条件は一つじゃない
*
「リスティ、分かっていると思うが審問は罪を決めるための場じゃない。それは裁判所の仕事だ。だから嘘さえつかなければ君が審問の流れで捕まり、断頭台にかけられることもない」
「ええ……」
「アレウスたちの担当者になる前に確かパーティを全滅させてしまい、そのときにも君は審問を受けたはずだ」
「そのときとは規模が違いますから」
「どうであれ、真実を語るだけだ。仮とはいえギルドマスターの仕事をしてしまったのが運の尽きだったな」
「……いいえ、そこに後悔は全くありません。誰かが担わなければならなかった。私が担うことでシンギングリンの冒険者たちは再び集まることができました」
「だろうな、君はそういうことを言う女だ」
エルヴァはリスティの目を見つめ、自身の思い描く彼女と全く違わないことに微かだが喜びの感情を見せる。
「君はギルドマスターであり、皇女殿下に認められた冒険者の担当者だ。だから僕たちがわざわざ帝都から出向くことになったんだが、当の皇女殿下は激務でシンギングリンにはおられない。全ての裁定は僕たちにある」
わけだが、とエルヴァは続ける。
「僕はリスティと面識があるということで進言できないどころか審問を監視することもできない。庇い立てすると思われている」
「エルヴァが自分のため以外で人を庇うわけないのに」
「だろ? あいつらは俺のことをなんにも分かっていない。俺は――僕はそこまで気の良い奴じゃない」
「クルスが――クールクース様が関っていれば、審問になにがなんでも加わっていたでしょうに」
一言二言だけ、いつかの空の下で交わしていた口調になるもすぐに偽りの口調へと戻す。
「皇女殿下に臣従してからよく分かったがレストアールはクルスの協力者ではあっても新王国派ではなく帝国派だ。エルミュイーダが新王国派だったから弟として仕方なく付き合っていた面が強い。だから審問に甘さはない。君への審問を終えたのち、与えられる課題も突拍子もなく、無茶苦茶なことになる」
「出来もしないことをやらせて無理やり引きずり下ろすだけに留まらず、私を追放処分にしたいわけですか」
「そうでなくともレストアールからしてみれば皇女殿下が気に掛けている冒険者がいる事実が好ましくない。顔には出さないだろうがそれらを解消する絶好の機会だと考えているだろう」
「そして出来もしないことを出来てしまったとしても、それはそれで帝国の益になればよし」
「隙は見せるな。君は騎士を目指していた頃のように凛として強く立っているだけでいい」
「それは王女様でしょう?」
「悪いが王女と一緒には見られない。一緒に見てしまえば僕は君を殺したいほど恨んでしまうから」
「あなた好みの高潔さや気高さがなくてよかったです」
互いに貶すように、しかしながら絆を確かめ合い、リスティはエルヴァに見送られた。
*
オラセオのパーティの担当者は襲撃を受けたものの幸いなことに軽傷で済んでおり、すぐに彼の位置を特定しようとしたが地図上で掴むことができなかった。
人々と担当者の救護、復興までの足掛かり、『御霊送り』と死者を弔うための墓所の用意など様々なことを手伝っている間にオラセオが行方不明になってから一週間が経過した。この一週間でアレウスたちはシンギングリンに帰ることもできていない。
回復魔法などによって軽傷に見えてしまうことが災いして、リスティの審問は想像よりも早くに行われ、その結果はまだ知らされていない。
だが、自分たちよりも心情的に辛いのはオラセオのパーティだ。二日程度は軽く考えていたが、三日目や四日目から段々と表情に陰りが見え始め、五日目にはジッとしていられなくなってパザルネモレ周辺を捜索し始めた。六日目には不安感からあちこちの冒険者にオラセオを見かけなかったかと問い掛け、七日目になればパーティの輪に乱れが生じ始めた。
「ただいまーって……誰もいないか」
城下町の一角にあるボロ小屋をアレウスたちは一時の拠点として過ごすも、毎日のように復興作業に仲間たちが出払っているため、ほぼ寝るためだけの場所になってしまっている。だから手隙になってボロ小屋に戻ってみても誰もいないことは一週間で常態化した。悪いことではないが、焚き火を囲んで語り合って休息を取っていたときを思い出すと寂しさがある。
「お! アレウス」
どうしたものかとアレウスが床にパザルネモレの人から貰った地図を広げて眺めていると後ろからノックスに声を掛けられた。
「どうだった?」
「駄目だ、まだ見つかんねぇ」
「……そうか」
ノックスはアレウスの横に座り込み、広げられていた地図に×印を付けていく。
「こことここと、あとここは見たけど全くだな」
「ここは?」
「そこはオラセオんところの射手がもう見ていたな。だからわざわざ見に行ってない」
アレウスは自身が指差した地点に×印を付ける。
「こりゃリオンよりも厄介かもな」
「まぁリオンはその特徴を僕とアベリアが知っていたし、あの寒村に絶対にあると思っていたから」
「だから早期発見ができたのか。じゃ、今回はアタリを付けようもないか?」
「だな。特徴はなんとなく分かっているんだが」
「あー……争いの場か。そういやお前と初めて会ったときも出ていたんだっけか?」
「リオンは罠が『落とし穴』だけど、ヴァルゴは争いの場っていうかなりざっくりとした部分しか分かっていない。いや、分かっているようで実は別の規則性があるだけで、争いの場という決め付けがただの思い込みな可能性だってあるんだけど」
「罠がなー、引っ掛けるタイプじゃなくて異界獣が反応して“穴”が現れるタイプだろ?」
「僕もそう見立てている。上手く死にかけの人間を“穴”に堕とせるようにタイミングを見計らっている。。それが意識的になのか、無意識的になのか」
「異界獣が罠にそこまで気を使うとは思えねぇな。無意識だとワタシは思う」
「でも、もしそうなのだとしたら……なんでオラセオが?」
オラセオは消耗こそしていたが重度の傷を負っていたわけではない。戦場の死にかけの人間を“穴”に堕とすとアレウスは推測しているのだが、その推論で行くとオラセオが堕ちる原因がない。ならば推測も推論も方向性として間違っていることになる。
「一週間はアレウス的にはどうなんだ?」
「厳しい……だろうな」
「腕の立つ冒険者でもか?」
「ヴァルゴの異界はリオンの異界以上に環境が極まっている」
魂の虜囚と亜人を戦わせ、ある程度まで育ったあとにヴァルゴが喰らう。魔力の供給源として人間を置いているだけでなく、人間を技能習得の手掛かりとしている。オラセオがいくら腕の立つ冒険者であっても、その環境下でセーブポイント――集落に辿り着いたとしても早期脱出を掲げて悪目立ちしてしまえばヴァルゴの興味を惹いてしまう。逆にエウカリスのように身を潜め、目立つことを避け、脱出を考えないようにすれば何年経っても喰われずに済むかもしれない。それでも彼女は魂の虜囚になっていたため、ヴァルゴが大事に取っておいたと考えることさえできてしまう。
アレウスとクラリエはエウカリスに導かれて亜人の襲撃から難を逃れ、匿われることで脱出の機会を得た。だが、異界にはもう彼女はいない。それが良いことのはずなのに悪いことのように思えてしまう。
「腕が立つだけじゃかなり厳しい。僕みたいに異界で何年も生活したことのある経験があったら、きっと」
「……ま、諦めるもんじゃないだろ?」
「当然だろ」
「だったら暗いことを言ってる場合じゃねぇよ。ワタシはあとここの辺りを見てくる。そのあとはまた復興のために石運びだ」
地図を指先で叩いてからノックスはボロ小屋から慌ただしく出て行った。
「なんだろうな……」
壁に小さな釘を指で押し込み、そこに地図を引っ掛ける。端に穴を空けてしまうが、これで床で眺めるよりは楽な姿勢が取れ、仲間が寝るときに邪魔にならないように畳む必要もなくなる。
「ほとんど見ているんだよな。それでもなにかを見落としている。オラセオの足取りが消えた地点は入念に調べたのに」
アレウスたちに担当者のテントが襲撃に遭ったことを伝えたのち、彼は来た道を引き返して外で待っている仲間たちと合流するはずだった。城下町の坂を下っていくところを複数の冒険者が目撃している。だが、第一城門を彼が通って現れはしなかった。仲間たちが待っていた城門とは異なる城門を出たとは考えにくい。そんな混乱を招くことを熟練の冒険者である彼がするわけがない。
第二城門を通っているところも冒険者に目撃されている。そのため、オラセオがいなくなったのは第一城門と第二城門の間の区画ということになる。居住区と商業区、工業区に歓楽区と様々な町の姿が混ざり合っていて脇道、横道、抜け道が至るところにある。第二城門以降にある貴族領のある区画に比べて市民性が高く、洗練された町並みではなく雑多としていて纏まりがない。だから極端なことを言ってしまえば、射手が見たところをノックスが見れば新たな発見があるかもしれないし、その逆もある。人によって注視する場所が違うため、見たと思っていても見落としがちになる。だからアレウスは彼女たちが調べ終わったところを最終的に全部、見に行っている。
「争い……喧騒。そんなもの、ここにはまだいくらでもある。復興が始まったばかりのこの城下町に、手を取り合おうと頑張っても争いは起こるんだから」
一段落してしまえばヴァルゴの罠はパザルネモレから消えてしまう。落ち着くより早く見つけなければ実質、オラセオを喪う。
「他に行方知れずの人がいれば……でも、そんなの聞けるわけないからな」
大切な人を喪っているのなら心は切り替えに時間を要する。死体や遺留品を探しに行くわけでもないのに「――さんはどこでいなくなりましたか?」などと話しかけるのはあまりにも空気が読めていない。それに、その問い掛けは探す手助けをしてくれるのだと期待させてしまう。特にこの復興を始めた初期の段階では期待は強く、踏ん切りの付かない時期であるがゆえに思った通りの結果が得られなければ憎悪に変わる。その憎悪も時間が経てば感謝へと変化するのかもしれないが、すぐには訪れない。
ボロ小屋の入り口にこの一週間、毎日のように感じる気配があった。なのでアレウスも敵意を発することなく振り返る。
「あの……」
オラセオのパーティの僧侶だ。顔色は悪く、また食事も喉を通っていないのか初見のときよりも痩せているのが肌の潤いや頬のこけ方から窺える。
「見かけていません」
「そ……ぅ」
僧侶はフラついて、バランスを崩すようにして入り口で座り込んでしまう。
「寝ていないでしょう? 休まないと体を壊してしまいますよ」
「ウチが休んでいる間にオラセオにもしものことがあったら……誰が回復魔法を」
「魔法を唱えられる状態にないように見えます」
肩を貸してやりたいが女性に気軽には近付けない。ボロ小屋になんとか設えたベッドで休ませたいが、アベリアやノックスがいないとそれも難しい。医術の心得も持ち合わせていない気心の知れていない男性にベッドに寝かされるのは相当の嫌悪感を与える。しかし、そんな倫理や論理を展開するよりもまず素直に手を貸すべき状況なのもまた確かだ。
「ベッドで休んでいきますか? 僕は外に出ていますので」
ここでなにも言わずにサッと肩を貸し、女性をベッドに運べる男は、男から見ればモテそうだ。アレウスの一言は女性への苦手意識から来る弱気な発言である。言わなければあとで文句を言われるかもしれないから事前の確認を取る。それは恐らく女性にとっては相当に煩わしい。特に体調が悪いときは苛立ちで声も荒げるだろう。
「ううん、ウチはオラセオを探さないと」
やんわりと断られる。面倒臭さのあるアレウスの言い方に声を大きくすることも、怒鳴ることもしないのだから彼女は心が広い。
「……一つ聞きたいんですけど、オラセオは神官から戦士に転職したのは後ろだと周りが見えすぎて、パーティとの調子を合わせられないからって言っていましたよね?」
「そんな感じだったかな」
「本当にそれだけですか? 回復とロジックの書き換えを専門とする神官が戦士に転職するにはあまりにも動機が薄い気がするんですが」
言いつつもヴェインのような例外がいることを思考には入れておく。彼のように実家がむしろ僧侶向きだったなどの理由があれば別なのだが、神官が戦士に転職するのは突拍子もないことだ。担当者もすぐには許可しなかったはずだ。
「……実はね、前のパーティでウチが一回死んじゃったんだよ。そのときのこと、ずっとオラセオは気に病んでてさ。魔物を前にして、杖だけで戦うことしかできないことに無力感があったみたいで。ウチは死ぬ寸前までオラセオが必死に回復魔法を唱え続けてくれていたことを知っているから、気にしないでって言ったのに……結局、それを原因にしてパーティを抜けちゃって」
「元々、視野の広さのせいで歩調を合わせられないことを気にしていて、そこにあなたの死が加わった。パーティ全体での立ち回りの反省ではなく、抜けることを選んだのは罪悪感から……ですか?」
「だと思う。そんなの……そんなことされたら、ウチはオラセオを追い掛けるしかないじゃん。射手に――リグにもお願いして、パーティを抜けてオラセオを追いかけたんだけど……今日はリグとも、喧嘩しちゃった」
愛嬌のある顔は悲痛に満ち、泣き喚いた痕もあったというのにまた彼女は涙を流す。
「オラセオがいなきゃ駄目なんだよぉ。ウチたちは、オラセオがいないと纏まれないのに…………なんで、なんで…………オラセオじゃなくて、ウチだったら…………少なくともパーティは、続いてくれたのに」
「なんでそんなことを言うんですか?」
アレウスは聞くだけで終えようとしたが、自然と声を発してしまっていた。
「オラセオはあなたがいなくなったら、あなたの言ったようにパーティに僧侶を加え直して冒険を再開するような人ですか? 今のあなたと同じように必死になって、草の根を掻き分けてでもあなたという存在を探すまで冒険なんてしないと言い出すような人なんじゃないんですか?」
「そうだけど、そうだけどぉ」
「どんな形で再会するかまでは分かりませんが、その瞬間まで諦めないでください。『教会の祝福』で甦っていないのならこの世界では生きています」
「異界では……? 知ってるよ、一週間前にウチがオラセオについて聞いたときからずっと“穴”を探しているんでしょ? それって、オラセオが異界に堕ちたかもしれないからなんでしょ? 異界で死んじゃったら……死んじゃったら……!」
泣いて、泣いて、泣き続ける。
「アレウス! さっきリスティさんの審問結果が……大丈夫?」
ボロ小屋に息を切らしながらアベリアが来たのだが、入り口で泣きじゃくる僧侶を慰めるように同じように腰を下ろして、彼女の体を包むように背中から抱き締める。
「アレウスが泣かしたの?」
「なんで真っ先に疑うんだよ、違う」
否定するも、まだ疑いの眼差しが向いている。
「審問結果はどうだったんだ?」
「あ、そうだった。不問だって」
「条件か課題があるんだろ?」
「うん」
アベリアが他の担当者から受け取ったのであろう手紙をアレウスに渡す。封書であったようだが、もう既に彼女が開いて読んでしまったあとのようだ。とやかくは言わず、開いて文を読む。
「…………無茶苦茶だな」
手紙を握り潰したくなったが、抑え込む。
「『ヴァルゴの異界の発見』、『行方不明の冒険者を生死問わず発見せよ』、『異界の探索はアレウリス・ノールード以外の異界を渡った経験者の参加を禁ず』」
「亜人からヴァルゴ、オラセオさんの行方不明を繋げて異界が関わっている。そこまでは全体の報告を聞けば推察できるけど、最後のは嫌がらせだよね? 出来ないと分かっていてやらせる気ってこと?」
「そうだ。失敗に終われば僕が始末できて、皇女様が気に掛ける冒険者はいなくなり、戦争と政争に集中できる。リスティも冒険者関連からの追放だ。逆に成功すればリスティは不問、ヴァルゴを弱体化させるだけでなく更なる異界の調査が進む。そして、行方不明の冒険者を救い出せる可能性もある」
「得られるものが少ないよ」
「いいや、僕たちにとっては大きい」
こんなことを条件として出してくるのは審問に私情が加えられている。しかし、エルヴァがリスティに厳しくするようには思えない。だとすればレストアールの差し金だろう。
「でもさ、私たちずっと“穴”を探し続けてきたけど、どこにもないよ? もう探していないところなんてほとんどない」
「初めてヴァルゴの異界に堕ちたときはクリュプトンが引き寄せている感じがあった。争いの場にあったんじゃなく、人為的に発生させた“穴”だったのかもしれない。『異端審問会』には異界の“穴”を呼び寄せられる奴がいるはずだし」
「いるの?」
「いるとしか思えないんだよ。ニィナが捨てられた異界に堕ちたときも、ヴェインがピスケスの異界に堕ちたときも、クラリエとヴァルゴの異界に堕ちたときも、その全てが人為的で作為的なものを感じた。ピスケスの異界に至っては数日後に消えてしまった。あんなのはあり得ない」
「なら、争いの場っていう条件がそもそも違う?」
「争いの場と、あと一つ……あと一つ」
アレウスは地図に目を向ける。そしてフッと湧いた考えの元で地図に間際まで近付いて見つめ、十秒ほど思考を纏めてから衝動的に支度を始める。
「なに? なにか分かったの?」
「アベリアはその人を休ませてやってくれ。僕は今から確認だけしてくる。いいか? 確認するだけだ。考えの通りに見つけても、すぐには飛び込まない。ちゃんと帰ってくる!」
「うん!」
ボロ小屋から飛び出し、大通りに向かって駆け出すとすぐに横道から現れたヴェインにぶつかりそうになって強引に避け、激しく転がる。
「大丈夫かい?!」
「ヴェイン、来てくれ!」
「っ! なにか分かったのかい?!」
アレウスは返事をしなかったがすぐに起き上がって走り出す姿を見て、ヴェインはなにも言わずそのあとを追う。
争いの場を条件の一つにしているのはほぼ確定している。そこに更に一つ条件があるとすればなにか。探し続けても見つからない理由が分からないままだった。
「僕はなんでそれを思考の外にやってしまっていたんだ」
もっと早くに気付けたかもしれない。アレウスは自分自身を叱咤する。
「アレウス、この先は教会だけど。でも教会はもう調べたよ」
「教会じゃない。僕が見たいのは遺体安置所だ」
「遺体だって?」
「まだ土葬され切っていないだろう?」
「そりゃ、被害者は最小限と言えるかもしれないけど一人や二人じゃないんだから人数は多い。今の状態だと遺族が墓地に埋葬するまでの手続きもなかなか進まないし」
「僕はさ、争いの場には命の奪い合いがあって勝った側が死にそうになっているその相手を“穴”へと堕としているんだと考えていた。実際、そういう事例もあったと思う。でも、争いの場の一言で全部を纏めてしまって見落としていた」
アレウスは遺体安置所の前で急停止し、ヴェインも足を止める。
「争いの場には――戦ったあとには、死体があるんだ。そこには生と死が混在している。その混沌こそが、ヴァルゴにとっての本当の罠なんだ」
「つまり……ヴァルゴは戦場の死にかけの兵士のみならず遺体確認を行う人たちも、堕としている?」
ヴェインの問いにアレウスは肯く。
「遺体のどれかが“穴”に繋がっている。いや、どれかが遺体のフリをした“穴”なんだ」
「でもどうしてそれでオラセオさんが……そうか! オラセオさんは神官だから……!」
「あのとき、亜人からパザルネモレを取り戻して、城内に人々は残りもしたけど多くが解放されて外へと出た。町の有り様を見て絶望してしまったけれど、死んでしまった親族や友人知人を弔うために運び出す人もいた。赤い鎧は亜人の死骸の山を築き上げていたけど、あれこそが本質だった。今にして思えば、赤い鎧がパザルネモレの冒険者を貶していたけれど、それにしては技能を持った亜人がいないのは不自然だった。喰ったところを見たのは斥候に行った冒険者だけ。赤い鎧は、亜人に喰わせる人間を限らせていた。なのに僕たちは斥候で見た景色だけで、町の人々はほとんど餌食になったと誤認した」
人の形を成していない死体が所々にあったあの景色が、ヴァルゴの異界の罠を見失わせた。そもそもヴァルゴが関わっている確信はなく、可能性としてあるだけでパザルネモレ奪還のために戦っている内に、赤い鎧と接触したときまで失念した。
「オラセオは仲間たちの元に戻る前に、遺体を運ぶ人を見て神官としての仕事をするつもりだったんだと思う」
「お祈りだね。神の御許へと行けるように……略式であればすぐに済ませられる」
「そして、遺体を運んでいた人ごと異界に堕ちた」
「第一城門から第二城門までの区画はまだあんまり人が降りてきていなかったはずだし、運んでいた人も少数だよ。まず自分の家の心配じゃなく遺体から運ぼうだなんて思える人なんて少ないに決まっているからね。遺体を人目には晒したくないし、運搬する人も気を遣って目立たないようにしていたと思う」
「それが、目撃者の喪失に繋がった」
「目撃者ごと堕ちてしまったから」
答え合わせは済んだ。アレウスはヴェインを後方に立たせ、綺麗に並べられている遺体を一人一人、見る。触れず、調べず、見るだけだ。過去の経験から死者への無礼は可能な限りしないでおきたい。
「危ない!」
自身の意思とは反するように遺体へと吸い寄せられた瞬間、アレウスをヴェインが引き寄せて逃れる。
「この遺体が、異界の“穴”だ。ここをノックスも射手も見てくれていたけど、遺体を漁るようにまでは調べられなかったはずだ」
「もし調べていたら人知れず行方不明か……」
ヴェインの呟きにアレウスは肯く。
「それで、どうする? 支度を進めて、すぐにでも?」
「リスティの審問結果を不問とするためには条件が付いている。それにアベリアにはすぐには行かないと念押しした」
「手を貸すよ、アレウス。遺体を玩具のように弄ぶなんて俺は許せない。エイミーに異界には関わらないでと言われているけど、こればかりはさすがに」
「異界を渡ったことのある冒険者は参加させられないんだ。ヴェインもピスケスの異界を経験している。だから、僕が連れて行くことのできる仲間はノックスだけ。ロジックを調べられたらヴェインが異界に行ったことに気付かれてしまう。嘘をついても『審判女神の眷属』がいたら終わりだ」
「あんた、手紙を最後まで読んでないでしょ? リスティさんがなんでもかんでも飲み込むわけないじゃない。無理を通してくるならあの人も無理を通す。そうでしょ?」
「ニ、ィナ?」
「今回はテュシアで通してる。でなきゃ捨てられた異界とシンギングリンの異界化を経験しているあたしは行けないでしょ? まぁでもここでならニィナって呼ばれても大丈夫そう」
「なんでここに」
「だーかーら、リスティさんが無理を通したの。審問は二日前に結果が出ていて、あたしがここに来てアベリアに封書を渡したのにあの子、それを伝え忘れていたんだ? あたしが失敗したらアイシャは帝都に行っちゃう。異界なんて絶対に行きたくない場所だけど、アイシャのためならやってやる」
「ははっ、俺たちの担当者は心強いな」
「……僕とノックスとニィナ。これだけでもかなり厳しい。だからあとは、オラセオのパーティに話をしてみよう。もし一人か二人でも参加してくれるようなら、そこから作戦を立てる」
状況は悪いながらも好転はした。依然として、悪いままだが。




