曰く、
*
グリフからの連絡をガラハ経由で受け取ったアレウスはその日に予定していた魔物退治を早めに切り上げ、ギルドの地下の『門』からドワーフの里へと向かった。落葉期にも入ると景色も一変し、辺り一帯は赤や黄色に包まれ、鮮やかに里を彩っている。だが、ドワーフたちにとっては火事の要因にもなりうるそういった落ち葉は厄介なものらしく、里の中では常に清掃が念入りに行われている。落ち葉のほとんどは里の脇道に掘られた穴の中へと集められ、その後、腐葉土としての役割を果たすようだ。ただ、落ち葉の溜まった穴に子供たちが遊び感覚で飛び込むことがあとを断たないため、見張りのドワーフの数は以前よりも増えている。
「あっはっは! 仕方ない仕方ない。好きな異性と一つ屋根の下なら抑えられないよ」
ヴィヴィアンはアレウスの話を大きく笑い飛ばす。
短剣を受け取りに来たというのに、ヴィヴィアンは以前に渡した金銭だけでは飽き足らず交換条件としてアレウスの恋愛事情を求めてきた。それもかなり赤裸々な内容を求められた。
恐らくだが、ヴィヴィアンはアレウスと初見の折、自分だけが恋愛事情を吐露したことに納得できていなかったのだろう。妙な不公平感を満たすためだけの条件であったのだが、背に腹は代えられないためアベリアとの関係を話すに至った。そして、大笑いである。
「むしろよく耐えていたほうだと思うよ。私がその状況だったらヒューマンみたく我慢はしないだろうから。で、最近は?」
「最近?」
「その一回だけじゃないんでしょ?」
「そりゃぁ…………そう、ですけど」
一回で済ませられることではない。人間の三大欲求の一つなのだから、簡単に逃れられるものではない。あとは求められれば応じないわけにもいかない。
「へー、案外やることやってるんだね。でも快楽目的に留めておきなよ? 身重になったら冒険者稼業は中断しなきゃならないし、再開できるのもいつになるか」
「分かっています、ちゃんと自重はしています」
頼むからこれ以上、この話をさせないでくれ。そんな願いを込めた返事と眼差しにヴィヴィアンが再びこらえ切れずに笑う。
「ヒューマンはこういうところは可愛いんだよ、こういうところは。それに比べてドワーフの連中はどいつもこいつも――」
そこからヴィヴィアンの愚痴を聞かされ始める。それもかなり長い。他では発散することのできない日頃、溜め込んできたものを吐き出している。聞き上手でも話し上手でもないアレウスはひたすらに相槌を打つことしかできず、更には段々とガラハに申し訳ない感情が湧いてくる。
こんなところをガラハに見られれば勘違いされないだろうか。いや、考えすぎか。いや、考えすぎな方がいい。そんな思考に悩まされ、ヴィヴィアンの愚痴の半分も頭に入ることはなかった。
「はー、でもいいなー。愛し合っている者同士なんだから誰にとやかく言われることもなさそうだし」
と言って、ヴィヴィアンは鍛冶屋に設けられている時計を見る。グリフが工房からアレウスの顔を見て「大概にしとけよー」と声をかける。
「いやー御免ね? お客さんを長い間、引き留めちゃった。でもお父さんは仕事中だから私たちの話は聞こえてないよ。聞こえていたら口うるさく言ってくるから。『なんてことをお客さんと話しているんだー!』って。別に人間が生きる上で起こる当たり前のことを話しているだけなのにね」
謝りはしているが、そこからは反省の色が見えない。これからもヴィヴィアンと会うたび、愚痴に付き合わされるような関係になってしまいそうだ。そうなるとやはりガラハに申し訳が立たない。その前兆が見えたら大人しくガラハに相談しよう。その方が彼に誠実であるし、なにより誤解が生まれることはなくなる。
ヴィヴィアンはアレウスの引換券を片手に鍛冶屋の奥に消える。
「最近、娘はえらく機嫌が良くてな。きっとガラハが顔を見せるようになってくれたからなんだが、父親としては複雑な気分ってなもんだ」
代わりに工房から受付を引き継いでグリフがアレウスに心情を零す。
「娘は隠しているつもりなんだろうが俺にゃ分かる。そりゃ家族以外にゃ話さなきゃ分かんねぇようにしているんだろうけどな」
「それは、ガラハだと都合が悪いとか、なにかですか?」
「いんや、そんなんじゃねぇよ。ガラハならヴィヴィアンを任せんのは全然構わねぇ。だが、どんだけ取り繕っても種族が異なる点は変わらねぇ。俺は心配なんだ。もしも、娘の理想の関係が成立したとき、周囲から奇異の視線が向けられるんじゃねぇかって。それで迫害されちまったらよぉ……俺は里長に訴えることしかできねぇ。俺が首を括って死ぬから、どうかあの二人のことは静かに見守っていてくれ、ってな」
「それはそれで迷惑になると思いますし、逆効果じゃないですか?」
「そんぐらいの気持ちでいるってこった。娘に起こる様々な嫌がらせは、この俺が全部吹っ飛ばすってな」
拳を固く握り、空に向けて拳を打つ。
「ただ、こんな親心も娘にとっちゃ邪魔臭いのかもな、とも思う。どうしたらいいもんなんだろうな」
そんなことを言われても困る。アレウスには子育ての経験はない。アベリアに親のような気持ちで接していた頃もあったが、それも今は掻き消えている。
「良い男と仲良くなって、一緒になってほしいとは思ってしまうのは分かりますが」
「そうなんだよ、そこだよなそこ。せめてお父さんの俺が見て、話して、安心できる男であってくれー……ってな。その点でガラハは全部持っている。あいつぁ話し下手だが話せば分かる男だし、力もあって、度胸もある。なによりチビっこい頃からずっと見ていたから、やんちゃしてた頃からあそこまでクソ真面目になってんのも褒めることしかできねぇ」
「やんちゃから真面目になっただけで評価されるなんて羨ましい限りですよ」
マイナスがプラスマイナスゼロになっただけで偉いと言われるなんて、普段から真面目に生きてきた人間にとっては不公平以外のなにものでもない。
「ずっとやんちゃよりはマシだってのが親心ってもんよ。そりゃずっと真面目な方が安心なのは変わんねぇけどな。そこに対してなんも言わねぇのは昔から真面目なら今後、不真面目にはなりゃしねぇだろっていう確実性が見えるからだな。言わねぇだけで評価はしてんだ」
「へぇ……本当ですか?」
あんまり信用ならないことを言うものだから追及してみるが、グリフは喉の調子を整えるような咳払いをして誤魔化してきた。
自論であって、一般的な論理ではないのだろう。
「お父さん? 仕事放り出してなに話してたの?」
「談笑していただけだ。男同士の秘密のな」
暗にグリフからヴィヴィアンには告げ口をするなと念を押された。彼女とそんな話をすることもないはずなのだが、口を滑らさないとも限らないので自信はないもののアレウスは肯きで応答しておく。
ヴィヴィアンは受付に置いた木箱を開け、中身を見せてくる。鞘に納められてはいるものの、以前からずっと握り続けていた短剣と遜色ない代物があった。手に取るように促されたため、アレウスはさながら芸術品を触るかのように慎重に手に取り、柄を握る。そしてゆっくりと鞘から剣身を解き放つ。
強い熱、そして炎。脳内を劫火が包み込み、握った左腕から全身を焦がすような感覚が駆け抜けた。
「曰く付き、というのは気にしなければいいという物じゃないんだ。そこのところは偶像と違う。だから厄介なわけだけど」
剣身は薄く赤みがかっており、新品がもたらす光沢はアレウスの顔を映す。
「けれど曰く付きにとっては弱点もある。それは曰くを知らないこと。どうしてそのように呼ばれているのか、どうしてそのように扱われているのかを知らない相手にとっては、一騎当千を果たした人斬りの刀であってもただの刀だ。太刀筋を知ろうとすること、剣筋を理解しようとすること――人間が持つ闘争本能と敵対心が織り成し、そこに生存本能が混じり合うことで成り立つ相手の武器への思考が、曰く付きを曰く付きたらしめる」
刀ではない短剣であるにも関わらず珍しく刃紋が見える。
「鍛造の過程はそこらの粗製の代物より丁寧にやっているんだよ。でも、それは刀が持つ刃紋とは違う。見た目はそれそのものだけど、違う。私の炎が込められている武器の刃は基本的にそういった刃紋を持つ。言っても、この世界に私の炎が込められている武器なんてあなたとガラハの三日月斧と、あと一つぐらいだったかな」
「炎に焼かれるような感じがありました」
「私の炎で、あなたの中にあるアーティファクトとの繋がりを強固にした。短剣にあなたが持ち主と認めさせるにはどうするか悩んだけど、あなたが見せてくれた炎に頼ることにした。私の炎がロジック内部を探り尽くし、事前に打ち込んだ曰くの力があなたの見せた炎に辿り着いた。下手をしたら焼け死んでいたんだけど、上手く行ったみたい」
なにも言わずに握らせたクセに、危ないことをやらせていたことにアレウスは視線で抗議するがヴィヴィアンは気にも留めていないらしい。
「曰く、『持ち主の炎を尽くすことなし』。曰く、『持ち主の炎に溶けることなし』。曰く、『持ち主の炎を喰らうが如し』。けれど、これを知っているのはまだ私とお父さんとあなただけ。あなたはこれから、私が呟いた“曰く”の通りにその短剣を振るい、人々に見せつけることで力を高めさせていく。人を怯えさせる呪いの力をね」
「エンチャントと違って育てねぇとならねぇんだ。エンチャントは鍛造に時間も手間も掛かるが、出来上がった直後から最高値が出る。だからどいつもこいつも曰く付きを作ってくれとは頼んでこねぇ。大抵の客はこう言うんだ。『良い“曰く付き”はないか?』ってな。育てる部分を省略して強力なもんを握ろうとする。そしてそういう連中は決まって、“曰く付き”に喰われていく」
アレウスは軽く短剣を振る。柄の形が以前とほぼ同じであること、そして以前より短剣に軽さがある。空を切ったときの感触が心地良い。
――――試し切りがしたい――――
唐突に浮かんだ思考に感情が乱れる。人を切りたいという最悪なことを考えた自分自身にアレウスは吐き気を憶える。
「正常だよ、それでいい。嫌悪感から嘔吐感を抱くならあなたは真っ当。そこで笑ってしまったら、人として終わり。“曰く付き”はまず強烈な切り殺したい欲を刺激してくる」
「どんなに丁寧に仕上げても、“曰く付き”は切り殺す対象が魔物じゃなく人に向くんだ。既製品はそこの欲は最初に握った人間が受け止めているから薄いんだけどな、それでも飲まれちまうのもいる。エルフの儀式によって仕上げられるエンチャント武器じゃ起こらねぇのにな」
「どうする、ヒューマン? ここで今から私と、お父さんを切り殺す?」
握っている短剣を投げ捨てたいと思っている。なのに手はしっかりと短剣を握り締めている。体が手放すことを望んでいない。体が望んでいないということは感情ではなく思考が、脳が、本能が短剣を握ることを望んでいる。
「切…………らない!」
アレウスは貸し与えられた力を着火させる。自身の体を渦巻く邪心を一気に焼き払い、そしてその炎は柄から短剣に渡り、小さく爆ぜる。
「良い判断。自分の持っている力を短剣に流し込んで手懐けた。持ち主だと認めさせるのは短剣から流れ込ませれば済むけど、大事なのはその先。ただ流れ込む力に従うのではなく、自分自身の持つ力を送り込むことで半ば逆流させるようにして混ざらせること。その短剣に込められた力は理解したと思うよ。あなたの意思に従わないと、砕け散ってしまうと」
体中にあった人を切りたいという気持ちが消し飛んでいることにアレウスは安堵の息を零す。
「前の柄を薪にしたのも良かったね。あなたと共に歩んだ以前の短剣のロジックが、たとえ柄であっても薪として使われたのだとしても、その短剣を鍛造するにあたって使われたことで一部を引き継いでいる。それがあなたの力を後押しした。でも、あんまり良いことじゃないんだ。曰く付きから新たな曰く付きを作ったことになるんだから」
ヴィヴィアンはアレウスに領収書を差し出す。
「軽すぎるといつも通りに振れば速すぎて、重すぎれば遅くなってしまう。でも、短剣はあなたに馴染んだ。もう軽すぎるも重すぎるもないと思うけど、どう?」
言われ、アレウスは再び短剣で空を切る。軽くもなく重くもない。最初に握ったときには若干の軽さがあったはずだが、今は絶妙な持ち心地がある。
「これが、“曰く付き”」
「感動しているのもいいけど、私が言ったことを忘れていないよね?」
「『持ち主の炎を喰らうが如し』、ですか?」
「良いことばかりを込められれば曰く付きなんて呼ばれない。曰く付きたらしめるのは負の力。負の力がないと、その短剣を形作ることはできないから。分かっていると思うけど、怖れて捨てたりしたら私にはバレるから」
この短剣と人生の果ての果てまで生きていく。それがヴィヴィアンがアレウスに提示した条件だ。
喰らうというのがどういった最期を表すのかは不明だが、常々に覚悟はしておかなければならないだろう。
領収書をアレウスは受け取り、短剣を鞘に納めて腰に差す。
「作っていただきありがとうございました」
「その短剣をこれからどんな風に使うかはあなた次第。魔物を討つために使ってもいいけど、己が使命や復讐のために人を切ってもいい。ただ、人を切るなら短剣に責任を押し付けないで。人を切った責任は短剣が背負うんじゃなく、あなたが背負うものだから」
「はい」
「あなたは覚悟を持ったヒューマンだよ。そこは私が保証する。あなたは道を間違えない。これはドラゴニュートの私の勘」
「ドラゴニュート……ドラゴニュート!」
「え、なに、どうかしたの? 私がドワーフじゃないことは前に言ったよ?」
短剣のことを考えすぎていて失念していた。
「『竜眼』についてなにか知っていますか?」
「ああ、なんだ。『竜眼』か」
ヴィヴィアンはあっさりとした返事をする。
「この眼は物体のロジックに干渉することができる。武器には使わないけどね。武器に使ってもエンチャントより脆いし、なにより武器として崩れちゃう」
「物体に干渉……?」
「開いて覗き見ることができるわけじゃないけど、剣に炎を与えたり、剣から金属の概念を引っこ抜ける。前者は炎を宿した剣になるけど、燃焼速度が高すぎて金属なのに燃え尽きる。後者だと金属製が消失するから、形を維持できずに崩れる。うーん、でも与えるとか抜け落ちさせるとは違うのかな。移し替える……かな? 炎がないと剣には与えられないし、金属の概念を引っこ抜いたら、その金属の概念は他の物体に与えなきゃならないから」
移し替え。それが『竜眼』の力だとするのなら、普段から変なものが見えているわけではないのだろうか。
「『竜眼』って普段から見えるものが違ったりします?」
「どうだろ。移し替えるときに線は見えるかな。あれとこれの性質を移し替えるんだーって思ったときに……でもなんでそんなこと聞くの?」
「『竜眼』を持つ子供が、いや、ドラゴニュートじゃなくてヒューマンなんですけど」
「ふーん……多分だけどその子、竜狩りの一族だよ。私からしたら竜殺しの一族だけど。ムカつきはするけど、大人だったら焼き殺してやろうと思ってたけど子供ならいいや」
ヴィヴィアンの性格ならば多少のことは明かしても構わないという判断だったが、どうやら危うい橋を渡ってしまったらしい。
「これでも生き残った者としての振る舞いもあるからさー」
「変なことを聞いてしまって、すみません」
「いいよー、ガラハの友達だから許すし『竜眼』を持つのが子供ならもっと許す。子供に罪はないっていう建前、私は嫌いじゃないから」
アレウスはグリフとヴィヴィアンに感謝の意を示すために礼をして、鍛冶屋をあとにした。
「……あとでガラハに埋め合わせを頼もう」
フェルマータのことを話した瞬間に空気がヒリついた。グリフはずっと首を傾げていたが、ヴィヴィアンはしっかりとアレウスに自身が抱えている感情を視線と雰囲気でぶつけてきた。
怒りがあった。彼女が内に抑えてくれたからどうにかなったが、他のドラゴニュートだったならフェルマータの命はアレウスの興味本位の質問で喪われていただろう。
こんな失態をガラハにカバーしてもらおうと思うのは浅はかではあるが、恐らくヴィヴィアンの機嫌を直させるにはそれが一番である。アレウスはガラハにすぐにでも会いたいがために足早にドワーフの里を去った。




