要素があろうと王国軍との戦闘で新王国が完膚なきまでに叩きのめされるとは思えない。
「どんなに有名な将がいようと関係ねぇ。王国からは常勝無敗を謳うマクシミリアンが出陣したって話だ」
アレウスはエレオンの情報に息を飲む。マクシミリアンの名はリスティから聞いている。常勝無敗であることも教えてもらっている。王国の王位継承権第一位にして第一王子だ。更には特殊な『指揮』まで持っている。
「ま、この話は俺が場を掻き乱すためについた嘘かもな。嘘だと思ってくれたっていい。ああ、嘘だ嘘。こんな嘘つきのことは気にしなくていいぜ?」
「お前は借りのある新王国を踏みにじるような嘘はつかない」
アレウスはエレオンのバカバカしい演技を見破る。
「死の魔法を解きに来たのはついでだな? お前はそんなものは実はどうでも良くて、僕に新王国が危機に晒されていることを教えに来たんだ。なんの因果か、それが偶然この場所だった」
「どうだろうな? 俺は俺の復讐が最も果たせるところへ渡る根無し草だ。恩や義理があるからってわざわざ出向きたくもない故郷に出向くと思うか?」
クラリエはエレオンにとってまだ信仰にも近い念を抱く存在だ。その前で悪態はつこうが嘘を言うだろうか。ましてやボルガネムで彼女の覚悟を聞いているのだ。そこで多少の改心があったのなら、余計にこの男が言ったことに真実味が増す。
「巫女様、どうして新王国について黙っていたんですか?」
アレウスは問う。
「納得の行く説明をしてください」
巫女は小さな溜め息をつく。
「黙ったまま、知らないまま書庫を取り戻す作戦に引き入れることは叶いませんでしたか。やはり星は都合の良いことしか詠ませてはくれませんね。私のお父さんが言ったことは全て事実です。私がこの『天眼』で観測しています」
「なら最初に言ってくれれば、」
「言えば、あなた方はエルフよりもヒューマンを優先するのではないですか? クラリエ様やドワーフ、獣人をお連れになられていても、それを統率するのはヒューマンであるあなた。あなたはきっとエルフのことよりもヒューマンの戦争を優先する」
「……それはその通りです」
「でしょう? だから、」
「でも、ヒューマンだからじゃない。重大性、優先順から考えてそうするというだけです。エルフの書庫を奪還するよりも、外で起こっていることの方が大きな大きな問題ですから」
「私たちにとってはこの森の中で起きていることの方が大きいんです」
「ええ、それも分かります。僕は森の外で、あなたは森の中で過ごしてきた。その内か外かで、判断がズレるのは当たり前です」
アレウスは椅子の一つを持ってきて、巫女の正面に置いて座る。
「ちゃんと話し合いましょう。僕はどうしたいのか、あなたはどうしてほしいのか。僕はどうしてほしいのか、あなたはどうしたいのか。エルフの書庫の奪還も、新王国の防衛も、どちらも果たす道はないのか」
「ねぇよ、そんなもんは。ちゃんとどちらかを選べ」
「どちらかじゃない。選択肢は二つじゃない、三つだ。その両方を選ぶという選択は必ずある」
エレオンを一言で黙らせる。
「腰を据えている暇がないと言うのなら、互いにさっさと譲歩して妥協案を模索しましょう。こうしている間に情勢が動きます。ええ、僕の知らないところでとんでもないことをしでかしそうな男を一人、知っています。いや、ひょっとするともう手遅れかもしれません。帝国の皇女にもうワケの分からない提案を持ちかけてしまったあとかも」
エルヴァージュ・セルストーが素直に帝国内に留まっているとは思えない。そしてリスティもアレウスたちをエルフの森に送り出してはくれたが、もうシンギングリンにはいないかもしれない。ほんの少し前に彼らの不安材料を取り除いたはずなのに、また起こってしまった。そしてこれは、新王国――王女の命があり続ける限り続く。
「本気ですか? 私には死の魔法があります。あなたに唱えて、黙らせることだってできるんですよ?」
「死の魔法をチラつかされても、僕は折れませんよ。しかも、脅し慣れていないことは声音で分かります。言っておきますが、エルフの書庫の奪還も、新王国への救援も僕たち冒険者に出来る範囲は物凄く限られています。あなた方と、新王国の者たちが自ら掴み取ることへの援助。精々、それぐらいと考えてください」
アレウスの遠慮のない言葉の圧に巫女が言葉を詰まらせ、思い悩む。
「相変わらずこいつは」
「ああ、土壇場で強い」
後ろでガラハとヴェインが呟いた




