どんなところよりも危険な国
【魔人】
『悪魔憑き』を第一段階とするなら第二段階に属する。第一段階では『悪魔』と人間の契約が成立しており、交流が行われる。『悪魔』が補佐し、人間が殺人を行う。このとき、あくまでも契約した人間側の意思が尊重されており、人間が人殺しを拒むのであれば『悪魔』は基本的に人を殺せない。契約主の死亡に伴い、肉体から魂が喪失するためそこに『悪魔』が入り込むことで主体性を獲得する。
魔人は殺人を繰り返すことで『悪魔』が契約主を裏切り、その肉体に入り込んで主体性を奪った状態である。このとき、契約主は『悪魔』と契約したことも、自身に『悪魔』が入り込んでいることさえも分からなくなるようにロジックに更なる改変が行われる。そのため主人格に対して別人格として『悪魔』が活動していることさえ知らない。
魔人は夜を基本として活動する。夜は最も人の恐怖が募り、人の暴力が集い、人の強欲が露見する。負の感情を吸収することにおいて夜の方が都合が良い。
肉体と主体性を確保しているため、『悪魔』の意思で人を殺せる。そもそも人を殺すのは、死が一番の負の感情を生み出すことを知っているため。死を享受している者、生きることに悲観している者もいるが、そういった人間からは人生に対する絶望感を吸収しているため、魔人にとってはどんな精神状態の人間であっても殺すことは変わらない。興味を湧くこともない。なぜなら既に自在に動かせる肉体を確保しているから。使い魔として使役するために別人と再契約を交わすこともない。
魔人となると、『悪魔』が表面化した際に肉体が変貌する。主に骨格の変化、筋肉の上昇、蝙蝠のような翼が生える。契約主に肉体を返した際にこれらは全て元通りとなるが、全ての変化は契約主の命を削って行っている。この寿命が尽きた瞬間、魔人は第三段階に移る。俗に言う『悪魔』の完全なる顕現化である。魔の叡智に触れられなかった者たちも、なんとなくで視認していた『悪魔』の存在を、魔人やその次の顕現化した『悪魔』においては完全なる視認が可能となる。
討伐においては殺人とみなされる場合もあり、冒険者はギルドの許可が下りない限りは手を出し辛く、祓魔の術を使える神官や僧侶による悪魔祓いが求められる。しかしながら、『悪魔憑き』より次の段階に移ってしまっているため、祓ったところで結局のところ『悪魔』と契約した人間は死んでしまう。
超人的な身体能力及び、魔法とは根源を同じとしながら異なる詠唱を行うことで魔力の価値を引き上げており、単純な魔法でありながら威力が極めて高いことがある。
*
「分かっていると思うが、オレたちに祓う力はないぞ?」
「だから時間稼ぎだ。この村に泊まっている旅人と商人を連れ出して、僕たちも逃げ出す」
ガラハの忠告は重々承知していることを示すために返事をする。魔人は『悪魔憑き』の次の段階であり、霊的存在にも等しかった『悪魔』が受肉しているため、魔の叡智に触れていないガラハにもその姿を視認することができる。それだけでもまだマシだと考えなければならない。ここでガラハが前線を張れなかったなら、宿屋の商人たちを諦めなければならないところだった。
短剣に火が灯る。アレウスが握ったことに反応して剣身が自然発火しているだけで、まだ気力を込めているわけではない。戦闘が行われることを武器が理解する。そんなことがあるのかは分からないが、少なくともアレウスの握る短剣は戦う準備を始めている。
その短剣の灯火が眩しかったのか、魔人の周囲を取り囲みつつあった村人たちが狼狽え、目を覆っている。闇夜に暗躍する魔人に魅せられた者たちも、相応に光の輝きに弱くなっているのかもしれない。
「以前に戦った『悪魔』はもっと理知的――いや、理性的というか知性があったように思えたけど」
囁きに乗った少年を諭し、己自身を苦しめた大人たちを殺すように促していた。それに比べて、目の前の魔人の語りはどこか狂気的で、なにより知性の薄さを感じざるを得ない。とはいえ、どちらであっても祓魔の術を持たないアレウスたちには太刀打ちできない存在だ。
だからこそ、時間を稼ぐことに重きを置く。最初からその方針にさえ定めておけば、耐えることは難しくない。そのように考えるしかない。
「始めよう、ケダモノの宴を。人間を貪り喰らう狂宴を。食べたい食べたい食べたい食べたい! 早くその肉を! その臓物を喰ラワセロ!!」
魔法の詠唱ができない、技能も使えない。だが、詠唱封じについては宿屋の主人がアレウスたちを拘束した際に発動していたが、技能封じは魔人と化してからだ。なぜならクラリエの『空蝉の術』も調合術も宿屋の主人であったときにはちゃんと使えていた。つまり、詠唱妨害の奴隷は宿屋で見た人物に違いないが、技能妨害を行っている奴隷は魔人が現れてからその効果を発動させているため宿屋付近にはいないと考えられる。魔人に反応してからなのか、それとも魔人に呼応してなのかは分からない。しかし、奴隷は魔人の出血に反応して村中から飛び出してきた。ならば、それが発動のトリガーであったと考えるのが妥当だろう。
「詠唱封じや技能封じを見つけたとしてどうしますか? 殺すんですか?」
ジュリアンの問い掛けに答えたいところだったが、魔人は真っ先にアレウスへと突っ込んできたため、爪撃を受けつつも仲間たちから大きく離れるように動く。こうしなければ魔人の攻撃に仲間を巻き込んでしまう。
「こっちを向け」
アレウスへの攻撃を続ける魔人に対し、背後からガラハが斧を振るう。
「肉、肉、肉!!」
「肉を喰いたいならオレを殺してからに、」
「ガラハ! それは『悪魔』が用いる詠唱だ! 肉を求めているわけじゃない!」
「もう遅イぃいい!!」
ガラハの頭上に肉塊が落ちる。人肉なのか獣肉なのか、はたまた全く別の肉なのか。その正体は判然としないが、とりあえずアレウスはそれを肉と認識した。認識した以上、それは肉塊である。そして、落ちた肉塊はガラハを潰すには十分なほどの大きさを有していた。魔人の振り向きに対応を余儀なくされていたガラハは避けることができなかった。
「まずは一人目ぇええ! 喰え、喰え、喰らえ!!」
肉塊に村人たちが我先にと攻め寄せてくる。その異常な光景にアレウスどころか他の仲間たちも呆然とし、行動することが意識から落ちる。
「悪いが、こんな肉ではオレは殺せない」
肉塊が内部で起こされた妖精の粉による爆発で四散する。その破片を求めて村人たちが追いすがっていく。
「あぁああ、鬱陶しい! 鬱陶しい! 食べ物は食べ物らしく、食べ物のように振る舞えばいい!!」
血肉塗れになっているガラハを見て魔人が子供の癇癪の如く叫び、突撃する。斧で激情に駆られた攻撃を凌いではいるが、技能封じを受けているがゆえにいつも通りの立ち回りができていない。
「まさか、常時発動型の技能も封じられているのか……?」
アレウスで言うなら短剣術、ガラハならば斧術のような経験を積むことによってレベルが上がる技能までも封じられているとすれば、あの拙いガラハの立ち回りにも納得がいく。斧は振るえているが、いつものような重みのある一撃も繰り出せていない。反撃の隙も見出せずにただただ耐え忍んでいるだけにしか見えない。
「ジュリアン! 詠唱封じより技能封じが優先だ! 明らかにそっちの方が僕たちを不利にさせている!」
「食! 食! 食!」
魔人がガラハから離れ、その傍に異界の“穴”のような空間の歪みが生じる。
「喰い荒らし、掻き荒らし、飲み荒らせ!」
歪みから這い出てくる無数の生物――いや生物と呼べるかも不明な謎の生命体が大量に現れる。謎の肉の生命体は四つ足歩行で、その体躯はいつかに見たフロッギィほど。大きくはないが、決して小さくもない。顔と呼べる顔はなく、ただただその正面とおぼしき部分が上下左右に大きく開かれ――自身が有する肉体以上に開かれて、一匹一匹がアレウスたちを丸呑みしようと襲いかかる。
「なになになになに!? 気持ち悪い! 来ないで!!」
クラリエが悲鳴を上げ、アレウスも身に差し迫る恐怖よりも謎の肉の生命体が視覚的に及ぼしてくる奇妙さ、奇天烈さ、そして気味の悪さに怖気が奔る。
呑まれる前に避けるが、いつもより足運びが覚束ない。反撃に出るための足の動きでは決してない。
短剣の振り方に疑問を抱く。どうやって振っていただろうか、どうやって構えていただろうか。今の構え方は合っているのか、それとも間違っているのか。それら一切が、イマイチ判然としない。『忘却』の状態異常にかかっているようにも思えるが、肉の生命体と戦っているときは思考よりも先に体が勝手に反応し、自身が死なない程度の太刀筋でどうにかこうにかいなすことができている。
技能を封じられていることによる自信の喪失。自分自身が磨き上げてきた技能が使えないことへの戸惑いが思考を激しく乱している。クラリエは逃げの一手を取り、アベリアとジュリアンは二人で肉の生命体の対処に追われている。
時間を稼ぐ。その判断は間違っていただろうか。いや、間違ってはいない。間違っていたとすれば、技能封じの魔法陣の危うさに気付けていなかったことだ。
「食べられるのなら食べなさい! 出された物は最後まで美味しくいただきなさい!」
そして、ガラハを拳で打ち飛ばし、アレウスへと向き直ってくる魔人の力量を測り間違えた。嬉々とした表情で魔人はアレウスに拳を打ってくる。それに対してなんとなくの感覚で短剣による防御を行おうとする。
――情けない炎だ。
恐らく、アレウスの防御姿勢ではガラハと同じように打ち飛ばされるだけだったはずだが、短剣から発せられた火炎が魔人の拳を防ぎ切るだけでなく弾き返した。
――それでも『種火』の『超越者』か?
「誰だ……?」
誰かがアレウスの脳内で煽ってくる。それに対して、口から自然と疑問が零れ出る。
――その手に握られている短剣を、この場で終わらせるつもりか?
短剣が宿す炎が輝きを増す。
――だったら力だけを寄越せ。
体に溜め込んでいた気力が一気に短剣へと持って行かれる。激しく燃え上がる炎の短剣はアレウスの意思とは関係なく、アレウスの体を引っ張るように動き、強引に魔人へと攻め立てていく。
――剣が主か、それとも握る者が主か。覚悟がないなら、剣が貴様を使うだけだ。
短剣が勝手に動けば、アレウスの体も勝手に動く。自身の立ち回りとは無関係の立ち回りと足運び。魔人に気取られない速度での接近と、炎の剣戟によって右腕を断ち切り、焼き払う。
「待て!」
――貴様が握るのは神代より生きる者の息吹を受けた刃だ。見合わないのであれば、そのまま燃え尽きてしまえ。
体が炎に包まれる。貸し与えられた力を着火したわけではない。短剣から逆流してくる力がアレウスの身を焼いている。炎耐性など通り越して、皮膚も肉も、骨すらも溶かすほどの熱が全身から、それも内部から噴き上がる。
視界が霞み、眼球が熱で弾けた。視界どころか五感の全てが消し飛んだ。
が、すぐに焼け爛れたアレウスの肉体は元に戻り始める。溶けた骨も、肉も皮も、弾けた眼球も五感もなにもかもが炎によって喪われ、炎によって再生を終える。
「いらないんだよ、そういうのは……」
アレウスは再生した手で短剣を握り直し、逆流してくる力に貸し与えられた力を流し込み交流させ、そして押し返す。
「僕自身が生み出した想像のクセに」
“曰く付き”になにかが宿っているわけではない。ノックスから骨の短剣を貸してもらったとき、こんな声が頭の中で囁いてくることはなかった。全てはアレウスの妄想である。
アレウスが弱気になったことで、短剣が持つ力が逆流してきた。そのときに突飛な想像が頭の中に妄言を生み出し、己自身が焼かれているのがまさに頭の中の囁きの通りに引き起こされたことだと勘違いした。
魔人へ距離を詰めたのはアレウスの無意識であり、右腕を断ち切ったのは剣戟を浴びせただけ。技能を封じられていながらに魔人の動きに付いて行けたのは染み付いた経験が自身の思考を通り越したから。
短剣に焼かれたのは事実だが、短剣が意思を持っていることは事実ではない。履き違えてはならず、“曰く付き”に隙を見せてはならない。こういったことが繰り返される内に“曰く付き”はその力を増し、持ち主を喰らってくるのだ。
そして、この積み重ねが続けばきっとこの短剣は本当に意思を持ち始める。そうなれば手遅れだ。
「人間が燃えて生き返ることなんてない! 人間じゃない! お前はボクと同じ悪魔だろう?!」
魔人は右腕を断ち切られたことで酷く狼狽えている。これまで傷付けられたことがないからこそ、自身に起こっていることを理解できていない。そのように受け取ることもできるが、魔人の言葉を言葉通りに受け取ってはならない。
「なーんて言えば、お前もきっと調子付いて喜ぶんだろうなぁ!」
アレウスの背後に肉の生命体が押し寄せる。魔人が空けた歪みは未だ健在で、尚も生命体を生み出し続けている。それどころか爆ぜた肉塊に追いすがっていた村人たちを肉の生命体が丸呑みし始めている。
「さっき凄いことになっていたけど大丈夫なの?」
「よくあることだ」
「よくあること!?」
クラリエは驚きすぎてアレウスの言ったことをそのまま言い返す。
ラブラとの戦いで燃え尽きて、キングス・ファングとの接触で燃やし尽くされそうになった。リオンを討伐したときも『種火』が尽きそうになった。そしてこれで四度目である。
これは代償だろう。『超越者』として非力すぎるアレウスの肉体は貸し与えられた力に耐えられていない。徐々に徐々に貸し与えられた力はアレウスを蝕み、その寿命を削っていることを証明するかのように肉体を燃やしてくるのだ。ただし、今回は短剣に込められた力に対して自衛が働いた形となる。それでも命を燃やしたことにはきっと変わりがない。
「生き様を燃やすのとどっちが肉体的に辛いのか知らないけれど、あたしはよくあることだから気にするなと言われたってできないよ。取り敢えず、大丈夫ならいいんだけどさ」
そう言って近寄ってきたクラリエが肉の生命体に呑まれそうになり、ギリギリのところで回避する。
「あーもう! 一匹一匹は怖くもなんともないのに、村人に奴隷にこいつらに魔人! 全部がしっちゃかめっちゃかで動き辛い!」
「魔法陣持ちの奴隷を探そうにも……奴隷の数は把握できてきましたけど、殺す以外の方法で止める術があるのかどうか」
ジュリアンは杖で肉の生命体を打ち飛ばし、辟易する。
「そろそろあたしの薬が効いて、みんな目を覚ましているはずなんだけど、外がこんな状態じゃ出たくても出られないだろうし」
「私とクラリエで旅人さんと商人さんを連れて逃げるから、アレウスたちは魔人を止めて」
肯いたり返事をする暇もなく、慌ただしくアベリアとクラリエが宿屋に飛び込む。
「魔法陣持ちの奴隷を探すのを諦めて、この状態のまま村から逃げ切るわけか? そんなこと、できるようには思えんが」
片腕だけの魔人にガラハが切り掛かる。肉の生命体を手に取り、肉塊に変えて魔人はガラハの斧撃を受け止め、そして肉塊をつぶてのように弾けさせて彼を打ち飛ばす。
「クソ、オレはこんな雑な踏み込みをしてこなかったはずだ!」
身に浴びた肉塊を手で払い落とし、自身の思い通りに動かない体に苛立ちを見せる。
「だが、ここで苛立って突っ込むようなこともオレはしない」
魔人は明らかにガラハの反撃を待ち構えていたが、誘いには乗らない。そのおかげでアレウスは魔人の背後を取る。
「あぁあああああ!! 御飯が食べたいだけなのに! なんでなんでなんで! 美味しく食べるから! 食べなきゃならないから! 残したら怒られるから!!」
背後を取っていたが、魔人の腕がアレウスの体を打つ。あり得ない挙動で、あり得ない腕力で打たれた。態勢を整えることもままならず家屋の壁に背中から激突する。
「はぁ……はぁ、はぁ……クソ」
鞄からポーションを取り出し、一気に飲み干す。回復魔法に頼れないのなら道具に頼らざるを得ないが、道具では回復が遅い。魔人の攻撃を耐えているガラハにすぐに加勢に行くことができない。
「どうして、こんなことに」
近場で声が聞こえた。アレウスは痛みで悲鳴を上げる肉体に鞭を打ち、歩いて声のした方へ行き、その主を見つける。
「あなたは……?」
「ひぃっ!」
座り込んでいる男がいる。
「……あなたは、無事、なんですか?」
息も絶え絶えで思考が回らない。
「私は……私は」
「料理屋の店主……ですよね?」
記憶力は技能に含まれない。もしも含まれていたのなら、こんな風に戦うことさえできていないだろう。
「僕たちに毒を盛りましたか?」
「お許しください……! 私は、私は! そうしないと、あの男に……! あの『悪魔』に……!」
「そうでしたか」
「全ては、あの男が『悪魔』に囁かれてから狂い始めたんです! 本当です、信じてください!」
強く、強くアレウスに許しを請う姿を見て息を零す。
「あなたが無事な村人でよかった。ここは危険ですから、早く逃げてください。こんなところでずっと『悪魔』に縛られ続けられてはいけない」
「はい、ありがとうございます……本当に、っ!」
アレウスは料理屋の店主が涙を流すほどに感謝の意を示しているその腹を思い切り蹴り飛ばす。
「見つかったときはそう言えと、あの魔人に言われていたんだろ?」
蹴り飛ばした男は這いつくばりながらも頭を上げ、アレウスを睨む。
「料理屋の店主ではなく、お前も奴隷。そして技能封じの魔法陣を持つ。そうだろ?」
「なぜだ! ご主人様に教わった通りに演じて、あらゆる者たちを騙してきた! なのに、どうしてお前は!」
「『悪魔』は嘘をつく。調子の良い嘘、都合の良い嘘、優しい嘘、そして見返りを求める嘘。“優しい言葉”なんかいらないんだよ。『悪魔』が並べる言葉をそのままその通りに使って演じて、僕を騙せると思うな」
その耐性はできている、産まれ直す前に学んだから。
「死ねぇええええ!」
起き上がった奴隷が包丁をアレウスへと向け、走る。
「殺さない」
呟き、アレウスは包丁を避けて奴隷の腹を再び蹴り抜いた。
「肉体に魔法陣を刻んでいるんだろ? 魔の叡智に触れてもいないのにその魔法陣が発動しているんなら、その動力はお前の命だ。これからも、人を喰らうたびにお前の魔法陣は発動し、命を喰らう。命尽きるまで魔人の道具。そういう奴隷は、救う気にすらなれない」
非情に言っているが、内心ではこんな奴隷でもなんとかして救いたいという気持ちが残っている。その甘えを切り捨てるために自身へと言い聞かせるために言葉にした。
強がりはいつだって自分への言い訳だ。そうしておかないと後悔し続ける。強がったところで後悔することに変わりはないのだが。
「お前が気絶すれば技能封じの魔法陣は解けるのか? それとも」
そう問い掛けるが、奴隷はもう気を失っている。早期に昏倒できたのは想定外である。腹を蹴飛ばしただけで気絶できるほど精神力は柔いものではない。最低でも脳を揺らすか、意識を落とすほどの激痛を与えるしかない。打撃格闘術の技能も封じられているのなら、その威力はたかが知れている。
「このタイミングで命が尽きたのか」
気絶していると思いきや、息をしていない。服を捲って腹を見てみるがアレウスの打撃で腹部に穴が空いているなんてことはない。体に描かれた魔法陣の一部であろう黒い線が見え、それらは効力を失ったことを示すように奴隷の体から剥げ落ちていく。
ここでアレウスが干渉していなくとも、この奴隷の命を尽きて技能封じの魔法陣は勝手に解けていた。その前に話をしてしまったことで、後味の悪いやり取りが記憶に刻み込まれてしまった。
ガラハの力強い発声とともに振るわれた斧によって魔人が吹き飛ぶ。
「体に重しでも付けられていたかのようだ。こんなにも軽いとはな!」
「こっちもお願いします!」
「任せろ!」
すぐにジュリアンの加勢にガラハが向かう。
「あーあーあー、玩具が壊れちゃった。新しい玩具を作らないと。でも、時間が掛かるなぁ。食べられないなぁ、食べられない、食べられない……食べられないのかぁ」
肉の生命体を掴み、その一部を喰らって魔人はアレウスに切り落とされた右腕を再生させる。
「でもなぁ、でもなぁ、貴様たちを喰えば、もっと強くなれるのになぁ……残念だなぁ残念だなぁ、つまんないなぁ」
戦う気を失っている。戦う姿勢を崩している。この状況でやる気を失うらしい。
「僕たちはお前たちになにもしない。旅人と商人を連れてこの村を出る。だから追い掛けてくるな」
「契約?」
「ふざけるな。無干渉に状態を戻そうという提案だ」
「人間はすぐに嘘をつくからなぁ、嘘をついて、祓いに来るんだろう?」
「悪魔のお前が言うことか」
凄んで見せて、自身のついた嘘を見破られないように努める。しかし、お互いにお互いの言葉を嘘だと決めつけている。騙し合っているようで騙し合えてはいない。子供騙しにもなっていない。
「そっかぁ、そうだなぁ……無理に喰って、すぐに祓われるよりはマシかぁ」
魔人はそう言いながら腕を不意に動かし、その腕を伸ばし宿屋から出てきた商人の首を掴んで引き寄せる。
「でも、一人は喰ワセロ!!」
「させる、」
「かぁっ!!」
アレウスの剣戟よりも速く、クラリエの短刀が魔人の首を刈り取る。
「ズルい! ズルいズルい! これじゃ首が戻るまで体が動かせない! 動かせるけど、ちゃんと動かせないぃ!」
行方を失ったアレウスの剣戟はそのまま魔人の腕を断ち切り、商人の首から魔人の腕を剥ぎ取って投げ捨てる。
「行きましょう」
恐怖で声すら出ていない商人の腕を掴み、先陣を切るクラリエのあとを追う。
「逃げるよ! ガラハ、ジュリアン!」
「こっちこっち!」
アベリアの導きもあってガラハとジュリアンは肉の生命体の処理を切り上げ、アレウスたちと合流し宿屋の横手にある細道を駆け抜け、ガラハが見えてきた村の柵を叩き切って、全員で村の外へと逃げ切る。
「村が見えなくなるまで走り続けろ」
アレウスは商人を腕を引き寄せ、背後に回って背中を押し、殿を務める。
「初日に訪れた村が悪魔の村とか、どう考えてもおかしいだろ」
帝国であれば――いや、国がどうこうではない。国など関係なく悪魔がいるのなら悪魔祓いを行うものである。それを連合は放置しているのだ。アレウスが思うような国家ではなく、連合はもはや国の形を成していないのではないだろうか。
危険なところに足を踏み込んだ。その自覚はある。しかしながら、これまで経験したなによりも危険なところにいる。そのように思わずにはいられなかった。




