古の地とは程遠く
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ここにはなにもない、命さえも――
こんなところに居続けていても、なんにもならない。だから、外に出るんだ。こんなところで死にたくないから。こんなところで生き続けたくなんてないから。
そう、逃げられるならどこだっていい。助かるのなら、なんだってする。なんだってしなきゃならない。
「酷い怪我……一体、誰に?」
女性の声がする。
「いいえ、それよりも早く手当てをしなきゃ」
温かな手が私の体に触れている。
「安心して、これぐらいの傷なら時間は掛かるかもしれないけど治るわ。行き倒れ……よね? そうじゃなくても助けるんだけど」
「あなた、は……?」
「あたし? 私は……いや、自己紹介なんてしている場合じゃないから」
私の体を起こし、彼女は私を背負う。
「近くに私が暮らしている村があるの。そこで手当てをして、ゆっくり休んで、落ち着いたらちゃんと話をしましょう?」
そう言って、彼女は歩き出す。
とても温かくて、こんな人間もいるんだなと感動した。
だから、
だから、
だから、
人間になりたくなった。
いいえ、
人間にならなきゃならなかった。
助かるのなら、なんだってする。
なんだってしなきゃならない。
そう決めたのだから――
*
救い出した商人と旅人からなにかお礼をと言われたが、今後の活動に弊害が出そうであったため断った。商人からせめてこれだけは、と無料でロザリオを渡された。『悪魔』からの襲撃から身を守るいわゆるお守りのようなものだが、魔人に対してその効力はほとんど無いに等しかったため本当に効果があるものかは分からないが、このお礼まで断るとまたどこかで再会するようなことがあったときに気まずくなってしまうだけでなく値切りが難しくなってしまうので貰っておいた。
それから四日経って、野宿や近場の街を経由しつつ聖都までの道を進んだ。また魔人に襲われるのではという不安もあったが、あの村以降で立ち寄った街は奴隷が常々に目に入ること以外はいたって普通の景色だった。闇夜に襲撃を受けることもなく、そして街道沿いで魔物が現れることもなく、聖都までの最初こそ転びかけたがその後は順調と呼べるものだった。
「祓魔の術は神官や僧侶なら簡単に習得できるものなんじゃないのか?」
聖都までの道のりの最中、アレウスはジュリアンに訊ねる。祓魔の術に助けられてきたことはあってもその全容について調べはしてこなかった。そして、どうしてアベリアやジュリアンが習得できないのかが疑問だった。
「血筋が関係しています。両親のどちらかが神に仕える者だったなら素質が無条件であります。あとは先代、先々代の頃から神への信仰心が厚く、子もまた信仰を捨てていなければ、こちらも習得条件を満たしています。でも僕はアレウスさんたちと同じように神への信仰心は薄いので」
「だから私も祓魔の術は技能習得できなかった」
二人の説明を受けて、ヴェインやアイシャが習得できていることに納得する。特にヴェインは初めて『悪魔憑き』と対峙したときにごく自然に、当たり前のように祓魔の術を使っていた。彼の家系はそれほどまでに信仰心が高いのだ。
「クルタニカに教えてもらおうとしたんだけど、無理って言われた。クルタニカも習得はしているけど特効じゃないって言ってた気がする」
「『審判女神の眷属』だったアイリーンとジェーン並みの威力にするには相当の信仰心がないと駄目なんだろうねぇ。ヴェイン君もクラスアップを繰り返せば、いつかはそれぐらいまで達するんだろうけど」
そう言ってクラリエは前方に見えてきた都市に視線を向ける。
「ドワーフの里かと見まごうほどに、凄まじいな」
言葉の出ない彼女の代わりにガラハが感想を述べる。
山を切り開き、自分たちの住む環境だけを整えたのちは山と共に生きる。それがドワーフの里である。鉄板、鉄筋、その他多くの鉱石を用いた里の土台は固く、また里を守るために築かれた外壁も強固である。そして鍛冶屋が軒を連ね、毎日のように蒸気が漂う。
見えてきた都市もまた空に蒸気や煙を漂わせ、周囲一帯が相応の熱気に満ちている。しかし、ドワーフの里のような小さな範囲ではなく、都市と呼ぶほどに広大で、それでいて巨大である。
「聖都と呼ばれているから古臭い街並みなんだろうなと思っていたんだが」
これでは蒸気都市だ。それも帝国が使ったことのないエネルギーを用いて、生産業が活発に機能していると思われる。遠目に見てもなかなかに異質であるが、近付けば近付くほどに異様な光景にすら思えてしまう。
「ねぇ、なんか周りに変なのがない? あれってなに? なんか、ちょっと怖いんだけど」
そう言ってクラリエは常に強い警戒心を抱いている。警戒心も緊張感も持ち合わせているべきだが、彼女の場合は過度で聖都に入ってからも続けていればその内に疲れ切って倒れてしまいかねない。
「鉄の塊……とは言えないな。オレもあれがなんなのかまでは分からない」
ガラハが見たこともない鉄塊に興味津々であったが、近付く気は起きないらしく街道から逸れることなくただ遠くから眺めるだけに留めている。
「近くで見ないのか?」
なのでアレウスは少し時間を割いてもいい旨を彼に伝える。
「いや……近付きがたいものを感じる。殺気ではないが、近付いてはならない代物だ。街道から逸れるのはやめた方がいいだろう。あれはただの鉄の塊ではなく、連合が作り出した聖都を守る兵器とやらだろう」
忘れかけていたが、連合には兵器が備わっている。ヱレオンが持っていた筒状の物体から弾丸と呼ばれる物を発射する『銃』もその一つだ。ヱレオンにとってあれは自身が持っている呪いの矛先を指定するための代物で、指向性が極めて高い。連合から国境を越える際には呪いを込めないでそのまま弾丸を放ってきた点から、彼は『銃』の本来の扱い方も心得ているのだと分かる。
ならば連合寄りの森に暮らしていたエルフなのだろうか、などと今更ながらに彼の素性について分析しようとしたがすぐにやめる。なにもかもが遅い上に邪推である。再び会うことがあったときにでも思い出し、その腹の内を探りに行くぐらいの感覚で構わないだろう。
分析するならば、この街道沿いに置かれている鉄塊についてだ。一体どんな兵器なのか。ガラハが近付くことを怖がり、クラリエは警戒を解けそうにない。そんな危険な代物なのだろうか。侵入者へ絶対の強さを誇るような兵器なのだとすれば、聖都の門を潜る際には失態は晒せない。
「なるべく離れないでおこう」
現状、アレウスが言えるべきことはそれだけだ。仲間も賛成するかのように誰もが付かず離れずに位置で街道の中心付近を歩き、聖都の門前で立ち止まる。
警備兵と恐らくはその奴隷の計十人が近付いてくる。手には形こそ違えどエレオンが持っていた銃のような物を握っている。帯剣もしており、殺気や殺意を見せればそれらでもって制圧に掛かることは容易に想像できる。
「ようこそ聖都へ。巡礼者の方々ですか? ここまでの長旅、ご苦労様です。疲労困憊のところ申し訳ありませんが、なにかしらの身分を証明する物はございますでしょうか?」
「これでよろしいでしょうか?」
アレウスはリスティから渡され、検問で検閲を受けた依頼書を警備兵に渡す。
「…………確かに」
警備兵は丸められた依頼書を眺め、開くことなくアレウスへと返す。
「中身は読まれないんですか?」
「ええ、検閲済みと書かれているので問題ありません。巡礼者の皆様方のプライバシーに関わる物を二度も見てしまうわけには参りませんので」
依頼書を受け取り、アレウスは鞄にそれを戻す。その間に警備兵が奴隷になにやら視線で合図を出し、奴隷が門扉を備える砦へと入った。
「巡礼者の皆様方、しばしお待ちくださいませ」
門扉から離れるように促されたため、従うとその数分後に蒸気が発せられ、ヒューマンだけの力ではとてもではないが開くことはないだろう鉄製の門が上へと吊り上げられ、開かれる。
「どうぞ、聖女の住まう都で新たなる境地に至りくださいませ。我らボルガネムの使途はあなた方を歓迎いたします」
促されたため、アレウスたちは門を潜り抜けようとする。
「ああ、そちらの方々は少しお待ちください」
「私?」
「僕ですか?」
「この地では聖女のみが信仰対象。異国の地の信仰を貶める地は毛頭ございません。しかしながら、異国の信仰を覗き見るのであれば、我らが信仰に相反する外套はお控えください」
アベリアとジュリアンの外套が咎められる。二人とも神への信仰心は低い方であるのだが、アベリアはナルシェへの敬慕から、ジュリアンは恐らくは師事している男に言われるがままに外套を身に付けている。そのどちらもどこの教会に所属しているかを示す者ではないのだが、一応ながらにロザリオが意匠として備えられている。決して目立つところや大きさではなく、極めて小さな意匠であるのだが警備兵はそれを見逃さなかったようだ。
「没収ではないんですよね?」
「巡礼に来られた方々の物を奪うなどあってはならないことです。脱いでいただければ、それで構いません。ただ、ボルガネムでの着用はお控えください。また、意匠についてもなるべく見えないように畳んでいただけると幸いです」
ここで事を荒立てる気はない。アベリアもジュリアンもアレウスに判断を委ねてくるが、特別扱いはされないだろう。
「従おう。そうしないと入ることもできない」
「それどころか私たちはお二人を捕まえ、異端審問に掛けなければなりません。どうか、ご容赦を」
神への信仰心を見せるだけで重罪だというのはやり過ぎなのではないか。しかし、警備兵は引き留めるばかりか警告もしてくれている。あまりにも罪が重すぎるが、避ける方法を提示してくれるだけありがたいと思わなければならない。
諦めてアベリアとジュリアンが外套を脱ぐ。村での一件があってからジュリアンは特に目深にフードを被っていたので、久しぶりに晒される彼の容貌は警備兵たちの目を留まらせる。無論、アベリアの美貌も晒されることになり、そちらにも視線は向く。
「なんと美しい。このような方々が我らの元に訪れてくださるのも、聖女様の教えの賜物に違いありません」
妄信が過ぎるが、二人が外套を畳み終えると警備兵はもはやなにも言うことなく、奴隷も虚ろな目で焦点がどこに向いているのか分からないままに棒立ちとなり、アレウスたちは開かれた門を通り抜ける。
蒸気が再び発せられ、吊り上げられた門がゆっくりと下げられて閉じられていく。
「人の手で吊り上げているようには思えなかったよ」
「人数的にできそうになかったからな」
クラリエはアレウスと同じように感知の技能で人数とその居場所を掌握していた。時間さえかければ可能かもしれないが、その場にいる人数では短時間で門を吊り上げるのは不可能だ。
「それにしても……なんだ、この臭いは?」
ガラハが鼻を摘まみ、嫌悪を示す。
この臭気は以前にリスティがサンプルとしてアレウスたちに見せてきた揮発油のそれに似ている。ただし、そこかしこで蒸気や熱気が噴出しているところを見ると、火気はあっても引火までは至っていない。もしかしたら燃焼によっても特有の臭気を発しているのではないだろうか。
「体に害があると思う?」
「長居すると確実にあるとは思うが、そんなことをここにいる人たちは聞く耳を持たないだろうな」
「だよね。臭いにはその内に慣れるけど、ここで毎日を過ごしていたらいずれは体調を崩しちゃいそう」
どうやらクラリエもガラハと同様にこの臭いを極めて嫌っているようだ。
蒸気都市にして聖都、ボルガネム。どうにかその内部に入り込むことはできたが、見慣れない景色ばかりで目が回りそうになる。不思議な機械がピストン運動を行って機械を動かし、なにかを生産している。そこまではなんとなくで理解できるが、なにを生産しているかまでは傍目からでは分からない。人の手がその後に加わるのか、それともそのまま機械に委ねられて完成するかも定かではない。
あちらこちらにある露店では巡礼者として訪れた者たちへの土産品だけでなく巡礼用と思われる装飾品が並ぶ。店舗には料理屋、宿屋、食品店、その他諸々の雑貨屋が入っている。
極めて普通である。ただしここでも奴隷の姿が目立つ。まともな格好をさせてはもらえておらず、場合によっては立っているのではなく四つん這いのまま獣のように過ごすことを命令されている者もいる。
「どこにも聖地と呼べそうなところは見当たらないんだが」
聖都と呼ぶのであれば、当然ながらここは聖地と呼ぶべき場所に違いない。こういった信仰の拠点となる場所は大概が古風さを残す。古より続く歴史を後世に残すため、余計な手を加えることをよしとはしないからだ。だが、このボルガネムには古風さと呼ぶべき景色がない。どこもかしこも蒸気と熱気にまみれ、特有の臭気を漂わせているだけでなく、立ち並ぶ建物はどれもこれもに鉄が使われている。主にレンガ造りである点は古さがあるかもしれないが、その土台や支えには鉄板も鉄筋も含まれており、どこを見渡しても古き良き建物は見当たらない。
「聖地じゃないんじゃない? 要は勝手にここを聖地と決めて、聖都と呼んでいるだけ。その可能性だってあるよ」
神樹信仰を主とするエルフの世界を知っているクラリエですらそのように言い放つ始末である。ここにはどこにも古さはない。あるのはエネルギー革命によって急造され続けた建物だけ。
それを決定付けるのがボルガネムの中心だろう場所にある大聖堂である。高尚な色とも呼ぶべき白レンガが多分に用いられ積み上げられて完成したのだろうことは見受けられる。しかし、その古風さは一部でしかない。大聖堂として成立している三割にも満たない部分にしか見えず、残りの七割は鉄の柱や鉄板によって支えられている。いや、これは残っている三割の古さを支えているのではなく作り替えようとしている。数年も経たない内にアレウスが見上げる大聖堂はその全てが鉄を主に使ったものに置き換わるに違いない。
「金属加工技術が凄まじいな。あとは、この地面はなんだ?」
地面は街道以上に整地されている。黒に近い砂利のような物で覆われ切っている。雨ざらしになっても、整地されていないところ以外はぬかるむこともないだろう。
「砂や砂利を固めれば出来る物……ではないようだが」
ガラハは地面を覆っている黒い砂利のような物に手で触れる。触れても指先のどこにも砂利は付着せず、多少の力を加えても崩れることさえしない。
「強度があるな。ドワーフの里でもこれができたなら、わざわざ鉄板を敷き詰めなくとも良かったはずだが」
「総じて技術力の高さを感じますね。ここに来るまでのどんな村や街にもなかった異質さを感じます」
「連合の技術を全部、この聖都に注ぎ込んでいるのかな。でもさ、こんな風に技術を投入するには人員だって…………なら、そういうことだよね?」
聖都におけるあらゆる建設に奴隷が関わっている。そう捉えてもおかしくない。そしてその数はアレウスたちの想像をはるかに超えている。もう見て見ぬフリができないぐらいには奴隷市場が整っており、その傍らでは巡礼者たちだけでなく民衆たちを惹き付ける処刑が執り行われている。処刑上の近くにある建物は裁判所だろう。まともな裁判が行われているかは知るよしもない。
「アレウス……」
「関わっちゃならない。関わったら最後まで関わらなきゃならない」
そうアレウスは異界で教わった。アベリアがどれだけ奴隷を助け出したいと思っていても、その行為がこの都市においてどれほどの罪になるかは想像に容易い。
「でも、酷すぎるよ。どうしてこんなに奴隷の数が多いの?」
「まずあり得ないよねぇ。数が数だけに、どこから仕入れているのかも分かんないし」
連合の奴隷の数の多さは異常だ。連合はどこもかしこも異常なことだらけで感覚が麻痺しそうになる。一体、なにをどうやればこれだけの数の奴隷の売買が可能になるのだろうか。国を滅ぼして得られる数にも限度がある。捕虜をそのまま奴隷にはできるわけがなく、滅ぼした国の民衆を奴隷にしようにも多くは将来を悲観して自害する。無垢な少女や少年ばかりでは力仕事には耐えられない。にも関わらず、ここには老若男女問わず取り揃えられている。
「数を増やせば協力するようになる。そういった比率を考える頭もないのか、ここのヒューマンたちには」
奴隷の人口が増えれば結託を招く。その結託は国家を転覆させかねないほどに強固な物にすらなってしまいかねない。言うなれば不穏分子。手荒な扱いを受ければ、相応の報復心を宿らせる。だからこそ、人数は一定数で管理し切らなければならない。
もしやボルガネムの奴隷は結託する力すら、そんな思考すら奪われているとでも言うのだろうか。
「ギルドを探そう。依頼書を渡せば身の安全は保障されるはずだ。どこぞの村みたいな危険性がこの都市にないのなら」
「探すにしても随分と骨が折れそうだねぇ。手分けする?」
「固まっていた方がいい。ギルドの後ろ盾がないと動きにくい。巡礼者として受け入れてくれたが、なにをすれば重罪になるかも定かじゃない。そういったところを教えてもらわないと」
「特に僕やアベリアさんは注意しないといけませんね。もしかすると回復魔法ですらこの都市では罰せられるやもしれません」
巡礼者の都市に紛れ込んだ異端者として捕らえられることはどうしても避けたい。
「それに、もしかするとここでエイラたちと合流できるかもしれませんよ」
先にボルガネムに訪れているのなら、この都市の異質性について教えてもらえるだろう。
「それじゃ、大聖堂を中心に時計回りで歩いてみよう」
観光気分にはなれないが都市の広さと立地を知るためにも見て回る。あとは地図の購入だろう。念には念を入れ、もしギルドが見つからなかった場合はどうすべきかをアレウスは漠然とではあるが考えることも始めた。




