空間を掘る
ヴェインと僧侶、そして神官たちの魔法によってリオンの行動範囲は大きく削がれたとみていい。気にするべきはその魔法がどれくらいリオンを拘束し続けることができるのか。極めて短いのであれば、ここで一気に叩かなければならない。
そして、どれくらいなどと考えている暇はない。
「畳みかける!」
「分かったよ」
そう言ってヴェインがややアレウスやガラハより後ろに下がる。求められているのは前衛ではなく中衛であることを瞬時に理解し、彼は詠唱を開始する。
「“盾よ、二方より集まりたまえ”」
アレウスとガラハの皮膚を覆うように魔力の膜が張られる。気休め程度のものでしかないが、生身で突っ込むよりはマシだ。ガラハが先に走り、その後ろをアレウスが付いて行く。
リオンは雄叫びを上げながら地面を見つめ、自身に攻め立ててくるアレウスたちを爪で薙ぎ払う。接近することだけを考えて走っていたが、たった一振りの衝撃波は強く地面を踏み締めていても耐えられるものではなく、バランスを崩して吹き飛んでしまう。
「なにも考える必要はないさ。考えるのは後ろで控える僕たちの役目だ」
着地する前にカプリースが魔法で生み出した水の緩衝材に受け止めてもらい、二人は無傷のまま態勢を立て直す。
「ただ、魔法の使用回数だけは気にしてほしい。俺はアベリアさんみたいに幾らでも魔力が湧いてくるわけじゃないから」
アベリアは『原初の劫火』を得てから魔力の制限がほとんど取り払われている。それでも滅茶苦茶な魔法の使い方をすれば魔力切れを起こすことはキングス・ファングとの戦いで把握している。しかしながら、彼女を基準に周囲に同等の魔力量を求めると、ヴェインや妖精のスティンガーは付いて来られない。
リオンは枷を掛けれていることで移動の自由を奪われているが、その分だけ周囲への警戒心が強まった。今までは飛び退けばそれだけであらゆる危険から身を守れていたが、それができなくなったことで本能的に周囲一帯の敵意の排除に移っている。
だが、『異常震域』が意味を成していないことで、苦戦を強いられていた冒険者たちが尖兵を倒しつつ続々と集結を始めている。見覚えのある顔、見知った仲でもない者、見たこともない者たちがそれぞれが絆を結んできた仲間たちとパーティを維持した状態で、全方向からリオンへ物理、魔法を問わず攻撃し始める。
混乱しているわけではないが、数が増えれば増えるほどにリオンは爪の一振りに気を遣うようになる。自らが行える攻撃手段は爪、牙、そして突進や跳躍による踏み潰し。だがこれらを振るったあとの隙の大きさを重々に理解しているようで、主だった冒険者からの攻撃は甘んじて受けている。それらは岩石のように硬い皮膚が守ってくれる。
守れない攻撃――中度から高度に属する魔法は皮膚を貫きかねない。特に『土』や『金』属性を持ち合わせていると思われるリオンにとって『木』属性と『火』属性は注視しなければならない魔法であるらしく、詠唱を始めれば即座に怒号のような雄叫びを上げながら爪を振り回す。その速度は“愚かなる重力”によって抑えられているとは思えないほどに素早く、そしてただの一振りで数十人単位で冒険者たちが削り飛ばされる。
それでもと、リオン討伐のために集った冒険者たちは軍兵の力を借りながら異界獣を囲い直し、攻撃の手を休めない。
そんな状況だからこそ逆にアレウスとガラハは懐へと滑り込む。やはり攻撃をするのではなく、接近に徹したことが功を奏した。リオンにとって周囲が敵意で染め上げられている今、たった二人に意識を向け続けることはできないのだ。
「獣剣技、」
アレウスが真上に剣を振り上げる。
「“下天の牙”!」
気力を込めた飛刃が腹を切り裂き、ガラハが近場の岩塊を足場にして一気に跳躍する。降ってくる岩のような皮膚を物ともせず、アレウスが切り裂いた腹を追撃とばかりに三日月斧で再度、切り裂く。途端に妖精の粉が反応して切断面から複数回の爆発が起き、リオンが唸り声を上げながら制限を掛けられた範囲で飛び退いた。落下するガラハをカプリースの水の緩衝材が受け止め、彼がそこから降りると即座にヴェインの回復魔法が飛ぶ。
「同じ箇所を攻撃すれば、さすがに通るようだな」
「相当に隙ができていないと無理だし、もう二度とチャンスを与えてはくれないだろうけどな」
リオンにとっては些細な痛みだ。重傷にも満たない些細な軽傷に過ぎない。だがそれも回数を重ねていけば、沢山の軽傷が積み重なっていけばやがて体は動かなくなる。傷が軽ければ軽いほど死に気付きにくい。軽い傷を多く重ねられても、死なないだろうと思い込む。それはどんな生き物であっても変わらない。
だが、リオンの知能はその程度だろうか。世界に存在する動物と同じ狩り方で、討てるものなのだろうか。
アレウスの疑惑が不安となり、不安が形となったかのように突如としてリオンは上体を起こし、二本足で立つ。
「まずいですわ!」
クルタニカが風の障壁を張るも、無視してリオンは右前足を――右腕を強く振り抜こうとする。
「勝手な思い込みではあるが、これは……!」
そのままクルタニカを庇いに来たカーネリアンを風の障壁ごと打ち飛ばした。
「キングス・ファングは獣人の王。『本性化』を果たせば四足歩行ではあるものの、普段の生き方は二足歩行」
エレスィがアレウスの傍まで来て呟く。
「獣人の祖先は魔物の系譜。その中でも獣人が崇めていると言われているリオンを、俺たちは二本の足で立てないと決め付けてしまった。だから、完全な不意打ちとなってしまいました」
四足歩行と二足歩行の切り替え。そんなことは骨格を変えなければほぼ不可能だ。それをやっているのだとしたら、まさに獣人の『本性化』にも似たことをリオンが行っていることになる。そしてその能力はリオンにとってはノーリスクで扱える代物だ。
『どうにかこうにか……生きていましてよ。カーネリアンもギリギリで死んではいませんわ』
二人が打ち飛ばされたことで意気消沈しかけていたアレウスに『接続』の魔法で声が飛んでくる。
『仲間の被害を気にしている暇はありませんでしてよ! 立ち止まらず、突き進んでください!』
「でも、一度見たのならもう不意打ちにはなりません」
エレスィが『衣』を燃やし、剣に青い輝きが宿る。
「『竜眼』の娘は安全地帯まで送り届けました。ここからは俺も行きます」
言って、アレウスの指示を待たずにリオンへと駆け抜ける。跳躍のほとんどが行えなくなったリオンが両腕で地面に激しく爪を突き立て、引き起こされる石のつぶてが飛来し、岩塊の雨が降る。それらを軽快に避け切り、彼は擦れ違いざまにリオンの右足を切り抜いた。
だが、『衣』を纏った剣をもってしても皮膚を切り裂くには至らず、弾ける青の爆発でも異界獣は意にも介さず、足でエレスィを蹴飛ばした。虫けらを蹴ったかのような軽い一撃でも人間にとっては即死級なのだが、辛うじてエレスィは『衣』での防御に間に合い九死に一生を得る。
「化け物め……俺の剣も通らず、鳥人の刀も通らない。二人で同じ部位を攻撃してようやく通るものの、その傷は浅く、時間と共に塞がるかのように岩の皮膚が覆い隠してしまう。ならば一体、どうすれば攻撃が通ると言うんですか……!」
雄叫びという名の音波をアレウスたちに放たれるが、地面から生えてくるように隆起した巨大な岩塊によって音波を阻んだ。
「これは戦場で教わったことだけど、切れないなら叩け」
音波を防いだ岩塊にエルヴァが手を突っ込み、鈍器を引き抜く。
「強固な鎧はどれほど切り刻んでも手傷を負わせるのには苦労してしまう。けれど、叩き続ければいずれは内部に響いて、鎧を着込む者は悲鳴を上げる。君たちに足りないのは斬撃や剣戟じゃない、打撃だ。魔法攻撃は十分なくらいに効いているだろうから、あとは物理でも有効打を与えてようやくあの異界獣に焦りを生み出せる」
鈍器を引きずり、エルヴァがリオンを見上げる。
「まさか二本足で立ったから優勢だと思っていないよな? リオンは別名、なんと言われているかを思い出してしっかりとそっちの対策も頭の中に入れておくんだ。現状、その一手を取っていないのならまだこいつには余裕がある」
だから、とエルヴァは続けつつ王国との戦いで見せた捨て身の精神を象徴するような鬼気迫る表情を浮かべる。
「この僕がこいつの余裕を取っ払ってやる」
駆け出すエルヴァに呼応するかのように大地は脈打ち、岩塊が隆起する。リオンの右腕の爪をかわし、左の薙ぎ払いも跳躍で華麗に避け切ってみせると、先に振り切った異界獣の右腕に着地して一気に頭部まで駆け抜ける。
その駆け抜けるさなか――エルヴァの足裏が降れた右腕はリオンの意に反して激しく脈打ち、岩の皮膚を内部から貫くように岩塊が突き出ていく。
「『土』を『土』で踏み荒らしている」
エレスィはエルヴァの躍進に驚嘆する。
「壊剣技、」
リオンがエルヴァの攻撃を待ちつつも、自身の体に張り付いている岩の皮膚を一気に放つ。その一部が体に打ち付けられてもエルヴァは込めた気力を留め、衝撃で技の態勢から逸れた肉体を強引に振り戻す。
「“殻砕き”」
咄嗟にリオンが守ろうとしたのは頭部。しかしながらエルヴァは頭部は狙わず、自身が走り抜けた右腕の続く先――右肩に鈍器を叩き付けた。
その一振りでリオンの右肩を覆っていた岩の皮膚は砕け散り、そしてその奥にある魔力で構成された肉は強烈な打撃を受けて歪み、筋繊維は千切れ、骨にすら届いたのではと思うほどに異界獣が呻き声を上げ、あまりの痛みで膝を折った。エルヴァは着地後、悠々とアレウスの傍まで退避する。
「こいつに必要だったのはこの痛みだ。この痛みを与えない限り、こいつは僕たちに本気なんて出さないつもりだったはずだ」
そう言ってエルヴァの視線はリオンの動向を探る。
二足から四足、四足から二足への可変。それだけがリオンの能力でないのだとすれば、あとに考えられるのは一つだけ。別名は『掘り進める者』。この場合の掘り進める場所は――
「地面……か?」
リオンはいつだって地面を突き破ってアレウスたちの前に現れた。ならば世界でも同じように地面を通っての攻撃を仕掛けてくるはずだ。
しかし、予想は裏目に出た。立ち上がったリオンが振るった爪が空間を引き裂き、凄まじい速度でその中に消えた。
そして消えたと思いきや既にリオンはアレウスたちの後方に立っていて、まず有象無象とでも言いたげな複数の冒険者を両腕で一気に薙ぎ払い、そのまま四足歩行に転じたかと思うと防衛網を展開していた軍兵たちへと突撃し、その牙で複数人を捉えて、強靭な顎で容赦なく噛み砕き、呑み込んでみせた。
「空間を掘るとでも言うのかい!?」
そうヴェインが驚いた直後にまたリオンは自らが引き裂いた空間に飛び込んで消える。そして消えたと思いきや、もう既にアレウスたちの左側に現れ出でている。
「“愚かなる重力”の範囲内のはずなのに、空間を掘り進められるとなると……! “壁よ、一方より集まりたまえ”」
慌ててヴェインが張った魔力の障壁をリオンは牙で砕き、二本足で立ち上がると右の剛爪でアレウスたちを一網打尽にしようと振りかぶる。
「やらせるな!!」「踏ん張りどころだ!」「絶対に凌いでみせる!!」
複数の冒険者が張った魔力の障壁が剛爪を受け止め、そして跳ね除ける。
「俺たちはどうなってもいい!」「こいつを仕留めるためなら命だって張る! 『衰弱』に怯えてなんていられねぇ!」「皇女様が言うのなら、あなたたちが私たちの希望!」
そして勇猛果敢にリオンへと攻めていく。それは蛮勇ではなく、しっかりと彼らなりに考えた策の中で戦いが展開されていく。
「ここで恩を売らなきゃ、特例の許可なんて降りないぞ」
エルヴァがアレウスの肩を叩く。
「リスティを抱きたいんなら、成果を見せろ」
「不埒なことを考えながら戦ってなんかいないからな!」
「事実を言っただけでそこまで声を荒げるな。特例を目指しているんなら冷やかし程度で熱くなっていたらキリがないぞ」
そんなことは分かっているんだよと言いたそうな表情をしていたエルヴァに、自身の発言が逆効果になってしまったことを知ってアレウスは沈黙する。
冷やかしがあったせいかは分からないが、頭は冴えた。この場の誰もが、それこそ皇女でさえもアレウスを頼っている。その期待に応えられるほどの強さを持ち合わせているとは思ってはいないが恥じない戦いはしたい。
「皇女様のところへ戻ったらどうだ?」
「お前が…………いいや、言われた通りに戻るとしよう。どうやら俺が手助けはもういらないらしい。俺が戻ればカプリースも皇女を守る方に魔力を割かずに動けるはずだ」
エルヴァは声の調子を整える。
「“この場に集う者たちに告げる”」
『指揮』が轟く。
「“驕らず迷わず、血を滾らせ突き進め”!!」
リオンに荒らされた軍兵たちが大声を上げながら周囲に発生した魔物たちへ反撃の陣を敷き、突撃する。
「空間を引き裂いての移動はセレナがやっていたのと似ている。縦への移動ではなく横への移動。『不退の月輪』で『闇』を渡ったときのような……」
視界に収めていたリオンが空間に消える。襲来に備えて身構えるが、後方で再び大地を砕く音が鳴り響く。そして、足元にエルヴァが転がる。
「はっ……はっ……! 因縁深いアレウスじゃなく、余裕を奪った僕を狙う、ってのか…………自身に脅威となる打撃を持つ俺を先に潰すってのは、ありっちゃありだが………! 来るまで見えなかったぞ、クソが……!」
演技を忘れてエルヴァは怒りを吐露するが、受けた傷は深いようで起き上がることさえできていない。
「“癒やしよ、一方より集まりたまえ”」
そのため、ヴェインがその傷を癒やすために回復魔法を唱える。
だが、その間にリオンが再び世界から消える。そして、回復魔法を唱えたヴェインの付近にすぐさま現れ出でると、彼をエレスィと同様に蹴飛ばした。
「ヴェイン!!」
アベリアが心配して空から降りてくる。しかし、そのアベリアを捉えるべくリオンが引き裂かれた空間に消え、空中に現れて爪を振るう。意識的にではなく無意識に発動した炎の障壁が辛うじて彼女への爪撃を凌ぐが、続けざまにくる殴打に障壁は耐え切れずにアベリアごと地面に打ち飛ばされた。
「俺は、大丈夫だ……! まだ、どうにか! “癒やしよ、二方より集まりたまえ”」
息も絶え絶えのヴェインが自身とアベリアに回復魔法を唱え、乱れていた呼吸が安定していく。
「引き裂いた空間に入ったと思えば、もう違うところに現れている。どんなに身構えていても、姿も気配も消えて、直後に違うところから現れては対処のしようもないぞ!」
ガラハが危機感に迫られ、焦り始める。
「どうしますか、アレウスさん!!」
エレスィもまた救済を求めてくる。
「どうするもこうするも、悩んでいる暇はない。リオンが空間を掘り進めてくるのなら、その一つの行動で甚大な被害が出る。だったらその回数を極限にまで減らす」
「どうやってですか?」
「全力で倒す。倒せば回数は減る」
「……随分と分かりやすい」
呆然とするエレスィに対してガラハは納得したように不敵な笑みを零す。
「確かに早急に仕留めれば、空間を掘り進める回数は最低限になる」
「あなたたちは意味が分かっていて言っているんですか?」
「頭を空っぽにして、リオンを討つことだけに全神経を集中させる。そんなこともできないんじゃ、エルフの巫女とやらに笑われてしまうんじゃないかい?」
カプリースが水溜まりから形を成して現れ、絶望しているエレスィを挑発する。
「出し惜しみはなしだ」
『無論、わたくしも全力で参りましてよ!』
空にクルタニカの氷晶、広範囲にカプリースの霧、周囲の水分を蒸発させる局所的な炎をアレウスとアベリアが起こす。そして大地は立ち上がったエルヴァが踏み締めれば揺れる。
「二心一体でいられるのはお前だけだ。お前たちの全力を叩き込むために俺たちの全力が後押しする。もしも仕留め切れなかったなら、お前の復讐はその程度だと鼻で笑ってやるよ」
口が悪くなったエルヴァは土と岩石を身に纏い、ゴーレムのような巨大さを手に入れリオンと真っ向から対峙する。
「忘れないし、諦めないし、振り返らない。そのためにも……仕留め切る」




