夢が繋ぐ
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「ここまで徹頭徹尾、あたしとテッドを追いかけ続けてきた殺人鬼はテメェしかいねぇよ、リゾラ!」
「ありがたい言葉だと受け取っておくけど」
真正面からの戦闘を避けるようなヘイロンの仕草にリゾラは怪しさを感じる。
「珍しいわね、私を前にして全力で逃げようとしないなんて。さっさとその宿主から抜け出して別のロジックに寄生して、私の前からいなくなってしまえばいいのに……なにか策があるの?」
「無きゃこんなところで死体のフリなんてしてねぇっての!」
怪しむリゾラの不意を打とうとヘイロンが短剣を引き抜き、一気に距離を詰める。
「ようやくテメェみてぇな気の狂った女から解放される!」
短剣を片手を包み込むようにして発生させた粘着質なスライムで受け止め、そのままヘイロンごと投げ飛ばす。
「私もあなたを追いかける日々から解放されるよ」
「それはテメェが勝手にやめれば良いことじゃねぇか」
「だったらあんたも生きることをやめてくれればいいのに」
どちらにも正義はなく、ただ悪意だけがある。言葉に交わりはなく、互いに悪人であるがゆえに話は平行線である。
しかし、二人ともそんなことはとうの昔から理解している。片方は殺し続け、片方は殺され続けているのだから。
「おや、死んだフリをしていらっしゃったんですか? 私は確かに事切れていたのを確認しましたのに」
下の階層から聖女が上がってきてリゾラを不思議そうに見やる。
「おい聖女様! こいつはなんで死の魔法を受けたのに死んでいねぇんだ?!」
「うふふ、乱暴なお言葉を使ってはなりませんよ。まずは落ち着いてはいかがですか?」
リゾラに今にも殺されそうな状況でありながら聖女は全く動じていない。
「変だとは思ったんですよね。私は確かに詠唱はしましたけど、そのまま動かなくなって死んでしまった。私が用いる死の魔法にそこまでの即効性はないはずでしたのに。であれば、あれは偽装の死であったということですか。どうやって息どころか心臓を止めていたんですか?」
「手の内を晒すと思う?」
異様な雰囲気を放つ聖女に対し、リゾラは強気の姿勢を崩さない。
「まぁでも教えといてあげる。私はあなたの死の魔法を別の対象物で受け止めて、自分自身の心臓は魔力で止めていた。ただし、魔力で心臓代わりに血液を循環させ続けていたけれど」
リゾラは体内の魔力を解放して魔物を一匹、召喚する。しかし、その場に現れた瞬間から肉体は塵となって、消滅する。
「酸素はどうやって? それも魔力? 死の魔法を受けさせるための魔物への魔力、心臓代わりの魔力、そして酸素を送るための魔力。自分の魔力を三分割にして、必要な量を脳内で与え続ける。そんなところでしょうか? いやはや全く……化け物ですね」
朗らかにリゾラを『化け物』呼びしつつ、聖女は大聖堂に続く階段へと歩いていく。
「ですが、それも星の導きの通りなのですよ」
「星の導き?」
呟いたリゾラにヘイロンが忍び寄り、襲いかかる。翻り、スライムで斬撃を防いでから指先で空間を指定し、風の圧力を生み出して再び彼女を壁まで吹き飛ばす。
「“否定されし命”」
瞬間、無意識にリゾラは魔物の命を全身に発生させる。
「無駄です」
そう言われた直後、リゾラは自身の体に――ロジックに強烈な魔力が干渉したことを感じ取る。
「対象をそのような魔物たちではなく、人間とさせていただきました。一度目は漠然とあなたの魔力を指定してしまったがゆえの失敗でしたが、二度目はありませんよ。どれだけ魔物の命を魔力という形で包み込み身を守ろうとしてもあなた自身を対象にした魔法は、あなたに届く」
「……そんなことができるの、私に魔法を教えてくれた女だけだと思っていたけど」
それが『賢者』と呼ばれるイプロシア・ナーツェだったことはのちに分かったことだが、どうやらリゾラの絶対的な味方でないことも
同時に判明している。
「詠唱に至るまでは複雑ですが、指定は割と簡単にできてしまうんですよ。さて、“死”を差し上げましたので私はこれにて失礼いたします」
そう言って階段に足を掛けた聖女にリゾラが魔力の塊を撃ち込むが、彼女は手でそれを払い飛ばす。
「一筋縄にはいかないだろうなとは思っていたからいいけど」
魔力の塊を払った手を労わりつつ、聖女が階段を登っていく。追撃はできそうになく、ここでは殺せそうにないために諦める。
「はははははっ! やっと死の魔法を受けやがったか!」
「なに喜んでるの?」
リゾラは距離を詰め、ヘイロンの顔を平手で打つ。
「それで私があんたを殺すことを止める理由にはならないでしょ?」
「こいつ……!」
短剣でリゾラを払い飛ばし、ヘイロンは自身の頬を腕で拭う。
「死を突き付けられてなんで怯えねぇんだ!」
「即死じゃないから。死ぬのに猶予があるなら、寿命で死ぬのと変わらなくない?」
幾重にも仕掛けられたフェイントの中の一つの答えを見抜き、リゾラは近場に転がっていた剣の鞘を足で引っ掛けて浮かせて手で拾い、短剣を受ける。
「死ねって言われてもさ、そんなに怖くないんだよね。あなたのおかげよ、ヘイロン? 娼館に来たばかりの私の面倒を見てくれたおかげで荒っぽい客を取ったときでも心を守ることができた」
軽はずみに『死ね』と言ってくる客はいくらでもいた。お金さえ払えばなにをしてもいいと思う連中は数え切れなかった。だからこそ、心がより強固になった。娼館が襲われた際にはさすがにその強固な精神も崩壊しかけてしまったが、復讐を誓い、魔法を得ることで立て直した。今更、死の魔法をかけられた如きで心は騒がない。ただし、焦りがないとは言い切れない。ヘイロンに気取られないように努めることはできるが、時間稼ぎをされると表情に出てしまうかもしれない。
微妙なバランスの中でリゾラは耐えている。その均衡が崩れる前にヘイロンを仕留める。そこから聖女に死の魔法を解いてもらう。断られるようなら殺す。もしくは死の魔法の範囲から逃れる。できることなら後者を選びたいのだが、そうしてしまうとヘイロンは殺せてもテッドを殺し損なう。
「ちょっと手間が増えただけなんだけど、面倒臭さがあるのはなんでなんだろ」
スライムを鞭のようにしならせてヘイロンを捕まえる。
「でも色々と考えるのはあんたを殺してからにしようか……な……?」
リゾラは膝を折り、練っていた魔力が解けることでヘイロンを捕らえていたスライムも雲散霧消する。
「なに……この……眠気、は……?」
魔力で払い除けようとしても睡魔が押し寄せる。
「まさ……か……既に、体内、に……?」
ヘイロンと小競り合いをしている間に吸ってはいけないなにかを吸った。もしくは一定時間、既に魔法によって包まれていた場所に滞在してしまった。
「時間稼ぎはこんなもんか」
ヘイロンはリゾラに唾を吐く。この言い分とこの態度から、滞在が睡魔のトリガーであったことに気付く。しかし、その気付きは手遅れである。
「あとは夢の中でアレウリス・ノールードとまとめて殺されろ。或いは眠り続けて死の魔法で死んでしまえ」
「アレ、ウス?」
意識が落ちていく。
「こ……れ、が、狙い、だ……た?」
だとしたら、これから眠りに落ちるリゾラはともかく、既にアレウスは眠ってしまっているだろう。
「あぁ…………面倒、臭い……な……」
落ちていく、夢の中に。
♯
「……ん?」
「あ、やっと起きた」
頭が呆けている。長い長い夢を見ていたような、それぐらい頭の中がぼんやりとしていてイマイチ現状を受け入れることができていない。
どうやら高校の図書室。夕日の差し方からして放課後。口元から涎が垂れているところから両腕を枕代わりにして机に突っ伏した状態で眠ってしまっていたらしい。
「顔に痕がが付いてる。結構な時間寝てたんだね」
あまり実感がない。まだ夕日が差し込むのだから放課後に図書室に来たのだとしてもさほどに時間は経っていない。なにより図書室で寝るようなことがあれば見回りに来た教師に注意されるはずだ。痕が付くほどの長時間眠れるわけがない。
声を掛けてきたのは神藤だ。僕の正面の席に着いて、本を読んでいる。こっちに視線は一度も向けられてはいないが視界の端には置いていたのだろう。だから僕が起き上がったことにも気付けた。意外と本の内容に熱中していると周囲の変化は分からないものだから、意識して視界に入れておかないとそういうことには気付かない。
「どれぐらい眠っていたんだろう」
「さぁ? 私が白野君の睡眠時間を一々調べると思う?」
「思わない」
「でしょ」
「ならなんで、こんな」
僕の正面の席に着いて本を読んでいるのだろう。そして僕は図書室で本の一冊も机に置かずに一体なにをしていたのだろうか。寝るためだけに図書室を利用したことなんて今まで一度もないはずだ。
「白野君が図書室に入っていくのを見て、なにをするんだろうと思って」
「なにを、って……そりゃ本を読むため以外にはないよ」
「そう。そう思ったのに、一時間ぐらい経って用事が終わってから来てみたら寝ていたから」
「なんで?」
「なんでって、気になったからだけど。他に理由がいる?」
「いや、いらないけど」
神藤に寝顔を見られたことは恥ずかしいことなのだが、起きるのを待っていてくれたなどという邪な気持ちに囚われかけた。こんな綺麗な女の子が僕なんかを待つわけがない。そういう風に世の中はできていない。
女の子との距離感というのは、以心伝心でどうにかなるものじゃない。できることなら以心伝心で言葉を使わず視線で気持ちを送れないだろうかと思うばかりの日々だ。
悲しいくらいに異性との会話が苦手だ。どんなジャンルの話でも、どうしても会話を続けられない。友達と話すときにはこれっぽっちも話題が途切れる気配がないというのに、一体なにが悪いのだろう。
僕が面白いと思ったことが、異性にとって面白いことじゃない。分かっている、そんなことは。だからなんとか面白い話題を引き出しから引っ張り出そうと頑張るのに、いつもそれが空回りする。
「白野君って、普段から図書室を使っているの?」
「いや……使ってないけど」
ごくたまに、静かな雰囲気に引き寄せられることがある。本にはさほども興味がない。けれど本を読んでいる自分の知的さに酔えるし、静かだから難しいことを考えなくて済む。あとは変わり種の本を読んでいても借りない限りは変人扱いされないのもいい。というか自分の興味関心のある本を他人が読んでいれば「それって面白いだろ」と心の中で先輩面をするけれど、露ほどに興味のない本を読んでいたら別次元の存在だからと気にしない。人体解剖の本を読んでいようと気にしない。だって面白いの基準は人それぞれだから。
たまにそういう不可侵を脅かす奴らもいるんだけど、そういう奴らがいるときは変な本は読まないようにするし。
「週に一回か二回ぐらいかな」
「それ、普段から使ってるって言わない?」
「言うかな……?」
月に一回や二回なら自分の言った感じになるのだろうか。その辺りの基準はやっぱり人それぞれだから分からない。
「週に一、二回も本も読まずに秘密の居眠りか」
「そんなんじゃないって」
なにか罪を問われているような感じになってしまって思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を手で塞ぐ。
話題が尽きる。なにを話していいのか分からない。そもそも真っ直ぐ神藤を見ることができない。なにかとても、そう、とても懐かしい感じがして、なによりも胸の中の感情が爆発してしまいそうな、今にも告白でもしてしまいたいくらいの衝動に駆られている。これを逃せば、もう二度と会えないのではと思うほどの焦燥感がある。
「ねぇ、白野君? 白野君はさ、なんでそんなに優しいの?」
「優しい……?」
「私がカラオケに誘われたとき、止めてくれたじゃん。危ない連中の集まりだから行かない方がいいって。あれ、言ってくれなかったら今頃、マズかったかも。それこそ学校に来られなかったかもしれないし」
「それは」
聞いてしまったからには、伝えておかなきゃならないことだと思っただけだ。彼女が傷付くのを見たくなかったし、あと高校に来なくなったらこっそりと顔を見ることさえできなくなってしまう。
いや、そんなのは建前だ。優しさじゃない。そこには確かに僕の欲望があった。
神藤を他の奴らに奪われたくない。彼女が他の奴らと絡んで、男女の関係になることなんて認めない。そんな、顔もちゃんと合わせることさえ難しい相手のことを束縛したくなった。
それだけだ。本当に、自分勝手な感情だ。
知り合いでもなんでもないのに。たったそれだけのことをひたすらに僕は彼女に押し付けている。そのときの感謝をもっと求め続けている。
足りない、
足りない、
足りない。
もっと欲しい、
もっと欲しい、
もっと欲しい。
もっと僕のことを見てほしいし知ってほしい、と。
「私、優しい人のこと嫌いじゃないんだ」
神藤はそう言って僕の方を見る。
「ね、ちゃんとこっちを見て?」
言われ、顔を見る。
本当に、なんて綺麗で可愛いんだろう。僕なんかが手を伸ばせるわけのない高根の花だ。僕なんかじゃ釣り合いの取れない可憐さだ。
「白野君はみんなに優しいの? それとも、私にだけ優しいの? もし、私だけに優しいなら」
「……優しいなら?」
「もっともっと、優しくしてほしいかな、って」
違う。
「誰だ?」
僕は自然と問う。
「君は一体、誰だ?」
段々と現実味を帯びてくる。
「君は神藤さんじゃない。神藤さんはそんなこと言わない。優しいことの対価を求め続ける僕に嫌気が差していた神藤さんが、優しい人が好きだなんて言わないし、もっと優しくしてほしいなんて言うわけがない」
これは虚像。
自分自身が思い描いた理想のシチュエーション。夢で見て、目を覚ましたときに「なんでこんな良いところで目を覚ますんだ」と呟きながら懊悩としつつも、なんだかんだで今日は良い日になりそうだなんて身勝手に思う夢だ。
全部、夢でしかない。
「そうだ、夢だ。これは夢だ」
「なに言ってるの? 夢じゃないよ」
「夢じゃないなら答えてくれ!」
心が不安定になる。
「あの日! あのとき! あの場所で! 優しさの対価を求めていることを僕に指摘して言葉のナイフで切り裂いたのは! 僕のことが嫌いだからじゃなかったのか?!」
言葉のナイフ。その一言で目の前の神藤が懐からナイフを取り出し、僕へ向けてくる。
「あーあ、良い夢の中で溺れ死なせるのも一興だと思ったのに」
なにが起こっているのかまるで分からない。
「完全に覚醒したら、夢の中で殺せなくなるから。このまま死んで?」
これは夢だ。
良い夢から悪い夢に切り替わった。
だから、きっと目を覚ます。刺されて僕は目を覚ます。
本当に目を覚ますか?
覚ませる気がしない。
いや、この際、覚めなくたって構わない。
「どうしても教えてほしいんだ! でないと僕は!」
「優しいだけじゃ私は振り向かないし、優しさの対価を求めていたらその優しさを女に利用されて人生を台無しにすると思ったのよ」
図書室の扉を開き、目の前の神藤の代わりとばかりに声を発する。
「気付いてほしかっただけ。優しいのは強みだけど、それを利用されない別の強さを持ってほしかった。そうなったら、私の中での『良い奴』カテゴリから『特別な奴』に入れてやってもいいって思った。その『特別な奴』ってのはつまり、好きってこと」
なにか目に見えない力が僕の前を駆け抜けて、神藤の体が吹き飛んだ。図書室の窓ガラスが割れると周囲の景色が変貌し、さっきまであったはずの本棚も机も夕日もなにもかもが消し飛んで、真っ暗闇が広がる。
「ほんっと、バカバカしい話よね。そういうことを言う時点で私、あなたのことを好きになっていたのよ。それにも気付かずにあなたを試した。自分の気持ちなんて一つもあなたに伝えないままにね。そりゃ傷付いたままで、苦しんで苦しんで、人を助けて代わりに死んじゃうわよね」
だから、と彼女は言う。
「あなたの夢の中でぐらい、私はあなたが死なないでほしいから全力であなたのことを助ける」
「神藤 理空……?」
「……違うわ。私はリゾラベート・シンストウ。言っても伝わらないかもしれないけどさ」
「リゾラベート……リゾ、ラ」
そう、か。
そうなのか。
夢の中で答えを見つけるとは思わなかった。
「ありがとう、リゾラ」
「夢の中の私に言ったって意味ないでしょ」
「そう、だな」
だったら夢から覚めてから言わなきゃならない。
「君に言えなかった言葉を、手遅れだろうけれど伝えなきゃならない」
それが、一つの恋の終わり。終わらせられなかった恋の終着点だ。
「でも叶うなら」
都合の良い言葉を吐く。なぜならここは、夢だから。
「君とも僕は一緒にいたいよ、リゾラ」
暗闇にヒビが入る。全ての景色も、神藤とリゾラベート・シンストウもガラスのようにパリンッと割れて、ガラガラと砕け散っていく。
♭
「あの、神藤さん?」
「ん…………あ、れ?」
「良かった。何度も声を掛けたのに目を覚まさなかったから、寝ているんじゃなくて気を失っているのかとヒヤヒヤした」
顔を上げる。私の顔を窺うように白野がこちらを見ている。どうやら机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。涎は垂れていないが髪は少し乱れてしまっている。両手で慌てて整えて、なんとか体裁を保つ。
「どれぐらい寝てた?」
「三十分くらい」
「……ずっと見てたわけ?」
「違う、よ。なんか、えっと、寝てるなーって教室の外で見かけてから三十分経って、さすがにもう下校時刻だから起こさないと、って。あ、いや、その、別の人に起こされていたら、それで、良かったんだけど」
しどろもどろになりながら白野は必死に釈明する。
懐かしい。こんな奴だったな、となぜか思う。白野はいつもしどろもどろで、必死になにか言ってくるんだけどイマイチ全部を受け取れないことが多かった。なのに私は白野によく自分の中で思うこと全部を吐き出して気分良くして、それで終わりってことが大半だった。
こんなにも扱いが酷いのに白野はどういうわけか私を気に掛けてくれる。驚くくらいに良い奴だ。優しさだけで出来ていても、その優しさの強度が高すぎて誰も寄せ付けない。
優しいだけだと良い奴止まりがほとんどなのに、白野はなに言っているか分かんないのにどういうわけか私の心の深奥によく入りかける。そういう意味では要注意人物。ズケズケと優しさだけで入り込んでくる奴は、他の女の子にも優しさだけで好意を持たせる。
本人がまだその強度に気付いていないから、モテないしなんか陰キャなんだけど。もう一つぐらい強みがあったら気付く女の子は気付くだろう。容姿はまぁ……まともだし。いや、私から見てまともってだけで、基準なんて知らないけど。でも、決して悪くはないと思う。あとは髪型とか、眉毛とか、フェイスケアとか、なんか微妙なヒゲの剃り残しとかをどうにかすれば……ああでも、服の趣味までは分かんないか。私服がどんなのなのか私は知らないし。
「どうかした……?」
「え、あ、いや、なんでもない」
恐る恐ると聞いてくる白野に私は取り繕う。彼を一体どのようにしてプロデュースしてやろうかと脳内妄想が働いてしまっていたなどとは死んでも言えない。
気付かせない方がいい。なにかタイミングを見計らって、上手い具合に高校を卒業するぐらいのときに連絡先とかSNSとかトークアプリとか、まぁ色々と交換すれば私だけが気付ける。
ただ本人が自身の強みを見失ってしまったら駄目だけど。
「白野君は、ただただ優しいんじゃないよね」
「え……?」
「あ、なんでもない」
なんだろう。これは言ってはいけない気がする。
言ったら彼は、思い詰めて死んでしまう。
優しさだけで対価を求め続けてはいけない。その先をずっと求め続けるだけじゃ、いつか誰かに騙される。優しい嘘に傷付いて、優しさで身を滅ぼす。
「えっと、これは私の言い分であってあなたを傷付けたいから言うことじゃないの」
もっと詳細に説明したい。分かってくれれば、白野は多分だけど傷付かない。
「あーいや、でも、言えば傷付くのか」
だったら言わない方がいい。
「御免、なんでもない」
「そこまで言ったなら、言うべきじゃ?」
それは私も思う。これだけ思わせぶりなことを言っておいて、なに言うのをやめているんだって。こんなこと言う友達がいたらシラけて嫌いにすらなる。
あやふやなのが一番嫌いだ。言いそうな雰囲気を放っておいて、秘密にする奴が嫌いだ。ありのままを話さない奴らが嫌いだ。
「カラオケの件はありがとうって言ったのを思い出しただけ」
「そ、っか」
本当に、そのことには感謝している。食事とカラオケ、カラオケと食事。どっちが先でどっちがあとかは知らないが、白野に言われていなかったら付いて行ってとんでもない目に遭うところだった。
私はそういう出会いは求めていない。求めていないけど、たまに自分という存在を滅茶苦茶にしてしまいたい衝動に駆られることがある。気が狂っているわけじゃなくて、高校生活という抑圧された環境にある分、物凄く強い刺激で溜め込んでいるもの全てを吐き出して、なんにも考えずに全てを放り出してしまいたくなる。それがきっと、誘いに乗ろうとしてしまった原因なんだけど白野には未だに言っていない。
言ったって困らせるだけだし、延々とその件で私が「ありがとう」と言い続けるのも嫌だし。
「あーやっぱ言いたくなってきたな」
感謝はしている。でも感謝し続けることじゃない。そこでキッパリ、最初のキッカケとなった優しさを終わらせたい。
私たちの関係はそこが始まりなんだとしても、そういうギブアンドテイクの関係ではないのだと伝えたい。私はあなたと話がしたいから話をするし、あなたに文句を言いたいから文句を言う。愚痴が言いたいから愚痴を吐く。友達のような、それでいて友達なんかには話せないような日頃の不平不満を吐き出す特別な相手だと分かってもらいたい。
分かってくれないだろうか。察してくれないだろうか。くれないだろうな。白野は察しが悪いし。
「神藤さんは、いつも不機嫌な感じがするけど」
「不機嫌? 不機嫌に思う?」
「うん、だから、心配で」
なんで私が不機嫌だと白野が心配するのか。それとも白野は他の誰かが不機嫌なときも心配するんだろうか。
お人好しが過ぎる。なんでこんな優しい人がこの世にいるんだ。
壊れてほしくないし、悪い女に利用されてほしくもない。良い人に会ってほしい。それ以上に、私という良い人に気付いてほしい。
「白野ってさ、優しさを押し付けているよね」
「う、ん」
「対価を求めてる。優しくすれば、優しくされ返す以上の対価をずっとずっと」
「そう、だね」
は?
なに肯いてんだ、こいつ。
「あんた、誰?」
少なくとも私の知る白野は私がこれを言ったら、なにも言わずに震えて、声も出せなくなっていた。
「私、あんたのこと知らないんだけど」
こいつは私が作り出した都合のいい男。要は夢の中の白野だ。
あのときこうやって肯いて、私の話をもう少しちゃんと聞いてほしかったと思っている私が生み出した幻想に過ぎない
「気持ち悪い。なに白野君の顔して私に近付いてんの? うわ、なにホント……」
マジマジと顔を見て、色んな改善点を見つけてプロデュースしようとしていた自分自身が気持ち悪い。白野でもない奴の顔を少しでも良いと思ったことに凄まじいまでの後悔と罪悪感を抱く。
「私の夢にしか出てこないような白野なんていらない」
「さっきからなにを、言っているんだ? 僕は僕だよ」
「だったら答えてよ! あのとき私があなたのためを思ったのにあなたのためにはならなかったときのこと! あの言葉のナイフで傷付いたあなたが人を助けるために死んだこと! 原因は私でしょ?! 死ぬときに恨んだんでしょ!? 憎んだんでしょ?! 私のことを殺してやるって! そう考えたんでしょ!?」
白野だったなにかがポケットからナイフを取り出して、私に向けて突き立てようとする。
「恨んでるよ、そりゃ」
けれどナイフが私の胸に刺さる前に劫火が迸り、白野だったなにかを炎とそれに伴う熱量で吹き飛ばす。
「なんでこんな目に遭ったんだって、思わないわけがない。でも、君に言われなきゃ僕は助けることもできなかった。僕の目の前で死んでいくかもしれない小さな命を救うことさえ、できなかった」
炎は誰かの元へと収束し、やがて短剣に収まって消える。
「恨んでないなんて言えないし憎んでないなんて言えない。そしてありがとうなんて絶対に言えるわけがない。でも、僕は君とまた会えてよかった」
起き上がる白野だったなにかから私を庇うように誰かが動き、ナイフを短剣で受け止める。
「だって君と出会えなかったら、君が僕のためを思って言ってくれたんだって知ることもできなかった。僕の勘違いが起こしたことで君が苦しんでいることさえ、分からないままになるところだった。それに、ようやく言える。僕は君のことが、好きだった。君に優しさの対価をずっと求め続けていたのは、君のことを独占したいっていう僕の気持ち悪い執着心だったんだ」
「…………白、野?」
誰かをマジマジと見つめる。そこに白野の面影はない。けれど白野のように穏やかで優しく、なにか色々と足りなそうで足りている雰囲気がある。もう少し髪型を整えて、眉にも気を遣って、唇のかさつきをケアしたら随分と良くなる。
肌はやや白くて、髭は白野だった頃よりもずっと薄いから気にならないけれど。
「白野、でしょ?」
「いいや、僕はもう白野じゃない。僕はアレウリス・ノールード。この夢の中でも、この夢が描いた世界のどこにもいない」
景色にヒビが入る。
「それでも僕は、君を守るんだ。君を傷付けようとする者から、絶対に。だって、君のことが好きだったから。君にこの言葉を伝えることができて、嬉しいんだ」
「なに……それ。あなたは、夢の中だけの存在なんでしょ?」
「そうだよ。だから、現実の彼が言えなくて後悔していることを伝えているんだ。本人はもう、言えないって諦めてしまっているだろうから、君から訊ねてあげてほしい。それぐらい積極的じゃないと、僕は言おうとしないから」
好きだった、かぁ。
過去形である。
けれど、その過去形の意味は理解できる。彼にはもう手放したくない相手がいて、その人のことを心の底から想っているのだ。
「こんな穢れ切った私のこと、ちゃんと見てくれると思う?」
「その答えは君の中で出ているんじゃないか?」
「……だよね」
景色が割れて、教室も白野だったなにかもアレウリス・ノールードという男もガラスのように砕け散っていく。
「あなたがいてくれて、ちょっとは高校生活も楽しかったよ。あなたも私も、死んじゃったけどさ」
溜め息をつくと同時に涙が頬を伝う。
「あぁ…………もう、本当に、ヤダなぁ。死んでほしく、なかったなぁ……私、本当の本当に……好きだったんだ、よ?」
*
「う゛ぉぇっ!!」
嘔吐する声と音でアレウスは目を覚まし、身を起こす。階段を降り切ったところまで記憶は残っているが、そこからの記憶はない。身構え、辺りの気配を探る。
「なんで起き上がるんだよ! おい、『不死人』! こいつらまとめて夢の中で殺せるんじゃなかったのかよ!?」
「うるさい、ただの寄生虫めが!!」
『不死人』の女が吐きながらリゾラが対峙していた女――ヘイロンを手で払い飛ばす。
近くにリゾラがいる。うなされはしているが呼吸はしている。そしてすぐに目を覚ましそうな前兆がある。
「ワラワの近くに置けば置くほど夢は深いものになり、目覚めることは困難になるはずなのに!」
呟く『不死人』の声を聞いている間にリゾラが瞼を開き、全身に力を込めてからゆっくりと起き上がる。
「聖女様の死の魔法が発動して死ぬまでの間、ワラワが夢の中でお主たちを閉じ込め、時間稼ぎをする。その魂胆であったというのに……う゛ぇっ!!」
再び『不死人』は嘔吐する。
「お主たちから吸い取った生気が、ワラワと混ざることを拒んでおる……! 全て吐き出さんと、ワラワが蝕まれて死んでしまうほどに……!」
リゾラは自然とヘイロンの姿を探している。アレウスも叩き飛ばされたヘイロンを探すが、どうやら既にこの場からいなくなっている。状況を不利と判断して逃げたのだ。
「なんなんじゃ、お主たちは……? 夢の中で違和感に気付き、ワラワが殺そうとせねば夢から覚めそうな状況になる……そればかりではない! 小僧の夢に入れば小娘が、小娘の夢に入れば小僧が! ワラワの夢を壊し! 夢の中のワラワを殺しに掛かろうとする! やってられんわ!」
「行くんだ、リゾラ」
「……いいの?」
「君は君の復讐を果たせ」
「分かった。あとでちゃんと話そう。ちゃんと話したい……ちゃんと」
「うん」
リゾラはアレウスが肯いたのを見たのち、階段へと向かう。それを妨げようと『不死人』の女がよろめきながらも高速で移動し、爪を振りかぶる。
「お前は僕を待っていたはずだ」
その爪を振るう前にアレウスが『不死人』に体当たりをして突き飛ばし、リゾラは構わず階段を駆け上がる。
「ちゃんと殺しに来てやったぞ」
「……ふ、ふふっ、そうじゃったな。最期くらいは良い夢をと思うたワラワの恩情が、こんな始末の終えんことを引き起こしてしもうたが、まぁよしとしよう。聖女様の星の導きとやらの通りに動くことはワラワにとっても納得できるものではなかったのだからのう。星の導きの通りにやって死なんというのなら、ここからはワラワの領分であり、ワラワが直々に手を掛けることも致し方なかろう」
「イェネオスはどこだ?」
「このもう一つ下じゃ。懲罰房は誰の目にも入らんようにせねばなるまい? だからこうして、地下倉庫のように偽装しておる。でなければ、信徒どもの信仰心を得ることも叶うまい」
吐瀉物の付いた口元を『不死人』は拭う。吐き出すだけ吐き出し、どうやら調子は戻ったようだ。戻る前に畳みかけるべきだったのかもしれないが、アレウスも目覚めたばかりで体がしっかりと動かなかった。
「『星眼』を出し抜き、聖女様の言う通りに隠し階段を用いてここまで来て、お主たちを夢に閉じ込めた。面白いほどに上手く行っていたというのに、調子に乗って寄生虫に命じて『魔の女』を近場まで運ばせてしまった。まさかお主たちが夢の中で想い合うほどの仲とは思わなんだ」
「想い合う? 想い合ってはいない」
「なんじゃと?」
「ただ、同じ『産まれ直し』なんだよ」
「……なにを馬鹿なことを」
「夢を見てきたのに夢を否定するのか?」
そこまで言ってようやく『不死人』は察したらしく、アレウスに見せつけるように笑みを浮かべる。
「同じ世界より産まれ直した者同士であったということか。だから夢の景色もワケの分からん似たものであったと。そうかそうか、なるほどのう」
吐瀉物に塗れた髪の毛を長い爪で掻き上げる。その動作だけで辺り一面の汚れという汚れが浮かび上がり、彼女が吐き捨てた様々な胃の内容物が消し飛ぶ。
「納得するとでも思うたか?」
言って、アレウスに『不死人』が肉薄する。
「どうでもよい。どうでもよいぞ、そんなことは。ともかくも、待ち遠しかった瞬間が訪れたのであればどうでもよい! 殺し合おうぞ、アレウリス! この『夢の中の恋人』たるリリスが相手をしてやろう!!」
「収容施設の頃とは違うぞ」
「当たり前であろう!? あの夢の中で幾度も殺したお主などワラワは求めてはおらんのだ!! ワラワを殺してみせよ!」




