生きている
炭化した魔物は崩れたあとも火が消えることはなく、全てが灰となってようやく燃え尽きた。まさかとは思うがこの灰から甦られてしまえば一大事であるため武器などを用いて可能な限りのほとんどを広げた布の上へと移し、包んで持ち帰ることとした。赤い空間は魔物を討伐後も解除されることはなかったが、アレウスが細剣を拾い上げるとすんなりと世界は元の色を取り戻した。
少なくとも永久的ではないが一時的に脅威は去った。赤い鎧を討伐したと知った冒険者たちはそれでも担当者を襲った怒りを抑えることができず、辺り一帯の魔物という魔物の討伐へと移り、これに伴いパザルネモレ周辺へと逃げ延びたのであろう亜人もまた全滅させることができたと言っていい。
担当者は数人が死亡。また深手を負った者は回復魔法をもってしても消し去れない火傷の痕を残した。指、腕、足の一部がほぼ炭化してしまったがためにやむなく切断する者さえいた。精神的に参ってしまった者も多く、救護のために設営されたテントは悲壮感に溢れ返っていた。
戦争の悲惨さを味わったような景色に、ただアレウスは手の平に爪が喰い込むほどに強く拳を握り締めることしかできなかった。
「どうすれば防げた……? 僕が仕留め損なったのが全てか?」
だが、ジョージはアレウスに『お前の生じゃない』と言った。それでも、胸を締め付けるほど、今にも心臓が止まってしまうかもしれないほどの激しい激しい責任感は消え去らない。
感じなくてもいい責任を感じているのだとしても、ジョージに任せっきりにしてしまった自身の当時の対応の後悔が止まらない。
「僕は…………僕は……」
「君のせいじゃない」
ヴェインがアレウスの肩を叩く。
「慰めはやめてくれ」
責めてくれた方が気が紛れるかもと考える。そう、責任の所在がハッキリとすると晴れやかな気分にはならないがスッキリはする。その後、信じられないほどに自分自身が嫌いになって暴れたくなってしまうのだが。
「けれど、誰かが言わなきゃ君はずっと自分を責め続けて後悔し続ける。だから俺は言うよ。君のせいじゃない」
心は彼の優しさを求めていた。だからか、自然と目から一筋の涙が零れ落ちる。感情がグチャグチャになりかけるのをどうにかして堪え、泣きじゃくることだけはしない。
泣きたいのは担当者たちの方だ。彼女たちが泣くだけ泣き喚いたあと、ようやくアレウスに泣く順番が回ってくる。それまでは、毅然さを。冒険者としての心構えを見せておかなければならない。弱さは弱さを増長させる。強さが弱さを支えるのであれば、担当者たちのためにアレウスたちは虚像であったとしても強く見えていなければならない。
ヴェインのその心の強さが自分にもあれば、と。自責的にならず他責的にもならず、起こるべくして起こったのだと許容する心があれば、と。無いものねだりしてしまう自分の弱さを握り締めた拳からまるで物を投げるような、そんな勢いよく前へと振り抜いて放り出す。こんなことでは無くなってくれるわけもないのだが、僅かだが気が楽になる。
「失敗じゃない」
「そうだ。パザルネモレを炎に巻き込まずに済んだ。オレたちはやれることを、できることをやり切った。被害は最小限だ。それでも、担当者は身近な存在だから、大きな被害に遭ったような気分になってしまう」
「ピジョンのときに比べたらお前はずっと冷静だった。あれは倒し損ねていたせいだが、ワタシだって死んだと思った魔物が甦るなんて思わねぇよ」
誰もアレウスを責めはしない。ただ、次に同じようなことがあった際には絶対に二の轍は踏まない。完全な死を確認するまで魔物から目を離すものかと心に誓う。
「……灰を渡したいけど、今じゃないよな」
布に包んだ魔物の灰をリスティに渡して分析してもらいたいのだが、こんなものをそのまま説明して渡すところを他の担当者に見られたら大騒ぎになる。苦しみや悔しさは復讐と怨嗟を生む。きっと彼女たちは灰になった魔物すら許さない。分析などせずにこの辺にばら撒かせてしまうだろう。
そもそも、リスティを見つけられていない。後悔に苦しんでいるのは彼女と顔を合わせられずにいる不安もある。
「こっち」
担当者たちに回復魔法と手当てを施している冒険者たちの隙間を縫うようにアベリアがやって来て手招きをする。深呼吸をしてからアレウスはアベリアに付いて行き、救護用のテントに入る。
「あの魔物を無事に討伐してくれたそうで、ありがとうございます」
入って早々に火傷の治療を受けているリスティに礼を言われる。
「……お礼なんて、言われても」
「いいえ、あなた方は追討に出てくれました。あの瞬間の迷いを、葛藤を、私は理解できます」
右腕と右の太腿に火傷の痕が見えた。回復魔法で治癒こそしているが、痕の残り方からみて重傷だったのだろう。衣服のほとんども焼けてしまっているようで、包帯が巻かれているその姿が痛々しい。
「私はこれぐらいで済んで良かったと思っていますよ? 火傷の場合、筋肉を動かすと皮膚を引っ張る感覚が残ることが多いと聞いていますが今のところはさほどありませんね。全くないとは言えませんが」
「ごめんなさい」
「どうして謝るんですか?」
「僕の注意力不足で」
「……どんなに注意を払っていたって想定外の要因がそこに加われば、どうしようもありませんよ。ジョージから話は聞いています。『アレウスではなく、俺を責めてくれ』とまで言っていたのでここぞとばかりに文句を言ってやりましたよ」
そこまで言ってリスティは一呼吸を置く。
「喉を熱傷から守る方法を知っていたのも幸いでした。なにより私は、火傷の痕を残しておきながらも『あの頃に比べればマシか』とまで思ってしまっています。ここで過去の戦争経験が活きるとは皮肉なものです……とはいえ、この被害についての責任は私にあるわけで、恐らくはギルドマスターを辞することになると思います、仮ですが」
「なにか、重い罪を負うことには?」
「ないでしょう。審問を受けることはあるかもしれませんが、担当者及び冒険者の方々の証言から今回の状況を把握することは難しくないはず。責任逃れがしたいわけではなく、『どんな人物がギルドマスターであっても防げない事態だった』と結論付けられれば私は罪に問われません。まぁ……担当者の方々から訴えられる可能性はあります。そうなった場合は法廷での争いになります」
「リスティさんが訴えられる?」
アベリアがそんなことがあるの、とばかりに表情に怒りを乗せる。
「私の注意力不足の結果、美しい体に痕が残ってしまったなどと言われればその通りとなります。特に担当者は身綺麗でいて容姿端麗な方が多くいらっしゃいます。未婚の方も少なくありません。だからこそ担当者の試験は簡単なものではなく倍率も高いのですが、本人に覚悟の意思があったとしてもその御家族が私のことを許さないとなることもあり得ますから。そうなると、私は私財を放棄してシンギングリンを出て行かなければならないでしょう」
「そんな……!」
大きな声が出そうになったのを必死にこらえたつもりだったが、それでもやはり相応の声が出てしまったらしくテントで治療を受けている担当者に睨まれてしまった。
「仕方のないことです。ギルドを束ねる一番上の人物がなんの処分も受けずにのうのうとしている。そのように人々には映りかねません。むしろ私は責任を追及された方が、正しく人々に評価されるとすら思ってしまっています」
「ねぇ、回復魔法を使えるんでしょ? だったら治してよ! この火傷の痕を、ちゃんと綺麗さっぱり治してよ!」「体が異常を正常だと認識してしまった場合、どんなに回復魔法を掛けても治らないんです」「なにそれ……そんなの嘘! 嘘っぱち! だってあなたたちは傷だらけになっても治っているじゃない……! まさか、それが冒険者の特権なの? それが、担当者と冒険者の違いってこと? 私たちの傷は治さないけど、仲間の傷は綺麗に治すってことなの!?」「攻撃を受け、傷ができてから早期に自分たちは回復魔法を受けるので、目立つ傷は残り辛いんです」「じゃぁ、『教会の祝福』を受けてから死ねば甦って、私の体は綺麗になるの?」「ロジックに生き様が刻まれている以上、『教会の祝福』で甦ってもその肉体はロジックを元にして全ての組織が変容します。なので、火傷の痕も消せません。一時的に消えているように見えても、すぐに現れるんです」「そんな……じゃぁ、私はこれからもずっと……こんな、こんな傷痕を残して生きて行かなきゃならないの……?!」
「……アレウスさん? 私たち人間は魔法という便利な物を持ってはいますが、それが万能ではないのはどうしてだと思いますか? どうして、綺麗に傷痕を治すことさえできない不便性があるのだと思いますか?」
「人間が人間であるためでは……?」
「はい、その通りです。魔法が万能であっては、人間は人間ではなくなります。なんでもできてしまうというのは言い換えれば、魔法以外は不要であるということになります」
言い争いになっている担当者と冒険者には聞こえないように小声でやり取りをする。
「魔法だけに頼れば、魔法を使えない者への差別が生まれますよね?」
「そしてなにより、魔法以外の技術が発達しなくなります。語学、数学、その他あらゆる学問――のみならず大工や刀剣鍛冶などといった技術は不要と化してしまう。でも、それはあってはならないんです。なぜなら、」
「魔法がいつか使えなくなるときが来るかもしれないから」
「そのとき、全ての技術が幼いままでは私たち人間は原初の時代まで退行します。だからこそ回復魔法の裏側で医術もまた進んでいるのです。たとえば毒に対して解毒の魔法もあれば、解毒薬も研究開発され用意されています。ただ、魔法ほどに万能ではないので症状に合わせた投与が必要にはなります。風邪に関しては人間の免疫力を維持するために魔法の及ぶ範囲ではないとして使われません。そうやって、便利なもの一辺倒にならないように、しっかりと他の技術も発展させていくことが私たちには求められています」
そこまで言って、リスティは自身の火傷の痕を見る。
「この火傷痕はいわゆる指標となります。回復魔法の限界はここまで。では、医術では? 皮膚の移植技術はどこまで進んでいるのか。私は望まれれば医術の発展のための実験を受ける覚悟さえあります。たとえそれで更に酷い状態になったとしても後悔することはありません。けれど、あの子は私のようにはなれない。いえ、むしろ私みたいな考え方ができる方が少数です。だから、どうかどんなに口汚く罵られることがあっても、耐えてください。冒険者の最前線を地図上でしか見てこなかった子たちには魔法が万能なものじゃないことを理解するのは、とても時間の掛かることですから」
先ほどから担当者にどれほど罵られても冒険者は乱暴な言葉を用いることなく耐えている。アレウスがリスティに言われたことをあの冒険者は既に知っているのだ。
「リスティさんも、そんな大人の対応をせずに僕になんでも言ってくれていいんですよ?」
「私情も込みで普段から好きなことを言わせてもらっています。クルスの件では私の方が頭が上がりませんよ」
けれどその表情には悲しげな雰囲気が漂う。やはり火傷の痕を気にしているのだろう。強がってはいても傷痕や火傷の痕が残ることに負の感情を抱いてしまう。そこに男女は関係ない。今まで当然だった状態から突然、当然ではない状態になる。大病を患った人がその後遺症にいつまでも悩まされるように、痕もまた後遺症と呼ぶべきものだ。
「責任は取ります」
「責任……?」
「いやあのその……体に痕が残ってしまった責任を取る覚悟はあります」
強くは言ったものの冷ややかなリスティの返事を聞いて、弱腰になる。すると彼女は堪え切れずに微かな笑みを浮かべる。
「この場合の責任の取り方は一つしかないと思いますが、ちゃんと分かって言っていますか?」
「え……?」
「分かってないと思う」
やれやれとでも言いたげなアベリアの所作にアレウスは自身の言ったことがどのような意味を持つのか必死に考える。
「分かっていないのなら、そのままで。分かったときの焦りを私は想像して楽しむことにしましょう。それに、その方がアベリアさんも心穏やかにいられるでしょう?」
「私はリスティさんなら特には」
「いいえ、順番というものがあります。だから私はまだ、前に出るときではない」
「ありがとうございます」
そのアベリアのお礼の意味も考えるが、答えに行き着かない。そもそもどうしてお礼を言う必要があるのか。そこから思考を改め直す。
「あっ!」
そしてようやくアレウスも自身の言ったことがどのような意味を持つのかに行き着いて大きな声を発する。自分で言ったことでありながら、激しく動揺する。
「おや、もう分かってしまったんですか。ふふっ、つまらないですね。でも、その顔を見られたのであれば満足ではありますが」
この場には鏡がないため、リスティやアベリアにどんな顔を向けているかは分からない。しかし、笑われるということは極めて滑稽な顔をしているに違いない。
言ったことと表情を読まれていることの二十の恥ずかしさにアレウスは耐えられずにテントを出ようとする。
「魔物は灰になったと聞きましたが」
そんなアレウスをリスティが止める。
「まだ見せなくて構いません。見せるべきときではありませんから」
「それは分かります」
「なんでさっきのは分からなかったの?」
アベリアの静かな呟きをアレウスは無視することにした。でなければ冷静さを取り戻せない。
「魔物はジョージが言うには天使の肉体を使っていたそうです」
「ああ……なるほど。だからパザルネモレにわざわざ……魔物を討伐して、その死骸を運ぶ予定だった?」
「なんでも、放置していたらアンジェラと……ええと、クルスさんが来てしまうと」
クールクース王女と言うわけにもいかなかったのでリスティが先ほど口にしたように畏れ多くも愛称で呼ぶ。
「利用されていたとはいえ、元は天使の肉体ですからね。あのジョージですらも看過することができなかったのなら、アンジェラが放っておかないだろうことも想像は付きます。その灰はあとで見させてもらいますが、あとはジョージに任せてしまった方がいいでしょう」
「それはそうなんですが、あの魔物が灰からも甦るかもしれないと思うと、任せきりにすることは少し抵抗が」
「死んでいる状態から甦ったから、灰からも甦る。あり得ない話ではありませんね。だからこそアレウスさんも放置せずに回収したのでしょう?」
「はい」
「でも灰から甦るのはどう考えても無理だよ。甦ったのは魔力を残したまま肉体が機能を停止していたからで、さすがに肉体が灰になっているのに、そこから甦るのはそれこそ物語に出てくるフェニックスぐらい」
「さすがに幻想譚の不死鳥が現実にいるとは思ってない」
だが、本当の本当にこの灰はただの灰と呼べるものなのか。魔力を与えれば、赤い鎧へと復活してしまうのではないか。そういった部分が判明するまではリスティにすら預けることを躊躇ってしまう。
「邪魔するぞ」
ジョージがテントに入ってくる。声に覇気がなく、表情に元気さの欠片もない。疲労感が強く、顔色はむしろ青褪めていると言っても過言ではない。
「体に穴を空けられてな。塞いではいるが、しばらくはまともには動けない」
「それで死んでいないことに驚きですよ」
「……悪かったな、リスティ。今回の一件――担当者に魔物の襲撃が及んだことは全て俺のせいだ」
「天使の死体を悪用されていたからこそ、魔物を討ったのちその体を正しい方法で葬ろうとした。その考え方を私は否定しません」
「だとしても迂闊だった。仕留めたことに気を抜いた。甦ることまで考えなかった」
「アレウスさんやジョージですら見抜けないのなら、どんな人でも不可能ですよ」
「それでも、俺に責任がある。このことはちゃんと伝えておく」
筋を通す気持ちをリスティは仕方なさそうに受け取る。
「灰をアレウスさんが回収したようです。分析後、任せてよろしいですか?」
「ああ、好きなだけ調べてくれ」
「あとなにか気になるものはありますか? アレウスさんも、なにか拾ったりしていませんか?」
「拾ったといえば」
アレウスは腰に提げている細剣を鞘ごと外して地面に置く。
「これは魔物が携帯していた剣です。魔物は灰になりましたが、この剣は形を保ったままです」
「……なるほど。ジョージ? これはどうすれば?」
「天界の代物じゃねぇから、俺にはなんとも…………いいや? これはこれで使いようがありそうだな」
細剣をゆっくりと抜き、剣身を眺めてから鞘に納め直す。
「火の力が宿っている。これはお前が使った方がいい」
「僕が?」
「だが、使う前に服従させなきゃならない。万全の準備をしてから抜け」
「ジョージがさっき抜いたじゃないか」
「俺は『原初の劫火』に選ばれていないからな。持ち手となる資格がないだけだ。でもお前は違う。その“曰く付き”の短剣はまだ手懐けやすかっただろうが、これはちゃんと服従が必要だ」
「それは私も手伝える?」
「剣が許すなら。でも、大半は一騎討ちだ」
「なんでそんなことを知っていらっしゃるんですか?」
話がトントンと進んでいて忘れてしまいそうだった疑問をリスティがしっかりと訊ねる。
「天界の代物じゃねぇが、この世のものとも言い難い。ガルダの刀が近いかもな。あれは『悪魔』の心臓を打ち込んだ刀を、更に使い手が手懐けなきゃならない。“曰く付き”は精神力で飼い慣らせるが、その手の代物は力でも黙らせなきゃならない」
「それでアレウスさんが持つべきと言うのも不思議です」
「この剣はいわば『原初の劫火』の残滓によって作り上げられたもんだ。その『継承者』か『超越者』にしか呼応しない。他の奴が握ってもただの剣でしかない。有効活用するならそこの二人が適している。まぁ……その剣も分析してからの方が良さそうだが。まさかとは思うが剣から甦るかもしれないからな」
酷い目に遭ったことで、二重三重の警戒をする。それはジョージも変わらないらしい。
「私が持っても、体が燃え上がるようなことはないんですね?」
「ああ」
「だったら、ギルド側で調べさせてもらいます。アレウスさんが持つかどうかは、そのあとで。安心してください、灰を優先します」
「助かる」
ジョージはリスティに深く頭を下げてからテントを出て行った。
「それでは、私も少しばかり寝ることにします。回復魔法やポーション、あとは治療を受けたあとで物凄く疲れているので」
「分かりました」
アベリアと目配せをしてアレウスはそう返事をし、テントを出る。ヴェインたちを感知の技能で探すが、どうやら救護活動の手伝いをしているようだ。その手を止めさせるのは悪いだろう。
「あの、アレウリス……」
聞き覚えのある声がする。
「ウチの……オラセオがいないんだけど、どこかで見かけなかった?」
「……いや」
「そう……もー、こんな大変な時にどこでなにしているんだよ、ウチのリーダーは」
僧侶は文句を吐露しながらアレウスにペコリとお辞儀をしてからトタトタと駆けていった。
「アレウス?」
「まだ分からない」
「でも」
「その線も考えておこう」
「うん……」




