いびつが織り成す日常
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道中で潜入していたイェネオスと合流を終える。これでドナとエイラは当初の予定通りに聖都へ向かい、オークションなどの観光を終えて帝国へと帰る。しかし、護衛もこの時点で終わらせてしまうと彼女たちが事件や事故に巻き込まれてしまいかねない。
フェルマータの扱いにも困る。連れて行ってもいいが、『竜眼』に気付かれてしまえば誘拐もあり得る。奴隷――商品という偽造を行っているため、ドナやエイラの傍に置いていないのも不審がられてしまいかねない。
そうなると必然的に彼女はドナたちに任せるしかない。だが、それだとエルフの巫女から護衛の役目を担っているイェネオスの潜入理由を失うことになる。
なので話し合いの結果、ドナとエイラ、そしてフェルマータの護衛としてイェネオスが付くこととなった。合流直後からすぐに別行動になったため、なにかしらの不満を口にしてくるだろうとアレウスは覚悟していたのだが意外なことに彼女はすんなりと受け入れた。
「私がなにを言ったところでクラリエ様に強引に押し切られるのは分かっていることですので」
そんな風に彼女は諦観していた。
「あとは、エレスィと同じで森の外での活動が少ない私では、冒険者の常識に馴染めないでしょう。ならばまずはエルフの巫女に命じられた『魔眼』の少女の護衛にだけ集中した方がいいのではと私自身も思ったまでです。ただ、あなたと共に一つの目標に向かって色々と動き回るのも楽しみにしていたのは確かですが」
そう付け加え、彼女はアレウスからしてみれば珍しく残念そうな顔をしていた。以前は毛嫌いされていたこともあってその表情は新鮮さがあった。
「この鈴の音色が聞こえたら私たちが危機的状況にあると思ってください。絶体絶命の窮地に鳴らしたところで手遅れなので、極めて早期に鳴らすことになりますが、到着時に襲われていなくとも怒らないでくださいね」
テラー家の持つ鈴を見せ、アレウスたちにその音色を聞かせる。鈴の音色が聞こえるほど間近で過ごすわけではない。恐らくは『森の声』経由となる。クラリエは聞けないがアレウスはアーティファクトに自身に向けての『森の声』経由の声や音色は聞くことができる。また、ガラハの連れているスティンガーならばどれだけ遠くであっても記憶さえしていればエルフの奏でた音色を耳に入れることは難しくない。
イェネオスはドナたちのいる馬車へと乗り、四人で聖都へと向かっていった。まだ聖都まではかなりの距離があるのだが、アレウスたちが早々とドナたちと別れたのはニィナが必ずしも聖都にいるとは限らないため。足取りを探るためにも、聖都ではない別の街や村から探っていくべきだろうと判断した。
「それにしても、ようやくパーティで動けると思ったのに、なんでヴェインは駄目だったの?」
クラリエは夕焼けの空を眺めながら歩き、そう訊ねてくる。
アベリア、ガラハ、クラリエ。ここにヴェインを加えればアレウスの元々のパーティ構成となる。クラリエはきっと久し振りに五人で活動できるだろうと踏んでいたのだ。
「連合国はその名の通り、連なり合う国々だ」
「うん……うん?」
「大きな分類として連合国があり、その中に幾つもの国々が連なり合っている。だから連合には幾つも帝都や王都のようなところがあって、それぞれに統治している王のような存在がいる……らしい。で、その人たちが話し合う場所が代表会議。その会議場となる場所を広義に連合は聖都と呼んでいる。ドナさんが暫定って言ったけど、それは会議場として用意したはいいけれど、未だに自分の国こそが会議場として、聖都として相応しいと思っている人たちがいるから。そういう人たちの溜飲を下げるための暫定という言葉が付いている。あくまで決定ではないという部分があることで、代表者たちはいずれ聖都の名を奪えると暢気に考えている。さっきドナさんが金貨袋を渡していただろう? この国ではビトンが使えないのは当然だけど、国が幾つもあって貨幣や紙幣が統一されていないところも幾つかあるらしい。でも黄金の価値は全国的に見て変動が薄いから、金貨という形で渡すといわゆる追加報酬や賄賂として有効になりやすいとか」
「それは全部、ヴェインからの受け売り?」
「そうだけど」
「だよね。アレウス君が国のことに詳しいのは変だと思ったもん」
その言い方はないだろう、と思いつつもヴェインから教えてもらうまでアレウスも連合国の構造については知らなかったので、反論の余地はない。
「でも、連合の構造とヴェインが来られなかった理由ってなにか関係しているようには思えないけどなぁ」
「……今の連合国は一神教でも多神教じゃないから。いわゆる信仰方針が偶像崇拝じゃないから、らしい」
「え、じゃぁ……教会が、ない?」
「教会は形としてあるんだけど、神官や神父、僧侶のような役職が全て追放されているとかなんとか。もしかしたら追放を免れているところもあるかもしれないんだけど、神を信仰しない国にはヴェインが入る余地はない、って。神を信仰する者にとって連合の思想は許せないことだし、潜入だとしてもそこで行われていることを見たら耐えられないかもしれないからって」
「神を信仰していないなら、なにを信仰しているの? あたしたちエルフみたいな神樹信仰とか、そんな感じ?」
「偶像でも無像でもなく実像――要は聖都の聖女信仰らしい」
「聖女信仰……なんとも分からんな」
ガラハが呟く。
「聖女はあくまで神に遣わされた人間であろう? 地母神や神樹、それに連なる神々を信仰せずに人間を信仰するだと?」
「現人神。そんな言い方もあるんだ……いや、ヴェインにそう教わったんだけど。神官や僧侶を神の御使いと呼んだり、神の代弁者として信仰することがあるだろ? そんな感じらしい」
「だがあれは、大前提に神がある。神があるから御使いと呼ばれ、神の言葉を代弁することができるはずだ。神を信仰せず、人間を信仰するのは危うい。神は死なないが、人間は死ぬのだから」
「そういうのを僕に言われても困るな。いや、強い言い方になってしまったな。僕もガラハの言いたいことは分かるんだけど、現人神を頭ごなしに反対するのは信仰の拒絶だ。受け入れられなくても表面上は受け入れておかないと国の色んなところで色んな人を敵に回してしまう」
「……そうだな。そういう国もあるのだと思うしかないか」
不満はあれど黙るしかないことをガラハも理解したらしい。
「でも国が連なっているのに、そのほぼ全てが聖女信仰なのも不思議な話だよねぇ。神官たちを追いやるのもよく分からないよ。そんなことしなくたって、聖女の格が落ちるとは思えないのに」
「ややこしいことに聖女信仰が一神教も混じっているらしい。だから聖女を現人神として崇拝してもいいけど、他の神々を崇拝することは認めていない。他の神々を崇拝する全てを追い出し、神という存在をただ一人の聖女に束ねる。連なる国々は聖女という神のために全てを尽くす」
「ふぅん……獣人の群れじゃないんだから、もうちょっと融通は利いてほしいものだけどなぁ」
クラリエが例として出した獣人の生き方、考え方に連合の信仰は似ている。ただし生き方と信仰を同列には語れない。結局のところ、偶像崇拝を認めてはいても帝国も王国も、世界に広がる小国の数々も形態としては似ているのだから連合だけが歪で異質と断言することも断罪することもできない。国の形態を悪辣に批判できるほどにアレウスたちは世界を知らない。
「僕は取り敢えず、色々と様子見するべきだと思いますよ。小さくとも騒動を起こしたらニィナさんの手掛かりすら掴むことさえできなくなってしまうんですから」
ジュリアンが手を自身の吐息で温めている。
「寒い……アレウス? 日が暮れる前に暖の取れるところか、村を見つけないと」
アベリアは手を擦り合わせて指先の冷たさを払っている。落葉期の中頃に入ったばかりであるのだが連合に吹く風は凍えるほどに寒い。帝国の北方の寒村ラタトスクも相応に冷えていたが、連合はそれこそ寒冷期のそれに近いものがある。
「連合は領土の位置的に寒冷期が早いのかも知れないねぇ。ここってラタトスクよりも北なんじゃない?」
「それほど北ではまだないと思うが」
ガラハは地図を眺めながら言う。
「北に近く、そして高地なのかもしれないな。山に住むオレたちも寒冷期が訪れるより早くに冬の備えをする」
「空に高ければ高いほど寒くなるんだっけ?」
クラリエに確認を求められるが、アレウスも気圧の仕組みには疎いため彼女の単純な見解に肯くだけとなる。なぜならアレウスも山のように空に近ければ近いほど気温が下がるという認識しか持っていないからだ。
「高山と呼べるほどの高さにはないな。頭痛や吐き気を催すほどではないと思うが、もしもそういう症状が出たときは高さに体を慣らす時間が必要かもしれない」
「「高さに体を慣らす?」」
アレウスとアベリアが同時に首を傾げる。
「高いところでは酸素が薄くなる。酸素が足りないとオレが言った症状が出る。酷い場合には突然死する。そうならないためにも、少しずつ高さに体を慣らすんだ」
そう説明を受け、ヴェインが欠けていることを痛手に思う。彼の酸素供給の魔法があればともかくもガラハの言う症状を抑えることができたかもしれないからだ。代わりに地上ではほとんどと言っていいほどに動けなくなってしまうが、それでも命の危険には晒されない。
「さっきも言ったが、見立てではそこまでの高さにない。よほどの急勾配、山登りのような道がなければ歩いている内に慣れてくる。一応は頭に留めておいてもらいたかっただけだ」
ガラハの忠告を頭に控え、アレウスたちは街道から逸れないように歩く。歩いている内に体が温まってはくるが、露出している肌はやはり冷たい。凍傷に至るほどではないが、指先の冷たさには戸惑いを覚える。寒冷期用の装備を用意していなかったのは準備不足が否めない。
しかし、幸いにも村が見えた。最終的に野宿の選択を取ることになっても村の近くであれば物資の調達が可能である。少々楽観的ではあったものの推測通りに村の料理屋で夕食を取ることができ、広場で開かれている露店で値は張ったものの手袋などの防寒具を揃えることができた。ドナから予めビトンを連合国内で最も流通している貨幣と紙幣に交換しておいて正解だった。
「宿屋もあったよ? 連合に入ってすぐに休めるところにある村だからかな」
国境を越えて、ひとまずの休息。それを求める人は意外と多いのかもしれない。
「まぁ、帝国の宿屋よりは馬鹿みたいに高いんだけど」
足元を見るかのような値段であったことをクラリエはアレウスたちに伝えてくる。
「野宿した方がいいんじゃないか?」
「どうだろうな。この値段は旅人に優しくはないが、ある意味での保証なのかもしれない。多分だけどこの街道近くにしばらく次に泊まれる街や村がないんじゃないかな」
「周りに競合先がないから高くしておいても泊まらざるを得ない?」
アベリアがアレウスの言葉の意図を汲んでくれる。
「そういうことだ」
そして、宿泊費の高さは安全の指標になりやすい。野宿をするとなにかしら危険を伴うのではないだろうか。
「路銀を多く消費することにはなるけど、今後の旅の基礎にはなる。勉強代と考えよう」
さすがにないとは思うが、そもそも村の近くで野宿の許可を出してもらっていないために、もしそれがこの国にとって侵してはならない行動であった場合、アレウスたちは犯罪者扱いを受けてしまう。あまりにも無茶苦茶に考えすぎだが、知らない土地では常に慎重であるべきだろう。なにより宿屋であれば、聞き込みもできる。もう日も暮れて夕食時も過ぎてしまってはいるが、夜遅くまで酒を飲む人たちは万国共通である。思った聞き込みができなければ明日の朝の出立を遅らせてしまってもいい。長居する気はないが、なにも得ないまま帝国に戻る気もないのだから。
全員で宿屋に入り、切り盛りする主人に宿泊の旨を伝え、支払いを済ませて宿帳に全員の名前を記す。国境の検問では偽名はバレるとマズいのだが、ここでは偽名で通しても問題ないだろう。むしろ偽名が望ましい。連合国内でアレウリス・ノールードという名前を足跡として残すわけにはいかない。
「名前と人数分の支払い、確認しました。部屋は大部屋と個室、どちらで用意いたしましょう?」
「僕たち男性陣は大部屋で構いません。女性は二人一組で部屋を借りられますか?」
「ええ、今のところ空きがあります。ではお三方は私の妻が部屋まで案内致します」
後ろで勘定を済ませた宿屋の主人の奥さんが「こちらにどうぞ」と手招きをする。
「僕は男です」
「え……? ああ、とんだ御無礼を……申し訳ありません」
どうやら主人はジュリアンの容姿で困惑している。
「正真正銘、男性です。連れている僕が保証します」
「ええ、ええ。大部屋で宿泊する方々の中にはとんだ勘違いを起こす方々もいらっしゃるので、そう仰るのでしたら」
過去にとんでもない客がいたのだろう。
「大部屋にはどれくらい人がいますか? 女と勘違いされると大変なら、僕は顔を隠すようにします」
ジュリアンが訊ねながら外套のフードを目深に被る。
「五人。あなた方を加えれば八人となります。旅人の方が二人、商人が三人。どなたも入国してすぐに寒さに耐えられなかったようで」
「僕たちもです。初めて連合を旅先に選んだのですが、この国はどこもこれくらいの寒さなんでしょうか?」
「そうですねぇ……他の国々に比べれば寒冷期が早期に、そして長く続きます。普段から温暖な気候で過ごされている方々はすぐに参ってしまうようで」
そこでジュリアンはアレウスに目配せをする。訊ねるのを引き継いでほしいらしい。ジュリアンだけが訊ね続けるのは記憶に残りやすく、そしてなにかに固執しているのではないかと疑いを持たれてしまう。
「僕たちもです。なんとか野宿をしようとも考えたのですが、次の日も歩く予定ですので体調を考えて宿屋に泊まることにしたんです」
「それはそれは……こんなご時世ですからありがたい限りでございます。元より宿泊客は少ないのですが、戦争が始まってからは更に……ああでも、こんなことを言っていたなんて誰にも仰らないでくださいね?」
「分かっています。僕たちも戦争には辟易していますから」
秘密の共有。同時にお互いに戦争は望んでいないのだと確認を取らせる。嘘ではなく本意であるため、宿屋の主人に疑われたところで全て誠実に話す準備はできている。
「まぁ、しかし、私たちは廃業という道も一応ながらに考えながら続けていくつもりです。長引けば長引くほどに旅人さんの数は減りますし、ここのところ商人の方々も減っているので。やはり別の生業を事前に考えておかないとなりませんから。妻と路頭に迷うわけにもいきません」
「そうですか……ご無理はなさらないでください」
この言い方は暗に追加報酬を求めてきている。アレウスは金貨を二枚、宿屋の主人に手渡す。
「いやぁ、旅に慣れていらっしゃる」
途端に陽気になり、主人はアレウスの肩を叩く。
「今日は良き人に巡り会えました。これも聖女様のおかげでしょう」
聞き慣れない感謝の仕方である。
「聖女様?」
だから、ガラハが呟くように疑問を向ける。これはドワーフである彼の方がより一層に効果的だ。山での暮らししか知らないと主人は思い込んでいるため、アレウスやジュリアンが訊くよりも相応の説明をしてもらえるはずだ。
「ああ、旅人の方々もよく首を傾げますのでご安心を。連合国内では聖女信仰なんです。神などという名ばかりの姿形すら見せもしない者たちに比べれば、この世にありとあらゆる祝福を授けてくださる聖女様こそが信仰に値する……などと、誰もが口を揃えて仰るんですが、実は私もよくは知らないんですよ。ただ、知っているフリをしなければなにかと面倒ですので……ああ、これもご内密に」
「泊めてくださる人を売るほど僕たちは人として腐ってはいませんよ」
実際、密告したところでアレウスたちには旨味がない。
「私の悪いクセなのかもしれませんが、どうも旅の方々には愚痴や不満を話してしまうんですよ」
宿屋は状況にもよるが国や種族を問わず、極悪人でない限りは泊める傾向にある。そうなると自然と国の内外を問わず、様々な話が自然と耳に入ってくるのだろう。なので自分たちの置かれている立場に疑問が生じやすい。
「気を付けてください。僕たちのように口の堅い旅人は滅多にいない」
「ええ、心得ております。私も馬鹿ではありません。顔色や態度、口調や姿勢などから出せる話と出せない話は区別しております」
そう言って主人は金貨二枚を懐へ収める。これ以上は語らない。そういった意思表示だろう。
「大部屋へ案内いたします。酒を含めた夜食は十一時までですので、今からですと三時間ほどの利用時間となります。申し訳ありませんが入浴場はこちらでは用意しておりません。朝食が必要であれば明日の朝に連絡をください。ただ、朝食代はまた別途掛かります」
主人はそう言ってアレウスたちに数字の入った木札を手渡す。宿泊客の証として携帯しておけということらしい。アベリアとクラリエも主人の妻から受け取っていることだろう。
「では、大部屋へと案内いたします」
主人がアレウスたちを奥へと案内する。だが、大部屋に向かう廊下でアレウスは立ち止まり、ジュリアンは腹立たしげに主人の背中を睨み、ガラハは無言のまま怒りを露わにする。
「どうかされましたか?」
「ご主人、これは一体?」
「ああ、紹介し忘れていましたね」
極々当たり前であるかのように主人は朗らかに笑う。
「と言っても、気になさる必要はありません。私たちが飼っているペットですから」
首輪の付いたペット――人間は、虚ろな目でこちらを見るだけでなにを語ることもしない。
「よく躾けてあるでしょう? 一度飼ってしまうと案外、愛着が湧いてくるんですよ。そりゃ食事代はかさみますが、いやはや犬や猫を愛玩動物として飼うよりも使い方も沢山あるので便利ですよ。旅の方々も奴隷を故国で飼ってみてはどうでしょうか」
気の良い主人であることに違いはない。だが、当然のように嫌悪感を抱かずに奴隷を飼っている。まるで一般的であるかのような言い方も気に掛かる。
「聖女信仰では奴隷の存在を許していらっしゃるのですか?」
「むしろ推奨していらっしゃいますよ。一家に一匹はいるんじゃないでしょうか」
なにか問題が? とでも言いたげな視線が刺さる。
とんでもない闇を見せられている。アレウスたちはそう思うが、主人たちにとってはこれが日常の風景なのだ。
連合という国は形態として間違っている。仲間との話し合いでは言い切ることをしなかったが、アレウスはこの瞬間をもって心の中で力強く断言した。




