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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第12章 -君が君である限り-】
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「それで? 最終的にどうなったの?」

「ジュリアンが折れてエイラにお願いすることでフェルマータを彼女の家に置いてもらえるようになった」

 帰宅したアベリアに簡潔に起きた出来事を伝える。彼女は僅かに呆れるような素振りを見せたが、アレウスがフェルマータの扱いに困ったことも同時に理解し、小さな溜め息をつくだけで納得した。

「子供の一人くらい面倒を見られると思うのに」

「いや、無理だろ。フェルマータにはほぼ一から色んなことを教育していかなきゃならない。ジュリアンやエイラぐらい知恵を付けていたなら僕だってその線は考えた」

「……まぁ、私も人のことを言えるほどには頭は良くないけど」

「そこについては僕も同じだよ。正直、ヴェインやリスティさんにフォローしてもらえていなかったらどうなっていたか」

 社会性は身に付けているが、この世界における常識的なものは理解はしていても無意識に所作として行えるようにはなっていない。そこのところを完璧にこなせているのはヴェインやクルタニカぐらいなものだろう。ただし、クルタニカに関しては性格が足を引っ張っているが。

「エイラのお母さんが肯いたのなら、もう私がなにか言うこともないけど」

「でも知り合いで子供の教育の経験があるのは彼女の母親ぐらいだし」

 だからといって押し付けてよかったのかという罪悪感はある。子供の面倒を見ることは同時に喪った夫との想い出を遡ることにも繋がりそうで、心労を積み重ねないかという不安も残る。

「週に二、三回は顔を見に行った方がいいかもな」

「様子を窺うのは押し付けた責任があるから?」

「そうだよ」

 アベリアの言葉が胸に刺さりに刺さる。勢いに任せて押し付けてしまった。だが、責任は放棄したくない。フェルマータがエイラの家に馴染むかどうかやエイラと仲良くなれるかも分からない。彼女の環境として正しくない――もしくはエイラの家の環境を悪くする要因となってしまった場合は速やかに状況解決に乗り出さなければならないだろう。


 フェルマータの扱いについては今後も難しいところがある。エレスィは巫女に報告しに帰ったが、巫女の発言によってはフェルマータはエリアの家ではなくエルフの森へと連れて行かなければならなくなる。巫女が『魔眼』だけにしか興味がないのかそれとも彼女の今後の成長も考慮しているのかはエレスィの今後の動きで分かる。ただ、どっちの思考であってもアレウスが関われる部分は少ない。特に厄介なのはリオン討伐の立役者であることが知れ渡っていること。一過性のものであっても有名人となってしまっているため、エルフに肩入れをすると一年ほど前に起こった暴動の恨みを持つ者たちの怒りを買う。その怒りは間違っておらず正しいものだ。エルフによって人生を狂わされ、エルフによって家族を奪われた者は静かな恨みの念を募らせ続けている。昔から街で活動をしていたクラリエのようなエルフたちへの怒りは薄いが、遠方から来ているエルフについては常に攻撃的な視線が向けられている。これはシンギングリンに限らず、全国ありとあらゆるところで起きている偏見の眼差しである。馴染みあるエルフには優しく、馴染みのないエルフは嫌悪する。

 アレウスのようなちっぽけな人間では是正するのは不可能だ。それぐらい、イプロシア・ナーツェは世界に大きな禍根を残したのだ。諸悪の根源たる彼女を討たない限り、この偏見が晴れない。


「ただいま帰りました」

「おかえりなさい」

「おかえり」

 帰宅したリスティに返事をすると、彼女はなにやらむず痒い感情に駆られたらしく視線を泳がせる。

「返事をもらえるのは新鮮ですが落ち着きませんね」

「帝国に来てからは一人暮らしでしたっけ?」

「いえ、確かに王国では生家(せいか)で暮らしてはいましたが、家に帰っても返事をもらうことはほとんどありませんでした。あの家に今更、思うところはありません。思ったところでどうこうできるものではないというのもありますし、親の反対を振り切って騎士を目指した私はほぼ勘当されていたようなものでしたし」

 淡々と語りはするが、そのように感情を揺らさずに話せるようになるには時間が掛かったことだろう。アレウスは気軽に問いかけてしまった自分自身を咎め、反省する。

「ところで、シンギングリンに戻ってすぐにエイミーさんから窺ったのですがまた面倒なことになったそうですね?」

「……面目(めんぼく)ありません」

 まさかそこに繋がりができているとは思わなかった。だが、アレウスへの手紙をエイミーに預けていたのだからできていないわけがない。

「まぁ、別に怒ろうとは思っていません。面倒事は起こそうと思って起こせるものではなく舞い込んでしまうものなのですから。もしもこれで、アレウスさんたちが子供を預かる方向に話が進んでいたら怒っていました。絶対に無理ですからね」

 絶対にとまで言われてしまう。しかし腑に落ちる。アベリアも同感だったらしく、リスティにマイナスの感情を向けている様子はない。


「そちらの話は少しずつ調整していくとして、アレウスさんはこちらについてなにか知っていることはありますか?」

 そう言ってリスティは鞄から物々しいほど厳重に封をされた小瓶を取り出し、テーブルに置いた。

「ただのガラス製の小瓶ではありません。こちらの小瓶は強度を最大限に高める魔法が掛けられています。どうやら、入れ物そのものにおいても厳重に扱わなければならない液体のようで」

 見ただけではアレウスにはなにであるかは分からない。手に持ってみて、小瓶を振って液体を揺らしてみても思いつくものはない。

「これは?」

「油、だそうです。ただ調理などに使う植物や動物の油ではないらしく……ああ、あと封を開ける際にはあらゆる火元を完全に消火するようにとも言われました。火種が燻っているだけでも大変に危険だそうです」

「そこまで危険な物なんですか?」

 リスティが呟き、アレウスと同様に小瓶を覗いているが、こういった液体の特性を持つ物には心当たりはないらしく首を傾げる。

「ポーション系統ではなさそう」

「この液体は連合が使う兵器とやらに込められていたそうで、そこから抽出したものです。サンプルとしてギルドに回ってきた品なのですが、用心に用心を重ねろと言われていて誰も持ち帰ろうとしなかったので、仕方なく私が回収したという経緯がありまして」

「保管庫に置いておくことはできなかったんですか?」

「それも考えたんですが、こんなに厳重な管理をされているものを保管庫に入れているのも怖いんですよ。強度を上げる魔法だっていつまで維持されるか分かりませんし、割れて液体が零れたとき、一体なにが起こるのかも分からないんです。そんな危険な物を保管庫に置いていたら、他の保管物が危ないじゃないですか」

 そうは言われてもアレウスには液体の正体が分からない。

「臭いを嗅ぐのは?」

「封に付いては難しいものではありません。栓を抜いて、また()めるだけです。その栓に貼られているお(ふだ)にも魔法が掛けられていて、緩く嵌めても自然と現在の厳重さに戻るようになっています」

 アレウスは栓を抜こうとするが、リスティの言っていたことを思い出してテーブルに置いてあるランタンの灯りを消す。

「念のため、家中のランタンの火を消しておこうか」

 そう提案し、アベリアとリスティも了承する。手分けしてランタンの火を全て消すと家の中は月明かりのみに照らされる。とはいえ、目が慣れるまでは廊下を歩くことさえままならない。壁伝いに戻り、テーブルの椅子に腰掛ける。


 暗がりに男が一人と女が二人。なんともいかがわしい雰囲気が出来てしまっている。意識することを意識しないようにはするが、危険物を扱うはずなのに落ち着かない。しかし、アレウスをよそに二人はかなりの緊張感を抱いている。その表情を見て自身の浮かれている感情を脳内で叩きのめし、気を引き締めてアレウスは小瓶の栓を抜く。


 なんとも表現し辛い臭いが鼻をつく。刺激臭には違いないが、これまでのどんな油にもこんな臭いはなかった。二人も既に嗅いだ時点で拒絶を示しているのでアレウスはすぐに栓を嵌め直す。


「どうでしたか?」

「いや…………分からないですね」

「そうですか……連合ではこれを内燃機関として取り入れて、劇的なエネルギー革命を起こしたと聞いているのですが」

「エネルギー……内燃機関……いや、でも……ああ、そうなのかな」

「なにか分かったんですか?」

 そういった知識面で攻めれば液体の正体にはすぐに辿り着けた。


 産まれ直す前でもこの臭いを頻繁に嗅ぐことはなかった。もっと年齢を積み重ねていたのなら嗅ぐ機会も増えていただろう。


「ガソリンだと思います」

「がそりん?」

「えーっと、なんて表現したらいいんだろうな」

 アベリアがアレウスの言った単語をそのまま質問で返してきたため、説明の仕方に迷う。

「食用油ではない揮発(きはつ)性の高い油です。調理に使わず、石炭以上の効率の良い燃料です。ただ、扱いが非常に難しい……はず」

「揮発性が高い……どのくらいの温度で気化するんですか?」

「常温でも気化します。なので火元が傍にあると、気化した油に引火します」

 だから物々しく厳重に魔法を用いてまで封をされていたのだ。揮発油は素人が扱っていいものではない。そして素人でも管理ができるものじゃない。

「可能ならサンプルであっても処分した方がいいです。変に興味を持って触ったら大惨事になりますよ」

「このぐらいの小瓶に入っているだけでもですか?」

「恐らくは人一人ぐらいは簡単に焼き殺すことができてしまいます。皮膚に限らず衣服などに付着すれば致命的です」

「こんな小瓶の液体がですか……? それは、ちょっと想像が付きませんね……とはいえ私が知らず、アレウスさんが知っているということは、これは産まれ直す前の世界にあったということでしょうか」

「はい」

「となるとこの世界にも……がそりん? でしたっけ? そう呼ばれるに近い液体があるようですね」

「臭いについては僕も自信がありません。嗅ぐ機会なんてほとんどありませんでしたし」

 そもそもこの手の臭いがしているということは危険な場所であることを意味している。必然的に臭えば逃避する。それはこの世界においても悪臭が漂う場所に人が近付かないのと等しい忌避感から来るものだ。


 恐らく、ガソリンに近しい液体燃料がある。ただし、呼称として『ガソリン』が使われてはいないだろう。似て非なる物であるかもしれないし、性質が同一の物でも名付け人が異なれば呼称は変わる。


「ですが、サンプルとして受け取った物を廃棄するわけにもいかないので……いや、実験と称すれば処分することはできるかもしれません」

「やるなら着火装置を作った方がいいですよ。間際で着火させたら確実に死にます」

「それほどの燃焼能力と爆発能力があるんですか? そうなると石炭より扱いが難しいとはいえ、得られるエネルギーは相応な物になります。連合はこれを用いて兵器を運用しています。帝国にはこれを使う技術はありません。技術力の差は趨勢(すうせい)を握るもの。ただでさえ兵器の部分で劣っている我が国が連合と王国を相手取って勝機があるものでしょうか……?」

 リスティは慎重に言葉を選びつつ、帝国の行く末を不安視する。

「開戦時こそ混迷の極みではありましたが、現状では帝国と王国はまず連合を潰すという動きを取っています。それでも帝国内での王国への反感、王国内での帝国への批判は常々に高まりつつあるので、いつバランスが崩れてもおかしくありません。いえ、むしろ連合が二国間に挟まれながらも尚、前線を維持できているのか。それらの秘密が兵器にあるとすれば……」

「帝国と王国がこぞって連合を叩きに行っているのは、兵器の獲得を目指しているから」

「だと思います。脅威を手中に収めてしまえば、それは他国への脅威に変わります。自国への脅威を排除しつつ他国への脅威を獲得する。連合を制圧して得られる物があまりにも大きい。けれど、それこそ連合の思う壺ではないかと」

 液体の入った小瓶をアレウスから受け取り、リスティは鞄に丁寧に納める。

(うれ)いたところで、どうこうできるのはエルヴァなのでどうしようもないのですが」

 アレウスは窓を開き、念のため換気を行う。そして臭気を感じ取れなくなってからランタンにやや緊張しながら火を灯した。気化した燃料はもう家の中には漂っていないようだ。二人と協力して消していたランタンを改めて灯し直す。


「どれぐらい休暇する予定ですか?」

「せめて短剣が完成してからでしょうか。それまではお遣い程度の依頼や、周辺の魔物退治ですかね」

「私もクルタニカと一緒に教会の手伝いがある。誘われなきゃやらなかっただろうけど、誘われたから」

「そうですか、なら私もしばらくはお休みをいただけそうです。この家の掃除をするのも悪くありません。ここはただ共同生活をする家ではなく、アレウスさんに面識のある方々が集う場所――いわゆる集会所の一面も担っています。シンギングリンが脅威から解放されているからこそ、以前の理想とした使い方を再び目指してはどうでしょうか?」

「積極的のどうこうするという気は起きません。みんな、帰りたい場所はあるみたいですし」

「それはそうです。帰るべき場所があるから命を懸けられる。ですが、帰るべき場所は別に一つに絞らなければならないわけではありません。帰るべき場所が多ければ多いほど守るべき場所も増えてしまうのがデメリットですが」

「僕がそう決めたとしても、みんながどう思うかは別ですよ。なので、みんなの意見を僕は尊重します」

「そうですか。けれど、アレウスさんが不安に思う必要はありませんよ」

 微笑を浮かべ、リスティは続ける。

「自然とあなたの元に、あなたを信じると決めた者が集まります。まず私がここに帰ってきたように」

「ありがとうございます」

 感じ入るものがあってアレウスは少しだけ涙目になりつつも、溜め込んだ雫を零すことだけはぐっと我慢する。


「あっ……話し終わったあとで申し訳ないのですが、休暇中にアレウスさんたちに調査してもらいたいことが一部ありまして」

「なんでしょう?」

「『金』属性の『継承者』や『超越者』についてです。『火』、『水』、『土』属性については把握できています。そこから派生した『氷』属性もこちら側。根源である『光』と『闇』も私の方で把握できています。『木』属性はイプロシア・ナーツェが握っている。ですが、『金』属性だけはどうにも分からないままです。どのアーティファクトがそれに該当するのかも分からないのが厄介な点です」

「……感動したあとにかなり難しい調査をお願いされるとは思いませんでした」

「処世術です。これで駄目なら甘えるだけ甘え、褒めるだけ褒めたあとにお願いしてもイケると私は踏んでいましたが、そっちに頼らずに済んでよかったです。アベリアさんには嫌われたくないですから」

「そんなことで嫌いにならないです。目の前でされたらイラッとはしますけど」

「そのイラッとする感情が徐々に怒りに変わるものです」

「……? そうでしょうか?」

 なにやら本気で言っているようなアベリアを見て、リスティは「その余裕と隙が私たちは怖いんです」と呟く。

「ともかく、『継承者』と『超越者』の把握、及び獲得はギルドにとって必須な状況にあります。連合や王国、その他の国にいるぐらいなら気にしません。問題は敵になってしまうこと。その前に見つけることで、敵になったか否かを掴むのは容易になりますから」


「派生した属性まで視野を広げるのは難しいから、『金』属性をまず最初に?」

「ええ、アベリアさんの言う通りです。実は『鬼哭』が行方不明――もう死亡したものとこちらは捉えていますが、彼が『雷』の『超越者』でした。こちらが今現在、誰の手に渡っているか分かりません。そういった面もあるので、帝国のギルド全体で探す動きを取ることをアライアンスでの会議において行い、決定しました」

 そこでリスティは疲労を紛らわすように大きく背伸びをする。

「失礼しました。仕事先から帰って気が抜けたのかもしれません。とにもかくにも、休暇中だけでもいいので『金』属性の調査はついでで行っておいてください。そこからなにか発展することもあるかもしれませんから」

 欠伸をし、リスティは席を立つと自室へと向かう。その最中にだらしなく着ていた服を廊下に脱ぎ捨て、最後には下着姿になって部屋へと入った。


「アライアンスから帰ってきてからリスティさんがアレウスに気を抜きすぎている気がする」

「そうか?」

「前はもっとキチンとしていたと思うんだけど」

 正確にはアライアンスより以前――新王国に密かに向かって王女を救出してからだ。


 これまで隠し続けてきた一面を曝け出すようになった。それはリスティが完全にアレウスに気を許している証拠以外のなにものでもない。だが、衣服を脱ぎ散らかしているからといって、誘っているわけではない。気の抜ける相手という位置付けは体を許すことには繋がらない。そこのところはアレウスも弁えている。

 とはいえ、雑然と脱いでいくリスティのその様は、しばらく頭から消えそうにはない。


「休んでいる間は精神修行が必要だな……」

 男の本能を制御できるようにならなければ、いつか身勝手な行動に出かねない。今回だって、彼女が脱ぐのを見せつけているわけでもないのにアレウスはジッと見てしまった。こういった視覚情報によって得られた性欲によって全ての思考を停止してしまう愚かさを克服したい。そのように思うのだった。

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