命を助けるために命を賭ける
【鱗鬼と海蛙】
水棲生物に属するが、どちらもゴブリンやコボルトの亜種に近い。
サハギンとキックルは協力関係にある。キックルは鱗を持たず体躯もそれほど大きくはないが、跳躍力と舌の長さに優れるため、サハギンのために獲物を拘束する役目を担うことが多い。そしてサハギンはそうやって手伝ってくれたキックルに獲物の肉、そして魔力を分け与える。この協力関係は地上の生物を狙う際に強く見られるのは、水中に適応した体では陸上において人種に敵わないどころか逃げられることもあるため、より確実に水辺に潜み引きずり込む隙を窺っている。
今回、アレウスが遭遇したサハギンとキックルは海水に適応した魔物。ただし海だけに棲息しているというわけではなく、淡水に適応した種も存在する。
*
アレウスはギルドに付随しているトイレで口蓋垂に触れ、吐き気を催させ、自分の意思で胃の中の物を吐く。溜め池の水を飲んでしまった。僧侶の『解毒』の魔法を掛けてもらわないと感染症と寄生虫のリスクが伴う。デトックスポーションは持ち合わせていない。だから、それらのリスクを少しでも低下するために、吐き切ってからトイレを出る。
「キギエリは拘束し椅子に縛り上げ、あとのことはギルドに任せなさい。私たちの監視ではまた逃げられてしまいかねません。全ての溜め池への接近を禁じます。そして、アレウリス・ノールードとアベリア・アナリーゼの両名の要求には可能な限り答えるように」
エイミーの指示によって、村人があちらこちらからギルドへと集まって来る。
「蛙の鳴き声はキックルのもの。そして、魚の死骸はサハギンの幼生。キックルは溜め池の近くを通った村人を舌で引きずり込み、サハギンは村人の所持品を全て異界へと持ち帰る。間違いありませんね?」
「そうです。早急に依頼を出します。異界に堕ちたヴェイナード・カタラクシオの捜索。費用は僕が持ちます」
「お金に余裕があるわけじゃないはずですが」
「だからって放っておくわけには行かない。僕の代わりにあいつは堕ちた! キックルが見えた時に、ヘマをした。もっと引き寄せるべきだった! あの時、腕ではなく頭を裂いていたなら!」
「後悔はどれだけしても、現状が良くなるわけではありません。落ち着いて下さい」
「落ち着いてはいますよ。でも、今回はニィナとは違います。あの穴には間違いなく異界獣が棲み付いている。僕とアベリアでは救うどころか、共倒れになってしまう。だからと言って、リスティさんの協力を仰いだところで、救える確率が上がるというわけでもない。だから依頼を出すんです。借金なら幾らでもしてやる。お金なら幾らでもくれてやる。命を助けることに、お金で悩む理由はない!」
あの時、あと一掻き。あと一掻きしていたならば、アレウスの手はヴェインに届いていたかも知れない。もしもを語ったところでどうにもならないことは知っている。想像したって変わらないことは知っている。だが、このような形で当事者になると、あらゆる人種が語る「もしもあの時」という言葉を遣いたくなってしまう。
「お金が必要であるのなら、お祖父様が私のためにと備えていらっしゃるあらゆる金品を献上します。お祖父様は、このようなことに使うために備えているのではないと怒るでしょう。しかし、私が持つ物全てを出してでも、ヴェインを助けたいのです」
「馬鹿息子を救って下さるのなら、家など要りません。売れる物ならなんでも売り払います。だからどうか、どうか……!」
「だから皆さん落ち着いて下さい。ギルドは欲に目が眩んだ、お金をぼったくる施設ではありません。この場所は、」
「あらゆる人々のために、あらゆる難題を解決する場所であり、人種の命のためならば報酬すら要らないと豪語する者たちが集う場所。ヴェインは初級冒険者ながらに自らを賭してエイミー・エルフロイト様を救い、また友人であるアレウリス・ノールードをも救おうとした。そのような素晴らしき志を持つ者を、私たちは魔物共にくれてやる気はありません」
「シエラ先輩……」
「冒険者に報酬を出すのは私たちギルド側。ですので、あなた方からはなにも貰うつもりもありませんし、受け取ることもありませんし、あとで要求することもありません。それと、アレウリス・ノールード」
「はい」
「あなたとアベリア・アナリーゼは異界であれば中級かそれ以上と聞き及んでいます。ヴェインだけが異界に居ては生存確率は限りなく低い。緊急として既に依頼は出しておりますが、冒険者が集うまでの間に彼が死んでは全てが水の泡です。リスティ?」
「……アレウスさんとアベリアさんには異界に堕ちて頂き、ヴェインさんと合流してもらいます。そのままベースを見つけたならそこで待機。見つけられなかったなら、魔物に見つかりにくい場所で同じく待機。可能ですか? 死にに行くような、そのような馬鹿をしないと誓って頂けますか?」
重い口調でリスティが訊ねて来る
「ヴェインを救う足掛かりになれるのなら、僕は絶対に死なないと誓います」
「私も!」
「今更、訊く必要も無いことでしたね。分かりました。私は、あなた方を信じます。二人がやるべきことは先ほど話した通りです」
「「はい」」
「それとアレウスさん。あなたが最善と思ったことです。あなたが、あなた自身をずっと貶し続けてはなりません。今回のこれは決してミスではありません。ですが、あなたがこのことをミスだと思うのなら、きっとミスを誘発します。ですから、ムキにならないで下さい。分かりますね? 中堅以上の冒険者がやって来るまで、前衛はあなた一人となります。あなたが倒れれば、全員が倒れる。その重圧を敢えて言葉としてぶつけます。きっとその重圧で、あなたの急く気持ちが止まってくれると信じて」
「お心遣い、感謝します」
アレウスはリスティに頭を下げたのち、エイミーを見る。
「食料をお願いします。乾パンは駄目です。干し肉や干し芋なら水で戻すことになってしまっても、焼けば食べられます。異界の向こう側は海水である可能性を考慮して、採れたての柑橘系の果物をお願いします。それ以外はこちらで持って行くかどうか判断します」
「分かりました。聞きましたか? 村から食料を掻き集めて来て下さい!」
村人が一斉にギルドから出て行く。
「……どうかなさいましたか?」
「こんな事態になってしまって、申し訳ありません」
「……私は、ヴェインの意志の強さに惚れ込みました。あの場、あの時、私だけでなくあなたをも救おうとした。本当に、愛して良かったと……思っているほどです。けれど……まだ、あまりにも早い。まだ、居なくなって欲しくは……ない。ですから、どうか……命を、繋げて下さい。たとえ、無茶な願いであるのだとしても……儚く消える灯火のような、願いなのだとしても……」
今にも泣き崩れそうなエイミーをアベリアが支え、互いの額を押し当てる。
「あなたは務めを充分に果たしているから、今度は私たちの番。アレウスのミスを、私が取り返す。取り返して、マイナスをゼロにして、そこからプラスにする」
「はい……はい」
「時間がありません。食料を鞄に詰めてからすぐに行きます。あと、ギルドの人に頼んで飲んだ水を吐き出せるだけ吐き出して下さい。感染症や寄生虫のリスクを減らせます。冒険者がやって来たら、『解毒』の魔法も一時的に掛けてもらった方が良いと思います」
アレウスはアベリアをエイミーから離す。少々、ぶっきらぼうだったかも知れないが頭は冷静に、けれど事の解決をするためには早急に異界へ。相反する感情に挟まれて、アレウスはさながら自分の体ではないかのような感覚に陥っている。
「……落ち込む暇は無いから」
「落ち込んでなんかいない」
「ちゃんと思い出して。私たちは、どうして生きているの? 私たちは、なにをするの? 私たちは、なんのために冒険者になったの? ちゃんと見つめて、考えて。元通りのアレウスじゃなきゃ私、指示には従わないから」
あの男とあの女性に異界で見つけられ、救われた。全てを知って、異界を壊せと言われた。そこにきっと生きている意味があるから。そして、あの男とあの女性のように全ての人種を守れるような冒険者を目指したいと思った。
一つ一つ、アレウスは自分の中の軸を見つめ直す。懊悩と葛藤を繰り返していても、その軸だけはブレさせてはならない。自分自身を見失ってしまう。
「ヴェインを守る」
「その顔なら、大丈夫」
励まされ、アレウスはギルドから出る。村中から集められた食料を見た目だけで判断し、鞄に詰めて行く。吟味している時間は無い。目利きはそこまで出来る方ではないが、これまで食べて来た物から経験上、日持ちするか否かを決める。
そして一つの林檎を齧って、先ほど吐いたことで弱ってしまった胃を強引に刺激させて、体中の虚脱感を解消させる。
荷物は纏まった。アレウスとアベリアは溜め池へ向かう。
「キギエリはどうしてあんなことをした?」
「ロジックを書き換えられていた」
「いつ?」
「かなり以前……そこまで長く、そしてロジックが書き換えられていたのに定着していたの」
「つまり、間違った生き様が正しい生き様に塗り替えられたのか?」
「そうなる」
「ロジックについて詳しく、更には書き換える力が強い奴しか不可能だろ。僕たちなんて二人で力を合わせて、ようやく知り尽くした異界を閉ざせるくらいだぞ」
それもリオンの異界限定である。それでもリオンが棲む異界はもう書き換えられないと考えている。異界獣も馬鹿ではない。同じような造りであっても、同じような概念にしようとは思わないはずだ。だから、リオンが捨てた異界だけが対象となる。
「そのことはもうリスティさんに伝えた」
「ギルドで監禁するなら、もうあいつが悪さをすることはないだろうけど」
「エイミーが村の人たちを諫めてくれているから、殺されることもないはず」
「帰って来たら、僕もロジックを読ませてもらう」
「その方が絶対に良い」
「あとは魔物が引きずり込むにしても痕跡を消すのが上手すぎる」
「水に濡れたサハギンが陸に上がれば、必ず水溜まりが出来るはずなのに、それがアレウスもそうだけど私ですら見つけられなかった」
「手練れの狩人、或いはそれに属する技能を有している者が手引きをしているとしか思えない。だけど今は後回しだ」
「ヴェインを一人切りにはさせておけない」
溜め池を前にして、アレウスはアベリアと手を繋ぐ。
「異界は海中、そうじゃなくとも水中だ」
「そうなると一緒に異界で溺れ死ぬ」
「だけど」
「異界獣は死者よりも生者から魔力を吸いたいはず」
「絶対に生かすための地点はある」
共に息を吸い、そして止める。勢い良く溜め池に飛び込んで、見えて来た穴に侵入する。




