信徒
午後の礼拝が始まるまでドナたちと過ごし、一時の安息を得た。カラクリ部屋は天窓しかないため外を見ることはできなかったが、外郭に建てられているためか外の音が入ってくることもなく静かで穏やかな時間だった。エイラやフェルマータは退屈していたがドナは喧騒を嫌っているようで、この静かな空間をとても気に入っているようにみえた。そういった親心を察し、また成長の証としてエイラは「外に出たい」とは一言も言うことなく、フェルマータに勉強を教えていた。歳不相応なしっかり者のジュリアンを基準としてしまっていたが、彼女は彼よりもまだ幼いことを忘れてはならない。我慢をさせていることは心苦しいことである。とはいえ、オークションの際にはフェルマータ共々、さすがに外に出ることにはなるだろう。
「夕食も部屋まで持ってきてくれるなんてねぇ。それも部屋は三部屋あって、小部屋はトイレ付き。外を出歩くのは体を拭くときぐらい。身を隠している内に帰りたくなくなっちゃうよ」
「クラリエ様が仰る通り、ここは非常に過ごしやすく思います。ですが、部屋を貸してくださっている主人の心変わり一つで私たちは外へと放り出されてしまいます。この家の主人の顔色は常に窺っていた方がよろしいでしょう」
二人の会話はドナの耳には届かないように声を潜めるだけでなく、耳元で囁くように行われていた。聞き耳の技能を持たないドナたちにはどれだけ近くにいたところで聞こえないだろう。こういった会話は聞かせてしまえば、それだけで疑り深くなり不安にさせる要因になってしまう。彼女は娘やフェルマータを守る強い意志を持っており、知己の友でもないこの家の主人を心の底から信用していないのは確かだ。しかし、そこにクラリエたちが囁いたような言葉まで耳にすることがあれば、気持ちが過剰になる。過剰になった分はこの家の主人にとっては気持ちのいい感情ではない。そこからなんとか噛み合っていた関係性が破綻しかねないのだ。
「オレたちは明日からギルドで依頼を探してみるが、アレウスも明日に礼拝を回さないか?」
「いや、時間が惜しい。出来ることから先に始めておきたい」
ドナがこの部屋を借りられるのはあと二週間。十分な時間とも思えるが、ニィナの捜索と奴隷商人の情報収集、そこに礼拝やオークションなども含めると安直に事足りる時間を得ているとは言い切れない。
「礼拝の参加条件は外套を着ることらしいんですけど、耐えられます?」
ジュリアンが予備のボルガネムの外套をアレウスに差し出す。
「正直、着ることだけで体調に影響が出そうだ」
それこそロジックのステータスに一時的なマイナス補正が掛かりそうなほどだ。これが普通の外套であるならアレウスも喜んで着るのだが、神やらそれに近しい存在を賛美するような意匠が施されているために気持ちが安定しない。
「でも着なきゃならないなら仕方がない」
袖を通すだけでムシャクシャしてきて仕方がないが、数分でその負の感情を抑え込む。
「行ってくる」
「気を付けて」
アベリアに手で応答し、アレウスは部屋を出る。閉じられた扉が複数回ほど歯車が回るような音がしてから静かになった。
「帰ってきたときに僕はこれを開けられるのか……?」
「心配には及びません」
後ろの扉に首を向けて呟いていたら正面から突然の声がしてためにアレウスは変な声が出そうになった。
「ビックリしたんですけど」
立っていたのは主人に付き従っている女性だ。
「こちらに部屋の中へ声を届ける筒がございます。部屋を借りられておられる方に開けるよう頼めば問題ありません」
「声真似をして知らない人を入れる可能性は?」
「ありません。私があなた方の顔を記憶しております」
「あなたが襲われた際には?」
「お客様がこちらを出られてすぐに隠し部屋へ続く廊下も閉ざします。その廊下を開くためのカラクリの場所を知っているのは私とご主人様だけです。そして、私もご主人様も決してあなた方のことを外に漏らすことはしないことを誓っております。なにより、この家のありとあらゆるカラクリの解き方を知っているのは私とご主人様以外におりません」
そう言ってアレウスに歩くように催促し、廊下を歩き切ったところで言ったことを証明するようにカラクリ仕掛けで廊下が壁で隠される。
「これってどうやって動いているんですか?」
「蒸気機関をご存じですか?」
「なんとなくは」
「それの利用しておりますが、これ以上を語ることはできません」
あまり家の秘密を聞き出してはほしくないような、そんな言い方をされる。今は金銭で作り上げられた関係ではあるにせよ味方にいる。詮索しすぎれば立場が危うくなるのはアレウスではなくドナなので、好奇心での問い掛けは控えるべきだ。
「あと一つだけ質問してもいいですか? これは家のカラクリ関係ではないんですけど」
「どうぞ」
「あなたも奴隷なんですか?」
直球過ぎて失礼に当たるのではと気付いたのは訊ねてからだった。
「すみません、とても失礼なことを聞いてしまいました。忘れてください」
「はい。私はご主人様に飼われている奴隷です」
質問に返答されたことにアレウスは驚いてしまう。
「私は八年前にご主人様に買われました。右足の指を二本、左手の指を三本ほど失っており、右目は過去に受けた傷でほとんど見えておりません。品もなく、性的に美しいわけでもなく、玩具にするにしても壊れすぎている。力が特別強いわけでも、体力的に強靭であるわけでもなく、働かせるだけで無駄になる。奴隷としての価値もほとんどありません。そんな私をご主人様は買ってくださいました」
買ってくれたことに恩義を感じている時点でおかしいことなのだが、彼女は話を続ける。
「いたぶられて、傷付けられて、死に掛けで捨てられる。そのように思っていたのですが、私はまず最初に風呂に入れられ、良い服を着せられ、温かな食事をいただきました。部屋まで与えられ、夜伽をするわけでもなく、日がな一日、ゆっくりと過ごす日々でした。そんな折、ご主人様の仕事部屋を訪れたのです。複雑な構造をしたそれを、キラキラと目を輝かせながら必死に作り上げていく様を見ているのはとても……そう、とても楽しいものでした。そういった目で見続けていたことにご主人様も気付いていらっしゃったようで、ある時、言ってくださったんです。『君もやってみないか』と。最初はなにを作るにしても失敗続きで上手くは行きませんでしたし、呆れられることも多々ありましたが。繰り返し繰り返し、繰り返せば繰り返すほどに徐々にカラクリを作ることができるようになりました。私が商品として売れるのは小さなカラクリ時計だけなのですが、ご主人様は複雑なカラクリを仕込んだ様々な玩具や大きな時計まで作ってしまいます」
「……そう、ですか」
「来た当時は分かりませんでしたが、この家全体がカラクリ仕掛けになっていることに今でも驚きを隠せないでいます。だからこそ思うのです。私はご主人様に従おうと。ご主人様の仰る通りに働こうと。指が少なくとも歩くこともカラクリを解くこともできます。右目がほとんど見えなくとも左目でお客様方を記憶することはできます。辛うじて記憶力だけは損なっていませんので、そこだけは必ず見間違えることがないように気を付けています」
狂った価値観にまともな価値観が混ざっているせいで彼女の言葉に感情が追い付かない。感動すべきところなのか、この家の主人を素晴らしい人物だと尊ぶべきなのか。なにより幸福そうに語る彼女に、そもそも奴隷として買われたところから間違っていることを指摘することも、主人が彼女を買ったことが非人道的なことだと教えることさえできなかった。
女性に見送られ、家を出る際には主人にも見送られる。
「良い人……連合では……ってところ、か?」
アレウスの思う良い人とはズレてしまっているが、それでも連合という国の中では良い人に分類される。そのように思うしかない。
夜の寒さはやはりこたえるものがある。まだ風が吹いていないだけマシだろう。天候が荒れれば外を出歩くことさえままならないのではないだろうか。そして寒冷期の半ばまで来ればこの聖都には雪が降り積もることだろう。
カンテラの灯りが連なって、人の行列が見える。アレウスも自身のカンテラを頼りに、そして足元を確認しつつ行列に加わる。男たちはアレウスの出で立ちを見て怪訝そうな顔をするものの、ボルガネムの外套を上に着ているおかげですぐにそういった視線が向けられ続けることはなくなった。
「巡礼者よ、礼拝は初めてですか?」
「……はい」
「異国の地よりよくぞこの聖地へと参られました。私たち信徒も巡礼者の更なる成長と発展を願っております」
こんな会話が行列の最中に何度も続いた。話しかけられるたびに『巡礼者』と言われてしまうが、これは恐らく他国からやってきた者たちを総称している。神官や僧侶を追い出している割に、異教徒かもしれない者たちを巡礼者と呼んで祝福する。なかなかに歪んだ思想である。
「ようこそ、巡礼者よ。礼拝へようこそ。我々はボルガネムの信徒にして、聖女様の礼拝を守り通す者。失礼ではございますが、これは全ての信徒に行っていることですので、少しばかり検めさせてもらいます」
大聖堂に続く一本道の入り口付近に立っていた男たちに止められ、衣服の検査が行われる。
「こちらは?」
「夜道は危ないので護身用に。折って捨てろと仰るのであればそうします」
武器や荷物は部屋に置いてきたが、護身用にナイフだけは持っていたため検査に引っ掛かってしまう。
「身を守るために持つことは悪いことではありません。特に巡礼者であれば、常に気を張るのも必定。あなたに罪はありません。しかし、やはり刃物は命を守るために命を奪う選択を強いてくる物。こちらで預らせていただきます。お帰りの際にお申し付けくだされば、返却させていただきます」
「いえ、そのまま破棄してくださって構いません。仰る通り、刃物は命を奪う選択を強いてくる物です。護身用とはいえ、ここに持ち込むべき物ではなかった。真に、信徒の方々を信ずるのであれば尚のことです」
「おお、素晴らしきお言葉。あなたのような巡礼者を我々は歓迎いたします。あなたに聖女様の祝福があらんことを」
手に握っている錫杖が地面を打ち、シャンッと綺麗な金属の音色が響く。
ありもしないことを言ってしまったな、とアレウスは思いつつもどうにか検査を乗り越えて一本道の行列の流れに従うように進む。
大聖堂は見上げれば見上げるほどに巨大である。あまりにも見上げすぎていると眩暈すら覚えるほどだった。その入り口で再び、検査を受ける。大聖堂で働く者なのか、それとも聖女が選んだ信徒たちで構成される警備隊なのかは分からない。そしてその検査を抜けると大聖堂内部で礼拝に来た者たちを左右で挟むように通路に信徒たちが並び立ち、同じタイミングでシャンッと錫杖の音色を響かせる。
入り口から続く通路は五人ほどが並べて歩ける程度の広さだったが、通路を抜けると一気に広大な空間へと繋がっていた。さながら空にでも放り出されたのではと思うほどの前後左右の広さと、見上げれば遥かに遠い天井がある。その奥の奥には聖女が現れるのであろう壇上があり、信徒たちは長椅子に座っている者もいれば、絨毯の敷かれた床に直接座っている者もいる。
五体投地する者、両手を握り合わせて目を閉じる者、合掌する者、願いを捧げるかのようにブツブツと呟き続ける者。拝み方は人それぞれではあったが誰もが信仰心に溢れている。大きな香炉が複数ヶ所に接地されており、全体的にやや煙たいと思うほどの香りが漂う。
「お香を浴びることで体に纏う邪気を払いましょう。聖女様がお見えになられるまでに、その身は清められなければなりません」
香炉の管理をする者が信徒たちへと言葉を投げかける。拝む信徒たちは漂うお香の煙を座ったまま両の手を広げ、浴びている。なんとも怪しげな雰囲気でしかないのだが、アレウスも礼拝に来た以上はそれに倣う。
ニィナの姿をそれとなく探す。信徒の数が多すぎて見つけることはできそうにない。ならば気配で追うかとも考えるが、一年以上会っていない彼女の気配は追えない。昔と気配の質は変わっているはずであり、そしてニィナが気配消しの技能を習得していたならば感知の技能で追うことは不可能に近い。
「前を向いたまま話を聞け」
背中から声を掛けられ、アレウスは振り返りかけたが声の主の通りに前を向いたまま首を縦に振る。
「外套を着てはいるが、その下の衣服からして他国の者だろう? だったら協力してほしい」
首を横に振る。
「一年ほど前からボルガネムは、いや連合は大きく変わってしまった。それ以前からエネルギー革命によって連合は大きく変化を始めていたが、一年前のそれは常軌を逸している」
「だから?」
声を発していいものかどうか悩んだが、小声で言葉の続きを求める。アレウスになにかしら危害を加えてくることがないところをみると、後ろの人物は自身を狙ってきたわけではないようだ。
「以前から奴隷を受け入れている国ではあったが、一年前に誰もが奴隷を持つことが許されることになった。いや、一部の上流階級の者たちから一気に奴隷の売買が盛んに行われるようになった。なら、その奴隷は一体どこからやってくるのか。簡単だ。連合のありとあらゆるところからさらってしまえばいい。もしくは汚職に手を染めた者たちを、その家族を問答無用で奴隷に落とす。そうやって供給源を作り、さも需要があるかのように上流階級たちはこぞって奴隷を購入した。この流れによって、一般家庭においても奴隷を買うのが当たり前という価値観を潜在的に植え付けた。たった一年で、だ」
「他国から来た僕になにをさせたい?」
「聖女を殺す。俺が動いても無反応を貫いてくれ。周囲は協力者で固めたつもりだったが、列の並びを崩されてしまってお前だけが協力者じゃなくなってしまった」
「……本当にそれだけでいいのか?」
「ああ、それだけで構わない。疑いを掛けられても素知らぬ顔で逃れろ。俺と話したことは隠し通せる」
聖女の暗殺を企てているようだが、どうにも成功するとは思えない。
「俺はこの国に妻と息子を奪われ、奴隷として売られてしまった。ようやく見つけた妻は死に体で、息子は両足を折られて生涯歩けなくされていたばかりか、俺のことさえ分からなくなっていた。もはや失うものはない。こうなった元凶を、その首魁をこの手で切り裂く」
言葉は憎悪に満ちている。アレウスの言葉では止まらないだろう。ならば好きなようにさせるしかない。ここで逆らえば騒ぎになるだけでなくアレウスに嫌疑が掛かる。逆らわずとも嫌疑が掛かるかもしれないが、一切合切を知らなかったと貫き通すことはできないこともない。
ふと視線を向けた先の信徒を見やる。
「……駄目だ」
『審判女神の眷属』を忘れていた。入り口では検査だけで済んだが、大聖堂内で騒ぎが――それも聖女の命を狙った事件が起こったとなれば信徒全員が『審判女神の眷属』によって衣服や持ち物ではなく発言を調べられてしまう。
アレウスは聞いてしまった。もう嘘は言えない。しかし嘘を言わなければアレウスは聖女の暗殺に加担したことになる。
「無視できない」
「なぜだ? 俺が殺しに行くだけで、お前は騒がないだけでいい」
「それが協力になるのなら、僕は罪を着せられることになる」
「だから聞かなかったことにしてくれればそれで構わない」
この男は『審判女神の眷属』を知らないのだ。だからこうやってアレウスに協力を求めてくる。もしもその存在を知っていたならば、こんな無謀なことに他人を巻き込むことはしなかったはずだ。
逃れる方法を考える。しかしながら、どれだけ考えても答えは出ない。『審判女神の眷属』の言葉から逃れる術など初めからないのだ。礼拝には信徒となるべくして来たわけではない。ただニィナの捜索を行おうとしただけだ。なのに、状況が非常に悪い。
「僕を巻き込まないでくれ」
アレウスはそう言って立ち上がろうとするが、背中に刃物の切っ先が当てられていることが分かって、ゆっくりと座り直す。
「もう後戻りはできないんだ」
場所を変えれば或いは、とも考えたがどうやらそんなことすらさせてはもらえないらしい。
「こんな衆人環視の中で殺せるとでも?」
「聖女は祀り上げられただけの女だ。殺されるとも考えてはいないだろう。だから、殺せる」
滅茶苦茶な作戦である。そもそも信徒の前に現れるのは聖女が自身に危害を加えられないと確信しているからだ。そのことにすら頭が回らないのであれば、後ろの男の作戦は失敗する。
「静粛に! 静粛に! まもなく聖女様がお見えになられます! 静粛に!」
錫杖を振って、複数の金属音が何度も何度も大聖堂内部に響き渡る。銅鑼が鳴り、その音色が途絶えれば信徒たちの衣擦れの音だけが残る。
竪琴が奏でられ、その美しい音色に合わせるようにして壇上の奥からゆっくりと法衣を纏った聖女とおぼしき女性が姿を現す。こういった命を狙われる可能性のある人物は顔を知られるべきではないはずだが、顔を隠すような布は一切なく、派手な化粧をした妖艶な女性は壇上に備えられた自らのための椅子に腰掛ける。
ヘイロン――ではない。ニィナ――でもない。かと言ってアイシャでもない。アレウスが知る誰でもない。イェネオスの言葉から一瞬、ニィナが聖女の影武者にでもされているのではと疑ったのだが、どうやら違ったらしい。
「余の声が聞こえるか、信徒の者ども」
高圧的で、それでいてどこか艶めかしい。アレウスは姿ではなく、その声で正体を看破する。
聖女ではない。『不死人』の女である。彼女の容姿と壇上に座る女は全く違えども、確信があった。
「今日は聖女の体調を鑑み、余が聖女の言葉を信徒の者どもに伝えに参った。それと言うのも、」
「死ねぇええええええ!!」
後ろの男が立ち、手にナイフを握り締めて信徒たちの隙間を通り抜けて正面から壇上へと飛び乗る。
「聖女の命が狙われておると星辰のお告げがあったようでな。なに、ワラワ――ではなく余は聖女の命を守るために信徒の者どもの前へと現れることを決意したまでのこと」
振り下ろされるナイフに視線の一つも向けずに『不死人』の女は続ける。男のナイフは女に突き立てられることなく、警戒していた信徒の錫杖によって遮られる。
「貴様が! 貴様たちが聖女などと祀り上げて!! 俺の家族を!!」
「知らん知らん。余は一々、信徒の一人一人の生き様などに目を向けられん。今のは聖女の言葉ではなく、聖女より信を得ておる余の言葉であるぞ? 聞き間違えられては聖女になんと言われてしまうか分かったものではないからな」
礼拝を行っている信徒たちに動揺の色は見られない。
「これで何人が聖女の命を狙って喚き散らしにきた? そのたびに余が聖女のために身を挺さなければならん。信徒の者どもは余ではなく聖女の姿を、そして聖女の言葉を待っておるというのに」
退屈そうに欠伸をして、捕まった男にはやはり目を向けることはない。
「本物の聖女はどこにいる?!」
「教えるわけがなかろう。これから死に行く者に教えることは面倒事よ」
真横から放たれた矢が男の脇腹に刺さり、そしてその刺さった部位から金属質に硬化していく。男は悲鳴を上げ、自身に起こっていることに激しく混乱するが、全身が金属に包まれ切ってその悲鳴も掻き消えた。
「男女問わずこのように像になりたがる者があとを断たん。努々、忘れるでない。聖女の命を狙えば逆に命を刈り取られる。今回は像で済ましたが、八つ裂きや圧死もあり得る」
像になってしまった男を錫杖を持った信徒たちが抱えて大聖堂の奥に消える。
「聖女は絶対的存在であるがゆえ、常々に命を狙われる。聖女の声を聞きたければ、必ず先ほどの者たちを排除せよ。徹底的に、払い除けよ。さすれば聖女が安心して信徒の者どもにその言葉を届けることができる。余のような紛い物が伝える言葉ではなく、清らかで美しいその声音でそなたたちを潤し、満たしてくれることだろう」
女が顔を拭う。たった一度、拭っただけでその化粧を落としたというよりも顔が、なにより体付きが変わる。
「では聖女からのお言葉を告げる。『世界を連ね束ね合う連合のために、身を粉にして働き続ける我らが信徒よ。より一層に邁進せよ。我らが心を束ね一つとなれば、帝国と王国も薙ぎ払えましょう。この戦争の勝者は我らが連合。そう、かつて連邦を攻めてハゥフルの国を落としたときのように、私たちは心すらも束ねれば戦争に勝つことは難しくないのです。ボルガネムの信徒たちはこのまま兵器の開発を続けなさい。ボルガネムに訪れし巡礼者の方々は、自らの国に訴えかけてください。これ以上、血を流さないためには連合に領土を明け渡すことであると。でなければ緑地は焦土と化し、住まう者たちは亡者と化してしまうと。抵抗すれば奴隷となり、地位も名誉も失われると』。以上が聖女からのお言葉である。これより、聖女を謳うための合唱へと移る」
『不死人』の女が暗殺を目論んだ男がやって来た付近を――アレウスを見やる。仄かに嗤い、そして長く伸びた爪でこちらを指差す。
「合唱の前にあの者どもを捕らえよ。像になりたがった者の協力者のようじゃ。きっと奴隷になりたくて参ったようじゃ。しかし、異国の地より参られたあの青年は捕らえんでもよい。巻き込まれただけじゃろう、『審判女神の眷属』による審問もせんでよい」
アレウスを除く周囲の十人単位の人物たちが一斉に蜂起して『不死人』の女の元へと駆け出すが、その誰もが矢に射抜かれて倒れる。金属化することはなく、射抜いた部位から単純に動けなくさせただけのようだ。
「異国より参られたというのに、こんなところを見せてしまったのは恥じゃ。そこの青年に限らず、巡礼者の者どもには手厚い加護を与えよ。明日、また参られよ。そのときには余ではなく聖女が行う本来の礼拝を見せられるじゃろう」
視線は完全にアレウスに向いている。それを知った上でアレウスもまた決して視線を外さない。距離はあれど睨み合い、やがて『不死人』の女が仄かな嗤いを確かな嗤いへと変え、喜ぶように天井を仰ぐ。
手は出せない。動いてもならない。合唱が始まったが、この隙に逃げ出すのもかえって目立つ。ほぼ名指しされたようなものだから、信徒たちには監視されてしまっている。
「金属……そして、矢。あの矢を放ったのは……ニィナ、か?」
矢が放たれた方角には誰もいない。あのとき壇上に向かう男ではなく矢が放たれた方向を見てさえいれば、射掛けた者の正体を暴けたかもしれない。だが、そもそも矢が放たれるなどとは想像することさえできなかった。あのときアレウスは男を『不死人』の女が始末すると思ったのだ。それぐらいの実力も残虐性も持ち合わせているから、爪で八つ裂きにしてしまうのだろうと。
しかし、自らの手で殺すことはせず――死んだのかすらも分からないまま金属の像に男は変わってしまった。
「星辰……エルフの巫女だけでなく、連合の聖女も詠めるのか」
そうなると、出し抜くことは命懸けとなる。星辰で予知されるということは、さっきのように事前に備えられるからだ。
「いや、別に聖女の命を狙っているわけじゃない」
聖女に関わらず、矢を放った者を探る。きっと一筋縄にはいかない。『不死人』の女を守るために放たれたのであれば、彼女たちは繋がり合っているからだ。
いつから矢で粛清が始まったか。それで分かることもあるだろう。
響く合唱の中で、『不死人』の女がなにかしでかすのではないだろうかとアレウスはジッと彼女を睨み続けた。




