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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第12章 -君が君である限り-】
552/705

老獪な男


「な、に……?」

 アベリアは自身の体から異常なまでの勢いで魔力が失われていることに戸惑い、前方に展開していた炎の障壁を解く。同時にテュシアは片腕から金属片を零れさせながら激痛で悲鳴を上げながら膝から崩れ落ちる。

「アレ……ウスに、魔力、吸い取られ……て……」

「はぁ……はぁ、今がチャンス……?」

 テュシアは脂汗を拭いながらなんとか起き上がり、弓に矢をつがえる。

「許してくれなんて言わない。でも、私はもう、分からないから……!」


「いけません!」

 今まさに矢を放とうとしたテュシアの耳に、ずっとずっと待ち望んでいた人物の声が入る。弦にかけていた矢を下ろす。

「アイシャ…………なんで、ここにいるか、分からないけど……会いたかった」

 あるときから、テュシアの生きている理由はアイシャとまた会うことになっていた。それがニィナとしてなのか、それともテュシアとしてなのかは分からない。

「会いたかったけど、こんな私をあなたはきっと受け入れない」

 テュシアの右半身を金属が液体のように蠢き、覆い尽くす。

「あ……ぁ、もう、無理。もう、抑えられない」

 天を仰ぎ、目から涙を零す。

「アイシャと会うまでは、って思っていたから……力、抑えられない。殺そうとした私が、こんなことを言うのは的外れだけど」

 液体金属がテュシアを完全に包み込む。

「私の代わりに、アイシャを守って……」


「ニィナさん!」

「待って!」

 アベリアがアイシャを引き留める。

「どうして止めるんですか!?」

「感情で焦って近付くべきじゃない。今のニィナは、ニィナじゃない。そもそも、ニィナじゃなかったのかもしれないけど」

 魔力を吸われはしたが、それでもアベリアにはまだ余りあるほどの魔力が残されている。

「あなたが今までどこにいたのかとか、なんで突然ここに現れたのかとか、沢山聞きたいことはあるんだけど」

 炎を揺らめかせる。

「まずはニィナからあの金属を――アーティファクトを引き剥がす。協力して、くれるよね?」

 そう訊ねつつ、アベリアは説明し辛い独特の臭いを嗅ぎ取って、魔力で練り上げていた炎を瞬時に消し去る。

「どうしたんですか?」

「……火は使っちゃ駄目。熱を持つから光も多分……駄目。今すぐなにか起こるわけじゃないけど、とても嫌な予感がする」

 本能的にではなく、以前に学んだ知識からアベリアはアイシャに忠告する。

「その黒鷹の意匠が入った外套は『異端審問会』だよね? それを着ているとアレウスが間違って襲い掛かるから、もしも会う気があるのなら早めに脱いだ方がいいよ」

 その忠告にアイシャは物凄く複雑そうな表情を浮かべる。

「私は、あの人と会うべきなんでしょうか。会わない方がいいのかもと、思っています」

「……そう、だったら、尚のこと早めにニィナを助けないとね。だってアレウスと会わない内に、いなくなりたいでしょ?」

「分かりません」

 迷いをアイシャは見せる。

「あの人が、本当の意味での悪人だったならどれほどよかったか。私の知るアレウスさんが、どうしようもなく良い人であるせいで……どうにもならな、いっ!?」

 悠長に話しているアベリアとアイシャに痺れを切らし、ニィナを覆い尽くした液体金属がさながら触手のように伸びる。寸前でアイシャは魔力の障壁を展開させて防ぐも、打ち破ろうと触手は何度も障壁を叩く。

「なんなんですか?! なんでニィナさんが、あんなことに!」

「多分だけど、」


「『初々しき白金(プラチナ)』っつーアーティファクトだな」

 アベリアが推測を語る前に後方から女性の声がする。

「あんたが持っている『原初の劫火』と起源を同じくするものだ。だが、あの『不死人』はあんたみてぇに『継承者』として認められてねぇな。さっさと持ち主を殺して、現存するアーティファクトとしての姿に戻りたがってんだ」

 女性の後ろにはガラハとイェネオス、そしてフェルマータがいる。

「えと……隠れ家、にいた?」

「『勇者』みてぇに隠居生活は割に合わねぇから、だったら聖女たちを取り仕切って管理っつーか、正しい道に導いてやろうって息巻いてみたが、こっちはこっちで(しょう)に合わなかったみてぇだ」

 右の拳に満ちるのは祓魔の力。そして全身に通わされているのは清らかな浄化の魔力だった。歩いただけで不浄が祓われる。それほどまでに女性に満ちている魔力は洗練されており、一切の(じゃ)が混じっていない。

「主より賜った、この身に流るる力を粗暴なる者を祓うために行使することを、お赦しください」

 そう呟き、女性が真正面から液体金属の触手を右の拳で打つ。触手は弾け飛び、飛散した液体金属は包み込んだニィナの元へと虫が這うかのように戻っていく。

「さっさと『初々しき白金』を黙らせねぇとロジックに保有しているあいつが死ぬ。だが私たちには暴走しているアーティファクトのロジックを開く術なんてねぇし、あの『不死人』のロジックを開こうとしても包んじまっている以上は困難だ」

「全部弾き飛ばして、ニィナの体を露出させてからロジックを開く?」

「散らしたって元通りになるだけだ。開いても、覆われて無理やり閉ざされる。短時間でどうこうできるもんでもねぇから、ここで取るべき選択を告げておく」

 向かってくる触手を全て右手だけで弾き飛ばし、一切の困難を感じさせない動きで『初々しき白金』の攻撃を女性は凌ぐ。

「一つ目、あの『不死人』を見捨てる。放置していればアーティファクトが『不死人』を喰い終えれば、暴走は終わって鉱石のような形をした物体として落ち着く。二つ目、あの『不死人』ごと殺す。一応は宿主になっている『不死人』ごと殺してしまえばさっき提案したものと同様に物体として落ち着くだろう」

「どっちもできません!」

「三つ目、あの金属を弾き飛ばして宿主の体が露出している間にロジックに触れて、アーティファクトの所有を放棄させる。凄く簡単そうだが、宿主に弾けた金属はスライムみてぇに戻ってくるから、開いている時間は五秒もない。ひょっとしたら三秒もねぇかもな。言っちゃ悪いが、その秒数で放棄の書き換えはあの『賢者』ですらできねぇだろうよ」

 イプロシア・ナーツェにできないロジックの書き換えをアベリアができるわけもない。

「四つ目、これが一番現実的だ。あの『不死人』からアーティファクトを別の器に移し替える。この場合の器は人間でなければならない。アーティファクトを物体に移し替えても暴走は止まらない。『清められた水圏』が穢れを落とすために人間の体に移されていただろ? 要はそれと同じ方法で抑え込む。だが、あれは穢れてはいたが、アーティファクトとしての暴走状態ではなかった。ギリギリのところで管理可能な状態だからできた芸当だ」

「それじゃまるでできないみたいに言うじゃないですか」

 現実的と言いつつも非現実的なことを言っている女性にアイシャが絶望して呟く。

「いいや、できる。そのためにこの子供を連れてきた」

 女性の全身を覆うように展開された複数の触手を自分を中心とした半円状の障壁で跳ね除け、フェルマータを見る。

「『竜眼』はロジックを開かずに物体にも干渉できる。あの『不死人』から『初々しき白金』というアーティファクトを引っこ抜くことができるんだよ。要は人間から、人間が持ち得ていない概念を引き抜くんだよ。そのためにこの子供を連れてきた。ただし、問題があってな」

「この子が『竜眼』の使い方を理解できていない」

 イェネオスが女性が言いたいことを先に言う。

「まだ視界に映るもののなにがおかしくてなにが普通なのかが分かっていません。私たちにとってそれは目に映っていたらおかしなものだと断言できる要素を、フェルマータは普通だと思っています」

「他人の視界を通した景色を見る魔法は幾つかあるが、そいつが本当に見ている景色とは違う。そいつに見えている要素を私が視認できなきゃ意味がない。私たちは色鮮やかな景色を正しく共有することができないのと同じだ。私の見た赤色は他人にとっては青色かもしれない」

 だから、と女性は続ける。

「この戦いの中で、明らかにおかしいと思える視界の変化をこの子供に見せつけなきゃなんねぇ。『竜眼』を持っているのに使えないんじゃ身を守ることさえできやしない。今、この瞬間に学ばせる。で、あとは誰を器にするかだが」

「私が……!」

 アイシャが進言する。

「私が、なります」

「名乗りを上げるのはいいが、死ぬかもしれねぇぞ?」

「構いません! あんなに苦しむニィナさんを見ているよりマシです!」

「……まぁ、『不死人』にあるよりは聖女のロジックにあった方がアーティファクトも静まるだろうよ」

 女性はアイシャの進言を認め、障壁を解く。途端に『初々しき白金』が弾丸を放つが右手で受け止め、投げ捨てる。

「まだこいつには言ってなかったな、昔から手癖がわりぃんだ。その手の飛び道具を私に当てようと思うな」

 続いてアベリアたちに弾丸を撃つ。

「だからって私以外にも当てられると思うな」

 彼女以外に向けられた弾丸の全ては彼女の右手の中に収まり切り、投げ捨てられる。

「おいドワーフ」

「オレの役目はここじゃない」

「そうだ、行ってこい」

 ガラハが女性の魔力障壁による補助を受けながら大聖堂内部へと侵入する。

「んで、テメェはどれくらいやれる?」

 女性は横目でイェネオスを見やる。

「フェルマータが『竜眼』を使いこなすまでは生きられます。『阿修羅』のオーネスト様」

 両手の拳に黄色の魔力を宿し、イェネオスが構える。

「さすがにエルフにゃ知られちまっているか。だからって態度をどうこう変えるつもりもねぇけどな。手厚いサポートは期待するな。テメェが言ったんだから、言った通りに生きろ。あとは、」

「私はフェルマータを守る。火属性の魔法が使えないから」

「言わなくても察してんのか。まったく、アレグリア様とやらはなにを考えてんだか……聖都を焼け野原にしたら、連合は滅ぶってのに」

 オーネストは溜め息をつく。液体金属が地面を満たし、隆起するが如く様々な武器が天を突くようにして生じる。

「まぁ、やるべきことをやるだけか。それが冒険者の最初の第一歩だったんだからな。だから、私が生きるべきだと思った連中は見える範囲なら必ず死なせない。『不死人』のテュシア? その身の全てを奪った責任がある以上、テメェは生きなきゃならない。間違った生き方をしていても放っていい命はない。命は自分で捨てるものじゃなく、主や災いによって奪われるものだ。私たちでも敵わないような超常の存在がわざわざ嫌がる私たちから奪うのは家族、環境、その他諸々だけじゃねぇ。分かるか? つまり、命には価値がある」



 両腕を伸ばし、『不死人』の男が理想より生じたリゾラを襲う。

「やめるんじゃ、クレセール! 手出しすれば死ぬぞ?!」

「いいや、やめねぇよ!」

 両腕が理想のリゾラを捕まえ、更に蛇のように巻き付いて絞め上げる。

「こんな奴ら拘束さえすれば」

 理想のリゾラがクレセールを睨み、笑みを零す。自身を絞めている両腕に魔力が流れ、クレセールが口から血を吐く。腕を収縮させて元に戻し、戸惑っている男に花園に潜んでいた花の魔物が花弁と同時に口を開く。

「俺様に直に魔力を流して、魔物まで召喚しているだと……?」

 花の魔物を右腕を刃物に変えて一刀両断し、改めて視界の中央に理想のリゾラを捉えるが、それを予期していたかのように彼女の体は陽炎のように揺れて消える。

「そんなお遊びみてぇな攪乱には乗らねぇよ!」

 翻って気配を読み解いたクレセールがそのまま刃物を振るう。刃はリゾラではなくガルムを断ち切る。

「な?! 魔物に女の気配が乗っているだと!?」

「『魔の女』の持つ魔力のほとんどが魔物を形成しておるんじゃ!」

 そう言ってクレセールの背後に現れた理想のリゾラをリリスが蹴り飛ばす。


 蹴飛ばしたリゾラの皮膚と肉が削げ落ちて骨になって転がる。

「残念、それは私じゃない」

 そして理想のリゾラはリリスの着地と同時に彼女の影から現れて、指先に収束した魔力の塊を直接ぶつけて打ち飛ばす。


「なんだってんだ! こいつらはなんでこんなに強い!?」

 飛んでいくリリスをクレセールが腕を伸ばして掴み、その勢いを殺させるがその間に眼前に理想のアレウスが迫る。全身を刃物のように硬化させ、短剣による剣戟を凌ぐ。

「獣剣技、“下天の牙”」

 素振りも構えも乱暴に振り下ろされた短剣に込められた気力はクレセールの眼前で狼の牙となって硬化している身を()いだ。

「この小僧と小娘はお互いに抱いている理想が高すぎる。それこそ化け物のように!」

 収縮するクレセールの腕の勢いを乗せたリリスが爪撃で理想のアレウスを切り払う。

「この二人は肉体を消し飛ばしてもワラワの魔霧を吸ったせいで理想が残ってしまっておる。聖女様、死の魔法を早く解いて彼奴らの理想をともかく消すべきじゃ。さすればこんな化け物どもとは取り敢えず、ワラワたちは戦わずに済む!」


 クレセールとリリスの背後に複数体のガルムを従えた理想のリゾラが魔力の奔流に乗りながら押し寄せる。


「できません」

 聖女は呟く。

「そんなことはできません。これまでの威厳が、眼に養われてきた私たち聖女たちの積年が、積み重ねてきたものが通用しないことを信徒たちに気付かれてしまいます」

 否定は更に強くなる。

「死の魔法を解くなど、私は致しません!」


「聖女様!」

「意固地になってる場合じゃねぇっつってんだよ!」

「なにも問題ありません。だって、本体は消滅しつつあるんですよ? このまま消え去れば、理想もそのまま消え去る。それに、あなたたちは『不死人』じゃないですか。『不死人』は何度だって甦ることができるんですから、耐え続ければ私たちは勝てます」

 クレセールとリリスが協力してリゾラとアレウスの攻撃を耐え、二人を投げ飛ばす。花園に駆け付けたプレシオンが二人を背後から剛腕で床に叩き付ける。

「それにプレシオンも戻ってきました。エルフを入れても人数では私たちの方が(まさ)っています」


「不死性が邪魔だな」

 剛腕の下から理想のアレウスが声を発する。

「何度でも甦る。そういう特性なのかしら……その原理は、『養いの眼』によるもの」

 潰れていてもおかしくないほどの剛腕を受けながらも魔力障壁で凌ぎ切った理想のリゾラがプレシオンにオークを駆り立てて引き下がらせ、立ち上がる。

「あの眼を潰すことは?」

「できなくもないけれど手間」

「面倒なことはやりたくないか?」

「当然でしょ。楽なら楽な方を取る」

 理想のリゾラが占い師のように両手の平を向かい合わせにし、水晶玉ではなく膨大な魔力で玉を生み出す。

「私の魔力でできそう?」

「僕は理想、そして君も理想。だからこんなことはできないわけがない」

 理想のアレウスは魔力の玉に手をかざす。

「“開け”」

 かざされた手を本を開くように動かす。


「プレシオン、止めなさい」

「我もそうしたいのですが、体が……怯えている? この、我が……?」

 聖女の指示通りに動けないことにプレシオンが動じている。

「なにをする気じゃ?」

「分かんねぇ」

 リリスとクレセールは傷付いた体をようやく修復し終えて聖女の傍まで寄る。


「『異界化』」

 クラリエが呟いた。

「この薄気味悪さと、肌を滑る空気の感じ……アレウス君とリゾラちゃんはこの花園を局地的に『異界化』させる気だよ。ねぇ、あなた聖女なんでしょ? 早く死の魔法を解いてよ。解かないと、この花園は異界になるよ」

「異界になったところで私たちが不利になるわけでもありません」

「まだ分かんないの? 異界じゃ甦れないんだよ! 『教会の祝福』がある冒険者ですら甦れない! 神様が与えた甦りが通用しないのに神様の使徒でしかない聖女による不死性が異界で通用するとでも思ってんの?!」

「不死性……」

「あなたを守るそこの三人、みんなまとめて理想に殺される。あなたが死の魔法を解かなかったせいで!」


「「「聖女様!」」」


「……~っ! この屈辱! 数百年経とうとも忘れませんよ!」

 聖女は叫び、両手を合わせて祈祷する。消えかけていたアレウスとリゾラの体が少しずつ輪郭を取り戻していく。

「さすがに解いたか」

「私なら解かないけど」

「そりゃ僕の理想のリゾラなら解かない」

「私の理想のあなたも解かないわよ」

「そうだな、僕たちは互いの理想だから極端な選択を取れる。現実がどうなったって理想の僕たちには関係ないから。“閉じろ”」

 理想のアレウスと理想のリゾラが本体の回復に合わせて靄のようにして散っていく。

「でも理想があるのは現実での期待を捨て切れないから。期待を持ち続けなきゃ理想も描き続けられない。私たちは表に出るべきではなかったけれど、だからって捨てなきゃならないわけでもない」

 魔力の玉を消して、オークやスケルトン、ガルムたちを理想のリゾラが消失させる。

「「理想に近付けるように現実には頑張ってもらわないと」」


 異界化のうねりと合わせて理想は掻き消える、完全に。そして逆に消えかかっていたアレウスとリゾラが起き上がる。


「知らない僕を見ていた」

「知らない私を見ていた」

「「あれが(あなた)の理想?」」

「だとしたら僕はあんな風にはなれない」

「私だって絶対に嫌」

「「相手の思う自分になんてなるもんか」」


「なにを勝ち誇った顔をしているのです?」

 聖女は忌々しそうにアレウスたちを見る。

「あなた方には一片の勝機もありません。なぜだか分かりますか?」

 そう牽制しつつ、彼女の視線は花園に向く。自然とアレウスも花園に目をやり、掘られた溝に流れているのが水から徐々に変化していることに気付く。そして異臭が鼻を衝く。

「揮発油か」

「あなた方が花園に足を踏み入れる前に大聖堂のカラクリを作動させておきました。花園を満たした揮発油はこのまま下へ下へと流れていき、一、二時間もすれば聖都全域に行き渡るでしょう」

「共倒れしたいの?」

「いいえ、こうすればあなた方の力を抑制することができますから。『原初の劫火』の貸し与えられた力も、『雷鳴轟く金槌』の『継承者』としての力も、どちらも揮発油の前では扱うことはできないでしょう?」

「僕たちどころかあなたたちも火花一つ起こすことができないんだぞ」

「ええ、だから刃物であって刃物でないものを使えるクレセール、剛腕であなた方を潰すことのできるプレシオン、そして夢であなたたちを支配できるリリスがいるのです。少なくとも、この場この空間において私たち側から火花を発することはありません」

「……火花だけじゃないんだぞ」

 擦り合わせて生じる静電気も、極限まで熱を帯びるかもしれない摩擦熱も、ありとあらゆる引火性のある行動が取れなくなっている。

「揮発油って……ああ、この世界じゃそう呼ぶんだ? 引火点が確かマイナスでしょ。そんなのが充満しているんじゃ、私たち一歩も動けない」

「それどころか大聖堂から流れていったら、暮らしている信徒たちの火で終わる」

「聖女が聖都と信徒を人質にしているってわけ?」

 リゾラが溜め息をつく。

「それで私が止まるとでも?」

「僕も止まりたくはないけど」

 アレウスからしてみれば揮発油による引火と爆発は『原初の劫火』によって得た炎への耐性で凌げる。リゾラもきっと、揮発油そのものを怖れておらず魔力で防げると考えている。

「巻き込む人数が多すぎる」

「……まぁ私には関係ないんだけど、アレウスがそう言うんだったら抑えるかな」

 理解できないと言わんばかりの、妥協したことがハッキリと分かる声音でリゾラは言う。


 ジリジリと、アレウスたちと聖女たちの距離は開いていく。聖女にも緊張の色が見える。『不死人』も攻めには移らない。

 ここまで慎重になる理由は、彼女たちにとっても揮発油は扱い切れない代物だからだ。なにを原因にして引火するかは分かっていても、起因となる行動が無意識に無自覚に行っている所作で発生してしまえば自ら聖都を消し飛ばすことになる。


 そんな中でクラリエだけが静かに聖女へと迫り、短刀を振るう。


「あなたはそんなにも死にたいのですか?」

 斬撃を避け、クレセールとプレシオンに守ってもらいながら聖女は問う。

「嘘だよ、あなたにはできない。これは揮発油の臭いを真似ただけのただの水。違う?」

「……いいえ、私は」

「あなたは崇め奉られている聖女。ここはあなたを敬う信徒たちが住まうボルガネムと呼ばれる聖都。恐怖が織り成す信仰心の果てであったとしても、大勢の信徒を巻き込むことになるなら、あなたはその手段を使えない」

「私は本気ですよ。だって、イプロシア・ナーツェの起こしたエルフの叛乱に乗じてエルフの森へと侵攻させたのはこの私なのですから。大勢の犠牲など払っています」

「それは侵攻、侵略だからね。今のあなたは防衛側。そして防衛手段として、揮発油での脅しは取るべきではないことぐらいはあなたは一番よく分かっている。どれほどの被害を及ぼすか、どれほどの人間が消し炭になるか。そしてその先で連合がどのような形で滅ぼされるか。全てを理解しているあなたには脅すことはできても絶対にその手段を取ることはできない」

 それに、とクラリエは天を仰ぐ。

「揮発油で爆発すれば、『養眼』が潰れかねない。そんなこと、感覚器官のあなたには許されていない」

「…………クレセール、プレシオン。下がりなさい」

 聖女に命じられた通りに二人の男がクラリエから離れる。

「このまま帰っていただけますか?」

「なに言ってんの?」

「テュシアも時期に制圧される。だったらもう、あなた方にはやるべきことはないはず……いや、リゾラベート・シンストウにはまだやることがありましたか」

 聖女はクラリエが短刀を納めたことを確かめつつも、やはり慎重に距離を取っていく。

「テッド・ミラーとヘイロン・カスピアーナをあなたに引き渡します。それでこの件は一切、無かったことにしませんか? 私が信徒たちを犠牲にする選択を取れないように、アレウリス・ノールードも信徒を巻き込み、殺人を犯すという選択を冒険者として取ることはできないはず。死の魔法を解いた今、もうあなたには私に用もないのですから」

「それは……確かにそうだ。僕たちは連合を破滅させるために派遣された暗殺者じゃない。でも、リリスには殺せと煽られている」

「殺し合いをするには具合が悪い。場を整え直してから、もう一度じゃ」

「場を整え直されたら僕に勝ち目がなくなる。夢の中で殺す余地がないこの状況以外に、対等に戦えない」

「そこには気付いておったか。ふ、ふふふ、ワラワと戦わない理由を探していたのはお主じゃったが、今では逆にワラワがお主と戦わない理由を探しておるわ」

「控えろ、リリス。このような場で戦うことを聖女様は望んではおられないはず」

「言ってもコケにされたまま下がるのは好きじゃねぇけどな。花園まで踏み込まれた状況で戦うのは、俺様も本意じゃねぇ」

 一時休戦。そのような雰囲気が流れているが、殺し合いを望んでいたリリスに全て有耶無耶にされたような気がしてアレウスは納得しにくい。


「正直、どいつもこいつも有象無象だからなにされたって構わないんだけど、それで穏便に済むなら越したことはないから。交渉を成立させたいんなら、さっさとテッド・ミラーとヘイロンを寄越して」

 そんな中でリゾラが聖女の提案した落としどころに乗る。

「ヘイロンは先ほど花園にいらっしゃったはず、探せばどこかに。テッド・ミラーは私が呼べばすぐにでも」


「なりませんなぁ、アレグリア様」

 老いた男の声が花園に響く。

「ご自身が宣言したことを撤回なされては、信徒たちにどよめきが生じます。“束縛せよ”」

 複数の魔力の鎖が伸び、その場にいる全員の首に巻き付く。

「ようやっと隙を見せてくださいました。こんな老いた身の魔法でも捕らえられるほどの、大きな隙を」

「テッド・ミラー! これはどういうつもりですか!」

「どうもこうもございません。私はずっとこの時を待ち望んでいたのですよ」

 涸れた声で答え、老いた男――テッド・ミラーは杖をつきながら聖女へと迫る。

「こんなことが許されると思ってんのか!」

「許す許されないの話ではない、頭の悪い『不死人』よ。私は誰の許しも求めはせんし、誰の許しも認めはせん」

 聖女にテッド・ミラーが触れる。

「ただ己が求めるがままに、全てを蹂躙するまでだ」


「ふ、ふふふふ、ふふふふふ」

 リゾラが笑いながら首に巻き付いている魔力の鎖に触れる。

「隙を見せたのはあなたも同じね、563番目のテッド・ミラー?」

 鎖は弾け、再形成されてテッド・ミラーの首に巻き付く。

「あなたが刻んだ『服従の紋章』は私のロジックじゃ反転しているの。分かる? 五大精霊に基づく全ての魔法は、私の意思次第で自在に反転する。私を束縛するために唱えた魔法は、私を束縛しようとした者を捕らえる魔法に変わるのよ」

 自由になったリゾラがアレウス、クラリエ、そして聖女と『不死人』たちの鎖に触れていき、それら全ての魔力の鎖がテッド・ミラーの両腕と両足、そして胴体を縛り上げる。

「終わりね、テッド・ミラー?」

「終わるのであれば私はこの場に現れはせんよ」

「“否定されし命(サナトス)”」

 聖女の死の魔法がテッド・ミラーへと唱えられる。

「……私に引き渡すんじゃなかったの?」

「え、あ、いえ、今のは私の……私の、意思では、なく……」


「なんのために聖女に触れたと思っている? 触れた時点で私の目的は果たしておったのだよ」

「ロジックをあの短期間に開いたのか……!? 数秒だったはずだ」

 そしてアレウスの耳は“開け”という詠唱を聞いてはおらず、目もロジックが開く様子も捉えていなかった。

「元宮廷魔導士を侮ってはならんな。『賢者』に出来んことは誰にも出来ん。その理論がそもそもにおいて間違いなのだ」


「聖女に死の魔法を掛けられていながら随分と威勢がいいのね、テッド・ミラー?」

「悲願が果たせそうなのでな」

 この場にいる聖女の死の魔法は、詠唱者に接近すればするほどに命が否定され続けて次第に世界から消滅してしまうというもの。アレウスは既にその消滅の感覚を体験している。解いてもらわなければ確実な死が待っている。そして、テッド・ミラーの肉体は既に消滅の一途を辿っている。

「消える前に聞くけど、なにが目的なの? あとヘイロンはどこ?」

「ヘイロンならまだその辺で様子を窺っているだろう。私が悲願を果たせば姿も現すだろう」

「この世から完全に消え去ることがあなたの望みなの? へぇ? 563番目になってようやく自分たちがやってきたことの罪悪感に耐えられなくなった?」

「……まだ分からないか」

 老獪な男はほくそ笑む。

「私は、テッド・ミラーを捨てたいのだよ。人間から人間に移り続けても、老いには逆らえない。であれば、老いても新たな肉体を手に入れ続けられる肉体に移るのみだ」

 その体が完全に消え去る直後、テッド・ミラーが聖女に視線を向ける。


 そこでようやくテッド・ミラーの狙いにアレウスたちが気付く。クレセールとプレシオンが動き出すも間に合わず、リリスの魔霧は老いた男にまでは届かない。


「リゾラ! 『蜜眼』で!」

 アレウスが叫び、クラリエと共に老いた男と聖女の合間に身を飛び込ませる。テッド・ミラーにロジックを乗っ取られる可能性すら考えない捨て身の策を取る。

「分かってる!」

 以前、ノックスとセレナのロジックに寄生していたヘイロンが逃げ出す前に捕まえたときのように『蜜眼』を頼る。そしてリゾラもすぐに行動に移った。


 老いた男は完全に消え去り、聖女は(こうべ)を垂れる。合間に入ったアレウスとクラリエはお互いにテッド・ミラーでないことを証明するかのように視線を交わし、一言二言の言葉を交わす。


「……ヘイロンはこれで捕らえられたのに」

 リゾラの呟きは失敗を意味していることがすぐに分かった。

「下劣な男ね、テッド・ミラー!」


「ぬはははははははははっ!! ようやく、ようやく手に入れた! テッド・ミラーという枠を越え、『養眼』と呼ばれる『魔眼』を持つ聖女の肉体を!」

 聖女から涸れた男の声が発せられる。

「老いても、殺されても、どれだけの生と死を繰り返しながらも、必ず聖女という感覚器官に戻ることができる! 私は永遠を手に入れた! 手に入れたのだ!!」

「死ね」

 クレセールが聖女へと迫る。

「そうは言っても殺せまい!?」

 刃と化した腕が聖女の首を刎ねる直前で制止する。

「そうだろうそうだろう! 『養眼』から産み落とされた化け物とはいえ、この感覚器官を切り捨てることはできんはずだ!」

 リゾラは軽蔑の眼差しに加えて、完全に冷めた感情で聖女を睨む。

「殺しても殺しても私は死ななくなったぞ、リゾラベート・シンストウ? 何度でも! 何度でもこの感覚器官に宿り、甦る! 貴様に私を殺すことは不可能だ!」

「不可能とか可能とか、意味分かんない。信じられないくらい不愉快」

「ではその不愉快ついでに告げておこう。安心せい、さすがに聖女のように揮発油を聖都全体に巡らすなどというハッタリは言わん。餞別だ、貴様たちに絶望をくれてやろう。“落星(メテオ)”」


 花園を覆うガラスよりも遥か彼方の天空――星々の合間より魔力で作り上げられた人工の星が蠢き出す。


「聖女の星詠みが思い通りにいかなかった理由は、私が事前に星を一つ用意しておったからだ。さぁ、どうする? ここに落ちれば聖都はただでは済まんぞ? 揮発油の保管場所もある。“落星”が全てを粉砕するだけでなく、ボルガネムは聖女の脅しのように焼け野原と化す!」

「あなただってタダじゃ済まないでしょ!?」

 クラリエが天空に目をやりながら叫ぶ。

「かつての記憶を辿れば、『養眼』はこの程度では潰れん。揮発油の爆発でも潰れん。聖女がそれでも貴様のようなエルフの言葉に耳を貸したのは、信徒どものことを(おもんばか)ってのこと。しかし、私にそのような甘さはない。信徒など無限に芽吹いてくる。ボルガネムが吹き飛ぼうとも、歳月が再びボルガネムを形作る。信徒に愛情などいらんのだ。そう、奴隷こそが信徒のあるべき姿なのだ」


「……お願い、アレウス」

「分かっている」

「もう私一人の問題じゃなくなった」

 リゾラは魔力を放出し、ガルムを従える。

「この醜悪なる悪鬼を、これ以上この世界でのさばらせちゃいけないから。テッド・ミラーはここで必ず殺し切る」

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