ワガママの限界
*
「大きな罪にならずに済んで良かったですね」
「良いのか悪いのかは定かではありませんが、アレウスさんたちを心配させていたのであればその方面では良かったと言えます」
リスティと集合住宅に向かって歩く。
シンギングリンに帰って二日が経ち、ようやくリスティの処遇が決まり、エルヴァとレストアールも街から帝都へと引き上げた。審問結果に与えられた条件を達成したため、彼女のパザルネモレにおける総指揮の責任問題は最小限に留められた。
「私財――お金は、どうなりましたか?」
「全私財の五分の一と言われましたが、自分自身の罪の意識から逃れるために半分ほどを放出しました。それが悪いことに使われるのか、それとも経済を潤すために使われるのかは知りませんが」
「半分も、ですか?」
「王国から亡命してから私の財産なんてあってないようなものですよ。お金に頭を悩ませずに毎日を暮らせるくらいのお金があれば、私はそれで構いません。まぁ、たまに一気に財産の全てを消費して破滅したいという願望に囚われることもあって、唐突な浪費を行うこともあるのですが、それでも身を売るほどのところまで行くことはありませんでした。どれだけ破滅したいと思っても、理性が止めてくれるんです。止まれない人は、そこの大切な部分が使い物にならなくなっているのでしょう」
「クルタニカのことを言っています?」
「ふふっ、そうですね。考えてみれば彼女は博徒でした。なので有り余るほどのお金を与えてはならないような気がします。私と違って、彼女は間違いなく止まれず、本当に破滅してしまうでしょうから」
博徒な上に目立ちたがりという点も経済的破滅に物凄く近いところに立っている要因である。通常であれば神職など許されないのだが、シンギングリンに寄与している彼女から職を奪うことができない。逆に言えば彼女はこの街でなければ神官という職業には就くことは不可能だ。もしも街に見放されたら彼女は転職を考えなければならないだろう。
「アイシャさんとニィナさんは先に着いていらっしゃるんですか?」
「はい。リスティさんを待っている間に一時外出の許可を提出して、監視役をガラハにしたのですんなりと」
「実力のある方が責任者として署名しているのであれば、ギルドも意地悪はできませんから」
それにしても、とリスティは続ける。
「どうして皆さんを集める必要があったんですか? 今日は誰かの誕生日でもありませんし、祭事があるわけでもありませんよ?」
「まぁ着いてから話します」
アレウスはそう答えて先を進む。
「ああ、そうそう。私財を半分放出したので、住んでいた部屋も引き払ったんですよ。なので私は本格的にアレウスさんがご購入された集合住宅で住むことになります。今日すぐにとは言いませんが引っ越しの荷物運びを手伝っていただいてもよろしいですか?」
「任せてください」
「代わりと言ってはなんですが、ギルドマスターを辞して担当者一本にまた戻るんですが二週間程度自粛することを命じられています。その間は給仕や清掃などは私が務めます」
「えーと、その辺りは分担してやることに決めているので。それに、一人に任せすぎると絶対に僕は怠けてしまいますし、リスティさんも徐々に僕たちへの不満が溜まると思います。だから、いつも通りが良いんじゃないでしょうか?」
一人に雑用をなんでもかんでも押し付けてしまうと、段々と傲慢になる。分担作業は家の清潔感に全員が気を遣うようになるだけでなく食材購入は市場理解を深め、調理技術を学ぶことができる。
「……そうですね、その方がいざこざが起こらないのであれば私も控えることにします」
「ただ、あんまり僕の懐には期待しないでください。ここ最近は特に出費が激しかったので、しばらくは倹約しながら小さな依頼を片付けるだけかと」
特に連合で金貨を散々に支払ったのが痛い。安全のために資金は惜しまないのが正しくはあったのだが、想定以上の出費となってしまった。ガラハが連合で依頼をこなしてくれていたのでなんとかなった。あとはシンギングリン帰還後にドナが護衛任務達成の報酬を支払ってくれた面も大きい。あれはギルドがアレウスたちを送り込むために貴族という階級を利用しただけで、彼女に報酬を支払う義務はなかったのだが、「気持ちとして受け取ってください」と渡された。そんな風に言われたら無下にもできなかった上に、ある意味でお金には困窮していたので拒み切れなかった。
「話を聞いて驚きましたよ。連合に入ってから出費し続けていたそうじゃないですか。それもとんでもない額を」
「そうでもしないと身の安全が確保できなかったんですよ」
「だとしても、もうちょっと資金は潤沢にしておくべきです。私は自粛期間中はアレウスさんに正しいお金の使い道を教えようかと思ったくらいなんですから」
「そんな子供を相手にするみたいに」
「子供ですよ、私から見ればまだまだ……いいえ、まだまだではないかもしれませんね」
アレウスへと早足で駆け寄り、リスティは耳元に口を近付ける。
「私が魅力的だと思うくらいには大人になりつつありますよ」
そう囁かれて、全身に痺れでも走ったのかと思うほどの快感にアレウスは身悶えするが、十数秒かけて冷静さを取り戻す。
「からかわないでください」
「からかっていませんよ、私は本気で思っていますから」
見ればリスティからは偽り一つない熱を帯びた視線が向けられている。
「まぁでも、特例をアレウスさんが得てからですけどね」
リスティはアレウスが思う仕事のできる理想的な年上の女性である。普段は落ち着きがあり、物事への関心や思考力の高さを持ち、時には言葉を荒くしてでも叱り、反省を促してくれる。進むべき道を提示し、可能かどうかの判断はアレウスに任せ、強制であれば申し訳なさを口にする。厳しさの中に優しさがあり、年上なのに子供のようないたずら心も併せ持つ。こんな人に「魅力的」と言われて、頬を緩めずにいられないわけがない。なんなら無駄に頭の中で妄想が走る。宴の席とはいえ口付けも交わしている。多少、強引に行ってしまっても許されるのではと理性が飛びかける。
ここまで妄想に踊らされても留まることができるのはアベリアがいるからだ。特例措置云々を飛び越えて、彼女にだけは無駄に心配や不安を与えたくない。クラリエにも釘を刺されている。リゾラの件もあって、もうこれ以上はと強く強く思っている。
街の外れにある集合住宅――外れにあるからこそ買い手が付かなかった物件なのだが、共同生活を送る上ではこれ以上のものはない。たとえ利便性が多少損なっていようともアレウスたちにとっては価値がある。シンギングリンが異界化した際にこの家が巻き込まれなかったのは本当に運が良かった。
「ただいまー」
「あ、やっと帰ってきました。アレウスさんがなんのために私たちを呼んだのか早く教えてください」
「なんでそんな邪険にされなきゃならないんだ」
「だって私たちは外出できる時間が決まっていますから。何事もテキパキと済ませたいんです」
「嘘だぞ、アレウス。この小娘は洋服をニィナと洋服を買いに行く話をずっとしていた」
ガラハに真実を語られたがアイシャは態度一つ変えることなく喉の調子を整えて誤魔化す。その図々しさは以前にはなかったので珍しく、注意するタイミングを逃してしまった。
「久し振り~って言いたいのに、なんかそんな雰囲気じゃない感じ?」
クラリエはロビーに備えている椅子の一つに腰掛けて大きく背伸びをする。パザルネモレに出ていた間は彼女が家の管理をほとんどしていたと言っても過言ではなく、ようやくアレウスたちが帰ってきたことで見せないようにしていた疲れが出てきたのだろう。
「人を呼び付けておいて待たせるのはあまりよろしくないんでしてよ」
「クルタニカさんも、」
「『さん』付けは必要ありませんわ」
「クルタニカ」
「『ちゃん』を付けてもよろしくてよ?」
いつものやり取りが微妙に変化している。『ちゃん様』呼びはそろそろ飽きているか、もしくはもうアレウスにその呼び方を要求したくないのかもしれない。そろそろ普通に呼んでほしい。そんな願望が見え隠れしている。
「カーネリアンは?」
「あの子は地上に降りる暇がないくらい忙しいんでしてよ? それともカーネリアンがいないと寂しいとか仰るんでして?」
「違う違う。僕と一時的とはいえパーティを組んだ人には話をしておきたくて……」
クラリエの方を見る。
「エレスィもイェネオスも森だよ。大切な話なら事前にそう言っておいてほしかったねぇ」
「そんな重要なことを話すんですか? まさか、冒険者を辞めるなんて言いませんよね?」
ジュリアンがやや不安そうに言う。
「いや、そんな物凄い発表をするわけじゃないんだ。ないんだけど」
頭をアレウスは掻く。
「意固地になって、神官が嫌いだからって理由でずっと『祝福知らず』で冒険者をやってきたんだけど、いよいよそのワガママも限界だろうと考えたんだ。だから、『教会の祝福』を受けようと思う」
「アレウスが『教会の祝福』を? え、本当にアレウス?」
アベリアが顔をペタペタと触ってくる。
「臭いはアレウスだぞ。なんだ? そんな驚くほどの発表だったのか?」
事情をあまり知らないノックスが周囲の反応を窺う。
「なんだかアレウスらしくない消極的な発表だな。俺はそこに賛成するとかしないとかはともかくとして、君がどうしてその思考に至ったのかを教えてほしいな」
ヴェインが紅茶を飲んで一息入れてから言う。
「俺とパーティを初めて組んだときから『祝福知らず』だった。あんなにも意地になっていた君が、考えを改める理由を説明してほしい」
「……僕は神官が嫌いだ。僕を異界に堕とした連中が神官だったから……あとは、体を痛め付けられたのも理由としてある。だから、そんな神官たちが冒険者の復活のために用意した『教会の祝福』なんて絶対に受けたくないって、思い続けてきた。なのにアベリアには死んでほしくないからって受けさせるくらいのワガママを披露しておきながらね」
上手く言葉にできるか怪しいが、アレウスは一つ一つ自身の想いを吐露する。
「先日、パザルネモレで違うパーティの在り方を見た。とても良い刺激になったのと、パーティの一人が死ぬかもしれないという状況はとても不安で、とても危険で、とてもじゃないけど気持ちが穏やかではいられない状況なんだと分かった。終末個体のピジョンのときにも思っていたことなんだけどさ。でも、そこから『原初の劫火』から貸し与えられた力を得ることができて、なんとなくだけど自分の実力も付いてきてさ、死ぬって感覚が遠ざかったような気でいたんだよ。まさにヴァルゴの異界に再び堕ちて、帰ってくるまで」
「あそこでの経験がアレウスに『教会の祝福』を受ける決意をさせたの? 御免だけど私から見ても、アレウスがそんな風に考えていたようにはとてもじゃないけど見えなかったけど」
ニィナは『本当にそれでいいのか?』と聞きたいのだろう。
「オラセオが毒になったとき、マルギットは自分自身が死んででも彼を守ろうとした。究極の自己犠牲で究極の自己満足だ。僕はそういうのが大嫌いだ。けれど、その大嫌いなことを僕たちは、或いは全ての人々は究極の状況に追い込まれたら、そうするんじゃないかって思ったんだ。つまり、ニィナがアイシャのためなら死んだっていいと思ったり、アイシャがニィナが助かるのなら死んだっていいみたいな考え方だ。パーティを組んでいるとき、きっとみんなが言う。俺が、私が、アレウスの代わりに死ぬ……って。パーティリーダーが死んだら全滅が近付くからって観点でもあるけれど、実際にはそれは感情論。僕が死にかけると、みんな絶対に僕を守ろうとする。このみんなには一時的にパーティに入ってくれたアイシャやカーネリアンは含まないけどさ」
マルギットの生き方は、オラセオを守りたいという気持ちは間違ってはいないが、正しくもない。
「あの二人の、死の選択は異界限定だった。結果的には二人ともなんとか世界に踏みとどまることができたから良かったんだけど……僕は、異界とか関係なく世界でもずっと君たちに選択を迫り続けてきていたんだと、分かったんだ。自分のワガママで、意地で、意固地で、君たちは常に僕が死んだら終わりの戦いを続けている傍で戦い続けていた。きっと気が気じゃなかったと思う。そんな状態でさ、僕はいつも無茶ばかりして心配させて、限界を迎えて気を失って……その度に、君たちは不安だったはずだ」
「確かにな。お前の言う通り、オレたちは戦いの中で常々にアレウスの立ち位置を気にしていた。赤い鎧との戦いでも、お前を守るためにオレはこの身を犠牲にする覚悟だった」
炎の焼かれないようにガラハはアレウスを身を挺して守ってくれた。あれもアレウスが死んだらそのまま甦らないと分かっているからだ。それ以外にも守りたいという感情が上回ったからその行動を取ったとも言えるのだが、根底にはやはり死んだらそれまでという部分がある。
「せめて世界では、もうそういう不安を、怖さを、苦しさを排除しなきゃならない。ワガママだけで世の中は生きられない。ワガママを貫き通せるほど僕はまだ強くない。だから『教会の祝福』を受けようと思う。それでようやく命の価値がみんなと同じところに立てる。僕を最優先しなくて済む。それだけ決断が早くなる。僕も、死が軽くなるとはいえ死地に飛び込む覚悟が決まる。みんなに聞いてもらいたかったのは、パーティを組んだときに僕が『教会の祝福』を受けたことを知らないままの仲間がいないようにしたかったから。エレスィやイェネオス、カーネリアンにはまたあとで伝えてほしい」
「……俺は意地でも初期の気持ちを貫き通す人は嫌いじゃない。でも、周りの人のことを思って考えを改めてくれる人のことも嫌いじゃないよ」
ヴェインがアレウスに微笑む。
「君のその決意は、俺たちにとってとてもありがたいことだ。反対するわけがない。むしろ喜ばしいことばかりだ。ああでも、なんでもかんでも突撃はしないでくれよ? 甦るとはいえ、死ぬことは正しいことじゃない。死が遠ざかっても、死は最大の恐怖だ。常に生き残ることを前提とした戦いをしてくれないと、君が異界の調査に行く際に俺はもっと心配することになる。死なない戦いをせずに、身勝手に死なないだろうかと、ね」
「そこは心配しないでほしい。僕は基本的に死にたくない。死にたくないから世界での戦い方も異界での戦い方に倣っているところがある。気を緩めることもない」
過去の苦しみがあるからこそ、異界で余裕を持って調査することなどないと断言できる。
「…………誰も異議を唱えないのであれば、満場一致で賛成ということでしてよ」
クルタニカが椅子から立ち上がる。
「けれど、あなたのロジックは少々特殊でしてよ」
「私じゃないと開けない」
「そう、アベリアじゃないと開けない。だから、」
「アベリアを同伴させてわたくしが『教会の祝福』を施しますわ。以前にわたくしがお誘いしたように。ちゃんと秘匿性を維持して失敗など絶対にしませんわ。ここにはアレウスのロジックについて外に話すような方もいらっしゃらないでしょうし……ねぇ?」
彼女の視線がアイシャとジュリアンに向く。
「私が今更どうしてアレウスさんにどうこう言えると思うんですか? 自分の立場すらここにいる方々以外には話せないんですよ?」
「アレウスさんが『教会の祝福』を受けるのであれば僕も受けますよ。これを機会にしなければ、僕もずっと皆さんに心配を掛けてしまいますし」
「そういえばジュリアンさんは冒険者登録がまだできておらず、『祝福知らず』のままでしたね」
「はい。それで、僕の手続きはどうなっていますか?」
「私がギルドマスターの仕事をしていたときに済ませましたよ。一年待たせた挙げ句、シンギングリン奪還において力を尽くしてくれた冒険者見習いを無視は行き過ぎていますからね。年齢の問題があるにはあるんですが、パーティリーダーではなくパーティの一員としての加入のみに限定することで通しました」
「ありがとうございます。では、アレウスさんの前に僕が実験台になりますよ。それを見てば受ける際の不安もなくなると思うので」
「年下を実験台にするのか、僕は」
「なにか問題でもありますか?」
ジュリアンは別にアレウスのことを思って先に受けることを申し出ているわけではない。たださっさと受けたいだけなのだ。とにかく自分最優先なのだ。
「……まぁ、ジュリアンみたいなのがいいのかもな。異界はともかく、世界での戦いでは自分を最優先でいて欲しい。自分を投げ捨てることだけはしないでほしい。『教会の祝福』を受けるのはそのためでもある。アベリアを例にして言うけど、僕が死んだら自分も死んでやるとか思っているのが少なからずここに何人かいる」
指摘されたアベリアだけでなくクラリエやノックス、リスティまでもが肩をビクッとさせる。
「誰かが死んだら自分も死ぬ。そういうの、嫌なんだよ。僕が言える立場じゃないのも分かってる。僕も僕でかなり危ういところで保てているのは理解している。だから、だからこそ僕みたいな心情にはならないでほしいんだ。僕は思うんだよ。僕が死んでも、君たちには生きていてほしいって。僕の命の終わりが君たちの命の終わりになるのは、耐えられないんだ。とにかく、生きていてほしいんだ。悲しみに悲しんだあと、笑っていてほしいんだ。いや、悲しむかどうかは措いておいて、とにかく……僕の死を理由に死ぬのだけは、やめてほしい」
オラセオがいないなら自分も死ぬ。そんなマルギットの思想を持ってほしくない。
「約束はしなくていい、誓わなくてもいい。心に留めておいてほしい。それだけでいいんだ。それだけで、僕は僕が死ぬときに、その死を受け入れることができるから」
「そんな簡単に死なせないよ」
ヴェインが軽く笑う。
「生かして生かして生かし続けて、その寿命が尽きるまさに大往生を迎えるまで君は死なせない。少なくとも俺より先に死なせやしないさ。君に見送ってもらうことが俺の命の果てなんだから」
「そこはエイミーさんじゃないのか?」
「エイミーを見送るのは俺の役目だよ。散々、心配させているこの俺がエイミーより先に死ぬことなんて許されるわけないじゃないか」
凄く自然に、サラリと信念を語られた。言っていることは重いが、ヴェインが言うとなにもかもが軽く聞こえる。それが当然のことのように思えてしまう。
「最終的にみんなを見送ることになるのはあたしだと思うんだけどねぇ」
「オレかもしれないぞ?」
「そんなところで張り合わなくていいよ」
クラリエはガラハに呆れながら言った。
「それで、いつ頃に『教会の祝福』を受けるんでして? 復興が進んでいるとはいえ、わたくしも教会での奉仕活動が山積みですので早い内に予定を組んでくださると助かりましてよ」
「そこなんだけど、実はもう一つ解決しなきゃならないことがあって。でも順番としてどっちが先なのが適切なのか分からないから――」
クルタニカと話していると窓を掻くような音がしたので、アレウスはゆっくりと窓を開く。野良犬のような、しかしガルムにも見えてしまう生物が首輪に手紙の入った筒を結わえ付けられている。それを受け取ると数度吠えてから踵を返して駆け出して空気に溶けて消えてしまった。やはり野良犬ではなくガルムだったようだ。
「珍しい手紙の届け方ですわね。今のは魔物を使役して運ばせていましてよ。いわゆる使い魔、もしくは服従させた魔物といったところでしょうか」
「ってことは、リゾラから?」
アベリアがクルタニカの言葉を聞いてからアレウスに訊ねる。
「隠す気はないから、先に読んでくれて構わないよ」
秘密の手紙のやり取りをしているなどと思われたくないので手紙を開ける前にアベリアに渡す。
「もう一つの問題というのが、まさにこの細剣なんだ。ここには服従させなきゃならない存在がいるらしくて、その資格があるのが僕とアベリアのどちらかだけ。けれど剣という形状から僕が持つべきというのがジョージの見解だ」
この中にはジョージと面識のない者もいるが、ともかく自身の持っている細剣がただの代物ではないことを伝える。
「僕にわざわざ出先から手紙を寄越してきたのはそのためだったんですね」
パザルネモレから馭者に手紙を持たせてまずジュリアンに。そこからジュリアンの師匠を経由して、リゾラへと手紙を送った。
「と言うか師匠はリゾラさん? の居場所をどうして知っていたんでしょうか。いや、まぁ多分ですけどあの人への恨みがあるのでエルフの巫女のように常に観測しているからだとは思いますけど。でも、その異常さのおかげでアレウスさんの力になれて良かったです」
オーネストの名を出せばクルタニカやアイシャが大騒ぎするので控え、そして自身の師匠の異常性についてジュリアンは呟いた。
「服従のさせ方をリゾラに手紙で教えてもらうってこと?」
手紙を一通り読み終えたアベリアがアレウスに返す。
「カーネリアンでも良かったんだけど、この手のことに一番詳しいのはリゾラだろ?」
「そりゃあれだけの魔物を服従させている上に馬鹿げた量の魔力を持っていたもんねぇ。適材適所で言ったらあの子以上にその手の分野に精通している子はいないよ。でも、手紙だけで分かるものかなぁ」
それはアレウスも懸念しているところだ。手紙で説明を受けるよりも目の前で実際にやってもらった方が分かりやすいこともある。特にアレウスは魔力系統はからきしなので文面だけで感覚を掴めるかどうかも定かではない。
「でも細剣の服従と『教会の祝福』の順番をどうしてそんなに気にするの?」
「服従させてから『教会の祝福』を受けるか、『教会の祝福』を受けてから服従させるか。アレウスさんはそこを気にしているんでしょう」
クラリエの質問にリスティが代わりに答える。
「要は瓶に蓋をするか否かみたいな話です。服従とは言っていますがこの場合はガルダが刀と行う契約にも近いこと。この契約はロジックにも刻まれます。なので、契約後に『教会の祝福』で封をして契約対象が言うことを利かなくなる不安定さの排除をアレウスさんは考えていらっしゃるのかと」
「ほとんどはリスティさんが言った通りです。ただ、その封をすることが果たして正しいのか、それとも逆に服従させる存在を反抗させる要因になるのか分からなかったので、リゾラに契約の仕方と意見を仰いだんです」
実際、契約云々の話はよく分からない。悪魔との契約は決してしてはならないと常々に言われているが、果たして魔物との契約が許されるのかどうかも怪しい。それでもリゾラは魔物を使役していた上に、カーネリアンは『悪魔の心臓』とはいえ、その器であるエキナシアを連れている。自身の力で抑え込めるのであれば、力を借りる程度は許されるという判断なのだろう。
「あと、この細剣を抜いて行う契約が僕にとって必要なことなのかもイマイチ分からなくて。かと言って、この細剣を持て余すのはあまりにも危険なので」
これを媒介にしてまた赤い鎧が復活しないとも限らない。これはパザルネモレで細剣を回収したときからずっと危険視していることだ。契約せずに細剣を厳重に保管しても、この細剣に意思があって空気中に漂う魔力を少しずつ取り込んで復活されたら大事である。ならば物理的に破壊するかとも考えたが、破片になろうとドロドロに溶かそうと、この世に塵となっても残り続ければ結局のところ危険性は残り続ける。だったらいっそのこと、手中に収めてしまいたい。
「でしたら、そちらの細剣をどうするかによって予定が変わるということですわね? 先になるのか後になるのかは分かりませんが、連絡してくださればどうにかして時間をお作りしますわ」
そう言ってくれたクルタニカにアレウスは小さく頭を下げて感謝の意を示す。
「あとはアレウスがどれくらい手紙の内容を理解できるか、か。言っておくがオレにだけは頼らないでくれ。その手の話はオレが最も不得意とすることだ」
そうは言ってもガラハはスティンガーと共に生活している。妖精との共存もまた契約に近いとアレウスは思うのだが、力で屈服させるような関係ではないから専門外なのかもしれない。
「『教会の祝福』も契約もできるだけ早くに済ませるよ。で、これで僕の話は終わり。わざわざ集まってくれてありがとう。あとは好きにしてくれ」
「呼び付けた人が最後に言うことじゃない気がします」
「あんまり突っかかっちゃ駄目だよ、アイシャ。アレウスがこんなに大勢の前で話すのなんて滅多にないし、緊張しっ放しだったんだろうから」
「なんでお前は僕の心を読めるんだよ」
アイシャを抑えるニィナの言葉に対し、アレウスは冗談半分ではあれ恐怖を覚えた。




