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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第12章 -君が君である限り-】
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試しに

 ドワーフの里からシンギングリンに帰ったアレウスは家のロビーでくつろいでいたガラハに経緯を話し、ヴィヴィアンのことを任せた。当初は嫌そうな素振りを見せていたものの、家から出るときにはほんのりを笑みを浮かべる程度には彼女に会いに行くことを楽しみにしているのが窺い知れた。スティンガーが冷やかすように彼の周りを飛び回っていたので、アレウスの所感は間違ってはいないはずだ。

「面倒なことを頼んでおいて自分のやらかしを正当化するのはどうかと思う」

「え、あ、はい。すいません」

 しかし、家でガラハと同じようにくつろいでいたアベリアに事情を聞かれてしまい、彼女はアレウスを軽蔑の眼差しで迎えた。

「読心術なんて習得していたっけ?」

「分かりやすいくらいに顔に出てた。自分は悪くない、って部分も一緒に」

「はい……御免なさい」

「そう思うならガラハが帰ってきたらちゃんとお礼をすること」

「はい」

 しっかりと(たしな)められてしまい、アレウスは意気消沈する。アベリアはショボンとするアレウスに反省の色を見て、弱く発せられていた怒気を鎮める。

「クルタニカがさっき探してたよ? 多分、庭にいる」

「僕に? なんだろうな……」

「私、部屋に戻ってるから。なにかあったら呼んで?」

「ああ、ありがとう」

 廊下の方に消えていくアベリアを見届けて、アレウスは家を出て間際にある庭へと向かう。


 今のところ共同住宅の傍にある土地を誰も所有したがらないのでエイラの家が不動産として所有している。そこにゴミが放棄されたり、虫が湧いたり、雑草が生えないようにアレウスたちが管理する代わりに変なことに使わない限りは使用権が一時的に認められている。


「どこに行っていたんでして?」

 アレウスを見つけ、クルタニカが開口一番に訊ねてくる。

「ドワーフの里に頼んでいた武器を取りに行っていま――いたんだ」

 未だにアレウスはクルタニカに敬語を使いそうになる。しかし最近の彼女は敬語を使うと露骨に不機嫌になるため、使わないように気を付けなければならない。

 だが、クルタニカは生きてきた長さだけに留まらず知識や価値観、経験がアレウスよりも圧倒的に豊富なのだ。冒険者としても先達者に当たるため、敬う気持ちを無意識に敬語として表現してしまう。

「なら丁度良いな。私も(くだん)の刀を昨日、取りに行った」

「丁度良い?」

 なのにカーネリアンには敬語を使おうとは思わない。生きてきた長さも知識も価値観も経験もアレウスより上回っているに違いないのだが、彼女に対してだけは敬いこそあれ、基本的に平等な言葉遣いでいいだろうと身勝手にも思ってしまっている。

「少しばかり手合わせをしてもらいたい」

 そう言った彼女の背中から、こそっとエキナシアが顔を覗かせる。

「以前より機械人形の雰囲気が変わっているような」

「刀を鍛え直してもらえばそうなる」

 カーネリアンはさも当然のように言うが、刀を鍛えれば機械人形も成長するという考え方はガルダだけが持つ独特な価値観だ。すぐには受け入れがたいものがある。なによりエキナシアは猿轡(さるぐつわ)をしていたはずだが、彼女の口は以前からそうであったかのように自由を与えられている。

「エキナシアは製作過程で人形という面よりも人間という面が強くなるように作られているんでしてよ。球体関節やそれぞれのパーツの(あら)を見えないようにしてしまえば、誰も機械人形とは思いませんわ」

 その知識はきっとカーネリアンから教わったものであるはずなのに自分のことのように誇らしげに語る。アレウスが同じようにされると若干、嫌な気持ちを抱いてしまうのだが、クルタニカに悪気はない。友人の持ち物を素直に褒め称えているつもりなのだ。その性格をもう幼い頃から知っているカーネリアンはなにを言うこともせず佇んでいる。

「機械人形はどこまで精巧に人間へ近付けても宿っているのは悪魔でしてよ。綺麗だから可愛いからとカーネリアン以外が近寄れば容赦なく斬られてしまいましてよ」

「昨日、クルタニカが抱き付こうとして斬りかかられていたからな」

「それは言わない約束でしてよ!」

 自分自身の失態を明かされたクルタニカが怒った風に怒鳴る。実際には怒っていない。友人――親友同士の戯れである。恐らくアレウスが同じようなことを言えば彼女はこんな風には怒ってはこないだろう。もっと理路整然と静かに怒る。言動から勘違いされがちだが、クルタニカは冷静に怒ることもできる一面を持ち合わせているのだから。


「手合わせ……刀の出来がどれほどか知りたいんなら魔物を狩ればいいんじゃ?」

「ここら一帯の魔物では物足りない」

 シンギングリン近郊は基本的に魔物の能力が低い。これはギルドを持つ村や街、都市ではよく見られる現象だ。冒険者が拠点する周辺地域は魔物が早期に狩られるため、終末個体のような凶悪な強さを持った魔物は普通は現れない。拠点から遠くなれば遠くなるほど、同種の魔物であっても強個体に変わる。

 よって、オークやオーガが周辺の森に棲息していたのはリブラによってシンギングリンが異界に消え、人気どころか冒険者の気配すらなくなっていたためだ。現在、それらの問題は解消されているだけでなくシンギングリンに舞い戻った冒険者たちによって掃討も行われたため、棲息している魔物の強さは少しずつ元の状態に戻りつつある。

「僕に務まるとも思えない」

「貴様の他に、一体誰が務まる? 剣術に魔法で相手をされても困るからクルタニカには頼めない。ドワーフでも構わなかったが、所用で里に向かった。ならばもう、貴様しかいないだろう?」

 自らのやらかしがこのような形となって返ってくる。人に頼み込んで帳消しにしてもらおうとするのは良くない結果を生む。


 だが、やらかしの原因になったのは『竜眼』について訊ねたせいだ。元を辿ればエレスィに責任があるような気がする。

 そんなくだらない責任転嫁を思い浮かびこそしたが、ドラゴニュートだから『竜眼』を知っているだろうと直結して物事を考えたことがやはり浅慮だったとしか言いようがない。


「逡巡は済みまして?」

「逡巡していたというより、自らの行いを省みていただけで」

 クルタニカは既にアレウスとカーネリアンの手合わせを見届ける準備に移っている。二人の間ではアレウスが肯いたことにされているので、もはや逃れられない。


 カーネリアンと手合わせはしたくない。これがノックスやセレナならアレウスも二つ返事だった。理由は力量が限りなく近しいから。特にノックスとは『合剣』を放てる点から見ても切磋琢磨すべき相手だ。何度だって手合わせをしたい。だが、彼女は別だ。いや、別格だ。ガラハ同様に頭一つ抜けている。ガラハが頑強や筋力に長けているとすれば、カーネリアンは剣術の練度や素早さが抜きん出ており、そこに筋力や器用さが高い水準で付いてきている。

 全く敵わない相手ではないが、百ほど手合わせをしてもアレウスには十ほどしか勝ち目がない。ひょっとしたら五もないかもしれない。

「制約としてカーネリアンは飛ぶことと『悪酒』と機械人形の協力なし、秘剣なし。アレウスも獣剣技なし。貸し与えられた力はほんの僅かに使用を可としますわ」

 それぐらい縛らないとアレウスはカーネリアンと同等には戦えない。そう言われているような気持ちにさえなる。

「なにを不貞腐れている? 殺す気で行けば殺し合うことになるから制限を設ける。どんな手合わせでもそうだろう?」

「制限の数が多いような」

「『悪酒』も機械人形も私だけの力ではない部分が大きい。頼っているものから一時的に自身を切り離し、頼らなければならない力に順応したい。それだけのことなのだが」

 カーネリアンは口元に手を当て、思案する。

「それとも、私と手合わせをすることが不満か?」

「そんなわけない。むしろ畏れ多いことで」

「ふっ、畏れ多いのは国の頂点や各々の機関に属する君臨者だけにしておけ。ふてぶてしいぐらいが貴様だろうに」

 そう言ってカーネリアンがクルタニカを中間としてアレウスから距離を取る。

「私は『冷獄の氷』を未だ、使いこなせていない。少しずつ使えるようになりたい。だから貴様が使いこなしているところを見て、真似たいのだ。私は貴様で新しい刀の切れ味を確かめたいわけではない。私が、貴様に学びたい」

「だけど」

「心配いりませんわ。リオンとの戦いで負傷した傷を無理やり治しはしたものの病み上がり。そしてなにより、カーネリアンは普段着ではありませんわ」

 普段着、という部分が気に掛かりアレウスは改めて彼女の装いを見る。


 ガルダの普段着がどのようなものかの知識は薄いが、記憶の中でカーネリアンは軽装な出で立ちに袴を履いていた。この袴という履き物に限らず着物もガルダ以外に身に付けているところをこの世界では見たことがない。そのため、彼ら彼女らにとってそれらは普段着、もしくは礼装にも近しい代物なのだろう。

 だが、今のカーネリアンは洋装――ヒューマンが休暇中に身に付けるような衣服に包まれている。

 そもそもこの世界に洋の東西などないため『洋装』、『洋服』という言葉はアレウスにとっては違和感しかない。だが、この言葉はヒューマンのみならず多くの種族の中で使い込まれているため、とやかく言うよりも浸透しているのだと納得してしまった方がいい。


「……なんで?」

 だが、そんなことよりも素直な疑問と共に、彼女が洋服を着ていることがどうして「なにより」などと言えるのかが分からないためアレウスはクルタニカに質問する。

「言ったはずでしてよ。少し恥ずかしい目に遭わせてでも反省してもらわなければならないと。だからいつもと違う服を着てもらったんでしてよ」

「だからなんで?」

 どうしてそれで「なにより」に繋がるのか分からないためアレウスは再度、質問する。

「恥ずかしがり屋のカーネリアンがあんなミニのスカートを履いて大立ち回りできるはずがありませんわ。きっと翼を使うことさえ躊躇うはずでしてよ」

「いや、下に肌着――インナーの一枚でも履いているだろ。さすがに」

「だとしてもガルダは肌着を見られなれていないのでしてよ。戦いの中で大いに視姦してください。それが反省に繋がりましてよ」

「視姦とか言うな」

「役得でしてよ」

「どこがだ……」

 やらかしたせいで手合わせをすることになり、やらかしのせいでカーネリアンの反省を促すための舞台装置にまでさせられている。


 人に物を頼むときはその時点で一体どのような予定があるかどうかを調べておいた方がいい。今回の一件で学べただけマシなのかもしれない。


 大体、肌着やら下着やらが見えて困るのはカーネリアンだけでなくアレウスもである。武人と認めている女性を唐突にそういった目で見たくはない。見る羽目になる方が辛いものがある。そもそも見る余裕すらないようにも思える。


「もういい。好きなようにやる」

 ヤケっぱちに呟きつつ、アレウスは短剣を抜く。カーネリアンがそれを見て刀を抜いた。鋭く美しい刀身は以前に見た炎のような荒々しさが身を潜め、刃紋に冷たさが感じられる。エキナシアに感じた違和感は猿轡をしていないことだけでなく、この刀身のような冷ややかさを内に秘めているような雰囲気があったからだろうか。


「両者、準備はよろしくて?」

 互いに肯く。

「では…………始め!」


 カーネリアンが冷気を纏い、翼が黒く染まる。合わせてアレウスも貸し与えられた力を着火させ、炎を宿す。ただし、その熱量も冷気も最小限に留まる。クルタニカに言われた通りの制限であるのもそうだが、あまりに互いに暴れすぎてしまうと庭の隅に置いてあるアベリアとリスティの植木鉢に被害が及ぶ。そうなると物凄くお互いにとって逃避したくなるような厄介なことが起きてしまう。無意識にではなく意識的にそれを避けた面もある。


 武器の長さでは劣っている。だからこそ先手を打つ。後手を取れば間合いで蹂躙されるだけだ。ならば気配を消して短剣の間合いに入り切り、刀を振るのを躊躇うほどの近距離で立ち回る以外にない。

 気配消しの技能と共に突っ込んだアレウスは低い姿勢からカーネリアンの首元を狙って切り上げる。だが、彼女は最小限の腕の動きでアレウスの剣戟を受け止め、いなし、そしてもう一方の手で握られた拳がアレウスの肩を打つ。鈍い痛みに苦悶し、僅かに後退するがそれでも下がり切ることなく間合いを維持し、続けざまに何度も剣戟を放つ。


 この間合いで――刀を単純に振り切るには難しい間合いでカーネリアンは手首と肘、そして肩の関節の可動範囲を完全に掌握したままに動かし、やはり最小限の動きで剣戟を防がれる。

 一筋縄にはいかない相手だ。ましてや正面から戦っても勝てない相手である。そうなると搦め手から攻めることになる。気配を消してアレウスはカーネリアンの後方を取る。しかし、たとえ気配を消しても彼女はそれを読み解く力を持っている。いわゆる感知の技能に当たるのだろうが、武人として築き上げた経験と己に降りかかるあらゆる意識に対して尋常ならざる反射神経を誇っている。

 だから追い付かれる。後方を取っても、彼女と正面で向かい合った状況が生まれてしまう。どれだけ後ろを取ろうと考えても、どれだけ横を取ろうと動いても、彼女の足運びは巧みであり、感知の技能は的確だ。

 斬撃が飛ぶ。アレウスは短剣で受け止めにかかるが、踏み込みが強い。これだけ接近した中で、アレウスが僅かに間違えた足取りで生じた、たった一瞬の刀を振ることの間合いを見逃さず、更には踏み込む度胸を持ち合わせている。当然、短剣にのし掛かる力は強く、日頃の鍛錬を怠っていたならばまず間違いなくこの一撃で、アレウスの短剣は打ち飛ばされていた。

「これを止めるのはさすがだな」

「さすがと言われるほどのことじゃない」

「いいや、良い動きをしている」

 刀を払い、アレウスは距離を取る。この距離を取った理由は恐怖から来るもので考えて行ったものではない。刀を短剣で払い、彼女の腕が後ろに伸びても、そこから一気に畳みかけられる恐怖心がアレウスに後退の決断をさせた。生存本能による決定は、抗い難く、しかしながら抗えなかったがゆえにカーネリアンは間際に迫っている。


 なにが病み上がりだ。とアレウスは心の中で愚痴を吐く。どう考えてもカーネリアンは十全の状態でアレウスに斬りかかってきている。


 だが、素直に負けは認めたくない。負けず嫌いな自分自身が顔を覗かせ、彼女の斬撃に剣戟で対抗する。

 爆ぜる炎、凍て付く剣風(けんぷう)。混じって生じる水蒸気は手合わせの熱を表すように互いの肌を汗だけでなく水で濡らす。


「秘剣を使えないのがなんとも残念だ」

「使えなくてホッとしている」

 アレウスの短剣が起こす剣戟に混じる炎を受け続けることを拒むようにカーネリアンは後退しつつ冷気混じりの飛刃を放つ。それらを一つ、二つと炎の剣戟で断ち切りながら再びアレウスが気配を消して俊足で間合いを詰める。

 たとえ気配を消すことに意味がないとしても、気配を発したまま攻め込むよりはマシ。その程度の考えであったが、この間合いの詰め方は具合が良かったらしく、カーネリアンは剣戟を受け止めこそしたが上体を大きく仰け反らせた。


 下からの剣戟が苦手らしい。先手とばかりに突っ込んだ際にはそこまで考えて短剣を振っていなかったが、改めて低い姿勢から切り上げてみると彼女の対応に下手(へた)が見えた。


 ガルダは普段から姿勢が正しい。背骨から腰骨に掛けて、椅子に腰掛けたときにでさえも一定の背中のアーチを崩さない。胸筋がそうさせるのか、それとも種族としての特質なのか、下を見るのを得意としていないように感じられる。


 自身に危害が及ぶ間合いで下を見る状態というのは種族問わずただただ危険な状態にある。その際、ガルダにとっての防衛手段は飛ぶこと。だがこの手合わせでは飛ぶことに制限が掛けられている。

 だが、下からの剣戟ばかりを行うのはリスクを孕んでいる。純粋に、切り上げばかりを繰り出していれば順応される。カーネリアンは素人ではない。武人である以上、数度の苦手な位置からの攻撃を受ければ自然と体がそれを防ぐように動き、次第に思考が対応できるようになっていく。

 五度ほど受ければ、逆にアレウスが反撃を受けることになるに違いない。


「今、五度は有効だと思ったな?」

 見透かされた。

 観察と考察を上回って、たった三度目でカーネリアンは苦手とする下からの剣戟を綺麗に受け止め、そして最大限の反撃としてアレウスに拳を放つ。

 頭部に受ければ脳が揺れる。それだけは避けなければならない。だからこそ鍔迫り合いをわざと押し負けつつ、後ろに身を引きつつ上体を起こしていくのだが――


 拳が再度、肩を打つ。二度目の鈍痛を右肩は訴え、あまりの痛みに手から短剣が零れ落ちる。悶絶しながらアレウスは左手で短剣を拾い、追撃の飛刃を打ち飛ばす。


 受ける部位までは考えていなかった。頭部に受けないことだけを考えた結果、一度打たれた右肩を再度打たれるという形となった。


「ふー……ふーっ」

 痛みで若干ながら過呼吸になりかけたが、上体を揺らしつつ深呼吸を繰り返して立て直す。その間にもカーネリアンは怒涛の勢いで詰め寄り、斬撃を放ってくるのだが、どうにかこうにか左手に握る短剣で対処し切る。

「利き手を封じられて、私の斬撃を受け切るか」

「両手に短剣を握る練習をしていた時期があってね」

「左でも振ることができるようにしていたのか」

「ああ、結局はフェイントやこういう意外性に使うようになってしまったけど」

 両手にそれぞれ短剣を握る。それがアレウスにとってベストの戦い方。そう思っていたのと、右手で振るう剣戟に慣れた相手に左手で振るう剣戟は理解しがたい軌跡を描くために有効な一撃になりやすい。結局、未だに一本の短剣を使い分ける程度しかできていないが、いつかは二本の短剣を使いこなしてみたいものだ。

 そう思いながら、軽い足取りでカーネリアンに踏み込み、下でも上でもない連撃に移る。必要なのは手数。刀では到底、受け切れないほどの加速に加速を加えた剣戟での押し切り。この状況でアレウスにはもうその手しか残っていない。


「見事! だが、」

 カーネリアンが不意に足を払った。

「まだ重心が甘いな」

 引っ繰り返りそうになる体を噴き出す炎で立て直そうとするが、冷気によって阻止され、更には地面を濡らした水気によってアレウスは踏みとどまるどころか足を取られて素っ転ぶ。


「そこまで! でしてよ!」

 クルタニカが制止するよう叫び、カーネリアンが刀をアレウスに突き立てる寸前で止まる。


「危うく殺してしまうところだった」

 冗談とも本気とも取れない怖ろしいことを言いつつカーネリアンが刀を鞘に納める。纏っていた冷気が薄らぎ、翼が黒から白へと戻る。アレウスも炎を消火させ、うつ伏せではどうにも格好が付かないため仰向けになる。

「あっ……」

 不意にアレウスが声を発し、カーネリアンはどうしたのだろうかとこちらを見てくる。

「いや、気にしなくていい」

「そうか。立てるか?」

「大丈夫だ」

 とは言いつつもカーネリアンが手を差し伸べる――よりも先にエキナシアがアレウスに手を差し伸べてくる。

「えっと……?」

「エキナシアの厚意に甘えろ」

 言われ、アレウスはエキナシアの手を取って上体を起こした。機械人形は表情一つ変えないままこちらを見て、なにかしらの満足を得てからアレウスから手を放し、カーネリアンに手を繋ぐように求める素振りを見せ、彼女はそれに応えて手を繋ぐ。


「善戦したんじゃなくって?」

「そうかな……もっと楽に僕を黙らせる方法はあったと思うけど」

「久方振りに楽しそうに刀を振るっているカーネリアンを見ましたわ」

「怖いことを言うな……」

「違うんでしてよ。いつも命の取り合いしかしてこなかったカーネリアンが、刀を振るうことに安らぎを感じているのが珍しいと思ったんでしてよ」

 言葉の行き違い、語感の間違い。それをクルタニカが訂正する。彼女の言うように、カーネリアンといるときは戦闘ばかりに巻き込んでいて、こうして手合わせのような、それこそ鍛錬形式のやり取りはしてこなかった。そういった意味では、研鑽を積むことの面白さの再認識に一躍買えた、と思った方がアレウスも気持ちはいい。

「それよりさっき、なにに気付きましたの?」

「え、いや、なんのことだ?」

「仰向けになったときに」

「もう夕方だから洗濯物を取り入れないとなーと思って」


 アレウスは起き上がり、辺りを見る。アベリアとリスティの植木鉢に被害はない。まずはそこに安堵の息をつき、続いて干していた洗濯物も無事であることに一安心する。アレウスの炎とカーネリアンの氷で起こった水蒸気で危うく洗濯した意味を失わせてしまうところだった。


「なーにか隠していませんでして?」

「本当の本当に、なんでもない」

 言えばカーネリアンに殺されそうである。なので一切合切、なんでもないことを貫き通す。


 仰向けになったとき、スカートの内側をアレウスは覗き見る形になってしまった。そこには肌着などではなく、洋装――ガルダの礼装ではなく、恐らくクルタニカが用意したであろう衣服一式の中に混じっていたのであろう下着が見えた。


「考えないでおこう」

 幸い、疲れ切っているため脳も深くは光景を刻み込んでいない。忘れ去れる範囲だ。考えれば考えるほど記憶として刻み込まれかねない。下着が見えた見えなかったで一喜一憂するような時期は過ぎているはずだ。


 ただ、意外性があった。


「駄目だ、落ち着け僕。なにも見なかった。そういうことにしておこう。その方が絶対にいい」

 呟きを落としつつ、アレウスは服に付いた泥を払う。それでも、この汚れは洗わなければ落ちることはなさそうだ。


 クルタニカはカーネリアンにアレウスとの手合わせについての感想を聞いている。


「……とても動きやすかったな」

 短剣の握り心地といい振り心地といい、納得のいく逸品である。アレウスはグリフとヴィヴィアンに改めて感謝の念を抱きつつ短剣を鞘に納めた。


「あ、忘れていましてよ! “癒やしなさい”!」

 そしてようやく、アレウスの右肩に続く鈍痛を取り払う回復魔法が届くのだった。

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