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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第11章 -異界獣リオン討伐-】
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安らかであれ

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 買い()いや歩き食いは悪いことだと生徒手帳や先生には沢山言われた。夏休みのような長期の休みの前にはプリントが配られて不純異性交遊はしないようにという注意書きもあった。後者はともかく前者のような些細なことにまで制限を設けてくることに対していまいち理由が分からず、それでもそれが悪いことなんだと思って大学生になるまで可能な限り配られたプリントに書かれていたことは守るようにしていた。


 けれど、世の中にはそういう些細な悪いことをやっている人はいくらでもいて、なんなら同級生でも普通に買い食いをしている場面を俺は何度だって見たことがある。だからあれは学校側にとっての迷惑の芽を摘んでいたんだろうなと勝手に思っている。制服姿で買い食いをしているところを見られて電話でもされようものなら学校の評価が下がる。生徒が補導されようものなら学校が所属している組織へ報告しなければならない。まぁ実際のところは改竄やら無かったことにしていそうだけれど。俺が知らんぷりをしていたイジメですら「この学校ではイジメはない」と校長が自信満々に全校集会で語っていたりしたから。

 些細な悪いことで困るのは自分自身ではなく自身が所属する組織。さすがにイジメは些細な悪いことではなく公然とした悪意でしかないのだが、それすら握り潰せるのだから世の中って心底腐ってんなと大人になって就職して、一生懸命に働きながら思っていた。

 制服姿での買い食いや飲み食いがあんなに咎められたのに、スーツ姿で社員証を首にぶら下げていても、誰になにを言われることもなくコーヒーを優雅に飲むことができる。むしろなにかを言ってくる方が危ない相手だと思われやすい。宅配業者や救急隊員がコンビニに寄るだけでクレームが来る世の中で、どうしてスーツを着ていても横柄にしない限りは問題にならないのか。やはり制服を悪と思わせるように教え込まれたせいではないかなどとも思ったりする。

 とにかく、大人に優しい世界だ。正確にはホワイト企業に働く大人には優しい世界だろうか。しかしながらホワイトだと思っている部分は薄氷のように薄く、大体のところは目も向けられないようなブラックであるようにすら思える。自分自身がいつ地獄のような労働環境に落とされるか定かじゃない。

 だからしがみ付く、縋りつく。今の仕事よりも劣悪な環境には行きたくない。劣悪な環境から良好な環境を求めることは大変ではあるが可能だが、良好な環境から劣悪な環境に落とされることはプライドも年収も体力も続かない。

 それすら跳ね除けるパワフルさを持っている連中は俺と同じとろこにはいない。どいつもこいつももっと労働環境の良い企業を求めているか、或いは起業して大成功を収めている。


 俺はこんなところで燻るような男じゃない。そんな風に思っていたのはもう十数年前だろうか。第一希望の大学の入試に落ちて、仕方なく第二希望の大学に通い始めたときの自分が恐らくそう思っていた。そのときには良くも悪くもフロンティア精神に満ち溢れていた。っていうか、ただの中二病かもしれない。


 気付いたら大学生活を満喫していたが。女を知って酒飲んで、二日酔いでゲロ吐いて、単位落としかけながらも拾って、女と会ってラブホ行って腰振って、翌日に財布の中身が半分くらい無くなっていて女と連絡が取れなくなって、死ぬほど落ち込んで男友達に笑い話にされて、そんな落ち込んでいる俺を慰めてくれた女を家に連れ込んで酒飲んで抱いて、二日酔いでゲロ吐きながらお互いに死にそうな顔しながら水飲んで、シジミの味噌汁作って「うめぇー」とか薄い感想言い合って、二日酔いが治ったらまた大学行って――


 そんなことしていたら、当初の目的もなりたい仕事も見失って、なんとなしに受けた企業に拾ってもらって、そこの労働環境が思いのほか自分に合っていて、それからずっと社会の歯車になっている。まぁ社会の歯車でもなんとなく問題なく生きていられるので、当分は代用品が見つかるまでは社会の歯車をやっていてもいいかと思っている。


 コーヒーを買うくらい会社の自販機でいつもなら済ますのだが、今日は昼までに案件が片付かなかったために遅めの休憩を取ることになったため、コンビニに行き昼飯を探すついでにコーヒーを買い、外で少しばかり時間を潰す。


 自分自身を善人と思ったことはない。だってイジメを知らんぷりして過ごしたし、大学時代は四年生になる直前までは爛れた生活を送っていた。まぁだから些細な悪いことばかりしてきて、良いことなんて一つもしてこなかった――は言い過ぎだが、思いつく大きな善行なんて本当にただの一つもないと断言できる。


 そんな俺がコンビニの外でコーヒーを飲み終えてカップを専用のゴミ箱に放り込んだところで、目の前の大通りの端に立つ老人に目を向けたのはきっと偶然に違いない。

 最初は知り合いの車を待っているのだろうなと考えて、杖をついて待っているのも大変だろうと思いつつもさっさと会社に戻ろうとした。だが、タクシーが近付くと老人が手を挙げたところを見てそうじゃないことに気付いた。

 しかしながら老人の努力も虚しくタクシーはスルーした。『賃走』や『予約』という表記はされていなかったため、素直にタクシーの運転手が老人に気付かなかったか、老人を乗せることを拒んだ。

 まぁ客商売をしているのだから当然だ。タクシーの運転手にだって客を選ぶ権利がある。なにより大通りの隅っこに停車させて、果たして後続の車が迷惑を受けないで済むのか甚だ疑問だ。素直に停留所に行くべきだ。こんなところにはバスの停留所すらないが。


 大変そうだが頑張ってほしいな。そんな風に思いながら俺は会社へと戻ろうとした。

 だが、老人との距離が離れれば離れるほどに、どういうわけか頭ではなく胸の中がモヤモヤした。

 外に出ることはリフレッシュである。家に居続けていても苦しくなる。そう思う俺はアウトドア派なのだが、老人は果たしてどちらだろうか。老いてしまえば誰もがインドア派になるだろうか。そんなことはない。俺の身の回りの老人連中は休みの日には釣りやゴルフ、温泉にサウナを楽しんでいる。


 外に出ることが大変になった。外に出るたびに迷惑を掛けることになる。外に出ても良いことなんてまるでない。タクシーに乗るのも一苦労なら、もう家にいてゆっくりしている方が気が楽だ。


 そうやって家から出なくなることもあるのではないか。そうして体力が失われていき、いつかは歩けなくなってしまうのではないだろうか。妄想の飛躍に胸が締め付けられる。


 踵を返す。見過ごすことで苦しんでいる。それもただの自己嫌悪である。そしてこれから行おうとしているのは自己満足な偽善である。独善的ですらあるだろう。


 それでも俺は老人に話しかけ、一緒にタクシーが来るのを待ち、ようやく見えたその車体に手を挙げて停まってもらい、老人を乗せて運んでもらうことをお願いしていた。

 老人にお礼を言われたが、別にお礼を言われたくてしたことではない。恐らくそのまま会社に戻っても、ずっと自分の中にある自己嫌悪が拭えなかったからだ。

 ただの偽善に老人を付き合わせた。世の中に良い人もいるもんだと思ってもらいたいなどというくだらない理由で、独善的な行動を押し付けた。


 なによりも自分らしくない行動だった。


 だから、これはそのツケなのだろう。

 そういうことをしても、お前自身が溜め込んできた些細な悪いことを払拭することなんてできないんだぞ、と。


 神様や仏様はそう言ったのだ。


 でなきゃその日の会社終わりに信号無視した酔っ払いの兄ちゃんが運転している上にアクセルがぶっ壊れているんじゃないかとビビるほどの速度の車に轢かれるわけがないじゃないか。


 ヴェラルドがいたから冒険者になった。ヴェラルドがいなければ異界で死んでいた。ヴェラルドがいなければ今の自分はいない。自分の生き方を決めたのはこの男以外にはいない。

 アレウスにとって人生を決めた男。特別な存在であり、恩人であり、憧れの存在である。そこはずっと揺らがない。


 だとしても、終わらせなければならない命がある。放置できない命がある。

「だから!」

 アレウスは低い姿勢から足に力を入れ、一気にヴェラルドへと詰め寄り、数度の剣戟を放つ。炎に満ちたその一撃一撃を憧憬の男は受け流しているが、その表情に余裕はない。不敵の笑みも、戦意に満ちた笑顔も消え去って、アレウスが必死に振るう剣戟の一つ一つを丁寧に凌ぎ続ける。

「それだけ暴れて、リオンと戦う余裕はあるのか?」

「リオンのことはあとで考える」

 据えなければならない。

「僕が倒すべきはあなただ、ヴェラルド!」

「……そうだ、それでいい!」

 重撃によってアレウスが打ち飛ばされる。

「全力を懸けろ!!」

 ヴェラルドの鎧から噴き出ている魔力が全身を覆う。さながら『衣』を纏ったときのように煌々と、『継承者』が力を、『超越者』が貸し与えられた力を解放したときのように神々しい。

「“魔炎の弓箭”!」

 放たれた火の矢をナルシェの魂が発生させた魔力の障壁が弾き、その障壁を自ら破壊してヴェラルドがアレウスへと突っ込んでくる。全身の炎をヴェラルドへと放ちながらアレウスは果敢に攻め込み、互いの剣が強く激突する。

「お前が到達するべき道は一体なんだ!?」

「『至高』の冒険者になること……全ての異界を破壊すること!」

「魔王の復活を早めるとしてもか!?」

「僕はあの日に決めたことを変えない!!」

 アレウスの炎とヴェラルドがナルシェから貸与されている魔力。その二つが激しく明滅し、爆発が起きようとも二人は剣戟の最中から一歩も下がらない。


 アベリアがアレウスの攻撃を補佐し、ナルシェの魂がヴェラルドの防御を高める。

 ヴェラルドがアベリアを狙おうとすればアレウスが俊足で回り込み、アレウスがナルシェの魂を狙いに行けばその攻撃をヴェラルドが全身で受け止める。アベリアの魔法はヴェラルドに届く前に阻まれ、ナルシェの魂が放つ魔法はアレウスを傷付ける前にアベリアが阻止する。


「魔力の流れを読んでほしい、アベリア」

 苛烈な戦いの中でアベリアと一瞬だけ交差したとき、呟く。

「流れ?」

「ヴェラルドとナルシェを繋ぐ魔力の流れだ」

 『比翼連理』という言葉が確かであるのなら、比翼の鳥はともかくも、連理の枝に近しい事象は起きている。そしてそれはきっとヴェラルドとナルシェを繋いでいる魔力の流れの中で生じている。アレウスが二人の魔力を追ってみても全く見つけることができないのは、未だ魔力というものをしっかりと扱い切れていないからだ。だが、アベリアならば間違いなく二人の魔力の流れを掴むことができる。

「ずっと見ているけど、でも、沢山あって」

「その沢山の中の一つを、見つけてほしい。二人の魔力が同時に流れているそのたった一つを」

「分かった」


 絡まり合い、互いに一つの枝と化した連理の枝。二人を繋いでいる魔力のどこかに、ヴェラルドとナルシェのどちらの魔力的接続を担う箇所が一点だけあるはずだ。


 呼吸を止めてしまうほどの激烈な猛攻にアレウスは押され、それでも対抗すべく剣を振るう。

「異界を全て破壊するというのなら」

「魔王も倒せと言うんじゃないだろうな?」

「そんなもんは運次第だ。だが、倒す覚悟はあるのかと聞きたいんだよ」

「ないに決まっているだろ」

 『勇者』が挑んでどうにか討ち果たした魔王をアレウスが討てるわけがない。それどころか魔王を討ったことで『勇者』のパーティはバラバラになった。『勇者』は隠居し、『賢者』は世界を見限り、オエラリヌという名の男は死人となって異界を彷徨っている。それを考えると残り二人の考え方が歪んでいても不思議ではない。


 魔王を倒しても、良いことなどなに一つとしてない。むしろ絶望に叩き落とされる。なのに徐々に魔王は復活に近付きつつある。


 次の魔王が現れたとき、人間はきっと一つに纏まり切れない。人と人との争いに決着がつかない限り――決着がついても、纏まることは絶対にないだろう。そのときがひょっとしたら世界の滅亡を意味するのではないだろうか。


「アレウス、俺はお前に賭けなきゃならない」

「賭ける?」

「よく考えろ。お前のロジックを書き換える力は他の誰とも異なる。異界の概念を書き換えたところまでは、まだ強力な書き換え能力を有している程度に留められる。だが、書き換えてからはずっと、リオンの異界はその概念を元に戻すことができていない」

 飛刃を放つが、同じく飛刃を放たれて防がれる。

「お前が、或いはアベリアと共に……そう、二人で行うロジックの書き換えはどんな抵抗力を持っていても消し去ることのできない代物になっているんじゃないのか?」

「……いいや、そんなことはない」

 これまでもアベリアの力を借りてロジックを開いたことはある。二人でロジックを書き換えたこともある。それでも仲間たちのロジックは元通りになっている。


 だが、ヴェラルドの言うことには強く否定することができない。異界から出て二年は経っている。それまでにアレウスがリオンの異界に接触したのは捨てられた異界のたった一回のみ。そこにはリオンも、そして魂の虜囚が作り上げた集落すらなかった。

 なのに、アレウスとアベリアで書き換えた概念は未だにリオンの異界に残っている。


「お前が閉じた“穴”も、同じところには作れなくなっている」

「……そんな、ワケが」

「お前たちが世界のどの辺りに出て行ったかは知らないが、もう一度確かめに行ってみるといい。だが、確かめることができたらの話だがな!」

 細かい話はこれで終わりだとばかりに、力強い息遣いと共にヴェラルドが剣を強く何度も何度も振るう。

「僕とアベリアの書き換える力は……」

「ロジックは本に喩えられる。表紙を叩く『ノック』、テキストの『転写』、ページを燃やすことでの『衣』、破り去ることでの『消失』。だから俺は『――』もあるのだろうと、思っている」

 魔力の爆発が鼓膜を包み、言葉の一部を聞き取ることができなかった。それも肝心な部分を聞き取ることができなかった。そしてヴェラルドはアレウスが聞き取ったと思っている。

「その力なら、全ての異界を壊すことも難しくない! だが!」

 下から上への強烈な切り上げ。それを受けてアレウスの手から剣が弾き飛ばされた。受け切るつもりだったが受け切れなかった。これだけの炎の中でヴェラルドは身を焼かれながら、痛みなど無視して渾身の一撃を放ったのだ。

「敵わないと言うのなら、お前たちの未来を!」

 憧憬の男がアレウスに追撃する。

「俺たちがこの手で摘み取る!!」


 アレウスの腰から『身代わりの人形』が飛び出し、ヴェラルドの剣を受け止め、そして弾き飛ばす。


「もう一枚……?」

「あなたが強いことは知っている。ナルシェが強いことも知っている。だったら一度や二度の死が僕に降りかかることだって想像に容易い」

 だから準備は武器以外は万全なのだ。

「来い……!」

 アレウスは手を右に伸ばし、弾き飛ばされた剣を炎の放出で引き寄せる。

「その剣にはもう戦う力は残されていないようだな」

 刃は折れ、砕けている。もはや柄すら危うい状態であるためヴェラルドは自身の剣をナルシェの魂が起こす魔力で引き寄せてもらい、手に取る。


「『原初の劫火』よ。僕を選んだというのなら、力を貸せ。この瞬間、この刹那に力を貸せないとは言わせない」

 柄を強く握り、魔力を込める。

「ただの一度、ただの一振りで構わない。この一太刀に、己が全てを込めた渾身の一撃を……寄越せ!!」

 柄が爆ぜるように燃え上がり、剣身の代わりに炎が噴き出し、その炎が収束すると炎熱の剣身を作り上げる。しかしながら魔力の綻びは誰の目にも明らかで、振るわずとも炎熱の剣身はチリチリと崩れ落ち始める。

「……挑まなきゃ俺たちの勝ちだ」

 呟きながらもヴェラルドが魔力で剣を覆う。

「だが、そんな選択を俺たちはしてこなかったよなぁ! ナルシェ!!」


 憧憬の男が地面を削るような一直線の跳躍で迫り、アレウスはその衝突――激突に合わせて炎熱の剣を雄叫びと共に振り上げる。


「見つけた、たった一つのあなたたちの繋がり!」

 アベリアの放った炎の矢がヴェラルドとナルシェの魂の合間にある複雑な魔力の流れの一本を断ち切る。


 噴出する魔力が薄れるヴェラルドに、アレウスの炎熱の剣が触れる。


 巻き起こる爆炎と爆発、全てを焦がし尽くすほどの火柱が上がり、そして付近に熱波を放って消し飛ぶ。

「…………俺とナルシェの繋がりを断つ、たった一本の炎の矢。それさえなければ凌ぎ切る自信はあったんだけどな」

 人の姿を残しつつも、生気が薄れているヴェラルドが剣身を失った剣を落とし、アレウスからヨロヨロと離れる。

「それすらも計算していたわけじゃねぇよな?」

「僕はそんなことができるほど強くない。あなたが思った僕は、そのままその通り僕そのものだ。あなたが思う“そんなもの”。そこを僕は少しも越えていない」

「だったら、越えられたのは……そうだな、アーティファクトでしか繋がれていない今の俺たちとの絆の差、か」

 アレウスの手にはもう剣はない。今の一太刀で溶け切った。動く気力はあれど、ヴェラルドに追撃するつもりはない。


 憧憬の男は今にも崩れ落ちそうなほどの足取りで、ナルシェの魂に近付く。曖昧な存在のその髪に触れ、頭を撫で、頬に手の平を滑らせて、おぼろげな瞳を見つめる。


「もう、良いの………?」

 ナルシェの魂が微かな声でヴェラルドに訊ねる。

「ああ……俺のワガママに付き合わせてしまって悪かった。安らかに眠ってくれ」


 そう答えるとヴェラルドの体が少しずつ塵のように散っていく。それに呼応するようにナルシェの魂も瞳を閉じ、魔力の炎と化して少しずつ消えていく。


「……ナルシェのいない来世に興味なんてねぇからな。俺もここで、俺という魂を終わらせる」

「ヴェラルド……!」

「『比翼連理』はお前が知る通りだ。比翼の鳥は、一羽では飛ぶことも生きることもできない。連理の枝は絡まり合った枝の一部を断たれれば、互いの繋がりは断たれる。だから、ナルシェの終わりが俺の終わりであり、俺の終わりがナルシェの終わりだ」

 魔力の炎がヴェラルドに燃え移り、塵となって消える速度が加速する。

「……なぁ、アレウス? お前の人生はどうだ? お前の生き様はどうだ? 正直なところ、俺たちの感情だけでお前たちを助けようと思ってしまった。お前はあのとき、俺たちに付いてきてくれたが、一縷の希望を抱くよりも死にたいと思っていたんじゃねぇかって……ずっと、ずっと考えていたんだ」

「僕は……! 僕、は……!」

 声が出ない。この先の言葉が、なかなか喉から出てくれない。


 そうか。泣いているのか。アレウスは自身が涙を流していることに気付く。心の底から、悲しんでいることに気付く。涙などこれまで見せまいと気丈に振る舞い、人前で泣く価値さえ自分にはないのだと決めつけ、泣くとしても誰も見ていないところで泣いていた。


「あなたに……救われて、よかった……! あなたが、僕の前に、現れてくれて……未来を、見ることが、できた。本当に……ありがとう」

「…………世界はややこしいことばかりで、意味もないことで争って……見放したくなることもあるかもしれねぇけど、息づいている命は……根差している命は、代えがたいほどに素晴らしい価値を持っている。お前が異界でやったことなんて些細な悪事だ。大いなる悪意に比べたらどうってことないことだ。自らが重ねてきた些細な善行を信じ抜け。世界に負けるな、異界に折れるな。壊してくれ、アレウス。この世界の、そして異界のロジックを」

「はい……!」


 不意に真後ろの壁が突き破られる。土煙と共に現れたリュコスが雄叫びを上げ、アレウスへと駆ける。


「させねぇっ!!」

 消えゆく体でありながら全速力で疾走し、アレウスを喰らわんとするリュコスの牙の一本を片手で掴み、阻む。

「尖兵同士で争うのが馬鹿らしいってか……? けど、縄張り争いぐらいはいつもやってんだろ? 悪いな、リュコス。ここを任されていたのはヴェラルド・ルーカス――この俺だ」

 失せ切ったはずの魔力がヴェラルドに宿り、魔力が彼の半身を包み込む。

「最期までナルシェにおんぶにだっこか。静かに眠ってほしかったが、まぁ俺たちらしいよなぁ」

 憧憬の男より先にナルシェの魂が完全に魔力の炎と化し、陽炎のように消え去った。しかしヴェラルドの手には消し飛んだはずの剣が握られ、それをリュコスの鼻先に叩き付ける。

「行け、アレウス! 俺たちの別れは、どうやらこんなもんみたいだ」

「僕はまだ!」

「剣を交えて信念は伝わった。伝えたいことももうない。今更、子供みたいにギャーギャー喚くな。大人になったと言うんなら、受け入れろ」


「……ありがとう、ございました!」

 ただ感謝の言葉を涙でグチャグチャになった表情のまま伝え、鼻水を啜り、嗚咽をしながら“穴”に向く。とてもアベリアには見せられない顔をしているが、もう見られてしまっているので分かりやすいほどに泣き叫ぶ。


 泣き叫びながら走り、彼女と手を繋いでアレウスは“穴”へと飛び込んだ。


----------


「ヴェラルド・ルーカス?」

「そう、それが俺の名前。お前は?」

「……ナルシェライラ・レウコン」

「なげぇな」

「これでも偉大なエルフの、」

「そーいうんはどうでもいいんだ。エルフだろうとなんだろうと、ここにいるってことは冒険者になりたいんだろ?」

「そうよ、なにか悪い?」

「俺も冒険者になりたいんだけどよ。どうにも仲間を見つけられていない。テストが明日だってのにこのままじゃ一人で課題をこなさなきゃならない。だから、」

「手を組むのなんて御免よ。私はエルフ、あなたはヒューマン。私はエルフとしか手を組まない」

「手厳しいな、ナルシェラ……なんだっけ?」

「ナルシェライラ・レウコン!」

「だからなげぇーんだよ。もっと呼びやすくしてくんねぇか?」

「……ナルシェ」

「じゃぁナルシェ。俺と組んで冒険者テストを合格しようぜ」

「あなた、さっきの話を聞いてた? 私はエルフとしか組まない」

「俺は相手が誰であっても構わないぜ?」

「だーかーらー……はぁ、もういいわ。どうせ私一人でも合格できるし。お荷物がいてもどうとでもなる」

「本当か? いや、助かる。ありがとう、ナルシェ」

「でもなんで私なの? エルフの私を誘ったらあなたが浮くでしょ?」

「そりゃぁ、飛び切りの良い女を見かけたんだから声を掛けないわけにはいかないだろ」

「…………バッカじゃないの?」

「冗談で言ってんのに満更でもない顔をしてんのはなんだ?」

「うるさい、あーもう本当にうるさい。テストのときは静かにしていてよ?」

「静かになんてするもんか。黙っていたらお前を守れない。前衛はどんなことがあっても後衛を守るのが仕事だろ」

「死んでも?」

「ああ、死んでも守ってやる」

「言ったわね?」

「言ったとも」

「そう……ふふ、見物(みもの)だわ。どこで泣き言を言うか」

「ああ、ちゃんと見ていろよ。俺がこの日から始める大きな生き様の第一歩を」

「はいはい」


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【『比翼(ひよく)連理(れんり)』】

・ヴェラルドが有する。誰かを守れる強さを追い求めるものの、多くの命が失われる現実を見せつけられ、それでも尚、守りたい者を守るためにと決意しつつもまるで上手くいかない生き様に懊悩を続けたことで生じたアーティファクト。


・『比翼連理』とは、比翼の鳥と連理の枝の効果を持つ。


・比翼の鳥

 片翼の鳥で雌雄で体を合わせることでしか空を飛ぶことのできない鳥を意味する。生涯でただ一人、必ず守ると決めた相手との絆が高ければ高いほど全能力と全技能が底上げされる。特に技能は現在の習得レベルのおおよそ二倍から三倍までに至る。ただし、守ると決めた相手に了承を得ていなければ効果は発揮されない。対象者にはリスクしかないように見えるが、この効果はヴェラルド自身に留まらず対象者の能力値も底上げする。また、危機的状況であってもヴェラルドの『重装戦士』の技能が強化されているため、どんな状況であっても防衛に入る。これは物理的な阻害を受けようとも、魔力的な障害を受けようとも、ありとあらゆる状態異常を受けていようとも必ず防御に回るほどに発動優先度が高い。

 しかし、一度決めた対象を変えることはできない(指定し直せない)。ヴェラルドの場合はナルシェを守ると決めた以上は、ナルシェ以外を守り通すまでの効果は持たない。これがリオンを前にしてアレウスとアベリアを守ろうとして崩れた原因である。

 比翼の鳥は一人では生きられない。ヴェラルドが死ねばナルシェが死に、ナルシェが死ねばヴェラルドが死ぬ。しかし、どちらか一方が魂と化しても共に居続けたいと願い続ける限り、魂に至るまで絆が浸透しているため片方の死後も魂の消失が起きない限りは生きられる。


・連理の枝

 枝同士が絡み合い、さながら一本の枝のようになった様。ヴェラルドとナルシェの魔力的繋がりを司る。

 『比翼連理』が発動状態にある場合、ヴェラルドにナルシェの魔力供給が行われ、一時的な『衣』や『継承者』、『超越者』にも届くほどの魔力を半身に、そして全身に纏わせることができる。ただし、『衣』があっても『継承者』であっても『超越者』であっても、たった一人では異界獣を討ち果たすには程遠い。アレウスとアベリアを逃がすための決死の突撃も、リオンを傷付かせて僅かでもアレウスたちを追い掛けさせるのを留めさせる程度にしかならなかった。

 魔力の流れは枝葉の如く膨大で、連理の枝はその中のたった一点にしかない。それこそがヴェラルドとナルシェの魔力的繋がりであり、同時に互いの力が合わさって巡り合っている部分でもある。見つけるのは不可能に近く、見つけられたとしても動き回る二人であれば一瞬でその一点を隠すことはわけない。アベリアが射抜けたのはナルシェが魂だけの存在で動けていなかったため。

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