赤い淑女
面倒事は早い内に済ませた方がいい。それでも手紙が届いた当日はパザルネモレでの疲労が残っていたため休養とし、次の日に回した。アイシャとニィナは一日だけの外出から再びギルドによる監視下による軟禁へと戻った。再度の手続きは二週間ほど空けないと取れないとリスティは言っており、彼女たちとはまたしばらく顔を合わせることはできなさそうだった。名残り惜しさはあるものの、命があるだけマシと捉えることにした。
「『魔物であれ悪魔であれ、使役の仕方は二種類ある。掌握か契約か。掌握は文字通り屈服させることで服従させる乱暴な方法。契約は対話によって互いに条件を提示することで力を与え合う関係性の構築。でも、契約はおすすめしない。魔物はそもそも契約の知識が足りなくて度々、条件を破って自滅するし悪魔は知恵が働きすぎて言葉を巧みに用いてこちらが知らない条件を密かに潜ませる。アレウスには掌握が合っていると思う。契約も、するとさせるで違いがあるんだけど、それも力で服従させたあとで二重に相手を縛り付けて手中に収められるけど、かなり危ない』」
手紙を読み、言葉にしつつアレウスはアベリアとクルタニカが用意した簡易の祭壇の中心に立つ。
「『掌握は自身の魔力で相手の魔力を塗り替える方法が一つ目。これは私が魔物に対して行っていることで、魔物を自身の魔力の生成物同然に変化させることで魔力の器で管理して、魔力の放出と共に形作らせて使役する。けれど常々に器に抱えておけるのはスライムやガルムぐらいの小型の魔物。使役したあとの管理が難しいオークやオーガなんかはあんまり掌握させない。ゴブリンやコボルトは知恵が働いてたまに歯向かうから問題外。ヴォーパルバニーは小型で管理しやすいけど、ちゃんと神憑きの習性を理解していないと死神に刈られる』」
「簡単に仰っていますけど、自分の魔力で魔物が持つ魔力を塗り替えるなんて普通はできませんわ。そのリゾラという方は何者でして?」
「私を助けてくれた恩人。アレウスにとっても大事な人」
「アベリア以上に?」
「以上ではないよ」
二人の会話にアレウスが口を挟む。このまま手紙を読んでいてもよかったが、こうやってちゃんと断言しておかないとアベリアが落ち込んでしまう。
「『魔力で塗り替えられないなら正面からの力と力のぶつかり合い。どっちが強者をハッキリさせて、ちゃんと負けを認めさせた上で相手の魔力を自分の物とする。これは塗り替えるんじゃなくて魔力の所有。自分の魔力の器とはまた別の器に保管している感じかな。それは目に見えないものじゃなくて、目に見える物で構わない。壺や瓶みたいな器として分かりやすいものなら管理がしやすいけど、剣や鎧なんかを器にすることも出来ないこともない。“曰く付き”があるくらいだから』」
器は細剣とその鞘で済みそうだ。そもそもの力の源がある物体であるし、無理に他の器に入れ替えなくていいだろう。そんな細かいことをアレウスができるわけもない。
「『大事なのは屈服。必ず、自分を強者と心から認めさせること。そこを疎かにすると半端な掌握だから、裏切られやすい。完全掌握はできなくても、自分はいつでもお前の命を奪えるんだぞと脅しをかけて、維持すること。ここに対話はない。対話では魔物たちとは分かり合えないから。どんなに話をしたところで魔物たちは言葉だけじゃ心から人間には従わない。力を見せて、勝てないと分からせてあげること。そうしてようやく彼らは私たちの手中に収まる。私は『雷鳴轟く金槌』を持つ悪魔に契約させて、私の力で屈服させて、二重に雁字搦めにして黙らせている。アレウスがなにを使役したいのかは分からないけど、掌握だけで済ますことができないようならまた連絡して。そのときは私みたいに二重に分からせる方法を教えるから』」
そのように心強い一言があるものの、リゾラは一人で魔物のような存在を従えることができないアレウスなど求めていないだろう。だから書いてはいるが、きっと協力してくれない。
「『あと『教会の祝福』は掌握後が望ましい。これも対象にとっての枷になる。神官や僧侶の魔力が最初に備わっている相手と向こうはそもそも戦おうなんて思わないかもしれないから。それと、絶対にどのような対話の流れであっても掌握前に名前を与えちゃ駄目。名前は存在を確立させてしまって強さが増す。あれとかそれとか、剣とか兜とかそういった三人称や名称は個を固定するものでないから使って大丈夫。それと、顔は必ず確認して。全く関係ないなにかと掌握したり契約させられたりするかもしれないから』」
追伸のようにその一言だけが付け加えられてはいるものの、手紙はここまでで終わっている。特にここ最近の出来事などは書かれていない。最初から最後まで形式的な挨拶は一言も書かれていなかった。
だがアレウスはこの手紙をとてもリゾラらしいと思ってしまう。彼女は形式を嫌う。むしろこんな風に書いてくれていないと心配してしまうくらいだ。
形式的な挨拶がなくとも、彼女はオーネストの元で生きている。手紙が返ってきたのなら、その一番重要なことが分かる。アレウスにしてみればそれだけで十分である
「で、どうして僕は祭壇に?」
「もし掌握に失敗した場合、その細剣に宿っている力が暴走する恐れがありますわ。わたくしとアベリアが細剣の異変を感知した際に即座に祭壇内にあなた諸共、魔力の障壁で閉じ込めます。外への危害を防げば、まぁあなたなら暴走を鎮められるとの考えでしてよ。ただ、もし本当にそうなったときは掌握は諦めることになりましてよ」
「儀礼的なことに祭壇は必要不可欠。対象への敬意にも繋がる。魔物にそれが必要なのかは分からないけど、気が乗ってくれないとそもそも掌握のための戦いにすら発展しないかもしれないから」
「あんまり難しいことは分からないんだけど、とにかく僕は細剣を抜いたあとに出てくる存在と戦って、力で打ち負かせばいいんだよな?」
「うん」
「わたくしもそちらの手紙を拝読させていただきましたが、掌握が手紙の通りであるのなら、その考えで大体は合っていますわ」
「負けたら大変だけど」
「負けることがあったらあなたが掌握される側になりましてよ。そうなる前にわたくしたちが鎮圧できればいいのですが、あまり期待はなさらないでほしいですわ」
負ければそれはつまり死である。もしものことを踏まえて『教会の祝福』を先に受けたかったのだが、そんな事前の準備は望ましくないらしい。それでも身の安全を第一に考えるべきだったのかもしれない。
「もし僕が負けたら、」
「そんなことは聞きたくないんでしてよ」
「アレウスが勝つことしか私は考えてないから」
と言いつつもしっかりと祭壇の支度は済ませているのだからどこまでその言葉が本心なのかは分からない。しかし、二人揃ってアレウスに対して強い期待と信頼があるのもまた確かである。
応えたいが、自身の力が伴っているかどうか。不安はあり、緊張もする。しかし、止まったままでは進むことはできない。歩まなければならない。どんなに怖いことであっても挑まなければならないことはある。
ただ、もうちょっと頻度を減らしてほしいとアレウスは心の中で呟いた。負けられない戦い、引き下がれない戦い。そんなものにアレウスは身を投じすぎている。たまには負けてもいい戦いがしたい。そんな弱音を吐きそうになる。この世の中に敗北が許される戦いなどありはしないというのに。
「準備は万端?」
「万端でも万全でもないけど、戦う準備はできているよ」
どんなに万端で万全だと思っても、戦いでは常になにかが足りなくなる。それを補うために知恵を絞ることになるのがいつものことで、もはやそれは避けられないことだと諦めている。
「剣を抜くぞ」
二人にそう言って、表情を窺ってからアレウスは祭壇上で細剣を鞘からゆっくりと抜き放った。
『戦火を拒む者よ、戦火を知らぬ者よ、なにゆえに我の剣を鞘から解き放った?』
辺り一帯が赤い景色に染まる。先ほどまで近くにいたアベリアとクルタニカの姿が見当たらない。
『ここは我の空間、我の居場所、我の心。そのように見渡しても貴様の知る者は誰一人として見ることは叶わない』
祭壇の上に女性が立っている。アレウスは祭壇上で細剣を抜いたはずなのだが、自身は祭壇の上に立っていない。それどころか手元にあった細剣は鞘ごとなくなっており、女性が手に握り締めている。
兜で顔は見えず、胸部を覆う赤いハーフアーマーを身に着け、なのに下半身はクリノリン――骨組みでスカートを膨らませ淑女のようにも見える。しかしそのスカートの端々は所々が焼け落ちており、骨組みも女性の素足の一部も見え隠れし、靴は履いておらず裸足だ。
『戦の炎を知らぬ者よ。戦争に溺れぬ者よ。我になにを望む?』
「……お前は、パザルネモレで戦った赤い鎧とは違うのか?」
『我は貴様が赤い鎧と呼んでいる者の残留思念にして『原初の劫火』の残滓。魔物でも悪魔でもない曖昧な存在。ゆえに赤い鎧でもあり赤い鎧でもないと答える。貴様は我をなんと呼ぶ?』
リゾラの手紙には名付けるなと書かれていた。名前は与えてはならない。この呼び方も、個を指定するようなものにしてはならない。
「お前をどう呼ぶかは僕がお前を服従させてから決める」
『服従……? そうか、そうかそうか。ならば戦争を望むということか。戦争に服従は付き物だ。捕虜に奴隷、そして国家の滅亡。どんなときも相手を屈服させ捻じ伏せ、服従させる』
業火が赤い景色の一部で爆ぜる。
『我と共に戦争の惨禍に身を投じるのだな?』
「いいや、戦争には行かない。もし行くことになったとしても僕は戦争を止める」
『そんなことは誰もが思い、願うことだ。戦争を止めるために戦争へ行くのだ。そして惨禍を見て、惨状を見て、悲壮な顔をして泣き叫ぶ。我はその悲鳴という名の炎の中で、多くの命を焼き、糧とし、我が身へと奪っていく。そうして世界を炎で包み込む』
「そんなことはさせない」
『させないのではない。そうなるように世界は出来ている』
赤い淑女は細剣に血を流し、大剣へと変えて片手で肩に乗せて構える。
『人間は世界に火を放つことをやめられない。だから我のように赤を象徴とする騎士が現れる』
格好はどう見ても騎士ではなく淑女であるのだが、身に着けているものだけで全てを決め付けてはならない。赤い淑女の大剣を甘く見てはいけない。見た目、背格好、服装での油断は相手に付け入る隙を与える。
「だったら、僕を追い出そうとするのではなく僕と戦え」
『戦いを望むか?』
「ああ、お前の戦争への衝動を止めるために僕は戦う。戦って僕が勝ったなら、僕に服従しろ」
『ならば我が勝ったなら、貴様は我の配下となれ』
「言ったな? だったらお前がお前自身であることの証明のために顔を見せろ」
『我が小賢しくも貴様を惑わせようとすると思うか?』
言いながら赤い淑女は兜を脱ぐ。黒々とした髪に赤い瞳。体躯の割に顔はとても幼く見える。それでも骨格の妙からか、見目麗しさを秘めてもいる。
ヴァルゴの尖兵が持っていた細剣なのだから女性の容貌であるのは想像できていたが、しかしアレウスはなにかが引っ掛かる。
「僕は、お前を見たことがある」
『なにを言っている? 気でも狂ったか?』
どこで見たのか、どこで会ったのか。とにかく分からないがこの赤い淑女の顔をアレウスはおぼろげながらに記憶している。
しかし、この存在は人間でもなく魔物でもない。もし会っているとしてもそれは決して本人ではない。そうは分かっていても、記憶から答えを必死に探そうとしてしまう。
雑念をアレウスは振り払う。名付けておらず、顔も見た。その上で掌握のための戦いに繋がった。リゾラが気を付けろと書いていたほとんどはこれで排除できたはずだ。
「完膚なきまでに叩きのめして、お前に敗北を与え、負けを認めさせる。絶対に」
あとは勝つことだけ。勝ち取るだけだ。そのようにアレウスが身構えると、赤い淑女は嗤う。
『その思考こそ、人間が争いから逃れられぬ運命であることを証明している』
アレウスの周囲一帯に赤の線が張り詰めた糸のごとく無数に現れる。
『滅びよ』
目に見えない速度で赤の線を辿るように剣戟が駆け巡り、さながら空間という名のガラスを切り分けたかのように視界が割れる。その刹那、炎が剣戟の軌道を走り抜けて縦横無尽に炎の刃がアレウスを襲う。
赤い鎧が用いた抜刀術に似ている。しかし、異なるのは赤い淑女は細剣で空間を切り分けるのではなく、大剣の剣戟が走ることで空間が切れた。それも居合いのような抜刀ではなく、既に抜き身の大剣でやってのけた。炎の刃自体がアレウスを切り刻もうとも、それらの傷は貸し与えられた力を用いれば瞬時に癒やすことができる。しかし、ここで重要なのはアレウスは接近を必要としているが赤い淑女はこちらから離れていても攻撃手段を持っている点だ。それも目で追うこともできない剣戟ともなれば厄介極まりない。気の抜けた足運びと反射神経で近付こうものなら炎の刃はともかくとして、目に見えない剣戟によって肉体を断ち切られてしまう。
予備動作で赤い線が見える。即ち、それが見えた瞬間に剣戟に軌道から身を逸らす。これを一瞬の内に行う。そして接近までこなすとなると、かなり旗色が悪い。悪いが、白旗は挙げられない。
赤い淑女の攻勢に対し、アレウスは炎の飛刃を放つ。接近戦に持ち込まなければならないのは確定だが、一応は飛び道具のように放てる技はある。しかし、これは赤い淑女が用いる炎の瞬刃に対してあまりにも心許ない。赤い線が描く軌跡から外して飛刃を放っても、赤い淑女は踊りのステップを踏むようにしてかわしてしまう。軽やかに、それでいて淑やかに。殺気はありありと感じ取れるが、所作に気品さが溢れる。なのに大剣を振るうのだから視覚から入る情報に混乱しそうになる。不釣り合いと不似合いと不均衡に、脳が処理することを拒むのだ。
『貴様には犠牲が足りない』
赤い線が迸る炎の剣戟に変わって景色を切り開いた直後、赤い淑女が一気にアレウスへと距離を詰めて大剣を振るう。短剣では決して受け止め切れないため横へと避ける。
『戦火とは、炎とは、数多の犠牲の上に立つ者が掴む物。数多の犠牲を糧とし、燃料として弾けるように溢れ返る。それが炎だ』
大剣を振り回しているにしては細腕に似合わない腕力を持つ。振り方には技能の欠片もないのだが、とにかく一振り一振りに速度がある。人間ならば大剣を一度振れば次に振る動作に入るには凄まじいまでの力を伴わなければならないのだが、赤い淑女はそういった一切を無視している。もしかすると細剣を媒介として大剣にしているために重量が見た目通りではないのかもしれない。
ここは赤い淑女にとって都合の良い境界だ。大剣の重量以外にもアレウスの常識を覆すようなことが起こり得る。注意しなければならないが、意識し過ぎれば目の前の剣戟を避け損ねる。今にして考えれば、随分とアレウスに不利な状況での戦いだ。このことばかりはリゾラに伝え損ねていた。もしも伝えることができていたなら有利な流れへの変え方も教えてくれていたのだろうか。
弱気になってしまったが、それを自身の動きにそのまま乗せはしない。赤い淑女が信じられない速度で攻勢を仕掛けてくるのならアレウスはそれをひたすらに避け続けて、その合間に反撃の糸口を探り、刈り取りに行くだけだ。現に回避のあとにアレウスは間際に迫っての剣戟を放つことはできている。現状は避けられているがあとはそれを当てるだけだ。そこに持ち込むための戦いは何度もやってきた。培ってきた勘を違えることはきっとない。自信を持って、立ち向かうのみだ。




