その名を辿る
*
「皇帝陛下がおられるとは思いもしなかったよ」
「でも足を運んでくださる理由はあったよねぇ。皇女殿下がアライアンスを承認して、異界獣を討伐する話は陛下の耳に入らないわけがない。そして、異界獣に挑みかかろうとする冒険者となればかなりの手練れ。冒険者を徴兵することを考えれば、ここには選りすぐりの有望な兵士たちがいるってわけ。皇女殿下のおかげでどうにかなったけど、もしあそこで声を上げてくださらなければアレウス君だけじゃなく、あたしたちもどうなっていたか分かんないよ」
ヴェインとクラリエの話し声が聞こえ、アレウスは寝惚け眼に身を起こす。
「やっと起きたか」
手に薪を抱えたノックスがアレウスの起床に気付き、声をかける。
「戦ったあとによくもまぁ眠れるもんだな。ワタシはまだ興奮していて眠気なんてこねぇぞ」
「すまない、どれぐらい眠っていた?」
訊ねつつアレウスは瞼を擦り、小さく欠伸をして大きく背伸びをする。それから深い呼吸を一度行ってから立ち上がった。
「皇女殿下の宣言して、テントに帰ってすぐだから…………二時間くらい、かな」
アベリアがノックスから薪を受け取り、合掌型に組んでいく。火はまだ点いていないが、どうやら焚き火の準備をしているようだ。
「宴が開かれるから料理の心配はいらないけど、自分たちのテントの目印にはしておかないと」
どうして焚き火なんか、と考えていたのがそのまま顔に出ていたのか、アレウスの視線に答えるようにアベリアは言う。
「私はこのままクルタニカのところに行って、『御霊送り』の準備をするから」
「うん……? ああ、悪かった」
真意を掴み取るまで時間がかかったが、どうやらアレウスが起きるまで傍にいてくれたようだ。彼女は返事を聞いて満足し、全ての薪を置いてから神官たちの集団へと駆けて行った。
忌み嫌う神官たちとアベリアが仲良くすることを許容できているのかそれとも疲れていて頭が働かないのか、その様を素直に見届けてしまっている。
「今回ばかりは助けてもらった部分が多いから、な」
どんな立場で物を言っているのか判然としないが、僧侶部隊に限らず神官部隊がいてくれたからヴェインの“愚かな重力”は形となって現れ、リオンを拘束した。さすがに毛嫌いしていても、その事実がある以上は嫌悪感を抱くべきではないと脳が勝手に判断したのだろう。
「『御霊送り』はアベリアさんとクルタニカさんだけじゃなくて大勢で行うことで負担を減らすらしいよ。冒険者は甦るけど軍人と一緒で亡骸はこの場所に残ったままだし、恨み辛みは地上に漂っている。リオンが振り撒いた魔力や尖兵たちの亡骸が零す魔力も呪いとなって大地を侵食し、邪悪な花を咲かせてしまう。これだけ広範囲にもなると単純に人数を増やした方が効率も良いとか」
「エルフからしてみれば、ヒューマンの『御霊送り』は邪道ですけどね」
ヴェインがアベリアの忙しさの理由を教えている最中にエレスィが話に割って入る。
「本来の『御霊送り』はもっと神聖な儀式だったんですけど、ヒューマンがその常識を変えてしまったんです。おかげでエルフの間でも本当の『御霊送り』は喪失しかけています」
「見たことはあるのか?」
「ありません。これもエルフの書庫のどこかの書物に綴られているはずなのですが……」
イプロシアが掌握しているため、それを閲覧することはできない。エレスィは悔し気な表情を浮かべている。その横で『竜眼』の少女がアレウスの様子を窺うようにこちらを見つめている。
「あ、の……ありがとう、ございました」
「まさかお礼を言ってもらえるとは思わなかった」
「思わなかった?」
少女は首を傾げる。
「お礼は、ありがとうの気持ちを伝えるために必要なことだって、誰かが言っていたような」
相変わらず少女にはアレウスの感情の幅は伝わらないようだ。
「それで、この子の話なんですが」
言おうとしたエレスィが周りを探る。
「……まだ話せる状況ではないみたいですね」
「さっさと話して森に帰りたい気持ちがあるだろ?」
「そこまでお見通しだとは」
お見通しもなにも話をすることを急いでいるのは誰の目にも明らかだ。クラリエでさえエレスィの性急さに呆れている。
「巫女様にすぐに伝えたいのは分かるけど、感情と使命を同時進行しようとして崩れちゃってるよ。一旦、アレウス君みたいに眠った方がいいかも」
「でしょうね。俺でさえおかしいと思っています。もしかしたらロジックに干渉されたのではとも考えてもみたのですが、俺たちエルフは抵抗力を一番に有している種族。巫女様にロジックを書き換えられたとて、容易く操られることはないはずです。ならばなにを焦っているのか。俺なりに分析したんですが、力量の差を見せつけられたせいではないかと」
「……あー、なるほど。アレウス君の強さを見たから?」
「はい。キトリノス様のような武人ではないにせよ、俺もエルフの森を守護してきた誇りがあります。此度のリオンとの戦いにおいて、俺は自己を押し通しこそしましたが大きな功績と呼べるものを得ることはできませんでした。だからこそ、自身が担っているものを全て一気に放出し、さっさと実力を上げるために研鑽を積みたいのかと」
「対処法が分かっているならいいじゃん。穏やかに行こうよ、エレスィ。あなたは急がずとも、強い」
「ありがとうございます、クラリエ様。とはいえ、その言葉を素直に受け取り切るまでにはまだ時間が掛かりそうです」
深呼吸をして、エレスィは気持ちを落ち着かせる努力をする。
「この子のことを話せる時合となりましたら、クラリエ様から俺の方に連絡をくださいますか? 今の俺は場を読めていないようですから」
「分かった」
クラリエが肯くとエレスィは安堵の息をつき、少女と手を繋いで歩いていった。
「あんな子だけど、根は真面目だから」
「君にあんな子と言わせるほどの迷惑を僕は被っていないけどな」
エレスィはアレウスと同じぐらい厳しく自己評価をするらしい。その点では彼と気が合いそうではあるのだが、腹の底が未だ見えないのに暢気に友好的に接するのも難しい。
「ガラハやカプリースはどこだ?」
カプリースはともかくガラハがこの場に見えないのは少々不安だったため、ノックスに訊ねる。
「力仕事はドワーフの仕事とばかりにあれやこれやと手伝ってるみてぇだな。なんならカプリースも手伝っている」
「……後遺症だな」
ボソッと呟くがその場にいる三人には伝わり切らなかった。
後遺症と呼ぶには大げさすぎるが、リオンの異界の概念に囚われかけたことで世界に戻っても尚、労働を求めている。気の済むまでやらせておけば宴の頃には完全に治まるものだと踏んでいるが、どうだろうか。このままカプリースが真面目に仕事を務めるようになるとハゥフルの女王が泡を喰ってしまいかねない。不安に思うところはそこだけだろうか。ガラハに至っては普段の性格がそのまま出ているだけなので、少々の心配だけで済む。
「こんにちは」
喉を綺麗に通り抜けた空気が織り成す透き通った声が耳に入る。女性のように高いが、確かな男性的な声音があった。
「あなたたちに僕はどう映っている? 清々しいほどの好青年かい? それとも不敵な笑みを浮かべたおじさんかい? それとも、年不相応な声を持つお爺さんか……」
その言葉の意味は理解できないがアレウスにはどう見ても二十代前半――高く見積もっても三十歳手前の男性にしか見えない。それこそ男性が口にした「好青年」である。
「ああ、すまない。言葉の意味を怪しんでしまっただろう? 気にしないでほしい。言ってしまえば僕は不定形なんだ。声を聞いた者が思い浮かんだ男性像に染まる。人によっては中性的な男性にしか見えないときもあるみたいだけど、女性にはなれない。僕自身がそこのところは男性の部分を注意して声を発しているからね」
「どちら様ですか?」
クラリエがやや高圧的に訊ねる。
「アレウス君に用があるならあたしが――いいえ、あたしたちが承りますけど」
ノックスとヴェインもアレウスを守るように前に立つ。
「そう怖い顔をしないでおくれよ。僕は争うつもりも、戦うつもりも、なにより誰かを殺しに来たわけでもない。単純な挨拶なんだ」
それでも三人は警戒を解かず、アレウスも相応に戦意を発する。
「なにをやっているんですか、師匠!」
ジュリアンが慌てふためきながらやって来る。
「僕を向かわせるだけで、師匠は来ないと言っていましたよね?」
そう詰めつつ、ジュリアンはアレウスたちに振り返る。
「物凄く不穏な気配を漂わせていますけど、この人は僕の師匠です。本当にすいません」
「師匠を紹介しておきながら謝るなんて、君は良い子だ。姉弟子のアニマート君だったら、ここで頭を下げる前に僕に信じられないほどの悪口を言ってくるから」
一気に和やかな雰囲気に変わり、アレウスたちは警戒を解きつつ溜め息をつく。その溜め息の意味を理解してジュリアンも深い溜め息をついた。
「アニマート君からの紹介で、もう二度と弟子は取らないと誓っていたんだけれど仕方なく取ってあげたジュリアンの師匠です」
男の紹介にそこはかとなくアニマートの毒舌にも似たなにかを感じる。
「彼女と彼の接点については――ああ、いや、それはまた今度にしよう」
なにか思うところがあったらしく、話を中断する。
「それで、どうだった? 僕の弟子は僕の弟子らしく、美味しいところで登場して美味しいことをしただろう? 肝心なのは登場の仕方だって、何度も言い聞かせたんだ。印象に、心象に残りやすい登場こそが万人の記憶に定着する唯一無二の方法だからね。ああでも、登場の場面を見計らいすぎて多くの人が犠牲になるようなことだけはないようにとも言い聞かせてきたんだけど」
「僕は寒村の方に先に行って、次に急いで駆け付けたときにはああなっていたんです!」
疑いの眼差しをわざとアレウスはジュリアンに向ける。
「本当の本当です! からかわないでください!」
「分かっているよ。君はそういう目立つことはしたがらない」
そうアレウスが答えるとジュリアンは心底ホッとしたらしく、険しい表情を和らげる。
「ジュリアン君の基礎を鍛錬したのは君だろう?」
男がアレウスに訊ねる。
「僧侶でも神官でもないけれど、魔法使いという後衛職には似合わないほどの近接戦闘の技術があった」
「いえ、僕はなにも……学んだのだとすればそれはジュリアン自身です」
アレウスが再会するまでの一年の間。それこそが彼の戦闘技術を向上させる期間であって、アレウスとの軽い手合わせ程度で基礎が培われたなどとは到底思えない。
「けれど、基礎を積む際に思い浮かべるのは“こうなりたい”という強い思いなんだ。近接戦闘――後衛職が詰められた際に身を守る術を得るのは必要不可欠だけれど、ジュリアン君は間違いなく君の面影を追って、近接戦闘の技術を習得している。まだまだ君に比べたら下手くそで、僕ですら鼻で笑ってしまいたくなるほどだけど、立ち回りを含めて良い動きにはなりつつあるよ」
「近接戦闘に関してはヴォーパルバニーと戦ったときのアレウスさんを僕は目指していますから」
そのように言われると心の内がくすぐったくなる。褒められ慣れていないため尚更だ。
「別に僕のことを褒めに来たわけでも、挨拶だけで済ますつもりでもないのでしょう? 要件を聞きたいんですけれど」
こんな話をするためにわざわざ足を運んできたとは思えない。ましてやジュリアンを送り出しておきながら、自分自身までわざわざやってきている。なにかしらの用事があるのだ。
「……僕は吟遊詩人、果てには世界を飛び回る歌手になりたかったんだ。歌手ってどういうものか分かるかい? 讃美歌を唄う聖歌隊たちみたいな大勢での合唱じゃなく、音楽に合わせて独唱をする者たちさ。国々には多くいるんだけれど、その歌の上手さ一つで人生を謳歌できる者は未だ現れていなかったから」
突然の自分語りをされて戸惑いを覚える。
「けれど、弾き語りだなんだのと仕上げてみれば相応なものになってね……ああいや、こんな話をしたかったわけじゃない。こんな自慢話はしなくてよかったんだった」
その自分語りを唐突にやめられてしまった。一々、反応に困ってしまう。
「君はアレウリス・ノールード。称号は『異端』。けれど、時にはこう呼ばれているよね? 『黒のアリス』」
「……はい」
「『黒』はともかく、君は『アリス』という呼ばれ方を酷く嫌っていた。違うかい?」
なにも言わず肯く。
「その理由は?」
「……『アリス』は女性的な名前で、男らしくないから」
男がアレウスをそこで指差す。
「そう、そこ。そこなんだよ。そこが肝心さ。その『アリス』は女性的な名前という価値観を、僕たちは持っていない」
「え……?」
「世界を飛び回る歌手にはなれなかったけれど、これでも僕は世界を一応は飛び回った。でもね、どこの国でもどこの地域でも、どんな場所でも、アリスという名が女性的という価値観はないんだよ。なんならアリスなんて名前は意外とどこでも名付けられている。君は『産まれ直し』だね? 『原初の劫火』の『超越者』である点からも、そこを否定はさせないよ」
「そう、です。僕は死んで、産まれ直しています」
「産まれ直す前の世界では、『アリス』はどちらかと言うと女性的なイメージがあった?」
「はい。なによりアリスという名前は、」
「『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』」
「な……んで?」
この世界ではその童話は存在してない。なのにどうしてその童話のタイトルをこの男は口にすることができているのか。
聞いたことがあるのだ。この男は、どこかで同じようにこの話をしている。
「僕と会話を交わしたことのある男で、君のように『アリス』を女性的な名前だと言って嫌ったのはたった一人しかいない。そして僕に『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』というタイトルを出して説明したのも、その一人だけだ」
男は懐かしむように言う。
「その男は自らをこう呼んでいた。『白野』と」
心臓がドクンッと強く跳ねる。
「ああ、やはり心当たりがあるんだね。だったらもう、確定してしまった。『勇者顕現計画』でビスター・カデンツァと同じく生き残った男……そして、僕は彼と話したことがあるから、その事情を知っている」
嘆くように男は言う。
「産まれ直した君と、転生した君。この世界に、君は二人いる」
*
「僕に俺が見つかった」
「アリス?」
「いや、なにも気にしなくていい。見つかったとて、繋がってはいない。“最悪なる死”のときのような無茶苦茶な記憶の繋がりはないだろう」
『魔眼収集家』に心配そうに見つめられたが、男は手で問題ないことを伝える。
「だが、皇女を暗殺し損ねたのは痛手だな」
「だから言ったんだ。あんな奴に任せなくても、ぼくが直々に殺しに行くって」
「そうなるとこっちに手数が足りなくなる。お前の力は俺にとってはどうしても必要不可欠だ」
「そうさ、アリスがそう言うからぼくはここにいるんだ。だから暗殺失敗なんて痛手と言いながら、実のところは予測の範疇だったんだろう?」
「ああ。だが、リオンが討たれるところまでは想像を越えられた。今頃、『信心者』は発狂しているだろうな」
「あいつはいっつも発狂しているじゃんか」
「それもそうだ」
アリスと呼ばれた男は仮面を被るように手で顔を覆う。
「そろそろこの名前も使えなさそうだな。意外と役には立ったが、もはや『異端のアリス』――『黒のアリス』の名の方が大きくなってしまっている」
「『黒のアリス』の噂経由で『白のアリス』を辿られると居場所を掴まれる、か」
『魂喰らい』が呟く。
「そうだ。君臨者の名が轟いているせいでその名跡を辿られたくないお前のように」
「辿り着かれたところで、全て切り伏せてしまえばいい。手間ではあるが、惜しむとロクなことがない」
「だが、名跡を辿ってきた者の相手を気にしている場合ではない」
「この城を落とすのは他愛無いだろうな。どこもかしこも落とせる要員しか見当たらない」
斥候を終えた『人狩り』が男のところに戻ってくる。
「私たち数人でも、城主を落とせる」
「言うじゃないか。一応は王位継承権を持つ者が城の主だってのに」
「そう言っていても顔に出ているぞ。『雑魚だらけ』と」
「分かった? やっぱり気配を読み取るのは上手いよねぇ、君」
「リオンが討たれたことで『異界渡り』が使えなくなってしまったのは勿体無いが、『魔剣』で対処し切れるか」
「なにもしなくてもいいよ、アリス。アリスに降りかかる全てはぼくが始末してあげるんだから」
そこで『魔眼収集家』が汚らしく笑う。
「ああ、もうアリスじゃないんだっけ? シロノ」
「そのままだとビスター繋がりで見つかりかねない。いや、『奏者』からも繋がってくるかもしれないな」
言いつつ男は鼻で笑う。
「いや、一つ知能を試そう。敢えてその名のままにして、俺に辿り着けるのか。だから、こう呼んでくれ。シロノア、と」