悪魔の住む村
一家に一人、奴隷がいる。連合はこんな末端の村にまで奴隷制度を蔓延らせているのか。そのような義憤を胸の中で抑え込むのにはアレウスだけでなくジュリアンやガラハですら苦労したらしく、二人とも大部屋に通されてから宿屋の主人が立ち去るまで一言たりとも言葉を発することはなかった。大部屋の空いているスペースに荷物を置き、三人で腰を落ち着かせたところでようやく揃って溜め込んでいた息を吐く。
「異界ではともかく、バートハミド以来だな、奴隷を見たのは」
アレウスはボソリと呟く。
「奴隷は帝都に近ければ近いほど多いと聞いています。地方で奴隷を売るより、帝都の方が経済が回っているので高値で売ることができるからだそうですけど、連合は違うんでしょうか」
「解放……したところで、どうにもならないんだろうな」
ガラハは諦めの言葉を呟く。
「売られ、飼われることに慣れてしまった奴隷を解放したところで、生き方を見失っているのだから一人では生きられない」
「それに解放の名の下に奴隷を連れ去ったら、それは誘拐と変わらないだろうな」
彼の言葉に補足を加えつつ、アレウスは周囲の様子を探る。不思議なほどに静まり返っている。そこかしこから寝息が聞こえるが、眠るにはまだ早いようにも思える。それとも夜食に向けて軽く睡眠を取っているのか。旅の疲れもあるのかもしれない。周りが寝静まっているのなら大声を出さなければ、話す内容に気を遣う必要はなさそうだ。
「できれば話を聞きたかったんだけどな」
眠っているところをわざわざ起こすわけにもいかず、情報収集ができそうにない。
「クラリエが出てくれていればいいんだけど」
気配を消し、聞き耳を立てて村中を探ってくれればニィナのことだけでなく奴隷が本当に一家に一人いるのかどうかも分かる。
「でも、他国に来ているのにアベリアさんを一人にしますか?」
「部屋にいる間は安全だろ。安全を保障してくれないなら宿泊する意味もない」
宿屋は金銭を受け取ったからには宿泊客に対してその金銭に見合う安全を与えるべきだ。そのようにアレウスは思っているのだが、もしかしたら勝手な妄想なのだろうか。宿屋を信用しすぎてはならないと言われたら、もはやありとあらゆる商売にすら疑心暗鬼にならざるを得なくなる。
「お二人についてはさほど心配する必要もないとは思っているんですけど、一応気にした方がいいかと」
「そうだな。怪しいと思ったならすぐに宿を離れるぐらいは想定しておこう」
高いお金を払ってしまっているからと我慢して居続けても仕方がない。今回の宿泊については事前に仲間に伝えている通り、勉強代である。連合の宿泊施設を旅人が利用するとどのようなことが起こるのか。そして、野宿をしてしまった場合はどのような末路を辿るのか。そのどちらも把握しておきたいところだ。
「主人は気の良さそうな感じだったな。本当に、奴隷制さえなければ一切気にならないんだ…………け、ど」
視界がグラつく。アレウスは座ったまま床へと頭をぶつけそうになるところをこらえ、右手を床について上半身を支える。
「疲れている、の、か?」
そう呟いたすぐ近くで、ガラハがなにも言わずに横へと倒れる。ジュリアンがすぐさま彼の容態を探る。
「呼吸はしています。恐らくは眠っているだけか……と」
言って、ジュリアンは眩暈を覚えたのか片手で頭を押さえ、ゆっくりとその場に座り直す。
「もしかしてなんですけど」
「盛られたな……」
ジュリアンが状況を理解してから、スッと意識を落として上半身をアレウスの方へと倒してきたので受け止め、床へと寝かせる。しかし、そんなことをしていたら随分と視界が揺れてしまい、殊更に気分が悪くなってたまらずアレウスは床へと吐瀉する。
「あぁ、駄目ですよお客様。床を汚されては困ります」
後方の扉を開いた宿屋の主人に声を掛けられる。
「掃除代も馬鹿にはならないんですから」
「ここでは、なにも口にしていない…………料理屋で、盛られたのか……?」
「旅人の方々はお腹を空かせている。村では自分が持っている食材や保存食を調理したがらない。なぜなら、今後の旅の食糧を減らしてしまうから。それよりも村にある料理屋や食事処、宿屋でお金を支払って腹を満たした方が得と考える。だから、なかなかに疑わない。あなたたち、料理屋でこう訊ねられたりはしませんでしたか? 『今日はどこかで泊まられるんですか?』と。『泊まるアテがないのなら、ウチの村の宿屋に泊まられてはどうですか?』と」
料理を食べているときに軽く会話を交わし、この村について探りを入れた。その際に宿屋の主人が言ったようなことを料理屋の店主に言われたので、食後にクラリエに宿屋の場所を調べてもらった。
「そこと、繋がっていたのか……」
「私たちは泊まる場所がある方々を狙いはしません。泊まる場所のない方々は狙いやすい。だってそれは、今日この一日だけはどこの誰とも約束を交わしていないことになりますから」
アレウスは自身の体をゆっくりと横たわらせる。無意識に体が睡眠を取ろうとしている。必死に抗っても、まず体が眠りの準備に入ってしまった。宿屋の主人はそんなアレウスを尻目に眠りに落ちたジュリアンの股座に手を伸ばす。
「おや、本当に男性でいらっしゃいましたか。しかし、綺麗な顔をしている。これは奴隷として破格の値段で売ることができそうですね。ええ、あなた方は本当の本当に素晴らしい方々です。上玉を二人、そしてこんな変わり種の男を連れていらっしゃったんですから。ああ、個室に泊まっていらっしゃる方々にはまだ手を出していませんよ。ただ、妻からもう眠りについていることを聞いています。あちらは丁寧に、傷を付けないように運び出さなければなりません」
なので、と宿屋の主人は言ってアレウスの頭を踏み付ける。
「さっさと眠ってください」
ヴェインを無理にでも連れて来るべきだっただろうか。しかし嫌がる彼を無理やりに連れて来ても、僧侶としての仕事をこなせるかはアレウスには分からなかった。
しかし、ヴェインには『純粋なる女神の祝福』がある。彼は状態異常を受け付けない。自らが望んで薬を飲むという動作と意思を示さない限りは、どんな薬を盛られても打ち消す。唯一、受ける状態異常があるとすればそれは『衰弱』と自らの信仰心を揺らがしかねない者と対面したときだけだろう。ヴォーパルバニーのように死神を宿した魔物に対する『畏怖』がそれに当たる。
だから、ヴェインがいれば一服盛られたところでアレウスたちは立て直せた。彼の存在があったからこそ、怪しむことなく異国の料理を口にすることができた。反省すべきは、いないのに同じように異国の料理を食べてしまったことだ。
そう思いつつ、アレウスの意識はそこで一旦落ちた。
目を覚ましたときには両手両足を宿屋の柱に縛り付けられ、身動きの取れない状態になっていた。
「おや、目覚めるのが早い。まだ深夜を回ったところであるというのに……薬に耐性でもあるのですか?」
なにかを言おうとするが、口が思うように動かない。いや、口は動いているが声帯が空気を受けても響かない。
「麻痺毒の方も盛らせていただいております。料理屋と私どもは繋がっているとお考えてください」
『麻痺』は身体的に起こる状態異常に限らず、声帯にも及ぶものがある。オークの雄叫びが一時的にアベリアたちの詠唱を妨げたことがあるが、どうやらアレウスもその状態にあるようだ。ならば自身だけでなく、ガラハも同じだろう。彼に関しては未だ眠りから目覚めていない。
「ドワーフは薬の効きがいいですからね。ポーションだって長く体に留まり続けますから頑強な肉体で仲間を守り続けることができる。ただし、毒に関しても同様です。そちらのドワーフは明日の朝どころか正午まで目覚めることはないでしょう」
呼吸できるように穴の空いた死体袋にジュリアンを詰め終えて、次に宿屋の主人は寝静まっている商人たちが持ち込んでいた資金や商品の回収に入る。その間、奴隷がアレウスを監視し続けている。そんな風に見つめられたところで今のアレウスにはどうすることもできない。
「いやぁ、やっぱり宿屋で必死に働いてお金を稼ぐよりもこの瞬間が一番興奮しますね。たった一夜で私どもの懐が一気に潤う。あなた方がどうなるかんど知ったことではありませんし、このまま放置してどこかへと逃げさせるつもりもありません」
肉包丁を床に刺す。脅しのつもりなのだろう。
「奴隷として売り出せそうにない者たちはみんな殺します。殺して私どもが飼っているペットたちの餌になってもらいます」
人肉を食べさせているとでも言うのだろうか。その手の相手とは未だかつて出会ったことがない。
「私どもは食べたことはないんですがね。しかし、ペットの食費が浮くとなれば話は別です。起きているあなたから殺すべきかとも考えましたが、絶叫を上げたあなたの声で皆さんが目覚めてしまっては大変です。あぁ……すいません。声が、出ないんでしたっけ?」
最後の方は小馬鹿にするような笑い声混じりだった。
「とはいえ、絶望を見せてからの方が気持ちの整理も付くでしょう。それに、あなた方は商人や旅人の方々と違って冒険者のように見えます。甦るのなら、今回の死で学ぶべきこともあるでしょう。そうしてまた、私どもの宿屋に顔を出してくださいな」
「品性がクズなのか、連合のせいでクズになったのか。どっちなんだろうねぇ」
宿屋の主人が振り返ったときにはもう遅い。クラリエの短刀が首筋に当てられている。
「まぁどっちにしたって、こんなことをやっている人を憐れむ気持ちなんて微塵も湧いてこないんだけどさ」
「どうし、っ!!」
背中を蹴り飛ばされ、うつ伏せになったところでクラリエの右足が頭を、左足が背中を踏み付ける。
「ドワーフについては詳しいのにダークエルフには気付かなかった? それともハーフエルフと思った? どっちも正解だけど、薬で攻めたのは失敗だったねぇ」
短刀が主人の片耳擦れ擦れを通り、床に突き立つ。
「あたしに毒の類は効かない。正確には効き辛い。ポーションの類は別で、よく持ち込む。だって回復魔法で無駄な量の魔力を使わせちゃうからさ。効き辛いってことは、アベリアちゃんに症状が見られた直後から薬を調合すればあたしは間に合うってわけ。だってあたしには親友が大切に書き留めてきた調合の知識があるんだから」
小瓶を投げ、ガラハの懐に隠れていたスティンガーがそれを掴み、口を開けたアレウスへとその中身を流し込む。
「なぜですか!? あなたは私の妻が! 眠っているところを監視しているはず!」
「ああ、それ幻影」
「幻影?」
「『空蝉の術』。まだまだ下手くそでさぁ、叔父さんの短刀とチュルヴォの力の一片を使ってもまだ戦いでは一緒に動かせない。でも、ベッドに横たわらせて眠っているように見せかけるくらいはできるってわけ。元々、この方法で村の中を偵察するつもりだったんだけど、まさかこんな形で功を奏することになるとはねぇ。おかげで調合も外で誰にも見られずに済んだし」
スティンガーの妖精の粉がアレウスの両腕を縛っている縄に付着し、小さく爆ぜる。手首に相応の衝撃と多少の火傷を負うも、構わず短剣を抜いて自身の足を縛っている縄を断ち切る。
「みんなに調合薬を。そこの死体袋にジュリアンが入っている」
掠れた声が出た。まだ上手く声帯が動かないらしい。しかし、先ほどのように全くと言っていいほどに声が出せなかったときと比べれば雲泥の差だ。
「分かった」
宿屋の主人を押さえ付ける役を交代し、アレウスは主人の背中に腰を下ろす。クラリエは何本も用意した小瓶に入った薬をガラハやジュリアン、そして商人たちに飲ませていく。
「まさか、最初から私どもの正体を知っていて……!」
「知っているわけがないでしょう。自ら罠にかかりに行くほど冒険者は馬鹿じゃない。今回は僕の仲間がたまたま、あなた方がやっている犯罪に対して反撃することができただけです」
「くっ……ですが、私どもに攻撃しようとも無駄ですよ! 私どものペットは常々に魔法の詠唱を阻害する魔法陣をその体に有しています。そして、私どもが血を流せば、その血に反応してあなた方を襲う!」
「宿屋の主人、」
「私どもにあなた方は手を出せない! 手を出せるわけがないのです!」
「主人?」
アレウスはやり返されたときのように朗らかな声音を作る。
「血を流さない方法以外で、人を痛め付ける方法があるのはご存じですか?」
丁度、目を覚ましたガラハがアレウスの言葉を聞いて状況を察し、宿屋の主人の首根っこを掴んでその剛力で抵抗すら無意味としつつキッチンへと運んでいく。
「アベリアは?」
「まず最初に飲ませたよ。でも、まだ寝たフリをさせてる。そっちの方が安全だと思って」
クラリエとスティンガーが全員に薬を飲ませ終え、アレウスが死体袋からジュリアンを出す。
「…………ぁあ、すいません。眠ってしまっていました」
ジュリアンは寝惚け眼でアレウスを見るが、同時に薬を盛られた事実を思い出し辺りを探る。
「どうなったんですか?」
そう訊ねる彼に説明しようとしたところでガラハから「手伝え」という声がしたので仲間たちとキッチンへ向かう。
「な、なにをっ……!」
アレウスはジュリアンと協力して水瓶を発見し、ガラハは宿屋の主人の頭をそこに突っ込む。暴れるのをものともせず、十秒ほど経ってから頭を水瓶から引っ張り出す。
「ゲホッ、ゴホッ! こ、こんなこと、神が許しませんよ!?」
「あなた方のやっていたことが許されることだとでも? それと、連合に神はいないものとされているのでしょう? その言葉、連合にいる僕たちには意味がありません」
本当なら怒りのあまり殺してしまいそうだが、それをどうにか抑えて水責めで済ませている。
「こいつが気絶するまで水責めをする。それで構わないか?」
「血を流せば奴隷が襲いかかってくるならあたしたちじゃ気絶させられないからねぇ。その人の言うことを信じるなら打撃による内出血でも襲われそうだし。暴れているときに変に打撲させると危ないかも」
「ですが、これだと僕たちが犯罪者みたいじゃないですか?」
「犯罪者みたいではなく犯罪者だよ。ただ、僕たちは身を守るために罪を犯している。私腹を肥やすためだけに窃盗、誘拐、そして殺人すらも行っているのなら、そんな凶悪犯罪者に立ち向かうには同様の犯罪に身を染めるところからだ」
傷付けられる危険があるのなら、相手を負傷させてでも身を守る。その負傷させる行為が犯罪であっても、命を奪われるよりはマシだ。
「あぁっ! そんな……! どうして、っ!」
主人の妻がキッチンに降りてきて、悲鳴を上げる。だが、監視の目が去ったことによってアベリアがその後ろを付けており、すぐにその口を布で塞いだ。
「荷物を纏めてここを出る。ガラハなら纏めて持ってこられるだろ? もう弱り切っているなら、僕でも引き継げる」
「こんな暴力をお前にさせたくはないが?」
「共犯にならなきゃガラハが罪を背負い過ぎる」
「……すまない」
アレウスは水責めを引き継ぎ、ガラハが大部屋に向かう。息も絶え絶えな主人を見て少し休憩を挟む。溺死させてはいけない。最低でも抵抗することのできない状態、最も目指すべきは気絶。そのどちらにも至らないようであれば、休ませる。嗜虐心に任せてしまえば殺してしまう。
「さて、宿屋の主人? 僕はちょっと気掛かりがあるんですが。それを答えてくださるのなら、この責め苦をやめても構いません」
「な…………な、んで…………しょ、う……」
「宿帳に僕が名前を記したとき、一瞬だけ怖がる素振りを見せましたね? なんならあなたの奥さんは僕と目を合わせようともしなかった。それはなぜですか? 僕の名前に、違和感でもありましたか?」
アレウリス・ノールードとは記していない。冒険者であることはバレているが、未だに宿屋の主人はアレウスをその名で呼びはしない。あくまで旅人の方々、もしくは冒険者の方々である。
「ア、リス……アリス、という名の人が…………」
「名の人が?」
「私ども……を、っ!! あ、ぁ、が……がっ!!」
なにやら様子がおかしい。痙攣は水責めでも起きるものだが、主人は呼吸できているどころか会話さえまだできている。意識の喪失から、意識の覚醒を繰り返したわけでも、今に悲観してヤケになっているわけでもない。
ただ、この痙攣は尋常ではない。
「アレウス」
アベリアに名を呼ばれ、後ろを見ると主人の妻まで激しく痙攣を起こしている。こちらに関しては水責めどころか身体的に危害を加えていない。ただ布で口を塞いでいるだけで鼻で呼吸はできる。
死にはしない。死んでもいない。死に掛けですらない。なのに痙攣を続けている。
「これ、多分ですけど……悪魔憑きです」
ジュリアンが呟く。
「いえ、悪魔憑きの次の段階の魔人かもしれません。それも、悪魔になりかけの……」
「そんな馬鹿、な……?」
アレウスが主人を見る。主人もアレウスを見ている。おかしな話だ。アレウスは後ろ頭を掴んで水責めを交代した。通常、首はこちらに回らない。顔はこっちを向くことはない。
だが、目が合っている。そして主人はアレウスを嘲笑しながら口を開き、舌を見せる。
舌には悪魔と契約した刻印が記されている。そして後方の妻の額にも同じ刻印が浮かび上がる。
「あぁ、あぁ、もっともっと、人を喰いたい。人を喰いたい。喰いたい、喰いたい、喰いたい喰いたい、喰いたいナ」
恐怖心からではなく危険を察知してアレウスは宿屋の主人から手を放す。アベリアも主人の妻から離れ、仲間全員が纏まる。
「喰いたい、喰いたい、もっと喰いたい、もっと喰いたい。もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと」
「聞こえるか、ガラハ! キッチンには来るな! どこからでもいい! 宿屋から出るんだ!」
そう言ってアレウスはキッチンに備え付けられていた勝手口へと駆け出し、アベリアたちがそれに続く。なにか罠でも仕掛けられているかと思ったが扉は容易く開き、脱出に成功する。続いて窓ガラスが割れて、ガラハが全員の荷物を担いで外へと出てきた。
「あたしの荷物とアベリアちゃんの荷物を取ってくる!」
「頼む」
クラリエが気配を消し切って、跳躍すると宿屋の二階を目指す。
「ああ、今日も宴だ! 昨日も宴だった! だったら、明日も宴に違いない! 食べよう、さぁ食べよう! 人間を、食べよう!」
主人の背中から蝙蝠の翼が生え、首を左右に揺らしながら禍々しく嗤いながら肉体が徐々に人間離れしていき、変色していく。
「アレウスさん、僕の魔力が回復するまで三日は掛かります。それを許してくれるなら」
ガラハから杖を受け取ったジュリアンが体に魔力を満たす。
「駄目、駄目駄目ダメダメダメダメ!!」
「……っ! 詠唱が、できない……!」
「奴隷が詠唱封じの魔法陣を」
大部屋でアレウスを見張っていた奴隷を探す。
「あぁ、怖い怖い怖い怖いな。怖いから、血が出ちゃったよ」
自らの体を傷付けて、魔人の体から緑色の体液が零れる。それを皮切りに村中から絶叫が響き渡り、あらゆる家屋からペットとして飼われていたと思われる奴隷たちが飛び出し、獣の如き四つ足で駆けて飛びかかってくる。幸い、どの動きも緩慢であるためアレウスに限らず全員がそれらを避けるのは問題ないが、多数の奴隷の中から主人が飼っていた奴隷を闇夜であることも加えて見分けることができない。
ならば気配で追うまでだ。そう思うのだが、気配が辿れない。
「人間は怖い、怖いから沢山、準備する。準備して準備して、なにもできなくさせて、食べるんだ」
「……詠唱封じの魔法陣、技能封じの魔法陣の両方が機能している。一人じゃない、二人だ。魔法陣の描かれている奴隷を二人探すんだ」
そこまで言って、アレウスはあることに気付く。
「クラリエ!! 早く!」
アレウスは感知の技能が働いていないから、単純に彼女の姿が視界から消えたために気配が消えたと勘違いを起こした。だから、実際には消せていない。
宿屋の二階の窓が割れてクラリエが飛び出す。本人の意思によるものではなく超常的な力によって宿屋の中から外へと吹き飛ばされたのだ。
「さすがに油断した」
声を零しながらクラリエは吹き飛びながらも後ろに見える家屋の壁に足から接地し、そこから脚力を用いて跳躍して今度は着地する。
「大丈夫か?」
「あの一瞬で攻撃を防げたことに自分で感動しちゃった。あたしたちの技能、ほとんどが封じられているよね?」
「ああ。この状態じゃ魔人とは戦えない」
「オレたちは魔人の攻撃を凌ぎつつ、魔法陣の描かれた奴隷を探さなければならないとはな」
「この村から出てしまえばいいんじゃないですか?」
「逃げたら、宿屋の中でまだクラリエの薬を飲んでも目覚めていない人たちが犠牲になっちゃう」
「全部食べよう! 残さず食べよう! 残したら怒られるんだ! 怒られたくないから食べよう! あれ? なんで食べているのに怒られるんだろうね?」
ぞろぞろと村人が集まってくる。一様に意識というものはなく、魔人の言葉に付き従うかのように、ただただ蠢いている。
主人の人格は破綻している。いや、魔人と化している間だけ悪魔の人格に乗っ取られている。アレウスたちを始末すれば、再び宿屋の主人としての人格が目覚め、そしてこの村の人々もまたなに食わぬ顔をして活動を始めるのだ。
「連合に入って早々に全力か」
「中途半端なタイミングじゃなくて良かったんじゃない? もっとあとだったら、疲弊した状態で聖都だよ。最初からなら、休みは多く取れるよ」
ポジティブなクラリエの意見にアレウスは一応ながらの同意を見せつつ、短剣を握る手に力を込めた。




