緊張と緩和
###少し前###
「どこへ連れて行く気ですか?」
「いいから走って!」
最悪だ。そう思いながらテュシアは鎖を引き、イェネオスを連れて走る。
「クレセールはまだいいとして、リリスの催眠なんかに巻き込まれたら死んじゃう」
「私は置いて行ってしまえばいいのに」
「そんなことしたらテッド・ミラーになにを言われるか! ああもう、最悪最悪最悪!」
最下層の懲罰房から隠し階段を使って地上階まで逃れたまではいいが、ここから更に逃げなければリリスの範囲からは出ることができない。
あの『夢の中の恋人』は現実から目を背けたい人間の、唯一の逃げ場所である夢の中にまで入り込んで完膚なきまでに叩きのめしてくる。最初は甘く囁いてくるが、段々と夢の内容が死を連想させるものとなり、最も敬慕、もしくは恋慕する相手に何度も何度も殺され続ける。夢から覚めても再び夢の中。夢を幾重にも重ねて、永遠に死に続ける夢を見させ続けられる。そんなものに巻き込まれでもしたらテュシアであっても脱出は不可能だ。
「あなたをテッド・ミラーが奴隷にすると決めたし、聖女様がそれを認めた以上はあたしはあなたをちゃんと見張っておかなきゃならない。それも調教が始まるまでほぼ無傷のままで」
連行された際に頭部を怪我していたが、それ以上の怪我をテュシアのミスで増やさせてはならない。
しかし、走っている最中に右腕の激痛に耐えかねてテュシアは膝を折る。
「なんで……あたしは……あたしだけ、こんな……」
そう言いつつ、激痛によって全身から噴き出した汗の感触を気色悪いと思いながらも立ち上がり、イェネオスの鎖を引っ張って歩く。
「そんなにまでなって、あなたはこの国を守るのですか?」
「国? 国を守りたいなんて思ったことなんかない。あたしが守りたいのは……守り、たいのは……」
聖女様だけ。そう言いたかったが、唐突にアレウスとの想い出の数々と、シンギングリンを守るためにガルダと戦ったときのことが脳裏を駆け巡る。そして、最も守りたいと願ったアイシャのことも。
「ニィナ」
見えてきた出口の先にはアベリアが待ち構えていた。
「……どうして」
「星を詠めるのはあなた方の聖女だけではありません」
アベリアの傍で少年が顔を覗かせる。
「クソ……!」
イェネオスと繋がる鎖を投げ捨て、テュシアは弓矢を構える。
「射掛けるというのなら、たとえ顔を見たことがあってもオレは全力で行くぞ、小娘」
テュシアが投げ捨てた鎖をガラハが掴み、手繰り寄せてイェネオスを抱えて一気に離れた。
「ニィナ」
「来ないで、アベリア!!」
かつて、共に戦った仲間にテュシアは矢を向ける。
「あたしに……射掛けさせないで……!」
「下がってください。顔見知りでは戦い辛いでしょうから、ここは僕とガラハさんが」
「ううん」
首を横に振り、アベリアが少年を下がらせる。
「そのままガラハと一緒に手はず通りにここから離れて。『不死人』はまだあと一人いる。『奏者』の星詠みの通りなら、」
「僕とガラハさんが逃げている最中に仕掛けてくる。ですよね?」
「このままここで一緒に戦うと、二人の『不死人』と戦うことになる。それは私たちにとっては不利だから」
「分かった。だが、知り合いだからと手を抜くな」
「知り合いじゃないよ」
イェネオスを抱えたガラハと少年をアベリアが送り出す中、呟く。
「大事な親友で、大事な仲間だよ」
杖をアベリアは手に携える。
「私はあなたを助けたいの」
「うるさい、うるさい! あたしはニィナじゃない! あなたたちの知っているニィナはあたしが殺した! あたしが殺してニィナになった! だから、あたしは!」
ニィナは捨てられた異界に堕ちたときに死んだ。そのときからニィナに成り代わった。彼女の肉体と精神だけでなくロジックもまとめて自分自身の物とした。
「あたしはテュシア! 『命に成り代わる者』にして『不死人』!! だから、あなたたちの仲間でも親友でもない!」
「違うよ、あなたは私たちの親友で仲間!」
「だったら、大人しくあたしに射抜かれて死んで! あたしのために! あたしが生きるために!」
アベリアは強い。絶対に敵わない。情に訴えて、動きを鈍らせる。そこにしかテュシアは勝機を見出すことはできない。
「それが本当にニィナのためならそうするけど」
彼女は言いつつ、テュシアの右腕を見やる。
「違うと思うから、私はニィナを助けるために戦う」
「助ける? そんなの望んでない、求めてない!」
口にすればするほどに、テュシアは考えがまとまらなくなる。
自分は助かりたいのか、それとも死にたいのか。自分はアベリアを殺したいのか、救われたいのか。
ニィナの命を奪った日より前には確かにあった生きるためならばなんでもするという気持ちが揺らいでいる。あんなにも苦しく、あんなにも孤独で、あんなにも薄汚いところで生かし続けられた自分自身を見失いそうになっている。
助かりたい一心で、手を差し伸べてくれたニィナを殺した。ひょっとしたらテュシアの思考はニィナに蝕まれているのだろう。だとしたらこの躊躇いも迷いも、自身に与えられた罰なのかもしれない。
「あなたはどうしてあたしにそんなことを言うの?! あなたたちが仲間だと思っていたニィナを殺したのはあたしなのに!」
「あの頃のニィナを、私もアレウスもそこまでちゃんと知っているわけじゃないけれど」
アベリアが火を纏う。
「村娘と一緒に堕ちたのが本物のニィナだとして、異界であなたはニィナを殺して成り代わった。でも、もしそうなら……なんで村娘を見捨てなかったの?」
「違う……」
「あなたはニィナを殺したんじゃなくて、」
「違う!!」
矢を放つ。アベリアは金属の力に満ちた矢を正面に展開した炎の障壁で溶かし切った。
「ニィナに頼まれて、成り代わった。そうでしょ?」
「違う、違う違う違う違う!」
次の矢をつがえる。
「あたしは自分が助かりたいから! ニィナになりたいからニィナの全てを奪っただけ!!」
ほだされたくない。
許されたくない。
助かりたくない。
そこまで考えたところでテュシアは至る。
ああ、罰を受けたいのだと。
自分は殺されたいのだと。
死にたいのだと。
もう、ニィナリィ・テイルズワースの名を穢したくはないのだと。
///
「これは……一体、どういう状況なのですか?」
女性は警備兵に問う。
「ご主人様に御用があるのでしたら、私が代わりに聞きます」
「奴隷ごときが私たちに話しかけるな」
警備兵は女性を睨み付ける。
「この家にドナ・ウォーカー一行を潜ませていることはもう分かっている。聖女様から直々に賜った任務だ。奴隷が口出しをしようと思うな」
「……確かにドナ・ウォーカー様はご主人様がお泊めになられているお客様です。ですが、それとこれがどうして繋がると言うのでしょう」
家は荒らされ、ありとあらゆる物は破壊の限りを尽くされている。カラクリ細工に必要な材料も、加工品も、なにより大事な道具もなにもかもが床に散らかり、そのほとんどが使い物にならなくなってしまっている。
「ドナ・ウォーカーにはアレウリス・ノールードという冒険者を連合国内に引き入れた嫌疑がかけられている。真実であるのなら、オークション会場で起こった惨劇を招いたのもその冒険者である可能性が高い。だとすれば、その冒険者の雇い主を私たちは捕らえ、裁かなければならない」
「裁く……?」
「極刑だ。多くの貴族と国賓を喪った。連合は敵国に大義名分を与えるだけでなく、多くの交渉ルートを失った。こんなことが許されるわけがない。だから、冒険者共々、ドナ・ウォーカー一行を極刑に処すことを聖女様がお決めになられたのだ」
「ですから、それでどうして家の中を荒らす必要がございましょう?」
不意に呻き声がしたため、女性はそちらに目を向ける。
「ご主人様!」
女性は傷付き今にも意識を失いそうな男に駆け寄る。
「無論、匿っていた者たちも極刑だ。この家の主人と奴隷、そのどちらにも死んでもらう」
警備兵が剣を抜く。
「待ってください!」
隠し廊下からドナが姿を現す。
「私はここにいます。抵抗する気はありません。ですから、どうかその方々だけは見逃してください!」
「ドナ・ウォーカー一行と聞いている。あなただけが匿われているわけではないだろう?」
「娘のエイラ・ウォーカーならここにいるわ」
「隠れていなさいと言ったでしょう?!」
横に立ったエイラをドナが叱咤する。
「嫌よ、お母様。私はお母様まで喪いたくない。これからはどこまでもお母様と一緒!」
「あぁ…………もう、本当に……」
震えるエイラをドナは抱き締め、涙を流す。
「母親と娘、その両方を連れていけ」
警備兵が仲間に指示を飛ばす。
「ウォーカー家の資産は没収するだけでなく、あの二人には利用価値もある。極刑にする前に日頃の鬱憤を晴らすには丁度良い。ガス抜きは必要だからな」
剣を女性に振りかぶる。
「それに比べて、この奴隷には利用価値がない。飼い主共々、ここで殺してしまおう。極刑の手続きが省ける」
「どうしてでしょうか」
男が問う。
「慎ましく生きてきました。カラクリ細工を売り、税を納め、贅沢はせず、目立つこともせずに日々を過ごしてきました。なのにどうして、私たちにこのような仕打ちをなさるのですか」
「聖女様がお決めになられたことだ」
「であれば、その剣もまた聖女様が振るわれることと同義と仰るのですか」
「そうだ」
「あぁ、あぁ……なんということでしょう」
男は嘆く。そこには諦めの色が見え、警備兵はニヤリと笑みを浮かべて剣を振り下ろす。
「あなた方は、怒らせてしまった」
「天にまします主よ、今一度、この身を死地に追いやることをお許しください」
警備兵が振り下ろしたはずの剣は手元になく、その剣は女性の手に握られている。なにが起こったのか分からず、警備兵が戸惑う。
「罪を償うために右足の指を二本、左手の指を三本捧げました。この右目ばかりは過去の冒険で負傷したものですが、それすらも神の罰であるというのであれば私は甘んじてそれを背負いましょう」
給仕の帽子を放り投げ、片手に握る剣で給仕服の裾を切って破り捨てる。
「しかし、私が背負うべき罪を他者に課す者をどうして見過ごすことができましょうか。あまつさえ、強欲で女子供に恥辱を与えるとすら息巻く彼ら猛獣を見て見ぬフリをしろなどと、主は申しますまい」
「この奴隷を殺せ!」
剣を奪われた警備兵が指示を出した刹那、剣は軽く投げられたにも関わらず一直線に警備兵の首を貫き、壁に突き立てる。
「なんと汚らわしく、なんと汚らしい言葉なのでしょうか」
殺された警備兵に続いて複数の警備兵が慌てふためきながらも剣を抜き放つが、その刹那に全ての剣が手元から掻き消えると共に女性の周囲の床に突き立つ。
「もはや、ケダモノに掛ける美しい言葉など必要ありませんね」
給仕の帽子で隠していた髪留めを外し、女性は伏し目がちだった顔を上げて、口角を上げる。
「死ね、ケダモノどもめが!!」
爆ぜるように跳ねた女性がドナとエイラを捕らえようとする警備兵に一気に近付き、その兜を片手で引き剥がし、もう一方の手で作り上げた拳が顔面を打って、炸裂させる。
「申し訳ありませんが、隠し部屋へ。ここから先、女子供に見せられるような景色はございません」
女性はドナとエイラを安心させるように穏やかで、それでいてお淑やかな表情を見せたのち警備兵たちに向き直る。
「お急ぎください」
言われるがまま二人が隠し部屋へと逃げ込む。
「怯えるな、落ち着け! たかが奴隷だ! 手こずることはない!」
そう仲間を鼓舞する警備兵が勇猛果敢に女性へと素手で挑む。
「神に清められたこの身に触れられるとでも思うな!!」
拳を受けても女性は顔色一つ変えず、それどころか全くの無傷のまま自身の拳を反撃として打ち出し、警備兵は込められた威力に耐え切れずに吹き飛ぶどころか打たれた部位に穴が空いて絶命する。
「次はどいつだ? どいつが腹に穴を空けられたい?」
「なんだこの女は!?」「一斉に掛かれば大したことはない!」「応援を要請しろ!」
ダルいダルいダルい! ビビッてねぇでさっさと掛かって来い! テメェらが挑戦者だろうがよ! こっちから向かうのは手間なんだ、だから早くしろ! でないと、」
警備兵の足を掴み、女性は引き千切る。
「もっと悲惨な形で輪廻まで飛ばしちまうぞ?」
「かくなる上は!」「致し方ない!」
銃を向けられるも女性は動じず、引き金を引かれても尚、動じない。放たれた銃弾をただ見つめ、片手を軽く振る。そして次の瞬間にはその全ての弾丸が女性の手元に収まっている。
「なにが起きた!?」「一体なにをした?!」「化け物め!」
「昔から手癖がわりぃんだ。あと、そういう飛び道具は正々堂々さがないから嫌いでね。仕草や素振りや傾向が見えたら刀剣類以上に注意するようにしてんだよ」
警備兵たちを指差し、瞳に熱が込められる。
「テメェらまとめて輪廻送りだ。二度と私の前に面を見せんじゃねぇ。“心音恐怖、”」
「ここで死の魔法を用いてはなりません、ご主人様!」
男が女性の詠唱を阻む。
女性は頭上――家の天井ではなくその先にある空を見るかのように天を仰ぐ。それを隙と勘違いした警備兵たちが一斉に女性へと押し寄せる。
上空の果ての果てから巨大な魔力の塊が落ち、隠れ家を含めて一切合切を粉砕する。
「撃つ場所を考えろよ、『奏者』の馬鹿がよ! お客様が粉微塵になっちまっただろうが!!」
女性は男を守るために展開した魔法の障壁を解いて、空に向かって罵声を浴びせる。そうして崩壊した隠れ家一帯を見やるべく振り返ると、星雲のように煌く魔法の障壁に守られているドナたちの姿が見えた。
「『星眼』か?」
呟きながら星雲の障壁を片手で砕き、二人だけでなくフェルマータとアンソニーも生きていることを確かめる。しかし、魔力の塊が起こした衝撃でアンソニーを除いて三人は気絶している。
「こいつは……気絶はしてねぇけど寝ながら動いて、寝ながら障壁を作って寝ながら守りやがった。リリスの元から寝ながら逃げたんじゃねぇだろうな? だとしたらバケモンだな」
アンソニーの首根っこを掴み、右手を彼女の前に持っていき指を慣らす。
「はひゃっ?!」
声を上げ、アンソニーが目を覚ます。
「あれ……おかしいですね。さっきまでここに食べ切れないくらいの大量の綿菓子がー……えー、夢だったんですかぁー」
「私のお客様を連れて聖都から出ろ。ああでも、『竜の眼』は残していけ。そいつにはまだやってもらうことがある。そこの二人とはあの冒険者の連中には上手く伝えて、どっかで合流してもらえるようにすっから。やらねぇって言うんなら、テメェはこのまま輪廻送りだ」
「あー! お久し振りですー、言われたようにずっと『魔の女』さんをお連れしようと思っているんですけど、なかなかこれが難しくってですねー」
「難しくてもさっさと連れてこい」
アンソニーを女性が投げ捨てる。
「それにしても聖女集会を開いてくださる発案者様がこんなところにお住みだったとは」
キョロキョロと辺りを見回す。
「男の奴隷を連れているのはご趣味なんですかー?」
「隠匿に決まってんだろ。奴隷と飼い主を逆にして生活しておいた方がこういうときに油断させられる」
「にしては奴隷に対して甲斐甲斐しいような気もするんですよねー、だって周り瓦礫で警備兵さんたち潰れていらっしゃるのに奴隷だけは見捨てなかったじゃないですか」
「新しく買い直して、躾けるのが手間なんだよ」
「そーいうことにしときまーす。で、なんでこんなことに?」
眠っていたアンソニーには現状を理解することができなかった。
「『奏者』が私の死の魔法を感知して撃ってきやがったんだよ。信じらんねぇマジで! あいつ、私と一緒に魔王を討ったこと忘れてやがる!」
「魔王……魔王……? あの、何歳で、」
女性にアンソニーは叩かれる。
「つかぬことをおうかがいしただけじゃないですかぁ!」
「怒られると分かってんのに聞くことをつかぬこととは言わねぇんだよ。あんまり話している暇もねぇんだ。さっさと私のお客様を連れて行け」
「もぉ、分かりましたよー。あなたを敵に回したくはないですからねー、『阿修羅』さん」
「驚いた。テメェが私の称号を知ってやがるとは」
「有名ですよ、一応は。あと『奏者』さんと死ぬほど仲が悪かったことも知っています」
「それは悪名って言うんだ。広めず黙ってろ」
「どうしてですか?」
「かつての英雄が不仲なんてのは聞かれちゃマズいことだからな」
肩を揉み、腰を伸ばし、再び空を見る。
「そんなに死の魔法を唱えたことを根に持ってんのか?」
「『阿修羅』さん…………」
「なんも言うな。あいつの懐の狭さが悪いんだ」
「根に持たないわけがないと思いますが」
「ん?」
「え?」
二人の微妙な間が、雰囲気が流れた。




