信頼も期待も
一人の突出は亜人たちを相応に警戒させてしまったようで居住区周辺の広場や大通りに武器を携帯した亜人たちが集結していた。これ以上刺激を与えると本隊到着後の討伐が困難になってしまいかねないので城壁頂上からアレウスはノックスに抱えられながら降りた。二人でパーティとの合流地点に向かっていると他の冒険者たちも次々とパザルネモレから撤収している。どうやら彼らもこれ以上の斥候は難しいと判断したようだ。
橋で待機していたアベリアがアレウスに手を振っている。やや駆け足気味に走って仲間たちに迎え入れられ、ガラハが湧かしていた湯をコップに注ぎ入れて二人に手渡してくる。喉の渇きと体の冷えを湯をゆっくり飲むことで潤しながらキャラバンが到着した地点までゆるゆると歩き出す。
「どうだった?」
「かなりマズい状況なのが分かった。亜人の数は一組や二組のパーティでどうこうできるような規模じゃないな」
アベリアの問いにアレウスはそう報告する。
「パザルネモレの城門は三つ、内部に二つ、そして最奥部に一つ。そのどれもが壊れていないで閉ざされたままだ。多分だけど最奥部の一つは避難した人たちが閉じたんだと思う。そういう風に思いたくなるくらいには酷い有り様だった」
「でも壊さずに入れるところなんざいくらでもあるからな。中も亜人だらけかもしれねぇ」
悲観的なことをノックスが言ってしまったため、若干ながらにパーティ内に気まずい雰囲気が流れる。
「もしそうだとしても、なんで亜人は建物や城門をなるべく壊さないようにしているんだろうな」
なので話の筋をアレウスは逸らす。
「どんな魔物も人間を狩るときは建物なんて全て壊すのが当たり前みたいな、それくらい暴力的だったのに」
暴れ回った魔物たちが崩壊させた街はアレウスたちも見たことがあり、そこから死体を回収した経験もある。だからこそ、パザルネモレが未だに原形を留めているのが不思議でならない。
「それが亜人の性質や習性なのかもしれない。人間を食べたり魂を喰ったりして亜人は技能を獲得しているんだろう?」
「ヴァルゴの異界では恐らく、そうだった」
亜人や魂の虜囚たちに蟲毒の如く争わせて、最終的に有能な技能を持つ者の魔力を魂ごと喰らう。そうしてヴァルゴは冒険者が持ち合わせている技能を獲得する。
「だったら人間やその魔力、そして魂を食べたことで人間的な行動を取るようになったんじゃないかい? あくまで生活をしたいわけじゃなくて、人間の生活を真似ているだけで亜人たちはそれにどのような意味があるのか分かっちゃいない。人を装うことで獲物を待っているんじゃないかな」
「人の声を真似て誘き出そうとしていたな」
ヴェインの仮説を聞いたノックスが城塞都市で見たことをありのまま話すことを控えた。冒険者が一人、声真似と姿を真似たことで誘き出されて死んだことはあとで分かることだが、今この場で言うべきではないことだとさっきの気まずさから学んだのだろう。
「奴らは他の魔物とは一線を画している。ピスケスの異界で見たマーマンやマーメイドよりも人間のように統制が取れている。いや、魔物だからこそ群れを成しているのか。人間と魔物の両方を備えているのなら、僕たちのように計画性を持った活動を行っていてもおかしくない」
「まるでパザルネモレを亜人が守り、オレたちがそこを陥落せんとする悪者のようだな」
状況としてはガラハの言う通りなのだが、亜人が魔物である以上はどんなことがあってもアレウスたちに正義がある。
「人を喰っていることは明白で、あの城塞都市は魔物の襲撃を受けた側。僕たちはそこに討伐に来た。奴らは立地を利用しているだけで、なにもパザルネモレを守ろうとなんてしていないさ」
「……それもそうだな。少し言い方が過ぎたようだ」
アレウスの説明にガラハが理解を示す。
「城壁が三層あって、城門が最奥だと一つだけなのはどうして?」
「守備や防衛的な考え方だよ。一番目の城門を三つにしているのは外との利便性を考慮しているんだ。二層目で城門が一つ減るのはそこに住民たちが避難するために間口を一つにするよりは誘導がしやすいから。三層目が一つなのは、まさに最後の防衛地点だから。住んでいる人たちを城内まで避難させ――させ切れるかはともかくとして、城門を一つにすることで多方向からの防衛地点を一点に集中できる。そして侵略者も最後の城門を突破するために押し寄せるんだけど、城に近付けば近付くにつれて道が狭まるから最後の城門前で詰まる。そこを籠城している兵士たちが一方的に高いところから攻撃するんだ」
ヴェインの解説でアレウスとアベリアがほぼ同時に「なるほど」と口にする。「お前も分かっていなかったのか」とガラハは呟き、やれやれといった具合に態度を表す。
「山の防衛も似たようなものだ。山への侵入経路は多くとも、里に入るためには必ず門を通らなければならないようにする。それだけで攻めにくくなり、落とされにくくなる。パザルネモレはオレたちから見て後方は崖になっていて、まずそっちからは登れないから左右に一つと正面に一つの三つの門を用意したんだろう」
丘陵地帯の最も勾配がキツく、そして高い場所。そこに城はあり、アレウスたちから見て後ろは地図で見る分にはガラハの言う通り落ちたらひとたまりもないほどの高さの崖となっている。
だが、魔物には登れる可能性は少なからずある。断崖絶壁というほどに切り立ってはおらず、登れる装備があれば時間を掛ければ人間でも登れるかもしれない。まだ地図でしか判断しておらず、全容を確かめてはいないため断言することはできないが、亜人の侵入経路は別に三つの城門に限りではないことは頭の中に入れておいた方がよさそうだ。
内部からの襲撃であった場合は、こんな情報はすぐに捨て去っていいのだが外か内かが判明していない限りは捨て切れない。
「どんな可能性があるとしても俺たちは城内を見ていない以上はそこに生存者がいることを前提で動かなきゃならない。勿論、城下町に息を潜めて助けを待ち続けている生存者がいたら救わなきゃならない。問題なのは城内を調べもしないでパザルネモレを総攻撃することだよ。それでもしも城に生存者がいた場合、俺たちはただ虐殺に加担しただけになる」
「そう、その通りだ」
自身と同じ考えをヴェインが持っていてくれていることにアレウスは感嘆する。
「やろうとしていることは攻城戦と変わらないがな。地の利は亜人にあり、オレたちは亜人が人間と同じような作戦を展開するようであれば、本隊が来てからの人数でも太刀打ちはできないだろう」
城は攻められることも考慮して建てられる。シンギングリンの冒険者が集っても百数十人程度、二百にも届かない。だが城は千を超える大軍との籠城の備えがある。
とはいえ、それもこれも全て人間と抗戦する場合である。亜人が人間のように地の利を上手く扱おうとは恐らく考えないだろうし、城の立地を把握した上での動きを取るわけもない。だからガラハの言っていることは杞憂でしかない――はずなのだ。
もっと難しいことは抜きにして、直に城に入る方法があるならばそれこそ崖を登る以外にない。しかし、城にさえ入ってしまえば亜人の裏を掻くことができ、城という高所からの圧倒的な有利な地形で戦える。
獣人の谷に比べれば深くはない。ノックスなら登れるだろうし、アベリアなら飛んでいける。アレウスも貸し与えられた力を用いれば上がれないわけではない。その消耗が、のちに響かないとすればの話だが。
答えは出ない。仲間たちとキャラバンの合流地点に帰ってからガラハが背負っている荷物で野営の準備に移る。『カッツェの右腕』から抽出した血を周囲に撒けばほとんどの魔物は寄り付かないが、仲間たちだけならともかく他の冒険者もいるので、逆に凶悪な魔物の気配と受け取られかねないので使えない。
「川は近くにあったから飲み水には困らない。食べ物も保存食がなくなっても動物を狩ればいいか。最悪、虫を食べることになってもいいけど」
魔物が動物を襲うことは滅多にない。あるとすれば村や街ごと壊滅に追いやるときに人間と合わせて犠牲になるとき。そしてゴブリンのような知性を持つ魔物が狩猟染みた遊びをするとき。基本的に魔物は魔力以外を摂取しないため、動物を殺したところで食す理由もないのだ。だから兎や鹿、猪や狸のような動物は茂みの向こうで痕跡を見つけて入念に探索さえすれば狩りは行える。この周辺に棲息していなければそれまでだが。
「少しいいか?」
別の冒険者のパーティリーダーに声を掛けられた。
「君がパーティリーダーだろう?」
しかし、アレウスにではなくヴェインに。
「いいや、俺は違うよ。俺たちのリーダーはそっちにいるアレウスだよ」
「……この子が異界獣を?」
シンギングリンは異界から取り戻すことはできたが、多くの冒険者を喪った。復興や浄化作業が進んではいるものの、生き残った冒険者たちの多くも現状に耐え切れずに別の村や街へと活動拠点を移す者が日ごとに増えた。街にいるだけで討伐依頼やダンジョン捜索の依頼だけでなく復興や浄化の手伝いまでさせられる。その雑用を受け入れられなかったのだ。
それでも留まり続けてくれている冒険者はいる。だが、今回のパザルネモレへの遠征に参加したのはランクは中級や中堅であってもシンギングリンにとっては新参者が多い。だからアレウスの名を知っていても、その容姿まで知らない者もいる。無論、アレウスにとってもさほども顔を知らない冒険者が今回は目立って多い。
「アレウリス・ノールードです。パーティリーダーの僕になにか御用でしょうか?」
喧嘩腰ではない。喧嘩をする気がないのにそのような態度は取る理由がない。自分の名声などに誇りを持ってはいないし、それを傷付けられたとも思わない。協力が必須である現状でパーティ間での不仲も引き起こしたくない。
「いや、まさか……まだこんなに若いとは。いや、失敬。冒険者に年齢は関係なかった。この世界は実力が全てだ。君に最初に声を掛けられなかった俺の目が悪かっただけだ」
無精ヒゲを生やした三十代前半の、筋肉質な肉体を持つ男がアレウスに詫びる。
「さっき俺のパーティから出していた斥候から報告を受けた。なかなか、どう討伐すればいいか分からない状況のようだ。俺のパーティだけでは良い作戦が思いつかない。だから他のパーティの意見も聞きたいと思って」
「……僕に?」
「ああ。異界獣を討った君の名を俺は聞いている。他のパーティにも声掛けはしたんだが、イマイチ乗り気ではないようだったから俺が代表して聞きに来た。君はパザルネモレをどう攻略する?」
この年齢差で、それも自分より年下へ声を掛けてきた。そこにも驚くが他のパーティがアレウスへの交流を避けていることにも驚く。
「まだ作戦としてはなにも思い浮かんでいません。滅茶苦茶な案ならありますけど、現実的ではないので」
「城の裏手の崖を登る、とかか?」
「そうです」
「俺もそれは考えた。他のパーティリーダーにも意見として参考にしてくれとも言ったが、鼻で笑われてしまったよ」
「現実的ではないにせよ、案として持っておくのは正しいと思いますよ。そこをまず『あり得ない』と思考の外に置いていたら、その『あり得ない』から奇襲を受けることだってあるんですから」
「そうか……いや、そうだな。あまりにも否定されてしまうから俺の勘が鈍ってしまっていたのかと不安になってしまった。作戦としてはあり得ないんだが、考えなきゃならない要素ではあるよな?」
「はい」
「オラセオ、やめとけやめとけ。アレウリスさんに迷惑を掛けるなって」「そうそう、異界獣を討った人にとってこんな討伐依頼はどうだっていいだろうから」
男の冒険者の仲間ではなくどうやら他のパーティリーダーのようだ。二十数名に対してパーティが四組なので、リーダーはアレウスを含めてこれで全員だろう。
「彼らの言うことを気にしないでほしい。あれはいわゆる嫉妬だ」
小声でアレウスに男は告げる。
「偉業を成し遂げた者には尊敬や畏敬以外にもそういった悪意ある感情が向いてしまう。幸運だけで異界獣を討伐できるものでもないとういうのに」
「……オラセオさんは違うんですか?」
「正直、羨ましいと思っている。だが、そういった感情は自分自身の成長と共に処理するものだ。愚痴ぐらいは吐くかもしれないが、仲間内だけで済まして悪意を君に向ける理由にはしないべきだ。なにより、君と競う理由がない。協力してくれる頼もしい味方――いいや、これからも味方であり続けるのだから頼もしい冒険者か。自分たちのパーティが君たちに劣っているとまでは言わない。だが、互いに足りない点を補い合えたら、それがパザルネモレを魔物から取り戻す最短の攻略だとは思わないか?」
この男は心の中にある負の感情との向き合い方をよく知っている。会話をしている限りでは年齢と合わせて精神を成熟させている。
「亜人は僕たちの感知の技能を持っていませんでした」
「ああ、そのように聞いている」
「ですが、一人の冒険者が亜人に喰われてしまいました。彼は教会で甦りますが、問題はそこにはありません」
「と言うと?」
「僕たちと同じように城下町の偵察に来ていたということは彼もまた斥候としての技能を持ち合わせていたということです」
「っ! そうか、亜人の特性が聞いた通りなら、そのせいで……」
「はい。一匹の亜人が気配消しと感知の技能を習得したものと考えられます。この亜人を打倒しないと、偵察も斥候の技能を持った冒険者たちによる隠密の奇襲も通用しません。城に近付くことさえままならないでしょう」
「その話は他のパーティリーダーと共有しても?」
「構いません。僕たちは手を取り合って協力しなければならないんです。妬まれているからと情報を伏せる理由がありません」
「本隊合流後の作戦会議は更に難解なものになりそうだな」
「亜人の数を大体でしか把握できていませんから、正攻法もあまり得策ではありません。僕たちにとっての不確定要素を生み出すのが索敵能力を得てしまった亜人であるのなら、その一匹を特定の方向に誘き出す。そんな方法が思い付けば、かなり討伐は楽になります」
亜人という魔物はパザルネモレにいる種類は群れを形成している。だから誘き出すにしても一匹だけとはいかないだろう。だったら、索敵能力を得たのならその長けてしまった能力を逆手に取る。決して見過ごせない不安要素をこちらで作り出せば、ジッとはしていられない。
「亜人が魔物と人間の要素を併せ持つのなら、その習性と思考、そのどちらにも対応することが望ましいです。叩くなら習性ではなく思考の方。人間の真似をするのなら、恐怖を感じなくとも恐怖を感じている真似をする。それは大きな大きな隙になるはずです」
オラセオは考え込み、そしてアレウスたちを見る。
「すまないな。声を掛けたときにはなんとも頼りない青年だと思ってしまった。だが、それはただの先入観だった。パーティリーダーとして全てが足りている。そしてそんな君が信じている仲間がいるから、異界獣の討伐すらやり遂げた。こうして話せば、よく分かる」
「でしょう」
ヴェインがアレウスの肩に背を乗せる。
「俺たちはこの小さくとも頼もしい肩に命を預けているんだ。預けられると思えるほどに彼は行動で全て示してくれた。だから、オラセオさんも見ていてください。正道ではないかもしれませんが、アレウスの邪道は魔物の虚を突きます。ええ、必ず」
「必ずとか言うな」
「そう言った方が君は判断力が高まるからね。まぁ、自信なさげにはするけれど大抵は上手くいくさ。稀に失敗して大きく落ち込むのが気掛かりだけど」
だったら責任感を与えないでくれとアレウスは思いつつ肩に乗ったヴェインの手を気持ちを誤魔化すように払う。
「だったら、ウチのオラセオも負けてないぞ」「そうだ、年季が違うからな」「私たちもオラセオを信じて戦ってきた」「信じてくれているからリーダーにしたのだから」
「……自慢合戦になってしまいましたね」
「ああ、だが悪い気はしない。討伐戦では手を貸し合おう。二組を一組にしたいわけじゃない。パーティ同士で歯車のように上手く噛み合わせられればと思っている」
手が差し出される。
「ええ」
アレウスはオラセオと握手をし、彼は満足して仲間たちのいる方へと戻って行った。
「喧嘩しなかったな」
ガラハが呟く。
「すると思うな」
「多分、私とアレウスだけだったらしていたと思う」
アベリアも更に呟く。
「仲間が増えてアレウスに心の余裕が出来ているから、ピリピリしなかったんじゃない?」
「……まぁ、そうかもだけど。心の余裕は別にまだ全然」
「あーそういうのはいい。素直に受け取らねぇもんな、お前」
「お前もだろ」
「ははははっ、さてなかなかに気持ちが引き締まった。負けていられないよ、アレウス。勝ち負けがあるわけじゃないけれど、オラセオさんとその仲間たちに『期待して損した』なんて言わせないようにしないと」
「分かっている」
期待は不安は釣り合わない。期待されればその倍、或いは三倍は不安が高まる。けれどその不安を取り除いたとき、初めて期待が逆転する。
だから、今ある不安を噛み締める。これが期待と高揚の味に変わると信じて。




