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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第12章 -君が君である限り-】
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聖女の思惑


「どこに逃げようとも逃げ切れんよ。観念したらどうじゃ?」

 スラリと伸びた爪で床を引っ掻きながら『不死人』の女が『星眼』の聖女を追い立てる。

「ワラワごときから逃げ回るなど、それでも聖女様と同じ『魔眼』を持つ者か?」

「あー、うるさいうるさいうるさーい!」

 後方からの爪撃を拳で凌ぎ、尚も『星眼』の聖女は逃げ続ける。

「首魁が潜む場所で戦うのは分が悪すぎるんですよー! あなたも私と同じ立場なら同様に逃げていると思いますけど、どうですかー!」

「ワラワは逃げん。それで死んだところで生き返ることができるんじゃからなぁ」

 踊るように振るわれる爪撃を縦横無尽に駆け巡りながら『星眼』の聖女が避ける。

「恥じろ、『星の眼』――いいや、アンソニー・スプラウト。敵を前にして逃げの一手など、追い立てるワラワの身にもなってみよ」

「だぁれが『魔法生物』如きの気持ちを考えるもんですかー」

「『魔法生物』ではない。ワラワは、」

「『不死人』って言うんでしょう? でも、四人しかいないのに種族を名乗ろうとするのは心底、笑えてきちゃうんですよねー。これが過去に栄華を誇っていたドラゴニュートさんでしたら敬意を表しますけど、あなた方は唯一無二にして決して増えることのない生命体。知ってますかー? 生物って無性生殖と有性生殖があるんですよー? 細胞分裂による種の保存が行われない場合、私はそれを生物だとか種と認めたくはないんですよねー。正直、無性生殖も神を崇める私からしてみればウゲーッて感じなんですけど、生物の始まりが小さな細胞からという説もあるらしくって、そこを否定しちゃうと神の生成物を否定することになっちゃうんで仕方なく受け入れているんですよねー」

 アンソニーは『不死人』の女を貶しながら、その怒気が込められた強烈な爪撃を両腕で受け止める。衝撃で吹き飛んでしまうが、壁に激突する前に足で壁を踏み締め、床に降りる。

「やはり、以前と変わらぬな。貴様ら聖職者どもは揃いも揃ってワラワたちを認めん」

「当然じゃないですか、だってあなた方は神の理に反して生まれているんですから。『魔法生物』は『魔法生物』らしく、大人しくしていらっしゃればよかったのに」

「それではワラワたちに人権は生まれん」

「人権とか」

 半笑いで返したアンソニーに『不死人』の女が一気に詰め寄り、その身を切り裂く。

「もう本当に下らない話をするのはやめにしませんかー?」

 しかし爪でどれほどに切り裂こうともアンソニーの腕も体も傷付くことはない。それどころか彼女が纏う法衣ですら破れない。

「個人の主張としては認めますけどー、それ以上はありません。あなた方は『魔法生物』以外のなにものでもなく、そして何者にもなれはしない。憐憫を掛けはしますけど、それぐらいですかね」

「貴様は頑丈すぎる」

「究極の話をしますと、聖職者は最終的に誰よりも頑丈になるものなんですよ。この身、この精神を神に捧げるがために清め続け、ひたすらに己を高め続けた果ての肉体こそが私たちの全て。神の祝福を受けた肉体がこの世で鍛造された武器ごときに引き裂け、砕けるわけもなく、この世のどんな武器よりも己の拳が勝る。ゆえに打撃格闘術こそが聖職者の果てにある最高火力の武器となります。まぁ私はまだまだなんですが」

 爛々と眼を輝かせて、『不死人』の女を捉える。

「いい加減にあなたを撒きたいので、そろそろ死んでください。しけ――いえ、あなたには本当の詠唱の方が良さそうです。“人に非ず(テリオン)”」

 『不死人』の女の脳内で鐘の音が響く。

「なんじゃ……?」

「6、6、6の刻みで18回鐘の音を聞いてください。死ねますよ?」

「…………ふ、ふふふ。なるほど、自らの手の内をバラす方が有効な死の魔法か」

「今回は特別にあなただけへの付与です。そろそろ18回は鳴ったんじゃないでしょうか」

 アンソニーの前で『不死人』の女が苦しみ出す。

「悪魔の獣に、天の裁きを……」

 そう呟き、祈祷の構えを取ったアンソニーの前で今にも倒れそうだった『不死人』の女が苦痛の声ではなく、高らかな嗤い声を発しながら体勢を立て直す。

「嗤えることをせんでほしいのう。仮にもお主も聖女だろうに」

「死んでいない……? 鐘の音を無視したんですか?」

「いいや、しかとこの頭は18回の鐘の音を聞いた。しかし、お主が自分で言うたじゃろう? ワラワたちは人ではなく、『魔法生物』であると」

 理由を理解してアンソニーが再び逃げの一手を取る。

「死なんのだ、人の理に属する死の魔法如きでは。お主の死の魔法は6、6、6の刻みを認識し切った対象のロジックを世界も神も認めん存在に書き換えるもの。しかし、ワラワたちには人間が等しく持ち合わせているロジックなど無い。書き換えなどできんのだ」

 床を、壁を、天井を駆け抜けて『不死人』の女が開いていた距離を一気に詰める。

(うつつ)でその身を切り裂けんのであれば、夢であれば切り裂けるか?」

 防御のために翻ったアンソニーは間近に迫る『不死人』の女が発した妖気に当てられ、睡魔が押し寄せる。

「夢の……中、だけでしか、強がれない……クセに……」

「その眼を置いて夢の中で死んでしまえ、アンソニー・スプラウト」



《たった数日で星の動きに変化が起きています。こんなことは今まで経験したことがないので、多少の詠み違いが発生するかもしれません》

《大丈夫さ、詠み直しには慣れている。僅かなズレは僕の方で修正できる。とはいえ、驚くべきは彼らだ。アレウリス君が駄々をこねたとき、僕は『絶対に無理だ』と思ってしまったんだけれど、どうやら好転はしていないにせよ機はこちらに傾きつつある》


 アベリアの『接続』の魔法で定期的にジュリアンの師匠とエルフの巫女が話すのだが、やはり目の前に誰もいない中で言葉が交わされる違和感は拭えなかった。発声せずに言葉を交わすこともできるのだが、一日の終わりには仲間との情報共有が必須であったため、先に眠りに就く支度に入っていたドナたちにしてみれば、アレウスたちの会話は奇妙としか言いようがなかっただろう。それも説明すれば納得してもらえたのだが、エイラやフェルマータの視線は冷ややかなものだった。大人よりも子供の方が奇異なものを見たときの対応は極端になりやすい。異界を知っている二人ですら、その有り様であったため街中ではエルフの巫女との対話は控えた。可能な限り、発声せずにやり取りを行えても予想外のことを言われてしまえば思わず声に出してしまいかねなかったためだ。


 ガラハがギルドの依頼をこなしてくれたおかげで資金不足にならず、アベリアとジュリアンによる街中の噂収集で聖都の構造は把握、クラリエの探索で大聖堂には正面以外の入り口もあることが分かった。その間にアレウスは隠れ家周りで目立たないように動き、警備兵が行っている巡回ルートを見極め、それを地図に記していった。三日という猶予はあったが、せめて一週間はないと確実な巡回ルートは完成させられないのだが、それでも一応の予測が立つ程度には記せた。


 ドナたちには隠れ家から出ることを控えてもらった。オークション会場で起こった惨劇について、どのように処理しているかは被害者になりかけたアレウスたちでは調べることが難しかったため、これもクラリエに任せた。

 聖都では未だ公表はされていないが、人々の間では会場で事件があり大勢の貴族や富豪が犠牲になったのではないかと噂は立っている。だが、それについて大聖堂に押し掛ける者はおらず、また礼拝においても聖女にその噂を問い掛ける者はいないようだった。情報統制が取れているとも言えるが、同時に信徒のみならず民衆から発言する権利が奪われているようにも感じられた。


「それでは、手はず通りに」

 アレウスはジュリアンたちにそう言って、アベリアは『接続』を切る。ガラハにジュリアンとアベリアを任せて、クラリエと共にアレウスは夕闇に紛れ込むようにして聖都の脇道にある暗がりへと身を潜めた。


《果たして、機は本当に傾いていると言えるのでしょうか》

「一刻も早くイェネオスを救出しろと言ってきたのはそっちなのに、このタイミングで弱音を吐かないでほしい」

「え? 巫女様がまたなにか変なことを言っているの?」

「いや、変なことは言っていない」

《私は見届けることしかできません。その不安を口にして、一体なにが悪いと言うのですか》

「変なところで突っかかってくるな」

 そう言うとクラリエがまたもアレウスを見る。「なんでもない」と言いつつ彼女の集中力を切らしてしまったことを詫びる。


《私が詠んでいる通りなら、大聖堂に忍び込むことはできます》

「じゃぁその星の導きの通りにはしないとな」

 予知されており、予見されていることであっても気を抜く理由にはならない。必ずそうなるという確実性は星詠みにはない。だからこそ、詠まれた通りになるようアレウスたちが努力する。

 でなければ星の動きが乱れる――とアレウスは思っている。実際のところ、星辰の技能を持っていないためその程度の浅い考えしか抱けない。

「警備兵に見つかるのだけは避けたいかな。あの銃って兵器が使われるところをアレウスが事前に見ておけって言うから隠れて見させてもらったんだけど、あんなのは避けられない。冒険者じゃないから気配感知でも後回しにしちゃう。怖さを知った今じゃ、最優先になったけどさ」

 基本的に、警備兵はアレウスたちに敵対した際の勢力としては数えていない。彼らは冒険者ではない一般人――もしくは兵士や軍人と呼ばれる者たちに属している。だからこそ危害を加える対象にしてはならないし、たとえ危害を加えられるとしても手を出していい相手ではない。

 しかし、そういった対象が冒険者であるアレウスたちすらも危機感を抱かなければならない武器を所持しているのは厄介極まりない。弓矢であれば避けようもある、防ぎようもある。剣を振られても避けるのは造作もない。しかし銃だけは意識の外に追いやることのできない脅威である。おおよそ人が有する動体視力では追うのが精一杯な速度で、人体を穿つ弾丸が放たれる。それも軽装備であれば貫通するほどの威力を伴っている。

 弾道が安定していないのが唯一の救いであるが、どこに当たっても致命傷になり得る攻撃を無視することはできない。相手の目線、銃口と撃鉄に合わせて飛び退いても、弾丸は狙った通りのところに飛んでこずに避けた方向に来てしまうかもしれない。不安定であるからこその回避困難な銃撃はできることなら浴びたくはない。

「僕が把握している巡回ルート通りなら、あと数分で大聖堂の、」

 アレウスは暗がりから見える大聖堂の一部分を指差す。

「あの辺りから数人が外に出てくる。夕方から夜の変わり目のこの時間帯だからこそ、外の見回りを厳重にするんだろう」

「午後の礼拝に向けて、信徒の列を纏めなきゃならないし人手は必要だよねぇ」

「だからと言って、警備兵たちが出て来るあの入り口から忍び込めない」

「警備兵の駐屯部屋になっていたら目も当てられないからね。私がギリギリまで近付いても奥までは見ることができなかったから、大聖堂に繋がっていないかもしれないし」

「だから、ここからもう少し離れたこの地点、」

 今度は地図へと視線と指を落とす。

「クラリエが見つけてくれた大聖堂への通路を使いたい」

「ここは警備が明らかに手薄だったよ。調べ始めた当初からずっと手薄」

「罠だろうな」

「わざとかってくらい人の出入りが少ないし、警備兵の巡回も一日に数回程度で、この時間帯には通路を守る警備兵は一人だけで、巡回に来る人もいない。私たちの侵入が発覚するとしても、アレウスが地図に書いた巡回ルート通りなら二時間後になる」

「二時間も人は昏倒するか?」

「気絶のさせ方によっては……でも、物理的に気絶させるよりも居眠りしているように見せかける方が侵入されたとは思われにくいかも」

「居眠り……?」

「要は、私の調合した薬を嗅がせるってこと。これ、眠り薬だから」

 アレウスへクラリエは軽い感じで小瓶が投げて寄越す。

「その封は外しちゃ駄目だし、鼻を近付かせて臭いを嗅いでも駄目だよ。ほぼ一瞬で寝ちゃうから」

「そんな危ない物を投げないでほしいんだが」

「実戦じゃ使えないんだよ。(じか)に嗅ぐぐらいの近さじゃないと眠りに落ちないの。足元で割って漂わせても、薬液が気化した気体が空気より重たいせいで眠気の一つも起きやしないから」

「むしろ実戦で使えるような物を作られると怖い。味方も寝るんじゃないか?」

「問題はそこなんだよねぇ。こういった薬は集団戦でこそ使いたいけど、空気より軽くなる気体にしてしまうと味方を巻き込んじゃう。だからって敵と当たる前に投げたって時間稼ぎにしかならない……でも、上手い具合に数匹の魔物だけを眠らせて、そこを一気に叩くって感じならギリギリ有効なのかな」

「それは仲間に予め言って、更に連携も取れるようにしないと」

「でしょ? ちょっと手間なんだよねぇ……」

 話している内に最初に話していた入り口から警備兵が見回りのために外へと出て行き始める。アレウスとクラリエはそれを見てから移動し、彼らが通る道の間際に隠れ潜む。足音が近付き、そして遠ざかっていくのを聞き終えてから道を一気に通り抜けて再び別の脇道へと入り、再び暗がりに身を潜める。可能な限り人の気配の少ない脇道を選び、暗がりから出るのは移動の瞬間だけに努める。二人揃って気配を消し、奴隷と思われる者たちの溜まり場のようなところが見えたために通ってきた道を少しだけ引き返し、違うルートでクラリエの見つけた通路を目指す。


《事前にお伝えしたと思いますが、『星眼』の聖女と連合の聖女にはお気を付けください》

「『星眼』――アンソニー・スプラウトとは敵対しなければ問題ないはず」

《それもそうですが、気を付けるべきは人物ではなく『魔眼』と死の魔法だとお伝えしたはずです》

「なんて?」

「『魔眼』と死の魔法に気を付けろって言われたよ」

 ここに潜んで、大聖堂の通路の警備兵が一人になるときを待つ。あと数分もしない内に、入り口の警備兵の一人が見回りのために動き出すはずだ。

「聖女だけが持つ死の魔法が観測されているので三つ、だったっけ? 『星眼』と連合の聖女と、あとは巫女様。アレウス君たちが巻き込まれるまでは二つで、しかもあるかどうかすら分からない状態だったのに」

「理論上は聖女と同数の死の魔法があるとか……『魔眼』を持っている上に死の魔法まで持っているのは、あまりにも神様に優遇されていないか?」

「神様にしてみれば“聖痕”を与えたのは究極の使徒として認めた印だから、そりゃ優遇もされるんじゃないかな」

《『星眼』の魔法はアレウリスさんが話したがりませんが、私と同じく有することが判明したので聖女と同数存在するというのは現実味を帯びてしまいました。私と連合の聖女は『星眼』が死の魔法を用いたことで、伝え聞かされている死の魔法を互いに有し、存在することを知ってしまいました。ですが、私が所有する魔法は、この眼で捉えなければ使えません。逆に連合の聖女にその枷はない……かもしれません》

「そんなに気にすることじゃない」

《ですが》

「僕たちが受けることは星の導きによって確定しているんだろ? それでも、イェネオスを救出するには受けなきゃならない」

《……はい》

「だったら、行くしかない」

 自らに与えられる死の魔法に怯えていたら、イェネオスが手遅れになる。ニィナの捕捉も難しくなる。


 エルフの巫女の予知は同時に連合の聖女も見ている予知だ。どちらが星詠みで勝るかの戦いだが、それはジュリアンの師匠が加わったことで優位性を得ている。だからこそアレウスは予知やら予見やらを無視して自分が思う通りに動く。


「動いたよ」

 クラリエの声でアレウスは顔を上げる。警備兵が一人離れ、通路に一人残る。暗がりでしばらく待ち、足音が近付いて遠ざかっていくのを聞き終える。

「それじゃ、行こうか」

 そう言ってクラリエが景色に溶けるようにして気配を消す。アレウスは暗がりから姿を現し、持ち前の俊足で大聖堂に続く道を一気に駆け抜けて通路を守る警備兵の真正面まで走り切る。


 声を上げられる前にクラリエが背後から警備兵の首を絞め上げ、そこに彼女から受け取っていた小瓶の封を解いたアレウスが気体を嗅がせる。警備兵はストンとその場に膝を折り、半目のまま小さないびきを掻く。口から涎も垂れており、これでは襲撃に遭ったのがバレバレであるため通路の壁に背を預けるようにして座らせ、瞼は手で閉じ切らせた。


「行くぞ」

 アレウスはクラリエに一声掛けて、通路へと侵入する。気配消しの技能は継続させ、更に特殊な歩行で靴音を最小限に抑え込む。

「問題はここからか」

「中まではどうしても入り込めなかったからね。ここからどう行けばイェネオスが捕まっているだろうところに行けるのか」

「捕まっている場所は分かっているんだったか?」

「うん、大聖堂では懲罰房があるから多分そこ。というか、そこ以外に捕まっている人を置いていたら信徒たちが更に震え上がっちゃう」

 小声でやり取りをしてから通路の先に開けた空間が見えたため、まずは通路から出ずに気配を探る。

「でもなんでイェネオスは大聖堂まで運ばれたんだろうな」

「そこ、なんだよねぇ気になるのは。なんで裁かれたり処刑される方向じゃなくて、大聖堂に運ばれたのか。罪人を聖女の近場に置くものじゃないだろうし」

 イェネオスを近場に置くことで得をする者がいる。それがテッド・ミラーなのだろうか。だったら大聖堂に運ぶように指示を出したのも聖女ではなくその男ということになるが。


 エルフ界隈でも有名なテラー家の一人娘に調教を施そうものならイプロシア側に付かなかったエルフの大半の怒りを買って、連合はもっと窮地に立たされる。それほどのリスクを背負ってまで、奴隷商人は一体なにを考えているのか。


 話し声が聞こえるが、アレウスたちが潜んでいる通路まで調べようとはしないまま信徒が通過していく。衣服や持ち物からして、外を見回っている警備兵とは違うようだ。それでも帯剣していたことから警備を任された信徒であることは一目瞭然だった。

 通路から出て、信徒を追い掛けるのではなくその逆方向に二人は向かい、空間の隅にある僅かな窪みに隠れる。何度かそれを繰り返し、クラリエが懲罰房まで先んじて進む。

「なんか、誘い込まれているような」

「通路が手薄だった時点で罠だってアレウスは言っていたけど……大聖堂の中も、なの?」

「そんなことをしたら僕たちじゃない暴徒が乗り込んできた場合、対処に遅れる……けど……でも、それは星詠みで分かっているから……」

「そっか、誘い込まれていようといまいと私たちの行き着く先にはイェネオスがいるけど、同時に誰かも待っているってことだよね」


 掻い潜っているようで、実は誘い込まれている。予知されていることは分かってはいたが、手の平で踊らされている感がこれほどに強いとは思わなかった。進むことが危険であることは分かっているのに、そこに足を踏み入れなければならない。連合の聖女に試されているような感覚すら湧いてくる。


「多分だけど、この先が懲罰房……うん、イェネオスの気配がするから間違いないよ」

 クラリエがそう言って何度目かの通路から飛び出し、アレウスも続く。


「潜入ごっこは楽しかったか?」

 しかし懲罰房に続くのであろう道は既に信徒に塞がれており、その手前の空間では男が待ち侘びていたと言わんばかりに座り込んでいた。

「まぁ楽しくはないか。これほどまでに誘われているってぇのはつまんねぇもんだ」

「……こいつはハゥフルの街と、収容施設から逃げ出す僕を追ってきた『不死人』だ」

 横にいるクラリエにどういった人物であるかを説明する。

「なんで『不死人』が戦場じゃなくって聖都を守っているの?」

「そうだなぁ、まっ、しばらくは人間同士で争ってくれやってことだ。俺様たちは必要な場面で必要なときだけ戦場に出るんだよ。だって国なんかよりも大切なのはこの場所で、そして聖女様なんだからなぁ」

 両腕を奇妙に伸縮させてから元に戻す。

「どうする? 俺様を両方が相手にするのか、片方は懲罰房に向かって突撃するのか」

「アレウス!」

 当初の予定通り、アレウスは駆け出す。

「そうだよなぁ、それも聖女様の星の導きの通りだ。だから俺はテメェを見逃して、俺様の首を掻き切ろうとしているダークエルフの女を叩く!」

 男はアレウスを止めるどころか見逃して、その隙に接近してきたクラリエの短刀を片腕で受け止め弾き飛ばす。その間にアレウスは信徒の作り上げた防衛を簡単に飛び越えて懲罰房への通路へと飛び込んだ。

「まっ、気楽に行こうや。俺様の終わりも、テメェの最期もどっちも聖女様には見えている。どっちが先かまでは聞かなかったぜ? それじゃつまんねぇもんなぁ」

 後ろで聞こえる男の声を無視してアレウスは一気に懲罰房へと続く階段を駆け降り――半ば転がり落ちるような勢いで降り切って、まず壁に体をぶつけてから身構える。


「ようこそ、一部の信徒たちしか知らない特別な懲罰房へ」

「なん……いや、おかしいだろ」

 アレウスの前に立っているのは奴隷商人ではなく、スカプラリオを纏ってはいるものの神聖さの欠けた女性だった。しかし、アベリアとジュリアンが掻き集めた情報の通りならこの特徴だけで聖女だと断定できる。この聖都でスカプラリオを纏っているのは聖女だけだからだ。

「挨拶をするために待っていたんですよ。だからようこそ、とだけ」

 両手を合わせ祈祷し、聖女が懲罰房の天井を仰ぎ見ながら眼を見開く。


「“否定されし命(サナトス)”」


 そう唱えてから聖女がアレウスの横を抜けていく。

「……なにをした?」

「わざわざいらして下さった方になにもお与えしないのは申し訳ありませんもの。だから、“死”を差し上げました。ええ、ええ、分かりますよ。どのような魔法であるのかお知りになりたい。ですが、『星眼』のように知ってから不利になる魔法でしたらどうしようかと怖れている。でしたら、そのまま怖れていた方がよろしいでしょう」

 聖女は戸惑うアレウスに構わず階段を登っていく。

「次にお会いするときは……ええ、ご安心を。お会いすることは叶いましょう。ですが、そのときが恐らくあなたに待ち受ける“死”であることは、お忘れなきように。それでもお会いになられると言うのでしたら伺いますが……おやめになられた方がよいと思われます」

 そこの、と言いつつ聖女が指差した方向をアレウスは見る。

「『魔の女』みたいにはなりたくないでしょう?」


 リゾラが倒れている。アレウスはなにかの見間違えかと思いつつ、彼女が息をしていないことを知る。


「それでは、失礼いたします」

 酷く不安定に、それでいて動揺するアレウスに聖女はそれだけを言い残して立ち去った。


「あぁ…………ああ、嘘だ。なんてことだ」

 そう呟きながら、聖女の気配が遠ざかっていくのを確かめてからリゾラの体を揺する。

「死んだフリだろ?」

 リゾラが呼吸を再開し、咳をし、生命活動を止めていた弊害から来た吐き気を抑え切れずに吐瀉する。

「なに今の下手くそな演技……いつもそんな演技で乗り切っているの?」

「仲間にはよくやめろと言われる」

「でしょうね」

 口元を拭い、リゾラが立ち上がる。

「ここにテッド・ミラーはいなかった。でも、ありがたいことにもう一人はいてくれた」

 渇いた笑いを発しながらリゾラは死体を蹴り飛ばす。


「ちっ!」

 リゾラと同じく死体のフリをしていた人物が起き上がり、大きな舌打ちをする。

「どこまでもどこまでもしつこい女だなぁ、テメェは!」


「このまま下に向かいなさい、アレウス」

 有無を言わさない雰囲気を発しながらリゾラが命令してくる。

「こいつを殺し切るのは私の仕事。この下で捕らえられているエルフを助けるのはあなたの仕事。そこのところ、ちゃんと弁えているでしょ?」

「ああ……君の復讐に手出しはしない」

 でも、と言いつつアレウスは更に下に続く階段へと走る。

「必ず復讐を果たせ! 必ず勝て!」

 ヘイロンがアレウスの前に立って阻もうとするがリゾラの手が空間を引っ張るとヘイロンが捕まってもいないのに彼女の元へと引き寄せられる。

「復讐したいって言っている私に勝てって言う男って相当よ? でも嫌いじゃない」

 嬉しそうなリゾラの言葉を聞きつつ、アレウスは階段を転がり落ちるようにして駆け降りた。

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