あやまちを刻む
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処刑台へとヘイロンが登っていく。処刑人が罪状を読み上げ、彼女を断頭台へと導く。
563番目のテッド・ミラーが死んだ今、ボルガネムを危機に陥れた首謀者は既に処刑済みという体ではあるが、それでは信徒たちが納得しない。だからヘイロンは共犯者として、信徒たちの前で裁かれなければならない。
「あたしの人生もここまでか」
『妖精の一刺し』の効果はまだ解けていない。そもそも妖精に解く気がないのだ。ドワーフもまた解くことを強要していない。よってヘイロンにはこの場で処刑される以外の選択肢を与えられていない。
「好きだねぇ、どいつもこいつも。人の不幸ってのが」
断頭台に固定されても尚、ヘイロンは強がる。なぜなら、この結末を望んでいない人物を知っているからだ。
「残念だったな」
どこにもリゾラの姿が見えないことから、むしろ喜びすら感じている。
「殺したかっただろうなぁ、殺したくて殺したくてたまらなかっただろうなぁ。世の中、思い通りになんかならねぇんだよ」
処刑人にヘイロンは首を落とされる。だがそれは、リゾラの手で殺されることではない。自身の手で復讐を果たせないことを死ぬまで後悔させ続けることができる。もはやそのことだけしか彼女の頭の中にはない。
「なぁ、見ているんだろ、リゾラ? お前の手で殺せなくて残念だったなぁ」
首を固定されて見ることのできる景色は限られているが、処刑を見物している者たちの中にリゾラはいない。それでもこの光景を彼女は絶対にどこかで見ている。
苦々しく、眺めている。そのように思いつつ、ヘイロンは嘲笑すら浮かべる。
「テメェはその宙ぶらりんになった復讐心を、不完全燃焼のままのその感情を、ずっと抱きながら生きるんだ。ざまぁみやがれ」
「なにを言っているの、ヘイロン?」
真横、やや上の方から声がする。
「どんなことをしてでも私は必ずあなたを殺す。あなたへ、あなたたちへ復讐を果たすために」
処刑人が斧を握る。しかしその処刑人はヘイロンが思っていた屈強な男では決してなく――
「私が他の誰かにあなたを殺させるわけがないじゃない。そんな悲しいことを言わないで? ちゃんと私の手で、殺してあげるから」
「ふざ、けるな」
呟く。
「ふざけるな!! こんな素人に私を殺させるのか?! 敬虔なるボルガネムの信徒ども! こいつは処刑人なんかじゃねぇ!!」
「神へ――ここでは聖女へ向けてだったっけ。最期に言い残すことは?」
「見てねぇで訴えろ! こいつは腕利きの処刑人なんかじゃねぇんだよ!! 分かるだろ!? どう見たって……おい、なんだよその目は。死ぬ間際で気が狂ってしまった奴を見るような目は、なんなんだよ。おかしいのはテメェたちだろ!? なぁ!!」
「ヘイロン」
複数人がヘイロンを押さえ付ける。リゾラが斧を振りかぶる。
「嫌だ!! テメェの思い通りに殺されるのは絶対に嫌だ! クソ、くそくそ! クソが!!」
「さようなら。もう二度と私と同じ時代で巡り合いませんように」
「待て、私はまだ――」
処刑人の斧は重く、鋭く、縦に振り抜かれた。
*
「ヘイロンの処刑が終わったようじゃ」
「へー……」
「それぐらいか?」
「僕も因縁はあるけれど、リゾラほどに憎しみを滾らせていたわけではないからな」
ボヤくように言いつつ、アレウスは溜め息をつく。
「で……僕たちはなにを見せられているんだ?」
オーネストとイェネオスが手合わせをしている。人智を超えて、とてもではないがアレウスには入り込む余地のないほどの凄まじい拳と拳のぶつかり合いが繰り広げられている。
「仕方がないじゃろう。止まりそうになかったら止めに入れと言われておる」
「止められる気がしないんだけど。止めに入ったら死にそうなんだけど」
それについては同感であるらしくリリスも溜め息をついた。
「二度も負けてしもうたわ」
「言っておくけど、君と戦うのは二度と御免だからな」
「夢の中でなら殺し合ってくれるか?」
「嫌だ。廃人になりたくない」
そして、どうしてこんなにも執着されなければならないのかも分からない。
「疲れているんだよ。しばらくなんにも考えたくないくらいに」
「じゃったら夢の中で極楽を味わうのはどうじゃ? ワラワは別に夢の中でなくとも、まぐわうことに躊躇いはせんがな」
「まぐわうとか言わないでほしい」
アレウスはボーッとただただ超人同士の戦いを眺める。
「なんじゃ? 女とまぐわうことが男としての本能ではないのか?」
「本能としてはあるけど、誰とでもまぐわうわけじゃない」
「嘘じゃな? ワラワは何度、お主の夢に入ったと思っておる? 本音を言わんとお主の周りの女に暴露するぞ」
「……嘘です、御免なさい。正直、許されるのなら誰とでも……でも、こんなことを言うとただのクズじゃないか。本能としては正しいのかもしれないけど、人間として終わっている」
男であれば、そんな夢を抱く。ただし、当然のことながら理性が抑え込む。そうして理性のタガが外れた者が罪を犯す。その罪人がいるから、より理性的に欲望を抑える。非道な行い、蛮行は許されることではないと世間に広められることで、倫理観も形成される。
そして理性と倫理観は死ぬまで本能を抑え続ける。
「クズじゃなぁ」
「だろう?」
「じゃが、以前よりは欲望に忠実にも見える」
「良いことや長所みたいに言うな。僕の言っていることは明らかに間違っているんだからな」
「だったら本音など吐き捨てるでない」
「お前が言えと言ったんだろ」
オーネストがイェネオスを打ち飛ばして、黄色の魔力が爆ぜた。
「決着だな。私の拳によくもまぁその軟弱な『黄衣』で耐えられたもんだ」
凹んだ地面の中からイェネオスが這い上がるように出てきて、息を整える。
「まだ……『衣』が弱いんでしょうか」
「焦熱状態にも入れてねぇしな。ひょっとしたらクラリェットが使っていた『緑衣』より弱いかもしれねぇ」
「クローロン家の『衣』よりも?」
「お? 侮辱と捉えるか?」
「いいえ、正当な評価だと思っています。反逆者にして大罪人のエウカリス・クローロンは才気溢れる人物だったと聞き及んでおります」
「『灰銀』だけどな」
「それでもクローロン家が『身代わりの人形』の製紙技術を確立したことを考えれば、血の優劣など関係ないかと」
「……長生きしている割に時代に合っているじゃねぇか。無意識の差別がねぇのならキトリノスも安心だろう」
オーネストはイェネオスの手を取り、立ち上がらせる。
「はぁ…………歓楽街で大騒ぎして目を覚ましたら知らない女性が隣にいるみたいなとんでもない恐怖を味わいたい」
「ヤケになっておらんか? さすがに薄気味が悪くなってきたぞ」
そう言われてアレウスは更に落ち込む。
リゾラが人殺しである事実を改めて理解したことによるやるせない気持ちがアレウスの胸中を漂っている。これまで何度も彼女はそのことを示唆してきたが、その瞬間を見たことがなかったために現実味がなかった。だが、テッドを死の魔法で殺したことと、今日の処刑は彼女が聖女に特別許可を得て処刑人から成り代わってヘイロンの首を落とす。遅れながらの事実認定に苦しんでいる。すると奴隷であったことや娼婦として働いていた事実も途端に現実味を持ち始めて、更にアレウスの気持ちを落とす。
「産まれ直す前のこととは切り離して考えなきゃならないのに」
神藤 理空の人生とリゾラの人生は切り離すべきだ。だが、同じ世界からの産まれ直しであり互いに顔を知る相手である以上、その切り離しができない。
恐らく、きっとリゾラもできていない。
「僕は神藤さんと向き合えばいいのか、リゾラと向き合えばいいのか」
「ワケの分からんことを言うたところで仕方がないじゃろうに……なぜにワラワが励まさなければならん?」
自身の立ち位置にリリスが疑問を抱き、「やってられんわ」と言って陽炎のようにアレウスの傍から掻き消えた。
リゾラと話をするの午後からと決めている。アベリアたちには席を外してもらい二人切りで話す。産まれ直す前と、これまでのことを全て可能な限り話す。それ以外にもアレウスにはクラリエやアイシャ、ニィナとの話し合いも待っている。全部を後回しにしたことで当面の問題は解決できたというのに感情が重い。
それに彼女は今日、ヘイロンをその手で裁いた。憔悴している可能性もある。その場合は話をする機会を更に遅らせなければならない。
「いや、こんな気遣いはリゾラには不要か」
産まれ直す前のように怒られそうである。なぜならアレウスの気遣いの感情は完全に見返りを求めていたから。
憔悴している彼女を気遣って、あわよくば触れ合いたい。そんなささやかなようで強烈な欲望が心の奥底で沸々と湧いているのだ。
「見届け役を任せてすみませんでした」
良い汗を掻いたとばかりにタオルを手に取りながらイェネオスがアレウスに声を掛ける。
「見届けていただけで、どうやっても止められる気はしなかったけど」
「止めさせたくて見せていたわけじゃねぇ。アレウリス・ノ―ルード? テメェは私たちと同じ高みに到達しなきゃならない」
「あんな超人同士の手合わせを見せられたのにですか?」
「それが『勇者の血』をアーティファクトとして持ってしまった者としての使命だ。クラリェットは覚悟を決めているが、テメェにはまだ見えない」
とはいえ、とオーネストは続ける。
「テメェと私たちでそこまでの差があるとは思えねぇよ。聖都での戦いでテメェは動けねぇほどの重傷を負ったか? 技を出して疲労困憊になっただけじゃないか?」
「魔物との戦いに比べたらずっと楽でしたから」
『不死人』は死に怯えていない。死を克服しているからこそ無意識の内に守るべき命を晒す。常に命を放り出した戦い方をするため、その放り出された命を刈り取るだけで済む。リリスはその限りではなかったが、リゾラがいてくれたおかげで最も脅威であった夢への干渉を二度目の戦いではされずに済んだ。そのアシストがなければ、花園でアレウスたちは全滅していただろう。
「僕にとっての脅威はやっぱり人間じゃなくて魔物なんだなと再認識させられました。こういう、人と人との争いはそれを得意とする人たちに任せてしまうのがいいみたいです」
「そりゃそうだ。テメェは冒険者であって人殺しじゃねぇんだからな」
「もうどうしようもないくらいに手は人の血で染まっていますけどね」
「ですが、根幹を、主軸を揺らがせないように努力することが大切なのではないでしょうか。そこがブレて、揺れて、崩れて、人を殺すことを楽しんでしまうような方々に比べれば……」
そうイェネオスは気遣ってくれるが、アレウスのロジックから発せられる臭いから思うところがあったらしく尻すぼみになる。
「ありがとう、イェネオス。君に気を遣ってもらえるようになるなんて思わなかった」
「私はいつも気を遣っていますが?」
とてもではないがそうは思えない。彼女の視線は常に刺さるものがあった。不埒な真似をすれば容赦なく叩きのめす。そんな気迫すらあったのだから。
アレウスの視界にアベリアが入る。どうやらジュリアンたちと連絡が取れたらしく、表情には切迫感も緊張感もない。
「どうだった?」
「もう連合から帝国へ出国する馬車に乗っているって」
「『星眼』もか?」
「その子は私にその伝言を言ってから、どこかに行っちゃった」
オーネストが首を振って、呆れ返る。
「まぁあいつは招集を掛ければちゃんと来てくれる。むしろそれ以外では無駄に干渉したくはねぇな。リゾラベートも大聖堂に侵入するために気を引けとは言っただろうが、オークション会場であそこまで大暴れしろとは言ってなさそうだからな」
『星眼』のアンソニー・スプラウト。リゾラの協力者ではあるが、彼女には決して気を許すことはできない。
「ジュリアンたちがこのあと、何事もなく帰国できたらいいけど」
『悪魔』が住み着いていた村の件もある。さすがにそれを経験しているジュリアンがいるなら、宿泊する街や村の様子には警戒してはくれるはずだが、アレウスの庇護下にないので無事を祈ることしかできない。
「テメェたちはどれくらいボルガネムにいるつもりだ?」
「二日程度ですけど」
話し合いと荷物整理、そして食料の調達。あとは休息も含めてそれぐらいを見積もっている。
「なら寒冷期の雪に阻まれることはなさそうだな。ここいらは雪が降り積もると馬車ですら街道を走れなくなる」
「雪……雪か」
「一瞬、子供に戻ったな?」
アレウスの声音から感じ取ったらしい。
「テメェだけじゃなく、ここにいる連中みんなちょっとウキウキしてんのはやめろ」
そして、心を弾ませてしまったのはアベリアとイェネオスも同じらしく、再びオーネストは呆れ返って溜め息をつく。
「オーネスト様は今後、どうされるんですか? 隠れ家も壊されてしまったそうですけど」
「壊したのは聖女じゃなく『奏者』だけどな。聖女に恩を売り付けることはできたから、寒冷期を越すまではボルガネムで過ごすさ。そのあとは拠点を移す。アレグリアも私みたいな古株が睨みを利かせているのはもう御免だろう。それに、連合の方針が変わらねぇ限りは暮らし辛さがある」
「そもそもどうしてオーネスト様はボルガネムに?」
「神官や僧侶連中に見つかるととんでもねぇ役職に就かされちまう。ここはそいつらが寄り付かねぇから気楽だった。アレグリアに見つかってからは何度も何度も呼び付けられて居心地は悪かったけどな」
「そりゃオーネスト様は“偉大なる至高の冒険者”ですから、もっと力量に等しい役職に就くべきです」
「肩書きなんざで人は救えねぇ。救うために必要なのは金と食べ物と、手を差し伸べる行動力だ。重要な役職に就いたら動くに動けなくなっちまう」
奉仕の心は僧侶として最初に学ぶことで、オーネストが変わらずそれを持ち続けているのだから一応は僧侶としての生き方を全うしているらしい。言動で台無しになっていることをアレウスは伏せておく。
クラリエがガラハと共にギルドから戻り、イェネオスたちと一緒に聖女が手配した宿泊施設へと帰っていく。アベリアはアレウスと帰国の支度として必需品はなにかを話し合ってから同じく宿泊施設へと向かった。
「リリスの言うように僕は強くなっているんだと思う。ある程度の自信にはなってきた。でも、そこに驕りが生じないように気を付けないと」
力を付け、目立てば目立つほどに羨望も高まるが恨み辛みも向けられる。自分には至れなかった境地にどうして至れているんだ、と。そんな無茶苦茶ないちゃもんが向けられるようになるのも時間の問題だろう。そんなことが起こらないようにギルドや冒険者たちとは密に交流を取らなければならないのだが、現状はヴェインやリスティに任せてしまっている。
二人の協力が仰げないことがこれほどに負担であることも学べた。パーティは一度でも形にしてしまうと月日が経てば経つほどに依存してしまうようだ。だが、手を取り合うことは決して間違いではなく、孤独に戦い続けることは明白なまでの間違いである。
信じたい者を信じ、信じられない者は信じない。このスタンスは今後も貫くものの、アベリアと二人でいる方が気楽であるという感情はかなり薄らいできた。心の余裕か、それとも自信が織り成しているのか。
「この度はボルガネムの危機を救ってくださり、感謝しています」
「っ!!」
聖女がすぐ横に立っていて驚き、声すら出なかった。
「ご安心ください、危害を加える気はありません。それに、あなたに見えている私はリリスが用いる幻影と同じですよ。私自身は花園で身を休めている最中です」
「アレグリア様」
「なんでしょうか」
「戦争をやめることはできないのですか?」
「できません」
返事を待つような時間は秒として与えられなかった。
「始めた以上は、責任を持って最後までやり切らなければなりません。どのような勝利を掴むのか、どのような敗北をするのか。どのように連合は戦争に勝利するのか、そしてどのようにして連合が滅亡するのか。どちらに転がるのだとしても、私は始めた責任を放棄して『やめる』などとは申しません」
「それが連合の総意なのですか?」
「はい。恐らくはそうなります。ただ、帝国と王国の戦争にまで手を出したのはやり過ぎたとは思っています。けれど、私たちには虐げられ続けてきた歴史がある」
「連合が連邦を虐げたことが最初の起こりでは?」
「国がまだ若かった頃、王国と帝国が世界を二分していたときのことです。二大国によって小国は蹂躙され、滅ぼされ、虐げられ、苦しめられ続けてきました。その被害を抑えるために小国同士で手を取り合い、大国に挑まんとする。それが連合のはしりとなりました。連邦もそれに続いたのですが、彼らの帝国や王国への日和見主義――強き者の傘下に入ることでその庇護を得ようとする考え方には賛同できませんでした。その軋轢が徐々に亀裂となり、連邦を攻めなければ連合は孤立し、いずれ大国に吸収される未来が見えていたのです」
アレグリアは拳を握る。
「力を、見せなければなりませんでした。あなた方が虐げ、下に見ているただの小国の連なりであっても、これほどまでの力を持っているのだと。帝国と王国だけではなく、連合に属する国々もまた強国であるのだと。禁忌戦役がなければ、連合は連邦の二の舞になっていたでしょう」
「……それは、連邦を犠牲にして連合が強くなっただけなのでは」
「犠牲を出さずして、いかように国力を世界に見せつけることができましょう。私たちはエネルギー革命を起こし、蒸気機関の技術を飛躍的に高め、銃器や戦車を開発し、新たなエネルギーで動く船舶を製造しました。けれどこれらも、奪われてしまえばそれまで。己自身の手で握り、己自身の手で活用しなければ意味がないものなのです。それに、連邦を犠牲にしないようにしたところで連合は共倒れだった。兵器は帝国や王国の手に渡り、戦争の在り様も変わってしまっていたことでしょう」
アレグリアは薄い雲で覆われた空を見つめる。
「古より続いてきたこの地で、この場所で、私たちは機を待ち続けた。何度も国が立ち、何度も国が滅び、何度も村が築かれ、何度も村が壊滅しました。そうした年月の果てにボルガネムが成り立ち、今へと繋がっています。テッドによって随分と歪んだ形になってしまいましたが」
「……悪名高いテッドと手を組んだ理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
「帝国と王国、そのどちらとも戦わなければならない状況に陥っている連合にとって最も恐ろしいのは通商ルートを閉ざされることです。陸路、海路、そのどちらも監視下に置かれれば経済を回せなくなります。武器、食料、その他の全ての商品を連合国内に運び込むことさえ困難になれば、国の終わりはあっと言う間に訪れる」
「そうでしょうか? 小国が連なっているのなら、お互いに輸出入を行えばともかく経済は回せるのでは?」
「通常の土地柄であればあなたの仰る通りです。ですが、ボルガネムに関わらず連合の多くの国は寒冷期において積雪が起こります」
オーネストが言っていたことを思い出す。
「積雪により馬車は動かせず、街道もほぼ機能しません。そんな中で商人が訪れるわけもなく……ボルガネムは本格的な寒冷期が訪れる前に燃料や食料を備蓄し、訪れた際には外出を極力控えて迎暖期まで耐えなければなりません。その状態で、戦地に兵士を送り込むことができるでしょうか? 兵站を潤沢にすることが可能でしょうか?」
「できません」
「だからこそ、テッド・ミラーの通商ルートを頼らざるを得ませんでした。彼らは寒冷期であっても自由自在に商品を運搬していました。積雪を物ともしない馬車や雪の少ないルート取りなどは去年の間に調べ尽くしたのですが、通商ルートを可能としている魔法や不凍港は見つけることができませんでした。利用しているつもりが利用されていた……虫の良い話ではありますが、奴隷制度も信徒を前線に送り込む胸の痛みに比べればと考えてしまいました。愚かな話です」
しかし、連合に協力していた563番目のテッド・ミラーは死に、ヘイロンは今日をもって処刑された。
「これからどうされるのですか?」
「どう、なるのでしょうね。私の死の魔法が知られているので、すぐにボルガネムへ侵攻されはしないのでしょうが……ええ、私は国の滅亡を考慮して、正しい負け方を思案し始めるときに来ているのかもしれません」
「帝国か王国、どちらかと手を組むという道もあるんじゃ」
「こんな好き放題している国を容認するほど帝国は緩くはありませんし、王国には助けてもらおうとも思いません。テュシアを追放したのは私自身ですが、まさか研究されるなんて思わなかった」
「それは嘘ですよね。星辰ができるあなたが、思わなかったなんていう言葉を使うわけがありません」
「……先日も言いましたが、私はテュシアが怖かった。誰よりも、どんな事象よりも怖かった。その怖さに負けて、彼女がその後に被るあらゆる苦痛から目を背けてしまった。このあと、テュシアとはちゃんと話をするのですけど……それすらも、恐怖を感じずにはいられません。身から出た錆とはいえ、なんとも浅ましい感情でしょうか」
拳を解き、アレグリアは右手で左手の肘付近を掴む。
「罰を受けるときが来た……そう思うしかないでしょうね」
「テュシアは――ニィナはあなたを傷付ける選択を取りませんよ、絶対に」
「あの子のことを信じてくださっているのですね。どのようなことが起ころうともそれは私が招いたこと。彼女のことを嫌いにはならないでください」
それでは、と言ってアレグリアがアレウスに背中を向ける。
「同盟を求めるのではなく、表面上は戦争をしているように見せかけて帝国や王国に寄り添う手段だってあるのではないでしょうか」
消えてしまう前に彼女へとアレウスは進言する。
「連合の兵器を脅威と感じているから帝国も王国も連合を攻め落とすことに躍起になっています。ですが、どちらかに寄り添えば、少なくとも片方からの侵攻は抑制されます。その後、裏切られるかどうかは定かではありませんが一時の、僅かながらの延命が可能なのではないでしょうか。オークション会場での惨劇で、各国の貴族が殺された以上、猛攻がその内に始まります。死の魔法では抑えられることのできないほどの猛攻が。そうなる前に、どちらかの溜飲を下げなければなりません」
「あなた方に酷い仕打ちをしたばかりでなく、そのように国を憂いてくださるのは感謝しかありません。ですが、国を想うは私たちの仕事。冒険者の方々までもが背負うべき責務ではありません。あなた方は、その命が尽きるまで自由であるべきです。この世界に再び魔王が降り立つことがあったとき、それを討つために戦闘に立つのは勇ましき者――冒険者たちなのですから」
そう言って陽炎のように掻き消えた。
立場が違うがゆえに、干渉できることの限界もある。アレウスの進言などアレグリアにとってみれば夢物語に過ぎない。帝国も王国も連合と水面下で手を取り合うなどという決断はしないし交渉もしない。もしも交渉することがあったとしても、連合には不利な条件が突き付けられる。
「だったら滅んだ方がマシなのか……?」
奴隷制度が行き過ぎ、狂ってしまったこの国は滅ぶべきか否か。倫理観で言えば滅んでしまえばいい。だが、一部の真っ当な生き方をしてきた者たちはどうなるというのだろうか。差別も受け、迫害もされる。それが敗戦国の常だ。男は死んでもいい労働力、女は民族浄化という名の性欲の捌け口にされる。それは現状における奴隷たちと、全ての国民が同列になることを意味する。
それは新たな戦争の火種だ。新たな復讐を生む。方向は違えど新たなアレウスを、新たなリゾラを生む。
「分からない、僕には」
当然のことながら政治家でも戦略家でもないアレウスに、国の行く末など見えるわけもない。
「それでもなにか出来ることはないのか……?」
「あなたは優しすぎるよ」
思い悩みつつ帰路に着こうとしていたアレウスにリゾラが話しかける。
「夜じゃなくても良かったのか?」
「ええ、自分の中で気持ちは一段落ついた。多分、夜の方がキツいから気持ちが楽なときに話しておきたい」
そう言って、リゾラはアレウスと目を合わせる。
「あなたは、白野?」
「産まれ直す前はそう。今はアレウリス・ノールード。そういう君は、神藤さん?」
「今はリゾラベート・シンストウ。でも、この世界に産まれ直す前はそういう苗字だった」
そこからしばらく沈黙が続き、リゾラがアレウスの胸に額を当てるように身を寄せてくる。
「こんな風には会いたくなかったけど、会えてよかった」
「僕も、まさか会えるとは思わなかった」
「なんで、子供を助けて死んじゃったの?」
「そういう神藤さんこそ、なんで死んだんだ」
「私は、あなたの真似をしただけ。真似したら、死ぬことまで真似しちゃった」
「人助けで死んだのか。自殺したんじゃなくて……ああでも、良かったなんて言うべきじゃないのか」
「私が自分を殺すわけないじゃない。白野が死んでから、絶対に、絶対に死んでやらないって思っていたんだから。だから、悔しい。あなたにこうして会えたことは嬉しいけど、あなたと同じように死んでしまったから、とっても悔しい。誓ったことすら守れない自分が、嫌いになりそう」
でも、とリゾラは続ける。
「私は初めて、この世界で生きていてよかったって思えた。こんな、意味分かんない世界でこの世の終わりみたいな場所で、死にたいくらい苦しんで……なのに、あなたが白野だって分かった瞬間、全部がどうでもいいって思えてしまうくらいに私の頭は単純だった。そんな、私らしくもない大嫌いな女の子っぽさが残っていたなんて」
胸の中でリゾラは震えている。声にも震えがあり、若干ながら嗚咽も混じっている。
「私、沢山の人を殺しちゃったよ。この体も一杯一杯、穢れちゃった。それでもあなたは、私のことを昔みたいに……見てくれる?」
「……できる、って前なら言えたのにな。でも、昔みたいには言えない。だってリゾラはそんな優しさは求めてないだろ?」
「分かってんじゃん」
沢山の人を殺していて沢山の男に抱かれている女性を以前と同じように見ることは誰だってできない。それはアレウスも同様だ。
「僕は君をどういう目で見ればいいのか、分からない。でも、だからって見ないフリをするって選択肢は僕の中にはない。僕は僕で、君は君だから。記憶の中の神藤さんは、ここにいるリゾラとなんにも変わってなくて……変わっているのは、生き様だけで。それは僕にも言えることで……だから、受け入れられないんじゃなくて器量や度胸が足りないんだと思う」
決して口にすることはないが、リゾラは重い女である。神藤であった頃から独特の価値観を持っていて重かったが、この世界では更に重くなってしまった。自分自身で精一杯なアレウスに、彼女の生き様は背負えない。背負えるだけの体力がない。
「ねぇ、一緒にどこかに行かない?」
リゾラはアレウスの胸から離れ、そう提案する。
「誰にも知られずに、遠い遠い、海の向こう側に逃げてしまって……二人切りで、残りの人生を過ごさない? 世界とか、国とか、なにもかも捨てて」
本気で言っているようで、冗談で言っているようで。
神藤のことを理解し切れていなかったのに、今のリゾラの言葉をどちらと受け取ったらいいのかはアレウスには分からない。それでも答えを求められるのなら――
「それも、」
「なーんて……ね。あなたは優しいから、こう言ったら絶対に私に寄り添っちゃう」
答えを読まれてしまった。
「私に優しくしてアベリアを悲しませることをしちゃ駄目。その優しさが危ういんだよ。こうやって悪い女に引っ掛かって、色んな大切なものを奪われちゃう」
「僕は、」
「私はあなたと同じ道は歩めない。あなたと一緒には、いられない。でも、それはまだってだけで永遠に、ってわけじゃないと思う」
「一緒に来る気はないんだな」
「無理だよ」
「無理じゃない、僕は!」
リゾラのためなら悪者にだってなれる。
本当に、本気で、心の底から好きだったのだから。
「綺麗なままで終わらせようよ。お互いに、なにかしら想うところはあったのに決して交わることのなかった気持ちを抱いたままに死んじゃったところで終わった。その人生とは切り分けようよ。神藤 理空だった私と、白野だったあなた。その人生はもう終わっていて、ここにいる私たちは別人の人生を歩んでいる。そうしないと私は、産まれ直す前の記憶まで……汚したくない」
「……でも、僕の中にある神藤さんへの想いは本物だ」
「私だってそうだよ。私はあなたのことが好き。でも、それとこれとは切り離して考えたい。好きだからって一緒にいることが許されるわけじゃないし、好きだったからって一緒にいられるように努力することが正しいわけでもない」
好きだと言われても、ピンとは来ない。アレウスは白野であった頃に一度でもリゾラに――神藤にそんな気を見せてもらったことはなかったのだから。
それでも、自分自身にある神藤 理空のことが好きだったという想いだけは本物であることに違いはない。
「リゾラが……そう言うのなら」
けれど、優しさが邪魔をする。自分の中にある見返りを求め続けている卑しい優しさが、リゾラの意思を尊重してしまう。
「好きだったんだ、君のことが。いや、君じゃなくて神藤 理空っていう女の子のことが」
「……嬉しい、ありがとう。私も白野のことが好きで、アレウスのことも好き」
出会うべきだった、もっと早くに。
もっとすぐ近くで、産まれ直したかった。
そうすれば、過去形ではなく現在も変わらず想いを背負い、ここで恋を実らせることができたというのに。
「これからどうするんだ?」
「私はオーネストに身を寄せるつもり。なんだか分からないけれど聖女になってしまったみたいだし……聖女の生き方としては間違ってはいるけど、それでもあの人は私が身を寄せることを許してくれたから」
「そっか……アニマートさんは君に『蜜眼』を奪われていたんだな」
「テッドが乗っ取るときにこの眼のことを口にしたから知っていたんだと思っていたのに」
「直感だった。ただ、譲ったんじゃなく奪っていたなんて思いたくはなかった」
「御免ね、私にはどうしても必要だった」
「それを許すかどうかは僕じゃなくて、アニマートさんだ。オーネストさんが言っていたけど、残留思念が消えたらしいからあの人も君を許してくれているんじゃないかな」
楽観的なことを言う。大切なものを奪われて許してくれることなんて滅多にないことをアレウスもリゾラも知っているはずなのに。
「アレウスはこれからも冒険者?」
「『異端審問会』との因縁が残っているんだよ。アイシャから組織の内情を聞くつもりだ」
「あそこには私も入って色々と調べようとしたんだけど、唯一どうにもならなかった。あんまり無理はしないで。私は、あなたと絶対にもう一度会いたいから」
「そうだな。でも、僕にとって復讐しなきゃならない相手だから、君みたいな無理はするよ」
感情は整理できていない。それでも平静を努める。
「あなたが世界中を敵に回しても、私だけはあなたの味方だから」
「怖いことを言う」
リゾラがアレウスに、今まで一度も見せたことのない薄っすらとした笑みを浮かべてから翻り、歩き出す。
怖れるな、ビビるな。この想いが風化する前に。
男としての衝動に頼れ。せっかく、巡り会えたのに、ここで全てを終わらせたら後悔する。
神藤と白野の人生は終わった。だったら今の自分にリゾラとの繋がりを残す方法は、一つしかない。
そう自分自身に言い聞かせてアレウスは彼女のあとを追って手を掴む。
「どうしたの?」
「君を抱きたい」
「は?! あ、えっ?」
「白野として神藤さんを抱きたいとかじゃなく、アレウスとしてリゾラを抱きたい」
「駄目、駄目駄目駄目。アベリアが許してくれない」
「許してくれなくたっていい。このまま、離れたくない」
「そんな、の、言われたら……私、止まれない」
「アベリアには死ぬほど土下座するし死ぬほど謝る。バレなかったら墓まで持っていく」
「アレ、ウス」
「君のことを知ってから別れたい」
「…………サイテーだね、アレウスは。土下座したって謝ったって一回は一回だし、それを永遠に言われ続けるわ。酷いことをさっきから言っていること分かってる? はぁ……その表情じゃなにを言ったって駄目そうね。分かった、分かったよ。一緒にサイテーになろう。私もこれを、最初にして永遠のあやまちとして胸に刻み続けるよ」
アレウスとリゾラは手を繋ぎ、昼間の歓楽街へとその足を向けて歩き出した。あやまちを永遠に胸に刻むために。




