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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第12章 -君が君である限り-】
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落ちる恐怖が信仰を生む

#或いは日常の光景


「私さぁ、誰かのために泣ける人って嫌いなんだよね」

 その一言が発せられてからしばしの静寂が流れる。

「あなたに言っているんだけど?」

「え?」

「ここにはあなたにしかいないでしょ? 私、あなたに話しかけているんだけど。それとも白野君は私を無視しているの?」

「ちが……いや、なんで……僕に、話しかけるのかな、って」

 朝から教師陣が忙しいらしく、職員室が混み合っている。数学の教師がまだ戻ってきていないので教室の回収ボックスに入れられていた宿題の提出ができない。机の上に置いておけば大抵は済むのだが、この数学の教師だけは手渡しでなければ受け取らない方針を取っている。もし顔も見せないまま課題を机に置いてしまえば、普段から不機嫌な顔をして教室に入ってくるクセに一層に不機嫌な状態で授業をする。しかもペナルティとして宿題を回収した生徒の宿題だけが未提出という扱いにする。

 最悪な教師というのは色々なところにいるらしいが、性格に難があるパターンとルールを課してくるパターンの二択かそれ以上に分けられる。数学の教師はギリギリ性格に難はない。男女問わずに厳しめではあるものの、話せない方ではない。ただし、自身が課したルールを破る者はその対象に当てはまらないというタイプ。非常に面倒臭い。

 ただでさえ日直の日は朝早くに登校して教室の鍵を開けなきゃならない。職員室前の黒板に書かれているお知らせを教室の後ろの黒板に書き写さなきゃならないし、日直日誌の記入も求められる。

 その上で宿題回収まで任される。まぁ、朝に回収して返却したがる教師と授業中に回収する教師に分けられるので、基本的には持って行く量はさほど多くはならないのだが、それでも負担である。


 生徒に色々と強要してくるのに肝心の教師が自分のルーティンでしか動いてくれないのはどういうことか。そっちが指定しているのだから、それぐらいは自分のルーティンを崩してでも強要した内容に沿うように自分自身を動かしてほしい。


「暇だから」

 そう言って彼女は抱えている宿題を持ち直す。

「神藤さんも、日直?」

「ううん、日直の人に頼まれたから仕方なく」

 宿題提出を任されたらしい。

「前にさぁ『先生の貴重な時間を使わせないでほしい』って言ってたんだけど、こいつは私たちの貴重な時間を奪っている自覚あるのかな。なんで自分の時間だけ特別だと思ってんだろ」

 教師を“こいつ”呼ばわりしているが、そこだけ小声であったため周囲には聞こえてはいないらしい。そして小声で言う辺りに彼女なりにあまり言葉として発したくないことを言ったと思っている。

「仕方ないよ」

「そうやって諦めるのが良くないんだと思うんだけど……はぁ、でもみんな白野君とおんなじだよね。この先生はこういう人だから、仕方がない……みたいな。数学の先生に限らず、他の先生にも言えるけど」

 呟きに毒が混じっている。

「ダルいんだよね。上下の立場がハッキリしているから自分のワガママが少しくらい通ると思ってる気がする。私たちって基本、先生の言うことに歯向かわないじゃん。授業態度や生活態度で歯向かう奴はいるけど」

 いわゆる素行不良の生徒のことを指しているのだろう。

「なのに、卒業式で泣いてんの見ているとイラッとしちゃう。気に入られている子はいいよ、気に入られていない子もいいよ、問題児だっていいよ。だって構ってもらえてるじゃん? でも私みたいな、毒にも薬にもならないような周りを見て、なんとなくで毎日を過ごしているような子たちからしてみれば、『なんであの先生は泣いてんの?』とか『どうしてこの子は泣けるの?』みたいなさ。私は先生に感謝もなにも抱いてないんだけど、みたいな。中学のときに思ったんだよね」

 神藤さんはボヤきながらうつむいて、床を見る。

「いや、神藤さんは目立っているんじゃ」

「目立つようにしたんだよ。高校デビューってやつ。目立ってないと泣けないんだろうなって。まぁ、目立っても泣けないかもなんだけど」

 溜め息をつく。

「だから、誰かのために泣いている人って嫌い。いや、人の目があるところで泣ける人が嫌いなのかな。そういうのは人のいないところで静かに泣いてほしい感じ」

「……それじゃ神藤は静かに泣く予定ってこと?」

「うーん、どうなんだろ。そこのところは分からない。白野は?」

「僕なんて、」

()()()、とか()()()は言わないでって言わなかった? それ、癖になるから。人間関係もだけど、将来の仕事でもずっと思うようになるよ」

 なんでこんなことを神藤さんに言われなきゃならないんだろうと思いつつ、職員室の時計を見る。まだ時間に余裕はあるがそろそろ数学の教師が戻ってこないと朝の友達との時間が奪われてしまう。昨日の動画配信の内容とか、ゲームの話がしたいというのに。

「僕は多分だけど人前では泣かない、かな。中学のときに先生に怒られて泣いたことがトラウマで、」

「怒られて泣いたんだ」

 意外そうな顔をしてこちらを覗き込んでくる。

「それからも怒られることはあってビクッとなるんだけど、ビビッているのに涙が引っ込んで出なくなった」

「へー、泣き癖にならなかったのは良かったね」

「ビビッているだけなんだけどな」

「まーそういうときは女だと泣いた方が得だったりするけど、男子だとそうはいかないか。いや、女子の間でも泣き癖のある子は一ヶ月くらいは腫れ物扱いするけどさ。なにで泣くか分かんないから難しくなるんだよ」

「なんか、男は泣いたら終わりな感あるんだよな……」

「カッコ悪いらしいね。私は気にしないけど。怒りや恐怖を押し付けられたらそりゃ私でも泣くよ。でも、感情を揺さぶられない立場にいるのに泣くのを求められても泣けない。そんな感じ」

「泣くんだ?」

「泣かないと思った?」

「だって人前で泣く人は嫌いだって言ったから」

「一部例外な場面がある……にしても、本当に遅い」

「そう、だな」

 神藤さんは今にも地団太を踏みそうな勢いで苛立っている。

「白野君は私みたいになっちゃ駄目だよ。私みたいな捻くれ者になると面倒臭いから」


 捻くれ者。

 彼女はいつだって真っ直ぐなように思っていたのに。

 むしろ自分の方がずっとずっと捻くれていると思っているのに。


 彼女が捻くれ者なら、

 自分は一体、何者だと言うのだろうか。



「……君はいっつもそうやって、夢の中に出てくる」

 目を覚ましたアレウスは呟く。

「……苦しいなぁ」

 産まれ直す前の記憶が想い出として脳内を駆け巡るたびに、恋しくなる。

「会いたいのに会えない。それも、二度と…………こんなとき、神藤なら僕になんて言うんだろう」

 励ましてくれるのか、それとも怒ってくれるのか。想像は美化される。どれだけ神藤の性格を読み解いていようと、勝手に自分の良いように解釈するので、自らが神藤だったらと思う言葉には意味がない。


 初恋を終わらせずに産まれ直す前に置いてきている。それがアベリアとの恋仲を引き裂くほどのなにかに変わることはないが、一向に夢から消えてなくなってくれないのは厄介だ。彼女と神藤を比べられる立場でもないのに、自然と頭の中で無意味な基準を敷いてしまう。


「アレウスってねぼすけなの?」

 起きて、大きく背伸びをしているところにエイラが茶化すように訊ねてくる。

「ひどい顔してる。洗ってきたら?」

「そうだな、そうしよう。あと、おはよう」

「……おはよう、アレウス」

 思わぬ朝の挨拶にエイラが動揺を見せる。さながらアレウスが常識人ではなかったかのような驚き方だったので不満はあったが、それよりも早めに顔を洗ってしまいたいため部屋を出る。

 隠れ家の主人に案内され、水桶で顔を洗う。その冷たさでボンヤリとしていた意識がハッキリとした目覚めとなる。布で顔を拭っても肌に引っ付いたような冷たさは消えず、すぐさま逃げるように室内に戻る。

「昨夜は出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」

 扉を内側から開けてもらって部屋に入るとイェネオスが既に運ばれていた朝食を口にしつつ謝罪してきた。

「感情的になってしまったと思っています」

「それも因縁浅からぬ相手を前にして無感情にはなれない。イェネオスが感情的になってくれたからエレオンも口を割った。おかげで信徒たちを見たときの違和感の正体にも気付けた」

 アレウスは置かれている朝食のパンを手に取って千切り、口に放り込む。

「昨晩の礼拝でなにが分かった?」

 ガラハが訊ねてくるが、まずは水と共にパンを飲み込んだ。


「礼拝は必ずしも聖女が出てくるわけじゃない。星辰を詠めるらしく、事前に危険を予知できるみたいだ。だから僕が行ったときには聖女じゃなく偽者が聖女の言葉と称して信徒たちに説いていた」

「偽者でも信徒たちは崇めていたの?」

 アベリアはまだ食べ足りないようで、フェルマータと一緒に果物を美味しそうに食べている。

「ああ、そこがどうしても気になっていた。なんで偽者なのに、偽者が聖女の言葉を代わりに話しているのに信徒たちは不満の一つも言わないんだろうかと」

 実際には聖女を殺そうとした男がいたのだが、その男の顛末についてはまだ語るべきときではないだろう。

「エレオンが言っていた総奴隷化と関係していたり?」

「イェネオスとクラリエがエレオンと接触してくれたおかげで連合の行く末が見えた。言葉にするだけでも怖ろしいがそれが総奴隷化だ」

 事情を知らないガラハとアベリア、ジュリアンに話す。

「連合は国民全てを奴隷化し、聖女や権力者が奴隷を掌握することによる歪んだ統治を果たそうとしているんだ。そこまで歪んでいるのに信徒たちが一丸となって聖女たちに襲いかからない理由は『不死人』が後ろにいるからなのかとも思っていたが、それは要因の一つでしかない」

 恐らく、信徒たちは聖女に抗えない理由をアレウスは一呼吸置いて話す。

「信徒は恐怖心で信仰を余儀なくされている。聖女や権力者に歯向かう者は全てが罪人……かと思っていたが、処刑ではなく私財の没収と共に奴隷に落とす刑があるんだと思う。奴隷を買うことは上流階級の間で流行を起こされ、それが凄まじい速度で一般階級まで伝播した。奴隷を買うことで奴隷の地位や立場が最底辺であることを見て、知り、理解させられる。人として持ち合わせる当たり前の権利すら持っていない者たち。そこに貴族であろうと上流階級の一員であろうと、罪を暴かれれば問答無用で奴隷まで落とされる。その様も見せられているからみんなが思う。『奴隷にはなりたくない』と。ともかく聖女を崇拝し、良い顔をすること。罪を犯さず、平静に暮らすこと。それでなんとか奴隷に落とされる恐怖から逃れようとしている」

「聖女信仰ではなく恐怖による支配。罪人を見せしめで処刑することで犯罪を抑止しているようでいて、その実はどんな人間でも奴隷に落ちる可能性があると示されることによって、こんな風に死にたくないではなくこんな風にはなりたくないと思わされる。死は一瞬の恐怖であっても、人として扱われない長く続く人生への恐怖。親戚、友人知人、そして身内。そういった者たちが奴隷に落ちれば遠いものではなく身近にあることだと認識せざるを得ない。恐怖から来ても、それは信じ仰ぐ心であることは変わりない。まったく……神への信仰を持つ者が聞いたら発狂しますよ」

 ジュリアンは呆れ返りつつも連合の考えていることへの恐怖から体を震えさせていた。


「午前の礼拝はどうしますか?」

 少しばかりの静寂ののち、イェネオスが切り出す。

「あなた方の知り合いかもしれない射手を私は見ている。ヱレオンも調べることに前向きだったようですから、そっちからの情報も入ることでしょう。ですが、午前の礼拝の様子を見ておかなければならない。違いますか?」

「僕が見た午後の礼拝と比較して、違いがあれば手掛かりになる……か?」

「大した手掛かりにはなりそうもありませんが、このボルガネムにおいて分からないことがあるのは危険だと思いますので」

「ならあたしとアベリアちゃんが行くよ」

 手を挙げてクラリエが宣言する。

「オレはギルドの依頼をこなす。金は僅かでも稼いでおくべきだ」

「でしたら私もどちらかにお供させていただきたく、」

 そこまで言ったところでイェネオスは別室で支度をしているドナのことを思い出し、言い控える。

「私はドナさんの付き人としてオークションへと向かいます」

「僕も行きます。どうやらエイラもドナさんと参加することになっているようなので」

 ジュリアンの言葉を聞いて「私はジュリアンと一緒じゃなくてもいいけどなー」とエイラが野次を入れてくる。

「アレウスさんはどうしますか?」

 その声を無視してジュリアンはアレウスに訊ねる。


 一度、ガラハの方を見る。

「全容は知らずとも、この都市の危険性は見てきたつもりだ。魔法やロジックで洗脳してこないのなら、オレ一人でもなんら問題ない」

「……分かった、でもくれぐれも気を付けてほしい」

 彼だけに任せてしまうが、ギルドで変に目立つことをしてしまったアレウスが付いて行くと担当者から嫌がらせで依頼を紹介してもらえないかもしれない。

「僕もオークションを見に行く。人数規制があるようなら、外で待機かな」

「エイラが言うには、オークションは三人――ドナさんとエイラとフェルマータ。そこに護衛として一人ずつのようです。なので三人でも問題ないはずです」

「ならエイラはジュリアン、フェルマータはイェネオス。僕はドナさんの担当にしよう。各々の目的に合っているはずだ。集団で動きたいけど、もしはぐれるようなことがあったら各々で守り通す」

 ドナはリスティとアレウスがニィナを探すための口実作りに協力してくれたため、なんとしても守らなければならない。エイラはジュリアンにとって守らなければならないほどの大切な存在。フェルマータはイェネオスがエルフの巫女から守ることを任されている。


 話は纏まったため、食事を終えたクラリエとアベリアがまず礼拝に向かう支度を整え出て行った。次にガラハが三日月斧を担いでギルドへ向かう。


「皆さん、お待たせしました」

 ドナが支度を済ませてアレウスたちの前に現れる。昨日までは地味な格好をしていたが、化粧をして服装もどこか男性を挑発するような整いがある。

「こういった格好でないと男性が見下してきますから。ある程度、異性をそそる格好をした方が対等に話せることがあります。ただ、話すこともせず無理やり襲ってくる方もいらっしゃるかもしれませんので、そのときはよろしくお願いします」

 女性としての強みを男性への対等な立場への証明とする。同時に危険を伴うが、アレウスたちがいること前提の格好なのだろう。


 その後、エイラとフェルマータの着替えている間にアレウスは食事を済ませ、六人で隠れ家を出た。


「ねぇねぇ、アレウスはオークションってどんなところか知っているの?」

 行きしなにエイラが聞いてくる。

「あんまり知らないな」

 でも、とアレウスは見えてきた建物を眺めながら続ける。

「決して気を抜いていい場所ではないよ」


 警備している信徒の腰には剣、手には銃が握られている。

「招待状は……良かった、ちゃんと鞄の中にありました」

 ドナが小さな肩掛け鞄から招待状を取り出し、息を整える。

「落ち着いて……大丈夫、大丈夫…………はい、行きましょう」

 精一杯の勇気を振り絞り、ドナが建物に続く階段を登り始めた。

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